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Miss you…(if話)

もし、CWでトニーが命を落としていたら…
***

深夜。悲鳴を上げたペッパーは、ベッドの上に飛び起きた。小さく震える身体を両手で抱え込んだペッパーは、何度も深呼吸をすると、隣で眠るトニーに抱きつこうとした。が、トニーがいるはずの場所には誰もおらず、冷えきったシーツの感触しかなかった。
(あぁ…そうだったわ……)
目にじんわりと浮かんだ涙を拭ったペッパーは、彼の匂いがわずかに残った枕に手を伸ばした。

トニーはもうこの世にいないのだ。
彼は1か月前、シベリアの極寒の地で、1人孤独に死を迎えた。
あの日…トニーがシベリアで消息を絶ち、72時間後。ようやく発見されたトニーだが、彼の命は潰えていた。
全てが氷に覆われた世界で、リアクターを破壊され、アーマーを破壊され、大怪我を負った彼は、連絡を取ることもできず、凍てつく洞窟の中で凍死していた。
そばに転がっていたキャプテン・アメリカの盾には、トニーの血がべっとりと付いていたが、それすらも温もりを残してくれていなかった。
セキュリティーチームと共に現地に向かったペッパーは、その場でトニーと無言の対面をした。
「トニー…」
何度呼びかけても、トニーは答えてくれなかった。
青白い顔をしたトニーは、髪も髭も凍りついており、口元から流れ落ちた血も、僅かに開いた瞳から零れ落ちた涙すらも凍っていた。
手袋を外したペッパーは、トニーの頬に触れた。何の温もりも感じられず、ペッパーはようやくトニーがもうこの世にいないということを悟った。
「トニー……トニー、迎えに来たわよ…」
涙がぽたぽたとトニーの顔に降り注いだ。だが、トニーは何も答えてくれない。
「トニー……どうして何も言ってくれないの…。お願い…起きて……お願いだから……。い、嫌!嫌よ!トニー!起きなさい!」
トニーの身体にすがりつこうとしたペッパーを周りの人々は慌てて止めた。極限まで冷え込んだアーマーに触れると危険だと、トニーの遺体から遠ざけられたペッパーは、人目を憚らず子供のように泣き続けた。そんなペッパーを、付き添っていたハッピーは泣きながら抱きしめるしかなかった。

葬儀は国葬で…という申し出を、ペッパーは断った。
トニーは殺されたのだ。仲間であるキャプテン・アメリカの『正義』によって。命を捧げてきたものに、逆に命を奪われたのだ。
だから葬儀は本当に親しかった人だけを呼んだ。それでも外には大勢の人が集まり、トニーの死を悲しんでくれた。急遽外に設けた献花台の前には、人々の列が絶えることがなかった。
墓地に埋葬する時も、大勢の人が集まってくた。
トニーが寂しくないようにと、ペッパーは2人で撮った写真を棺に入れた。
まるで天も悲しんでいるかのように、雨が降りしきる中、トニーは永遠の眠りについた。

『全財産はヴァージニア・ポッツに譲渡する』
トニーの遺言通り、彼の全てはペッパーが引き継ぐことになった。
彼が築き上げてきたものを守るのも自分しかいないと、タワーに残ることを決めたペッパーは葬儀の翌日から休む間もなく働き続けた。仕事をしている時だけは、トニーのことを考えなくて済んだから…。がむしゃらに働くペッパーを誰もが心配した。少し休むよう言われたが、ペッパーはひたすら働き続けた。
それでも夜になれば、トニーと過ごした家へと戻った。何もかも、トニーが存命だった時のままにしていた。片付ければ彼の痕跡が消えてしまうからと、ペッパーは何も片付けれないでいた。ローディとハッピーがラボは片付けてくれたが、ペッパーは彼の痕跡が深々残るラボへは近づけなかった。

