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I love you three thousand…⑧

1週間後。
トニーは術後の経過も良好で、一人で歩けるようにもなった。右側の髭と髪の毛もまだらにだが生え始めた。

その日の朝も、ペッパーに左側の無精髭を綺麗に剃ってもらったトニーは、鏡の中の自分を見つめた。髭がない自分はどうも居心地が悪いが、火傷も傷の痕も綺麗に治ったのだから、嬉しいに決まっている。
「髭のないあなたって、新鮮よね」
濡らしたタオルでトニーの顔を拭いたペッパーは、頬に口づけすると、そのままトニーの唇にキスをした。
温かく柔らかな感触に、トニーは妻にもっと触れたいと左手を伸ばした。

と、ノックの音が聞こえ、ドアが開いた。担当医と看護師だった。
右腕の状態を確認するため、一度固定を外すことになったと告げられたトニーは、処置室へと向かうために車椅子に乗せられた。
ペッパーも付き添うことになり、彼女はトニーの車椅子を押した。

すっかり痩せ細ったトニーの背中を見つめながら、ペッパーは5年前…タイタンから22日ぶりに地球に戻ってきた時のことを思い出した。

あの時のトニーは、怒りと苦しみ、後悔と自責の念に駆られ、眠ることができなくなっていた。病室のベッドの上で、薬で眠らされるトニーにペッパーはずっと付き添った。彼の仲間は…ローディとブルース以外は、誰一人としてトニーの怒りと絶望を受け止めてくれなかった。その2人も、サノス探索や自分自身の事に追われ多忙だった。
体力が回復したトニーだが、彼の心には深々と傷が刻まれていた。サノス探索の仲間に加わろうと思えば出来た。だがトニーはしなかった。人類の半分が消え、廃虚と化し始めた街を捨て、何かから逃げるように、湖畔にあった別荘を直し移り住んだ。
そこで2人はひっそりと暮らし始めた。

森の中の、世間から隔離された静かな場所で、2人は結婚式を挙げた。ハッピーとローディだけを呼んだ、小さな結婚式だったが、心の底から祝ってくれるのはこの2人だけなので、2人は幸せだった。
この地で2人は、普通の暮らしを楽しんだ。花や野菜を植え、湖にボートを出し釣りを楽しんだ。
結婚式を挙げてすぐに、ペッパーは妊娠した。
日に日に大きくなっていくお腹に、トニーは毎日話しかけていた。まだ産まれてもないのに、庭にブランコを作ったり、小さな子供用の椅子を作った。トニーは本当に幸せそうだった。この10年で見たことがない程、彼は幸せそうに笑っていた。

だが、トニーは毎晩うなされていた。夜中に何度も目を覚まし、眠れない日々を送っていた。眠れなくなると、トニーはガレージに作ったラボに向かった。そして彼はアーマーを再び作り始めた。が、彼は仲間の元に戻ることはしなかった。あの時投げ捨てたリアクターを身につけることすらしなかった。それならばどうしてアーマーを作るのかと尋ねると、トニーは決まって答えた。『何かあった時に、君と子供を守るため』と…。

娘が産まれた時、トニーは泣いた。ペッパーと、そしてモーガンと名付けた娘を抱きしめたトニーは、『君たちのことは、絶対に守る』と誓った。
小さな娘はトニーの心の拠り所となった。彼の全てになった。
そしてトニーは、自分の人生を生きようと、前へ向かって進み始めた…。

が、5年経ち、結局、彼は再び戦いの場所に戻らざるを得なかった。それを後押ししたのは、ペッパー自身だ。
が、結果的に今のような事態になってしまった。今こうやって奇跡的にトニーは生きているが、死んでいてもおかしくなかった。だが、トニーは眠ることができるようになった。悪夢を見ることなく、ぐっすりと眠ることができるようになった。
だから、今回のことは、運命だったのだ。必ず乗り越えられる、彼自身とそしてペッパーにとっての運命…。

