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14.Parent! au

『トニー・スターク様。あなたの子です』

スターク・インダストリーズの門の前に置かれていた箱には、そっけないメモと共に産まれたばかりの赤ん坊が入っていた。
早朝出社した社員から赤ん坊のことを知らされたトニーは、半信半疑で赤ん坊と対面したのだが、栗毛色の髪の毛も大きな琥珀色の瞳も自分そっくりな赤ん坊に、これは本当に自分の娘だと納得せざるを得なかった。それでも念の為にDNA検査を行ってみたが、彼女は確かに自分の娘だと判定された。

「で、母親に心当たりは?」
ハッピーに聞かれたトニーは、首を傾げ考えるフリをした。が、一夜を共にした女性は星の数ほどいるし、名前どころか顔すら覚えていない。寧ろ、ハッピーの方が覚えているのでは…と考えたトニーだが、相手の女性が分かったところで、結婚する気もないし、それは向こうも同じだろう。
「ない。全くない。だが、この子は私の娘…。それだけは紛れもない事実だ」
小さく首を振ったトニーは、腕の中で眠ってしまった娘を見つめた。その瞳は、長年そばにいるハッピーですら、見たことがない優しい瞳だった。

自分の血を分けた小さな存在は、トニーの中で何よりも大切なものになった。それは、今までの生活を一変させてしまう程…。
『モーガン』と名付けた娘を、トニーは一人で育てることにした。が、料理も洗濯も何も出来ないトニーが一人で娘を育てるのは、どう考えても無理だ。ハッピーはもちろんのこと、トニーの親友のローディも、心配だと言い続けた。が、トニーは
「私を誰だと思っている。トニー・スタークだぞ?トニー・スタークに不可能はない!」
と、自信満々に言い切った。だが、その自信は、早くも2日目にして崩れさってしまい、トニーがどうしようかと途方に暮れていると、ハッピーが子守にどうかと、一人の女性を連れてやって来た。

「スタークさん、初めまして。ヴァージニア・ポッツです」
ヴァージニアと名乗った赤毛の美しい女性は鼻の上のそばかすが可愛らしく、何故か分からないが、トニーは今まで出会った女性とは違う感情を一瞬にして抱いてしまった。が、それに気づかぬふりをしたトニーは、咳払いをすると手を差し出した。
「ポッツくん、よろしく頼む。ハッピーから聞いているだろうが…」
「はい、事情は全て聞きました」
頷いたポッツをじっと見つめたトニーは、大きな目を何度か瞬かせた。
「ペッパーと呼んでいいか?君のニックネームだ」
出会ってまだ数分なのに、トニー・スタークはフレンドリーなのか、はたまた厚かましいのかしら…と思ったポッツだが、彼は今から自分の『雇い主』だし、『ペッパー』というニックネームも何となく気に入ったので、彼女は特に何も言わなかった。

住み込みで働き始めたペッパーに、モーガンはあっという間に慣れ、可愛らしい彼女に魅了されたペッパーもまた、本当の娘のようにモーガンを可愛がった。
ペッパーは料理も洗濯も掃除も得意なようで、トニーが帰ってくるまでに夕食の支度もしてくれた。
「助かるよ。一生モーガンにデリバリーを食べさせないといけないと覚悟してた」
美味い美味いと夕食を食べるトニーに、ペッパーは目を丸くした。
「本当に何も作れないんですか?」
手を止めたトニーはペッパーを見つめると頷いた。
「あぁ。一度3時間かけてオムレツを作ったが、出来上がったのは、ただの炭だった」
真顔で答えるトニーに、ペッパーは思わずぷっと吹き出した。

それからの日々は、トニーにとっては新鮮で心躍るものだった。帰宅すると「おかえり」と出迎えてくれる人がいるし、温かな夕食も用意されている。これが『家族』なのかと初めて知ったトニーは、いつしかその温もりを心の拠り所にし始めていた。

