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Until the last moment⑦

翌日。
「パパ、おきてるかな?」
昨夜、家に帰った後も、ルーカスは興奮してなかなか眠らなかった。
アイアンマンの本やおもちゃを出してきては、パパだと嬉しそうに言い、ペッパーに父親の話をしろとせがみ、結局眠ったのは日付が変わった頃だった。そして今朝も朝早くから目を覚まし、父親に会いに行くと家を走り回っていたのだ。
今もスキップしながら歩く息子を見つめながら、もっと早く素直になってトニーに会わせればよかったと、ペッパーは一人考えた。

が、病室に向かうと、部屋は空っぽだった。
何かあったのかもしれないと慌ててナースステーションで尋ねると、ナースは神妙な顔をしてトニーの居場所を告げた。
「スタークさんはICUへ移動されました」
「ICUって…」
つまりトニーの容態が急変したのだろうか…。結局彼の容態は昨日も聞けず終いだったのだが、そんなに容態が悪かったのかと、ペッパーはルーカスを抱き上げるとICUへと急いだ。

ICUにはほとんど人がいなかったが、一番奥の個室には大勢のスタッフが出入りしている。きっとあそこにトニーがいるのだろうと、ペッパーは恐る恐る部屋を覗いた。
「トニー…」
か細い声で囁いたペッパーに、ベッドの周りで処置をしていた医師とナースが気が付いた。
「ポッツさん…」
悲痛な表情の医師とナースが避けると、トニーの姿が見えた。
トニーは眠っていた。口元にチューブを入れられ、胸に付けられたモニターは微弱な反応を示している。
一体どういうことなのだろうか…。
昨日も体調はあまり良くなさそうだったが普通に話をすることができたのに、今日のトニーはまるで命の火が消えそうなくらい儚く見えるのだ。
「先生…トニーは…」
状況が分からず震えるばかりのペッパーを、話があると医師は別室へ連れだそうとした。
「ルーカス、パパのそばにいてくれる?」
「うん!」
頷いたルーカスはベッドのそばの椅子によじ登ると、トニーの手を握りしめた。
部屋にいるナースにルーカスを任せたペッパーは、医師について部屋を後にした。

「実は、スタークさんの容態はあまり良くありませんでした。攻撃を受けた際に、全身を強打され、何か所か骨折されていました。そして内臓にも酷くダメージを受けており、ここに搬送された時には、心停止状態でした。スタークさんは何とか持ち直しました。ですが…今朝、容態が急変しました。30分以上心停止し…何とか蘇生しましたが…」
言葉を切った医師に、ペッパーは両手をぎゅっと握りしめた。
「先生……つまり……トニーは…もう……」
唇を震わせるペッパーに、医師は首を小さく振った。
「残念ですが…もう2、3日だと…」
その宣告に、ペッパーは目の前が真っ暗になった。
折角4年ぶりに再会し、お互いの存在の大きさに気付くことができたのに…。そしてトニーとルーカスは親子の対面をし、これから親子3人で幸せに暮らしていけると信じていたのに…。その夢はもう叶えることができないのだろうか…。
と、ここでペッパーは気付いた。ハッピーと再会した時、彼は何か言いたげだったことを…。そして昨日のトニーは、何度も『会えてよかった』と言っていたことを…。それはもしかしたら、ハッピーはもちろんのこと、トニーも自分に死が迫っていることを知っていたということなのだろうか…。

「トニーは…知ってたんですか?」
勇気を振り絞って尋ねると、医師は否定しなかった。
つまり、自分一人が知らなかったという状況に、悔しさとそして怒りが込み上げてきたペッパーは、唇を噛みしめると医師に詰め寄った。
「どうして…どうして教えて下さらなかったんです?!どうして…誰も…。私…まだトニーに………」
トニーに言いたいことは山のようにある。自分のこともだが、ルーカスが生まれてからのことを、トニーにはきちんと話してあげたかった。
悔しかった。情けなかった。どうして自分たちはいつも肝心なことを伝えることができず、離れ離れにならなくてはならないのかと…。
ポロポロと大粒の涙を零し泣き始めたペッパーだが、その肩を優しく撫でる者がいた。
ハッピーだった。
ハンカチを差し出したハッピーは、ペッパーの横に腰を下ろした。
「ペッパー、すまない。だが、ボスが口止めしたんだ。もし自分に何かあっても、ペッパーには絶対に言うなと、ボスはずっと言っていた。自分がこの世からいなくなれば…ペッパーはもう何も気にせず生きていけるからって…。知らせてもペッパーが混乱するからって…」
涙を袖口で拭ったハッピーは、懐から封筒を取り出した。
「それから…もし自分が死んだら、ペッパーにこれを渡してくれって…」
表に『ペッパーへ』とトニーの字で書かれた封筒を受け取ったペッパーは、震える手で中を取り出した。

