翌日。
「パパ、おきてるかな?」
昨夜、家に帰った後も、ルーカスは興奮してなかなか眠らなかった。
アイアンマンの本やおもちゃを出してきては、パパだと嬉しそうに言い、ペッパーに父親の話をしろとせがみ、結局眠ったのは日付が変わった頃だった。そして今朝も朝早くから目を覚まし、父親に会いに行くと家を走り回っていたのだ。
今もスキップしながら歩く息子を見つめながら、もっと早く素直になってトニーに会わせればよかったと、ペッパーは一人考えた。
が、病室に向かうと、部屋は空っぽだった。
何かあったのかもしれないと慌ててナースステーションで尋ねると、ナースは神妙な顔をしてトニーの居場所を告げた。
「スタークさんはICUへ移動されました」
「ICUって…」
つまりトニーの容態が急変したのだろうか…。結局彼の容態は昨日も聞けず終いだったのだが、そんなに容態が悪かったのかと、ペッパーはルーカスを抱き上げるとICUへと急いだ。
ICUにはほとんど人がいなかったが、一番奥の個室には大勢のスタッフが出入りしている。きっとあそこにトニーがいるのだろうと、ペッパーは恐る恐る部屋を覗いた。
「トニー…」
か細い声で囁いたペッパーに、ベッドの周りで処置をしていた医師とナースが気が付いた。
「ポッツさん…」
悲痛な表情の医師とナースが避けると、トニーの姿が見えた。
トニーは眠っていた。口元にチューブを入れられ、胸に付けられたモニターは微弱な反応を示している。
一体どういうことなのだろうか…。
昨日も体調はあまり良くなさそうだったが普通に話をすることができたのに、今日のトニーはまるで命の火が消えそうなくらい儚く見えるのだ。
「先生…トニーは…」
状況が分からず震えるばかりのペッパーを、話があると医師は別室へ連れだそうとした。
「ルーカス、パパのそばにいてくれる?」
「うん!」
頷いたルーカスはベッドのそばの椅子によじ登ると、トニーの手を握りしめた。
部屋にいるナースにルーカスを任せたペッパーは、医師について部屋を後にした。
「実は、スタークさんの容態はあまり良くありませんでした。攻撃を受けた際に、全身を強打され、何か所か骨折されていました。そして内臓にも酷くダメージを受けており、ここに搬送された時には、心停止状態でした。スタークさんは何とか持ち直しました。ですが…今朝、容態が急変しました。30分以上心停止し…何とか蘇生しましたが…」
言葉を切った医師に、ペッパーは両手をぎゅっと握りしめた。
「先生……つまり……トニーは…もう……」
唇を震わせるペッパーに、医師は首を小さく振った。
「残念ですが…もう2、3日だと…」
その宣告に、ペッパーは目の前が真っ暗になった。
折角4年ぶりに再会し、お互いの存在の大きさに気付くことができたのに…。そしてトニーとルーカスは親子の対面をし、これから親子3人で幸せに暮らしていけると信じていたのに…。その夢はもう叶えることができないのだろうか…。
と、ここでペッパーは気付いた。ハッピーと再会した時、彼は何か言いたげだったことを…。そして昨日のトニーは、何度も『会えてよかった』と言っていたことを…。それはもしかしたら、ハッピーはもちろんのこと、トニーも自分に死が迫っていることを知っていたということなのだろうか…。
「トニーは…知ってたんですか?」
勇気を振り絞って尋ねると、医師は否定しなかった。
つまり、自分一人が知らなかったという状況に、悔しさとそして怒りが込み上げてきたペッパーは、唇を噛みしめると医師に詰め寄った。
「どうして…どうして教えて下さらなかったんです?!どうして…誰も…。私…まだトニーに………」
トニーに言いたいことは山のようにある。自分のこともだが、ルーカスが生まれてからのことを、トニーにはきちんと話してあげたかった。
悔しかった。情けなかった。どうして自分たちはいつも肝心なことを伝えることができず、離れ離れにならなくてはならないのかと…。
ポロポロと大粒の涙を零し泣き始めたペッパーだが、その肩を優しく撫でる者がいた。
ハッピーだった。
ハンカチを差し出したハッピーは、ペッパーの横に腰を下ろした。
「ペッパー、すまない。だが、ボスが口止めしたんだ。もし自分に何かあっても、ペッパーには絶対に言うなと、ボスはずっと言っていた。自分がこの世からいなくなれば…ペッパーはもう何も気にせず生きていけるからって…。知らせてもペッパーが混乱するからって…」
涙を袖口で拭ったハッピーは、懐から封筒を取り出した。
「それから…もし自分が死んだら、ペッパーにこれを渡してくれって…」
表に『ペッパーへ』とトニーの字で書かれた封筒を受け取ったペッパーは、震える手で中を取り出した。
『アンソニー・エドワード・スタークの全財産及びスターク・インダストリーズの全権限は、ヴァージニア・ポッツに譲渡する』
トニーの直筆で書かれた紙は、ペッパーにとって思いもよらぬ遺言だった。
そして、もう一枚はペッパーに宛てたトニーからの最後の手紙だった。
『ペッパー、君がこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないということだ。
