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Everything Is For You㉙

結局トニーは翌朝になっても帰宅せず、出社もしていない彼は行方をくらましていた。
「トニー、どこに行ったの?」
何度も携帯に連絡するが、電源を切っているらしく全く繋がらない。
彼の行きそうな場所はハッピーが片っ端から当たったのだが、どこに行ったのか収穫はなかった。
その時、ふと思い出したのは昨夜の彼の言葉。心臓のことを言っていたと思い出したペッパーは、何か糸口があるかもしれないと、病院へ向かった。

「実は、スタークさんに…ご主人に口止めされているのです。絶対に誰にも言うなと…。ですから私と数人のスタッフしか知りません」
そう切り出した主治医は、トニーの状態を説明し始めた。
「実はスタークさんの心臓には、あの事件で後遺症が残りました。心機能が低下し、心不全を起こしています。毎日薬を飲み続けなければなりません。経過があまり良くないため、激しい運動もできるだけ控えて頂いています。精神的にも肉体的にもストレスのない生活が必要です。それでもいつ発作が起こるか分かりません。実は1ヵ月前に軽い発作を起こし緊急入院されました。奥様には知らせるなと…知らせたらこの病院を潰すと物凄い剣幕だったので、結局秘書の方とも相談して、奥様には知らせないことになりました。ですが、2日前に定期検診で来られた時も、あまり状態はよくありませんでした。暫く入院するよう勧めたのですが、スタークさんは奥様と娘さんのいる家がいいと帰られたんです」
2日前というと、喧嘩の前日。つまり、仕事というのは嘘だったことに間違いないが、例の女性と会っていた訳ではなかったのだ。それなのに、どうしてお互い話をせず、ただ責め合うばかりだったのだろうかと、ペッパーは唇を噛み締めた。
「スタークさん、言ってました。今、話せないのは奥様に心配かけたくないからだと。娘さんのことで手一杯な奥様に、自分まで迷惑かけたくないと…。いつも心配かけてばかりだから、せめて負担を軽くしてあげたいと。それから、あの事件の後遺症となると、きっと責任を感じるだろうと…。娘さんのことが落ち着いたら、自分からきちんと話をする、だからもう少し口外しないでくれと、頭を下げて頼まれました」
どうして彼は我慢してばかりなのだろう。
きっと病気のことも一人抱えて苦しんでいたのに、どうして毎日そばにいるのに気づいてあげれなかったのだろう…。
悔しかった。情けなかった。彼が話してくれてないことに…そしてそれに気づかなかった自分に…。いつも気付かず彼を傷つけてしまうことに…。
ぽろぽろ涙を零し始めたペッパーに、医師は優しげな笑みを送った。
「娘さんが成長して結婚して手が離れたら…きっと奥様はそれまで一生懸命に頑張ってくれてるだろうから…2人で世界一周旅行に行く…。それまで絶対に生きてやると言われてました。だからどんなに苦しく辛い治療でも頑張ると、スタークさんは毎回笑顔で帰られるんです。ですが、先日はいつもの笑顔がありませんでした。何かあったのかと聞くと、何でもないと言われていましたが…」
原因は不倫報道を見た時分かっていた。だが、長年に渡りずっとトニーのことを見続けてきた医師は、もう二度とトニーを暗闇の世界に戻してはいけない…そして彼を救えるのは目の前にいる女性だけだと信じていたからこそ、今まで胸に秘めていた話をすると決めた。
「スタークさん。ご存知だと思いますが、彼は今、苦しんでいます。病気のこともそうですが、奥様には言えない思いが色々あるようです。迷惑かけたくないから話せないと彼は言いますが、それが逆に心配掛けているとは思ってないんでしょうね。ご両親が亡くなられた時、彼は自暴自棄になりました。誰にも言えない悩みを抱えて、自分でもどうしたらいいのか分からなくなったようです。酔った勢いで喧嘩をし、大怪我をして搬送されたこともあります。急性アルコール中毒になりここに担ぎ込まれたこともあります。今の彼は、その時の彼と重なるんです。このままでは彼はまた同じことの繰り返しです。ですが、それを救えるのは、ペッパーさん、あなただけです。彼は複雑な世界で育ってきたせいか、自分を素直に表現することも、他人に本音をぶつけることも苦手なんです。自分が我慢すれば大丈夫だと思い、限界まで溜め込むんです。ですけど、ペッパーさんなら、どんな彼でも受け入れてくれると信じています。ですから…」
言葉を詰まらせた医師の目は微かに潤んでおり、それを見たペッパーも涙を静かに零した。
「先生、分かってます。本当の彼を一番分かっているのは私ですから…。私、怖かったんです。あの事件で彼は心にも身体にも大きな傷を負いました。その気持ちを受け入れることが怖かったんです…。また私の元から離れていってしまうことが怖かったんです。だから彼の不安に気づいていても…ずっと気づかないフリをしていました…。彼と話をします。本音をぶつけあってみます。きっと彼もそれを望んでいるから…」

