「ようやく君を捕まえることができた」
初めて同じベッドで迎えた朝。ペッパーを腕の中に閉じ込めたトニーは、彼女の首筋に赤い印を刻みながら囁いた。
「私はいつもあなたのそばにいたわよ?」
秘書だったんだから…と言いかけたペッパーだが、トニーの言いたいことはそういうことではないようだ。
「君はいつだって手の届かない存在だった。そばにいながら、手に入らない存在だった。だが、今、君は私の腕の中にいる…」
つまり心を手に入れたということだろう。
だが、それはペッパーも同じだった。
そばにいながら、トニーの心を手に入れることはできなかったのだから…。
「私も同じよ。やっとあなたを私だけのものにできたんですもの」
クスクス笑みを浮かべたペッパーは、トニーの胸元に顔を押し付けると、赤い花を散らした。
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194. Instrument
「ねぇ、何か弾いて?」
リビングに置かれたグランドピアノの前に座ったトニーは、ペッパーのリクエストに応えるように、鍵盤に指を滑らせた。
心地よいメロディがリビングに響き、ウットリとトニーを眺めていたペッパーは目を閉じた。
こうやって、トニーの奏でる音に耳を傾ける時が好きだ。
彼のピアノの音色は、ペッパーの心を浄化してくれるのだから…。
1曲弾き終わったトニーはペッパーを見つめた。彼女は軽い寝息を立てて眠っていた。
「今日は疲れてたんだな…」
普段なら2曲3曲聞いているうちに眠りにつくのに、それだけ今日は疲労困憊だったのだろう。
ペッパーを起こさないように抱き上げたトニーは、寝室へと向かった。
193. Radio
トニー……トニー……
壊れたラジオのように繰り返し聞こえる名前に、トニーはゆっくりと目を開けた。すると目の前に光の世界が広がっていた。
確か自分は、あのシベリアの地で死んだはずなのに…。
あの時、キャプテン・アメリカは迷うことなく顔に盾を叩きつけた。
骨を叩き割られ、激痛が走った。何度も何度も打ち付けられ、顔面が破壊されていく…。
口の中が血でいっぱいになり、叫び声を上げることすら許されなかった。目の前に盾が迫った次の瞬間、眼球が破裂し飛び出した。そして世界は暗闇に包まれた。
喉を押しつぶされ、息が出来なくなった。
もはや誰だか識別できなくなったトニーを、キャプテンは見下ろした。そして止めというように、思いっきり顔に盾を振り下ろした。
グシャッと嫌な音が響き渡り、脳が飛び散った。盾が突き刺さったままのトニーの身体が痙攣し始めた。それでも助けを乞うように必死でトニーは腕を伸ばした。が、スティーブ・ロジャースはトニーに見向きもせずに立ち去った。
暫くビクビクと身体を震わせていたトニーだが、凍てつく地の果てで、そのまま死を迎えた…。
ボンヤリとあの時のことを思い出したトニーの耳に、どこからともなく声が聞こえて来た。
復讐したいか?
復讐ならしたいと思った。両親を殺された復讐を…。が、復讐しても必ず誰かが傷つくのだ…。もうこれ以上、誰かが傷つくのは嫌だった。
頷きそうになったトニーだが、そう考え直すと首を横に振った。
「復讐はもういい…。今更どうしようもない…。ただ…」
言葉を切ったトニーに、『声』は問いかけた。
何だ?