ペッパー、あの時、あんな別れ方しかできなかった私を許してくれ。君は何があっても絶対に許してくれないかもしれないが…。君は何も悪くない。悪いのは全て私だ。不器用な生き方しか出来ず、君のことを泣かし、苦しめた私が悪いんだ。だから絶対に自分のことを責めないでくれ…。
ペッパー、長い間、ありがとう。君には感謝してもしきれない。君は私の全てだった。君がいるから、私は生きてこられた。例え離れ離れになったとしても、君は私の心に永遠に生き続けたのだから…。
だが、これでもう私という存在に縛られることはない。自由になってくれ…。これからは、君自身の人生を生きてくれ…。
君がこれから苦労せずに生きていけるよう、私の全財産は君に譲渡することにした。君の好きにしてくれ。これが長年君のことを苦しめた私に出来る精一杯の償いだ。
愛してる、ペッパー。今更言っても遅いが…、私が愛するのは永遠に君だけだ。
さよなら、ヴァージニア…』
トニーの想いの詰まった手紙に、ペッパーは涙が止まらなかった。
手紙を抱きしめたペッパーは、その場に崩れ落ちると、人目を憚らず泣き始めた。トニーの名を呼び泣き叫ぶペッパーの姿に、ハッピーはどう声をかけていいのか分からなかったが、トニーの最期の言葉を伝えようと、ペッパーの肩をそっと抱き寄せた。
「ボス…意識を失う前に…言ったんだ。ペッパーとルーカスに…ありがとう…愛していると伝えてくれって…。それが…トニーの最期の言葉だ…」
肩に置かれたハッピーの手は震えている。
トニーは最後まで自分たちのことを考え続けてくれたのだ。それなのに、自分は彼のそばにいることができなかった…。
「ハッピー…私……私…」
顔を歪めたペッパーは、ハッピーに抱き付くと子供のように泣き始めた。そんなペッパーをハッピーは静かに涙を流しながら黙って抱きしめ続けた。
しばらく経ってようやく落ち着きを取り戻したペッパーは、息子に話をしなくてはと、ICUに戻った。
真っ赤に泣き腫らした目の母親に、ルーカスは何事かと驚いた。が、先程からいくら話しかけても父親は目を覚まさないのだから、母親に報告しなくてはと、ルーカスは椅子から降りると母親の足に捕まった。
「ママ?パパはどうしておきないの?」
無邪気に言うルーカスを抱きしめたペッパーは、何とか気丈に振舞おうとしたが無駄だった。
「ルーカス……、パパは…パパは……」
ポロポロと大粒の涙を流し始めた母親は震えており、ルーカスは母親の背中をそっと撫でた。
「パパはね……もう……起きないの……」
何とかそう告げたペッパーは、ルーカスを抱きしめ泣き始めた。
『もう起きない』とはどういうことなのだろうか…。必死で考えたルーカスは、先日の幼稚園での出来事を思い出した。幼稚園で飼っていたウサギの1匹が死んでしまったのだ。その時に先生は『ウサギさんはね、もう目を覚まさないの。天国に行ったのよ。だからウサギさんが天国で元気に遊べるように、みんなでお祈りしましょうね?』と言っていた。
つまり、父親はもう2度と目を覚ますことなく、ウサギと同じように天国に行ってしまうのだろうか…。
「パパ……しんじゃうの?」
ポツリと呟いたルーカスの言葉に、ペッパーは何と言えばいいのか分からなかったが、力なく頷いた。悲しみに暮れる母親に、ルーカスは頬を膨らませると叫んだ。
「いや!ぼく、パパといっしょにあそびたい!パパとロボットつくるんだもん!パパ!パパ!」
大声で泣き始めたルーカスはペッパーから身体を離すとトニーの元へ向かった。
「パパ!おきて!パパ!パパ!!」
そう叫んだルーカスは、ポカポカとトニーを叩き始めた。
「ルーカス…」
息子を背後から抱きしめると、ルーカスはペッパーにしがみつき号泣し始めた。
「ママ……パパはてんごくにいかないよね?ママとぼくといっぱいごはんたべるっていってたもん…。ぼく、パパにだいすきっていってないのに…」
「そうよ…。パパにはまだやらないといけないことが沢山あるわ。だからパパは…トニーはまだ天国になんて行かないわ…」
グズグズと泣き続けたルーカスは、暫くすると泣き疲れ眠ってしまった。息子をソファーに寝かせたペッパーは、椅子に座るとトニーの手を握りしめた。
「トニー…お願い…。戻ってきて…。私たち…4年前のあの日から…やり直しましょ?あなたと私と…それからルーカスと、親子3人で…。愛してる…あなたのこと、世界一愛してる…。だからお別れなんて言わないで…。お願い…トニー…。お願いだから…。私…あなたに…伝えたいことがたくさんあるの…。まだまだ一緒にやりたいことがたくさんあるの…。あなたの好きな物を作ってあげたいわ…。あなたに美味しい料理、沢山食べさせてあげたいの…。それから…沢山キスして欲しいの…。だからお願い……。私を置いて逝かないで…」
トニーの手を握りしめ祈るように頭を垂れたペッパーの目から涙が溢れ出て、トニーの手を濡らしていった。
その様子をハッピーは部屋の外から泣きながら見つめていた。
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