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Until now I have been looking for you.⑤

何はともあれ、トニーが転校してきた理由を話してくれたことで、彼が心を許してくれたとペッパーは考えていたのだが…。

そんなある日。
2人は些細なことで喧嘩をしてしまった。
黙ったままのトニーにペッパーは思ってもいないことを言ってしまった。
「結局あなたって、いい加減なのよ!だから退学になったんじゃないの?仲良くなんかなるんじゃなかったわ!」
トニーが泣きだしそうな顔になった。が、腹が立って仕方ないペッパーは、そんな彼を置いてその場を後にした。

翌日。トニーは登校してこなかった。次の日も、その次の日も…。
喧嘩の真っ最中といえ、さすがに心配になったペッパーは、何度も連絡を取ったが、トニーは電話にも出ないし、メールの返事もこなかった。
もしや何かあったのでは…と、ペッパーは勇気を振り絞って、トニーの自宅へと向かった。

見たことも入ったこともないような大豪邸に一瞬怯んだペッパーだが、何度も深呼吸をするとドアをノックした。すると、トニーの母親であるマリアが顔を出した。ペッパーの姿を見たマリアは、パッと顔を輝かせた。
「あらあら、ペッパーちゃん!いつもトニーがお世話になってます」
「い、いえ…こちらこそ…」
一度顔を合わせただけなのに、自分のことを覚えているマリアにペッパーは戸惑った。
「トニーから聞いてるのよ。と言っても、私が無理矢理聞き出したんだけど」
クスクス笑ったマリアはペッパーの手を引っ張ると、ズカズカと家の中に入った。
「とりあえず、上がって。あなたとゆっくりお話ししてみたかったのよ。トニーに連れてきてって頼んでも、あの子ったらそのうちって言うばかりで…」

自分の部屋の倍以上の広さのリビングに通されたペッパーは、初めて見る世界に目を白黒させたが、マリアが見るからに高そうなカップに入れて出してくれた紅茶を飲む頃には、ようやく少し落ち着くことができた。
「あの子ね、本当に変わったのよ。あなたと出会ってから。沢山お友達も出来たみたいで…。主人も私も、本当にここに来てよかったって思ってるのよ」
紅茶を啜ったマリアは、ふぅと息を吐くと、そっとカップを置いた。
「あの子、前の学校で、いじめられて…」
「え…」
マリアの言葉にペッパーは思わず声を上げた。トニーから聞いていた話と全く違っていたから…。
「聞いてないの?」
てっきりペッパーには話をしていると思っていたマリアは、訝しげに眉を潜めた。
「は、はい…。校則を破って、退学処分になったと…」
ペッパーの言葉に、マリアははぁとため息を吐いた。
「またそんな見栄を張っちゃって…」
何度か首を振ったマリアは、何度か深呼吸をすると、話し始めた。
「あの子ね、あの学校には馴染めなかったの。幼稚園からずっと…。スタークという名前のせいで…他の子達よりも色々なことを知っているからって…理由もなくずっといじめられたの。中学校までは家から通学していたけど、仕事仕事であまりそばにはいられなかったせいで、トニーがいじめられていることも、孤独だったことも、私たちは気づいてなかったの…。それでも家族がそばにいるということで、トニーには逃げ場所があった。それが高校生になって、寮生活になってから、あの子は本当に一人ぼっちになってしまったの。それでもトニーは、私たちの期待に応えたいという一心で、ずっと我慢して…」
当時を思い出したマリアの目から涙がすぅと零れ落ちた。
「あの日…。学校から電話があったの。トニーが寮の部屋に閉じこもって、3日も出てこないって…。あの子に電話を掛けても繋がらないし、夫と慌てて寮へ向かったの。ノックしても何の返事もないし、ドアには鍵が掛かっているし…。それでも無理矢理部屋に入ったわ…。そうしたら…あの子…泣いてたの。真っ暗な部屋の中で…ベッドに潜り込んで…。部屋にはね、誹謗中傷が書かれたビラが散らばっていたの…。それからクローゼットの中には、ボロボロになった鞄や服や靴が沢山…。あの子の誕生日に夫が贈った、あの子のお気に入りだった腕時計も…壊されて、床に転がっていたの…。どうしたのかと聞いても、あの子、口を閉ざしてなかなか話そうとしなくて…。そればかりか、顔や身体中に、殴られた跡があったわ…。それから、あの子は…泣きながら私たちに頭を下げたの…。『父さんと母さんの期待に添えなくてごめんなさい。でも、我慢するから…。我慢してもっと頑張るから…』って…。その言葉、私たちは凄くショックだった…。ずっと辛い思いをしてきたのは、トニーなのに…。たった一人の息子に頭を下げさせるなんて…って。それから、どうして気づいてやれなかったんだって、後悔しかなかったわ…。仕事が忙しくて…なんて、言い訳にしか過ぎないわよね…。だからLAに引っ越したの。あの子のことを守るために。夫は仕事があるからNYにいるけれど、あの子が高校を卒業するまでは、もう二度と一人ぼっちにさせまいと決めて…」