『アンソニー・エドワード・スタークの全財産及びスターク・インダストリーズの全権限は、ヴァージニア・ポッツに譲渡する』

トニーの直筆で書かれた紙は、ペッパーにとって思いもよらぬ遺言だった。
そして、もう一枚はペッパーに宛てたトニーからの最後の手紙だった。

『ペッパー、君がこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないということだ。
ペッパー、あの時、あんな別れ方しかできなかった私を許してくれ。君は何があっても絶対に許してくれないかもしれないが…。君は何も悪くない。悪いのは全て私だ。不器用な生き方しか出来ず、君のことを泣かし、苦しめた私が悪いんだ。だから絶対に自分のことを責めないでくれ…。
ペッパー、長い間、ありがとう。君には感謝してもしきれない。君は私の全てだった。君がいるから、私は生きてこられた。例え離れ離れになったとしても、君は私の心に永遠に生き続けたのだから…。
だが、これでもう私という存在に縛られることはない。自由になってくれ…。これからは、君自身の人生を生きてくれ…。
君がこれから苦労せずに生きていけるよう、私の全財産は君に譲渡することにした。君の好きにしてくれ。これが長年君のことを苦しめた私に出来る精一杯の償いだ。
愛してる、ペッパー。今更言っても遅いが…、私が愛するのは永遠に君だけだ。
さよなら、ヴァージニア…』

トニーの想いの詰まった手紙に、ペッパーは涙が止まらなかった。
手紙を抱きしめたペッパーは、その場に崩れ落ちると、人目を憚らず泣き始めた。トニーの名を呼び泣き叫ぶペッパーの姿に、ハッピーはどう声をかけていいのか分からなかったが、トニーの最期の言葉を伝えようと、ペッパーの肩をそっと抱き寄せた。
「ボス…意識を失う前に…言ったんだ。ペッパーとルーカスに…ありがとう…愛していると伝えてくれって…。それが…トニーの最期の言葉だ…」
肩に置かれたハッピーの手は震えている。
トニーは最後まで自分たちのことを考え続けてくれたのだ。それなのに、自分は彼のそばにいることができなかった…。
「ハッピー…私……私…」
顔を歪めたペッパーは、ハッピーに抱き付くと子供のように泣き始めた。そんなペッパーをハッピーは静かに涙を流しながら黙って抱きしめ続けた。

しばらく経ってようやく落ち着きを取り戻したペッパーは、息子に話をしなくてはと、ICUに戻った。
真っ赤に泣き腫らした目の母親に、ルーカスは何事かと驚いた。が、先程からいくら話しかけても父親は目を覚まさないのだから、母親に報告しなくてはと、ルーカスは椅子から降りると母親の足に捕まった。
「ママ?パパはどうしておきないの?」
無邪気に言うルーカスを抱きしめたペッパーは、何とか気丈に振舞おうとしたが無駄だった。
「ルーカス……、パパは…パパは……」
ポロポロと大粒の涙を流し始めた母親は震えており、ルーカスは母親の背中をそっと撫でた。
「パパはね……もう……起きないの……」
何とかそう告げたペッパーは、ルーカスを抱きしめ泣き始めた。
『もう起きない』とはどういうことなのだろうか…。必死で考えたルーカスは、先日の幼稚園での出来事を思い出した。幼稚園で飼っていたウサギの1匹が死んでしまったのだ。その時に先生は『ウサギさんはね、もう目を覚まさないの。天国に行ったのよ。だからウサギさんが天国で元気に遊べるように、みんなでお祈りしましょうね?』と言っていた。
つまり、父親はもう2度と目を覚ますことなく、ウサギと同じように天国に行ってしまうのだろうか…。

「パパ……しんじゃうの?」
ポツリと呟いたルーカスの言葉に、ペッパーは何と言えばいいのか分からなかったが、力なく頷いた。悲しみに暮れる母親に、ルーカスは頬を膨らませると叫んだ。
「いや!ぼく、パパといっしょにあそびたい!パパとロボットつくるんだもん!パパ!パパ!」
大声で泣き始めたルーカスはペッパーから身体を離すとトニーの元へ向かった。
「パパ!おきて!パパ!パパ!!」
そう叫んだルーカスは、ポカポカとトニーを叩き始めた。
「ルーカス…」
息子を背後から抱きしめると、ルーカスはペッパーにしがみつき号泣し始めた。
「ママ……パパはてんごくにいかないよね?ママとぼくといっぱいごはんたべるっていってたもん…。ぼく、パパにだいすきっていってないのに…」
「そうよ…。パパにはまだやらないといけないことが沢山あるわ。だからパパは…トニーはまだ天国になんて行かないわ…」