㉚へ…

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Everything Is For You㉘

そんなある日、ついにメディアにマヤとの関係をすっぱ抜かれてしまった。
『トニー・スターク、不倫』
新聞の1面を飾った見出しには、ご丁寧にもトニーが女性と車中で抱き合いキスをする写真まで掲載されていた。
「何これ…」
テレビでも格好のネタだと繰り返し報道されており、新聞を持つペッパーの手は震えている。
この1ヵ月、トニーは帰宅するのも遅く、出張ばかりで、ペッパーの目から見ても様子がおかしかったのだが、まさかこういう事情だったとは思いもしなかった。
昨晩も日付が変わって帰宅したトニーはまだ起きてこない。おそらくこの女性と会っていて遅くなったのだろう。叩き起し問い詰めるべきかと考えていたその時、トニーが起きてきた。
付けっぱなしのテレビからは、繰り返し『不倫』という言葉が聞こえてくる。テレビをチラリと見たトニーは、無言でペッパーの横をすり抜けるとコーヒーを飲み始めた。
「昨日は遅かったわね」
怒りを抑えようとしているのか、ペッパーの声は今まで聞いたことがない程、冷たかった。
「…仕事してた…」
実は昨日は月に一度の定期検診に行っていたのだが、検査結果が芳しくなくしばらく入院するように告げられた。だが、夜になりやはり家に帰りたいと無理矢理退院してきたので、帰宅が遅くなったのだが、今このタイミングで話をしても、ペッパーは信じてくれないだろう。
「どういうこと?」
案の定、ペッパーは新聞をトニーの目の前に叩きつけた。
チラリと見出しを見たトニーは酷く顔色が悪いが、不倫がバレたせいだと思っているペッパーは、まさか体調が悪いせいだとは気づいていなかった。
もう終わったことだとは言え、真実を話すべきだと考えたトニーは、申し訳なさそうに視線を伏せた。
「…本当のことだ…。ペッパー、すまない。俺は浮気した」
頭を下げるトニーだが、ペッパーはショックで倒れそうになっている。
「1回だけ?」
辛うじて出た言葉は、続けて聞こえてきたトニーの言葉に打ち砕かれた。
「いや…あの展示会の後からずっと…。週に2回は会って…彼女と寝た。でも…」
まだ何か言おうとしていたが、もう言い訳は聞きたくなかった。彼が裏切ったことには間違いないのだから…。
トニーの頬を思いっきり平手打ちしたペッパーは、唇を噛み締めた。
「どうして?!」
真っ赤な顔をしたペッパーは、トニーの胸をポカポカ叩き始めた。
「最初は酔いに任せてだった。酔った勢いで彼女と寝た。だけど、何度も会ううちに抜け出さなくなってしまった…」
ペッパーの手を振り払ったトニーだが、タイミング悪く胸が苦しくなり始め、何度か深呼吸をしたのだが、それがペッパーにはため息を付いているように聞こえ、彼女は絶望の淵へと追いやられた。
