「Everything Is For You」カテゴリーアーカイブ
Everything Is For You㉝
それから幾年もの季節が廻った。
その日、トニーとペッパーの姿は病院の一室にあった。
「トニー…」
ベッドに横たわったトニーを手をペッパーは泣き出しそうな顔をして握っている。
「ペッパー。俺は死なない。大丈夫だから。約束したろ?引退したら世界一周旅行に連れて行くって…」
妻を安心させるように抱きしめていると、医師がドアから顔を覗かせた。
「スタークさん、そろそろ行きましょか?」
手術室へ向かう途中、トニーはこの10年間のことを思い起こしていた。
アナが無事に1歳を迎えた年、ペッパーは2人を妊娠した。その後、2人の娘に恵まれたが、なかなか息子には恵まれなかった。それが2年前、待望の息子が誕生した。相変わらず子供っぽいトニーの性格もあり、ペッパーは毎日5人の子供の面倒を見ているようだったが、ペッパーもトニーも幸せだった。何もかもが順調だった。トニーの心臓も経過は良好で、家族6人楽しく暮らしていた。
それが一変したのは1年前。息子の1才の誕生日の翌日、トニーは会議中に酷い発作を起こし倒れた。何日も生死の境を彷徨うトニーに、誰もが諦めかけた。だがペッパーとそして子供たちだけは信じていた。その願いが通じたのか、トニーは戻ってきた。
まだ若く、体力もあるトニーに、医師は移植を受けてみてはと提案した。
『移植したらペッパーとヨボヨボになるまで一緒に生きていけるのなら』と、移植を受けることを決意したトニーだが、なかなか適合するドナーは現れなかった。だが、1年経ち、ようやくドナーが現れたのだ。
『拒絶反応が起きる可能性はある』と言われたが、トニーに迷いはなかった。子供たちと、そして何よりペッパーとこの先もずっと過ごしたい…。トニーの願いはただそれだけだった。
最愛の家族が見守る中、トニーは手術室の前へ到着した。家族や仲間が応援してくれていると言っても、ここからは1人で立ち向かわなければならない。
10歳、8歳、4歳の3人の娘を手招きしたトニーは、順番に頬にキスをすると、ペッパーの腕に抱かれた2歳になったばかりの長男の頭をくしゃっと撫でた。
「パパがいない間、ママの言うこと、ちゃんと聞くんだぞ?」
4人の子供たちを見渡すと、子供たちは笑みを浮かべ頷いた。
「うん!」
「パパ、頑張ってね!」
「パパの好きなチーズバーガー、買って待ってるね!」
「パパ、だいちゅき!」
最後にもう1度子供たちを見回したトニーは、優しげな笑みを浮かべると、ペッパーに視線を移した。
「ペッパー…」
伸ばされた手をギュッと握ると、トニーは2人きりの時にしか出さないような声で囁いた。
「愛してる…」
出会った頃と変わらない煌めく瞳に見つめられ、ペッパーは十数年前のアカデミーの噴水の前の出会いを思い出した。
あの時、初めて手が触れあった瞬間から彼とは心が通じた気がした。だが、彼と共に永遠に生きていけるとは思ってもいなかった。
自分には人並みの幸せは訪れないと思っていた。そんな自分を彼は全身全霊を込めて愛し、支えてくれた。そして幸せと生きることの楽しさを教えてくれた。
彼のおかげで、自分の人生を取り戻すことができた。
彼には感謝してもしきれない。だから彼のためなら何だってできる。彼なしの人生なんて、もう考えられないのだから…。
「いってらっしゃい…」
別れ際、毎朝出勤する前のようにキスをすると、トニーは家族に向かってVサインをし、手術室へと入っていった。
きっと大丈夫。彼は私の手を永遠に繋いでいてくれるから…。
トニー…。次に目覚めた時、神様はきっとあなたに最高の御褒美をくださるわ…。