マリアの話はトニーから聞いた話とは違っていた。トニーは嘘をついていたのだ。理由が理由だけに、おそらく真相を話したくなかったからだろうが、彼は心を許してくれていると思っていたのにそうではなかったことに、ペッパーは少しだけショックを受けてしまった。そしてトニーの苦しみに気づくことができなかった自分に腹が立ってきた。
悲しそうな顔をしているペッパーに気づいたマリアは、ペッパーの手をそっと握りしめた。
「でもね、ここに来て、あの子に笑顔が戻ったの。毎日楽しそうに学校へ行って…。あんなに楽しそうなトニー、生まれて初めてなのよ。あの子、やっと自分の居場所を見つけることができたの…。あなたのおかげよ、ペッパーちゃん。ありがとう、あの子のこと…トニーのことを受け入れてくれて…。ありがとう…」
マリアの言葉はペッパーの胸に突き刺さった。どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。自分の言葉がトニーを再び深く傷つけてしまったことに違いはないのだ。
「私……私……」
ポロポロ泣き始めたペッパーは、マリアに向かって頭を下げた。
「トニーのこと…傷つけてしまいました…。思ってもないことを言って……。ごめんなさい…ごめんなさい…」
泣き始めたペッパーの様子から、どうやら2人は喧嘩の真っ最中らしいということにマリアは気づいた。しかもペッパーは自分がトニーを傷つけてしまったためにトニーが欠席していると思っているようだが…。
(トニーもちゃんと話してあげなさいよね)
気づかれないように肩を竦めたマリアだが、ペッパーはこうやってわざわざ様子を見に来てくれたのだ。そこで、マリアはペッパーをトニーの部屋に案内すると、「大丈夫よ」と言い残し、自分はその場を後にした。

「トニー?」
ドアをノックし、そっと部屋に入ると、トニーはロボットを組み立てていた。先のサイエンス・フェアで共に作ったロボットよりも、数段大きなアーム型のロボットを、トニーは一心不乱に組み立てていた。
「何だ、ペッパーか。どうしたんだ?」
部屋に入ってきたのがペッパーだと気づいたトニーは手を止めると、そばにやってきたペッパーを見上げた。
「何日も休んでるから…心配で…」
そう告げたペッパーは、トニーに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい、トニー。あんなこと言っちゃって…本当にごめんなさい…。あなたの気持ち、私が一番分かってなくちゃいけないのに…」
ペッパーはあの喧嘩が原因で欠席していると思っていると気づいたトニーは、視線を落とした。確かにあの時の言葉は、否応がなしでも当時のことを思い出した。またあの頃に戻ってしまうのかと一瞬思った。だが、ペッパーは違うと分かっていたから、ただの喧嘩だと思うことにした。こうやって謝りに来たということは、ペッパーは当時のことを知ったということだろう。勿論、それを話したのは…。
「お袋から聞いたのか?」
母親の顔を思い浮かべたトニーは、鼻の頭を掻いた。
「うん…いじめられてたって…」
両親はいじめが原因だと思っているが、あの事件の真相は、両親も知らない…いや誰にも話すことのできない、トニーがもう何年も抱えている心の闇。
もしかしたら、ペッパーはその闇を受け止めてくれるかもしれない。ペッパーには聞いてもらいたかった。そうすることで、過去の自分とは完全に決別できるはずだから…。だが、それを打ち明ければ、きっと彼女に軽蔑される…。ようやく手に入れた心から信頼できる相手を失うことになる…。
「そうか…」
ポツリと呟いたトニーは、何かを追い払うように首を振った。その姿はいつものトニーとは違い、儚く見え、トニーがこのまま消えてしまうのではと不安になったペッパーは、彼にギュッと抱きついた。
「あなたは世界で一番ステキな人よ。誰よりも優しくて、誰よりも思いやりがあって…。それに、誰よりも温かい心を持ってる…。私、あなたに出会って、本当に幸せなの」
トニーの頭を抱え込んだペッパーは、ボサボサな髪の毛を優しくすいた。
「ごめんなさい…ごめんなさい、トニー」
何度も謝罪の言葉を口に出すペッパーに気づかれないように深呼吸をしたトニーは、彼女の腕を軽く叩いた。
「実はさ、今度のコンクールに出すロボットが間に合わないから休んでたんだ」
トニーが休んでいた理由が別のことにあると知ったペッパーは、身体を離すと目を丸くした。
「ホント?」
「あぁ。だってさ、あれは君の本心じゃないって分かってたから」
ニッと笑ったトニーに、ペッパーは安心したように息を吐いた。
「良かった…。でも、何度も電話したのに通じなかったから…」
それなら連絡くらいくれればいいのに…と、頬を膨らませたペッパーに、トニーはあっ…と声を上げた。
「ごめん。集中しすぎて、携帯は全然見てなかった」
申し訳なさそうに頭を掻くトニーは可愛らしく、笑い声を上げたペッパーは、再びトニーに抱きついた。そして、甘えるようにトニーの肩に頭を乗せたペッパーは、目の前にあるロボットを見つめた。
「ねえ、この子の名前は?」
「ダミーさ」
トニーがスイッチを入れると、ダミーと名付けられたロボットは、アームを伸ばしペッパーの手に触れた。
「よろしくね、ダミー」
嬉しそうにダミーと触れ合うペッパーを暫く見つめていたトニーだが、ペッパーの頬を撫でると彼女の瞳をじっと見つめた。
「優勝したらご褒美くれる?」
上目遣いで見つめてくるトニーは子供のようで、彼のことが愛おしくなったペッパーは、頬に口づけした。
「あなたが欲しいもの、何でもあげるわ」
「期待しとくよ」
ニンマリ笑ったトニーは、ペッパーの唇を奪った。

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Until now I have been looking for you.③