それから1ヶ月。気持ちの整理は付くはずもなく、何をしてもトニーのことを思い出した。そして夜になると、トニーが死ぬ夢を見て飛び起きる毎日。
「トニー……」
トニーと最後に交わした会話は罵りあいだった。距離を置こうと告げ別れたのが、永遠の別れになってしまった。彼との最後の思い出は、どうしようもなく辛くも悲しいものになってしまった。
どうして愛していると伝えられなかったのだろう…。彼のこと、世界で一番愛しているのに…。
後悔しか残っていなかった。
笑顔で、そして愛していると別れられなかったという後悔しか…。

と、冷たい風が寝室に入ってきた。窓は空いていないはずなのに…と、ブルっと身体を震わせたペッパーはクローゼットに向かうと、トニーのお気に入りだったパーカーに袖を通した。
そして枕元に飾ったトニーの写真を抱きしめると無理矢理目を閉じた。

***
翌日。会議室に足を踏み入れたペッパーだが、それまでコソコソと話をしていた社員たちが一斉に口を噤んでしまった。
皆の視線を感じながら席についたペッパーだが、おそらく噂話は自分に関することだろうと小さく眉を吊り上げた。
「何の話?」
隣に座る秘書に尋ねると、彼女は遠慮がちに口を開いた。
「社長。実は…」

彼女の話はこうだ。
1ヶ月前から、タワーに幽霊が現れるというのだ。ぼんやりとした影のようなものは何をする訳でなく、ただタワーの中を徘徊しており、時折『寒い……』という声も聞こえるらしい。そして幽霊が通った後は、必ず凍えそうなくらい冷たい風が吹くという…。

「1ヶ月前?」
思わず目を丸くしたペッパーに、秘書が頷いた。
「はい。それも…」
言いにくそうに口を閉ざした秘書に代わり、別の社員が後を続けた。
「会長の葬儀の翌日からなんです」
と、ペッパーは思い出した。昨晩、寝室に吹いた冷たい風のことを…。
「そう……」
やっとの思いでそう呟いたペッパーは、何度か首を振ると手元の資料に目を移した。

会議を終わらせたペッパーは、トニーの墓へ向かった。
「…もしかして、あなた?」
墓標にそっと手を当てたペッパーは、トニーの名前をなぞった。
「何か伝えたくて…歩き回ってるの?」
もし、その噂の幽霊がトニーなら、会いたかった。会って、最後に顔を合わせた時に言えなかった言葉を伝えたかった。
答えを見つけるかのように目を閉じてみたが、何も起こるはずもなく、ペッパーの目からは大粒の涙が零れ落ちた。
「あなたに会いたい…。会いたくて仕方ないの…。寂しくて…もう耐えられないの…。だから、もし、あなたなら…会いに来て…」
きっとトニーは会いに来てくれるはず…。それが夢の中でも、きっと私に会いに来てくれるはず…。
涙を拭ったペッパーは、立ち上がると足早に墓地を後にした。

***
その夜。
「F.R.I.D.A.Y.、何かいる?」
何時間もA.I.にタワーの全部屋を見張らせているのが、件の幽霊は現れないようだ。
『ポッツ様、センサーに反応はありません』
こうなったら自分の目で確認するしかないと、ペッパーは懐中電灯を手にリビングやラボの近くを覗いてみたのだが、F.R.I.D.A.Y.の言う通り、何の痕跡も発見できなかった。
「今日は駄目かしら…」
時計を見ると深夜0時。幽霊も毎日現れないのかもしれないと、寝室へ戻ってきたペッパーだが、ドアを開けた彼女は凍りついた。青白い影のようなものが、トニーが使っていた棚の前にいたのだから…。
ゴクリと唾を飲み込んだペッパーは、あれが噂の幽霊で、そしておそらくトニーだろうと、そっと声を掛けた。
「…トニー?」
すると、返事をするかのように影が揺らいだ。
間違いない、トニーが現れたのだ。部屋には自分と2人きりしかいないのだから、もしかしたら顔を見せてくれるかもしれないと期待したペッパーだが、影はいつまで経ってもぼんやりとしか見えない。
何かを発する訳でもなく、一体トニーは何を言おうと現れたのかと考えていると、突然棚の引き出しが開いた。
「どうしたの?」
その棚はトニーの思い出が詰まりすぎているので、彼の亡き後、1度も開いたことがなかった。
ゆっくりと近寄ったペッパーは引き出しを覗き込んだ。すると、『ペッパーへ』とトニーの文字で書かれたカードが添えられた小さな箱が入っていた。
「もしかして…これを私に?」
影と箱を見比べたペッパーは震える手で箱を手に取ると、蓋を開けた。すると、箱の中には『Merry me, Pep.』と書かれたカードと指輪が入っているではないか。
いつ用意していただろう。トニーは自分にプロポーズするつもりだったのだ。
指輪を嵌めたペッパーだが、彼の愛の詰まった指輪に口付けすると、泣きながらその場に座り込んだ。