そんなことを考えていると、いつの間にか処置室へと到着していた。

処置台へと寝かされたトニーの包帯と固定を看護師が取り始めた。
すると、真っ黒に焼け焦げた右腕が現れた。
特に肘から下は酷い状態で、指は数本なくなっている。他の部分も骨が剥き出しになり、その骨すらも黒く焦げついている。
ペッパーはトニーの右腕をもう何度も見ていた。
病院へ運ばれ、アーマーを脱がす時、張り付いたアーマーを取る度に、腕の一部が一緒に剥がれ落ちるのも見ていた。
トニーが昏睡状態の時、壊死し始めた指を切断する決断を下さなければならなかったこともある。
何度見ても胸が痛む光景だが、トニー自身は初めて見る右腕に言葉を失っている。
酷い状態だとは聞いていたが、これ程までとはトニーは思っていなかったのだ。
もはや腕としては全く機能していない、ただ身体に付いているだけの状態…。
目を見開いた彼は震え出した。そして彼の目には絶望が見え始めた。

本当に治るのだろうか…本当にモーガンを抱き上げることができるようになるのだろうか…という疑念が彼の心の中にふつふつと沸き起こってきた。
「先生……本当に治るのか?」
ポツリと呟いたトニーに、医師は目を逸らして答えた。
「今、ワカンダで治療方法を開発中ですから…」
言葉を濁した医師に、トニーはもう何も言えなかった。

残っている指だったものを診ていた医師が、ペッパーに向かって告げた。
「壊死を起こしていますので…」
そう言いながら、医師は手首から上を切り落とした。
麻酔をしている訳ではないのに、何も感じなかった。
手首より上が全てなくなった。
その手を見つめながらトニーは気づいた。
嘘だったのだ。治るというのは、嘘だったのだ。シュリが治療方法を開発しているというのは本当だろうが、それが間に合うというのは、嘘だったのだ。
が、分かっていた。誰も教えてくれないが、右腕はとっくに使い物にならないということは…いつか失わなければならないということは、分かっていた。
だが、皆の嘘に…優しい嘘に…か細い希望に縋り付いていた。
その希望は現実を目にした瞬間、打ち砕かれた。
もう何をしても右腕は戻ってこないのだから……。

トニーは震え出した。唇を震わせ、身体を震わせ始めた夫の異変に気付いたペッパーが、慌てて彼の左手を握りしめた。
「トニー?大丈夫よ…」
が、トニーはもはや限界だった。
トニーが叫び声を上げた。泣きながら叫び始めた。
それは、意識を取り戻してから、ずっと気丈に振る舞い、苦痛にも耐えていたトニーが、初めて見せた姿だった。
頭を抱え込んだトニーは、ベッドから飛び起きると看護師と医師を突き飛ばした。そしてそのまま部屋を飛び出そうとした。
「スタークさん!」
看護師たちに取り押さえられたトニーは、まだ叫び声を上げている。が、鎮静剤を打たれたトニーは静かになった。
眠り始めたトニーの目には涙の跡が刻まれており、誰もが何も言うことができなかった。

病室へと戻ったトニーは眠り続けた。
そんなトニーを見つめながら、ペッパーは彼に嘘を付いていたことを謝り続けた。

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I love you three thousand…⑦

2日後。
手術に備え、ワカンダから医師団がやって来た。
皆を代表して、シュリがトニーの元へやって来たのだが、初めて顔を合わせるシュリは彼女の兄に似ているが、快活で明るい女性だった。
「初めまして、スタークさん。シュリです」
差し出された手をトニーは軽く握り返した。
「トニー・スタークだ」
トニーに向かって笑みを浮かべたシュリは、今度はペッパーに向かって手を差し出した。
「妻のペッパーです。この度はよろしくお願いします」
ぺこぺこ頭を下げるペッパーの手を取ったシュリは、任してくださいと頼もしい言葉をかけた。