モーガンの初めての言葉は、『ぱぁぱ』だった。トニーは大喜びで、J.A.R.V.I.S.に命じ、何度も初めての言葉を記録した映像を再生させた。
そして翌日。モーガンに昼食を食べさせたペッパーは、彼女を昼寝させようと子供部屋へと向かった。
着替えをさせ、ベッドに入れた時だった。
「まぁま」
「え?」
ペッパーを指差したモーガンは、ニコニコと笑っていた。
「まぁま」
小さな手を叩いたモーガンは、もう一度ペッパーに向かってそう告げた。
「モーガン、私はあなたの……」
『本当のママじゃないのよ』
そう言うべきかペッパーは迷った。だが、モーガンは今や自分の娘同然だ。例え血は繋がっていなくても、モーガンは自分にとってかけがえのない存在になっていた。だからこれから何があってもモーガンと離れないと、ペッパーはとっくに決めていた。だが、それも全てトニー次第だ。もし彼が生涯を共にしたと思う女性が現れれば、自分の役目は終わりなのだから…。
何度も「まぁま」と呼ぶモーガンに、その時のペッパーは何も言えなかった。

だが、その夜…。夕食を食べていると、モーガンがペッパーを指差し叫んだ。
「まぁま!」
するとトニーが驚いたようにペッパーを見つめた。戸惑った表情を見せたトニーに、ペッパーは胸が痛んだ。
「ごめんなさい。私のことを母親だと思っているみたいで…。お昼寝する前から、今日はずっと言ってるんです」
と、トニーが嬉しそうな顔をした。もっとも一瞬で、ペッパーは気づかなかったが…。
慌てて咳払いをしたトニーは、ペッパーに向かって頭を下げた。
「いや、謝るのはこっちの方だ。母親ではないのに…」
トニーは娘を見つめた。
「モーガン、ペッパーはな、お前のマ……」
すると、ペッパーは首を振り、トニーの言葉を遮った。
「トニー、『ママ』で大丈夫です」
トニーは驚いた。ペッパーはモーガンの実の母親ではない。最も彼女は母親のようにモーガンと接してくれているが…。だが、母親でもないのに『ママ』と呼ばれることが、彼女の負担にならないのかと、トニーはずっと心配で堪らなかった。
「本当に…いいのか?」
そう尋ねると、ペッパーは大きく頷いた。
「はい」
ニッコリ笑ったペッパーの笑顔は本物で、トニーはホッと胸を撫で下ろした。
「そうよ、モーガン。ママよ」
ペッパーはモーガンの頬をくすぐった。すると、モーガンは満面の笑みで、トニーとペッパーを指差した。
「ぱぁぱ!まぁま!もーー!!」
キャッキャと笑いながら手を叩き続けるモーガンを、トニーとペッパーも笑顔で見つめた。

3人はまるで本当の家族のようだった。
モーガンを連れて公園に遊びに行ったり、買い物に連れて行くこともあった。そのため、スターク家の子守の存在は、すぐにマスコミに知られることになり、『スターク家の子守はトニー・スタークの新恋人?』と報道された。
「迷惑かけるな」
トニーはペッパーにそう謝った。と、ペッパーは胸がチクチクと痛んだ。自分たちはそういう関係ではないのに、どうして胸が痛むのだろうかと、ペッパーは考えた。が、迷惑だなんて思ったことは一度もないのだから、彼女はトニーに向かって微笑んだ。
「いいえ、迷惑なんかじゃありません」
すると、トニーがペッパーを見つめた。いつもと違い、熱っぽい瞳で…。ペッパーは胸がドキドキし始めた。トニーは黙ったままだが、次第にジワジワとペッパーの方へ近づいてきた。
ペッパーは動けなかった。むしろ、これから先に起こることに少しだけ期待してしまった。というのも、ここ最近、夢の中でトニーといつもキスをしていたから…。
(あぁ…そうね…。私…トニーのことが好きなのよ…)
ようやく自分の気持ちを認めたペッパーは、今や鼻がつきそうなくらいの距離まで迫ったトニーを迎え入れるように目を閉じた。
が…。
タイミング悪く、トニーの携帯が鳴り始めた。スッと身体を引いたトニーは、小さく舌打ちすると電話を出た。どうやら会社からのようで、トニーはそのまま部屋を出て行った。

