トニーはそれから2週間後に目を覚ましたのだが、あれから随分経ったのに、元気な時の父親の姿と今の父親の姿は全く違うのだ。そのため、モーガンの胸には常に父親が突然いなくなるのではという恐怖が埋めいていた。
「パパ、どっかにいかないよね?」
確認するように尋ねると、トニーは優しい笑みを娘に向けた。
「あぁ、もうどこにも行かない。ずっとモーガンのそばにいる」
力強い父親の言葉に、モーガンはようやく安心したのか、ほぅと息を吐いた。
「よかった…」
小さく震えていた娘の身体から力が抜けたのを感じたペッパーは、先程掛かってきた電話の内容をトニーに話さなければと、トニーの左手を軽く握った。
「トニー」
妻の声に顔を向けると、ペッパーは真剣な表情をしているではないか。
「さっき、スティーブから電話があったの。石を戻しに行くんですって…」
「そうか…」
インフィニティ・ストーン。過去から借りてきたそれは、本来あるべき場所に戻さねばならない。誰がその役目を引き受けるとか思っていたが、やはりキャプテン・アメリカが行くことなったらしい。トニーは面会謝絶のため、覚醒後も誰とも会っておらず、その後の状況はさっぱり理解していなかった。
「石を返しに行く前に、会いに来るそうよ」
スティーブ・ロジャースは過去に行く前にどうしてもトニーと話がしたいと連絡してきたのだ。だが、トニー自身は会いたくないかもしれない。弱っている自分を見せなくないかもしれない。そのためペッパーはそう尋ねてみたのだが、思いの外、トニーはさっぱりした顔で頷いた。
翌朝。
スティーブが一人でやって来た。
「トニー、大丈夫か?」
トニーの痛々しい姿に、スティーブはあの時のことを思い出した。
サノスが指を鳴らそうとした時、トニーは自分の命を捨てる覚悟で石を奪った。
「私は、アイアンマンだ」
そう告げたトニーは、命を懸けて地球を…いや、宇宙を守った。
初めて顔を合わせた時、自分勝手な奴だと思っていた。その後も分かり合えることができず、仲違いしてしまった。そして5年前、宇宙から帰還したばかりのトニーに、酷いことを言ってしまった。前を向いて自分の人生を歩いていたトニーを、結局は連れ戻し、そして命を懸けさせてしまった。
が、彼が命を懸けたあの瞬間、スティーブはようやく心の底からトニー・スタークという男を理解することができた。
彼こそ、真のヒーローだった。
ソーは旅立った。自分らしく生きたいと言い、ガーディアンズの仲間と共に、宇宙へと向かった。
苦楽を共にしてきた、トニーとソーの姿を見たスティーブは考えた。これから自分はどうするべきなのだろうか…と。
正直なところ、1970年の世界で見たペギーの姿が忘れられなかった。いや、最愛のペギーのことは、ずっと忘れることができなかった。
「これからどうするんだ?」
ベッドのそばの椅子に腰掛けたスティーブは、トニーに尋ねた。尋ねなくても分かりそうなものだが、彼の口から直接聞きたかった。
「もう引退だ。見ての通り、酷い有り様だろ?誰も教えてくれないが、分かるんだ。右手はもう前のように動かないだろうな…。普通の生活をするだけで、精一杯になりそうだ」
肩を竦めたトニーは、チラリと右腕を見た。包帯の隙間から焼けただれた腕が見えた。ストーンの力で燃え尽くされた腕。ワカンダを含め各国の最新技術のおかげで、完治とまではいかないが治る可能性は高いらしい。が、まだまだ時間はかかりそうだ。それに腕だけではない。トニーの右半身は顔を含め、元の生活ができるようになるまでは暫くかかりそうなのだから…。
スティーブが心持ちか泣き出しそうな表情になったのに気づいたトニーは、彼に向かって笑みを浮かべた。
「いいんだ。死んでもおかしくなかった。だが助かった。ありがたいことだ。見た目は変わるかもしれないが、またペッパーとモーガンと暮らしていける…。それだけで充分なんだ。だから決めた。これからは自分と家族の幸せだけを考えることにしようと…。ゆっくり眠れそうだしな…」
トニーの笑顔は作り物ではなく本物の、心の底からの笑顔だった。久しく見たことがなかった…いや、仲間の自分たちには見せたことのないその笑顔に、トニーは今の生活を…彼が命を懸けて守りたかった生活を、これからも全うしていけるだろうと、スティーブは感じた。
「で、どうするんだ?」
今度はそっちが話せというように顎をしゃくったトニーは、スティーブを見つめた。
「私は…」
スティーブは言葉を続けることができなかった。
トニーもソーもいない。ナターシャも失った。クリントも家族の元に戻った。ブルースもおそらくもう戦うことはないだろう。アベンジャーズ結成時のメンバーは、もう自分しかいないのだ。が、あれから10年以上経ち、ヒーローは大勢誕生した。その新たなヒーローたちと共にこれからも戦い続けるのも道だろう。だが…自分は本当にそれを望んでいるのだろうか…。
スティーブの迷いを読んだのか、大きく息を吸い込んだトニーは、先程よりも明るい声で話し始めた。
「あの時、過去の親父に言われた。大義のために個人の幸せを諦める必要はないと…。あの親父からそんな言葉が出るなんて、正直思ってなかったが…」
突然ハワードの話をし始めたトニーに、スティーブは眉をひそめた。
「つまり?」
トニーの意図が分からずそう聞いてみると、彼はスティーブに顔を向け、小さく笑みを浮かべた。
「そういうことだ」
何度か目を瞬かせたスティーブは、トニーの言葉を思い起こした。
『大義のために個人の幸せを諦める必要はない』
つまりトニーは…。
「そうか…そうだな…」
彼の言わんとせんことを理解したスティーブは、笑みを浮かべたが、トニーが酷い顔色をしているのに気づくと、そろそろ潮時だと立ち上がった。
「じゃあ、また」
そう声を掛けると、トニーは頷いた。
「いつか会えるだろ?」
「そうだな」
お互いの目を真っ直ぐに見つめ合った2人は、暫くそのまま動けなかった。まるでお互いの心の内を探るように…。
「寂しくなるな」
やっとの思いで言葉に出したスティーブに、トニーは口の端を上げた。
「よろしく言っておいてくれ」
「どういうことだ?」
また不可解なことを言い出して…と、眉をひそめたスティーブに、
「分かってるだろ?聞くな」
と、トニーはハハッと笑い声を上げたのだが、その目は僅かに潤んでいた。
トニーは分かっているのだ。過去に戻り、スティーブ・ロジャースが何をしようとしているのか…。それはスティーブ自身もまだ気がついていないことなのかもしれないが…。
だが、これが本当に別れになる気がした。トニーとはもう会えない予感がした。
「またな…トニー。ありがとう…」
すっと差し出した手を、トニーは左手をゆっくりと伸ばすと握りしめた。
「あぁ、キャプテン。頑張れよ。報告には来なくていいからな」
弱っているのに力強い握手に、スティーブは思った。この男の内に秘めたる思いを最初から信じていれば、自分たちはもっと早く分かり合えたのかもしれない…と。
だが、最後に分かり合えた。ようやく真の仲間になれた。これが別れになるだろうが、その前に分かり合えてよかった。
トニーの手を何度か握りしめたスティーブは、スッキリとした表情で病室を後にした。