Miss you…(if話)

もし、CWでトニーが命を落としていたら…
***

深夜。悲鳴を上げたペッパーは、ベッドの上に飛び起きた。小さく震える身体を両手で抱え込んだペッパーは、何度も深呼吸をすると、隣で眠るトニーに抱きつこうとした。が、トニーがいるはずの場所には誰もおらず、冷えきったシーツの感触しかなかった。
(あぁ…そうだったわ……)
目にじんわりと浮かんだ涙を拭ったペッパーは、彼の匂いがわずかに残った枕に手を伸ばした。

トニーはもうこの世にいないのだ。
彼は1か月前、シベリアの極寒の地で、1人孤独に死を迎えた。
あの日…トニーがシベリアで消息を絶ち、72時間後。ようやく発見されたトニーだが、彼の命は潰えていた。
全てが氷に覆われた世界で、リアクターを破壊され、アーマーを破壊され、大怪我を負った彼は、連絡を取ることもできず、凍てつく洞窟の中で凍死していた。
そばに転がっていたキャプテン・アメリカの盾には、トニーの血がべっとりと付いていたが、それすらも温もりを残してくれていなかった。
セキュリティーチームと共に現地に向かったペッパーは、その場でトニーと無言の対面をした。
「トニー…」
何度呼びかけても、トニーは答えてくれなかった。
青白い顔をしたトニーは、髪も髭も凍りついており、口元から流れ落ちた血も、僅かに開いた瞳から零れ落ちた涙すらも凍っていた。
手袋を外したペッパーは、トニーの頬に触れた。何の温もりも感じられず、ペッパーはようやくトニーがもうこの世にいないということを悟った。
「トニー……トニー、迎えに来たわよ…」
涙がぽたぽたとトニーの顔に降り注いだ。だが、トニーは何も答えてくれない。
「トニー……どうして何も言ってくれないの…。お願い…起きて……お願いだから……。い、嫌!嫌よ!トニー!起きなさい!」
トニーの身体にすがりつこうとしたペッパーを周りの人々は慌てて止めた。極限まで冷え込んだアーマーに触れると危険だと、トニーの遺体から遠ざけられたペッパーは、人目を憚らず子供のように泣き続けた。そんなペッパーを、付き添っていたハッピーは泣きながら抱きしめるしかなかった。

葬儀は国葬で…という申し出を、ペッパーは断った。
トニーは殺されたのだ。仲間であるキャプテン・アメリカの『正義』によって。命を捧げてきたものに、逆に命を奪われたのだ。
だから葬儀は本当に親しかった人だけを呼んだ。それでも外には大勢の人が集まり、トニーの死を悲しんでくれた。急遽外に設けた献花台の前には、人々の列が絶えることがなかった。
墓地に埋葬する時も、大勢の人が集まってくた。
トニーが寂しくないようにと、ペッパーは2人で撮った写真を棺に入れた。
まるで天も悲しんでいるかのように、雨が降りしきる中、トニーは永遠の眠りについた。

『全財産はヴァージニア・ポッツに譲渡する』
トニーの遺言通り、彼の全てはペッパーが引き継ぐことになった。
彼が築き上げてきたものを守るのも自分しかいないと、タワーに残ることを決めたペッパーは葬儀の翌日から休む間もなく働き続けた。仕事をしている時だけは、トニーのことを考えなくて済んだから…。がむしゃらに働くペッパーを誰もが心配した。少し休むよう言われたが、ペッパーはひたすら働き続けた。
それでも夜になれば、トニーと過ごした家へと戻った。何もかも、トニーが存命だった時のままにしていた。片付ければ彼の痕跡が消えてしまうからと、ペッパーは何も片付けれないでいた。ローディとハッピーがラボは片付けてくれたが、ペッパーは彼の痕跡が深々残るラボへは近づけなかった。

それから1ヶ月。気持ちの整理は付くはずもなく、何をしてもトニーのことを思い出した。そして夜になると、トニーが死ぬ夢を見て飛び起きる毎日。
「トニー……」
トニーと最後に交わした会話は罵りあいだった。距離を置こうと告げ別れたのが、永遠の別れになってしまった。彼との最後の思い出は、どうしようもなく辛くも悲しいものになってしまった。
どうして愛していると伝えられなかったのだろう…。彼のこと、世界で一番愛しているのに…。
後悔しか残っていなかった。
笑顔で、そして愛していると別れられなかったという後悔しか…。

