そしてあの事故から三ヶ月後。
退院したトニーはペッパーと結婚した。
二人の希望で結婚式は家族と友人だけの小さなものになったが、片時も離れたくないというように寄り添い合っている二人を、参列者は微笑ましく見守っていた。
そしてトニーは教師を辞め、会社を手伝い始めた。元来頭のいいトニーはあっという間に仕事にも慣れ、一か月も経たないうちに頭角を表していった。ハワードは自分よりも仕事のできる息子を誇らしげに連れ回し、そんな親子の姿を長年の確執を知っている周囲の人間は、目頭を押さえて見守っていた。
そして、ペッパーは…。マリア亡き後のスターク家を切盛りし始めた彼女は、最初は今までとは全く違う世界に戸惑いつつも、持ち前の明るさと優しさもあり、使用人からも好かれ大事にされていた。ハワードもペッパーを実の娘のようにかわいがり、娘の様子が気になると時折顔を覗かせるペッパーの両親とも打ち解け、まさに絵に描いたような幸せな家族だったのだ。
そんなある日。
「ただいま」
「おかえりなさい」
玄関で出迎えてくれたペッパーにキスをすると、トニーは少し膨らんだお腹を撫でた。
「いい子にしてたか?」
トニーが声をかけると、お腹の子供はまるで「おかえり」というようにお腹を蹴った。
「痛っ!この子ったらホントあなたの声が好きね」
楽しそうに語り合う二人をハワードは嬉しそうに見つめていた。だが、トニーが時折苦しそうに息をしているのが、ハワードは気がかりだった。
「おい、トニー」
リビングを通りかかった息子にハワードは声を掛けた。
「ただいま。どうかしたのか、親父?」
ネクタイを緩めたトニーは、ジャケットを放り投げるとソファーへ座った。
その顔色はどことなく悪く、眉間に皺を寄せたトニーは大きく息を吐いた。
「お前、最近頑張りすぎじゃないか?もうすぐ父親になるんだ。あまり無理するなよ?」
心配そうな父親に気付いたトニーは、笑みを浮かべ立ち上がった。
「大丈夫だ。それに、今のプロジェクトが成功すれば、数年は安泰だろ?」
ジャケットとカバンを持ったトニーは、笑いながら寝室へと向かった。
結局、トニーからは何も言わないため、ハワードはそれ以上聞くことができなかった。
それからさらに三ヶ月。
トニーも会社の仕事に慣れ、ハワードも孫が産まれたら社長の座をトニーに譲り、会長に退こうと考えていた頃。
ペッパーのお腹も大きくなり、もうすぐ出産予定日だ。出産に備えトニーとペッパーは子供部屋を用意したり、母親教室に参加したりと、楽しそうに準備をしていたが、ここ数週間トニーは出張続きでほとんど家にいなかった。そのため、ハワードは息子の体調を気にしつつも、状況を確認することができていなかった。
その日は日曜日だったが、トニーは新規プロジェクトの打ち合わせで、3日前から出張で不在だった。明日の昼からの会議に間に合うように帰ってくると言っていたが、おそらく家には帰らずそのまま会社に向かう気だろう。このところ、働き通しの息子がさすがに心配になったハワードは、出張から帰ってきたらヴァー ジニアの出産まで少し休ませようと一人考えていた。
そんなことを考えながら、リビングで寛いでいたハワードの元にペッパーがコーヒーを持ってやって来た。
「お父様?今、よろしいですか?」
「どうしたんだ?ヴァージニア」
ハワードの前にコーヒーを置いたペッパーは、自分に用意したジュースを手に取った。
「トニーのことなんです…」
「トニーがどうかしたのか?」
俯いたままのペッパーは、言おうか言わまいか迷っているようだったが、大きく深呼吸すると顔を上げた。
「お父様にお話すると心配かけるかと思って黙ってたんですが、やはりお話しておかないと…。実は、あの事故の後、トニーは苦しそうなんです。退院してからも、時々胸を押さえてたことはあったんです。でも、この一ヶ月はずっと苦しそうで…。出張に出掛ける前の日には、仕事をするって書斎にこもってしまったんです。全然部屋から出てこないんで、夜食でも…と、そっと覗いたら…トニーは床に蹲ってて…。顔色も悪いし、食欲もあまりなくて…。もうすぐ赤ちゃんが生まれるからって、私に心配かけないように隠してるみたいなんです。彼、病院に行くのが嫌いだから、検査に行くよう勧めても、何でもないの一点張りで…。私…トニーに何かあったらって思うと夜も眠れなくて…」