丸一日にも及ぶ手術が終わる頃、ローディやピーターも病院に駆けつけた。
無菌室に作られた装置にトニーは寝かせられた。透明な箱のような物に入れられたトニーは感染症を防ぐために、暫く麻酔で眠らせることになっていた。そして動かないように身体も固定されていたが、やはりかなりの痛みがあるようで、強い鎮痛剤を投与されていても、狭い箱の中でうなされていた。
見ているだけでも胸が痛む光景に、重苦しい空気が漂った。再び全身を包帯で覆われたトニーに目をやったローディは、その場を和ませようと
「まるでミイラだな」
と言ってみた。だが、逆に雰囲気は余計に重くなり、こういう時に気の利いたジョークを言えるトニーをローディは恋しく思った。

数日経っても、トニーの容態は落ち着かなかった。高熱にうなされるトニーだが、関係者以外触れることもできず、ペッパーはただ部屋の外から祈ることしか出来なかった。

それから数日後、どうしてもパパに会いたいと泣くモーガンを連れてやって来たのだが、部屋に近づくにつれ、バタバタと騒々しくなってきたのだから、ペッパーは顔色を変えた。
何かあったのかと確認しようとしたペッパーに気づいた看護師が駆け寄ってきた。
「あ!スタークさん!丁度ご連絡しようと思ってたんです!」
「トニーに……何かあったんですか…」
トニーが急変したのかと、震え出したペッパーに、看護師は首を振った。
「目を覚まされたんですよ!」
トニーが意識を取り戻した…。不安でたまらなかったペッパーは、安心すると同時にその場に泣き崩れた。
「ママ…」
急に泣き出した母親に、モーガンは不安げに抱きついたが、娘を逆に抱きかかえたペッパーは震える娘に告げた。
「モーガン…パパは…もう大丈夫よ…」

病室に移すため暫く待つように言われたペッパーとモーガンだが、30分もすると看護師が呼びに来たため、そっと部屋に入った。
トニーは目を閉じていた。青白い顔をし、何本もの点滴に繋がれているが、顔の包帯は外れていた。右腕は相変わらず固定されているが、身体中の包帯も全て外されていた。
「トニー…」
トニーは綺麗な顔をしていた。髪や眉毛や髭はまだ生えてなかったが、傷跡は跡形もなく消えており、崩れていた耳も元通りになっていた。つまり、手術は無事に成功したということ…。右頬にそっと触れると、微かに温もりが伝わってきた。

もう大丈夫…。トニーは一つ試練を乗り越えてくれたのだから…。

命が助かっただけでもありがたいことなのに、皆の力で彼は元の生活に戻ることができそうなのだ。

と、トニーがうっすらと目を開けた。
「やあ……」
ようやく見えるようになった右目で妻の顔を捉えたトニーは、彼女が泣きながら笑っていることに気づいた。
「いい男に…なったか?」
「あなたはいつだっていい男よ」
少しだけ微笑んだトニーは、視線をズラした。モーガンを抱き上げたペッパーは、ベッドの端に彼女を座らせた。
「やぁ…パパのお姫様…」
モーガンを見つめたトニーの目から涙がこぼれた。
かけがえのない愛しい存在を、両目でしっかりと見ることができる…。こんなに嬉しいことはあるだろうか…。
何日も激痛に耐えて良かった…。全身を切り刻まれるような痛み。鎮痛剤も全く効かない痛み。動くことも声を上げることもできなかった。ペッパーに手を握ってもらうことすら出来なかった。何度もくじけそうになった。だが、その度にペッパーとモーガンの顔が浮かんだ。2人に絶対に会うんだ…その一心で耐えてきた。こうやって再会することが出来、本当に良かった…。
涙は止まらなかった。
すると、モーガンが小さな指でトニーの涙を拭った。父親は包帯が取れて嬉しくて泣いていると考えたモーガンは、トニーの頬にキスをした。そして
「パパ…3000かい、あいしてる…」
と囁いた。