と、冷たい風が寝室に入ってきた。窓は空いていないはずなのに…と、ブルっと身体を震わせたペッパーはクローゼットに向かうと、トニーのお気に入りだったパーカーに袖を通した。
そして枕元に飾ったトニーの写真を抱きしめると無理矢理目を閉じた。

***
翌日。会議室に足を踏み入れたペッパーだが、それまでコソコソと話をしていた社員たちが一斉に口を噤んでしまった。
皆の視線を感じながら席についたペッパーだが、おそらく噂話は自分に関することだろうと小さく眉を吊り上げた。
「何の話?」
隣に座る秘書に尋ねると、彼女は遠慮がちに口を開いた。
「社長。実は…」

彼女の話はこうだ。
1ヶ月前から、タワーに幽霊が現れるというのだ。ぼんやりとした影のようなものは何をする訳でなく、ただタワーの中を徘徊しており、時折『寒い……』という声も聞こえるらしい。そして幽霊が通った後は、必ず凍えそうなくらい冷たい風が吹くという…。

「1ヶ月前?」
思わず目を丸くしたペッパーに、秘書が頷いた。
「はい。それも…」
言いにくそうに口を閉ざした秘書に代わり、別の社員が後を続けた。
「会長の葬儀の翌日からなんです」
と、ペッパーは思い出した。昨晩、寝室に吹いた冷たい風のことを…。
「そう……」
やっとの思いでそう呟いたペッパーは、何度か首を振ると手元の資料に目を移した。

会議を終わらせたペッパーは、トニーの墓へ向かった。
「…もしかして、あなた?」
墓標にそっと手を当てたペッパーは、トニーの名前をなぞった。
「何か伝えたくて…歩き回ってるの?」
もし、その噂の幽霊がトニーなら、会いたかった。会って、最後に顔を合わせた時に言えなかった言葉を伝えたかった。
答えを見つけるかのように目を閉じてみたが、何も起こるはずもなく、ペッパーの目からは大粒の涙が零れ落ちた。
「あなたに会いたい…。会いたくて仕方ないの…。寂しくて…もう耐えられないの…。だから、もし、あなたなら…会いに来て…」
きっとトニーは会いに来てくれるはず…。それが夢の中でも、きっと私に会いに来てくれるはず…。
涙を拭ったペッパーは、立ち上がると足早に墓地を後にした。

***
その夜。
「F.R.I.D.A.Y.、何かいる?」
何時間もA.I.にタワーの全部屋を見張らせているのが、件の幽霊は現れないようだ。
『ポッツ様、センサーに反応はありません』
こうなったら自分の目で確認するしかないと、ペッパーは懐中電灯を手にリビングやラボの近くを覗いてみたのだが、F.R.I.D.A.Y.の言う通り、何の痕跡も発見できなかった。
「今日は駄目かしら…」
時計を見ると深夜0時。幽霊も毎日現れないのかもしれないと、寝室へ戻ってきたペッパーだが、ドアを開けた彼女は凍りついた。青白い影のようなものが、トニーが使っていた棚の前にいたのだから…。
ゴクリと唾を飲み込んだペッパーは、あれが噂の幽霊で、そしておそらくトニーだろうと、そっと声を掛けた。
「…トニー?」
すると、返事をするかのように影が揺らいだ。
間違いない、トニーが現れたのだ。部屋には自分と2人きりしかいないのだから、もしかしたら顔を見せてくれるかもしれないと期待したペッパーだが、影はいつまで経ってもぼんやりとしか見えない。
何かを発する訳でもなく、一体トニーは何を言おうと現れたのかと考えていると、突然棚の引き出しが開いた。
「どうしたの?」
その棚はトニーの思い出が詰まりすぎているので、彼の亡き後、1度も開いたことがなかった。
ゆっくりと近寄ったペッパーは引き出しを覗き込んだ。すると、『ペッパーへ』とトニーの文字で書かれたカードが添えられた小さな箱が入っていた。
「もしかして…これを私に?」
影と箱を見比べたペッパーは震える手で箱を手に取ると、蓋を開けた。すると、箱の中には『Merry me, Pep.』と書かれたカードと指輪が入っているではないか。
いつ用意していただろう。トニーは自分にプロポーズするつもりだったのだ。
指輪を嵌めたペッパーだが、彼の愛の詰まった指輪に口付けすると、泣きながらその場に座り込んだ。