グズグズと泣き続けたルーカスは、暫くすると泣き疲れ眠ってしまった。息子をソファーに寝かせたペッパーは、椅子に座るとトニーの手を握りしめた。
「トニー…お願い…。戻ってきて…。私たち…4年前のあの日から…やり直しましょ?あなたと私と…それからルーカスと、親子3人で…。愛してる…あなたのこと、世界一愛してる…。だからお別れなんて言わないで…。お願い…トニー…。お願いだから…。私…あなたに…伝えたいことがたくさんあるの…。まだまだ一緒にやりたいことがたくさんあるの…。あなたの好きな物を作ってあげたいわ…。あなたに美味しい料理、沢山食べさせてあげたいの…。それから…沢山キスして欲しいの…。だからお願い……。私を置いて逝かないで…」
トニーの手を握りしめ祈るように頭を垂れたペッパーの目から涙が溢れ出て、トニーの手を濡らしていった。
その様子をハッピーは部屋の外から泣きながら見つめていた。

⑧へ…

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Until the last moment⑥

「ママ!」
いつもよりも少し遅めのお迎えに、幼稚園の玄関ではルーカスが座り込んで待っていたが、彼は母親の姿を見ると手に持っていた物を自慢するように走ってきた。
「ママ、あのね。トニーにこれ、つくったんだ!」
それは厚紙で作ったアイアンマンだった。
「あら、上手に作ったのね」
「うん!」
母親に褒められキラキラと瞳を輝かせたルーカスだが、その母親は良い事でもあったのか、子供のルーカスから見てもとても幸せそうだった。
「ねぇ、ルーカス。トニーのお見舞いに行く?」
母親の口からトニーの見舞いに行こうという提案が出たのには驚いたルーカスだが、こんなチャンスは滅多にないかもしれないと、彼は喜びのあまりその場で飛び上がった。
「うん!」

病院に到着すると、そのまま走って行きそうなルーカスを押しとどめるように手を繋いだペッパーは、ゆっくりと歩き出した。
先ほどの2人きりの時間を思い出すと、身体の奥底が疼いてしまう。トニーといるとどうしても1人の女性になってしまうのだが、今は小さな息子がいるのだ。母親としての顔を引っ張り出したペッパーは、いつの間にか到着していた病室のドアをノックするとそっと開けた。

「トニー!」
ベッドに駆け寄ったルーカスに、目を覚ましていたトニーはニヤリと笑いかけた。
「よう、ルーカス。元気にしてたか?」
トニーの顔色は先程よりも悪い。容態はどうなのか本人に聞こうとしたペッパーだが、ルーカスが楽しそうにトニーに話しかけているのを見ると、後にしようと口を噤んだ。
「あのね。これ、ようちえんでつくったの。トニーにあげる!」
アイアンマンを差し出したルーカスと、それを受け取ったトニーの笑顔はそっくりだ。
「凄いな、上手にできてるじゃないか」
憧れのヒーローに褒められたのだ。ルーカスは嬉しくてたまらなかったのだが、それを見守る母親も今朝までとは違い嬉しそうで、2人とも機嫌の良い今なら、本当のことを教えてくれるかもしれないとルーカスは考えた。
「ねぇ、トニー。きいていい?」
遠慮がちに聞いてくるルーカスの頭をくしゃっと撫でたトニーは大きく頷いた。
「あぁ」
ニコニコしているトニーに安心したルーカスは、母親に聞くとまたはぐらかされるかもしれない質問をトニーにぶつけた。
「トニーとママはおともだちだったの?」
トニーは思わずペッパーを見た。
一体どう説明すればいいのかと、困惑するトニーだが、ペッパーはここに戻ってくる間に覚悟を決めていた。息子に真実を話そうと。
そしてきっとトニーは受け入れてくれると信じていた。

