「Kiss The Teacher」カテゴリーアーカイブ

コールソンの災難

私の名前は、フィル・コールソン。
長年、この学園で用務員をしている。
私の楽しみ…それは休日に美術館巡りをすること。

ある日曜の昼下がり。いつもの散歩コースの帰り道、ふと目についたアートギャラリーに立ち寄った私は、そこで運命の出会いをした。無名の駆け出しの画家の展示会を行っていたそのギャラリー。片隅にひっそりと飾られた繊細なタッチの風景画。名もない画家の一枚の絵だが、一目で気に入った私はその絵を購入したのだった。

それがスティーブ・ロジャースとの出会いだった。

翌日、学園の自分の部屋に件の絵を飾った。
お茶を入れ、絵を眺めていると、校長がやって来た。
お茶を勝手に入れ啜り始めた校長は、視線を絵に向けると立ち上がった。
「コールソン、これはスティーブ・ロジャースの絵ではないか?」
「こ、校長!ご存じなのですか⁈」
立ち上がった拍子に私はカップをひっくり返してしまったが、そんなことはどうでもいい。
私の慌てぶりに目を丸くした校長は、ニヤリと笑みを浮かべた。
「知ってるも何も…。彼は明日から美術教師として赴任してくるぞ?」

スティーブ・ロジャーズが、この学園に来るだと⁈

不敵な笑みを残して部屋を去った校長の言葉がいつまでもこだましていた。

翌日、赴任してきたロジャースだが、なかなか話す機会がなく、私は一人悶々としていた。
夕方になり、赴任の挨拶に…と部屋にやって来たロジャーズ。私はようやく彼と二人きりで話すことができた。
部屋に飾ってある絵に気付いたロジャースは、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「これ、僕の絵ですね…」
これはチャンスとばかりに、私は自分がロジャースが…いや、この絵が好きだということをまくし立てた。そしてお茶でも飲みながら語り合いましょうと、遠回しにアピールしたが…ロジャースはあまりに純粋だった。
「そうですか。ありがとうございます。今度、コールソンさんのために、何か描いてきますね」
お茶でも…という言葉は完全に無視されたが、それでも私はロジャースと二人きりで話せて幸せだった。

その日から私は機会があるごとに毎日のようにロジャースをお茶に誘った。いつの日か「フィル」と呼ばれることを期待しながら…。だが、お互い忙しく、なかなかその機会は訪れなかったのだ。

そうこうしているうちに、一年が過ぎ、新年度がやって来た。
今年新しく赴任してきたのは、トニー・スタークという理科教師だった。MITを17歳で卒業したという天才児がなぜ教師に?と不思議だったが、年若くそして男前でユーモアに溢れた彼は、あっという間に学園一の人気者になった。

ある日、校内をぶらぶらと歩いていた私は、食堂で楽しそうに語り合うスタークとロジャースの姿を目撃した。
「おい、スティーブ。帰りに飲みに行かないか?」
「そうだな、いい店を見つけたんだよ、トニー」

(私が一年経ってもお茶の一つもできないのに、一週間もたたないうちから飲みに行くだと⁈それに、「スティーブ」「トニー」と名前呼び⁈)

愕然とする私に気づくことなく、ロジャースとスタークは食堂を出て行った。

(す、スタークめ!!私が一年かけても成し遂げていないことを!一週間で!!)

怒りの矛先をどこにぶつけたらいいのか…迷った私は放課後こっそりと理科室へ向かった。

翌朝…。
「何だこれは⁈」
理科室にスタークの悲鳴が響き渡った。
前日綺麗に掃除したはずの理科室の黒板は真っ白、机の上にあげておいたはずの椅子はすべて降ろされ…。散らかった部屋の前で佇むスタークを私は柱の陰からニヤニヤと覗いていた。
(こんな嫌がらせをして私も大人げないな…)
がっくりと肩を落とし片付け始めたスタークを見た私の心は少々痛んだ。だがその時…
「どうしたんだ、トニー?」
通りかかったのは愛しのロジャース。
「スティーブ。いや…それが、昨日片付けて帰ったはずなのに、この有り様なんだ…」
頭を掻き首を傾げるスターク。なぜか嫌な予感がした私がハラハラして見守っていると…
「酷いことをする奴もいるもんだ。手伝おう」
予感的中。ロジャースはスタークと肩を並べて片付け始めた。
「ありがとう、スティーブ。なぁ、今度うちに来ないか?バナーとよく呑むんだが、あいつはすぐ寝てしまって…。どうだ?朝まで飲み明かそう。どうせ暇だろ?」
「いいのか?僕も独り身で暇なんだ。今度の週末にでも…」

(家に行く?朝まで飲み明かす?それは、スタークの家にロジャーズが泊まるということなのか⁈)