先を促され、トニーは重い口を開いた。
「気がかりなことが一つある。彼女は…ペッパーは大丈夫かと…」
最後に見たのは彼女の泣き顔。自分たちは距離を置いているのだから、彼女の様子を聞いていいものかトニーは迷ったのだが、彼の葛藤を『声』はお見通しだった。
見てみるか?目を閉じろ…
言われるがままに、トニーは目を閉じた。一瞬暗闇に包まれたが、すぐに明るさを取り戻した。恐る恐る目を開けると、そこは教会だった。
辺りを見渡すと、祭壇の前には沢山の花や在りし日の自分の写真が飾られていた。
(私の葬儀だ…)
アイアンマンが死んだのだから、さぞかし盛大な葬儀になるのだろう。が、式の前夜なのか、教会には棺に寄り添っている人以外、誰もいなかった。
棺に近づきトニーは気付いた。寄り添っていたのはペッパーだった。
ペッパーは肩を震わせていた。
真っ赤に泣き腫らした瞳したペッパーだが、頬に伝わる涙は乾くことがなかった。
棺にすがり付いて泣くペッパーは、何度も何度もトニーの名を呼んでいた。
距離を置いていたはずのペッパーが涙を流してくれている…。自分の死を悲しんでくれている…。それだけで、トニーは十分だった。
が、結局ペッパーに何も遺してやることができなかった。最後に交わした会話も、罵り合うばかりで、感謝の念も愛の囁きも、何も遺してやることが出来なかった。
「トニー……辛かったでしょ…。痛かったでしょ…。苦しかったでしょ…。ごめんなさい…一人にしてごめんなさい…」
棺の中の自分にペッパーは語りかけていた。
ペッパーの背後から棺を覗き込んだトニーは、そこで初めて自分の死に顔を見た。
叩き割られた顔面は見せられない程酷かったはずなのに、縫い合わされ死に化粧を施されているのか、とても綺麗だった。全てのものから解放され、安住の地を見つけたような、そんな表情をしていた。
「あなたの顔…見分けがつかないくらいぐちゃぐちゃだったから…あなただって信じたくなかった…。でも…現実なのよね…。だって…あなたのこと…私が間違えるはず…ないもの…。あなたはもう…私のそばにいてくれない…。一緒に笑うことも…つまらないことに腹を立てることも…出来ないのよね…」
大粒の涙がトニーの顔に降り注いだが、涙は顔をすり抜けてしまった。
どういうことかとトニーが凝視していると、ペッパーがトニーの顔の横にある何かを押した。と、見ていたはずの顔が消え、見るも無残な、もはや顔とは言えないものが現れた。目も鼻も口も、もはや見分けがつかないほど破壊され、肉は剥がされ所々骨がむき出しになっている。肉の塊と化した顔面を人前に晒す訳にはいかないとペッパーは考えたのだろう。先程見ていた顔はホログラムだったのだ。
あまりに悲惨な状態に、トニーは思わず口を押さえた。が、ペッパーは顔だったものを愛おしそうに撫でると、唇があったであろう場所にそっと口付けした。
「ペッパー…… 」
変わり果てた姿の自分でもペッパーは愛してくれている…。
触れられないことは分かっている。だが、姿形は見えなくても、自分はそばにいることを…永遠に見守っていることを知らせたかった。堪らなくなったトニーは、ペッパーの右肩にそっと手を乗せた。
その時、奇跡が起こった。
「…トニー?」
ハッとした表情を浮かべたペッパーが振り返った。姿は見えないはずなのに、トニーの気配を感じたのか、目を細めたペッパーは少しだけ笑みを浮かべた。
「トニー……そばにいてくれるのね…」
新たな涙を流したペッパーは、自分の手を右肩に載せた。ペッパーの手とトニーの透き通った手が触れ合った瞬間、2人の心は再び結びついた。
「トニー……愛してる……。あなたに…最期に…言いたかった……。私が愛してるのは…あなただけよ…」
唇を噛み締めたペッパーだが、涙を堪えることが出来なかった。顔を覆ったペッパーはその場に崩れ落ちると、声を上げて泣き始めた。
子供のように泣き続けるペッパーの姿に、トニーも涙が止まらなかった。
出来ることなら、もう一度、戻りたかった。共にいること…たったそれだけのことが、何よりも大切だと、ようやく分かったのだから…。
「…戻りたい…。もう一度………。彼女に……」
ポロポロと涙を零し、静かに泣くトニーに『声』は告げた。
戻してやろう…彼女の元へ…。もう二度と…しくじるなよ…。
***
目を開けると、トニーの目の前に、キャプテン・アメリカの盾が迫っていた。
顔面に叩きつけられると、恐怖に顔を歪ませながら、トニーは腕で咄嗟にガードした。
と、あの時は躊躇なかったスティーブ・ロジャースが、一瞬躊躇した。そして盾は顔面ではなく、リアクターに向けられた。