「私の事…嫌いになったの?」
嫌いになったのかと聞かれ、トニーは首を振った。
「違う。君のことは今でも世界一愛している。だが君はアナにかかりっきりだった…。だからつい…魔がさした。すまなかった…」
本当はもっと言いたいことが山のようにある。だが、一刻も早く彼女の怒りを鎮めようと、トニーは頭を下げ続けた。
だが、開き直ったようなトニーの態度に、ペッパーの怒りは頂点に達していた。
「トニー!あなたは父親なのよ?!私の夫であるけれど、あなたはアナの父親なの!魔がさしたですって?!どういう意味よ!あなたはアナの世話だって全然しないでしょ?あなたは父親よ!それがあなたは全然分かってないのよ!いつまで経っても子供みたいに振る舞うのはやめなさい!」
黙って聞いていたトニーだが、ペッパーの言葉に彼は胸の内に秘めていた思いがとうとう爆発してしまった。
バンっとテーブルを叩いたトニーは立ち上がった。
「そういうところが嫌なんだよ!結局君は俺のこと、いつまで経っても子ども扱いするだろ?!自分だけが正しい、俺は子供じみてるから、間違ってるって言いたいんだろ?」
「そういう訳じゃ…」
唇を震わせたペッパーだが、トニーは止めることができなかった。
「世間じゃ俺達のこと、何て言ってるか知ってるか?俺は君の駒でしかないって。いいように使われてるだけだって!俺が頼りないから、会社のことも君が全部仕切ってるって!どうせ俺は年下の旦那なんだよ!俺だって、頑張ってるんだ!だけど誰も認めてくれないじゃないか!アナの世話だって、一生懸命やったさ!でも君は俺から取り上げた!君の方が何でも上手く出来るからだろ?不器用な俺なんかに、娘の世話は任せられないってことだろ?!」
思いもしないトニーの本音に、青ざめたペッパーは
「そんなことないわ。あなたは良くやって……」
と言うのが精一杯だった。だが、どこまでも年上風を吹かせるペッパーに、トニーはテーブルの上のカップを床に叩きつけた。
「またそんな言い方するのか?!」
胸の動悸は先程までより酷くなっている。息苦しくなり、このままでは倒れそうだ。『今、ストレスは大敵です。奥様とお子様と、少しのんびりされてみてはいかがですか?』という昨日の医師の言葉を思い出したトニーだが、そもそも自分がこうなったのも、全てあの事件のせいだ…。本当はそんなこと思っていないはずなのに、心のどこかで思っていたのだろう。後で考え直せば、言ってはいけないタイミングで、彼は最悪の言葉を発してしまった。
「大体、君のせいだ!俺が何度も死にかけたのも、一生心臓を心配して生きていかないといけないのも!全部君のせいだ!!君と出会ったせいで、俺の人生は狂ったんだ!責任取ってくれよ!」

