翌日目覚めたトニーは、ボンヤリとペッパーを見つめた。
「気分はどう?」
髪を撫でたペッパーに、トニーは顔を顰めた。
「最悪だな……」
そう言うと、トニーは目を閉じ口を噤んだ。
が、暫くして目を開いた彼は、妻を見つめた。
「もう…無理なんだろ?それだったら、いっそのこと…腕は切り落としてくれ…」
「トニー…」
静かな夫の声に、ペッパーは唇をギュッと閉じた。泣き出しそうな妻に、トニーは無理矢理笑ってみせた。
「分かってた。自分のことだから分かってたんだ。右腕はもう二度と元に戻らないと…。それでも希望が、捨てられなかった。君たちに直接触れたいという希望が…。だが…もう無理だ。このままだと、どんどん腐っていくだろ?そうなる前に…」
そう言うと、トニーはペッパーから視線をずらした。
今までと同じように…全てが元に戻ると思っていた。多少の後遺症はあったとしても、ペッパーを腕の中に閉じ込め、モーガンを抱き上げれると思っていた。
が、それは夢でしかなかったのだ…。
ふぅと息を吐いたトニーは、涙をこらえながらペッパーに告げた。
「命が助かった…それだけで満足しないといけなかったのに…。欲張りすぎたんだな…」
悲痛なトニーの声に、ペッパーは首を振った。
「トニー…諦めないで…。今、シュリが頑張って…」
「いつになるか分からないだろ!」
ペッパーの言葉を遮るように、トニーが声を荒げた。
「もう嫌なんだ…。もう無理なんだ…。いつになるか分からない希望に縋り付いて…絶望するのは……。だから頼む……頼むから…切り落としてくれ……。頼む……」
そう言うと、トニーは泣き始めた。声を出さずに静かに泣き始めた。
ペッパーは何も言うことができなかった。ただトニーに抱きつき、一緒に泣くことしかできなかった…。
結局トニーの意思を尊重し、3日後に右腕を切断する手術をすることになったのだが…。
帰宅したペッパーは、病院から深夜に掛かってきた電話に叩き起こされた。トニーの容態が急変したというのだ。
ハッピーにモーガンを任せたペッパーは、急いで病院へと向かった。
病室は人の出入りが慌ただしく、トニーには夕方にはなかった機器が沢山取り付けられていた。
壊死した右腕から感染症を起こしたと説明を受けたペッパーは、トニーの左手を握りしめた。苦しそうに魘されているトニーの息は荒く、血圧はどんどん下がり続けているではないか。
一刻の猶予もないと、トニーは手術室へと運ばれた。
早朝、手術室から出てきたトニーの右腕はなくなっていた。
数時間前まであった右腕は、肩から切り落とされていた。
早く決断していればよかった。
トニーはとっくに分かっていたのに、ありもしない余計な希望を与え、彼を苦しめてしまった…。
希望に縋り付いていたのはペッパーも同じだったのだ。
そのため、味合わなくてもよい苦しみをトニーに与えてしまった…。
「トニー……ごめんなさい…ごめんなさい…」
眠り続けるトニーに、ペッパーは謝り続けるしかできなかった…。
2日後、トニーは目を覚ました。熱も下がり、容態も安定しており、ペッパーは安心したように息を吐いた。
「トニー…」
頬に触れ呼びかけると、微睡んだ瞳でペッパーを見つめたトニーは、左腕を伸ばすと右腕に触れようとした。
が、そこには何もなかった。
あるべき腕はもはやなかった。
「トニー…ごめんなさい…私がもっと早く…」
左手を握りしめると、トニーが静かに首を振った。
「いいんだ…これで良かったんだ……。だから…ペッパー…謝らないでくれ……」
トニーが顔を歪めた。
ペッパーから手を離したトニーは、顔を覆うと静かに泣き始めた。
夕方になり、モーガンを連れてハッピーがやって来た。
「パパ!」
久しぶりに会う父親にモーガンは、大喜び。だが、父親はどこか元気がないではないか。
「パパ、どうしたの?どこかいたいの?」
ベッドのそばの椅子に座ると、モーガンは、首を傾げた。
「パパは元気だぞ?」
無理矢理笑みを作ったトニーだが、モーガンはまるで嘘をつかないでとペッパーがするように、眉をしかめると父親を見つめた。母親そっくりの仕草に、思わずトニーは苦笑した。
「あぁ、そうだな。パパは今、元気じゃない。落ち込んでる。可愛いパパのお姫様に会えなかったから、元気がなくなってたんだ」
そういうと、モーガンはふふっと笑った。
「じゃあ、げんきになった?チューしたら、げんきになる?」
「してくれるか?」
「うん!!」
元気の良い娘に、トニーは少しだけ気分が楽になった。
が、モーガンは気付いた。父親の右腕がなくなっていることに…。
聞いてみようかと思った。だが、父親の元気がないのは、右腕が急になくなったためかもしれないと考えたモーガンは、ベッドによじ登ると、父親の右腕があった場所にそっと手を置いた。
「パパ、あたしがたすけてあげるからね。だから、だいじょうぶよ…」
笑顔でトニーを見つめたモーガンに、トニーの目から涙が零れ落ちた。その涙を拭ったモーガンは、トニーの胸元に顔を押し付けた。
「なかないで、パパ…。あたし、パパとずーっといっしょにいるから…。だからなかないで……」
「モーガン…」
幼いなりに、必死に自分を励まそうとしてくれる娘。
この子がいるんだ…。自分のことをただ純粋に愛してくれる我が子が…。右腕なんかなくてもいい…。抱きしめるのは左腕だけでもできるんだから…。この子のそばで、生きている方が、よっぽど大事なことだ…。
娘の小さな身体を左腕で抱きしめたトニーは、目を閉じると鼻をすすった。
翌日、ローディがやって来た。
差し入れだと、ドーナツとチーズバーガーを持ってきたローディは、椅子に腰掛けると、暗い顔をしているトニーに話し始めた。
「足が動かなくなった時、お前はこれを作ってくれた。お前のおかげで、俺はまた歩けるようになった。お前と一緒に戦えるようになったんだ。あの時、お前が…トニーがいてくれたから…支えてくれたから…俺は諦めずに前に進めたし、この足を受け入れることができたんだ」
両足に視線を送ったローディは、トニーを見つめた。
「お前はメカニックだろ?だったら、作れよ。俺の足を作ったように…。諦めるなよ、トニー。お前らしくないぞ?お前はいつだって、前に向かって歩き続けてるじゃないか。アフガニスタンで捕まった時も、お前は何もない所でアーマーを作って、自力で脱出したじゃないか。お前は、こんなことでくたばるような奴じゃないだろ?それに、今のお前にはペッパーとモーガンがいるじゃないか」
親友の左手を取ったローディは、軽く握りしめた。
「それにさ、俺もいる。俺はお前とこうやって話ができるだけで…お前のクソくだらない冗談を聞けるだけで…お前が生きていてくれるだけで、十分なんだぞ…」
泣いているのか、声を震わせたローディに、トニーは顔を上げた。涙の浮かんだトニーの瞳に、いつもの煌めきが戻ってきた。
すうっと息を吸い込んだトニーは、大きく頷くと、スッキリとした顔で黙ってローディの手を握りしめた。
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