と、ペッパーの身体を青白い影が包み込んだ。ふわっと微かに香ってきたのは、トニーの匂いだった。
「トニー…愛してる…。愛してるわ…」
触れることはできないと分かっていたが影に手を伸ばすと、驚いたことにヒヤッとした感触が手に触れた。そして、『…ペッパー…』という自分を呼ぶ声も…。
(トニー……やっと会えたわね…)
これでやっと自分の気持ちを彼に伝えることができると喜び勇んだペッパーだが、トニーは悲しそうに言葉を続けた。
『……寒い………寒い………助けてくれ……誰か………』
その言葉にペッパーはハッとした。トニーはあの地で寒さに震えながら、助けを求めながら、孤独に死を迎えたのだ…。きっと彼は今でも寒さに震え続けており、助けを求めているのだと…。それならば、彼が1人ではないことを伝え、そして彼に温もりを与えてあげられるのも自分の役目に違いない…。
そこで、ゆっくりと顔を上げたペッパーは、身体の向きを変えると影に向き合った。するとそこにはトニーがいた。青白くぼんやりと光ってはいるが、在りし日のトニーが…。
「トニー…おかえりなさい…」
距離を置こうと告げた日以来、2人は見つめあったが、ペッパーには自分のことが見えていると気づいたトニーは目を丸くした。
寒くて凍えそうな世界に閉じ込められて1ヶ月、誰にも気づいて貰えなかった。誰かに気づいてもらいたく、あちこちをさまよった。だが、どこをさまよっているのか自分でも分からなかった。助けを求めても誰も答えてくれず、どうすればいいのかと途方に暮れていると、ペッパーの呼ぶ声が聞こえた。そして今日、ようやく彼女の前に現れることができたようだ。
『ペッパー………私が…見えるのか……』
彼女だから気づいてくれたのだろうか…。
と、誰よりもかけがえのない存在である彼女は、泣きながら、それでも嬉しそうに笑みを浮かべた。
「えぇ…ハッキリと見えるわ。あなたの姿…ちゃんと私には見えるわ…」
よかった…と安心したように息を吐いたトニーは、小さく笑みを浮かべた。
『久しぶり…だな…』
「1か月半ぶりかしら?」
あの頃と何の変わりもないようなやり取りに、懐かしさのこみ上げてきた2人だが、こうやって話ができるのは、おとぎ話のように一時かもしれないのだ。そこでペッパーは、彼が死んでからずっと後悔していることを、そしてずっと謝りたかったことをまずは伝えようと決めた。
「トニー…ごめんなさい。あなたのこと、こんなにも愛してるのに、距離を置こうと言って、あなたを1人にしてしまった…。助けてあげられなくて…ごめんなさい…」
が、ペッパーの気持ちは痛いほど理解しているトニーは、小さく首を振った。
『いいんだ…。君が私のことを…愛してくれているのは…分かってるさ。それに、あの場で…死んだのは……、私も…アイアンマンである以上……いつ何が起こってもいいと……ずっと…覚悟はしていた……。だが…もう君のそばに……いられない……。君を…悲しませてばかり…。それが…怖くて…悔しくて…仕方ない…。ペッパー…すまない……。何も君に…伝えることもできず……すまなかった……』
トニーの目から涙が零れ落ちたが、その涙は小さな氷の粒となってしまった。

