Be Here To Love Me

ふと目を覚ますと、隣で眠っていたはずの彼はいなかった。
シーツに触れるとまだ温かく、時刻を確認しようとペッパーは枕元の時計を見た。
時計の短針は数字の2を示していた。それはつまり、今日はあの日であるということ…。
「12月16日…」
ポツリと呟いたペッパーは、ナイトガウンを羽織ると足早に寝室を後にした。

リビングに向かうと、ピアノの前にトニーが座っていた。
灯りを落とした薄暗い部屋の中で、トニーは無言でゆっくりと音を奏でていた。
“Try to Remember”。
あの日…25年前の今日、彼の母親が最期に奏でていたという曲。
幼い時分より、ピアノを歌い弾く母親が大好きだったというトニーの、母親との最後の思い出の曲…。
あの時、普段通りに言葉なく送り出し、母親を抱きしめぬまま、父親に『愛している』と伝えることが出来ぬまま永遠の別れを迎えたことを、25年間ずっと不慮の事故死だと信じていた根底が覆ってしまったことを、シベリアでの事件後、トニーは全て語ってくれた。あの時のトニーは、長年傍にいたペッパーでさえも見たことがない程、感情を曝け出していた。他人には絶対に見せないであろうその姿に、一時でも彼と離れていたこと、一番辛い時に傍にいなかったことをペッパーは酷く後悔し、これからは何があっても絶対にそばを離れないと誓った。
あれから半年経ち、自分たちの関係は大きく前進した。そして彼自身の心の傷も少しずつ癒え、ようやく心からの笑顔が戻って来た。
が、両親の死の真相を知り、初めて迎える12月16日。ペッパーでさえも心乱れているのだから、当事者であるトニーはもっと乱れているに決まっている。
悲しみと苦しみ、そして怒りを背負い込んだ背中は、消え入りそうなくらい儚く見え、そっと近づいたペッパーは背後からトニーをぎゅっと抱きしめた。
ポーンという音を最後に、曲が途絶えた。鍵盤の上に置かれたトニーの左手は小さく震えている。
「大丈夫?」
優しく問うペッパーに答えようとしたトニーだが、あの冷たい洞窟で見せられた映像がフラッシュバックし、彼は呻き声を上げた。ようやく癒え始めた左腕だけでなく、心の傷が叫び声を上げ始めた。身体がガタガタと震え始め、息苦しくなってきた。
トニーの異変に気付いたペッパーは顔色を変えると、彼の隣に腰を下ろした。そして震える身体を包み込むように、トニーを両腕に閉じ込めた。
「トニー…私が傍にいる…。ずっと永遠に傍にいるから…。愛してるわ…。だから大丈夫…。安心して?大丈夫だから…。あなたは一人じゃないわ…」
背中をゆっくりと摩っていると、震えが止まった。何度も深呼吸を繰り返したトニーは、ペッパーの髪に顔を埋めるとくぐもった声を出した。
「一緒に来てくれるか?」
16日は命日だから墓参りに行ってくるとトニーがペッパーに告げたのは数日前のこと。だがトニーはペッパーの一緒に行くという申し出を断っていたのだ。
「いいけど…。どうしたの、急に?」
てっきりトニーは亡き両親と話したいことでもあるため一人で行くと言ったのかと考えていたペッパーは、何故急に心変わりしたのかと首を傾げた。
ふぅと大きく息を吐いたトニーは顔を上げた。そこにいたのは、いつものトニー・スターク。
「父と母に君を紹介していなかった」
鼻の頭を擦ったトニーは、ペッパーの左手を取ると指輪をなぞった。10年近く彼がハッピーに『警護』させていた婚約指輪。光り輝く証に口付けするトニーの頬をペッパーはそっと撫でた。
「何度も一緒に行ってるでしょ?」
彼の秘書として、そして恋人として、何度も訪れたことがあるのだから、きっと彼の御両親もご存知なはず…と考えたペッパーだが、トニーは首を振った。
「違う。婚約者として、正式に紹介してない。もうすぐミセス・スタークになる、大切な女性だと…」

この先の道が平穏なものかどうかなんて、誰にも予測は付かない。ヒーローである以上、明日にでも命を落とす可能性もあるのだから…。
だが、確かなことがある。それは、いつどんな時でも、ペッパーがそばにいてくれること…。これから先、12月16日は彼女と共に過ごすことができるということ。そして、無償の愛を与えてくれる彼女は、何があっても最後まで信じ守り抜かねばならないということ…。