結局2人の間にはその後何も起こらなかった。

が、もうすぐモーガンが1歳になる頃、些細なことで2人は大喧嘩をしてしまった。そして子守を辞めたペッパーは、家を出て行ってしまった。
後に残されたトニーは途方に暮れた。
モーガンを世話してくれるペッパーがいなくなったことではない。いつしかペッパーは、トニーにとって世界一大切な存在になっていた。そのペッパーがいなくなってしまったのだから、トニーは自分自身がこれからどうすれば良いのかと、不安になってしまったのだ。
すると、ドアの隙間から様子を伺っていたモーガンが、ちょこちょこと走ってやって来た。
「パパ…ママは?」
キョロキョロと辺りを見渡したモーガンに、トニーは首を振った。
「モーガン、ペッパーは…もういないんだ…」
モーガンは唇を尖らせた。
「ママ…………」
そう呟いたモーガンの目には、みるみるうちに涙が溜まり始め、彼女はトニーな抱きつくと号泣し始めた。

モーガンは何をやっても泣き止まなかった。娘を抱きしめたトニーは、自分も泣きたかった。
どうして彼女に気持ちを伝えなかったのだろうかと、トニーは後悔した。ペッパーにそばにいて欲しかった。娘の母親として…そして自分の………。
トニーは決意した。もし今からでも間に合うのなら、彼女にきちんと伝えようと…。

そこでトニーはモーガンを連れてペッパーの家に向かった。
3時間ほど前に喧嘩別れしたトニーがやって来たのだから、ペッパーは戸惑った。
「ママ!」
駆け寄ってきたモーガンを身体をかがめて抱きしめたペッパーだが、彼女はトニーの顔を見ることが出来ず、俯いたままだった。
するとトニーは、深々と頭を下げた。
「ペッパー。すまなかった。モーガンが泣き止まないんだ。君のことを恋しがって…」
言葉を切ったトニーは顔を上げた。そしてまだ俯いたままのペッパーを見つめた。
「私もだ…」
「え…」
ペッパーは顔を上げた。一瞬、トニーの言葉は信じられなかった。トニーは一度もそれらしきことは言ってくれてなかったから…。
唇を震わせるペッパーを見つめたトニーは、とても優しい瞳をしていた。
「君のことが恋しくてたまらない。モーガンよりも私の方が君のことが恋しくて堪らないだろうな…。君がそばにいてくれる…当たり前の生活になっていた。だから君は私とモーガンと、ずっと一緒にいると思っていた。だが、きちんと伝えなければならなかったんだ。伝えなかった私が悪かった…」
ふぅと深呼吸をしたトニーは、一段と優しい笑みを浮かべた。
「愛してる。君のこと…ペッパーのこと、愛してる。世界一…いや、宇宙一愛してる…」
何度か瞬きしたペッパーの目から涙が溢れ落ちた。そしてポロポロと大粒の涙を流し始めたペッパーは、モーガンを抱きしめたまま、泣いた。
トニーはペッパーの横に座った。そして不思議そうな顔をしているモーガンの頭を撫でた。
「だから…この子の本当の母親になってくれないか?結婚してくれ…。ずっと私のそばにいてくれ…」
頷いたペッパーはトニーに抱きついた。最愛の女性を力一杯抱きしめた。そして、ニコニコ笑っているモーガンに向かって、トニーはウインクした。

それから3年後。
湖のそばにある家の庭では、モーガンが走り回って遊んでいた。
「モーグーナー!昼飯の時間だぞ!」
父親の声に、モーガンは家の中に駆け込んだ。
「ママ!きょうのおひるはなに?」
「パパの好きなカルボナーラよ」
キッチンでは母親がランチの用意をしていた。父親も手伝っているが、料理が出来ない父親は、邪魔しないでと母親にいつも怒られているのを、モーガンは知っている。
モーガンはダイニングテーブルのそばに置かれたゆりかごに駆け寄った。中では生まれたばかりの女の子が眠っていた。赤ん坊…つまり妹の頬をくすぐったモーガンは椅子に座ると、母親の作った美味しいカルボナーラを食べ始めた。