リアクターを破壊されたが、助けを呼ぶことができた。が、肋骨が折れたのか、胸がズキズキと痛み始め、息苦しくなってきた。そして寒さは次第に身体を蝕んでいった。
(やはり…ダメなのか…)
折角貰ったチャンスなのに、結局は死を受け入れるしかないのか…と、トニーはゆっくりと目を閉じた。
***
トニー……トニー……
壊れたラジオのように繰り返し聞こえる名前にトニーはゆっくりと目を開けた。すると今度は、白い天井が目に入った。
(ここは…)
ぼんやりする頭で必死に考えていると、人の気配がした。何とか覚醒させようと、二三度頭を振ると、誰かがギュッと手を握りしめた。
「トニー…気がついた?」
(この声は…ペッパーだ…)
ぼんやりとした視界に見えたのは、世界で一番愛おしい存在だった。
チューブの挿管された状態では、声を出すことすらままならないが、小さく唸り声を上げたトニーに、ペッパーは安心したように息を吐いた。
「よかった…よかったわ…トニー……」
トニーの手を自分の頬に当てたペッパーは、ニッコリと笑った。頬を伝わった涙が掌に触れ、その温かさにこれが現実だとトニーはようやく実感できた。
二度としくじるなよ…
また『声』が聞こえた。今度はどこか楽しそうな声だった。
(あぁ…。絶対に…もう二度と…彼女の手を離さない…)
泣きじゃくるペッパーを見つめながら、トニーは誓った。彼女だけは永遠に手放してなるものか…と。
192. Mini Golf
この日、トニー・スタークは、とあるミニゴルフ場にいた。取引先の接待ゴルフなのだが、例えミニゴルフと言っても、どうしてこの真夏の炎天下の中、ゴルフ場にいるのか分からない。
今日はパターが決まらないとか、暑すぎるからだと文句を言い続けるトニーだが、そもそも彼のゴルフの腕前はそれ程上手くはないのだ。とは言っても、世間一般的に見れば十分な腕前なのだが、如何せん、レースやスキーなどはプロ並みなのだから、それに比べれば…と言ったところだろうか。
今もラストショットをミスってしまい、トニーは小さく舌打ちした。滝のように流れ落ちる汗をタオルで拭ったトニーは木陰に避難すると、続けてボールをセットしたペッパーの一打を見守ることにした。
心地よい音と共にボールはカップイン。
「流石は社長!」
取引先の社長以下社員全員が、ゴマをするように拍手し始めた。
ニコッと営業スマイルを浮かべたペッパーは、ボールを拾うと木陰で気だるそうに水を飲んでいるトニーの元へ向かった。
「君は絶好調だな」
「あなたは絶不調ね」
飲んでいたミネラルウォーターのボトルを手渡すと、受け取ったペッパーは一口二口飲み干した。
「君はやけに涼し気な顔をしてるな」
「暑いと思うと余計に暑く感じるのよ」
トニーの額に流れる汗を拭ったペッパーは、不機嫌なトニーに戦々恐々としている周囲の雰囲気を払拭しようと、彼の耳元で囁いた。
「もうすぐ終わるわ。クラブハウスに戻ったら、シャワーを浴びなきゃ……ね?」
つまりそういうことよ…と言うように、トニーの耳たぶを甘噛みすると、目を輝かせたトニーは飛び上がった。
「よし!さっさと終わらせよう!」
そう叫んだトニーはペッパーの手を引っ張ると、炎天下のコースに飛び出した。
186. Flustered ~191. Giddy
186. Flustered
『シベリアで救助されたトニーは重傷で、病院へ運ばれた』
ハッピーから連絡を貰ったペッパーは、居ても立っても居られなくなり、病院へと駆け付けた。
ペッパーが病院へ到着した時には、トニーは手術を終え病室へと運ばれていた。
そっとベッドに近づくと、トニーは目を覚ましていた。
だが、痛々しい程傷だらけの顔には生気がなく、ぼんやりと宙を見つめているトニーはペッパーに気付いていなかった。
「トニー…」
ペッパーの呼びかけにもトニーは反応しなかった。
「トニー」
先程よりもやや大きめの声で呼びかけると、トニーがゆっくりと振り向いた。
「ペッパー…」
まさかペッパーが来ると思わなかったのだろうか。目を丸くしたトニーは、明らかに混乱していた。
確かに、二人は1か月以上連絡を取っていなかった。冷却期間中とはいえ、これだけ連絡を取っていなかったのだから、別れたも同然とトニーが考えるのも無理はないかもしれない。
「そう、私よ。ペッパーよ」
トニーを安心させようとベッドサイドの椅子に座ったペッパーは、彼の手をそっと握りしめた。
「あなたのことが心配で来たの。大丈夫?」
目を瞬かせたトニーは何か言おうとしたが、息を詰まらせ咳き込んだ。そして折れた肋骨に響いたのか、苦しそうに顔を顰めた。
「トニー、苦しいんでしょ?喋らなくていいわ。その代り、私に喋らせて…」