私の仕掛けたイタズラが、かえって二人の仲を縮めてしまった。
ショックに打ちひしがれる私を他所に、二人は仲良く片づけると部屋を後にした。

***
結局、何も進展がないまま10年が過ぎた。
スティーブ・ロジャースと仲の良かったトニー・スタークは、一身上の都合で突然教師を辞めた。
何の挨拶もなく去って行ったスタークだが、事情が事情なのだ。
「トニーがいないと、寂しいなぁ…」
職員室で空っぽになった席を見つめながらブルース・バナーはため息を付いている。そして他の教師も皆、同感だと頷いている。
愛しのスティーブ・ロジャースと彼と席を並べる体育教師のソー・オーディンソンは、いつだったかスタークが土産だと買ってきたドナ○ドとデ○ジーのぬいぐるみを同時に手に取った。
悲しみにくれるロジャースを見つめていた私は、今こそ彼を慰め、親密になる、これは神が与えてくれたチャンスだと感じた。
今度こそ…と、ロジャースに声を掛けようとした時だった。
「スターク先生の代わりに急遽来て頂くことになった先生だ。紹介しよう」
校長の声に一同は顔を上げた。が、その教師を見たロジャースは、大声を上げ立ち上がった。
「バッキー?!」
「スティーブ?!」
新任教師ことバッキー・バーンズとロジャースは、どうやら旧知の仲らしい。抱き合い再会を喜ぶ二人にもはや付け入る隙は全くなかった。
そのまま肩を抱き合い職員室を去って行く二人を見送った私だが、いつ日か必ず『フィル』と呼んでもらうという野望はこれからも持ち続けると心に誓ったのだった。

4 人がいいねと言っています。

喧嘩

Kiss the Teacher 番外編・嫉妬編の続きです。

ある日の放課後、いつものようにトニーの部屋へ向かっていたペッパーは、話し声に気付くと立ち止まった。目的の部屋の方向から聞こえる声は、男性と女性の声。男性の声はもちろん彼女の恋人であるトニー・スターク。そして女性の声は…。
どこかで聞いたことのある声に、ペッパーは廊下の角からそっと顔を覗かせた。
部屋の前でトニーは女子生徒と話をしていた。
(あれって…マヤ・ハンセン?)
マヤ・ハンセンはペッパーと同学年の生徒だが、ペッパーとはクラスが違うため直接面識はなかった。それでも彼女のことは知っていた。
入学当初から彼女はトニーの熱烈なファンだった。ペッパーも入学当初からトニーのことが好きだったが、恥ずかしさもあり話をすることさえできなかったのだが、マヤは違った。彼女は最初から積極的にトニーに気持ちをぶつけていた。クリスマスや誕生日など何かにつけてプレゼントを渡してることも、学校中で有名な話だ。
そのマヤ・ハンセンがどうしてトニーといるのかは知らない。残念ながら二人は小声で話しているのか、所々しか会話は聞こえない。何を話しているのか気になったペッパーは、聞き耳を立てた。

一方のトニーは、目の前の生徒に少々うんざりしていた。
彼女が自分のファンなのは随分前から知っている。
卒業まであと半年。来月にはクリスマスもある。だから思い切って気持ちを伝えさせて欲しいと彼女が告白してきたのは先週の話だ。
自分には大切な女性がいる。彼女とは数年後には結婚する予定だ。だから君の気持ちには答えれないと丁重にお断りしたのだが、それでも彼女は諦めてくれず、今日もこうやってやって来たのだ。

「スターク先生。この間のお返事聞かせて下さい」
「ハンセンくん、この間も言ったが、俺には恋人がいる。だから君の気持ちには答えれない」
ため息をついたトニーはそう告げたが、マヤも負けてはいなかった。
「知ってます。先生に素敵な方がいらっしゃることは。でも、先生の恋人ってそばにいらっしゃらないじゃないですか。私なら先生のそばにずっといます。だから…」
言葉を切ったマヤはトニーに抱き付いた。慌てて引き離そうとしたトニーだが、マヤはトニーにぎゅっと抱き付き離れようとしない。
それでも無理矢理マヤを引き離し顔を上げると、少し離れた場所にペッパーがいるではないか。
(ペッパー?!)
声を掛けたいが、彼女との関係は秘密なのだからどうすることもできない。
どうすればいいのかとトニーがおたおたしていると、目に涙を溜めたペッパーは走り去ってしまった。
「ハンセンくん、はっきり言わせてもらうが、こういうことは迷惑だ。俺には心に決めた女性がいる。例え今そばにいなくても、俺のそばにいることが出来るのは彼女だけだ」
きっぱりと言い切ったトニーは、まだ何か言いたげなマヤを残すとその場から立ち去った。