何も出来なかったなんてとんでもない。彼と過ごした日々…特に恋人になってからの日々は、人生の最良の日々の連続だったのだから…。悲しいことや辛いことも沢山あった。だが、その日々を思い返してみると、毎日が冒険のように楽しかった思い出しか蘇ってこないのだから…。
涙を拭ったペッパーは、何度も頭を振った。
「いいえ、トニー。あなたは私に沢山のものを残してくれてくれたのよ…。形のあるものだけじゃないわ。沢山の思い出…それから、ハッピーやローディのような、私たちのことを心の底から考えてくれる人…。それから、あなたのお葬式、本当に沢山の方が来て下さったの…。大人から子供まで…。それからね、世界中から、あなたへの感謝の手紙も沢山来たわ。トニー、大丈夫よ…。あなたはね、一人じゃないわ…。今までも、そしてこれからもずっと…」
青白く光るトニーの身体に触れると、氷のように冷たかった。そして彼の孤独と絶望、そして悲しみがペッパーの心に流れ込んできた。離れていても、そしてもう二度と触れ合うことができなくても、心はずっとそばにある…そう伝えれば、トニーを氷の世界から解き放つことができると考えたペッパーは、彼の小さく震える身体を抱きしめた。
と、トニーの震えが止まった。そして彼は腕を伸ばすとペッパーの背中に触れた。冷たかったトニーの身体に温かさが戻ってきた。そして青白くしか見えなかった彼に、色が戻った。
「もう、寒くない?」
『あぁ……君は…温かい……』
ペッパーをギュッと抱きしめたトニーは、ペッパーの存在を確かめるかのように、すうっと息を吸いこんだ。
生前抱き合っていた頃より、ペッパーは痩せていた。そっと目を閉じると、悲しみに打ちひしがれているペッパーの姿が浮かんだ。食事も殆ど取らず、夜は悪夢で飛び起き、泣きながら眠りにつくペッパーの姿が…。
『ちゃんと…眠れてるか?』
目の下に隈を作り、痩せてしまったペッパーの頬に優しく触れたトニーは、泣き出しそうな顔をしている。
ペッパーは気づいた。トニー自身も救いを求めて現れたのだろう。だが、自分が前へ進めていないから、トニーがいつまでも天国に行かれないのでは…と。それならば、自分は大丈夫だということをトニーに伝え、彼に安心して貰わなければならない…。
「…あなたがいないことが、こんなにも寂しくて辛いことだと思ってもいなかったわ。あなたはどんな時でも帰ってきてくれるって、ずっと思ってたから…」
涙を拭ったペッパーは、今や氷ではなく水滴になっているトニーの涙も拭った。
「でも…ちゃんと前を向かなきゃいけないのよね。私にはまだやるべきことが残ってる…。あなたが築いてきたものを私は守っていかなきゃいけないのよ。それが私の使命…。だからね、トニー。もうしばらくあなたのそばには行けないわ。だから待っててね」
『あぁ…いくらでも…待ってるさ……』
ペッパーが前に進み出してくれた…これ以上嬉しいことはあるだろうか…。
トニーの頬を撫でたペッパーは、彼の手を取ると指を絡めた。
「あなたに、愛してるって…伝えたかった。あんな喧嘩別れしちゃって……ずっと後悔してたの…。でも、こうやって、あなたに直接言えてよかったわ。私が愛してるのは、あなただけ…。永遠にあなただけ…。トニー、ありがとう…。会いに来てくれてありがとう…。私は大丈夫…。それに、あなたはずっとそばにいてくれるでしょ?だから心配しないで…」
ニッコリと笑いながらトニーを見つめると、彼も笑みを浮かべた。
『ペッパー………ありがとう…。救ってくれて…ありがとう…。愛してる………永遠に…愛してる……』
「私もよ…」
唇が触れた瞬間、トニーの身体が温かな光に包まれた。
もう思い残すことはない…。彼女のことだけが気がかりだったから。いや、実際のところ、もし可能であれば、彼女が生を全うするまで、この場にずっと留まり見守っていたい。だが、彼女は自分のいない新しい人生に向かって歩み出そうとしている。だからこれ以上辛くなる前に永遠の別れを告げるべきだろう…。
それに、そばにいられなくても、彼女のことを愛し、そして見守ることはできるのだから…。