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Returning Home…

2023年12月25日。

今朝もペッパーは気分が悪くて仕方なかった。いや、この2ヶ月、ずっと気分は優れなかった。殆ど何も食べることも出来ず、眠ることも出来なかったから。
それは、トニーがそばにいないから…。
今までも、1ヶ月や2ヶ月程、離れ離れになったことはあった。だが、そんな時でも彼の存在は感じることが出来たし、声を聞くことも出来た。だが、今は声を聞くどころか、彼の存在を感じることは二度とないのだ…。
それでも昨日までは、何とか起き上がることが出来た。だが今朝は起き上がることすら出来そうにない。

今日はクリスマス。
『せっかくのクリスマスだ。楽しめよ』
トニーならそう言うだろう。だから今日だけはモーガンのためにも楽しいクリスマスにしようと決めていた。ケーキを作り、ご馳走を食べ、プレゼントを開けて楽しもうと…。

そんなことを考えていると、寝室のドアが開き、か細い声が聞こえた。
「ママ……」
モーガンだ。そっと部屋に入って来たモーガンは、ベッドのそばにやって来た。
珍しく朝になってもなかなか起きて来ない母親が心配になり、寝室まで様子を見にやって来たのだが、幼いモーガンの目から見ても、母親は体調が悪そうだ。
「ママ、だいじょうぶ?」
不安げなモーガンに、ペッパーは無理矢理笑みを浮かべた。
「大丈夫よ…」
だが、酷く顔色の悪い母親に、モーガンの目には涙が溜まり始めた。モーガンは不安でたまらなかった。2ヶ月前のあの日を思い出したから…。
「ママも……いなくなっちゃうの…?パパみたいに、いなくならないで……」
突然父親を失った…あの日からモーガンは、いつか母親も突然いなくなるのではという恐怖を、小さな胸にずっと抱えていた。
泣き始めた娘に、無理矢理起き上がったペッパーは、安心させるように娘を抱きしめた。
「モーガン…ママはどこにも行かないわ…。モーガンのそばにいるから…」
何度そう告げると、モーガンは泣きながら母親にしがみついた。

病院へ行こうと考えたが、めまいが酷く運転できそうにない。そこで、クリスマスなのに申し訳ないと思いつつハッピーに連絡すると、彼は飛んでやって来た。そして事情を説明すると、ハッピーは珍しく顔を真っ赤にしながら声を荒げた。
「どうして早く言わないんだ!ペッパー、君に何かあったら……」
『トニーにクビにされる』
思わず言いそうになった言葉を飲み込んだハッピーは、ローディに留守番を頼むと連絡をした。そして大慌てでやって来たローディにモーガンを託すと、ペッパーを連れて病院へ向かった。

***

「スタークさん、おめでとうございます」
診察を受けたペッパーは、医師にそう告げられ、言葉を失った。
「え……」
ポカンとしているペッパーに、医師は微笑んだ。
「妊娠されてますよ」
目を見開いたペッパーだが、みるみるうちに涙が溢れ始めた。

涙は止まらなかった。
あの戦いの数日前の結婚記念日。あれが最後にトニーと愛し合った夜だった。
彼はまた一つ大切なものを遺してくれた…。
そう思う反面…。
どうして今なのだろう…。もうトニーはいないのに…。この子は…父親を知らずに育つのに……。トニーはこの子のことを知らずに逝ってしまったのに…。