サイエンス・フェアの日がやって来た。
トニーとペッパーは『ロボットと友達になれるか』というテーマで挑んだ。
トニーは感情を持ったA.I.やロボットを作りたいらしく、その試作品として、”D”という小型のロボットを作り出した。Dは言葉を喋ることは出来ないが、ピーという電子音を出した。そして数人の生徒に協力してもらい、Dの前で話をしてもらった。するとDは相槌を打つように、アームを動かしたり、電子音を出したのだ。

ロボットの出来栄えもだが、ペッパーが行ったデータのまとめ方も群を抜いており、2人は見事優勝することができた。
「スタークくん!やったわ!」
見たことがない程嬉しそうに飛び跳ねているペッパーに、トニーは釘付けになったが、それを隠すようにわざとらしく首を振ってみせた。
「俺を誰だと思ってるんだ?」
そしてフンっと鼻を鳴らすと、得意気にニヤっと笑ってみせた。するとペッパーは、上目遣いでトニーを見つめると、何度か目を瞬かせた。
「ねぇ、優勝のお祝いをしましょ?」
(それって……2人きりでってことだよな?!)
実はトニー、出会った時からペッパーのことが気になって仕方なかったのだ。どうも気恥しくて、いつもからかってばかりだったが、この1ヵ月、彼女のことを知っていくうちに、彼女に恋をしてしまったのだ。
彼女の気持ちは分からない。彼女の態度から考えると、自分は嫌われていると思っていたが、案外そうでもないのかもしれない。

そこでトニーはペッパーを連れて、サンタモニカにやって来た。ありきたりのデートスポットなので、文句の一つでも言われるかと思ったが、彼女は子供の頃に来て以来だと、珍しそうに辺りをキョロキョロと見渡しており、トニーは気づかれないように息を吐いた。

ヘルシー志向のペッパーのために、オーガニックカフェに入った2人は、ジュースとピザで祝杯を上げた。そして食事を終えると、サンタモニカピアへ向かった。
沈みゆく夕日を黙ったま眺めていた2人だが、こんなロマンティックな場面でどうして黙っていなきゃいけないんだと思い直したトニーは、ゴホンと咳払いした。
「そういえばさ、ポッツさんってさ、放課後は何してるの?」
「家に帰って勉強してるわ」
まずは差し障りのないことから…と、無難な質問をぶつけてみたが、ペッパーの答えにトニーは目を丸くした。
「遊びに行かないの?」
「そうね、ほとんど行かないかも…」
「真面目なんだな」
感心したように唸ったトニーだが、ペッパーは寂しそうに微笑んだ。
「真面目というか…そういう友達はいないから…」
黙ったままのトニーに、ペッパーはチラリと視線を送ったが、俯き加減に言葉を続けた。
「私ね、こんな性格だから、仲のいい友達って小さい頃から殆どいないの。色々なことを相談できるような友達もいないわ」
(あなたのことを好きっていう相談も…)
トニーは相変わらず黙ったままだ。もしかしたら、あまりに堅物すぎて呆れられているのかも…と、正直に話したことをペッパーは後悔した。
が、何度か深呼吸をしたトニーは何か意を決したように顔を上げた。
「俺じゃダメ?」
「え…」
どういうことなのかと、目をぱちくりさせるペッパーを、トニーはじっと見つめた。
「俺が友達になる」
「またからかってるの?」
どう見ても彼がふざけて言っている様子はないのだが、今までの経緯から素直に受け止められないペッパーは、念の為そう聞いてみた。が、トニーは乱暴に頭を振ると、ペッパーの手を握りしめた。
「違う!からかってなんかない!お、俺……ポッツさんのこと…」
真っ赤な顔をしたトニーは、いつになく真剣な顔をしている。それはロボットを組み立てている時の彼と同じくらい真剣な眼差しだった。
「スタークくん…」
トニーの真っ直ぐな瞳に、ペッパーの胸は高まり、今にも心臓は飛び出してしまいそうだ。何度も深呼吸をしたトニーは、ペッパーにぐっと顔を近づけた。
「好きだ。ポッツさんのこと、好きなんだ」
その瞬間、2人の周りは時が止まったように静まり返った。
(スタークくんが……私のことを……好き…?)
にわかに信じられなかった。あのトニー・スタークがペッパー・ポッツのことを好きだというのだ。
「でも…でも…私…」
唇を震わせるペッパーに、トニーは何度も瞬きすると、優しく尋ねた。
「俺のこと、嫌い?」
嫌いだなんてとんでもない。彼を好きという気持ちは、もはや抑えることが出来なくなっているのだから…。
首を振ったペッパーだが、ポロっと涙が零れた。そして必死な思いで自分の気持ちを口に出した。
「私も…スタークくんのこと……好きなの…」
が、ペッパーは不安だった。トニー・スタークに地味で何の取り柄もない自分が釣り合うはずがない…と。
「でも…でも…私……」
しくしく泣き始めたペッパーに、トニーは戸惑った。お互い同じ気持ちなのに、どうして彼女は泣いているのか理解できないトニーは、不安げにペッパーを見つめたが、その視線に気づいたペッパーは、しゃくりあげながら蚊の鳴くような声で囁いた。
「あなたに相応しくないわ…」
ペッパーは涙に濡れた瞳でトニーを見上げた。そんな泣き腫らした顔でさえ可愛いと感じたトニーは、堪らずペッパーを腕の中に閉じ込めた。
「君は世界で一番素敵な女性じゃないか。完璧で、俺にはもったいないくらいの女性だ」
耳元で囁かれたペッパーは、トニーの言葉とそして彼の腕の力強さに、心がすぅと落ち着くのを感じた。
彼の気持ちをようやく素直に受け止めることができたペッパーは頷くと、嬉しそうにトニーの胸元に顔を押し付けた。