右頬に感じた娘の唇の感触…。
手術は成功した…。ワカンダには感謝してもしきれない…。
「あぁ…パパも…3000回愛してる」
左手を伸ばしたトニーは、モーガンの髪の毛を掻き分けると、頬を撫でた。と、モーガンが笑った。くすぐったそうに笑った娘は、天使のような笑顔をトニーに向けた。

もう二度と離さない…。この愛しい存在のそばにいるためなら、この先の試練も絶対に切り抜けてやる。

何故なら…私は…アイアンマンなんだから…。

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I love you three thousand…⑥

午後になり、ペッパーがやって来た。が、いつも一緒に来る娘がいないではないか。
視線をキョロキョロさせたトニーに、夫の着替えを片付けたペッパーは、微笑んだ。
「今日は、ハッピーと一緒にチーズバーガーを食べに行ってるの」
好きな食べ物まで似ている娘に、トニーは苦笑した。
「スティーブと話せた?」
妻の問いにトニーは
「あぁ」
と、小さく頷いたが、それ以外何も言わなかった。男同士の2人だけの話だろうと、ペッパーはそれ以外聞かなかった。それに、トニーが話したい時が来れば話してくれるだろうから…。

「次の手術の日が決まったの。5日後よ」
話題を変えるように、ペッパーは話し始めた。
次の手術、それは焼け爛れた顔と身体の皮膚をワカンダで開発された技術を用い、置き換える手術だ。これを受けると、殆ど痕もなく綺麗に戻るらしい。
「ワカンダから来てくださることになったの。本当はあなたの容態が落ち着いたら、あちらに搬送してって話だったんだけど…。まだ長時間の移動は無理だし、一刻も早く受けた方がいいという話になって…」
言葉を切ったペッパーは、顔を歪めた。理由はトニーも知っている。それはこの手術は、術後当分の間、相当の苦痛が伴うこと。
それでもトニーは手術を受けると決めていた。今のままでは右側の顔が引きつり、目が見えなくなると言われたから。両目でペッパーと娘の顔をしっかり見たいと、トニーは手術を受ける決意をしたのだ。
実はこの技術、ワカンダの王女であるシュリが開発したものらしい。が、まだ試作段階だったものを、トニーのためにと臨床で使える段階まで短時間で仕上げたというのだ。
が、右腕にはまだこの技術は使えない。というのも、トニーの右腕…特にストーン付近の部位は、皮膚どころか血管や神経までやられており、その修復も必要だからだ。トニーはそう聞いていた。実際この目で見た訳ではないので、信じるしかないのだが…。そしてシュリはそれも今、必死に研究開発しているらしいが、まずは5日後の手術を見届けるために、医師団と共にやって来るとのことだ。
「ありがたいわね。あなたのために、みなさんが動いて下さって…」
「そうだな…」

人のありがたさ…それは今回、トニーも特に感じていた。皆が自分の命を救うために必死に動いてくれた。世界各国の専門の医師が集結し、自分を治すためにチームを結成してくれたのだ。
ありがとうと感謝の念を告げると、皆口を揃えて言った。『世界を救ったヒーローのためだから当たり前です』と…。

ヒーローになんてなるつもりはなかった。ただ、この世界を…モーガンたちが生きていく未来の世界を守りたかった。ただそれだけだったのに、結果的にアイアンマンは本物のヒーローだと讃えられることになった。
が、それももう終わりだ。これから先、アイアンマンになることはもうないのだから…。今や、トニー・スターク自身がアイアンマンなのだが、アーマーに身を包み戦う日々はもうやって来ないだろう…。