ベッドサイドの椅子に腰を下ろしたペッパーは息子を膝の上に乗せると言葉を選びながら話し始めた。
「ママとトニーは…一緒に働いてたの。それからね、一緒に暮らしてたの」
目を丸くしたルーカスは、トニーとペッパーを交互に見つめた。
黙ったままのトニーは視線を伏せているが、きっと言葉に詰まれば彼は手助けしてくれると、ペッパーは信じ話し続けた。
「ママとトニーは愛し合ってわ。トニーはね、いつだってママの世界の中心だったの。ママはトニーのためなら、何だってしてみせるってずっと思ってたわ。トニーも…ママのことを命を懸けて守ってくれたの。だけどね、トニーはアイアンマン。アイアンマンの敵は沢山いるの。だからトニーはママを守るために…お別れすることになったの」
ルーカスはいつになく真剣に話を聞いている。
「トニーとお別れして…ママは一人ぼっちになってしまったの。だけどね…それからすぐに一人ぼっちじゃないって分かったの。ママのお腹には…赤ちゃんがいたの…」
「あかちゃんって…ぼくのこと?」
トニーに似て聡明な彼は、話をきちんと理解しているようだ。
「そうよ…」
ルーカスの頭を撫でたペッパーは、すぅっと息を吸いこんだ。
トニーは相変わらず視線を伏せたままで、その手は小さく震えていた。おそらく、ルーカスがどのような反応を示すか分からず怖いのだろう。
(大丈夫…大丈夫よ、トニー。だってこの子はあなたの子だから…)
心の中でそう囁いたペッパーは、ルーカスの手を取るとトニーの手の上に重ねた。そして自分の手もその上に重ねると2人の手を両手で包み込んだ。

「ルーカス、トニーは…あなたのパパよ」

ゆっくりと一言一言噛みしめるように告げると、ルーカスは何度も瞬きをした。
そして母親とトニー…いや、父親の顔を見比べると、もう一度母親に顔を向けた。
「トニーが…ぼくの…パパ?」
驚いたように口を覆ったルーカスの瞳には戸惑いの色が浮かんでいたが、次第に喜びの色が濃くなってきたではないか。
「そうよ。あなたのパパ…。世界でたった1人の…あなたのパパよ」
母親の言葉にルーカスが大きく頷いた。そして彼はトニーに顔を向けると、上目遣いで父親を見つめた。
「トニー……。ぼくのパパなの?」
ルーカスの言葉に、トニーはようやく顔を上げると息子を見つめた。
「あぁ、そうだ」
父親の力強い視線と言葉に、ルーカスは彼が本当に自分の父親なのだと確信した。が、何故今まで黙っていたのだろうかという疑問が彼の小さな胸に襲いかかった。
「パパなら…どうしてぼくにあいにきてくれなかったの?」
口を尖らせたルーカスは、ぐすっと鼻を啜った。
「ぼく…ずっとパパにあいたかったのに…」
彼の大きな瞳には、みるみるうちに涙が浮かび、息子の涙にペッパーとトニーは胸が痛んだ。
「ルーカス、違うの。ママがね、パパに知らせなかったの。パパはあなたのこと、知らなかったの。ママが意地を張ったせいで…パパはあなたに会うまであなたのことを知らなかったの…。ごめんなさい、ルーカス…」
「いや、ペッパーは…ママは悪くない。悪いのは…パパだ…。君たちを守る方法は他にもあったはずなのに…。ペッパー、君のことを傷つけてしまった…。すまなかった、ペッパー…。それから、ルーカス…許してくれ…」
お互い謝ってばかりの父親と母親を見つめたルーカスは、涙を拭った。
どうやらパパとママは子供の自分には難しい事情で別れ、今まで会えなかったらしい…と理解したルーカスは、トニーの手をそっと握りしめた。
「パパ…ぼくにあえてうれしかった?」
息子の言葉に、トニーは今日一番の笑顔を見せた。
「もちろんだ。出来ることなら、お前が産まれる前に戻りたいくらいだ…」
こんな父親の笑みは見たことがなかった。テレビで見るアイアンマンは、いつも悲しそうな顔をしていた。だが目の前で笑っているトニー・スターク…いや父親は本当に嬉しそうで、顔を歪めたルーカスは大粒の涙を流し始めた。
「パパ……。ぼく……。トニーがぼくのパパでよかったよ…」
泣きだしたルーカスは腕を伸ばすとトニーに抱きついた。声を上げて泣き始めた息子の小さな身体を抱きしめたトニーの目からも涙が零れ落ちた。

(ようやく大切な物を取り戻すことができた…。間に合ってよかった…)

大きく深呼吸したトニーはペッパーに向かって腕を伸ばした。
その手を握りしめたペッパーも、涙を流し喜んでくれている。
「ペッパー…愛してる…。よかった…。君にまた愛してると言えて…。それから、ルーカスにも…。私たちの息子にも会えて良かった…」
4年間離れていた時の想いを吐き出すかのように、トニーは何度もペッパーに向かって『愛している』と言い続けた。
「私も…愛してるわ…」
トニーに抱きついたペッパーは彼に何度もキスをしながら祈った。
この幸せが今度こそ永遠に続きますように…と。