「心臓の心配って…どういうこと…」
状況が分からずペッパーは困惑している。
思わず言ってしまったが、今この場で説明出来るほど、トニーも冷静ではなかった。
「何でもない…」
踵を返したトニーは玄関に向かった。
胸を押さえて苦しそうなトニーに、ペッパーは彼が自分には話してくれていない秘密を抱えているとようやく気づいた。だが彼はそれすらも話さず逃げようとしている。
「どこ行くのよ!ちゃんと話をして!」
慌てて追いかけるが、トニーは早足でガレージへ向かった。
「俺の勝手だろ!子供じゃないんだ!もう、放っておいてくれ!」
大粒の涙を零したトニーは、車に乗り込むと、家を出ていった。

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Everything Is For You㉗

そういえば、最後にペッパーを抱いたのはいつだろう…。アナが生まれる前…つまりはあのキリアンの事件が起こってから、2人は共に眠っていなかった。
目を閉じたトニーはペッパーの姿を思い浮かべようとした。だが、思い浮かんだのは、1週間前に衝動的に身体を重ねた漆黒の髪をした美女の姿だった。あの夜は久しぶりに自由になった気分だった。罪悪感を感じながらも、自分を抑えることができなかった。
この一週間、結局ペッパーに何も言えないままだった。そればかりか、彼女と顔を合わせるのも申し訳ない気がして、仕事と称して深夜まで帰宅しない日々が続いていた。
どうしてこんなことになったのだろう…。お互い我慢しているばかりで、本音を言えない関係が本当に夫婦といえるのだろうか…。いや、そもそも彼女は心から自分を頼りにしてくれたことは、1度もない気がする。そんな関係なのにどうして彼女は自分と結婚したのだろう。もしかしたら、過去を忘れるためなのだろうか…。それならば、相手は自分でなくても良かったのではないだろうか…。
考えれば考えるほど、トニーはどうしていいのか分からなくなっていた。自分が情けなくなり、涙が零れ落ちそうになった。
胸が苦しくなり、トニーは何度も深呼吸をした。ストレスのせいで発作が起きかけているのと思ったが、胸の奥がチクチク痛むのは、罪悪感のせいかもしれない…。
重苦しい雰囲気の中、メールが届いた。メールの送り主は、あろうことかあのマヤからだった。
『明日、会えない?あなたのこと、もう恋しくなったの…』
何もかも忘れてしまいたかった。現実から逃げ、責任も何も無い世界へ逃げたかった。
『俺も…』
一言返信したトニーの脳裏に泣き出しそうなペッパーの姿が浮かんだが、それを振り払うかのようにトニーは目を閉じ布団に潜り込んだ。

「急に出張になった。だから今日は帰らない」
翌朝そう告げると、ペッパーは寂しそうに一瞬顔を曇らせたが、無理矢理笑みを作った。
「分かったわ。気をつけてね」
出かける間際、いってらっしゃいと頬にキスをしてくれたが、トニーは何も言わず足早に家を後にした。

夕方、マヤを拾ったトニーはその足でホテルに向かった。
「いいの?奥さん、放っておいて…」
部屋に着くなりマヤをベッドに押し倒したトニーは、手早く服を脱ぎ捨てた。
「いいんだ。俺がいなくても平気なんだから…」
どこか投げやりになっているトニーに、マヤは何かあったのかと不安げに顔を曇らせた。
「それより、明日は何時まで大丈夫だ?」
怖いくらいに乱暴なトニーだが、せめて自分といる時くらいは安らいでもらおうと、マヤは彼を優しく抱きしめた。
「明日は夜まで大丈夫よ。だから、思いっきり抱いて?」

ペッパーといると彼女にふさわしい男にならないといけないと、背伸びばかりしており、そんな自分を演じることにトニーは正直疲れていた。そんなことを思ってはいけないと分かっている。だが、マヤといる時だけは、何もかも忘れて、等身大の自分になれる気がした。
「あなたのセックス、最高ね。もう離れたくないわ…」
ペッパーには1度も言われたことのない台詞を可愛らしく言われると、トニーも彼女のことを手放したくなかった。
結局その翌週もトニーはマヤと密会を重ねた。最初は週に1度だった逢瀬も、1ヵ月経つ頃には、2日に1度会う関係になっていた。
だが、いい加減にしておかなければ、本当にペッパーを悲しませることになる。そう感じたトニーは、これを最後にしようとマヤに告げ、2人の関係は秘密裏に終わったように思えたのだが…。

㉘へ…

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Everything Is For You㉖

展示会も無事終了し、最終日の夜は盛大なパーティーが開催されていた。世界各地から集まった科学者は然ることながら、LA中の著名人が招待されたパーティーは大盛り上がりで、ホストであるトニーは大勢の人々と祝杯を上げ続け、夜も更けた頃にはすっかり出来上がっていた。

