その夜、アナを寝かしつけているとガタっと音がした。
きっとトニーが帰ってきたのだと、ペッパーは部屋を飛び出した。
「トニー様!どちらへ行かれていたんですか!」
ジャーヴィスの非難めいた声が聞こえ、ペッパーはそっと階段の上から様子を伺った。
「ジャーヴィス。オンナとヤッてたんだよ。いいだろ〜」
酒の瓶を片手に持ったトニーは、ケラケラと笑っていた。
だらしない恰好をした主人を窘めるジャーヴィスを無視したトニーは、ふらつきながらキッチンへと向かった。
慌てて階段を下りたペッパーは、追いかけようとするジャーヴィスを押しとどめると、トニーの後を追った。
トニーは薄暗いキッチンの隅で酒を飲んでいた。
「おかえりなさい」
電気を付けると眩しそうに顔を顰めたトニーは、ペッパーの姿を見るとやけに芝居がかった口調で叫んだ。
「これはこれは…我が愛しの妻じゃないか」
目がすわり、真っ赤な顔をしたトニーは、今まで見たことがない程酔っている。
こんな状態の彼に話をしても無駄かもしれない。だが、酔っているからこそ、本音をぶつけてくれるかもしれないと、ペッパーは覚悟を決めた。
「トニー、飲みすぎよ」
隣に腰をおろしたペッパーはトニーの手から酒の瓶を奪った。
「返せよ」
手を伸ばしたトニーだが、その手は宙を切り、彼は小さく舌打ちした。
「ダメ。飲みすぎないって約束したでしょ?」
たしなめるように言うとトニーは鼻で笑った。
「またその口調だ。母親みたいな口をきくなよ!お前は俺の妻だろ?」
腹正し気に言ったトニーは、床に転がっていた酒瓶を手に取ると、再び飲み始めた。
この2日間、ずっと酒を飲み、女性と楽しんでいたのだろう。昨日飛び出して行った時よりも、トニーの顔色は悪く、そしてどこか息苦しそうに見えた。
「あなたの身体が心配なの…。それに…ごめんなさい…。全部私のせいよね…」
話が唐突すぎたかもしれないが、自分で自分を傷つけようとするトニーをこれ以上見たくはなかった。
「は?何だよ、急に」
じろっとペッパーを睨んだトニーは、酒を煽った。
「あなたが何度も死にかけたのも…心臓が悪いのも…。それに今、こんなにお酒を飲んで自暴自棄になってるのも…。年上で問題抱えた私なんかと結婚したから…」
目を閉じ黙って聞いていたトニーだが、我慢できなくなった彼はパッと目を開くと唇を噛みしめた。
「そうやって全部自分のせいにするのが嫌なんだよ!!!」
持っていた瓶を床に投げつけると、トニーは今日初めてペッパーの目を見つめた。
「何でそうやって全部抱え込むんだよ!俺が今酒を飲んでるのは、俺自身のせいだろ!それなのに、君は全部自分のせいにしたがる!おかしいじゃないか!どうせ君は俺の事、子供で頼りないと思ってるんだろ!今までも、ずっとそう思ってたんだろ?だったら、何で年下の俺なんかと結婚したんだ!」
トニーの本音はペッパーの胸に棘のように突き刺さった。
「違うの…。私…あなたの負担になりたくない…そう思って…」
声を震わせたペッパーはトニーの肩にそっと触れたが、彼はその手を払いのけた。
「負担?負担って何だよ!俺がいつ君とアナのことを負担に思うって言ったんだ?!君が勝手にそう決めつけてるだけだろ!俺に何の話もせずに、全部一人で決めるじゃないか!結局君は俺の事、信頼してくれてないんだ!」
零れ落ちる涙を隠すように、トニーは膝を抱え床に座り込んだ。
その時、ペッパーは初めて気が付いた。彼がずっと悩んでいた本当の理由を…。
毎日遅くまで仕事をしているトニーは疲れていると思い、娘の世話も出来るだけ一人でやろうと決めていた。それでも最初は娘と触れ合いたいというトニーの思いを汲んで、彼にも任せていた。だが、気分がいらついている時は、もたもたしているトニーを見ていると腹が立ち、彼の役割を奪ってしまっていた。娘の世話だけでない。思い起こせば他のことも全てそうだった。