だから、あなたらしく戦ってきて…。
私はあなたを信じて待ってるから…。
【END】
年上ペッパーと年下トニーのお話、長々と続きましたが、最終話です。
ハネムーン編など番外編としてupする予定です。
Everything Is For You㉜
数日後。
「大丈夫ですから、ゆっくりしてきて下さい」
アナを抱いたジャーヴィス夫妻に見送られたトニーとペッパーは、車に乗り込んだ。
今宵は久しぶりの2人きりのデート。
ロデオドライブで買い物をした2人は、夜景の見えるレストランで夕食を取り、フォーシーズンズホテルのスイートルームに足を踏み入れた。
途中、何度もパパラッチに遭遇したが、その度にトニーは見せつけるようにペッパーにキスをしていた。ホテルへ向かう車の中でも信号待ちの度にキスをしていたのだから、おそらく明日のトップニュースを飾るのに十分すぎる程のネタを提供しただろう。
部屋に入ったペッパーは、リビングのテーブルの上に花束が置かれていることに気付いた。
「素敵ね」
ソファーに座ったペッパーは大きな花束を抱きしめた。
真っ赤な薔薇の花束は両腕に抱えきれない程大きく、ざっと見ただけでも100本はありそうだ。
「何本あるの?」
隣に腰を下ろしたトニーに尋ねると、彼は得意げに鼻を擦った。
「101本だ」
101本の真っ赤なバラ…花言葉は『これ以上ないほど愛してます』。
嘘偽りのないトニーの本心に、胸がいっぱいになったペッパーは目を潤ませた。
「本当は999本にしたかったんだけど、持って帰るのが大変だろ?」
えらく現実的なトニーの言葉に、ペッパーはふと家の様子が気になった。
「アナ、泣いてないかしら?」
娘を残し出掛けたことは、今まで一度もない。というのもまだ生まれたばかりで幼いということもあるが、夜泣きが酷くペッパーが一時も離れられなかったのだ。だかここ数日、彼女の夜泣きも治まり、夜もぐっすり眠るようになっていた。おそらく両親の仲が落ち着いたのが彼女にも伝わったからなのだろうが、おかげで2人は再び夫婦の時間を持てるようになっていた。
娘の様子が気になるのだろう。テーブルの上の携帯にチラリと視線を送ったペッパーの肩を、トニーは抱き寄せた。
「大丈夫だ。ちゃんと言い聞かせたから」
「言い聞かせたの?」
思わず眉を吊り上げたペッパーに、トニーは胸を張った。
「あぁ。頼むから今夜だけは大人しくしとけって。ママをパパだけのものにさせてくれって。いい子にしてたら、車でも何でも好きな物を買ってやるって、言っておいたから大丈夫だ!」
まだ生まれて数ヶ月しか経たぬ幼子に一体トニーは何をしてるのだろう…。呆れたように目をくるりと回したペッパーだが、気付いていないのかトニーはニヤニヤ笑いだした。
「さすがアナは俺の娘だよな。黙って聞いていたけど、ニコニコ笑いながら俺の鼻を摘んだんだ。だからきっといい子にしてるさ」
その時のことを思い出しているのか、トニーはうんうんと一人で頷いている。プッと吹き出したペッパーだが、本人は至って真剣なのだから、ペッパーは必死で笑いを堪えた。
「そうね」
そう一言返したのだが、笑われていることに気付いたトニーはぷぅっと頬を膨らませるとペッパーをソファに押し倒した。そして彼女の全身を思いっきりくすぐり始めた。
「ちょっと…と、トニーったら!!!」
所構わずくすぐられるのだからたまったものではない。ケラケラと声を出して笑い始めたペッパーだが、終いには笑いすぎて涙を流し始めた。擽っているトニーの方もゲラゲラと笑っているのだが、いつまでたってもやめようとしないのだから、トニーの一瞬の隙をついて、ペッパーは彼の首筋に腕を回すと唇を奪った。