⑦へ…

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Until the last moment⑤

それから数日後。
幼稚園にルーカスを送り仕事に向かおうとしていたペッパーの元にハッピーからメールが届いた。
『一応知らせておく。ボスが意識を取り戻した』

ペッパーは迷った。このままもうトニーとは会わない方がいいのかもしれない。
だがあの日、ハッピーからトニーの話を聞いたペッパーはずっと一人で考えていた。
このままお互い何事もなかったかのように生き続けるべきなのかもしれないが、こうやって再会したということは、そろそろ自分の気持ちに素直になれということなのかもしれないと。そしてそれはきっとルーカスにとっても良いことになるだろうから…。
(きっと神様が与えてくださったチャンスなのよ…)
そう考えたペッパーは、仕事先に今日は休むと連絡すると、病院へ向かった。

まさかペッパーが来るとは思っていなかったのだろう。
ペッパーの姿を見たトニーは言葉を失ってしまった。
トニーの顔色は酷く悪い。それに息苦しいのか何度も大きく息を吸い込んでいる。
「大丈夫?」
不安に眉を潜めたペッパーは椅子に座ると無意識のうちにトニーの手を握りしめた。ペッパーの手は共にいた頃と変わらず温かく、懐かしい感触にトニーは少しだけ頬を緩めた。
「あぁ…」
目を閉じたトニーは久しぶりに心が晴れ渡る気がしたが、2人きりという状況はどうも居心地が悪い。
「ルーカスは?」
彼にとって今やペッパーと同等に大切な小さな存在が見当たらないことに気付いたトニーは、繋いだ手をキュッと握り返した。
「幼稚園に行ってるわ」
「そうか…」
トニーの残念そうな声色に、今の彼なら絶対に全てを受け入れてくれると感じたペッパーは、自分の想いを話すことにした。
「あの子…日に日にあなたに似てくるの…。寝顔はあなたにそっくりよ…。生まれた時からアイアンマンが大好きで…。それに…教えてないのに、ロボットを作り始めたわ…。あの子ね…本当に父親にそっくりなの」
トニーは視線を伏せ黙ったままだ。
「妊娠が分かったのは…あなたと別れてすぐよ…。あなたに知らせようと思った…。でも、あなたは私を捨てた…。私から…仕事も何もかも奪った…。だからあなたのことが…憎くて堪らなかったから…知らせる必要はないって思おうとしたの。でもね…あの子を見る度に…あなたを思い出した…。あの子、あなたに何もかもがそっくりだったから…。だからあの子を見る度に、あなたが恋しくて堪らなかった…。それにね、気づいたの。あの子が生まれて…守るべき存在が増えて、ようやく気付いたの。あなたは私を守るために…自分が悪者になって、私を捨てたんだって…。だからね…本当は何度もあなたに連絡を取ろうかと思ったわ…。1人で戦うあなたを見る度に…。でも、出来なかった…。あなたの思いを…あなたが選んだ道を…無駄にしたくなかったから…」
ペッパーの目から零れ落ちた涙がトニーを手を濡らしていった。トニーの目にも薄っすらと涙が浮かんでおり、その涙を隠すようにトニーはギュッと目を閉じた。涙を拭ったペッパーは、トニーの手を両手で包み込むと甲にそっと口づけした。
「でも…間違ってたわ…。私ね…あなたのこと…忘れたくても忘れられなかったんだって…。この間、あなたと再会して…あなたのこと…憎らしいほど愛してるって…あなたは私の人生そのものなんだって気付いたの」

つまりペッパーは自分のことをまだ愛してくれており、やり直したいと考えているのだろうか…。だがそれは、ペッパーを苦しめることになるかもしれない。彼女とやり直したところで、結局自分は今の生き方を変えることはできないだろうから…。
それでもトニーは伝えたかった。彼女を愛していることを…。決して嫌いになり別れを決断した訳ではないことを…。それを伝えられるのはおそらくこれが最後のチャンスだから…。