何を言われるのだと、トニーは不安げにペッパーを見つめた。
ニュースで報道されていたから、ベルリンでの空港の出来事までは知っている。だが、トニーはすっかり憔悴しきっているのだから、きっとシベリアで何かあったに違いない。救助に駆け付けたスターク・インダストリーズのセキュリティーチームの話によると、アーマーを破壊されたトニーは、シベリアの凍てつく暗闇の中に一人ぼっちで取り残されていたらしい。傍にはキャプテン・アメリカのシールドと、ウィンターソルジャーのアームが落ちていたが、二人の姿はどこにもなかった。アーマーは何度も強打されたのかリアクターも破壊され、そしてトニー自身の身体も傷つけられていた。だが、身体以上にトニーの心は傷ついている。それは彼の表情を見れば、一目瞭然だった。
それでも彼は本心をすぐには晒してくれないだろう。心配掛けたくないからと…。
ふぅと深呼吸をしたペッパーは、トニーの頬を撫でると話し始めた。
「まず初めに言わせて。今日来たのは、あなたのことが本当に心配だったから。本当はね、ずっと心配だったの。ニュースであなたのことを見る度に、本当はあなたの元に戻りたかったの。でも、私から距離を置こうって言ったのに、都合が良すぎると思って、戻れなかった。ごめんなさい、トニー。あなたが苦しんでいる時に、そばで支えてあげれなくてごめんなさい…。私ね、あなたが必要なの。あなたがそばにいないことが、こんなにも苦しいことだって、今まで気付いてなかった。あなたのこと、愛してる。世界中の誰よりも、あなたのこと愛してるの…。だから、お願い。あなたのそばにいさせて…」
一気に自分の気持ちを吐露したペッパーだが、トニーはまだ混乱しているのか、戸惑いの色を隠しきれていなかった。
「トニー、大丈夫よ。私がずっとそばにいるから…」
安心させるようにニッコリ微笑むと、顔を歪めたトニーは、蚊の鳴くような掠れた声を出した。
「…ペッパー…」
トニーが両手を伸ばした。まるでペッパーの温もりを求めるように…。トニーの身体を包み込むように抱きしめると、トニーはペッパーの胸に顔を埋め、嗚咽を漏らし始めた。
***
187. Move
あの事件から数日後。私の退院に合わせ、ペッパーがまた我が家に戻ってきてくれた。
入院中、シベリアでの出来事を彼女には話した。彼女は自分のことのように本気で腹を立てていた。その時、確信した。彼女だけが本当の私を理解してくれるのだと…。
「また戻ってきていい?」
そのため、遠慮がちにそう尋ねてきた彼女を抱きしめた私は、迷うことなく答えた。
「あぁ。君の家でもあるんだ」
という訳で、およそ2か月前に運び出されたペッパーの荷物が、再びタワーに戻ってきた。荷物と言っても、大きな家具はないのだから、あっという間に引越し業者は帰っていき、昼時ということもあり、私たちはタワー近くのハンバーガーショップに向かった。その後、街中をブラブラし、夕方になり戻ってきたのだが、ペントハウスのエレベーターのドアが開いた瞬間、目の前に誰かが飛び込んできたではないか。
さては侵入者だなと身構えると、その人物は嬉しそうに手を振りその場で飛び跳ねた。
「あ!スタークさん!勝手にお邪魔してます!」
なんてことだ。スパイダー坊やじゃないか。
これからペッパーを美味しく頂こう…いや、ペッパーの荷物を片づけようと思っていたのに、邪魔者到来ではないか。
思わず頭を抱えた私を他所に、見慣れない少年にペッパーは首を傾げた。
「あら?どなた?」
ボンヤリとペッパーを見つめていた…いや、おそらく見惚れていたのだろう…パーカーくんは、慌てて掌をTシャツの裾で拭くと、ペッパーに向かい手を差し出した。
「は、初めまして。ピーター・パーカーです。スタークさんにはお世話になりっぱなしで…」
少年の正体を知ったペッパーは、パッと顔を輝かせた。
「あなたがパーカくん?初めまして、ペッパー・ポッツです。こちらこそ、あなたを巻き込んでしまったみたいで、ごめんなさいね」
確かに10代の少年をあの戦いの舞台に連れ出したのは私だが、あれはあいつらを傷つけずに捕まえるためであって…。いや、ペッパーのことだ。分かっているが社交辞令でそう言ったのだろう。
そんなことを考えていると、パーカーくんは慌てて首をぶんぶん振った。
「巻き込んだなんて!そんなことないです!僕が決めたことです。スタークさん…いえ、アイアンマンと共に戦うと決めたのは僕の選択です。正しいことをしたかったんです。自分の力を正しいことに使いたかったんです。でも、おかげで、貴重な体験をさせていただきました。お礼を言いたいのはこちらの方です」