「んん…」
トニーの舌に自分の舌を絡めると、ペッパーはトニーのネクタイを掴みぐっと引き寄せた。慌ただしくジャケットを脱いだトニーは、ペッパーのドレスの裾を捲り上げると太腿をすっと撫でた。
切なそうに吐息を漏らしたペッパーは唇を離すと、トニーのネクタイを解き、ソファーの下に放り投げた。
「…ベッドへ連れて行ってくれる?」
シャツのボタンを外しながら上目遣いで懇願すると、トニーはペッパーの手を取り結婚指輪にキスをした。
「君のためなら何だってするさ…」
とびっきりの甘い声で囁いたトニーは、ペッパーを抱き上げるとベッドルームへ向かった。
***
「ねぇ…身体は大丈夫?」
トニーの上に身体を重ねたペッパーは、彼の胸板に頬を付けると指を滑らせた。彼の鼓動はリズミカルに聞こえてくるが、それでもいつ何が引き金で発作が起こるか分からない。先日の検査であまり経過が良くなかったということもだが、自暴自棄にさせてしまい健康的とは言えない生活を数日させてしまったのだから、どこか青白い顔をしているトニーを見るたびに、ペッパーは不安で仕方なかったのだ。
「あぁ…今のところは…」
実を言うと、体調はあまりいいとは言えない。それはトニー自身が一番分かっている。ペッパーと仲直りしてからは、彼女が食事にも細心の注意を払ってくれているし、精神的にも穏やかに過ごしているので、比較的安定しているとは思うが、それでも倦怠感や息苦しさが時折襲い掛かるのだ。どこまで本当のことを話せばいいだろう…余計な心配はかけたくないと思ったトニーだが、『隠し事はなし』と先日約束したのだ。きちんと現状を話そうと、ペッパーの背中をゆっくりと撫でた。
「大丈夫って言いたいけど、あまり良くないかもしれない。だから明日、病院へ行ってくる。ちゃんと検査してもらう。もしかしたら、そのまま入院になるかもしれないけど…。だけど、ちゃんと治しておかないといけないだろ?」
何度も目を瞬かせたペッパーに同意を求めるように、トニーは彼女の髪にキスをした。
「俺さ、まだまだやりたいことがたくさんあるんだ。君を世界中の美術館に連れて行くって約束もまだ途中だし。それから…」
背中に這わせていた指を止めると、トニーはすぅと息を吸った。
「俺、息子が欲しいんだ。親父とやりたかったことを、俺が息子とやってみたい。キャッチボールしたり、一緒にロボット作ったり、車の運転も教えたい…」
アナもまだ小さく、2人目のことを考えるのはまだ早いかもしれない。だが、家族を増やすのはトニーの小さい頃からの憧れであり夢であった。それを叶えてくれるのはただ一人…。腕の中にいる最愛の女性だけなのだ。
「だからさ…、俺はまだ死ぬ訳にはいかない。今死んだら、後悔しか残らない。君のこと、世界一幸せにすると誓ったのに、全然幸せにできてないしさ」
これ以上の幸せはないと思っていたのに…と、ペッパーは小さく首を振ると、トニーの頬に手を当てた。
「トニー、私は今でも充分幸せよ。あなたのそばにいることが、私にとって何より幸せなことだもの…。でも…」
身体を起こしたペッパーは、トニーの首筋にキスをすると、甘えたように顔をすり寄せた。
「私もまだあなたとやりたいことが沢山あるわ。それから、アナも…」
唇を滑らせたペッパーは、そのままトニーに口付けをした。チュッと音を立てて唇を離したペッパーは、トニーの耳たぶを甘噛みし囁いた。
「アンソニー・Jr.に会いたくない?」
ペッパーの口から2人目の話題が出て、トニーは照れくさそうに瞬きした。
「いいのか?まだ早くないか?」