しばらくそのまま抱き合っていた2人だが、顔を上げたペッパーがトニーをじっと見つめた。
「ねぇ、誰にも言わないでね」
「何で?」
ペッパーは自分たちの関係を秘密にしておきたいらしい。彼女の意図が分からず首を捻ったトニーに、ペッパーは唇を尖らせた。
「だって、あなたのことを好きな女の子って、山ほどいるの。だから私があなたと付き合い始めたって皆が知ったら…」
モゴモゴと口を噤んだペッパーだが、トニーは所謂『女の事情』というやつなのだろうと、納得したように唸った。
「そうだな。それに、俺たちって、ほら、犬猿の仲だからさ」
学園内ではどう見ても仲が良いとは言えない関係なのだから、突然キスなどし始めれば、何があったのかと詮索されるに決まってる。それはそれで、追いかけ回され面倒だと考えたトニーは、目をくるりと回した。
「そのかわりさ、2人の時は名前で呼んでいいか?」
「うん」
嬉しそうに頷いたペッパーは、トニーの胸元に顔を押し付けた。
「君もだぞ。俺のこと、名前で呼べよ、ペッパー」
「分かったわ…スタ……じゃなくて……トニー」

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Until now I have been looking for you.②

その日から、トニーは何かとペッパーにちょっかいを出てきた。そして同じクラスということもあり、トニーの素行は否応がなしにペッパーの目に付いた。遅刻常習犯でサボり魔のトニーに、ペッパーは目くじらを立てて注意したが、トニーはヘラヘラするだけで、逆にからかわれる始末。

が、その性格故か、1週間もすると彼には大勢の友達ができた。1番の親友になったのは、ジェームズ・ローディだった。ブルース・バナー、クリント・バートン、そしてソー・オーディンソンという、学園内でもかなり個性的な面々とも意気投合していた。それにペッパーと同じくらい真面目で堅物なスティーブ・ロジャースも、気づけばトニーたちの仲間に入っていた。

放課後になると、彼らは楽しそうに話をしたり、街へ遊びに行った。そしてトニーはいつもその輪の中で笑っていた。

1ヶ月後。
学園内は来月に迫ったサイエンス・フェアの話題でもちきりだった。パートナーは教師が決定するので生徒達に選択の余地はないのだが、今年はあの天才トニー・スタークがいるのだ。誰しもが彼とペアになりたいと切望していたのだが、何と彼のパートナーに選ばれたのは、ペッパー・ポッツだった。
「何で私があなたなんかと…」
周囲からの嫉妬じみた声に耳を塞いだペッパーは、ブツブツと文句を言ったが、トニーは嬉しそうだ。
「いいじゃん。この機会にさ、仲良く…」
「あなたなんかと仲良くしたくないわ」
ツンっと不機嫌そうな顔をしたペッパーだが、トニーは一瞬寂しそうな顔をした。
「じゃあさ、俺が全部やっておくよ。適当にロボットを作って、適当にまとめて。で、君の名前も書いておく。完璧だろ?」
確かにそういう手もあるかもしれない。が、真面目なペッパーはそんなことは許せなかった。
「それじゃあ、ズルしてるようなものよ。ダメ」
トニーを睨みつけたペッパーだが、当のトニーは何故か頬を赤らめた。

その日から、放課後になると2人は実験室に篭もり始めた。
ロボット開発がトニーの得意分野ということもあり、学園内で使えるロボットを作ることになった。ペッパーが出したアイデアをトニーが形にする…。そこでペッパーは、トニー・スタークが天才と呼ばれる所以を身をもって体感した。何気なく出したアイデアも、トニーの手に掛かれば一つの形となってすぐに完成するのだ。そして彼はペッパーが思い付かないようなことを次々とやってのけた。そんなトニーと接することが、ペッパーは次第に楽しくなっていた。

1週間後。
約束の時間よりも遅れたペッパーが急いで実験室へ向かうと、トニーは先に作業を開始していた。
ロボットを組み立てるトニーは真剣そのもので、初めて見る彼の眼差しにペッパーは胸がドキドキし始めた。
暫くその横顔に見とれていたペッパーだが、我に返るとわざと足音を立ててトニーに近づいた。
「ポッツさん、遅かったな」
顔を上げたトニーは鼻の頭を擦ったが、手に油が付いていたらしく、真っ黒になってしまった。子供のような仕草に小さく笑みを浮かべたペッパーは、
「差し入れよ」
と、買ってきたサンドイッチを差し出した。
「俺、ハンバーガーが好きなんだよな」
そう言いつつも、受け取ったトニーは、美味しそうに頬張った。

と、ペッパーは気づいた。そういえば、お互いのことは何も知らないと…。
ただの同級生なのだから、別に彼のことなど知らなくてもいいのだが、何故か分からないがトニーのことが気になって仕方ない。
そこで、トニーが2つめのサンドイッチに手を伸ばしたところで、ペッパーは彼に提案してみることにした。
「ねぇ、ちょっとは仲良くならない?」
手を止めたトニーはペッパーを見つめた。
「どういう風の吹き回し?」
目をぱちくりさせている彼に、ペッパーは軽く微笑んだ。
「折角ペアになったのに、私ってあなたのこと、名前しか知らないから…」
ダメかしら…と小首を傾げたペッパーに、真っ赤な顔になったトニーは首を乱暴に振った。
「いやなことあるもんか!お、俺も…その…ポッツさんの好きな物とか知りたいし…。いや…その………あれだよ。今日はポッツさんが差し入れを持ってきてくれただろ?明日は俺が持ってくるから。でも、君のことだ。嫌いな物を持ってきたら、怒るだろ?」
どうして彼は真っ赤な顔をして慌てているのだろうかと、ペッパーは首を傾げた。だが、その時のペッパーは彼は急な提案に驚いているのだろうと思うことにした。