何度か深呼吸したトニーは、ペッパーの目をしっかりと見つめた。
「ペッパー…。あの日…君に会ったのは…偶然ではないんだ。社員に、君を偶然見かけたと言われ、君のことが気になって…様子を見に行ったんだ…」
偶然を装っていたあの再会が偶然ではなかったと知り、ペッパーは目を少しだけ丸くした。
「ペッパー…君のこと忘れられなかったのは…私も同じだ。私が愛してるのは君だけだから…。だが…もう遅いよな…。君は新しい人生を歩んでいる…。平穏で幸せな人生を…。だから、君とルーカスを危険に晒す訳にはいかないんだ…」
自傷気味に笑ったトニーは、ペッパーの手を離すと頭を下げた。
「すまない、ペッパー…。本当にすまない…。私は馬鹿な男だ。君を傷つけた上に、さらに君のことを傷つけようとしている…。これ以上、君の人生に私は存在してはいけないんだ…。だからペッパー、もう2度と…君とルーカスには会わない…」
頭を下げ続けるトニーは震えていた。必死で自分の感情を押し殺し、とにかくペッパーとルーカスのことだけを考えている彼の姿に、ペッパーは胸が締め付けられた。

思いは今も同じなのに、すれ違ってしまった道はもう元に戻らないのだろうか…。
いや、それは違う。トニーが自分たちを守りたいように、自分もトニーを守りたいのだから…。そしてそれはきっとルーカスも同じはず…。
今ならまだ間に合う…。この再会はきっともう一度やり直しても大丈夫ということなのだから…。

堪らなくなったペッパーは、ベッドに腰掛けると小さく震えるトニーをギュッと抱きしめた。
「トニー…あなたはいつだって私の世界の中心なの…。このままルーカスと2人で生きていくのも道なのかもしれない。だけどね、違うの。私の心にはね、大きな穴が開いたままなの。あなたがいないと、その穴は埋まらない…。だからお願い…。そばにいさせて…。あなたのこと…愛しているの」
何と言うことだろう。ペッパーは全てを赦し、再び自分を受け入れようとしてくれているのだ。
彼女に悲しみと苦しみしか遺してやれないと思っていたが、つかの間でも愛情と喜びを遺すことを神は御赦しになるだろうか…。
「ペッパー…愛してる…」
ペッパーを抱きしめたトニーは唇を奪った。
4年ぶりのキスに、ペッパーの目からは嬉し涙が流れ落ちた。
貪るようにお互いの口腔内を味わいながら、ペッパーはトニーの身体に跨った。
「あぁ…トニー……お願い…」
キスの合間に囁いたペッパーは、トニーの涙を拭うと包帯の巻かれた胸元に指を滑らせた。

***
お互いの叫び声を飲みこむようにキスをした2人は、同時に達した。
トニーが入り込んできた時もそうだったが、身体の奥深くがトニーの放った温かい物で満たされた瞬間、ペッパーはようやく自分があるべき場所に戻って来たと感じた。
倒れ込んできたペッパーを腕の中に閉じ込めたトニーは、余韻に浸るようにペッパーの首筋にキスを繰り返した。

と、ペッパーの携帯のアラームがけたたましい音を立てて鳴り始めた。
その音に現実に引き戻されたペッパーは、どこかぼんやりしているトニーから身体を離すと起き上がった。
「ごめんなさい…お迎えに行かないと…」
慌ただしく身だしなみを整えたペッパーは、トニーにキスをするとニッコリと笑みを浮かべた。
「後でルーカスを連れてくるわね」
そう言い残すと部屋を出て言ったペッパーだが、その後ろ姿を見つめながらトニーは祈った。
(神よ…もう少しだけ…もう少しだけ時間を下さい…)

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Until the last moment④

数日後。
「ママ!アイアンマン!」
TVを見ていたルーカスの声に画面にちらりと目をやると、すぐ隣の町でアイアンマンは敵と戦っていた。が、かつての仲間はそこにはいなかった。アイアンマンはたった1人で強大な敵に立ち向かっていた。

と、アイアンマンが敵に吹き飛ばされた。
思わず拳を握りしめたペッパーは祈るようにTVを見つめるしかなかった。

暫くのち、何とか敵を倒したアイアンマンだったが、彼はその場にバッタリと倒れてしまった。
彼のそばにいたあの頃、幾度となく見ていた光景に、ペッパーは胸が締め付けられた。
(トニー…)
彼は何故そこまでして戦うのだろうか…。
自分の人生を犠牲にし、世間から非難されても、何故戦い続けることができるのだろうか…。

TVからは、アイアンマンことトニー・スタークは重傷を負い、病院に運ばれたと繰り返し流れている。搬送された病院は、奇しくもこの街の病院だった。
「ねぇ、ママ。トニー、だいじょうぶかなぁ?」
不安げなルーカスを安心させるように、ペッパーは何度も深呼吸すると、駆け寄ってきた小さな息子を抱きしめた。
「大丈夫よ、きっと…」
が、ルーカスは気づいた。母親の手が小さく震えていることに…。きっと母親もトニーのことが心配で堪らないに違いない。それならば、2人でお見舞いに行けばいいと考えたルーカスは、母親の顔色を伺うように尋ねた。
「ぼく、トニーのおみまいにいっていい?」