確かに2人目はまだ早いかもしれない。だが、ペッパーはトニーの夢を早く叶えてあげたかった。そうすることで、トニーが今よりも元気になれるなら、一刻も早く叶えてあげたかった。それにいつだってトニーが助けてくれるのだ。どんなことがあっても、2人なら乗り越えていける…。
「あら?いつも準備周到なトニー・スタークにしては珍しい発言ね?」
わざとらしく眉を潜めたペッパーに、トニーも眉を吊り上げた。
「挑発する気か?仕方ないな」
くるっと身体を反転させたトニーは、ペッパーをベッドに押し付けた。
「明日は起き上がれないからな?覚悟しろよ、ペッパー」
ニンマリと笑ったトニーは楽しそうにペッパーにキスをし始めた。
Everything Is For You㉛
シャワーを浴び、頭をすっきりさせたトニーはバルコニーで風に当たっていた。
「トニー、簡単なものだけど、作ったの。食べない?」
振り返るとペッパーがいた。彼女はサンドイッチやフライドポテト、果物やコーヒーのマグカップを載せたトレーをテーブルに置くと、トニーの手を引きベンチに腰を下ろした。
「旨そう…」
思えばまともな食事をしたのは随分前な気がする。
途端に腹の虫が盛大な音を立て、ペッパーはクスクス笑い出した。
「しっかり食べて栄養つけなきゃ」
手早く取り皿に盛り付けたペッパーは、トニーに手渡した。
久しぶりに味わうペッパーの手料理は、トニーの腹ばかりでなく心も満たしてくれた。食べ終わったトニーはペッパーの肩を抱き寄せると、髪を弄び始めた。
「心臓のこと…どうして話してくれなかったの?」
泣き出しそうなペッパーの声に、トニーは彼女をさらに抱き寄せると、背中をゆっくりと撫でた。
「言えば君は責任を感じると思った。自分のせいでそうなったって、君は絶対に言うだろ?君はアナのことも自分のせいだと思ってる。そこへ俺のことまでも…となると、君は壊れてしまうと思ったんだ。これ以上、君に重荷を背負わせたくなかった…。君が苦しむ姿を見たくなかった。だから、アナのことがもう少し落ち着いたら、ゆっくり話をしようと思ってたんだ。でも、間違ってた。ちゃんと話すべきだった。ごめん…」
いいのよ…というようにペッパーが首を振ると、トニーは大きく深呼吸をし明るい声で告げた。
「俺さ、死ぬ時は君と同時に死にたいんだ。お互いヨボヨボになって、人生を全うしたって思える時に…。だからペッパー、大丈夫。俺は君を置いて死んだりしないから。絶対に、何があっても生き残ってみせる。今までだって、そうだったろ?」
ペッパーの目を覗き込んだトニーは、二っと笑ってみせた。
「だからさ、俺にも責任ってヤツを負わせてくれよ。アナの世話だってできる。君みたいに上手くはできないだろうし、アナのこと、泣かせるかもしれない。でも、俺もあの子の世話をしたい。仕事で忙しい時は無理だと言うし、助けて欲しい時にもちゃんと言う。それに、俺だけじゃなくて、君も時には羽を伸ばしてくれていいんだから…」
どうしてトニーの気持ちに気付かなかったのだろうと思ったペッパーだが、実際は気付いていたのに、気付いていないふりをしていたのかもしれない。年上である以上、しっかりしたところをみせなくてはいけない…そう思い、トニーと結婚してから必死だった。娘のこともきちんと育てなければと必死だった。そのために、自分に全くゆとりがなかった。いつも神経を張り詰め生活していた。アナが夜泣きするのも、母乳をほとんど飲まないのも、もしかしたら自分の心にゆとりがなかったからなのかもしれない。そう思うと、最初からトニーにもっと頼ればよかったのだとペッパーは後悔した。
胸元にぎゅっと顔を押し付けると、ペッパーはくぐもった声を出した。
「うん…ゴメンネ……」