と、ペッパーの身体を青白い影が包み込んだ。ふわっと微かに香ってきたのは、トニーの匂いだった。
「トニー…愛してる…。愛してるわ…」
触れることはできないと分かっていたが影に手を伸ばすと、驚いたことにヒヤッとした感触が手に触れた。そして、『…ペッパー…』という自分を呼ぶ声も…。
(トニー……やっと会えたわね…)
これでやっと自分の気持ちを彼に伝えることができると喜び勇んだペッパーだが、トニーは悲しそうに言葉を続けた。
『……寒い………寒い………助けてくれ……誰か………』
その言葉にペッパーはハッとした。トニーはあの地で寒さに震えながら、助けを求めながら、孤独に死を迎えたのだ…。きっと彼は今でも寒さに震え続けており、助けを求めているのだと…。それならば、彼が1人ではないことを伝え、そして彼に温もりを与えてあげられるのも自分の役目に違いない…。
そこで、ゆっくりと顔を上げたペッパーは、身体の向きを変えると影に向き合った。するとそこにはトニーがいた。青白くぼんやりと光ってはいるが、在りし日のトニーが…。
「トニー…おかえりなさい…」
距離を置こうと告げた日以来、2人は見つめあったが、ペッパーには自分のことが見えていると気づいたトニーは目を丸くした。
寒くて凍えそうな世界に閉じ込められて1ヶ月、誰にも気づいて貰えなかった。誰かに気づいてもらいたく、あちこちをさまよった。だが、どこをさまよっているのか自分でも分からなかった。助けを求めても誰も答えてくれず、どうすればいいのかと途方に暮れていると、ペッパーの呼ぶ声が聞こえた。そして今日、ようやく彼女の前に現れることができたようだ。
『ペッパー………私が…見えるのか……』
彼女だから気づいてくれたのだろうか…。
と、誰よりもかけがえのない存在である彼女は、泣きながら、それでも嬉しそうに笑みを浮かべた。
「えぇ…ハッキリと見えるわ。あなたの姿…ちゃんと私には見えるわ…」
よかった…と安心したように息を吐いたトニーは、小さく笑みを浮かべた。
『久しぶり…だな…』
「1か月半ぶりかしら?」
あの頃と何の変わりもないようなやり取りに、懐かしさのこみ上げてきた2人だが、こうやって話ができるのは、おとぎ話のように一時かもしれないのだ。そこでペッパーは、彼が死んでからずっと後悔していることを、そしてずっと謝りたかったことをまずは伝えようと決めた。
「トニー…ごめんなさい。あなたのこと、こんなにも愛してるのに、距離を置こうと言って、あなたを1人にしてしまった…。助けてあげられなくて…ごめんなさい…」
が、ペッパーの気持ちは痛いほど理解しているトニーは、小さく首を振った。
『いいんだ…。君が私のことを…愛してくれているのは…分かってるさ。それに、あの場で…死んだのは……、私も…アイアンマンである以上……いつ何が起こってもいいと……ずっと…覚悟はしていた……。だが…もう君のそばに……いられない……。君を…悲しませてばかり…。それが…怖くて…悔しくて…仕方ない…。ペッパー…すまない……。何も君に…伝えることもできず……すまなかった……』
トニーの目から涙が零れ落ちたが、その涙は小さな氷の粒となってしまった。

