何はともあれ、トニーが転校してきた理由を話してくれたことで、彼が心を許してくれたとペッパーは考えていたのだが…。
そんなある日。
2人は些細なことで喧嘩をしてしまった。
黙ったままのトニーにペッパーは思ってもいないことを言ってしまった。
「結局あなたって、いい加減なのよ!だから退学になったんじゃないの?仲良くなんかなるんじゃなかったわ!」
トニーが泣きだしそうな顔になった。が、腹が立って仕方ないペッパーは、そんな彼を置いてその場を後にした。
翌日。トニーは登校してこなかった。次の日も、その次の日も…。
喧嘩の真っ最中といえ、さすがに心配になったペッパーは、何度も連絡を取ったが、トニーは電話にも出ないし、メールの返事もこなかった。
もしや何かあったのでは…と、ペッパーは勇気を振り絞って、トニーの自宅へと向かった。
見たことも入ったこともないような大豪邸に一瞬怯んだペッパーだが、何度も深呼吸をするとドアをノックした。すると、トニーの母親であるマリアが顔を出した。ペッパーの姿を見たマリアは、パッと顔を輝かせた。
「あらあら、ペッパーちゃん!いつもトニーがお世話になってます」
「い、いえ…こちらこそ…」
一度顔を合わせただけなのに、自分のことを覚えているマリアにペッパーは戸惑った。
「トニーから聞いてるのよ。と言っても、私が無理矢理聞き出したんだけど」
クスクス笑ったマリアはペッパーの手を引っ張ると、ズカズカと家の中に入った。
「とりあえず、上がって。あなたとゆっくりお話ししてみたかったのよ。トニーに連れてきてって頼んでも、あの子ったらそのうちって言うばかりで…」
自分の部屋の倍以上の広さのリビングに通されたペッパーは、初めて見る世界に目を白黒させたが、マリアが見るからに高そうなカップに入れて出してくれた紅茶を飲む頃には、ようやく少し落ち着くことができた。
「あの子ね、本当に変わったのよ。あなたと出会ってから。沢山お友達も出来たみたいで…。主人も私も、本当にここに来てよかったって思ってるのよ」
紅茶を啜ったマリアは、ふぅと息を吐くと、そっとカップを置いた。
「あの子、前の学校で、いじめられて…」
「え…」
マリアの言葉にペッパーは思わず声を上げた。トニーから聞いていた話と全く違っていたから…。
「聞いてないの?」
てっきりペッパーには話をしていると思っていたマリアは、訝しげに眉を潜めた。
「は、はい…。校則を破って、退学処分になったと…」
ペッパーの言葉に、マリアははぁとため息を吐いた。
「またそんな見栄を張っちゃって…」
何度か首を振ったマリアは、何度か深呼吸をすると、話し始めた。
「あの子ね、あの学校には馴染めなかったの。幼稚園からずっと…。スタークという名前のせいで…他の子達よりも色々なことを知っているからって…理由もなくずっといじめられたの。中学校までは家から通学していたけど、仕事仕事であまりそばにはいられなかったせいで、トニーがいじめられていることも、孤独だったことも、私たちは気づいてなかったの…。それでも家族がそばにいるということで、トニーには逃げ場所があった。それが高校生になって、寮生活になってから、あの子は本当に一人ぼっちになってしまったの。それでもトニーは、私たちの期待に応えたいという一心で、ずっと我慢して…」
当時を思い出したマリアの目から涙がすぅと零れ落ちた。
「あの日…。学校から電話があったの。トニーが寮の部屋に閉じこもって、3日も出てこないって…。あの子に電話を掛けても繋がらないし、夫と慌てて寮へ向かったの。ノックしても何の返事もないし、ドアには鍵が掛かっているし…。それでも無理矢理部屋に入ったわ…。そうしたら…あの子…泣いてたの。真っ暗な部屋の中で…ベッドに潜り込んで…。部屋にはね、誹謗中傷が書かれたビラが散らばっていたの…。それからクローゼットの中には、ボロボロになった鞄や服や靴が沢山…。あの子の誕生日に夫が贈った、あの子のお気に入りだった腕時計も…壊されて、床に転がっていたの…。どうしたのかと聞いても、あの子、口を閉ざしてなかなか話そうとしなくて…。そればかりか、顔や身体中に、殴られた跡があったわ…。それから、あの子は…泣きながら私たちに頭を下げたの…。『父さんと母さんの期待に添えなくてごめんなさい。でも、我慢するから…。我慢してもっと頑張るから…』って…。その言葉、私たちは凄くショックだった…。ずっと辛い思いをしてきたのは、トニーなのに…。たった一人の息子に頭を下げさせるなんて…って。それから、どうして気づいてやれなかったんだって、後悔しかなかったわ…。仕事が忙しくて…なんて、言い訳にしか過ぎないわよね…。だからLAに引っ越したの。あの子のことを守るために。夫は仕事があるからNYにいるけれど、あの子が高校を卒業するまでは、もう二度と一人ぼっちにさせまいと決めて…」
マリアの話はトニーから聞いた話とは違っていた。トニーは嘘をついていたのだ。理由が理由だけに、おそらく真相を話したくなかったからだろうが、彼は心を許してくれていると思っていたのにそうではなかったことに、ペッパーは少しだけショックを受けてしまった。そしてトニーの苦しみに気づくことができなかった自分に腹が立ってきた。
悲しそうな顔をしているペッパーに気づいたマリアは、ペッパーの手をそっと握りしめた。