(ペッパー…電話に出てくれ…)
その後、何度も電話を掛けたが、ペッパーは電話はおろかメールにすら返信してくれず、トニーは眠れない夜を過ごした。

***
翌日、授業中も廊下ですれ違い様にも全く目も合わせようとしないペッパーに、トニーはどうにかして話をしようと必死だった。
来てくれないだろうかと思いつつ、放課後になりペッパーを呼び出したトニーがやきもきしながら部屋で待っていると、ドアをノックする音が聞こえた。
祈るような気持ちでドアを開けると、期待通りペッパーがいたのだが、膨れ面をした彼女は何も言わずに部屋に入った。怒っている彼女のその頬を膨らませた顔も可愛いらしいと思ったトニーだが、そんな悠長なことは言ってられない。
ドアを閉めたトニーは壁にもたれかかると、二人きりの時にしか出さないような甘い声を出した。
「ペッパー、何を怒ってるんだ?」
だがペッパーはジロリとトニーを睨み付けると、眉間に皺を寄せた。
「何って、分かってるはずよ?」
「もしかして、昨日のことか?」
ポカンと口を開けたトニーに、ますます腹が立ったペッパーは声を荒げた。
「そうよ!昨日のことよ!あの子と廊下で抱き合ってたでしょ?!どういうつもりなのよ!」
彼女が無理矢理トニーに抱き付いたことは分かっている。だが無理矢理だったとしても、トニーと抱き合えるのは自分だけのはずなのだ。それともう一つ。ペッパーには許せないことがあったのだが、それを口に出す前に、トニーは言い訳をし始めた。
「あれはハンセンくんが無理やり抱き付いてきたんだ。俺は恋人がいるときちんと伝えた!だが彼女が抱き付いたまま離れなかったんだ!それくらい分かるだろ?!」
冷静に考えれば分かりそうなものなのに分かってくれないペッパーに、次第に腹が立ってきたトニーも声を荒げてしまった。
怒っていたのは自分なのに、トニーも怒り始めてしまい、ペッパーは先ほどから胸の内で燻ってた思いをぶつけてしまった。
「あの子に告白されたんでしょ?どうして言ってくれないのよ!私には全部話せと言ったじゃないの!なのにどうしてあなたは話してくれないのよ!」
先日、他校の男子生徒に告白された時、告白されたら全部話してくれと言ったのはトニーだ。それなのにどうして自分が告白されたことは言ってくれないのだろうか。いや、告白の話だけではない、トニーは肝心なことは胸の内に秘め気味なのだ。それがペッパーの心のどこかでずっと気になっていたことだった。
「俺に告白してくる生徒はハンセンくんだけじゃない。君も知ってるだろ?だからいちいち言わなかっただけだ」
ため息を付いたトニーは髪をかき上げた。
だがペッパーが聞きたいのはそういうことではないのだ。これ以上話しても、お互い感情的になっているこの場では解決しそうにない。そう思ったペッパーは
「トニーなんて大嫌い!」
と叫ぶと、泣きながら部屋を飛び出した。
「おい、ペッパー!」
追いかけようとしたトニーだが、ここは学校だ。下手に騒げば関係がばれてしまう。そうなるとペッパーに迷惑をかけてしまうのだ。
唇を噛みしめたトニーは力任せにドアを閉めた。

***
翌日は土曜日で学校は休みだった。
いつもなら朝からトニーの家に行き、夕方まで二人きりで過ごすのだが、昨日のことを怒っているのか、トニーからは何も連絡がなかった。
「…私って子供じみてたわよね…。トニーは何も悪くないのに…。私が一人でやきもち焼いて、怒って…。トニーのことを怒らせちゃったわ…」
ミッ○ーを抱きしめたペッパーの目から涙が零れ落ちた。
父親と母親は出張で週末は不在。一人きりの週末なんて寂しくてたまらないに決まっている。
「もう…嫌…」
枕に顔を沈めたペッパーは頭から毛布を被った。

いつの間にかうとうとしていたようで、ペッパーが目を覚ますと外は薄暗くなっていた。
「あれ…今何時かしら…」
枕元に放り投げていた携帯を見ると、メールが何通も届いていた。
差出人は全てトニーだ。

『昨日は悪かった。これからは俺もちゃんと話をする。すまなかった』
『君がいない週末がこんなにも寂しいものだとは知らなかった』
『お腹がすいた…』
『ハニー…会いたい』
『辛くて死んでしまいそうだ…』
『頼む…返事をくれ…』
『ペッパー…:'( 』
『ゴメン… <3 』

顔文字など滅多に使わないトニーの可愛らしいメールに、ペッパーは思わず笑みを浮かべた。

「私も会いたいわ…」
携帯の画面をそっと撫でたペッパーは最後の1通を開いた。
『18時に学校で。待ってる』
時計を見ると17時半をまわっている。
「大変…」
大急ぎで着替えたペッパーは家を飛び出した。

週末の学校は人気もなく、校舎に忍び込んだペッパーは自分たちの教室から明かりが漏れているのに気付くとドアをそっと開けた。
いつもペッパーが座る席にトニーは顔を伏せて座っていた。
「先生…」
ドアを閉めそっと呟くと、顔を上げたトニーは立ち上がると無言で近づいて来た。
「トニー、ごめんなさい…。私…あなたを疑うなんて、最低だったわ…」
目をぎゅっと閉じたペッパーは小さく頭を下げたが、次の瞬間、大きくて温かな腕がペッパーを包み込んだ。
(トニー…)
何があっても必ず守ってくれるトニーの腕の中に抱きしめられ、ペッパーの心に燻っていた不安は一気に吹き飛んでしまった。
ギュッと抱き付いてきたペッパーを思いっきり抱きしめたトニーは、彼女の耳元で囁いた。
「ペッパー。謝るのは俺の方だ。君のことを不安にさせるなんて、最低だな…」
顔を上げたトニーはペッパーの顎を持ち上げるとじっと瞳を見つめた。
「だが、信じてくれ。俺の愛しているオンナは君だけだ。君だけが俺の世界に入り込めるオンナなんだ」
嘘偽りのないその真摯な瞳にペッパーはニッコリと笑みを浮かべた。
「うん…」
背伸びしたペッパーは、トニーの唇にキスをした。
数日ぶりのキスは軽く触れる程度だったが、二人が待ち望んでいたものだった。子供のようなキスに物足りなくなったトニーは、ペッパーの腰を抱き寄せると、甘く深いキスをし始めた。とろけるようなキスに次第に酔い始めたペッパーは、トニーのシャツをぎゅっと掴んだ。
やがて銀色の糸を引きながら唇を離すと、トニーはペッパーの頬をそっと撫でた。
「このまま帰らせたくないな…」
だが時間が時間だ。門限までに帰らさなければと、トニーはペッパーの手を引きドアへ向かいかけたのだが、その手をペッパーはぎゅっと握りしめた。
「…今日はお泊りできるの…」
消え言いそうな小さな声だったが、トニーが振り返ると真っ赤になったペッパーはどこか期待したような瞳で自分を見つめているではないか。
「それなら話は早いな。今夜は寝かせないからな」
悪戯めいた笑みを浮かべたトニーは、ますます真っ赤になっているペッパーを抱き上げると、教室を後にした。