翌日、病院に向かうと、大勢のマスコミが押しかけていた。正面から入れば気づかれてしまうと考えたペッパーは、裏口に向かったのだが、そこには見慣れた人物がいた。
「ハッピー…」
電話中だったハッピーは名前を呼ばれ振り返ったが、ペッパーの姿を見た途端、あんぐりと口を開けたまま固まってしまった。
「ペッパー……」
ようやく我に返ったハッピーに、ペッパーは悲しそうに笑った。
「この子が…トニーのお見舞いに行きたいって言うから…」
ルーカスに目を向けたハッピーは、息を飲んだ。おそらく、誰が父親か悟ったのだろう。だがハッピーもそれを口に出すほど馬鹿ではなかった。
肩を竦めたペッパーは病室に案内すると、何も言わず先を歩き始めた。

病室に入ると、トニーは眠っていた。
「ボスは…その…。まだ意識が戻らないんだ…」
何か言いたげなハッピーなのに、彼はそれを言うべきか迷っているようだった。
それでも何とか会話の糸口を掴もうと考えたペッパーは、ベッドサイドの椅子に座り、眠るトニーを不安げに見つめる息子の頭をそっと撫でた。
「彼…何か言ってた?」
チラリとルーカスに視線を送ったハッピーは、小さく首を振った。
「ペッパーと偶然再会したって。それから、彼女の息子にも会ったって…。ボスが言ったのはそれだけ…」
そう言ったハッピーは何度か深呼吸すると、重い口を開いた。
「ペッパー、君とトニーはもう、何の関係もないから、話す必要はないかもしれない…。だけど…この4年間のこと…話させてくれ」
ふぅともう一度深呼吸をしたハッピーは、ルーカスには聞こえないような静かな声で話し始めた。
「トニー、言ってた。4年間、君と別れると決めた後…。もう2度と彼女には会わない。会えば恋しくなるに決まってる。彼女のことは、これからも永遠に愛しているんだって。自分といるとペッパーはいつも危険に晒される。いつも心配ばかりかける。だから自分が身を引こうと決めたって。ペッパーに話せば、そんなことはないと言うだろうから、絶対に理由は言わないと。嫌われてもいい…憎まれてもいい…。ペッパーが幸せに生きてくれるなら…自分はどんなに非難されても、辛くても耐るって…。だけど、トニー、酔っ払うと泣くんだ。ペッパーに会いたいって…」
ぐすっと鼻を啜ったハッピーは、この4年間を思い出したのか、目に浮かんだ涙を乱暴に袖口で拭った。
「あれから色んなことがあったんだ。トニーはずっと一人ぼっちで生きてきた…。仲間に裏切られて…世間からは非難されて…。それでもトニーは戦い続けた。自分が傷ついても闘い続けるトニーを見続けるのは、正直きつかった。だから聞いたんだ。どうして闘い続けるのかって。そしたらボスは言ったんだ。君が…ペッパーがどこかで元気に暮らしてるだろうから…。だから彼女のために、この世界を守りたいって…」
やはりそうだった。トニーが戦い続けるのは全て『ペッパーのため』だったのだ。
自分自身を犠牲にしても、彼はひたすら『ペッパーのため』に闘い続けていたのだ。
その彼の気持ち、一番分かっていたはずなのに…。どうしてその思いに気付いていながら気付かぬふりをして過ごしてしまったのだろうか…。それでも彼のその気持ちを無駄にするわけにはいかないのだ。
ペッパーの頬を涙が幾筋も伝わったのを見たハッピーも確信した。彼女もまだトニーの事を愛していると…。
「今更遅いかもしれない。だけど、トニーは君のこと、今でもずっと愛してるんだ…」
何とか2人の気持ちを取り戻そうとそう告げたハッピーだが、ペッパーは首を振った。
「分かってる…。トニーの気持ち…分かってるわ…。でも…ごめんなさい…。もう…遅いの…」
静かに涙を流し続けるペッパーは、ルーカスの手を引くと病室を後にした。
そしてハッピーは、結局肝心な話をペッパーに出来ずに見送るしかなかった。