「でもね、ここに来て、あの子に笑顔が戻ったの。毎日楽しそうに学校へ行って…。あんなに楽しそうなトニー、生まれて初めてなのよ。あの子、やっと自分の居場所を見つけることができたの…。あなたのおかげよ、ペッパーちゃん。ありがとう、あの子のこと…トニーのことを受け入れてくれて…。ありがとう…」
マリアの言葉はペッパーの胸に突き刺さった。どうしてあんなことを言ってしまったのだろう。自分の言葉がトニーを再び深く傷つけてしまったことに違いはないのだ。
「私……私……」
ポロポロ泣き始めたペッパーは、マリアに向かって頭を下げた。
「トニーのこと…傷つけてしまいました…。思ってもないことを言って……。ごめんなさい…ごめんなさい…」
泣き始めたペッパーの様子から、どうやら2人は喧嘩の真っ最中らしいということにマリアは気づいた。しかもペッパーは自分がトニーを傷つけてしまったためにトニーが欠席していると思っているようだが…。
(トニーもちゃんと話してあげなさいよね)
気づかれないように肩を竦めたマリアだが、ペッパーはこうやってわざわざ様子を見に来てくれたのだ。そこで、マリアはペッパーをトニーの部屋に案内すると、「大丈夫よ」と言い残し、自分はその場を後にした。
「トニー?」
ドアをノックし、そっと部屋に入ると、トニーはロボットを組み立てていた。先のサイエンス・フェアで共に作ったロボットよりも、数段大きなアーム型のロボットを、トニーは一心不乱に組み立てていた。
「何だ、ペッパーか。どうしたんだ?」
部屋に入ってきたのがペッパーだと気づいたトニーは手を止めると、そばにやってきたペッパーを見上げた。
「何日も休んでるから…心配で…」
そう告げたペッパーは、トニーに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい、トニー。あんなこと言っちゃって…本当にごめんなさい…。あなたの気持ち、私が一番分かってなくちゃいけないのに…」
ペッパーはあの喧嘩が原因で欠席していると思っていると気づいたトニーは、視線を落とした。確かにあの時の言葉は、否応がなしでも当時のことを思い出した。またあの頃に戻ってしまうのかと一瞬思った。だが、ペッパーは違うと分かっていたから、ただの喧嘩だと思うことにした。こうやって謝りに来たということは、ペッパーは当時のことを知ったということだろう。勿論、それを話したのは…。
「お袋から聞いたのか?」
母親の顔を思い浮かべたトニーは、鼻の頭を掻いた。
「うん…いじめられてたって…」
両親はいじめが原因だと思っているが、あの事件の真相は、両親も知らない…いや誰にも話すことのできない、トニーがもう何年も抱えている心の闇。
もしかしたら、ペッパーはその闇を受け止めてくれるかもしれない。ペッパーには聞いてもらいたかった。そうすることで、過去の自分とは完全に決別できるはずだから…。だが、それを打ち明ければ、きっと彼女に軽蔑される…。ようやく手に入れた心から信頼できる相手を失うことになる…。
「そうか…」
ポツリと呟いたトニーは、何かを追い払うように首を振った。その姿はいつものトニーとは違い、儚く見え、トニーがこのまま消えてしまうのではと不安になったペッパーは、彼にギュッと抱きついた。
「あなたは世界で一番ステキな人よ。誰よりも優しくて、誰よりも思いやりがあって…。それに、誰よりも温かい心を持ってる…。私、あなたに出会って、本当に幸せなの」
トニーの頭を抱え込んだペッパーは、ボサボサな髪の毛を優しくすいた。
「ごめんなさい…ごめんなさい、トニー」
何度も謝罪の言葉を口に出すペッパーに気づかれないように深呼吸をしたトニーは、彼女の腕を軽く叩いた。
「実はさ、今度のコンクールに出すロボットが間に合わないから休んでたんだ」
トニーが休んでいた理由が別のことにあると知ったペッパーは、身体を離すと目を丸くした。
「ホント?」
「あぁ。だってさ、あれは君の本心じゃないって分かってたから」
ニッと笑ったトニーに、ペッパーは安心したように息を吐いた。
「良かった…。でも、何度も電話したのに通じなかったから…」
それなら連絡くらいくれればいいのに…と、頬を膨らませたペッパーに、トニーはあっ…と声を上げた。
「ごめん。集中しすぎて、携帯は全然見てなかった」
申し訳なさそうに頭を掻くトニーは可愛らしく、笑い声を上げたペッパーは、再びトニーに抱きついた。そして、甘えるようにトニーの肩に頭を乗せたペッパーは、目の前にあるロボットを見つめた。
「ねえ、この子の名前は?」
「ダミーさ」
トニーがスイッチを入れると、ダミーと名付けられたロボットは、アームを伸ばしペッパーの手に触れた。
「よろしくね、ダミー」
嬉しそうにダミーと触れ合うペッパーを暫く見つめていたトニーだが、ペッパーの頬を撫でると彼女の瞳をじっと見つめた。
「優勝したらご褒美くれる?」
上目遣いで見つめてくるトニーは子供のようで、彼のことが愛おしくなったペッパーは、頬に口づけした。
「あなたが欲しいもの、何でもあげるわ」
「期待しとくよ」
ニンマリ笑ったトニーは、ペッパーの唇を奪った。
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