興奮気味に捲し立てたパーカーくんだが、彼の言葉は正直胸に刺さった。
正しいと思い選択した道が、今回ばかりは本当に正しかったのか、私にはよく分からなくなっていた。勿論、後悔はない。自分の下した選択に後悔はない。だが、その選択のせいで、親友は下半身不随になってしまった。守ろうとしたものは、引き裂かれてしまった。結局私の元に残ったものは何があるのだろう…。
「トニー?大丈夫?」
ふと我に返ると、ペッパーとパーカーくんが心配そうに私を見つめていた。
「あぁ…」
物思いに耽るのは、一人になってからにしよう。軽く頬を叩いた私は、いつものトニー・スタークの顔を引っ張り出すと、パーカーくんに視線を送った。
「ところで、何の用だ?」
姿勢を正したパーカーくんは、ぺこりと頭を下げた。
「あ、はい。新しいスーツを作って頂いたのに、ちゃんとお礼を言っていなかったと思って…」
と、パーカーくんはもごもごと口ごもった。何か言いたいのに、遠慮して言い出せない…そんな雰囲気を醸し出すパーカーくんに、私はペッパーと思わず顔を見合わせた。
何度か深呼吸をしたパーカーくんは、ようやく言葉にする決心をしたのか、私を凝視した。
「それで…その…。もし、ご迷惑でなければ…時々こうやってお伺いしてもいいですか?」
つまり、私はパーカーくんに懐かれたということなのだろうか。少年に懐かれるのはこれで二度目だ。数年前のクリスマス前に、片田舎で出会った少年も、今のパーカーくんと同じく羨望の眼差しで私を見つめていた。あの少年とはあれ以来連絡も取っていないが、目の前にいるパーカーくんは同じ土俵で戦ったヒーローだ。それに、こんな状況でも、彼は私を無邪気に慕ってくれている。駆け引きも何もなく、彼は心から私を尊敬し慕ってくれている。その事実に気付いた今、彼を拒絶する理由など何一つなかった。
「F.R.I.D.A.Y.のリストにお前も載っている」
ストレートに言葉に出すのは照れくさく、そう告げてみたが、残念ながらパーカーくんには伝わらなかったようだ。
「リストって…」
戸惑うパーカーくんに助け舟を出したのは、誰よりも私のことを理解してくれているペッパーだった。
「タワーに自由に入ってもいいってリストよ。つまりね、いつでも遊びに来てくれていいわ。大歓迎よ」
クスクス笑みを浮かべたペッパーをポカンと見つめていたパーカーくんだが、みるみるうちに目を輝かせ、満面の笑みを浮かべた。
「ほ、本当ですか!ありがとうございます!」
小躍りせんばかりに喜び始めたパーカーくんだが、念願叶うと次は別のことが気になり始めたのか、ピタっと止まると首を傾げた。
「僕の他には誰がリストに載っているんですか?」
私が不在の間に、勝手にやって来てリストがどうこう言われるのも面倒なので、特別に教えてやることにした。
「ペッパーはリスト外だ。彼女だけは、私と同様の権限を持っている。リストに載っているのは、ローディーとハッピー、そしてヴィジョンだ。ついでに一応ロマノフの名も載せてやっている」
そう答えると、指折り数えていたパーカーくんはあぁ…と納得したような顔をしていたが、次の瞬間、彼の顔には盛大に疑問符が浮かんでいた。
「あの…アベンジャーズの皆さんは、入ってないんですか?」
アベンジャーズだと?こいつはどの『アベンジャーズ』のことを言っているんだ?
私の眉間に皺が寄ったのに気付いたのだろう。
「余計なこと言ってすみません。僕、喋りすぎですよね…。本当にすみません」
と、パーカーくんは、またペコペコと頭を下げ始めた。
詳しい事情を知らないこいつに当たっても仕方ない。ふんっと鼻を鳴らした私は、わざとらしく眉を釣り上げた。
「お前の言うアベンジャーズとは、トナカイくんやウルトロンと戦った元アベンジャーズのことか?あいつらは駄目だ。ここはあいつらの家ではない。あいつらにはその資格はない。それに、私のチームは、お前を含め、あの時共に戦った面子だ。そいつらだけがここに入れる」
「つまり…僕はスタークさんのチームに入れるってことですよね!」
目を輝かせたスパイダー坊やは、手を叩き大はしゃぎだ。
「だが、お前はアベン…」
『お前はアベンジャーズに入るには早すぎる』と言おうと思ったが、パーカーくんはそれを言う隙を与えないような早さで捲し立てた。
「僕でよかったら、いつでも呼んで下さい!皆さんの足を引っ張ることもあると思いますけど、僕、精一杯頑張ります!僕の力を皆さんの役に立たせることができるんですよ!しかも、アイアンマンと一緒に!これって凄いことですよ!憧れのアイアンマンと一緒に戦えるんですから!」
私の言葉に一喜一憂するパーカーくん。彼は本当に欲得抜きで自分の力を世間に役立てたいのだ。