何も出来なかったなんてとんでもない。彼と過ごした日々…特に恋人になってからの日々は、人生の最良の日々の連続だったのだから…。悲しいことや辛いことも沢山あった。だが、その日々を思い返してみると、毎日が冒険のように楽しかった思い出しか蘇ってこないのだから…。
涙を拭ったペッパーは、何度も頭を振った。
「いいえ、トニー。あなたは私に沢山のものを残してくれてくれたのよ…。形のあるものだけじゃないわ。沢山の思い出…それから、ハッピーやローディのような、私たちのことを心の底から考えてくれる人…。それから、あなたのお葬式、本当に沢山の方が来て下さったの…。大人から子供まで…。それからね、世界中から、あなたへの感謝の手紙も沢山来たわ。トニー、大丈夫よ…。あなたはね、一人じゃないわ…。今までも、そしてこれからもずっと…」
青白く光るトニーの身体に触れると、氷のように冷たかった。そして彼の孤独と絶望、そして悲しみがペッパーの心に流れ込んできた。離れていても、そしてもう二度と触れ合うことができなくても、心はずっとそばにある…そう伝えれば、トニーを氷の世界から解き放つことができると考えたペッパーは、彼の小さく震える身体を抱きしめた。
と、トニーの震えが止まった。そして彼は腕を伸ばすとペッパーの背中に触れた。冷たかったトニーの身体に温かさが戻ってきた。そして青白くしか見えなかった彼に、色が戻った。
「もう、寒くない?」
『あぁ……君は…温かい……』
ペッパーをギュッと抱きしめたトニーは、ペッパーの存在を確かめるかのように、すうっと息を吸いこんだ。
生前抱き合っていた頃より、ペッパーは痩せていた。そっと目を閉じると、悲しみに打ちひしがれているペッパーの姿が浮かんだ。食事も殆ど取らず、夜は悪夢で飛び起き、泣きながら眠りにつくペッパーの姿が…。
『ちゃんと…眠れてるか?』
目の下に隈を作り、痩せてしまったペッパーの頬に優しく触れたトニーは、泣き出しそうな顔をしている。
ペッパーは気づいた。トニー自身も救いを求めて現れたのだろう。だが、自分が前へ進めていないから、トニーがいつまでも天国に行かれないのでは…と。それならば、自分は大丈夫だということをトニーに伝え、彼に安心して貰わなければならない…。
「…あなたがいないことが、こんなにも寂しくて辛いことだと思ってもいなかったわ。あなたはどんな時でも帰ってきてくれるって、ずっと思ってたから…」
涙を拭ったペッパーは、今や氷ではなく水滴になっているトニーの涙も拭った。
「でも…ちゃんと前を向かなきゃいけないのよね。私にはまだやるべきことが残ってる…。あなたが築いてきたものを私は守っていかなきゃいけないのよ。それが私の使命…。だからね、トニー。もうしばらくあなたのそばには行けないわ。だから待っててね」
『あぁ…いくらでも…待ってるさ……』
ペッパーが前に進み出してくれた…これ以上嬉しいことはあるだろうか…。
トニーの頬を撫でたペッパーは、彼の手を取ると指を絡めた。
「あなたに、愛してるって…伝えたかった。あんな喧嘩別れしちゃって……ずっと後悔してたの…。でも、こうやって、あなたに直接言えてよかったわ。私が愛してるのは、あなただけ…。永遠にあなただけ…。トニー、ありがとう…。会いに来てくれてありがとう…。私は大丈夫…。それに、あなたはずっとそばにいてくれるでしょ?だから心配しないで…」
ニッコリと笑いながらトニーを見つめると、彼も笑みを浮かべた。
『ペッパー………ありがとう…。救ってくれて…ありがとう…。愛してる………永遠に…愛してる……』
「私もよ…」
唇が触れた瞬間、トニーの身体が温かな光に包まれた。
もう思い残すことはない…。彼女のことだけが気がかりだったから。いや、実際のところ、もし可能であれば、彼女が生を全うするまで、この場にずっと留まり見守っていたい。だが、彼女は自分のいない新しい人生に向かって歩み出そうとしている。だからこれ以上辛くなる前に永遠の別れを告げるべきだろう…。
それに、そばにいられなくても、彼女のことを愛し、そして見守ることはできるのだから…。

零れ落ちそうな涙を無理矢理しまい込んだトニーは、もう一度ペッパーにキスをすると、身体を離した。
『さよなら……ペッパー……。いや……またな…』
と、トニーの姿が消えた。小さな青白い光となったトニーは、ペッパーの周りをしばらくクルクルと回っていたが、ペッパーの胸元で瞬くと、すっと消えてしまった。
「トニー…愛してるわ…」
そっと胸元を押さえたペッパーは、指輪とトニーの書いたカードを抱きしめると、1晩中涙を流し続けた。

そしてその夜以来、タワーの幽霊の噂はぷつりと途絶えた…。

***
数ヶ月後経った5月29日。
ペッパーの腕の中には、産まれたばかりの小さな男の子が眠っていた。
「トニー、ありがとう…。あなたは私に…かけがえのないものを残してくれたわ…」
トニーに瓜二つの、アンソニー・エドワード・スターク・ポッツ・Jr.と名付けた息子の胸元にトニーの写真を置くと、写真の中のトニーも嬉しそうに笑った気がした。

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