トニー……トニー……
壊れたラジオのように繰り返し聞こえる名前に、トニーはゆっくりと目を開けた。すると目の前に光の世界が広がっていた。
確か自分は、あのシベリアの地で死んだはずなのに…。
あの時、キャプテン・アメリカは迷うことなく顔に盾を叩きつけた。
骨を叩き割られ、激痛が走った。何度も何度も打ち付けられ、顔面が破壊されていく…。
口の中が血でいっぱいになり、叫び声を上げることすら許されなかった。目の前に盾が迫った次の瞬間、眼球が破裂し飛び出した。そして世界は暗闇に包まれた。
喉を押しつぶされ、息が出来なくなった。
もはや誰だか識別できなくなったトニーを、キャプテンは見下ろした。そして止めというように、思いっきり顔に盾を振り下ろした。
グシャッと嫌な音が響き渡り、脳が飛び散った。盾が突き刺さったままのトニーの身体が痙攣し始めた。それでも助けを乞うように必死でトニーは腕を伸ばした。が、スティーブ・ロジャースはトニーに見向きもせずに立ち去った。
暫くビクビクと身体を震わせていたトニーだが、凍てつく地の果てで、そのまま死を迎えた…。
ボンヤリとあの時のことを思い出したトニーの耳に、どこからともなく声が聞こえて来た。
復讐したいか?
復讐ならしたいと思った。両親を殺された復讐を…。が、復讐しても必ず誰かが傷つくのだ…。もうこれ以上、誰かが傷つくのは嫌だった。
頷きそうになったトニーだが、そう考え直すと首を横に振った。
「復讐はもういい…。今更どうしようもない…。ただ…」
言葉を切ったトニーに、『声』は問いかけた。
何だ?
先を促され、トニーは重い口を開いた。
「気がかりなことが一つある。彼女は…ペッパーは大丈夫かと…」
最後に見たのは彼女の泣き顔。自分たちは距離を置いているのだから、彼女の様子を聞いていいものかトニーは迷ったのだが、彼の葛藤を『声』はお見通しだった。
見てみるか?目を閉じろ…
言われるがままに、トニーは目を閉じた。一瞬暗闇に包まれたが、すぐに明るさを取り戻した。恐る恐る目を開けると、そこは教会だった。
辺りを見渡すと、祭壇の前には沢山の花や在りし日の自分の写真が飾られていた。
(私の葬儀だ…)
アイアンマンが死んだのだから、さぞかし盛大な葬儀になるのだろう。が、式の前夜なのか、教会には棺に寄り添っている人以外、誰もいなかった。
棺に近づきトニーは気付いた。寄り添っていたのはペッパーだった。
ペッパーは肩を震わせていた。
真っ赤に泣き腫らした瞳したペッパーだが、頬に伝わる涙は乾くことがなかった。
棺にすがり付いて泣くペッパーは、何度も何度もトニーの名を呼んでいた。
距離を置いていたはずのペッパーが涙を流してくれている…。自分の死を悲しんでくれている…。それだけで、トニーは十分だった。
が、結局ペッパーに何も遺してやることができなかった。最後に交わした会話も、罵り合うばかりで、感謝の念も愛の囁きも、何も遺してやることが出来なかった。
「トニー……辛かったでしょ…。痛かったでしょ…。苦しかったでしょ…。ごめんなさい…一人にしてごめんなさい…」
棺の中の自分にペッパーは語りかけていた。
ペッパーの背後から棺を覗き込んだトニーは、そこで初めて自分の死に顔を見た。
叩き割られた顔面は見せられない程酷かったはずなのに、縫い合わされ死に化粧を施されているのか、とても綺麗だった。全てのものから解放され、安住の地を見つけたような、そんな表情をしていた。
「あなたの顔…見分けがつかないくらいぐちゃぐちゃだったから…あなただって信じたくなかった…。でも…現実なのよね…。だって…あなたのこと…私が間違えるはず…ないもの…。あなたはもう…私のそばにいてくれない…。一緒に笑うことも…つまらないことに腹を立てることも…出来ないのよね…」
大粒の涙がトニーの顔に降り注いだが、涙は顔をすり抜けてしまった。