二次会と称した会は、同年代の顔見知りばかりになっており、話題はいつしかこの場にいないペッパーの話になっていた。
「奥さん、年上だもんな。束縛されてるって聞いたぜ」
「お前は名前だけの社長で、本当は奥さんが実権握ってるんだろ?」
『妻がしっかりしている反面、お前はダメな男だ』と言われているような気がし、珍しくトニーは何も言い返せなかった。
黙って聞いているトニーのペースはどんどん上がっていき、訳が分からなくなる程飲んだ彼にこれ幸いにと数名の女性が擦り寄ってきた。最初は控えめに腕を絡ませていた女性たちだが、トニーが特に抵抗しないのをいいことに、段々と大胆になってきた。手を取り胸を触らせる者もいれば、トニーの膝の上に座りキスをする者もいた。
ズボンの上から股間部分を触れられる頃には、トニーは身体の奥底から湧き上がる物に耐えきらなくなっていた。だが『お前は妻帯者だぞ?』と頭のどこかで理性に訴えかけられ、このままではマズイと感じた彼は、断りを入れるとトイレへ向かった。

「何やってるんだ、俺は…」
洗面所で顔を洗ったが、酔いは覚める気配すらない。そればかりか、先程のキスの余韻が残っており、下半身の疼きは止まらない。とそこへ、ドアが開き誰かが入ってきた。見ると、先程キスをしてきた自分よりも若い美女がドアを閉め妖艶に微笑んでいるではないか。
「トニー、ここにいたのね?」
ドレスの裾をまくり上げた美女は、ゆっくりと近づいてくると、トニーに抱きつき唇を奪った。舌を積極的に絡ませてくる美女に、トニーは無意識のうちに彼女の尻を掴んだ。
「ねぇ…いいことしない?」
銀色の糸を引きながら唇を離すと、美女は耳元で囁いた。
何ヶ月も発散していない欲は、酔った勢いも合わせて暴発寸前だった。もう我慢が出来なかった。
『いい機会だ。このままヤッてしまえ』
もう1人の自分の囁きにトニーは抗えなかった。
美女を洗面所にうつ伏せにさせると、トニーは彼女のドレスを託し上げた。下着をずらし、暴れる自身で一気に貫くと、美女は歓喜の声を上げた。久しく味わっていなかった快感にトニーは我を忘れて溺れていった…。

翌朝、トニーは見知らぬ部屋で目を覚ました。酷い二日酔いで頭は割れるように痛い。隣に人の気配がし、ふと横を見ると、見知らぬ美女が脚を絡ませ眠っているではないか。
徐々に昨晩の記憶が蘇り、トニーは顔色を変えたが、トイレでの行為と、そしてこの部屋での複数回に及ぶ行為を思いだすと、下半身が再び熱を持ち始め、もそもそと身体を動かした。と、トニーが動いたことで美女が目を覚ました。
トニーの股間が硬くなり始めたのに気付いた美人は、彼の上に跨ると指を這わせた。
「昨日のアレ…忘れられないの…」
家に帰っても欲は発散できない。ならばこの場で果てるまでだ…。
そんな考えが頭を過ぎったトニーは美女を引き寄せると中に入り込んだ。

「結婚しろって迫らないから安心して。でも、良ければ時々相手してくれる?」
身支度を整えた美女は、真っ赤なルージュを引くとまだベッドに寝転んでいるトニーの頬にキスをした。
「もう夕方だから今日は帰るわね。また連絡して」
マヤと名乗った美女は、携帯の番号と甘いキスを残すとホテルの部屋を出て行った。

夜になり帰宅したトニーを、ペッパーは笑顔で迎えてくれた。
「また飲みすぎたんでしょ?」
程々にしてねとクスクス笑ったペッパーは、父親に向かい腕を伸ばす娘を手渡した。アナを受け取ったトニーだが、罪悪感からペッパーの目を見れなかった。
「あぁ…ごめん…」
相変わらずニコニコしているペッパーは、トニーのカバンを持つと寝室へ向かった。
「いいのよ。だってお付き合いも大事だし、それにあなたもたまには羽を伸ばしてきていいのよ」
何も知らないペッパーの笑顔にトニーは胸の奥がチクリと傷んだ。
「ごめん、ペッパー…」
何度も謝罪の言葉を口にする父親を、アナスタシアは不思議そうな顔をして見つめた。