その気持ち、忘れていた。ヒーローになりたての頃の私も持っていたその気持ちを、彼は思い出させてくれた…。だが、その気持ちだけではどうにも出来ないこともある。パーカーくんにそれを伝えるのは、まだ早いだろう。それならば、彼が一人前になるまで私が彼の盾になってやるべきかもしれない…。
そんなことを考えていると、喜び勇んだパーカーくんは、あろうことかペッパーに抱きついた。
おい、クモの坊や。それだけは許さん。ペッパーに抱きついていいのは私だけだから…。
私の嫉妬心に気づいたのか、パーカーくんから身体を離したペッパーは、私にキスをしてくれた。
「そうだわ。せっかくだから晩御飯食べていって。パーカーくんの好きなものを作ってあげる。何が食べたい?」
「えっ!本当ですか?!」
キッチンに向かうペッパーに、子犬のように付いていくパーカーくんは楽しげで、そしてそんなパーカーくんとペッパーも嬉しそうに話している。
そしてふと思った。息子がいればこんな感じなのだろうか…と。そして、もう一つ…。父と母のことを思い出した。
そうだ、LAに戻ったら墓参りに行ってこよう。そして20数年経って知った真実を、両親に話しに行こう…。
脳裏にあの時の映像が横切り、それを振り切るように頭を振ると、私はペッパーとパーカーくんに付いてキッチンへと向かった。
***
188. Souvenir
「親父…お袋…ごめん…」
暫く訪れていなかった墓地は人もまだらで静まり返っていた。冷たい墓標をそっと撫でたトニーは、両親の名前とそして刻み込まれた日付に指を滑らせた。
20年以上経って知った死の真相。
父親はどんな思いで昔の仲間に殺されたのだろう…。
母親はどんな思いで忍び寄る死を覚悟したのだろう…。
それなのに、ずっと事故死だと信じていた。
突然両親を奪われたが、事故なら仕方ないと半ば諦めていた。だが、真実は違った。両親は殺されたのだ。それもかつての仲間に…。それを知った時、怒りと、悲しみ、そして悔しさが込み上げてきた。父と母もさぞかし無念だっただろう。
それなのに、自分は何も出来なかった。最後に顔を合わせた時も、感謝の言葉一つ言えず、永遠の別れを迎えてしまった。BARFではなく、本当にもう一度あの瞬間に戻れたらいいのに…。最後に両親に自分の口から感謝の念を伝えられればいいのに…。
突然両親を奪われた怒りと無念さをぶつけるように、あいつに殴りかかった。もちろん殺意を覚えたが、とにかく捕まえて両親の墓前で土下座させてやろうと思った。だか、目の前に両親を殺した犯人がいたのに、ぬけぬけと逃走させてしまった。それどころか、父とそして母までをも奪われた私の悲しみと怒りをあいつらは『仕方ない』の一言で済まそうとした…。私の気持ちを、あいつらは理解しようとしてくれなかった…。
どうすればいいんだ…。悔しくて、悲しくてたまらない。誰にこの苦しみをぶつければいいのか分からない…。
誰か…助けてくれ…。
天を仰いだトニーだが、自分以外に誰もいない墓地では、答えがあるはずもなかった。
込み上げてきた涙を拭ったトニーは、手土産を持ってきたことを思い出すと、足元に置いてあった袋から酒瓶を取り出した。
「この酒…父さんが好きだった酒…。土産に持って来た…」
母親が好きだった花のブーケと共に酒瓶を置くと、両親の最期の姿を思い起こした。助けてくれという懇願をも無視され、命を奪われた瞬間を…。
「父さんと母さんが殺されたって分かったのに…何もできなかった…。あいつに罪を償わせることもできない…。ごめん…本当にごめん…。何も出来なかった馬鹿な息子でごめん…。いつも迷惑かけてばかりだった…。愛してるって伝えずに…父さんと母さんを逝かせてしまって…ごめん…。本当にごめん…。父さん、母さん…馬鹿な息子を…許してくれ…」
側の木に寄りかかるように座り込んだトニーは、全ての感情を飲み込むかのように、酒の瓶を煽った。
***
189. Tree
トニーが帰って来ない。昨日、墓参りに行ってくると出掛けたまま、朝になっても帰って来ない。
心配になり出勤前にスターク夫妻の墓地に向かうようハッピーに告げたペッパーだが、トニーの車が停まっているのを見ると顔色を変えた。
「ハッピー、今日は休むって伝えてくれる?」
不安そうにペッパーを見つめたハッピーだが、しばらくそばにいてあげてくださいと告げると、車を走らせ立ち去った。
スターク夫妻の墓の側にある大きな木の下で、トニーは眠っていた。周りには何本もの酒の瓶が転がり、トニー自身も飲みかけの酒瓶を抱え眠っていた。頬にはいく筋も涙の跡が刻み込まれており、トニーを一人行かせたことを、ペッパーは後悔した。