⑤へ…

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Until the last moment③

その夜。
母親に大好きなアベンジャーズの本を読んでもらったルーカスは、ベッドの中に潜り込むと、今日のトニーとのひと時を思い出した。
憧れのアイアンマン。アイアンマンはルーカスにとって、たった1人のヒーローだった。友達の中には、アイアンマンの悪口を言う子もいた。何故か分からないが、ルーカスは幼い頃からアイアンマンのことだけが大好きだった。だが母親は、アイアンマンのことを好きだと言って欲しくないようだった。その話をすると、母親はとても悲しそうな顔をするのだ。どうしてなのか分からなかった。が、今日、そのアイアンマンが目の前に現れた。自分のことを助けてくれた。そしてたくさん話をした。
母親はアイアンマンのことはよく知らないと言っていたのに、知り合いのように話していた。アイアンマン…いや、トニーの方も、母親のことを知っているようだった。
が、2人の間にはギクシャクした雰囲気が漂っていたのだから、聞いていいものか迷ったルーカスは暫く自問していたが、勇気を出して聞いて見ることにした。
「ねぇ、ママ。トニーのこと、しってるの?」
「え…」
確かにあのやりとりでは、小さな息子でもそう思うのは無理もないかもしれない。言葉に詰まったペッパーの顔色を見ながら、ルーカスは感じたことを素直に口に出した。
「ママ、トニーにあってね、とってもかなしそうだったけどね、ちょっとだけうれしそうだったから…」
ルーカスには、自分の心の奥底に封印したはずの本当の気持ちを見抜かれていたのだ。
泣き出しそうになった母親に気付いたルーカスは、慌てて話題を変えようとした。
「ねぇ、ママ。トニーのおうちにあそびにいってもいい?トニーのおうちね、ロボットがあるんだって!ぼく、ロボット……」
「ダメ!」
思わず声を荒げたペッパーに、ビクッと身体を震わせたルーカスは、申し訳なさそうに毛布に潜り込んだ。
「ごめんなさい…」
顔色を伺うように見上げてくるルーカスのその仕草はトニーそっくりで、声を上げて泣きたい気持ちを押さえ込んだペッパーは、息子の頭をゆっくりと撫でた。
「トニーのお家は、ここから遠い所にあるの。だからすぐには行かれないよ」

暫くして、ルーカスは眠ってしまった。
立ち上がったペッパーは、息子の部屋を見渡した。
ルーカスはアイアンマンが大好きだった。他にもヒーローはたくさんいるのに、生まれた時からアイアンマン以外のヒーローには見向きもしないのだ。それに、何も教えていないのにロボットを組み立て始めたのは、ルーカスが3歳になる前のことだった。
日に日に父親に似てくる息子の何気ない仕草にも、ペッパーはトニーを思い出し胸を痛めていたのだ。
今日、偶然にも再会したのだから、親子の対面をさせてあげればよかったのかもしれない。だが、もう遅いのだ。この4年間は何をしても取り返しがつかないのだから…。

ふぅと溜息をついたペッパーは、息子を起こさないようにそっと部屋を後にした。
寝室に向かったペッパーは、クローゼットの中から小さな箱を取り出した。
中にはモナコで撮影した1枚の写真と、そしてトニーから贈られたあの破片が飾られたネックレスが入っていた。
これ以外のトニーとの思い出の品は全て処分した。が、この2品だけはどうしても捨てられなかった。いつか真実を息子に話した時に、父親の形見だとこれだけは渡さなければと残しておいたのだ。

4年ぶりに会ったトニーは、疲れきった顔をしていた。4年という歳月以上に歳をとって見えた。
自分と別れた後の彼は、一体どのような暮らしをしていたのだろう…。きっとろくな物を食べず、ラボに篭り、一人孤独に…。

ハッと我に返ったペッパーは頭を振った。
トニーと再会してから、気がつけば彼のことばかり考えている。
せっかく彼のことを忘れて…いや、忘れようと必死に生きてきたのに…。
仕事も友達も何もかも失った。彼に捨てられたのだからと、彼のことを憎んで生きようとしてきたのに…。
それが今日、彼と再会して…つかの間の再会だったにも関わらず、彼への愛は変わらず自分の中に残っていると気づいてしまった。

ネックレスを身につけたペッパーに、あの時のトニーの言葉が蘇った。
『私の心だ。世界一大切な君に捧げる…』
マンダリン…いや、キリアンの事件の時、2人で苦難を乗り越えた。これから何があっても2人でなら必ず乗り越えられると信じていたのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう…。

「どうしよう…。私は…トニーのことを…愛してる…」

本心を口に出したペッパーは、写真を抱きしめると、一晩中静かに涙を流した。

④へ…

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