㉗へ…

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Everything Is For You㉕

トニーが退院する日に合わせて、アナスタシアも家へ帰れることになった。
屋敷で一番日当たりのいい部屋は、アナスタシアのための子供部屋へと生まれ変わり、可愛らしい彼女に皆夢中だった。
産まれた時は小さかった彼女もすくすくと成長していたが、ペッパーはもう少し手がかからなくなるまでは…と、仕事は休み、家で子育てに専念していた。

「アナ〜。パパが帰ってきたぞ?」
その日も帰宅早々、一目散に娘の元に向かったトニーはデレデレと鼻の下を伸ばし、アナに話しかけている。だが、彼の様子はどこかおかしい。何度も深呼吸をしているし、やけに顔色が悪いのだ。
退院して1ヶ月。まだ病み上がりだし、トニー自身も特に何も言わない。ペッパーも娘の世話でいっぱいいっぱいで、トニーのことまで気にかけるゆとりがなく、結局彼女はトニーに聞き出せないでいた。

それから1ヶ月経ったある日のこと。
2週後に迫った大規模な展示会のため、トニーは朝から晩まで働き詰めだった。
早朝家を出て、帰宅するのは日付が変わった頃。この一週間は特に忙しく、家に帰っても妻と娘の寝顔を見つめるだけで、殆ど会話もしていなかった。
「ふぅ…」
会議を終え、自室へ戻ってきたトニーは、額の汗を拭った。今朝は朝から体調が悪い。いつもより息苦しいし、倦怠感が抜けない。
実はトニー、あの事故で心臓に後遺症が残り、無理は禁物だと言われているのだが、そのことは秘書であるバンビとハッピー、それに担当医と数人の病院関係者しか知らない事実だ。ジャーヴィスはおろか、ペッパーにも秘密にしているのは、心配かけたくないとトニーなりに考えた結果なのだが、さすがに今朝は酷い顔色をしていたらしく、ジャーヴィスにひどく心配されたのだから、そろそろ隠しておくのも限界かもしれない。
何度深呼吸しても、動悸は落ち着かない。もしもの時のために処方されている薬を飲もうとカバンを開けた時だった。

ズキン!

トニーの胸を凄まじい痛みが襲った。ぐっと心臓が締め付けられ、息が出来なくなり、トニーはその場に座り込んだ。
「くっ……」
胸を押さえたトニーは再び深呼吸をした。とにかく薬を…と手を伸ばしたが、カバンには届かない。立ち上がろうにも胸の痛みは収まらず、逆に床に倒れてしまった。

「社長、先ほどの……。社長!」
タイミングよく部屋に入ってきたのは、秘書のバンビだった。瞬時に状況を理解した彼女は、部屋の外に偶然いたハッピーに向かって叫んだ。
「救急車呼んで!それから、ミセス・スタークにも…」
ペッパーの名前が聞こえ、トニーは必死に目を開けるとバンビの腕を掴んだ。
「ペッパーに…言うな…」
この後に及んで何を言っているのだと、バンビは非難めいた視線をトニーに向けた。
「ですが…」
「頼む…言うな…」
ふぅと息を吐いたトニーは目を閉じた。

病院へ搬送されたトニーは、そのまま一晩入院することになった。
急遽出張になったとペッパーには告げることになり、代わりにハッピーが付き添うことになった。
「あまりよろしくありません。スタークさんには休養が必要です。身体もですが心も…。あまりストレスをかけないようにしてあげて下さい」
ハッピーに告げた医師は、青白い顔をして眠り続けるトニーを見つめた。
「奥様にお伝えした方がよろしいと思うのですが、スタークさんは頑なに拒否されるんです。ですが…もし何かあった時に…」
言葉を濁した医師は、ハッピーにトニーとよく話し合うように告げると部屋を後にした。