嬉しさとそして悔しさ、悲しみがどっと押し寄せてきたペッパーは、診察室を出ると、廊下の椅子に座り込んだ。

鞄の中からトニーの写真を取り出したペッパーは、そっと抱きしめた。
「どうして……。どうして…今なの……。トニー……どうして…。あなたに…あなたに教えてあげたかった…。この子のこと…あなたに……」
涙は止まらなかった。声を押し殺して泣き続けたペッパーだが、様子を見に戻ってきたハッピーは、泣きじゃくるペッパーに顔色を変えた。大変なことが起きたのか、ペッパーは重病なのかと、慌てふためき始めたハッピーに、ペッパーは首を振った。
「違うの……妊娠してるの……」
何度も瞬きしたハッピーは黙ってしまったが、しばらくして口を開いた。
「トニーの…子供か?」
何とも間抜けな質問だが、ハッピーらしい言葉に、ペッパーは少しだけ気分が良くなった。
「当たり前よ」
涙を拭ったペッパーもいつもの調子で答えると、ハッピーはポロリと涙を溢した。それはトニーの葬儀の後、『俺はもう人前では泣かない』と宣言していたハッピーが、ペッパーに初めて見せた涙だった。
「そうか…」
そう呟いたハッピーは、ペッパーの肩を抱き寄せると静かに涙を流し続けた。

お腹の子供はトニーからのクリスマスプレゼント…。『前を向いて歩いてくれ』という彼からのメッセージだと考えたペッパーだが、モーガンには安定期になってから告げようと決めた。

そこでペッパーは、その日から次第に以前の彼女と同じように振る舞いだした。トニーからの最後のプレゼントである子供を育てることが、彼女を奮い立たせたのだ。そんな母親の姿を見たモーガンも、少しずつ元気を取り戻していった。

***

数ヶ月、子供の性別は男の子だと分かり、ペッパーは涙が止まらなかった。
この子はトニーの生まれ変わりかもしれない…。トニーは私のところに戻ってきてくれるのかもしれない…。
ペッパーは嬉しくて泣いた。そしてその喜びを娘と分かち合おうと、その夜モーガンに告げた。弟が生まれるということを…。
お姉ちゃんになると知ったモーガンは、母親のお腹にそっと手を当てた。ゆっくりと何度も撫でたモーガンは、涙の浮かんだ瞳で母親を見つめた。
「ママ、あたしがママとあかちゃんをまもるから…。パパみたいに、あたしがまもるからだいじょうぶよ」
母親に告げたモーガンは、ニッコリと笑みを浮かべた。トニーが死んで以来、モーガンは初めて嬉しそうに笑った。

***

そしてトニーが好きだった向日葵の花が咲く頃、ペッパーは男の子を出産した。
父親に何もかもがそっくりな息子を抱きしめたペッパーは、息子の胸元にトニーの写真を置いた。
「トニー……おかえりなさい…。あなたの名前…もらうわね…」
こうして、エドワードと名付けられた息子は、ペッパーとモーガンの生きがいとなった。

***
***

僕はパパのことを知らない。パパは僕が生まれる前に死んでしまったから。僕より5つ上のお姉ちゃんも、パパが死んだ時は4歳だったからあまり覚えてないって言っていた。それでもお姉ちゃんはパパのことで覚えていることを僕に話してくれた。ママもパパの話を沢山してくれた。F.R.I.D.A.Y.はパパのビデオを見せてくれた。

でも僕は、パパという存在を感じたことは一度もなかった。
だって、パパは僕のことを知らないから…。

パパの最期のメッセージもママとお姉ちゃんに向けたものだし、僕がパパと一緒に写っている写真は一枚もない。

パパに会いたかった。僕がいることをパパに知らせたかった。

ママはよく『パパは息子が欲しいって言ってたから、あなたが生まれたことを知ったら、大喜びしたでしょうね』って僕に言う。
ママは一人でお姉ちゃんと僕を育ててくれた。色んな人がママに言った。『再婚したら?』と。でもママはパパのことが大好きだし、パパ以外のお嫁さんにはなりたくないと断っていた。
『ママにとってパパは人生そのものだから…。』
ママは僕にそう教えてくれた。

だからママに、『パパに会って僕のことを教えてあげたい』なんて相談できなかった。だから僕はお姉ちゃんに相談することにした。
お姉ちゃんはもうすぐ16歳。パパに似て凄く頭がいいから、9月からはボストンの大学に通うことになっている。お姉ちゃんは会社の跡を継ぐって小さい頃から決めていた。パパみたいに世の中に役立つ物を作りたいから、パパと同じ大学に進んだんだって。
でも、お姉ちゃん家からいなくなったら、今みたいに何でもすぐに相談できなくなる。だから今がチャンスだと、僕はママが仕事に行くと、お姉ちゃんに相談した。