アーマーのことを考えていたトニーは、ふと思い出した。
「ところで、アーマーの使い心地はどうだった?君のレスキューアーマー、実戦ではどうだったかと思って…」
「レスキュー?」
聞きなれない名前にペッパーは首を傾げた。
「あぁ、君はいつだって私のことを助けてくれるだろ?だから君のアーマーは、レスキューという名前なんだ」
あの時、スティーブたちがやって来た数日後。その日は5回目の結婚記念日だったのだが、記念日の贈り物だとトニーはペッパーにアーマーを贈ったのだ。
最初はいきなりどうしたのかと思った。この5年間、ペッパーにアーマーを…という話は一切なかったのだから。
「もし私に何かあったら…これを着て、モーガンを守るんだ」
そう言って笑ったトニーだが、その日から彼は戦い方やアーマーの使い方をペッパーに伝授し続けた。
トニーは予感していたのかもしれない。あの戦いが近々起こることを…、そして自分が命を落とす可能性が高いことを…。
トニーがアーマーを作ってくれたおかげで、結果的にあの場に駆け付け、共に戦うことが出来たのだから、ただ感謝するしかなかった。が、出来れば使いたくない。アーマーを使わなければならないような状況に、これからはならぬようせねばならないのだから…。
「もう出番がないことを祈るわ…。勿論あなたとモーガンに危険が及ぶようなことがあれば、今度は私があなたたちを守る。でも、もうそういうことがないような…そんな世の中になって欲しいわ…」
ペッパーの言葉にトニーは何度か瞬きした。あの時のペッパーは本当に強かった。自分と互角に戦い、そして気丈にも死を迎えようとしている自分を支えようとしたのだから…。だがそれは、アーマーの力だけではない。ペッパー自身の心の強さが、彼女を駆り立てたのだ。
「そうだな…」
アーマーの必要がない世の中…そんな世の中が来れば何も言うことはない。自分が命を懸けて戦った意味があるのだから…。

ペッパーの手を握りしめたトニーは、妻と見つめ合うとニッコリ笑った。

⑦へ…

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I love you three thousand…⑤

トニーはそれから2週間後に目を覚ましたのだが、あれから随分経ったのに、元気な時の父親の姿と今の父親の姿は全く違うのだ。そのため、モーガンの胸には常に父親が突然いなくなるのではという恐怖が埋めいていた。
「パパ、どっかにいかないよね?」
確認するように尋ねると、トニーは優しい笑みを娘に向けた。
「あぁ、もうどこにも行かない。ずっとモーガンのそばにいる」
力強い父親の言葉に、モーガンはようやく安心したのか、ほぅと息を吐いた。
「よかった…」
小さく震えていた娘の身体から力が抜けたのを感じたペッパーは、先程掛かってきた電話の内容をトニーに話さなければと、トニーの左手を軽く握った。
「トニー」
妻の声に顔を向けると、ペッパーは真剣な表情をしているではないか。
「さっき、スティーブから電話があったの。石を戻しに行くんですって…」
「そうか…」
インフィニティ・ストーン。過去から借りてきたそれは、本来あるべき場所に戻さねばならない。誰がその役目を引き受けるとか思っていたが、やはりキャプテン・アメリカが行くことなったらしい。トニーは面会謝絶のため、覚醒後も誰とも会っておらず、その後の状況はさっぱり理解していなかった。
「石を返しに行く前に、会いに来るそうよ」
スティーブ・ロジャースは過去に行く前にどうしてもトニーと話がしたいと連絡してきたのだ。だが、トニー自身は会いたくないかもしれない。弱っている自分を見せなくないかもしれない。そのためペッパーはそう尋ねてみたのだが、思いの外、トニーはさっぱりした顔で頷いた。

翌朝。
スティーブが一人でやって来た。
「トニー、大丈夫か?」
トニーの痛々しい姿に、スティーブはあの時のことを思い出した。

サノスが指を鳴らそうとした時、トニーは自分の命を捨てる覚悟で石を奪った。
「私は、アイアンマンだ」
そう告げたトニーは、命を懸けて地球を…いや、宇宙を守った。

初めて顔を合わせた時、自分勝手な奴だと思っていた。その後も分かり合えることができず、仲違いしてしまった。そして5年前、宇宙から帰還したばかりのトニーに、酷いことを言ってしまった。前を向いて自分の人生を歩いていたトニーを、結局は連れ戻し、そして命を懸けさせてしまった。