その日からの2人は、放課後に準備をしながら様々な話をした。好きな食べ物、好きな音楽、好きな本…。
1週間もすると、人前では以前と同じような手厳しい態度なのだが、2人きりの時のペッパーは、トニーに対してあまりつっけんどんな態度をしなくなった。

そんなある日のこと。
「なぁ、メガネ外してみて?」
データをパソコンに入力しているペッパーを見つめていたトニーが、不意にそんなことを口に出した。
「どうして?」
彼の真意が分からず、眉を顰めたペッパーだが、トニーはニコニコ笑うばかり。首を傾げながらもペッパーがメガネを外すと、トニーはパッと顔を輝かせた。
「やっぱり!ポッツさん、メガネ姿もいいけど、外すと断然カワイイよ!」
思いがけない言葉に、ペッパーは頬を赤らめた。
「からかってるでしょ?」
頬を膨らませそう告げると、トニーは不思議そうな顔をした。
「どうしてそんなこと思うんだよ。ポッツさんって、カワイイじゃん」
本気で言っているのかもしれないが、トニーにはいつもからかわれているのだから、素直に受け取れなかった。
「ふざけてないで、さっさと終わらせるわよ」
そう突き放したペッパーはメガネを掛けると、再びパソコンに向かった。

帰宅したペッパーは部屋に入るとベッドに寝転んだ。
『ポッツさんって、カワイイじゃん』
トニーに言われた言葉が頭から離れない。
初めてだった。家族以外の人にカワイイと言われたのは…。
(スタークくん…)
彼のことを考えると、胸がドキドキする。正直、恥ずかしくてまともに顔を見れない。
真剣な眼差しも、おちゃらけている顔も、時折見せる寂しそうな顔も…。
最初は嫌な奴という印象しかなかった。が、この1ヶ月、彼のことを知れば知るほど、もっと知りたいと思うようになっていた。どうしてこうも彼のことが気になるのだろう…。どうして彼のことを考えると、胸が苦しくなるのだろう…。

誰かに相談したいが、ペッパーには相談できるような友達はいなかった。そこで、携帯を取り出したペッパーは、『男性 胸がドキドキする』と入力し、検索してみることにした。
すると…。
「え………恋してるの……私…」
まさかこの自分が恋をするだなんて…。今まで一度も恋したことなどない。それがまさかあのトニー・スタークが相手だなんて…。
「スタークくんに恋?私が?そんなの…」
『間違ってる』と言おうとしたペッパーだが言えなかった。というのも、彼女は本当の自分の気持ちに気づいてしまったから…。
(私…スタークくんのことが…好き……)
トニーを思い出したペッパーは、真っ赤になった顔を隠すように、枕をぎゅっと抱きしめた。

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Until now I have been looking for you.①

『ペッパー・ポッツ』。それが彼女の名前だった。いや、本当は『ヴァージニア』という名がある。だが、そばかすが特徴的な彼女は、いつしかその名で呼ばれるようになっていた。
ペッパー・ポッツは、非常に真面目な性格だった。自分に厳しいのは勿論のこと、時には人にも厳しかった。が、それ故に教師や生徒からの信頼も厚く、今年度は生徒会長を務めていた。

そのペッパー・ポッツが今朝は小走りに中庭を駆けている。何事かと遠巻きに生徒たちが見守る中、彼女は校長室まで辿り着くと、ドアをノックした。
「ポッツです」
息を整えたペッパーが校長室に入ると、いつもの仏頂面のフューリー校長と、見慣れない男子生徒とその母親らしき女性がソファに座っていた。
「呼び出してすまないな、ポッツくん。彼はトニー・スタークくんだ。本日付で転校してきた。早速だが、彼を案内してやってくれないか?」
トニー・スタークと紹介されたちらりとペッパーに視線を送ったが、興味なさそうに手元のスマフォへと目を移した。そんなトニーを横に座っていた女性は肘で小突くと立ち上がった。
「初めまして。トニーの母親のマリアです。仲良くしてやってください」
その女性には見覚えがあった。それに『スターク』という名前に、ペッパーはピンときた。彼女はあの『スターク・インダストリーズ』の社長夫人だ。となると、彼はスターク夫妻の一人息子のアンソニー・エドワード・スターク。
実はペッパー、大学卒業後は世界屈指の企業であるスターク・インダストリーズへの就職を考えているため、色々と調べていたのだ。が、社に関しては知っていても、スターク一家については何も知らなかった。
そんな自分はフューリー校長から案内係を仰せつかった。
(これは私の将来にとって、チャンスかもしれない…)
スターク家と顔を繋いでおけば、就職後も何かしら不利になることはないだろうと考えたペッパーは、ニッコリと笑みを浮かべると、マリアに向かって頭を下げた。
「初めまして。ヴァージニア・ポッツです。ペッパーと呼んでください」
よろしくねと微笑んだマリアだが、トニーが相変わらず興味なさそうにしているのに気づくと、息子の腕を引っ張った。
「こら、トニー。ちゃんとして」
「はいはい」
面倒くさそうに立ち上がったトニー・スタークは大欠伸をすると、ペッパーの後を付いて部屋を出て行った。