ペッパーの頭にキスをすると、トニーは妻の身体を抱きしめた。
「だからもう謝るな。土下座して謝らないといけないのは俺の方なんだから…。それから、俺達、もっと沢山話をしないといけないな」
「そうね。隠し事はなしにしましょ?」
顔を上げたペッパーに、トニーはマヤとのことをきちんと話しておかねばと姿勢を正した。
「隠し事はなしだから、ちゃんと話しておく。彼女とは、あの報道が出る前に、縁を切ってたんだ。彼女と寝たことは認める。そのことは、いくら謝っても足りないくらいだ。でも、実は…話を聞いてもらってたんだ。彼女、カウンセリングの勉強をしてるらしく、俺の心の闇に気づいた。もちろん詳しくは話してない。そうしないといけない相手は君だからね。彼女、俺に何度も言ったんだ。ちゃんと奥さんと話をしろって。今自分と会ってるのは、ただ単に現実から逃げているだけだって。だからもう終わりにしようと告げたら、『やっと決心がついたのね。あなたの奥さん、必ずあなたの気持ちを受け止めてくれるから大丈夫。だから恐れず自分の気持ちをぶつけてみて』と言われた。彼女、俺の背中を押してくれたんだ。そういう意味では感謝してる。だけど、もう二度と彼女とは会わない。それから、あの報道が出た日だけど…もう聞いたかもしれないけど、前日の検診の結果が良くなかったんだ。しばらく入院するように言われてそのつもりだったけど、君とアナの顔が浮かんで、無理矢理退院したんだ。朝起きたら君に本当のことを話そう…そう思ってたんだけど…。だからさ、俺、もう二度と君に隠し事はしない。黙って君の好きなチョコを食べたとか、そういうことは言わないかもしれないけど…」
最後の一言はモソモソと呟いたトニーは2人きりの時にしか見せないような姿で、ペッパーは途端に嬉しくなってしまった。
「ねぇ、トニー。子供っぽいあなた、私は好きよ。だって会社だと、大人の男の人って感じでしょ?私だけのトニーじゃなくなっちゃうんだもの…。でもね、家に帰るとあなたは甘えてくれて、私だけのトニーが戻ってきたって思うの」
思いもしなかったペッパーの言葉に、トニーは目を丸くした。
「そうなの?!」
本気で驚いているトニーに、話したことなかったかしらとペッパーは思った。
「大人なあなたも素敵だけど、そんなあなたも大好き…。つまりね…私はあなたの全てが好き。どうしようもないくらい好きなの。あなたのためなら、私は何だってするわ。どんなあなたでも受け止めてみせる。だからね、もっと本音を見せて?何かあったら、どんなことでもいい。隠さず全て話して?私もあなたにちゃんと話をするから…」
弾けんばかりの笑みを浮かべたトニーの頬に手を当てると、ペッパーはゆっくりと目を閉じた。
やがて柔らかな感触が唇に触れた。温かく甘く、ペッパーの心を満たしてくれるトニーの唇が…。トニーが隣にいてくれる…これほど幸せなことはあるだろうか…。
(もう二度と離れたくない…。だってあなたは私の一部なんだから…)
再びこうやって触れ合えることへの感謝からか、ペッパーの目から涙が零れ落ちた。その涙を隠すように、ペッパーはトニーの頭を抱え込むと、唇を押し付けた。
→㉜へ…
もうちょっとだけ仲直りさせたいので続きます。
Everything Is For You㉚
その夜、アナを寝かしつけているとガタっと音がした。
きっとトニーが帰ってきたのだと、ペッパーは部屋を飛び出した。
「トニー様!どちらへ行かれていたんですか!」
ジャーヴィスの非難めいた声が聞こえ、ペッパーはそっと階段の上から様子を伺った。
「ジャーヴィス。オンナとヤッてたんだよ。いいだろ〜」