零れ落ちそうな涙を無理矢理しまい込んだトニーは、もう一度ペッパーにキスをすると、身体を離した。
『さよなら……ペッパー……。いや……またな…』
と、トニーの姿が消えた。小さな青白い光となったトニーは、ペッパーの周りをしばらくクルクルと回っていたが、ペッパーの胸元で瞬くと、すっと消えてしまった。
「トニー…愛してるわ…」
そっと胸元を押さえたペッパーは、指輪とトニーの書いたカードを抱きしめると、1晩中涙を流し続けた。

そしてその夜以来、タワーの幽霊の噂はぷつりと途絶えた…。

***
数ヶ月後経った5月29日。
ペッパーの腕の中には、産まれたばかりの小さな男の子が眠っていた。
「トニー、ありがとう…。あなたは私に…かけがえのないものを残してくれたわ…」
トニーに瓜二つの、アンソニー・エドワード・スターク・ポッツ・Jr.と名付けた息子の胸元にトニーの写真を置くと、写真の中のトニーも嬉しそうに笑った気がした。

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Be Here To Love Me

ふと目を覚ますと、隣で眠っていたはずの彼はいなかった。
シーツに触れるとまだ温かく、時刻を確認しようとペッパーは枕元の時計を見た。
時計の短針は数字の2を示していた。それはつまり、今日はあの日であるということ…。
「12月16日…」
ポツリと呟いたペッパーは、ナイトガウンを羽織ると足早に寝室を後にした。

リビングに向かうと、ピアノの前にトニーが座っていた。
灯りを落とした薄暗い部屋の中で、トニーは無言でゆっくりと音を奏でていた。
“Try to Remember”。
あの日…25年前の今日、彼の母親が最期に奏でていたという曲。
幼い時分より、ピアノを歌い弾く母親が大好きだったというトニーの、母親との最後の思い出の曲…。
あの時、普段通りに言葉なく送り出し、母親を抱きしめぬまま、父親に『愛している』と伝えることが出来ぬまま永遠の別れを迎えたことを、25年間ずっと不慮の事故死だと信じていた根底が覆ってしまったことを、シベリアでの事件後、トニーは全て語ってくれた。あの時のトニーは、長年傍にいたペッパーでさえも見たことがない程、感情を曝け出していた。他人には絶対に見せないであろうその姿に、一時でも彼と離れていたこと、一番辛い時に傍にいなかったことをペッパーは酷く後悔し、これからは何があっても絶対にそばを離れないと誓った。
あれから半年経ち、自分たちの関係は大きく前進した。そして彼自身の心の傷も少しずつ癒え、ようやく心からの笑顔が戻って来た。
が、両親の死の真相を知り、初めて迎える12月16日。ペッパーでさえも心乱れているのだから、当事者であるトニーはもっと乱れているに決まっている。
悲しみと苦しみ、そして怒りを背負い込んだ背中は、消え入りそうなくらい儚く見え、そっと近づいたペッパーは背後からトニーをぎゅっと抱きしめた。
ポーンという音を最後に、曲が途絶えた。鍵盤の上に置かれたトニーの左手は小さく震えている。
「大丈夫?」
優しく問うペッパーに答えようとしたトニーだが、あの冷たい洞窟で見せられた映像がフラッシュバックし、彼は呻き声を上げた。ようやく癒え始めた左腕だけでなく、心の傷が叫び声を上げ始めた。身体がガタガタと震え始め、息苦しくなってきた。
トニーの異変に気付いたペッパーは顔色を変えると、彼の隣に腰を下ろした。そして震える身体を包み込むように、トニーを両腕に閉じ込めた。
「トニー…私が傍にいる…。ずっと永遠に傍にいるから…。愛してるわ…。だから大丈夫…。安心して?大丈夫だから…。あなたは一人じゃないわ…」
背中をゆっくりと摩っていると、震えが止まった。何度も深呼吸を繰り返したトニーは、ペッパーの髪に顔を埋めるとくぐもった声を出した。
「一緒に来てくれるか?」
16日は命日だから墓参りに行ってくるとトニーがペッパーに告げたのは数日前のこと。だがトニーはペッパーの一緒に行くという申し出を断っていたのだ。
「いいけど…。どうしたの、急に?」
てっきりトニーは亡き両親と話したいことでもあるため一人で行くと言ったのかと考えていたペッパーは、何故急に心変わりしたのかと首を傾げた。
ふぅと大きく息を吐いたトニーは顔を上げた。そこにいたのは、いつものトニー・スターク。
「父と母に君を紹介していなかった」
鼻の頭を擦ったトニーは、ペッパーの左手を取ると指輪をなぞった。10年近く彼がハッピーに『警護』させていた婚約指輪。光り輝く証に口付けするトニーの頬をペッパーはそっと撫でた。
「何度も一緒に行ってるでしょ?」
彼の秘書として、そして恋人として、何度も訪れたことがあるのだから、きっと彼の御両親もご存知なはず…と考えたペッパーだが、トニーは首を振った。
「違う。婚約者として、正式に紹介してない。もうすぐミセス・スタークになる、大切な女性だと…」