5 人がいいねと言っています。

Kiss the Teacher~学園編別ED8

二日後。
トニーはずっとハワードに付き添っていた。ハワードが眠っている間に病室に持ち込んだ仕事を片付け、ハワードが目を覚ませば話をしたり食事を食べさせたりと、トニーは献身的に父親の世話をしていた。だが、ほとんど眠っていないのだろう。疲労の色が濃くなり始めた息子をハワードは心配そうに見つめた。
「おい、トニー。帰って休め。私より酷い顔色をしてるぞ?」
今日は気分が良いのか、からかうように言う父親にトニーは笑顔を向けた。
「大丈夫だ。そんなに柔じゃないさ。それより、さっき連絡があった。ペッパーの陣痛が始まったんだ。もうすぐ分娩室に入る。俺も行ってくるけど…。なぁ、親父…その…」
言いにくそうに声を詰まらせたトニーに、ハワードはニヤリと笑った。
「孫の顔を見るまでは死なないから、安心しろ。早く行って来い。ヴァージニアが待ってるぞ?」
早く行けと手を振ると、トニーはホッとした表情になり、足早に分娩室へと向かった。

難産なのか、産まれたという知らせは一行に来なかった。
段々と息苦しくなってきたハワードは必死に祈った。
(頼む…。マリア…。産まれるまでは……トニーが戻ってくるまでは…待ってくれ…)

目の前がぼんやりとし始めた頃、バタバタという足音と共にトニーの嬉しそうな声が聞こえ、ハワードは目を開けた。
「親父?産まれたぞ。男の子だ」
涙を浮かべたトニーはペッパーの乗る車椅子を押していた。そして、傍らのアヴェリーはペッパーの腕の中を覗き込んでいる。そう、ペッパーの腕の中には産まれたばかりの男の子がいた。
「お父様、抱いて頂けますか?」
身体を起こしてもらったハワードは、トニーに支えてもらいながら小さな孫を抱きしめた。
「かわいいな…。トニーにも…ヴァージニアにも似てる…。トニー…お前の産まれた時に…そっくりだ…」
トニーとペッパー、アヴェリーと産まれたばかりの孫の顔を見渡したハワードの目からは涙が零れ落ちた。
「父さんの名前、もらっていいか?」
トニーの言葉に頷いたハワードだが、苦しそうに咳き込んだ。子供をペッパーに渡したトニーは、父親を横たわらせた。
「もう…そろそろらしい…」
苦しい息の中で呟かれた言葉に、トニーとペッパーは流れ落ちる涙もそのままに、ハワードの手を握りしめた。
「アヴェリー……じーじのこと…覚えておいてくれよ…」
孫の頭を撫でると、幼いながらに何か感じ取ったのだろう。目を潤ませたアヴェリーは、小さな手でハワードの指を握るとにっこり笑った。
「うん!あたちね、じーじ、だいしゅきよ!じーじ、どぶちゅえん、いこうね!」
娘の言葉に必死で声を押し殺して泣いているペッパーに、ハワードは視線を向けた。
息子のことを心から愛してくれる唯一の女性。彼女のおかげでトニーは変わった。彼女が来てくれたおかげで、我々は親子の絆を取り戻すことができた…。だから、彼女には…マリアの分もお礼を言わなくては…。
「ヴァージニア…。スターク家に…来てくれて…ありがとう…。これからも…トニーのこと…頼むぞ…」
いつもトニーを正しい方向に導いてくれる手を握ると、ペッパーは優しく握り返してきた。
「はい…。お父様…私、お父様とお母様の娘になれて、幸せでした…」
何度も頷いたハワードは、先ほどから泣くばかりで何も発しない息子を見つめた。
伝えたいことは山のようにある。もっと話をしておけばよかった。だが、きっとトニーは分かってくれている。言葉にしなくても、分かってくれている。なぜなら、私たちは親子なんだなら…。
小さく震える息子の手を力強く握ったハワードは、その姿を目に焼き付けるようにじっと見つめた。
「トニー…いいか…。ヴァージニアと…子供たちを…大事にしろよ?」
せめて笑顔で送り出したい…と思ったトニーは、涙でぐちゃぐちゃになった顔を袖口で乱暴に拭くと笑顔を向けた。
「あぁ…。分かってる…分かってるよ、父さん…」
つられて笑ったハワードだが、その手から次第に温もりがなくなりつつあるのに気づいたトニーは、涙を堪えるように天を仰いだ。
焦点の合わなくなってきたハワードは、天井を…いや、その遥か先を見ているようだ。
「マリアに…やっと…会える…」
「そうだな。母さんに会ったら…俺が……」
言葉を詰まらせたトニーの後を続けるように、ハワードは囁いた。
「あぁ…。お前が…立派になったこと…伝える…」
大きく息を吐いたハワードは、トニーに視線を向けた。
「トニー…アンソニー…。愛してる…。お前が息子で…よかった…」
ゆっくりと目を閉じたハワードの手をギュっと握ったトニーは、最後に伝えなければと、耳元に口を近づけた。
「俺も…父さんと母さんの息子で良かったよ…。父さん…ありがとう…。愛してるよ…」
口元に笑みを浮かべたハワードは小さく頷くと、ふぅ…と息を吐いた。握られていた手から力が抜け、部屋には無機質なモニターの音が響き渡った。