***

「…ここがカフェテリアです。ランチタイムは激戦だから…」
教室を一通り案内したペッパーは、トニーを連れてカフェテリアまでやって来た。が、トニーはずっと生返事ばかりなのだから、いい加減痺れを切らしたペッパーは、眉をつり上げながらトニーに尋ねた。
「ねぇ、聞いてますか?」
ぽりぽりと頭を掻いたトニーは、大袈裟に肩を竦めた。
「なぁ、そんなに真面目くさって、人生面白いの?」
「え?」
思いもよらぬ言葉に、ペッパーは目を丸くするとトニーを見つめた。
「いや、君ってさ、めちゃくちゃ真面目って感じじゃん。校則が服を着て歩いてるって感じ。そんなにガチガチで、毎日楽しいのかなぁって」
そんなこと、言われたことはなかった。いや、影で言われていることは知っているが、彼は面と向かって…それも初対面なのにハッキリと告げてきたのだ。
「スタークくん。あなた、ものすごく失礼なことを言ってるって自覚してますか?」
眼鏡を上げたペッパーに、トニーはニヤニヤと笑いながら答えた。
「あぁ、分かってて言ってる」
ペッパーの眉間に皺が寄った。
彼は私のことをからかっていると感じたペッパーは、ツンっと顔を背けた。
「では、次に行きます。ついてきて」
「はいはい」
その後、余分なことは一言も話さなかった2人だが、トニーがこっそりと横顔を見つめていることにペッパーは気づいていなかった。

翌日。
あのトニー・スタークが転校してきたと、学園中大騒ぎになった。
ランチタイムになっても、皆の話題は勿論、トニー・スターク。これといって仲の良い友達がいる訳ではないペッパーは、一人で定位置である隅に座った。

「トニー・スタークって、NYのトリニティー・スクールに通ってなかった?」
「え?あの超エリート校の?」
「そうそう。確か幼稚園から行ってたはずよ。テレビで見たことあるもん」
「で、何でうちに来たの?」
「さぁ…」

スターク・インダストリーズについてはある程度知識はあっても、トニー・スタークのことは何も知らないペッパーは、聞き耳を立てた。

「でもさ、彼っていい噂も悪い噂も聞くよね」
「うん。天才だし、大金持ちで、顔もいいけど…」
「その分、女遊びも激しいんでしょ?」
「私の友達の友達の友達が一度ヤったことあるって言ってたわ」
「でも、所詮一夜限りなんでしょ?」
「まぁ、彼なら私も一回お相手してみたいけど」
「そうよねー。だって…」
「カッコイイんだもの…」

下種な話になってきたので、ペッパーは聞くのを止めた。
自分とは全く縁のない世界の話なのだから、トニー・スタークとは関わらない方がいいかもしれない…。
そんなことを考えていると、誰かが隣にやって来る気配がした。
「隣、いい?」
顔を上げると、そのトニー・スタークが立っていた。彼の顔を見た瞬間、先ほどの噂話を思い出し、ペッパーは思わず顔を顰めた。
「ダメです」
「でも、ずっと一人じゃん」
そう言いながら隣に腰を下ろしたトニーは、ネクタイを緩めると、シャツのボタンをいくつか外した。何となくだらしない格好に、ペッパーは眉を吊り上げた。
「スタークくん。あなたの恰好、校則違反よ」
「いいだろ、昼休みなんだし」
そう言うと、トニーは勢いよく昼食のカルボナーラを食べ始めた。

が、半分ほど食べたところで、トニーは気付いた。ペッパー・ポッツに話しかけてくる者は、誰一人としていないことに…。
「ポッツさん、友達いないの?」
ストレートに告げると、ペッパーはムッとしたように口を尖らせた。
「あなたには関係ないでしょ?」
ツンっと横を向いたペッパーに、トニーは苦笑い。
「またそんな冷たいこと言っちゃって」
ククっと笑ったトニーだが、ペッパーが黙ったままなことに気付くと、再びカルボナーラを食べ始めた。

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Until now I have been looking for you.⑨

その日以降、2人は隠すことなく手を繋いで歩くようになった。ランチタイムも2人並んで過ごしているし、トニーはペッパーに隙あらばキスをしているのだ。
どうしてスタークくんはポッツさんなんかと…と、最初は悔しそうにハンカチを噛み締めていた女子生徒たちも、トニーのペッパーに対する愛情を見せつけられ、これは完敗だと感じたのか、3日もすると誰も何も言わなくなった。

そしてもう一つ。
トニーがスティーブたちと遊びに行く時は、ペッパーも加わるようになった。
ドジャーススタジアムに野球をみんなで見に行くこともあった。ディズニーランドやユニバーサルスタジオに遊びに行くこともあった。ハリウッドで映画を見て、ロングビーチまでドライブもした。

今まで経験したことがない楽しい時間に、ペッパーは毎日が楽しくて仕方なかった。
ペッパーの両親もすっかり明るくなった娘に、嬉しそうに目を細めた。
「最近楽しそうね」
「うん!お友達がたくさんできたから!」
ずっとひとりぼっちだった娘。自分を守るように周囲とは壁を作り、孤独だった娘は、ようやく自分を受け入れてくれる仲間を見つけたらしいと、ペッパーの両親は胸を撫で下ろした。