お姉ちゃんは黙って僕の話を聞いてくれた。
「そうか…もう11年になるのね……」
パパの写真を手に取ったお姉ちゃんは寂しそうに笑った。
「エディはパパに会ったことがないもんね」
「うん。パパも僕のことは知らないでしょ?死んじゃったパパに会うなんて、無理だろうけど…。でも、僕、パパに会いたい…。一度でいいから…遠くからでもいいから、パパに会ってみたい…」
僕がそう言うと、お姉ちゃんはうーんと首を捻り始めた。
お姉ちゃんはパパにもママに似ているけど、性格はパパにそっくりなんだって。そして僕はパパの生き写しだって、ママやハッピーおじちゃんやローディおじちゃんによく言われる。最近は仕草も似てるって、ママは嬉しそうに笑うんだ。
でも、僕はパパみたいに賢くない。お姉ちゃんはパパに似てとっても頭がいいけど、僕はお姉ちゃんみたいに賢くない。だから、学校で算数の問題が分からなかったら、
「本当にアイアンマンの息子なのかよ」
と友達に言われることがある。そういう時、僕は泣きそうになる。そうすると、友達は
「パパがアイアンマンっていうのは嘘だろ!弱虫!」
と、僕のことをいじめる。
僕はいつも自信がなかった。パパは今でもみんなのヒーローなのに…。世界を…宇宙を救ったヒーローなのに…僕はパパにちっとも似てないから…。
でもママはいつも僕に言うんだ。
「エドワード、あなたはパパにそっくりよ。悪戯好きで、楽しくて…。それからとっても優しくて…勇気があって…。パパはいるだけで、ママは幸せな気持ちになれたの。あなたもそうよ。モーガンとエドワードがいるから、ママはとっても幸せなのよ。それにね、パパは辛いことがあっても一人で我慢してたわ。パパのこと、悪くいう人は大勢いた。でも、パパは負けなかった。パパは負けずにパパの道を突き進んだのよ。だからあなたも負けないで…」
って…。

何やら考えていたお姉ちゃんは、何か思いついたのか、あっと小さく声を上げた。
「一つだけ方法があるわ。タイムトラベルよ」
首を傾げた僕にお姉ちゃんは説明し始めた。
11年前、パパたちが開発したタイムトラベル。それを使って、パパが生きていた過去に戻る…それがお姉ちゃんが思いついた方法だった。
「F.R.I.D.A.Y.、パパが開発したタイムトラベルの資料はある?」
『はい、ございます』
F.R.I.D.A.Y.は、僕たちの前のモニターに、データを映し出した。僕にはさっぱり分からなかったけど、真剣な顔でそれを眺めたお姉ちゃんは、ポンっと手を叩いた。
「よし!やるわよ!エディ、あなたも手伝ってね」
「え!僕が?」
僕は正直驚いた。だって僕はお姉ちゃんみたいに、何かを作ったことは一度もなかったから。だけどお姉ちゃんはふんっと鼻を鳴らした。
「言い出しっぺはあなたよ。それに、エドワード、あなたはパパの息子。だから出来ないことなんか、一つもないわ」
自信満々に言い切ったお姉ちゃんだけど、僕はとっても不安だった。僕にはきっと出来ないことだらけ。だからお姉ちゃんに迷惑をかけるんじゃないかって、すごく不安だった。
でも、僕が失敗しても、お姉ちゃんは絶対に怒ったりしなかった。ママもそうだけど、お姉ちゃんは昔からそうだった。僕ができるまで、辛抱強く見守ってくれた。本当に出来ない時は、そっと影から手伝ってくれた。

僕は楽しくて仕方なかった。何か作ることが、こんなに楽しいなんて知らなかった。放課後もお休みの日も、パパのラボにこもっている僕たちに、
「2人とも、パパにそっくりね」
と、ママは懐かしそうに笑った。