葬儀が終わり、自宅へ戻って来たトニーとペッパーは、亡き父親の部屋へ向かった。
父親が生前の時にはあまり入ったことがないため、二人はあちこち興味深そうに見て回った。机の上にはトニーとペッパーの結婚式の写真や、アヴェリーの写真が並べて置いてある。そして、何よりも大切そうに置いてあるのが、亡き母親の沢山の写真だった。
「お父様…お母様に会えたかしら?」
ハワードとマリアの写る写真を手に取ったペッパーは、目に浮かんだ涙を拭うとトニーの腰に手を回した。
「お袋のことだ。親父が来るのが待ちきれなかっただろうから、飛びついて出迎えたんじゃないか?」
クスッと笑いあった二人は、机の下にある大きな箱に気づいた。
「何かしら?」
座り込んだ二人は箱を開けると、息を飲んだ。
「トニー…これ…」
箱の中は、トニーに関する物…産まれた瞬間から今に至るまでのたくさんの写真、使っていたのだろう小さなおもちゃ、トニーが作った工作や絵、ハワードに宛てた手紙、そして表彰状や論文、新聞記事や表紙を飾った雑誌などが箱いっぱいに大切に保管されていた。
「何だよ…こんな物までとってたのか…」
幼い頃に作ったのだろう。枯れ木や落ち葉を組み合わせて作った小さな船の模型を手に取ったトニーは、愛おしそうに眺めた。
「お父様は、あなたのことを本当に大切に思っていらっしゃったのね…」
トニーに抱きついたペッパーは、彼の肩にもたれかかった。ペッパーの背中を撫でながら、トニーは優しい声色で呟いた。
「あぁ。親父は不器用だから、言葉に出来なかったんだろうな。でも、今なら分かる…。言葉にしなくても、親父の愛情はよく分かるんだ…」
ペッパーの手をそっと握ったトニーは、身体を抱き寄せると首筋にキスを落とした。
「と、トニー…」
真っ赤になった顔を隠すように胸元に顔を押し付けたペッパーを抱き上げたトニーは、
「なぁ、ハニー。親父とお袋が恥ずかしがるくらい、君たちのことは幸せにするからな…」
と囁くと、キスをしながら部屋を後にした。

【END】

5 人がいいねと言っています。

Kiss the Teacher~学園編別ED7

そして二年後…。
「じーじ!」
手を伸ばした孫娘を抱き上げたハワードは、自宅の庭を散歩していた。
トニーに社長職を譲り、会長となったハワードの楽しみは、もうすぐ2歳になる孫娘と遊ぶこと。昔の彼からしてみれば到底考えられない姿だが、自分よりも数段しっかりしている息子と実の娘のように自分を慕ってくれる嫁、それにかわいい孫娘に囲まれ、ハワードは幸せだった。
心なしかマリアに似ている孫娘のアヴェリーはハワードのことが大好きで、いつも後ろを付いてまわっていた。
「じーじ、おままごとするのよ!」
庭で泥だらけになって遊ぶ二人の元に、ペッパーがお茶とお菓子を持ってやって来た。
「お父様、すみません…」
飛びついてきた娘の手を拭いたペッパーは、泥だらけのハワードに頭を下げた。
二人目を妊娠しているペッパーはもうすぐ出産のため、大きなお腹をしている。
「いいんだよ、ヴァージニア。子供と遊ぶのがこんなに楽しいなんて知らなかった。それに、トニーにはしてやれなかったことを、せめてこの子にはしてやりたいんだ」
母親と同じようにポニーテールにした髪を撫でると、アヴェリーは嬉しそうに笑った。

数日後。
「ただいま」
「あ!パパだ!」
玄関から聞こえてきたトニーの声にいち早く反応したアヴェリーは、もの凄い勢いで玄関に向かった。
「パパー!!」
弾丸のように飛び出してきた娘を抱き上げたトニーは、顔中にキスを受けながら鼻の下を伸ばした。
「アヴァ、いい子にしてたか?」
「うん!じーじとね、どぶちゅえんにいったのよ」
「そうか。よかったな」
リビングへ向かうと、夕食の準備をしていたペッパーがトニーを出迎えた。
「おかえりなさい」
唇にキスをおとしたペッパーのお腹を撫でたトニーは、妻に向かって優しく微笑み抱きしめようと腕を回そうとしたが、娘を抱いているのに気づき苦笑いした。それに気付いたペッパーは、アヴェリーに告げた。
「ご飯食べれるわよ。アヴァ、おじいちゃまを呼んできてくれる?」
「うん!」
床に降ろしてもらったアヴェリーは、パタパタとハワードの部屋へと向かった。
「改めて…ただいまのキスをくれないか?」
ペッパーを抱き寄せたトニーは、首筋に唇を這わせるとペッパーの目をじっと見つめた。
「いいわよ」
予定日は五日後。もうすぐ二児の父親になるのにいつまでも変わらないトニー。クスッと笑ったペッパーは、トニーの頬を両手で包み込むと舌を絡める濃厚なキスを始めた。
「んん…」
次第に深くなる口づけにペッパーの腰が震え始めた頃だった。
「パパ…ママ…」
か細い声が聞こえ、二人が身体を離すと、リビングの入口に泣き出しそうな顔をしたアヴェリーが立っていた。
「どうしたんだ?」
慌てて駆け寄ったトニーにしがみ付いたアヴェリーは、声を震わせた。
「じーじがね…おっきしないの…」
一瞬ペッパーと顔を見合わせたトニーだが、それが何を意味するのか悟ったトニーは顔色を変え父親の部屋へと向かった。