この先の道が平穏なものかどうかなんて、誰にも予測は付かない。ヒーローである以上、明日にでも命を落とす可能性もあるのだから…。
だが、確かなことがある。それは、いつどんな時でも、ペッパーがそばにいてくれること…。これから先、12月16日は彼女と共に過ごすことができるということ。そして、無償の愛を与えてくれる彼女は、何があっても最後まで信じ守り抜かねばならないということ…。

トニーは自分の左手を彼女の左手に絡めた。そして首筋に顔を埋めると、彼女のそこへ何度か印を刻んだ。
「ペッパー…愛してる…」
「知ってるわよ」
どこかで聞いたようなセリフだが、唇を頬から甘く柔らかな唇へと滑らせたトニーは、キスをしながら立ち上がると、ペッパーと2人寝室へと戻っていった。

***

「25年も、ずっと事故死だと信じこんでいたんだから、親父もお袋も呆れてるだろうな」
自傷気味に笑ったトニーは、父親が好きだった酒のボトルを墓標の前に置くと、腰を下ろした。
『そんなことない』と言うべきなのだろうが、その言葉を口に出していいものか迷ったペッパーは、結局黙ってトニーの隣に腰を下ろした。そして彼の母親が好きだったという真紅の薔薇の花束を墓標の前に置いた。
「今年は去年までのような心境ではいられないな…」
ポツリと呟いたトニーは、冷たい石に刻まれた日付に手を触れた。
1991年12月16日。
彼の人生が一変した日。大切なものを奪われた日。当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなった日…。
文字を二度三度なぞったトニーは、指を下に滑らせた。
「事故なら仕方ないと思っていた。だが…」
母親の名前が刻まれた部分で指を止めたトニーは、唇を噛みしめた。
「もし、当時…殺されたと知っていたら…私は復讐の鬼と化していたかもしれない…。母を殺した犯人を探し出し、自分の手で殺してやろうと躍起になっていたかもしれない…。復讐に人生捧げ、身を滅ぼしていたかもしれない…」
グッと拳を握りしめたトニーの手は震えており、ペッパーは思わずその手に自分の手を重ねた。
何度か首を振ったトニーは、ペッパーをチラリと見ると小さく息を吐いた。
「だが、相手は暗殺マシーンだ。例え尻尾を掴み対峙しても、私は呆気なく殺されていただろうな。万が一上手くいったとしても、私は殺人を犯した罪で牢獄の中で孤独に死んでいたかもしれない…」
ふぅと深呼吸したトニーは天を仰いだ。
「悔しいな…。情けないな…。25年も信じていたことが、全て嘘だったことに気づかなかった自分が情けない…」
顔を伏せ零れ落ちた涙をそっと拭ったトニーは、ペッパーの手を握りしめると顔を上げた。そしてペッパーの頬を伝わる幾筋もの涙を拭ったトニーは、小さく笑みを浮かべた。
「だがな、こう考えることにした。復讐に身を捧げた人生なら、君と出会うことも、愛し合うことも出来なかっただろう…と。愛することを君から教わることもなかっただろう…と。君という最高の伴侶を手に入れることも出来なかっただろう…」
「トニー…」
くしゃっと顔を歪めたペッパーの肩を抱き寄せたトニーは、先程よりも晴れやかな表情を浮かべると、ペッパーの目を真っ直ぐ見つめた。
「今日を区切りに気持ちを切り替えようと思う。勿論、すぐには切り替えられないだろうが…。だが、これからの人生、君と歩いて行くんだ。前向きに、後悔せずに生きていきたい。それを親父とお袋に報告したかった。君と一緒に…」