が、彼が命を懸けたあの瞬間、スティーブはようやく心の底からトニー・スタークという男を理解することができた。
彼こそ、真のヒーローだった。

ソーは旅立った。自分らしく生きたいと言い、ガーディアンズの仲間と共に、宇宙へと向かった。

苦楽を共にしてきた、トニーとソーの姿を見たスティーブは考えた。これから自分はどうするべきなのだろうか…と。
正直なところ、1970年の世界で見たペギーの姿が忘れられなかった。いや、最愛のペギーのことは、ずっと忘れることができなかった。

「これからどうするんだ?」
ベッドのそばの椅子に腰掛けたスティーブは、トニーに尋ねた。尋ねなくても分かりそうなものだが、彼の口から直接聞きたかった。
「もう引退だ。見ての通り、酷い有り様だろ?誰も教えてくれないが、分かるんだ。右手はもう前のように動かないだろうな…。普通の生活をするだけで、精一杯になりそうだ」
肩を竦めたトニーは、チラリと右腕を見た。包帯の隙間から焼けただれた腕が見えた。ストーンの力で燃え尽くされた腕。ワカンダを含め各国の最新技術のおかげで、完治とまではいかないが治る可能性は高いらしい。が、まだまだ時間はかかりそうだ。それに腕だけではない。トニーの右半身は顔を含め、元の生活ができるようになるまでは暫くかかりそうなのだから…。

スティーブが心持ちか泣き出しそうな表情になったのに気づいたトニーは、彼に向かって笑みを浮かべた。
「いいんだ。死んでもおかしくなかった。だが助かった。ありがたいことだ。見た目は変わるかもしれないが、またペッパーとモーガンと暮らしていける…。それだけで充分なんだ。だから決めた。これからは自分と家族の幸せだけを考えることにしようと…。ゆっくり眠れそうだしな…」
トニーの笑顔は作り物ではなく本物の、心の底からの笑顔だった。久しく見たことがなかった…いや、仲間の自分たちには見せたことのないその笑顔に、トニーは今の生活を…彼が命を懸けて守りたかった生活を、これからも全うしていけるだろうと、スティーブは感じた。

「で、どうするんだ?」
今度はそっちが話せというように顎をしゃくったトニーは、スティーブを見つめた。
「私は…」
スティーブは言葉を続けることができなかった。

トニーもソーもいない。ナターシャも失った。クリントも家族の元に戻った。ブルースもおそらくもう戦うことはないだろう。アベンジャーズ結成時のメンバーは、もう自分しかいないのだ。が、あれから10年以上経ち、ヒーローは大勢誕生した。その新たなヒーローたちと共にこれからも戦い続けるのも道だろう。だが…自分は本当にそれを望んでいるのだろうか…。

スティーブの迷いを読んだのか、大きく息を吸い込んだトニーは、先程よりも明るい声で話し始めた。
「あの時、過去の親父に言われた。大義のために個人の幸せを諦める必要はないと…。あの親父からそんな言葉が出るなんて、正直思ってなかったが…」
突然ハワードの話をし始めたトニーに、スティーブは眉をひそめた。
「つまり?」
トニーの意図が分からずそう聞いてみると、彼はスティーブに顔を向け、小さく笑みを浮かべた。
「そういうことだ」
何度か目を瞬かせたスティーブは、トニーの言葉を思い起こした。
『大義のために個人の幸せを諦める必要はない』
つまりトニーは…。
「そうか…そうだな…」
彼の言わんとせんことを理解したスティーブは、笑みを浮かべたが、トニーが酷い顔色をしているのに気づくと、そろそろ潮時だと立ち上がった。
「じゃあ、また」
そう声を掛けると、トニーは頷いた。
「いつか会えるだろ?」
「そうだな」
お互いの目を真っ直ぐに見つめ合った2人は、暫くそのまま動けなかった。まるでお互いの心の内を探るように…。