***

もうすぐ夏休みというある日。
廊下に張り出されたテストの結果に一喜一憂する生徒たちの間を、トニーとペッパーは夏休みの計画を話しながら歩いていた。
ちなみに、1位は全教科満点でトニー、そして僅差で2位はペッパーだったが、2人とも…というよりもトニーは全く興味ないらしく、掲示板には見向きもしていなかった。

「え?旅行?」
「あぁ。みんなで何処かに行かないかって話になってさ。クリントに、あいつの彼女のローラさん。ブルースとナターシャ、ソーとジェーンさん、それからスティーブとバッキー」
2人きりで旅行となるとさすがに両親はいい顔はしないだろう。だが、大勢の同級生と行くのだから、きっと許してもらえると考えたペッパーだが、案の定両親は快諾してくれた。

夏休みになり、集合場所で待っていると、大きなリムジンがやって来た。あれよあれよという間に車に乗せられ連れてこられたのは飛行場。そしてそこにはプライベートジェットが待ち構えており、そこで一行は初めて、スターク家の別荘のあるハンプトンへ向かっていることを告げられた。

数時間後、マリブのスターク邸に匹敵する程広大な別邸に、さすがはスターク家だと一同は感心したが、何とそこにはトニーの母親であるマリアが待ち構えていた。
「どうしてお袋がいるんだよ」
絶対に来ないでくれと念を押していたのに現れた母親に、不機嫌そうに唸ったトニーだが、マリアは皆を出迎えながら眉をつりあげた。
「あら、いいじゃないの。保護者がいる方が、皆さんのご両親も安心でしょ?あ、大丈夫よ。ママは夜は離れにいるから。好きなだけ羽目を外して頂戴」
ふふっと笑みを浮かべたマリアに、さすがはトニーの母親だと、皆苦笑した。
「さあ、女性陣は買い物に行きましょ!あ、あなたたちは適当にしておきなさい」
歓声を上げた女性陣を連れて、マリアはスキップしながら家を後にした。
「で、俺たちはどうする?」
残されたのは野郎ばかり。
目をくるりと回したトニーは、わざとらしく肩を竦めた。
「海でも行くか?」

トニーたちはプライベートビーチでサーフィンをしたり、ビーチバレーをしてはしゃぎまくったが、結局夕方まで女性陣は帰ってくることはなかった。

夜はバーベキューを楽しんだが、そこでマリアがとんでもないことを言い始めた。
「明日は、私たちはNYへ行ってくるから」
「は?」
思わず立ち上がったトニーに、マリアはわざとらしいくらいの笑みを浮かべた。
「ハワードが明日から合流するの。あなたたちはパパがクルーザーで釣りに連れて行ってくれるらしいわ。夜には戻るから大丈夫よ」
せっかくバケーションに来たのに、どうして離れ離れにさせられるのかと、トニーは苦虫を潰したような顔をしているが、結局のところ母親に逆らえるはずもなく、しぶしぶ了承した。

翌朝、早々にマリアは女性陣を連れてNYに向かった。そして入れ替わるようにやって来たハワードに連れられ、トニーたちはクルージングに向かった。

絶好のスポットだと言われるだけに、面白いほど魚は釣れた。歓声を上げる仲間に父親は笑みを浮かべて接している。
初めて見る父親の姿に戸惑ったトニーは、少し離れた場所で一人釣竿を垂らしていた。
しばらくしてハワードが隣にやって来た。
黙って釣竿を垂らしていた2人だが、ハワードがポツリと呟いた。
「お前とこうやって釣りをするなんて、初めてだな」
「…」
トニーはどう返していいか分からなかった。確かにハワードとは幼い頃から親子で遊んだ記憶はなかったから。
「どうして急に…」
やっとの思いでそう言うと、ハワードはトニーをじっと見つめた。
「少しは父親らしいことをするべきだと思ってな…」
あの事件…トニーが転校するきっかけとなったあの出来事は、ハワードも息子との関係を熟考する契機となっていた。
立派な後継になって欲しい…。愛しているからこそ、今までは厳しく息子に接してきた。だが、あの時息子が発した言葉は、ハワードにとって大変ショックだった。息子にそう思わせていたこと、そして息子の思いに気づいてやれなかった自分自身に猛烈に腹が立った。そのため、ハワードは息子が年相応の子供らしく過ごせる環境を作ろう、そのためには自分自身も変わろうと決意したのだ。

相変わらず黙ったままのトニーだったが、彼が嬉しそうに笑みを浮かべているのに気づいたハワードは、手を伸ばすと息子の髪をくしゃっと撫でた。

結局その日、マリアたちは夜遅く帰ってきたため、トニーたちはペッパーたちと顔を合わせることはなかった。
だが、翌朝。朝食のために集まるとペッパーたちは美しく着飾っているではないか。
「スタークさんが、エステや美容院に連れて行って下さったの」
「それから、お洋服とかもいっぱい買っていただいて…」
昨日の報告をするナターシャたちを、男性陣は目を丸くして見つめていたが、思わぬマリアからのプレゼントに誰しもが喜んだ。

