三日後。目を覚ましたトニーは、顔を覗き込んでいたペッパーに
「おはよう」
と笑いかけた。
「トニー…よかった…」
手を握りしめ涙を流すペッパーと、それを嬉しそうに見つめるトニーの姿に、入口で見守っていたハワードはそっと目頭を抑えた。
そしてその翌日、意識のはっきりしたトニーにペッパーは妊娠のことを告げた。
「赤ちゃんができたの」
と告げた時のトニーの顔をペッパーは一生忘れないだろう。
しばらくポカンと口を開けていたトニーだったが、やがて
「早く元気にならないと…」
と、嬉しそうに笑った。
「あの時か…」
トニーの脳裏に浮かんだのはあの自暴自棄だった頃の自分。何も言わず、ただ欲望のままにペッパーを抱いた日のこと。
「ペッパー…すまない」
自分勝手な行動のせいで、彼女の人生を狂わせてしまった…。目を伏せたトニーだが、ペッパーはニッコリ笑うとトニーの手を取った。
「謝らないで?私ね、あなたの赤ちゃんができて嬉しいの」
「だが…」
トニーが気にしているのは、大学進学のことだろう。それにペッパーの両親にも伝えなければならない。
もちろん大学へ行くという自分の夢も大切だ。だが、今のペッパーにはそれ以上に大切な夢があった。それは、愛するトニーを支えること。どんな時でも彼のことを信じ共に歩むこと…。
「私ね、今は大学へは行かないわ。あなたのこと支えたいの。この子と一緒に…」
お腹を押さえ微笑んだその顔は、幼さが残るもののすっかり母親の顔だった。
「ペッパー…」
眩しそうに見つめるトニーの手をそっと握ったペッパーは、ニッコリと微笑んだ。
「パパとママには私から伝えるわ。あなたとの結婚も許してもらうように説得するから…」
だが、トニーは男として自分から告げるべきだと、ガンとして譲らなかった。
「いや…俺が言う。俺から説明させてくれ。だから…」
そのトニーの実直な心をおそらく両親は気に入ってくれるだろう。そう感じたペッパーは、彼の手の甲にキスを落とすと頬に摺り寄せた。
「分かったわ。今度戻って来る時には、パパとママも連れてくるわ」
トニーが目を覚ました五日後、卒業式が控えているペッパーは、家に帰って行った。
「卒業式が終わったら、すぐに戻ってくるわね」
甘いキスと共にとびっきりの笑顔を浮かべたペッパー。次に来る時は、もう誰にも遠慮せずにお互いを愛していると言えるのだ。二人で共に暮らせる日々を楽しみにしていると、ペッパーは嬉しそうに病室を後にした。
ペッパーのいなくなった病室で、トニーは一人天井を見つめていた。まだ動くことの出来ないトニーは、あのクリスマスの出来事を思い返していた。
感情的になっていたとは言え、両親に酷いことを言ってしまった。もっとしっかり話し合えばよかった。せっかく生きて戻って来れたんだ。謝ってきちんと話をしよう…。
だが、おそらく母親は…。
ぼーっと物思いに耽っていると、ハワードがやって来た。
「気分はどうだ?」
ベッドサイドの小さな椅子に座ったハワードは、トニーの手を優しく握りしめた。
「…最悪だ…身体中が痛い…」
ハワードの握っている右手にはまだ感覚がなく、鎮痛剤を常時投与されていても、身動きするだけでも全身に痛みがはしるのだ。顔をしかめた息子の額に浮かんだ汗をハワードはそっと拭った。
「死にかけていたんだからな。大丈夫だ。お前は強いからすぐに良くなるさ」
微笑んだ父親だが、その顔は憔悴し切っており、そして黒のスーツを着ている。父親の様子から、トニーは悟った。母親はこの世にいないことを…。
「親父…お袋は…死んだんだろ?」
「……」
ポツリと呟いた息子の言葉に、ハワードは何も言えなかった。父親の目に薄っすらと涙が浮かんだのに気づいたトニーは、辛うじて動く左手を伸ばし父親の手を握った。
「眠っている時に夢に出てきたんだ。親父のこと頼むって。もうそばにいられないからって…。俺とペッパーと二人で親父のこと支えてくれって頼まれたんだ」
「そうか…」
母親を思い出したのだろう。父親の目から涙が一粒零れ落ちたのを見たトニーは、目元に溢れた涙もそのままに、父親を見つめた。
「お袋、苦しんだのか?」
「いや…マリアは即死だった…。綺麗な顔だった…」
「そっか…」
涙に濡れた息子の頬をハワードはそっと拭った。
「トニー…」