ハワードは自室の机のそばに倒れていた。
「親父!」
駆け寄ったトニーがハワードを抱き起こしたが、胸を押さえたハワードは目を開けない。
「親父!しっかりしろよ…親父!」
遅れて駆けつけたペッパーにトニーは叫んだ。
「ペッパー!救急車を呼べ!早く!」

病院へ運ばれたハワードは危険な状態だった。
「あと2、3日だと思います。覚悟して下さい…」
そう告げられたトニーとペッパーは、気持ちの整理を付ける暇もなく、会社や取引先、そしてハワードの友人らに連絡をし始めた。

バタバタとしていた人の出入りが落ち着いたのは、日付が変わった頃だった。ペッパーを自宅へ帰らせたトニーは、ハワードの眠るベッドサイドの小さな椅子に腰を下ろした。
あの時…自分が死の淵を彷徨っていた時、父親は母親を亡くしたばかりだったのにずっと付き添ってくれていた。手を握り、声をかけ、励まし続けてくれた。だから、今度は自分が…。
父親の手を握りしめたトニーだが、さすがに眠気には勝てず、うとうととし始めた。

微かな唸り声にトニーが目を覚ましたのは、夜明け前だった。椅子から転がり落ちそうになったトニーは、父親が目をうっすら開けていることに気がついた。
「親父?目が覚めたか?」
手を握ると、ハワードは弱々しい力だが握り返してきた。
「とにー…」
憔悴し泣き出しそうな息子の顔を見たハワードは、自分の命が残り僅かであることを悟った。
「なぁ、親父。もし親父が望むなら…」
そう言うと、トニーはリアクターをそっと押さえた。トニーの言いたいことを理解したハワードだが、かすかに笑うと首を振った。
「いや…トニー。私はいい…。もう十分だ…」
「そうか…」
ポツリと呟いたトニーは、目に浮かんだ涙を乱暴に拭うと立ち上がった。
「ペッパーに電話してくる。親父が目を覚ましたって…」
顔を背けたトニーは、足早に病室を出て行った。ドアが閉まると同時に、廊下から漏れ聞こえてきた息子の押し殺したような泣き声を聞きながら、ハワードは再び目を閉じた。

朝になり、アヴェリーを連れたペッパーがやって来た。
「トニー?大丈夫?」
一睡もしていないのだろう。ベッドの傍らの小さな椅子に座ったトニーは、真っ赤な目をして俯いたままだ。
「代わるから、少し眠って」
「あぁ…」
立ち上がったトニーをソファーに横にさせると、ペッパーは頬を撫でた。目を閉じたトニーだったが、しばらくするとポツリと呟いた。
「なあ、ペッパー。俺は親孝行できたかな?」
「え…」
一瞬戸惑ったペッパーを見つめると、トニーは顔を歪めた。
「俺は、昔から親父とお袋を悲しませてばかりだった…。迷惑かけてばかりだった…。お袋には、悲しい思いをさせたまま、何も言えずに別れてしまった…。だから、親父には…俺が感謝してることを…親父とお袋の息子でよかったってことを…俺が息子でよかったって……。それを伝えてから親父とは……」
言葉を切ったトニーは大粒の涙を流すと声を押し殺して泣き始めた。
苦しそうな父親を、アヴェリーは不安そうに見つめている。
「トニー…」
トニーの心の中には、あのクリスマスの出来事が根強く影を落としている。本音を吐き出したとは言え、両親に酷いことを言い、挙句の果てに母親には謝罪どころか感謝することさえ出来ずに別れることになってしまったのだから…。だからこそ、この二年半、彼は父親に対して彼なりに愛情と感謝を伝えてきたつもりだった。自分が体調を崩してでも働き続けたのは、父親が築き上げてきた物を自分がしっかり受け継ぐことで、父親の笑顔が見たかったから…。
妻であるペッパーには話すことができるのに、照れ臭さもあり父親には面と向かって言葉にすることが出来なかったことを、トニーは後悔しているのだ。
(でもきっと、お父様には伝わってるわよ…)
言葉に出す代わりに、ペッパーはトニーの身体をそっと抱きしめた。

8へ…

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Kiss the Teacher~学園編別ED6

病院に担ぎ込まれたトニーは、すぐにICUへ運ばれた。
処置を施されるトニーを室外から祈るように見つめているハワードとペッパーの元に、担当医がやって来た。
「先生…主人は…」
両手を握りしめ震えるペッパーと大丈夫だと支えるハワードを交互に見つめた医師は、苦悶の表情を浮かべた。
「心臓発作です。実は…お二人を悲しませたくないからと、トニー様には口止めされていたんですが…。トニー様は、あの事故の後、何度か軽い発作を起こされていました。今までは薬で抑えていたのですが…。トニー様の心臓は…やはりあの事故の後遺症で…」
「そんな…」
真っ青な顔をしたペッパーは、その場に座り込むと、声を押し殺して泣き出した。
「何とかならないのか!」
思わず声を荒げたハワードに、医師は頭を下げた。
「残念ですが…。力及ばず、申し訳ありません…」