「さぁ、好きな所に行ってらっしゃい」
朝食後、皆それぞれ街へと繰り出して行ったが、ペッパーはマリアとお喋りしながら朝食の後片付けをしていた。
そんな恋人と母親の後ろ姿を、リビングからトニーはぼんやりと見つめていた。
スターク家には大勢の料理人やハウスキーパーたちがいる。今までなら、彼らを同伴させ、料理や家事は彼らに任せていたのに、今回は誰も連れて来ていなかった。つまり、マリアが全て一人でこなしているのだ。が、マリアは楽しそうだった。
ハワードもそうだ。普段は離れて暮らしているため、相変わらず話をすることはなかったが、父親の自分に対する眼差しや態度は、以前よりも随分柔らかくなっていた。

『もう我慢しなくていいの…』
あの時母親が泣きながら言った言葉をトニーは思い出した。
もっと素直になってもいいのかもしれない。もっと甘えてもいいのかもしれない。今まで出来なかった分…。きっと両親もそれを望んでいるのだろうから…。

「トニー?」
ペッパーの声に我に返ったトニーは、慌てて母親に尋ねた。
「親父とお袋はどうするんだ?」
「パパとママもデートしてこようかしら…。でも、パパは面倒くさいからって、買い物に付き合ってくれそうにないし…」
ジロリと夫を見たマリアだが、ハワードは肩をすくめると目をくるりと回した。
トニーはペッパーをチラリと見た。すると彼女はトニーの考えていることが分かったのか、笑みを浮かべると頷いた。
「…一緒に行ってもいい?」
「え?!」
息子からの思わぬ提案にマリアも、そしてハワードも目を丸くした。
「でも、トニー…」
てっきりペッパーと2人で出掛けるだろうと思っていたのに、一体どうしたのかと驚く両親に、トニーは照れ臭そうに鼻を擦った。
「たまにはさ、いいだろ」

4人は近くのレストランでランチを済ませると、散歩しながら家に帰ってきた。
マリアとペッパーは、皆が帰ってきたら食べようと、ケーキを作り始めた。
「おい、トニー」
リビングでテレビを見ていたトニーは、ハワードの声に振り返った。すると、ハワードはトニーにグローブを渡した。
「え…」
「お前と父さんはケーキ作りなんて出来ない。キッチンにいても邪魔になるだけだ。キャッチボールでもしないか?」
そう言うと、ハワードは庭へと向かった。

生まれて初めての父親とのキャッチボール。
トニーの力強い返球を受けながら、ハワードがしんみりとつぶやいた。
「いつの間にか成長したんだな…」
ボールを息子に向かって投げたハワードは、トニーを見つめた。
「トニー、父さんはな、お前のこと、誇りに思ってる。父さんが作り出したものはたくさんあるが…最高傑作はお前だな」
「え…」
トニーがボールをポトンと落とした。

嬉しかった。父親がそう思っていてくれたことが…。父親は不器用なりに愛してくれているとは分かっていたが、面と向かって言われたのは生まれて初めてだったから…。
小さな涙が頬を流れ落ちた。それを乱暴に袖口で擦ったトニーは、鼻を啜ると父親に向かってボールを投げた。
「…父さん…愛してるよ…」
囁くような声だったが、ハワードには息子の声が聞こえていた。目を細め笑みを浮かべたハワードは、ボールをポンと投げた。

その夜。
トニーはペッパーを誘って、ビーチにやって来た。
波の音を聞きながら暫く黙って海を見つめていた2人だが、トニーが徐に口を開いた。
「俺、親父と釣りをしたんだ。キャッチボールも…。生まれて初めて…」
ふぅと息を吐いたトニーは空を見上げた。
「家族っていいな。そう思えたのも、ペッパーのおかげだ」
「え…」
どうして自分のおかげなのかと、目をパチクリさせているペッパーの手を、トニーはそっと握った。
「君に出会う前の俺は、親父に認められたい一心で、必死に我慢して…一人の殻に閉じこもってた。だから誰とも友達になれなかった。元々孤立していた俺は、ますます孤立していった…。何をしても楽しくないし、何も感じることもなかった…。ただ生きているだけの、空っぽの存在だったんだ。だけど、LAに来て、アカデミーに入学して、ペッパーに出会って…。俺がヘラヘラしてたら、君は真剣に注意してくれただろ?初めてだった。俺のことを真剣に受け止めてくれた人って、親父とお袋以外に、君が初めてだったんだ。だから俺、嬉しくってさ…。照れ臭くて最初はからかってばかりだったけど。でも、俺にも俺のことを考えてくれる人がいるって分かって…。俺はここでなら、きっと上手くやっていけるって確信したんだ。もう一度誰かを信じてみようって思えた。だから、俺は本当の自分でいることができた。おかげで、初めて友達もできた。一緒に遊んだりする友達が沢山出来た」
深呼吸をしたトニーは、ペッパーを見つめた。
「俺が変わることができたのは、ペッパーのおかげなんだ。ありがとな、ペッパー」
トニーに何があったのかは、マリアの口からは聞いたが、本人からはまだ聞いていない。きっとトニーには話をする覚悟ができていないからだろう…。それにペッパーも、トニーの過去を全てを受け止める覚悟はできていなかった。だが、こうやって少しずつ、トニーは本心を明かしてくれている。それはトニーがペッパーのことを心の底から信頼してくれているから…。
ペッパーの目から溢れた涙を唇で拭ったトニーは、そのまま彼女の唇に軽く触れた。
「ペッパー…愛してる…」
キスの合間に囁かれ、ペッパーはトニーの頬を撫でた。
「私も愛してるわ…トニー…」

2人はキスをしながら祈った。この幸せが永遠に続きますように…と。

だが、嵐はすぐそこまで迫っていた…。2人を引き離そうとする嵐は確実に迫っていた…。

⑩へ…

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