「寂しくなるな」
やっとの思いで言葉に出したスティーブに、トニーは口の端を上げた。
「よろしく言っておいてくれ」
「どういうことだ?」
また不可解なことを言い出して…と、眉をひそめたスティーブに、
「分かってるだろ?聞くな」
と、トニーはハハッと笑い声を上げたのだが、その目は僅かに潤んでいた。

トニーは分かっているのだ。過去に戻り、スティーブ・ロジャースが何をしようとしているのか…。それはスティーブ自身もまだ気がついていないことなのかもしれないが…。
だが、これが本当に別れになる気がした。トニーとはもう会えない予感がした。
「またな…トニー。ありがとう…」
すっと差し出した手を、トニーは左手をゆっくりと伸ばすと握りしめた。
「あぁ、キャプテン。頑張れよ。報告には来なくていいからな」
弱っているのに力強い握手に、スティーブは思った。この男の内に秘めたる思いを最初から信じていれば、自分たちはもっと早く分かり合えたのかもしれない…と。
だが、最後に分かり合えた。ようやく真の仲間になれた。これが別れになるだろうが、その前に分かり合えてよかった。

トニーの手を何度か握りしめたスティーブは、スッキリとした表情で病室を後にした。

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I love you three thousand…④

トニーが危篤状態で運ばれてから、ペッパーは手術を終えたトニーにずっと付き添っていた。何度も手術を受けるトニーは、持ちこたえられない可能性があると宣告され、誰もが諦めそうになった。だが、きっと彼はもう一度だけ戦いに勝ち、戻ってきてくれるとペッパーは信じ続けた。その間、モーガンはハッピーやローディが面倒を見てくれていた。夜には家に戻るようにしていたペッパーだが、それでも最初の3日はトニーの容態が安定せず、家に戻ることが出来なかった。4日目にようやく帰宅したのだが、モーガンは泣きながら抱きついてきた。パパはどこ?と探すモーガンに、ペッパーはもしもの時のために…と、娘に話をした。父親は悪い人達と戦い地球を守ったこと、だが勝利と引き換えに酷い怪我をしてしまったこと、そのため今は病院で必死に戦っていること…。分かりやすく話したつもりだが、4つになったばかりの娘には、やはりピンと来ないようだ。トニーに似て年齢よりも賢いモーガンだが、父親が家に帰って来ないという現実を受け止めることが出来なかったのだ。

モーガンには現実を受け止めさせるのは重すぎると、ペッパーはトニーが意識を取り戻したら会わせようと考えていたが、モーガンはずっと父親の帰宅を待っていた。父親が作ってくれたブランコに座り、ずっと待っていた。が、1週間経っても父親は戻ってこなかった。夜になるとモーガンは泣いた。パパに会いたいと泣き続けた。そんな娘を抱きしめ、ペッパーは気づかれないように涙を流した。