酒の瓶を片手に持ったトニーは、ケラケラと笑っていた。
だらしない恰好をした主人を窘めるジャーヴィスを無視したトニーは、ふらつきながらキッチンへと向かった。
慌てて階段を下りたペッパーは、追いかけようとするジャーヴィスを押しとどめると、トニーの後を追った。
トニーは薄暗いキッチンの隅で酒を飲んでいた。
「おかえりなさい」
電気を付けると眩しそうに顔を顰めたトニーは、ペッパーの姿を見るとやけに芝居がかった口調で叫んだ。
「これはこれは…我が愛しの妻じゃないか」
目がすわり、真っ赤な顔をしたトニーは、今まで見たことがない程酔っている。
こんな状態の彼に話をしても無駄かもしれない。だが、酔っているからこそ、本音をぶつけてくれるかもしれないと、ペッパーは覚悟を決めた。
「トニー、飲みすぎよ」
隣に腰をおろしたペッパーはトニーの手から酒の瓶を奪った。
「返せよ」
手を伸ばしたトニーだが、その手は宙を切り、彼は小さく舌打ちした。
「ダメ。飲みすぎないって約束したでしょ?」
たしなめるように言うとトニーは鼻で笑った。
「またその口調だ。母親みたいな口をきくなよ!お前は俺の妻だろ?」
腹正し気に言ったトニーは、床に転がっていた酒瓶を手に取ると、再び飲み始めた。
この2日間、ずっと酒を飲み、女性と楽しんでいたのだろう。昨日飛び出して行った時よりも、トニーの顔色は悪く、そしてどこか息苦しそうに見えた。
「あなたの身体が心配なの…。それに…ごめんなさい…。全部私のせいよね…」
話が唐突すぎたかもしれないが、自分で自分を傷つけようとするトニーをこれ以上見たくはなかった。
「は?何だよ、急に」
じろっとペッパーを睨んだトニーは、酒を煽った。
「あなたが何度も死にかけたのも…心臓が悪いのも…。それに今、こんなにお酒を飲んで自暴自棄になってるのも…。年上で問題抱えた私なんかと結婚したから…」
目を閉じ黙って聞いていたトニーだが、我慢できなくなった彼はパッと目を開くと唇を噛みしめた。
「そうやって全部自分のせいにするのが嫌なんだよ!!!」
持っていた瓶を床に投げつけると、トニーは今日初めてペッパーの目を見つめた。
「何でそうやって全部抱え込むんだよ!俺が今酒を飲んでるのは、俺自身のせいだろ!それなのに、君は全部自分のせいにしたがる!おかしいじゃないか!どうせ君は俺の事、子供で頼りないと思ってるんだろ!今までも、ずっとそう思ってたんだろ?だったら、何で年下の俺なんかと結婚したんだ!」
トニーの本音はペッパーの胸に棘のように突き刺さった。
「違うの…。私…あなたの負担になりたくない…そう思って…」
声を震わせたペッパーはトニーの肩にそっと触れたが、彼はその手を払いのけた。
「負担?負担って何だよ!俺がいつ君とアナのことを負担に思うって言ったんだ?!君が勝手にそう決めつけてるだけだろ!俺に何の話もせずに、全部一人で決めるじゃないか!結局君は俺の事、信頼してくれてないんだ!」
零れ落ちる涙を隠すように、トニーは膝を抱え床に座り込んだ。
その時、ペッパーは初めて気が付いた。彼がずっと悩んでいた本当の理由を…。
毎日遅くまで仕事をしているトニーは疲れていると思い、娘の世話も出来るだけ一人でやろうと決めていた。それでも最初は娘と触れ合いたいというトニーの思いを汲んで、彼にも任せていた。だが、気分がいらついている時は、もたもたしているトニーを見ていると腹が立ち、彼の役割を奪ってしまっていた。娘の世話だけでない。思い起こせば他のことも全てそうだった。