アカデミーにいた時は何でも本音で話し合い、喧嘩もよくしていた。だが、結婚し社会に出てからは、お互い忙しいと理由をかこつけて、話す機会も減ってしまっていた。それは特にあの事件から。トニーが死にかけ、娘が早く生まれたのは、全てあの事件…つまりは自分のせいだという思いがペッパーの心の奥底に根強く残っていた。トニーは『君のせいじゃない』と言っていたが、彼も本当はそう思っていないのではないかといつも思っていた。だからこそ、余計に何でも自分一人でしよう…トニーは仕事に専念できるよう負担をかけまいと頑張っていた。だが、その思いが逆にトニーに疎外感を与え、そして信頼されていないという思いを植え付けていたとは思いもしなかった。
言葉に出し告げていれば、彼もそう思うことはなかったのかもしれない。トニーが自分から本心を語るタイプではないことは、一番よく分かっているはずなのに、彼の不安に気付かないふりをして避けていたのは自分の方だったのかもしれない…。
「トニー…」
身体を丸め嗚咽を漏らすトニーはひどく儚く見え、ボロボロ大粒の涙を流したペッパーは、たまらずそっと抱き付いた。
「違うわ…あなたのこと、誰よりも信頼してるし、愛してる…。でも…あなたがずっとそう思ってたのなら…本当にごめんなさい…。そう思わせてたのは、私に責任があるわね…。私、あなたに釣り合うようになりたかったの…。それから、あなたが自由にできるように、あなたのサポートをしようって…そう思って、自分でできることは自分でしようと思ったの。でも…私が何も言わないことが…逆にあなたを苦しめていたのね……。ごめんなさい…。トニー…出会ってからずっとだけど、いつも気づいてあげれなくてごめんなさい……」
謝ってばかりのペッパーに、顔を上げたトニーは頭を振った。
「なんでそんなこと思うんだよ…。君ばっかり我慢して、俺が喜ぶとでも思ってるのかよ…。君はいつだって俺のこと、ずっと見ててくれてるじゃないか。俺のこと、俺以上に気づいてくれてるじゃないか…。気付いてないなんて言わないでくれよ。それに…君が笑ってくれなきゃ…俺…全然嬉しくないし、楽しくないんだよ…。アナが生まれてからの君は、疲れた顔をしてるのに、1人で抱え込もうとしてるじゃないか…。俺も父親だ。頼りないかもしれないけど…アナスタシアの父親だ。だから、もっと頼ってくれていいんだよ…」
涙を乱暴に拭ったトニーは、ペッパーの涙も拭うと、彼女を力いっぱい抱きしめた。
「俺…自分でどうしたらいいか分からなくなって…逃げ出したかったんだ…。でも…ごめん…本当にごめん…。俺…君の信頼を裏切った…。絶対にやったらいけない方法で…。謝って許してもらえるか分からないけど…すまなかった…」
何度もごめんと繰り返すトニーにペッパーも首を振った。
「あなたをこんなに追いつめてしまったのよ…。私こそ…ごめんなさい…」
ぎゅっと抱き付くと、酒とたばこに交じり、トニーの匂いがした。いつも使っているブルガリのオーデコロンではなく、抱き合った後のような飾り気のない彼の匂いが…。
彼の胸元に顔を押し付けたペッパーは暫く感触を楽しんでいたが、彼が鼻を盛大に啜ったのを合図に顔を上げ、涙で濡れた頬をそっと撫でた。
「トニー…私はそのままのあなたを愛してるわ。だってあなたは私の世界の中心なのだから…」
ニッコリと笑ったペッパーの笑顔は、久しぶりに見る心からの笑顔だった。途端にトニーの心にあったもやもや感は晴れ渡り、彼自身も心の底からようやく笑えることができた。
「あぁ…ペッパー…愛してる…。君は、俺の世界でたった一人のオンナなんだよ…。もう…二度と君のこと離さない…」
自然と唇を合わせた2人は、ようやく自分たちがあるべき場所に戻って来たように感じた。
→㉛へ…
トニーがあまりに子供じみてますが、すみません…(;´Д`)