「親父…俺…お袋に謝りたかった…最後にあんなこと言って…」
「トニー、大丈夫だ。マリアは分かってた。お前が父さんや母さんのことをきちんと考えてくれていたことも、喜んでいたぞ」
「親父にも…ゴメン…。俺…」
子供のように大粒の涙を零すトニーを、ハワードはいつまでも抱きしめていた。
それから二週間後。
卒業式を終えたペッパーは、両親と共に病院を訪れた。
トニーから正式に挨拶をしたいが、入院中で動けないことを告げると、両親…特に母親は服を新調するほどの力の入れようで、お見舞いに何を持って行こうかと楽しそうに準備を始めたのだった。
「スターク先生が息子になるのよ」
と、母親はペッパーに嬉しそうに話している。だが、父親は喜んでくれてはいるが、やはりさみしいのだろうか、先ほどから黙ったままだ。父親のジャケットの裾をそっと掴んだペッパーは、
「パパ、トニーは酷い怪我をしてるんだから…殴ったりしちゃダメよ」
と、忠告した。だが…。
「そんなことはしないさ。それとも、殴られるようなことをしたのか?」
「そ、それは…」
視線を逸らした娘に両親は何か感付いたようだが、何も言わなかった。
病室へ入ると、トニーは診察中だった。
モニターを睨んでいた医師は、トニーの左手にナースコールを握らせた。
「これで少し様子をみましょう。何かあったらすぐに呼んで下さい」
ペッパーに気付いたスタッフは、一礼して部屋を出て行ったが、ベッドに横たわるトニーを見たペッパーは、顔色を変えた。
トニーは二週間前よりもやつれ、青白い顔をしており、酸素マスクを付けているにもかかわらず、肩で大きく息をしている。最後に顔を合わせた時よりも状態は悪くなっているのは明らかだ。
だが、ペッパーに気付いたトニーは、嬉しそうに笑うと左手を伸ばした。慌てて駆け寄ったペッパーは、その手を優しく包み込むと、痩せてしまった頬を撫でた。
「トニー?大丈夫なの?」
「大丈夫だ…。ただ、少し息苦しくて…」
ペッパーの後ろに彼女の両親がいることに気付いたトニーは、囁くような声で言った。
「ペッパー…少し起こしてくれ…」
手助けされながら身体を起こしたトニーの後ろに枕を置いたペッパーは、不安そうに彼の手をそっと握った。ペッパーに向かい小さく微笑んだトニーは、大きく息を吸い酸素マスクを外すと、姿勢を正した。
「ポッツさん…こんな格好ですみません。失礼なのは重々承知していますが、お許し下さい。ヴァージニアさんとは、一年半前から結婚を前提にお付き合いしていました。今まで隠していて申し訳ありません。彼女が卒業したら、きちんとご挨拶に伺うつもりだったんですが…。こんなことになって、本当にすみませんでした。もう一つあります。彼女は妊娠しています。もちろん、俺の子供です。順番がめちゃくちゃなのも、彼女が大学へ進学することを楽しみにされていたのも分かっています。ですが、彼女は俺が辛い時にずっと支えになってくれました。彼女と出会い愛され、俺は本当の意味での人生を知りました。お願いします。 ヴァージニアさんとの結婚を許して下さい。彼女のことは、命をかけて守ります。絶対に幸せにしてみせます。お願いします…」
頭を下げ続けるトニーを見たペッパーも、慌てて頭を下げた。
「パパ、ママ…お願いします。トニーは私にとって誰よりも大切な存在なの。お願いします…」
しばらく渋い顔をして二人を見比べていたペッパーの父親だが、ふっと頬を緩めた。
「本当なら一発殴りたいところだが…病人を殴るわけにはいかないしな」
その言葉に顔を上げると、ペッパーの父親は笑っていた。そして、トニーの傍に歩み寄ると、左手をそっと握りしめた。
「スタークさん、娘はまだ幼く至らない点もあると思います。ですが、あなたの思う気持ちは誰よりも負けないはずです。どうか、娘のことを…頼みます」
「ありがとうございます…」
トニーの目から零れ落ちた涙を拭き取ったペッパーは、嬉しそうに笑っている。そんな二人を、ペッパーの母親は名シーンだといわんばかりに必死に写真を撮っていたのを二人は知らない…。
その後、ペッパーの献身的な介護もあり、トニーは順調に回復していった。
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