10日経っても、トニーは生死の境を彷徨っていた。
「パパは?」
帰宅したペッパーに、モーガンは尋ねた。毎日尋ねても母親の答えは同じだと分かっているが、もしかしたらという淡い期待を込めて尋ねた。
「まだ眠ってるのよ…」
目線を合わせてしゃがみこんだペッパーは、娘の顔を覗き込んだ。口を尖らせたモーガンは、どこから持ってきたのか、アイアンマン のヘルメットを抱きしめている。
「モーガン、それはパパのよ。どこから持ってきたの?」
「あたしがみつけたの。パパのだいじなアイアンマン…」
目を瞬かせたモーガンは、ぐすっと鼻を啜った。
「ママ……パパ…おうちにかえってくるよね?」
「えぇ…」
見通しが立たないのだから、はっきりと答えることができず、ペッパーは思わず唇を噛み締めた。
「あたし……パパにあいたい…」
ペッパーは躊躇した。娘の声を聞けば、もしかしたらトニーは目を覚ますかもしれない。だが、全身包帯だらけで、全く面影のない父親にモーガンがどう反応するのかが怖かったのだ。そのため、ペッパーは娘の要望に応えることが出来なかった。黙ったままの母親に、モーガンは抱きついた。
「ねぇ、ママ…パパは…いなくなっちゃうの?」
ポツンと呟いたモーガンに、ペッパーは胸が張り裂けそうになった。
娘はショックを受けるかもしれない。だが、娘の存在がトニーの生きる気力に繫がるかもしれないのだ。
ようやく決心したペッパーは、娘の目を真っ直ぐに見つめた。
「分かったわ。パパに会いに行きましょ?モーガンの声を聞いたら、パパ、目を覚ますかもしれないわ」

翌日、ペッパーはモーガンを連れて病院へやって来た。
ICUの一番奥の個室でトニーは眠っていた。
無機質な音の響く部屋にそっと入ったモーガンは、消毒薬の匂いに思わず顔をしかめた。
「くそっ!」
トニーの真似をしているのだろうが、ペッパーとしては娘にそんな言葉を使って欲しくなかった。
「モーガン。パパの真似はしないで」
顔をしかめた母親を見上げたモーガンは、目をくるりと回した。どこまでもトニーにそっくりな、それでいて自分にも似ている大切な娘。きっとトニーは娘の声を聞けば…と、モーガンの手を繋いだペッパーは、ベッドに近づいた。

母親に抱き上げられ椅子に座ったモーガンは、恐る恐るベッドを覗き込んだ。
そこには頭と顔の右半分が包帯で覆われ、左半分もガーゼで所々覆われた人物が眠っていた。口元には何本もチューブを入れられ、身体中からは沢山の線が伸びている。
一瞬、モーガンは父親だと分からなかった。自分の知っている父親とはかけ離れた姿だったから…。黙ったままのモーガンは、怯えたように母親を見上げた。
「モーガン…パパよ」
母親の静かな声に、モーガンは身体を震わせた。
「パパ………なの?」
小さく頷いた母親からモーガンは再び父親に視線を移した。
「パパ…あたしよ…。モーガンよ…」
そっと呼びかけたモーガンは、唯一包帯の巻かれていない左手の人差し指に触れた。冷たく温もりのないその手に、モーガンはどうすればいいのか分からなくなってしまった。
「パパ……」
指を握りしめもう一度呼びかけてみた。だが、機械的な音がするばかりで、何も変わることはなかった。

やはり父親はもう家に帰ってこないのかもしれない…。二度と父親と遊んだり、話をしたり出来ないのかもしれない…。

そう思うと、モーガンはどうしようもないくらいの悲しみに襲われた。
「ママ…………」
母親を見上げたモーガンは、ポロポロと大粒の涙を流した。そして母親に抱きつくと、声を上げて泣き始めた。
「いやよ…あたし…パパとバイバイしたくない!パパと…パパと…またブランコしてあそびたいの!」
号泣する娘をギュッと抱きしめたペッパーは、背中を何度も何度もさすった。

しばらくしてモーガンはしゃくりあげながらも泣き止んだ。そして母親の肩に顔を埋めると、ポツリと呟いた。
「…どこもいかない?」
「え?」
悲痛に満ちた娘の言葉に、ペッパーは思わず聞き返した。するとモーガンは顔を上げると、涙で濡れた瞳でペッパーを見つめた。
「パパも…ママも…あたしとずーっといっしょよね?」
モーガンは震えていた。父親を失うのではないかという恐怖と、そして母親もいなくなるのではないかという恐怖と…。震える娘を安心させようと、ペッパーは小さな身体をギュッと抱きしめた。
「えぇ、そうよ。モーガンのそばに…パパもママもずっといるわ…」

⑤へ

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