ポロポロと涙を零し始めたペッパーは、手で顔を覆った。
幼い嫁の背中をそっと手を当てると、ハワードは労わるように撫で始めた。
「私も気にはなっていたんだ。分かった。明日にでも話してみる」
その頃トニーは、出張先のホテルの部屋に戻っていた。もうすぐ日付が変わりそうだが、妻の声が聞きたくなったトニーは、ペッパーに電話を掛けようと携帯に手を伸ばした。だが、その時…。
「っ!」
胸を締め付けるような痛みを感じ、トニーはその場にうずくまった。
またこの痛みだ…。また発作が…。あの事故以来、不定期に襲う胸痛だが、最近は頻繁に起こるようになり、息苦しさも続いている。
せっかく何もかも順調なんだ…。ここで俺が倒れるわけにはいかない…。ペッパーと親父を悲しませるわけには…。
いつもならしばらくすると治るのだが、今日はなかなか落ち着かない。
胸の痛みは酷くなり、呼吸できなくなったトニーは、その場に倒れた。
「く…っそ…」
胸元をぎゅっと掴み深呼吸するが、締め付けは酷くなる一方だった。
発作が起きた時に…と、貰っている薬は机の上だ。身体を起こし机の上の薬を取ろうとしたトニーだったが、ギュっと心臓を鷲掴みにされたような痛みを感じ、意識を失った。
翌朝、その場で目が覚めたトニーだが、全身にわたる倦怠感は容赦なく彼を襲い続けた。食欲もなく吐き気に襲われたトニーはしばらくバスルームにこもっていたが、大きく息を吸うと目の前の鏡を覗き込んだ。鏡の中の自分は、酷い顔色をしている。
倒れる前に病院に行った方がいいかもしれない…。だが、午後からはLAで会議だ。会議が終わったら行ってこよう…。
トニーはシャワーを浴びぼんやりする頭を覚醒させると、荷物を持ち空港へと向かう車に乗り込んだ。
LAへ戻るとトニーは真っ直ぐ会社へ向かった。渋滞のため予定よりも到着が遅れてしまい、トニーは会議室へ急いだ。
小走りで会議室へ向かうトニーは、胸に痛みを感じドアの前で立ち止まった。
(またか…)
何度か深呼吸したトニーは額に浮かんだ脂汗を拭うと、ドアを開けた。
「遅くなって申し訳ありません」
社長である父親を筆頭に重役たちが揃った会議。
「トニー、遅かっ…」
トニーを見たハワードは言葉を失った。
目の下に隈を作り真っ青な顔をしたトニーは、誰がどう見てもどこか具合が悪いとしか思えない。
心配するハワードと社員の視線に気づきながらも、トニーは黙って前方へと向かった。
「では、次期プロジェクトについて説明します」
新プロジェクトについて説明するトニー。その説明は相変わらず的確で分かりやすく、皆真剣に耳を傾けている。だが、当の本人の顔色は酷く悪く、脂汗をかいている。時折大きく息をしながら何度も額の汗を拭うトニーを、室内にいる人間は皆心配そうに見つめている。
辛そうな息子が心配になったハワードは、何度中断させようかと思ったが、トニー自身が中断しようとしないのだから無理に止めることもできず、早く終われと祈るように息子を見守っていた。
「…以上です。質問等あれば…」
プレゼンを終えたトニーは額の汗を拭うと、投げかけられた幾つかの質問にも的確に答えていった。だが、胸元を押さえ顔を顰めているトニーは先ほどよりも辛そうで、ハワードは強引に会議を終わらせた。
「時間も押している。終わりにしよう。質問があれば各自トニーに聞くように」
席へ戻ろうと歩き出したトニーにハワードが声をかけようとしたその時…。
顔を歪め立ち止まると胸を押さえその場に崩れ落ちた。
「トニー!!」
「トニー様?!」
慌ててかけより抱き起こすと、トニーは苦しそうに胸を押さえている。
「早く救急車を呼べ!」
騒然とする周囲を余所に、ハワードはトニーのネクタイを取ると、首元を緩めた。
「トニー、しっかりしろ!」
意識が朦朧とし始めたトニーは、父親の声を聴きながら意識を手放した。
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