トニーは両親の墓前で、未来への誓いを再び立ててくれた…。これから先も共に歩んでいくことを約束してくれた…。
今までも幾度となく困難に立ち向かい、そして乗り越えてきたのだ。これからも、何があっても2人共にいれば大丈夫…。

トニーに抱きついたペッパーは、彼の後髪に触れるとギュッと抱き寄せた。
「お父様とお母様も、きっと、応援して下さってるわ…」
「そうだな…」
ペッパーの涙がポツリポツリと降り注ぎ、トニーはそっと目を閉じた。

彼女はいつだってそばで支えてくれる…。彼女がそばにいてくれたから、今まで何があっても乗り越えてこれた…。一度は手放しそうになったが、もう二度と離さない…。

と、その時。2人を包み込むように、暖かな風が吹いた。そして風と共に亡き母の声が聞こえた気がした。
(トニー…幸せになるのよ…)

(ああ…母さん、分かってるよ…)
小さく笑みを浮かべたトニーはペッパーを抱きしめたまま立ち上がると、ハッピーの待つ車へと歩き始めた。

*ホムカミ後の12月16日

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Left Hand

「大丈夫?」
左手が痛むのか、トニーは手首をさすってばかりいる。
「あぁ…」
と返答したトニーだが、ペッパーの泣き出しそうな表情に気付くと肩を竦めた。
「実は、まだ痛む。だが、随分と良くなってきた。だから大丈夫だ」
大丈夫だと言っているが、彼の左手はまだ震えていた。
あの時、左手だけではなく、心身共に傷ついた彼は、あまり調子が良さそうには見えない。
トニーの震える手を握りしめたペッパーの目から、小さな涙が零れ落ちた。
「ハニー…」
困ったように首を傾げたトニーは、ペッパーの背中をそっと抱き寄せた。
「どうして…どうしてあなたはいつも…傷つかなきゃいけないの…」
トニーの胸に顔を押し付けたペッパーは、嗚咽を漏らし始めたが、やがて声を上げて泣き始めた。そんな恋人の背中をトニーは黙って撫で続けた。

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ボスの日 (2017年)

ホムカミ直後のトニーとハッピー

***

「ボス、よかったですね」
婚約会見の翌朝。
顔を合わせるなり、満面の笑みのハッピーは抱きつかんばかりの勢いで私の両手を握りしめた。
「10年近く、持っていた甲斐がありました」
うんうんと大袈裟に頷いたハッピーは、昨日のことを思い出したのか、急に笑い始めた。
「あの後、ピーター・パーカーに車中でずっと聞かれたんです。本当に会見の準備なんかしていたのかと。だから、彼が車から降りようとしている時に言ったんです。テレビを見てみろと。そうしたら…」
言葉を切ったハッピーはくくっと笑った。
「ものの5分も経たないうちに、メールが届きました。いつもの如く大量に。最初は驚きの言葉ばかりでしたけど、最後はボスへの祝福の言葉が書いてありました。『スタークさんに伝えて下さい。ご婚約おめでとうございます。直接お伝えできればよかったんですけど…。今度お会いした時に、もう1度言わせて下さい』と」
そう言いながらハッピーは携帯を差し出した。画面には一方的なパーカーくんからの大量のメッセージ。そして最後には、先程ハッピーが口に出した祝福の言葉が添えられていた。