結局目覚めたトニーと話し合ったハッピーだったが…。
「今は話せない」
と、トニーはやはりペッパーに話すことを拒んだ。なぜ話さないのかと尋ねるハッピーにトニーはなかなか理由を話そうとしなかったが、説得されるとポツリポツリと話をし始めた。
未熟児で産まれたアナは、経過を見るために定期的に病院へ通っており、ペッパーは細心の注意を払って娘を育てている。そこへ自分までもが体調が悪いとなると、ペッパーに余計心配を掛けてしまう。アナスタシアが1ヵ月早く産まれたのも、自分が生死の境をさまよったのも、ペッパーは自分のせいだとまだ思っているから…。だからもう少しアナスタシアのことが落ち着いてから話をしようと思っている…。
そう語ったトニーだが、ハッピーはそれならば尚更何か起こる前に話すよう説得し続けた。結局、2週後の展示会が終わったら話をするとトニーはハッピーに約束した。

展示会を翌日に控え、ようやく一息付くことのできたトニーは久しぶりに早めに帰宅した。
「アナ、お前を抱っこするのも久しぶりだな」
父親に抱かれ嬉しそうに手足をばたつかせたアナを入浴させたトニーは、久しぶりに娘と触れ合え嬉しそうだ。だが、トニーは酷く顔色が悪い。夕食もあまり食べなかったし、きっと疲れているのだろうと思ったペッパーは、アナを寝かしつけようとしたトニーから彼女を半ば強引に奪い取ると、寝室へと追いやった。
アナは夜泣きが激しく、トニーとペッパーは別々の部屋で眠っているのだが、ふとトニーのことが気になったペッパーは寝室へと向かった。明日に迫った展示会の準備をしているのか、トニーはPC片手にベッドに座り込んでいた。
「疲れてるんでしょ?明日は展示会なんだから、早く寝たほうがいいわよ?」
隣に腰を下ろすと、トニーはPCをサイドテーブルに置き、ペッパーの腰を引き寄せた。そして彼女の頬をつっと撫でたトニーは、唇を重ねた。
「ん…」
軽く開いた唇の隙間から、トニーの舌が侵入してきた。迎え入れるように舌を絡ませると、トニーはパジャマの裾から手を入れ、素肌に指を滑らせた。
唇が触れる程度の軽いキスは毎日しているが、こんなにも濃厚なキスは久しくしていない。
最後に彼と身体を重ねたのはいつだったかしら…とボンヤリし始めた頭で考えていると、ポケットに突っ込んでいたモニターからアナの泣き声が聞こえてきた。
「俺が行くよ」
名残惜しそうに唇を離したトニーは、素早く立ち上がったのだが、ペッパーはそれを押しとどめた。
「大丈夫。あなたは早く寝なさい」
まるで母親のような口調のペッパーだが、彼女こそ毎晩殆ど眠っていないのだろう。目の下に隈を作った彼女も疲れた顔をしている。反論しようとしたトニーだが、ペッパーは既に寝室を出て行った後だった。
「またかよ…。また一人で抱え込むのかよ…」
結局このパターンなのだ。おそらく仕事で忙しい自分を気遣っての行動なのだろうが、ペッパーは一人で娘の世話をしたがるのだ。トニーも父親として出来る限り協力するつもりだった。最初はオムツ換えもしていた。だが、不慣れな手つきでモタモタしていると、横からペッパーがやって来て、あっという間にやってしまうのだ。それでも入浴は自分の仕事だった。だが、仕事が忙しく帰宅するのも深夜近くになることも多いため、それも数える程しか出来なかった。何でも卒なくこなし、ジャーヴィス夫妻の手助けがあると言っても、一日中1人で面倒を見ているのだ。疲れきった顔をしているペッパーに、トニーは夜泣きするアナを寝かしつけるのを何度も交代すると言ったのだが、ペッパーは頑なに一人でやろうとするのだ。結局殆どトニーの出番はなく、彼はすっかり疎外感を感じていたのだ。
妻と娘のいる生活はトニーにとって心地の良いものであったが、その一方で全く頼りにされないという
不満も溜まっていた。

㉖へ…

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