今回の一件で、トニーは酷く傷ついている。おそらく本人が感じている以上に傷ついている。こういう時にこそ、側にいてあげねばならないのに、またしても彼を一人にしてしまったと後悔の念にかられたペッパーは、空の瓶を手早く片付けると、トニーの頬をそっと撫でた。
「トニー…起きて」
何度か身体を揺さぶると、トニーがうっすらと目を開けた。
「ペッパー…」
何度か瞬きしたトニーは、ペッパーが目の前にいることに安心したのか、微かに笑みを浮かべると、身体を抱き寄せた。
「トニー、家に帰りましょ?」
が、ペッパーの肩に顔を埋めたトニーは、小さく頭を振った。
「トニー?」
トニーの身体が震え始めた。ペッパーのジャケットをギュッと握りしめたトニーは、消え入りそうな声で呟いた。
「ペッパー……お願いだ…。ずっと…そばにいてくれ…。どこにも行かないでくれ……」
トニーの悲痛な声に、ペッパーは胸が張り裂けそうになった。
「トニー、私はどこにも行かないわ。ずっとあなたのそばにいるから…。大丈夫よ…」
何度も何度も言い続けると、トニーの涙がペッパーの身体を濡らした。
***
190. Sign
家へ戻ってきたペッパーは、疲れきった顔をしているトニーをベッドに寝かせた。ペッパーの手を握りしめたままのトニーは一人になるのが嫌なのか、どこか怯えたような表情をしており、堪らなくなったペッパーは靴を脱ぐとトニーの隣に横になった。
シベリアでの出来事は掻い摘んでトニーから聞いたが、おそらくいつも肝心なことは胸に秘めて我慢する彼だから、もっと話したいことはあるのだろう。今までなら、ただひたすら耐えて自分で消化していたトニーだが、今回は彼も限度を超えているようだ。
『助けてくれ』という彼の無言のサインが、ペッパーには見えたのだから…。
「ねぇ、トニー。話、聞くわよ?」
話したくないと言われれば、今日はただ抱きしめるだけにしよう。きっと時が来れば、彼の口から話してくれるだろうから…。そう思いながら、ペッパーは子供のように涙を流すトニーを黙って抱きしめた。
しばらくして、トニーがチラリと顔を上げた。真っ赤に腫れた瞳には、大粒の涙が溜まっており、それをそっと拭うとペッパーは彼の顔をじっと見つめた。
トニーは迷っているようだった。胸の内を全て話すべきか、それとも秘めたままにしておくべきか…と。だが、トニーは分かっていた。ペッパーは全てを受け止めてくれると。彼女は何があっても自分のことを受け入れてくれると…。
やがて話す決心が付いたのか、トニーは何度か深呼吸すると口を開いた。
「…何も出来なかった…」
ポツリと呟かれたその言葉には、彼の苦しみ、怒り、そして悲しみの全てが込められており、ペッパーは思わず唇を噛みしめた。黙ったままのペッパーにチラリと視線を送ったトニーは、一気に秘めた思いを話し始めた。
「何も出来なかったんだ、ペッパー…。親父とお袋が殺されたと知っても…私は目の前にいる犯人を逃がしてしまった…。20年以上、信じてきた。親父とお袋は事故で死んだと…。全て嘘だった。それなのに、私はそれを…疑いもせず信じて来た…。親父もお袋も…無念だったろう…。それなのに、私は親父のことを死んでもまだ疎ましく思ってたんだぞ…。最後に言えばよかった…。愛してるって…。それさえも言えずに…親父とお袋を失った…。突然奪われた。別れも何も言えず、奪われた…。それなのに…あいつらは…過去のことだ、仕方ないと言った。仲間だと…友達だと思ってた。だが、私の悲しみも怒りも苦しみも…誰も理解してくれなかった…。情けないな…。もっと信じなければならない物はあったはずなのに…それを見逃して、結局は裏切られた…。親父もお袋も…こんなバカな息子のこと…情けないって思ってるだろうな…。ペッパー…もう、誰も信じたくない…。信じて裏切られるのは…もう…嫌なんだ…」
トニーの頬を新たな涙が零れ落ちた。それを隠すかのように、トニーはペッパーの胸元に顔を押し付けた。
(何があっても離れるべきじゃなかった…)
後悔しても遅いが、2か月前、彼の元を離れたことをペッパーは再び後悔した。だが、この2か月はやり直せないのだ。それならば、今、彼のことを信じていると伝え、彼の無言のサインをしっかり受け止めることが大切だろう。
震えるトニーの髪を梳いたペッパーは、そっとキスをした。
「トニー、お父様も…それにお母様も、あなたを責めたりなんか絶対にしてないわ。真相を知ったあなたが、怒って泣いて…立ち向かって…その気持ちだけで充分よ。あなたが傷つく方が悲しまれると思うわ」
背中をゆっくりと撫でると、トニーの震えが止まった。