アカデミーにいた時は何でも本音で話し合い、喧嘩もよくしていた。だが、結婚し社会に出てからは、お互い忙しいと理由をかこつけて、話す機会も減ってしまっていた。それは特にあの事件から。トニーが死にかけ、娘が早く生まれたのは、全てあの事件…つまりは自分のせいだという思いがペッパーの心の奥底に根強く残っていた。トニーは『君のせいじゃない』と言っていたが、彼も本当はそう思っていないのではないかといつも思っていた。だからこそ、余計に何でも自分一人でしよう…トニーは仕事に専念できるよう負担をかけまいと頑張っていた。だが、その思いが逆にトニーに疎外感を与え、そして信頼されていないという思いを植え付けていたとは思いもしなかった。
言葉に出し告げていれば、彼もそう思うことはなかったのかもしれない。トニーが自分から本心を語るタイプではないことは、一番よく分かっているはずなのに、彼の不安に気付かないふりをして避けていたのは自分の方だったのかもしれない…。
「トニー…」
身体を丸め嗚咽を漏らすトニーはひどく儚く見え、ボロボロ大粒の涙を流したペッパーは、たまらずそっと抱き付いた。
「違うわ…あなたのこと、誰よりも信頼してるし、愛してる…。でも…あなたがずっとそう思ってたのなら…本当にごめんなさい…。そう思わせてたのは、私に責任があるわね…。私、あなたに釣り合うようになりたかったの…。それから、あなたが自由にできるように、あなたのサポートをしようって…そう思って、自分でできることは自分でしようと思ったの。でも…私が何も言わないことが…逆にあなたを苦しめていたのね……。ごめんなさい…。トニー…出会ってからずっとだけど、いつも気づいてあげれなくてごめんなさい……」
謝ってばかりのペッパーに、顔を上げたトニーは頭を振った。
「なんでそんなこと思うんだよ…。君ばっかり我慢して、俺が喜ぶとでも思ってるのかよ…。君はいつだって俺のこと、ずっと見ててくれてるじゃないか。俺のこと、俺以上に気づいてくれてるじゃないか…。気付いてないなんて言わないでくれよ。それに…君が笑ってくれなきゃ…俺…全然嬉しくないし、楽しくないんだよ…。アナが生まれてからの君は、疲れた顔をしてるのに、1人で抱え込もうとしてるじゃないか…。俺も父親だ。頼りないかもしれないけど…アナスタシアの父親だ。だから、もっと頼ってくれていいんだよ…」
涙を乱暴に拭ったトニーは、ペッパーの涙も拭うと、彼女を力いっぱい抱きしめた。
「俺…自分でどうしたらいいか分からなくなって…逃げ出したかったんだ…。でも…ごめん…本当にごめん…。俺…君の信頼を裏切った…。絶対にやったらいけない方法で…。謝って許してもらえるか分からないけど…すまなかった…」
何度もごめんと繰り返すトニーにペッパーも首を振った。
「あなたをこんなに追いつめてしまったのよ…。私こそ…ごめんなさい…」
ぎゅっと抱き付くと、酒とたばこに交じり、トニーの匂いがした。いつも使っているブルガリのオーデコロンではなく、抱き合った後のような飾り気のない彼の匂いが…。
彼の胸元に顔を押し付けたペッパーは暫く感触を楽しんでいたが、彼が鼻を盛大に啜ったのを合図に顔を上げ、涙で濡れた頬をそっと撫でた。
「トニー…私はそのままのあなたを愛してるわ。だってあなたは私の世界の中心なのだから…」
ニッコリと笑ったペッパーの笑顔は、久しぶりに見る心からの笑顔だった。途端にトニーの心にあったもやもや感は晴れ渡り、彼自身も心の底からようやく笑えることができた。
「あぁ…ペッパー…愛してる…。君は、俺の世界でたった一人のオンナなんだよ…。もう…二度と君のこと離さない…」
自然と唇を合わせた2人は、ようやく自分たちがあるべき場所に戻って来たように感じた。
→㉛へ…
トニーがあまりに子供じみてますが、すみません…(;´Д`)