昨日の会見以降、名前も知らないような知人から祝福の言葉は数多く届いていた。が、ハッピーとローディ以外は親しい友人と言えるような仲間はいないのだから、どれも形式ばったものにしか見えなかった。そのローディからは、昨夜、ようやく言えたのかと揶揄い混じりの祝電があり、今夜はペッパーとハッピーも交え、4人で祝杯を上げることになっている。
その輪の中に、パーカーくんも加えてもいいかもしれない、彼は今や立派な仲間なのだから…と一瞬思ったが、彼は未成年であることを思い出した私は、その考えを追い払うように頭を振った。

「ところで、ハッピー。よく指輪をなくさなかったな」
律儀なハッピーは、私のそばにいる時は、本当にポケットに入れ持ち運んでいたらしい。
「当たり前です!大切なボスの頼みですから!何があっても死守しましたよ」
胸を叩いたハッピーは、相変わらずニコニコと笑っているが、その目は僅かに涙ぐんでいた。

そうだな、ハッピー。
お前は誰よりも私とペッパーのことを見守り、応援してくれていた。お前が大切に指輪を…私の心を持っていてくれたからこそ、彼女に伝えることができたんだ…。

だが、ありがとうと言葉に出すのは照れくさく、ハッピーの肩をポンっと叩いた私はサングラスを掛けると、先立って歩き始めた。

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Merry Me?

「2008年って、いつから用意してたの?」
電撃発表となった会見の後、ようやく2人きりになると、ペッパーは指輪を見つめながらそう尋ねた。
「アイアンマンだと名乗った後、買いに行った」
「私の気持ちを確認せずに?」
あのアフガニスタンでの出来事で自分の本当の気持ちを確認したという話は、恋人になってから何度も聞いていたが、まさかその時点で婚約指輪まで購入していたとは知らなかった。付き合い始めてからも、トニーの口から最近まで『結婚』について出たことはなかったのだから…。
「君の気持ちは分かっていた。パーティーで君と踊った時、同じ気持ちだと確信したんだ。だからプロポーズする機会はずっと伺っていた。10年以上かかったが、ようやくこの指輪も日の目を見たって訳だ」
そうだろ?と言うように、ペッパーの頬にキスをしたトニーは、人には滅多に見せない蕩けるような笑みを浮かべた。
10年以上、彼の親友のポケットに入っていたというのは本当かどうか疑わしいが、それでも彼がずっと自分と生涯を共にしたいと考えてくれていたことは、本当に嬉しかった。
だが、先程の会見では、婚約したという事務的な報告のみ。マスコミの前で公開プロポーズをしようとは、流石のトニーも思わなかったのだろうが、仲直りしてからどの時点での『ずっと一緒にいよう』という言葉が彼なりのプロポーズだったのだろうか…。
が、こういうことは一生に一度のことなのだから、ペッパーとしてはきちんとトニーの言葉が欲しかった。
「でも、ちゃんと言葉にしてもらってないわ」
この際だからきちんとしてもらおうと、わざとらしく眉を潜めながらそう言うと、あぁと声を出したトニーは頷くと、ペッパーから指輪を抜き取った。そしてその場に跪くとペッパーに向かって指輪を差し出した。
「ヴァージニア・ポッツさん。君は私の全て。君なしでは私は生きていけない。だから結婚して下さい」
真剣な表情を作っているが、その口元は喜びを隠し切れないというように笑っている。距離を置いていた間に起こったあの事件で心身ともに傷を負ったトニーが、今こうやって心から嬉しそうに笑っている。こんなに幸せなことはあるだろうか。
「ねぇ、トニー。私もね、あなたがいないと生きていけないの。だから、ミセス・スタークにして下さい」
そう言いながら左手を差し出すと、手の甲にキスをしたトニーは指輪を元の位置に丁寧に戻した。
「あぁ、喜んで。ミセス・スターク」
立ち上がったトニーはペッパーをぎゅっと抱きしめると、正式な婚約祝いをしようと、ペッパーを連れて部屋を後にした。

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