ベッドサイドへそっと歩みよると、トニーは起きていた。
泣き出しそうな顔をした父親を見たトニーは、自分の状態は相当悪く、もう長くはないのだと悟った。
青白い顔をしたトニーは酸素マスクを付け、苦しそうに大きく息をしていたが、父親に向かって無理やり笑みを作った。
「親父…頼みがある…」
「何だ?」
「俺がいなくなっても…ペッパーと子供のこと、頼む…」
「馬鹿なことを言うな!お前が守らなくてどうするんだ!」
「…そうだな…ごめん…」
「…」
「…でも…もう…無理かもしれない…ごめん…親父…最後まで親不孝者で…ごめん…」
「トニー…」
苦しそうに笑ったトニーの目から涙が零れ落ちた。
「ヴァージニアを呼んでこようか?」
「あぁ…」
目元の涙を乱暴に拭ったトニーは、真っ赤になった瞳を部屋の外へ向けた。

「ヴァージニア…トニーが呼んでる…」
部屋の外で俯いていたペッパーは、ハワードの声に顔を上げた。

何を言えばいいの?
彼は私を置いて遠くへ行こうとしている…。どうすれば止められる?

零れ落ちそうな涙をぐっと堪えたペッパーは病室へ入ると、必死で手を伸ばしているトニーの手を握りしめた。
「トニー…」
頬を撫でるとトニーは嬉しそうに目を細めた。
「ペッパー…ごめん…。約束は…守れそうにない…。お腹の子…抱いてやれなくて…ごめん…」
「トニー…お願い…。置いて行かないでよ…」
ペッパーの目から涙がポロポロと零れ落ちた。

彼女の涙が嫌いだった。自分のせいで悲しむ顔が嫌いだった。最後の最後まで、悲しませることしかできなかった…。でも、幸せだった。ペッパーに出会い愛することを知り幸せだった…。だから最後に愛していると伝えなければ…。

大きく息を吸い込んだトニーは、ペッパーに向かい無理矢理笑みを浮かべた。
「君に会えて…俺は幸せだった。君を愛することができて…よかった…。ありがとう…ペッパー…。俺を愛してくれて…。俺に愛することを教えてくれて…ありがとう…」
流れ落ちる涙もそのままに、ペッパーは首を振った。
「トニー…嫌よ…。ずっとそばにいてよ…お願い…」
「ペッパー…俺はずっと…君のそばにいる…。永遠に…離れたりしない…」
「そんなこと言わないで…。この子ももうすぐ産まれるのよ…」
だが、ペッパーの言葉は、すでにトニーの耳には聞こえてなかった。
「ペッパー……愛…して…る…」
涙で潤んだトニーの目がゆっくりと閉じられた。
「トニー?」
モニターがけたたましい音を立て始め、やがて無情な音が病室に響き渡った。
「すみません、下がってください」
泣き叫ぶペッパーは引き離され廊下に連れ出された。
人工呼吸器が取り付けられ、医師がトニーを蘇生させようと必死で心臓マッサージを始めた。廊下でその様子を伺うハワードとペッパーは、ただ祈ることしかできなかった。
二人の祈りが通じたのか、か細い音と共にトニーは戻ってきた。だが、予断を許さない状況には変わりない。
数日がヤマだと告げられたハワードは、病院を飛び出した。

ハワードは病院近くの教会にやって来た。祭壇の前に跪いたハワードは、正面にかかる大きな十字架を見上げた。
「神よ…息子を連れて行かないでくれ…。どうか、息子を…トニーを助けてくれ…。あいつは、父親になるんだ。息子は…あいつを愛してくれる女性とやっと出会えたんだ…。それなのに、二人を引き離すつもりですか?息子が助かるなら……私の命と引き換えでも構わない…」

何とか一命を取り留めたトニーだが、あれから意識は戻っていない。そして、そのそばで手を握り続けるペッパーの姿をハワードは病室の外から眺めていた。今 は持ち直しているが、次に大きな発作が起きれば保証はできないと宣告されており、ハワードは必死で救う手立てを模索したがどうすることもできなかった。
「トニー…」
このまま息子が命を落とすのを見守るしかないのか…。頭を垂れたハワードに、部下の一人が声を掛けた。
「社長…あれを試されてはいかがでしょうか?」
トニーの開発を手伝っていた部下の言葉に、ハワードはこの数か月息子が没頭していたものを思い出した。
「トニーが作っていたあれをか?だが…」
ハワードが言葉を濁したのも無理はない。トニーからは試作機は出来たが、実用段階ではないと報告を受けていたからだ。すなわち、逆に命を奪うことになるかもしれないのだ。
だが話を持ちかけた部下は諦めなかった。
「まだ試作段階です。…しかし、それでトニー様の命が救えるなら…」
心の迷いを口に出すわけにはいかなかった。
(トニーなら何と言うだろう。『俺が作ったものだから作動するに決まっている』とでも言うだろうか…)
ぼんやりとトニーの顔を眺めていたハワードの耳に、『親父、やれよ』とトニーの言葉が聞こえた気がした。
「分かった。すぐに用意しろ」
先ほどの部下に命じたハワードは、絶対に助けてみせるからな…とトニーを見つめ続けた。