***

1ヶ月後。
ついにタイムトラベルの装置が完成した。
お姉ちゃんはタイムトラベル用のスーツを、僕が考えたデザインにしてくれた。パパのアイアンマンと同じ色のスーツは、僕の自信作。だから、声を掛けられなくても…遠くから見るだけでも、このスーツを着てパパに会えると考えると、僕はドキドキして仕方がなかった。
「エドワード、いい?遠くから見るだけよ」
僕の考えていることが分かったのか、お姉ちゃんは僕にそう念押しした。

どの時代のパパに会いに行くか…僕たちは決めていた。
僕たちのパパだった時代のパパに…あの事件が起こる前のパパに…つまり『2023年10月1日』…それが僕たちが決めた日だった。
「行くわよ」
装置を設定したお姉ちゃんは、僕に向かって頷いた。
「うん」
大きく深呼吸をした僕は、お姉ちゃんの手を握った…。

***

気がつくと、森の中に僕たちはいた。
湖のそばに建つ家は、今の僕たちの家より新しいけど、僕たちは間違いなく過去の僕たちの家のそばにいた。
すると、誰かが帰っていくのが見えた。
車が通り過ぎると、お姉ちゃんが小さく舌打ちした。
「パパの…アベンジャーズの仲間だった人たちよ」
お姉ちゃんは少しだけ怒っているように見えた。
「あの時のこと、何となく覚えてる…。パパ…あの日から…ずっと辛そうで……ママも辛そうで…。もしあの人たちが来てなかったら…パパのこと、連れ戻しに来てなかったら…パパは死なずに…」
口を閉じたお姉ちゃんは、首を振った。
「でも、そうなると、タイムトラベルの装置は完成してなかったし、世界はあのままの状態だったでしょうね。今みたいな未来の世界はなかっただろうし、パパは眠れない日をずっと過ごしていたかもしれないわ」
僕に顔を向けたお姉ちゃんは、寂しそうに笑った。
僕たちは見つからないように家に近づいた。そして木の影に隠れるように座り込むと、パパが出てくるのを待った。

30分ほど経った。
ドアが開き、小さな女の子が飛び出してきた。
「あ…」
お姉ちゃんが声を上げた。
「あの子……、お姉ちゃん?」
写真で見たことがある女の子に、僕はお姉ちゃんを見上げた。
「えぇ、そうよ…」
お姉ちゃんは懐かしそうに女の子を見つめた。小さなお姉ちゃんは湖のそばのテントに駆け寄ると、ゴソゴソとテントの中に潜り込んだ。
数分後、ドアが開いてまた誰かが出てきた。今度は男の人だった。
それは……。
「パパ………」
お姉ちゃんが泣きそうな声で呟いた。
お姉ちゃんの目から涙がポロポロと流れ落ちた。
その男の人は、写真やビデオでしか見たことがない、トニー・スタークだった。

あれが僕のパパ…。会いたくて仕方なかった僕のパパ…。
初めて見るパパに、僕は思わず身を乗り出してしまった。

ガチャン!

気づかなかった。僕は足元にある植木鉢を倒してしまった。
大きな音にお姉ちゃんは顔色を変えた。そして僕を引っ張り地面に伏せた。
「誰だ!」
物音に気づいたパパが声を上げた。
「エディ!気づかれたらダメでしょ!」
お姉ちゃんが小声で僕を叱った。どこかに隠れた方がいいのだろうけど、僕たちは逃げるに逃げれない。
「誰か、そこにいるのか?」
パパの声と足音が近づいてきた。
お姉ちゃんが震えだした。目をキュッと閉じたお姉ちゃんだけど、涙を拭ったお姉ちゃんは、何度も深呼吸をすると立ち上がった。