トニーは自分の左手を彼女の左手に絡めた。そして首筋に顔を埋めると、彼女のそこへ何度か印を刻んだ。
「ペッパー…愛してる…」
「知ってるわよ」
どこかで聞いたようなセリフだが、唇を頬から甘く柔らかな唇へと滑らせたトニーは、キスをしながら立ち上がると、ペッパーと2人寝室へと戻っていった。

***

「25年も、ずっと事故死だと信じこんでいたんだから、親父もお袋も呆れてるだろうな」
自傷気味に笑ったトニーは、父親が好きだった酒のボトルを墓標の前に置くと、腰を下ろした。
『そんなことない』と言うべきなのだろうが、その言葉を口に出していいものか迷ったペッパーは、結局黙ってトニーの隣に腰を下ろした。そして彼の母親が好きだったという真紅の薔薇の花束を墓標の前に置いた。
「今年は去年までのような心境ではいられないな…」
ポツリと呟いたトニーは、冷たい石に刻まれた日付に手を触れた。
1991年12月16日。
彼の人生が一変した日。大切なものを奪われた日。当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなった日…。
文字を二度三度なぞったトニーは、指を下に滑らせた。
「事故なら仕方ないと思っていた。だが…」
母親の名前が刻まれた部分で指を止めたトニーは、唇を噛みしめた。
「もし、当時…殺されたと知っていたら…私は復讐の鬼と化していたかもしれない…。母を殺した犯人を探し出し、自分の手で殺してやろうと躍起になっていたかもしれない…。復讐に人生捧げ、身を滅ぼしていたかもしれない…」
グッと拳を握りしめたトニーの手は震えており、ペッパーは思わずその手に自分の手を重ねた。
何度か首を振ったトニーは、ペッパーをチラリと見ると小さく息を吐いた。
「だが、相手は暗殺マシーンだ。例え尻尾を掴み対峙しても、私は呆気なく殺されていただろうな。万が一上手くいったとしても、私は殺人を犯した罪で牢獄の中で孤独に死んでいたかもしれない…」
ふぅと深呼吸したトニーは天を仰いだ。
「悔しいな…。情けないな…。25年も信じていたことが、全て嘘だったことに気づかなかった自分が情けない…」
顔を伏せ零れ落ちた涙をそっと拭ったトニーは、ペッパーの手を握りしめると顔を上げた。そしてペッパーの頬を伝わる幾筋もの涙を拭ったトニーは、小さく笑みを浮かべた。
「だがな、こう考えることにした。復讐に身を捧げた人生なら、君と出会うことも、愛し合うことも出来なかっただろう…と。愛することを君から教わることもなかっただろう…と。君という最高の伴侶を手に入れることも出来なかっただろう…」
「トニー…」
くしゃっと顔を歪めたペッパーの肩を抱き寄せたトニーは、先程よりも晴れやかな表情を浮かべると、ペッパーの目を真っ直ぐ見つめた。
「今日を区切りに気持ちを切り替えようと思う。勿論、すぐには切り替えられないだろうが…。だが、これからの人生、君と歩いて行くんだ。前向きに、後悔せずに生きていきたい。それを親父とお袋に報告したかった。君と一緒に…」

トニーは両親の墓前で、未来への誓いを再び立ててくれた…。これから先も共に歩んでいくことを約束してくれた…。
今までも幾度となく困難に立ち向かい、そして乗り越えてきたのだ。これからも、何があっても2人共にいれば大丈夫…。

トニーに抱きついたペッパーは、彼の後髪に触れるとギュッと抱き寄せた。
「お父様とお母様も、きっと、応援して下さってるわ…」
「そうだな…」
ペッパーの涙がポツリポツリと降り注ぎ、トニーはそっと目を閉じた。

彼女はいつだってそばで支えてくれる…。彼女がそばにいてくれたから、今まで何があっても乗り越えてこれた…。一度は手放しそうになったが、もう二度と離さない…。

と、その時。2人を包み込むように、暖かな風が吹いた。そして風と共に亡き母の声が聞こえた気がした。
(トニー…幸せになるのよ…)

(ああ…母さん、分かってるよ…)
小さく笑みを浮かべたトニーはペッパーを抱きしめたまま立ち上がると、ハッピーの待つ車へと歩き始めた。

*ホムカミ後の12月16日

最初にいいねと言ってみませんか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。