どういうことかとトニーが凝視していると、ペッパーがトニーの顔の横にある何かを押した。と、見ていたはずの顔が消え、見るも無残な、もはや顔とは言えないものが現れた。目も鼻も口も、もはや見分けがつかないほど破壊され、肉は剥がされ所々骨がむき出しになっている。肉の塊と化した顔面を人前に晒す訳にはいかないとペッパーは考えたのだろう。先程見ていた顔はホログラムだったのだ。
あまりに悲惨な状態に、トニーは思わず口を押さえた。が、ペッパーは顔だったものを愛おしそうに撫でると、唇があったであろう場所にそっと口付けした。
「ペッパー…… 」
変わり果てた姿の自分でもペッパーは愛してくれている…。
触れられないことは分かっている。だが、姿形は見えなくても、自分はそばにいることを…永遠に見守っていることを知らせたかった。堪らなくなったトニーは、ペッパーの右肩にそっと手を乗せた。
その時、奇跡が起こった。
「…トニー?」
ハッとした表情を浮かべたペッパーが振り返った。姿は見えないはずなのに、トニーの気配を感じたのか、目を細めたペッパーは少しだけ笑みを浮かべた。
「トニー……そばにいてくれるのね…」
新たな涙を流したペッパーは、自分の手を右肩に載せた。ペッパーの手とトニーの透き通った手が触れ合った瞬間、2人の心は再び結びついた。
「トニー……愛してる……。あなたに…最期に…言いたかった……。私が愛してるのは…あなただけよ…」
唇を噛み締めたペッパーだが、涙を堪えることが出来なかった。顔を覆ったペッパーはその場に崩れ落ちると、声を上げて泣き始めた。
子供のように泣き続けるペッパーの姿に、トニーも涙が止まらなかった。
出来ることなら、もう一度、戻りたかった。共にいること…たったそれだけのことが、何よりも大切だと、ようやく分かったのだから…。
「…戻りたい…。もう一度………。彼女に……」
ポロポロと涙を零し、静かに泣くトニーに『声』は告げた。
戻してやろう…彼女の元へ…。もう二度と…しくじるなよ…。
***
目を開けると、トニーの目の前に、キャプテン・アメリカの盾が迫っていた。
顔面に叩きつけられると、恐怖に顔を歪ませながら、トニーは腕で咄嗟にガードした。
と、あの時は躊躇なかったスティーブ・ロジャースが、一瞬躊躇した。そして盾は顔面ではなく、リアクターに向けられた。
リアクターを破壊されたが、助けを呼ぶことができた。が、肋骨が折れたのか、胸がズキズキと痛み始め、息苦しくなってきた。そして寒さは次第に身体を蝕んでいった。
(やはり…ダメなのか…)
折角貰ったチャンスなのに、結局は死を受け入れるしかないのか…と、トニーはゆっくりと目を閉じた。
***
トニー……トニー……
壊れたラジオのように繰り返し聞こえる名前にトニーはゆっくりと目を開けた。すると今度は、白い天井が目に入った。
(ここは…)
ぼんやりする頭で必死に考えていると、人の気配がした。何とか覚醒させようと、二三度頭を振ると、誰かがギュッと手を握りしめた。
「トニー…気がついた?」
(この声は…ペッパーだ…)
ぼんやりとした視界に見えたのは、世界で一番愛おしい存在だった。
チューブの挿管された状態では、声を出すことすらままならないが、小さく唸り声を上げたトニーに、ペッパーは安心したように息を吐いた。
「よかった…よかったわ…トニー……」
トニーの手を自分の頬に当てたペッパーは、ニッコリと笑った。頬を伝わった涙が掌に触れ、その温かさにこれが現実だとトニーはようやく実感できた。
二度としくじるなよ…
また『声』が聞こえた。今度はどこか楽しそうな声だった。
(あぁ…。絶対に…もう二度と…彼女の手を離さない…)
泣きじゃくるペッパーを見つめながら、トニーは誓った。彼女だけは永遠に手放してなるものか…と。