「だからお願い…。自分を責めないで…。あなたは正しいことをしたのだから…。それにね、もし私があなたの立場なら…あなたと同じことをしたと思うわ。だからね、もしあなたの言う『石頭野郎ども』に出会ったら、思いっきり平手打ちしてやる。顔を引っ掻いて、殴りつけて、仕上げに股間を蹴りつけてやるわ。それから、あなたのこと傷つけた仕返しだ、ざまあみろって叫んで、思いつく限りの言葉で罵ってやるわ」
ペッパーの口から乱暴な言葉が聞こえ、トニーは思わず顔を上げた。
「君でもそんなことを言うのか?」
目をぱちくりさせているトニーに、ペッパーは楽しそうにウインクした。
「愛するあなたのためだったら、私は鬼にでもなってやるわよ」
クスクス笑い声を上げたペッパーを、トニーは潤んだ瞳で見上げた。ふっと真剣な表情になったペッパーは、トニーの手を握りしめると、目を真っ直ぐに見つめた。
「トニー、私はあなたの味方よ。例え側にいられなくても、絶対にあなたの味方。世界中があなたを非難しても、最後まであなたの味方をするわ。だからね、お願い。誰もあなたのことを信じていないなんて言わないで。私はあなたを信じている。それから、きっとローディとハッピーも。ヴィジョンもあなたの味方でしょ?そうそう、パーカーくんもきっとそうよ。あの子、あなたの話を目を輝かせてするんだから…。だからね、あなたはあなたが正しいと思うことをしてくれていいの。もちろん時には道を間違えることもあると思うわ。人間誰でもそういうことはあるでしょ?でもね、間違えても正せばいいの。あなたは今までもそれをしてきたでしょ?だから今まで通りでいいの」
と告げたところで、ペッパーは肩を竦めると目をくるりと回した。
「って、2か月前に私から距離を置こうって言って出て行ったのに、勝手よね…。でもね、あなたなしの人生なんて考えられないって気付いたの。あなたのこと、世界一愛してる…永遠にあなたのそばにいたいって気付いたの。だから、私、覚悟を決めたわ。あなたは今まで通りのあなたでいて。もちろん、もう少し、私との時間も作ってね。でも、あなたはあなたの道を進んで…。その代り、私がもっと強くなる。あなたの苦しみも悲しみも一緒に分かち合えるくらい強くなる。もしあなたが傷つけば、あなたを傷つける奴全員をこてんぱんにしてやる。あなたが悲しめば、一緒に涙を流すわ。あなたを守りたいの。あなたが私のことを命を懸けて守ってくれるように、私もあなたのことを守りたい…。もう逃げないって約束するわ…。だから、お願い。一人で抱え込まないで。私に何でも言って…。もちろん全てを受け止めれる自信はないけど…でも、あなたの力になりたいの…」
ペッパーの瞳には、迷いや嘘偽りなど一切なかった。彼女の瞳には、強い決意がありありと浮かんでいた。
(あぁ、ペッパー…。君は私のためにまだ強くなってくれるのか…)
こんなに嬉しいことはあるだろうか。一度は失いかけた君は、私の全てを受け止めるために戻ってきてくれたのだから…。それはまるで、生涯父を支え愛し続けた母のように…。
涙を堪えるように目をキュッと閉じたトニーは、鼻を啜るとゆっくりと目を開けた。
「ペッパー…ありがとう…。今までもそうだったが、私は君に救われてばかりだ…」
はっきりと告げたトニーの瞳には、先程まで見えていた恐怖も悲しみもなく、喜びと希望に満ち溢れていた。
その瞬間、ようやく愛するトニーが戻ってきてくれたと感じたペッパーは、何があってもずっと傍にいると伝えるように、トニーをぎゅと抱きしめた。
***
191. Giddy
それから数日後。
寝室のベッドの上で2人は離れていた時間を埋めるかのように抱き合っていた。
トニーはペッパーの身体を組み敷いたまま、何度も身体中にキスをしていたが、両手で頬を挟み込むと鼻の頭に優しいキスを落とした。
「ペッパー…ハニー…愛してる」
普段よりも数段甘く低い声に、喜びを隠し切れなくなったペッパーはトニーの首元に腕を回した。
それを合図とするように、トニーはペッパーの唇を奪った。
眩暈がするような激しいキスにペッパーはうっとりと目を閉じた。
(あぁ…これを待ってたのよ…)
何か月ぶりだろう。彼とベッドを共にするのは…。
隣にいることが当たり前となっていた存在は、距離を置いて初めてその大切さに気付いた。
そして、失いかけてようやく気付いた。彼のいない世界がどんなにか空しく悲しいものなのかを…。
だからこそ、もう二度とその手を離さない。
例え世界中を敵に回しても、この身が朽ちようとも、絶対に、何があっても…。
「トニー、愛してる…。世界一、あなたのこと…愛してる…」
キスの合間に囁くと、トニーは久しぶりに蕩ける様な笑顔を見せてくれた。