3日後。
トニーがゆっくりと目を開けると、一面真っ白な世界が広がっていた。そして、この数ヶ月あれだけあった倦怠感も胸の痛みも息苦しさもなくなっており、トニーは一瞬自分は死んだのかと思った。だが、静かな部屋に鳴り響く規則正しいモニターと酸素の音に、自分はまだ生きているということに気付いたのだった。
心なしか胸元が重い。頭を動かしたトニーは、包帯が巻かれた胸元からわずかながら青白い光が漏れ出ているのに気付いた。
(何だ…これ…)
点滴の付いていない右手で包帯を捲ると、青い光が溢れ出た。
(もしかして…)
見覚えのある光の正体をまだぼんやりとする頭で必死に思い返していると、最愛の女性の声が聞こえてきた。
「トニー?よかった…気が付いたのね」
ゆっくりと近づいてきたペッパーは、トニーの手をそっと握った。
目に浮かんだ涙をそっと拭ったペッパーは、サイドテーブルから手鏡を出すと、トニーの胸元の上に掲げた。
鏡に映っていた物を見たトニーは息を飲んだ。
「ペッパー…これ…」
それは、アークリアクターだった。ハワードの開発した大型のリアクターをトニーは小型化し実用化させようと試作品を作っていたのだ。
(まさか…自分が一番に使う羽目になるとは…)
黙ったままのトニーの頬を撫でたペッパーは、大きなお腹をかばうように椅子に座ると息を吐いた。
「あなたが開発してたものでしょ?」
チラリとペッパーを見たトニーは小さく頷いた。だが、何とも言えない顔をしているトニー。まだ最終的な物ではなく、試作段階であることは、作った本人が一番よく分かっているからだろう。俯いたままのトニーに向かいペッパーは笑顔を向けた。
「お父様に感謝してね」
「親父に?」
ペッパーの言葉に顔を上げたトニーは不思議そうな顔をした。
「えぇ。あなたの試作品を使おうと決断されたのは、お父様よ。まだ試作品だからって反対する人たちをお父様は説得されたの。『トニーが作ったものだ。あいつは天才だぞ?あいつが作った物なんだから絶対に作動する』って…」
目を潤ませたトニーは、黙ったまま鼻を啜った。
「トニー…。お父様は、あなたのことを本当に信頼しているし、愛してらっしゃるのね。よかったわね、トニー」
自分とは違い、表だって愛情を表現する父親ではないが、あの事故以来トニーは父親の不器用な愛情をようやく理解することができたのだ。今回のこともそうだ。父親は自分の命を救うために、走り回ってくれたのだ。
嬉しそうに笑ったペッパーに気付かれないように涙を拭ったトニーは、辺りを見回した。
「親父は?」
携帯を取り出したペッパーは、義父に電話をかけ始めた。
「さっき出かけてくるってどこかに行かれたのよ?電話してみるわね」

その頃ハワードは、雨の降りしきる中、マリアの墓に来ていた。
傘も差さずに墓標の前に座り込むハワードは、トニーが倒れて以来、毎日マリアの元へ通っていた。
「マリア…頼むからトニーは連れて行かないでくれ…。もうすぐ子供が生まれるんだ。あいつに父親の喜びを味あわせてやりたいんだ。あいつにヴァージニアと幸せになって欲しいんだ…。君が寂しいなら、私が君の元に行く。それでいいだろ?」
トニーが目覚めたという連絡はまだないだが、その時、ハワードは隣に気配を感じた。
(マリア?)
顔を上げたハワードの耳に亡き妻の声が聞こえてきた。
(あなたは、あの子たちのことをもう少し見届けてあげて…。トニーは大丈夫よ…)
背後から温かくそして懐かしい感触に抱きしめられたハワードは、その懐かしい声に目をそっと閉じた。

「社長…そろそろ…」
しばらくして、運転手に声をかけられたハワードは我に返った。ハワードが立ち上がったその時、胸元の携帯がけたたましく鳴り響いた。
着信元を見たハワードは、トニーが急変したのかと慌てて電話に出た。
「ヴァージニアか?トニーに何かあったのか?!……何?トニーが?…分かった。すぐ戻る!」
電話を切ったハワードは、慌ただしく車に乗り込むと、運転手に病院へ可能な限りのスピードで戻るように告げた。

病院へ到着したハワードは、廊下を走り病室へ転がり込んだ。
「トニー!!!」
ベッドに起き上がったトニーは、ペッパーと話をしていたが、ハワードに気付くと嬉しそうに笑みを浮かべた。
歩み寄ったハワードは、黙ったままトニーを抱きしめた。
「よかった…よかった…トニー…」
うわ言のように繰り返される言葉、そして抱きしめている腕は震えており、トニーは父親が泣いていることに気付いた。
「親父…ありがとう」
父親の身体を抱きしめたトニーも流れ落ちる涙もそのままに、父親の肩に顔を埋めたのだった。

二日後、退院したトニーだったが、その一週間後、夜中に産気づいたペッパーは、女の子を出産した。
柔らかなこげ茶色の髪の毛も、大きな茶色の瞳もトニーにそっくりだったが、ハワードは小さな命の中に亡き妻の面影を見つけた。
自分にもそして母親にも似ている娘を手渡しながら、トニーは父親に尋ねた。
「親父…。お袋の名前をもらっていいか?」
「あぁ、もちろんだ。マリアは孫の顔が見たいとずっと言っていたんだ。きっと喜ぶぞ…」
こうして、トニーとペッパーの娘は、アヴェリー・マリア・スタークと名付けられた。

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