突然現れた女の子に、パパは警戒するように身構えた。
お姉ちゃんは何も言わずにパパを見つめた。パパもお姉ちゃんを見つめた。
しばらく見つめあっていたパパとお姉ちゃんだけど、パパが目を見開いた。パパはお姉ちゃんが誰だか気づいたんだ。
「…モーガン?」
お姉ちゃんは小さく笑みを浮かべると頷いた。
「パパに会いたくて…11年後の世界から来たの。パパの作ったタイムトラベルの装置で…」
お姉ちゃんの言葉に、パパは目を見張った。
「タイムトラベル…。…成功するのか?」
「えぇ…」
すると、パパは少しだけ頬を緩めた。
「そうか……」
だけど、パパは気付いてしまったんだと思う。この後自分にどういう結末が待っているかを…。
「モーグーナ、お前が11年後から会いにきたということは…パパは……」
お姉ちゃんはパパの言葉を遮るように首を振った。
「本当はね、遠くからそっとパパの姿を見るだけにするつもりだったの。でも…パパを見たら…やっぱり会いたくて我慢できなかった…。ずっとずっと会いたかったから…。パパにもう一度会って…ずっとずーっと大好きだって言いたかったから…。私は大丈夫よって、パパに言いたかったから…。それにね、私だけじゃないの。パパに会いたくて仕方ないのは…」
小さく笑ったお姉ちゃんは、わざとらしく目をくるりと回した。
「言っておくけど、ママじゃないわよ。ママには黙ってきたから。タイムトラベルするなんて言ったら、過去を変えたらダメだって、ママはきっと怒るわ…。勿論、ママもパパに会いたいってずっと言ってるけど」
お姉ちゃんの言葉に、パパが小さく笑った。その場の空気が少しだけ軽くなった気がした。
「パパ。パパにどうしても会わせたかったのはね……」
お姉ちゃんが僕の腕を引っ張り立ち上がらせた。僕を見たパパは、そのまま止まってしまった。目を見開いたパパは唇を震わせてお姉ちゃんを見つめた。そしてまた僕を見つめた。何度も見比べているパパは、僕の目から見ても混乱していた。仕方ないよね。パパは僕の存在なんて知らないんだから…。
するとお姉ちゃんは、パパを真っ直ぐ見つめて告げた。
「パパ……エドワードよ」
お姉ちゃんの言葉に、パパは僕を見つめた。
パパの瞳はとっても優しかった。温かかった。
『エドワード、あなたは本当にパパにそっくりね』と、ママがいつも言っていたのは本当だった。
本当に僕はパパにそっくりだった。僕でもそう思ったんだから、パパはもっとそう思ったと思う。黙ったままじーっと僕を見つめていたパパが目尻を下げた。そして優しい声で言ったんだ。
「……エドワード」
って…。

パパが僕の名前を呼んでくれた。
僕はそれだけで十分だった。
パパは…パパは僕のことを知ってくれたんだから…。この後、僕が生まれてくることを…パパにも息子ができるってことを知ってくれたんだから…。
これ以上、僕が2023年のパパと接触したらダメだって分かってる。でも、僕は最初で最後でいいからパパに言いたかった。『パパ、大好きだよ』と…。

「パパ……」
声を出してしまった僕に、パパが一歩近づいた。僕は思わずパパに手を伸ばしそうになった。だけど、お姉ちゃんはその手を遮ると、タイムトラベルの装置を素早くセットした。
「詳しくは言えないわ。過去を変えるなんて、やってはいけないことだから…。でも……パパ。これだけは覚えておいて。何があっても、アイアンマンには…いいえ、トニー・スタークにはハッピーエンドが必要なの…。だって、アイアンマンは…宇宙一最強のアーマーを持ってるから…。どんな力にも絶対に負けないアーマーを……」
早口で告げたお姉ちゃんに、パパは小さく頷いた。
「パパ、3000回愛してる…。これからもずっと…」
最後にそう囁いたお姉ちゃんは、僕の手を掴むと装置を起動した………。

***

僕たちは元の世界に…つまり2034年の世界に戻ってきた。
無事に戻って来れたから、僕は安心したけど、床にしゃがみこんだお姉ちゃんは泣いていた。声を押し殺して…ポロポロと大粒の涙を流して泣いていた。
「パパに…パパに会えたのに…。せっかくパパに……」
お姉ちゃんは4歳の子供みたいに泣いていた。

僕はパパに会えて嬉しかった。僕が生まれることを知ってもらえて…それから、名前を呼んでもらえて…。
だけどお姉ちゃんは…。4歳で突然パパを亡くしたお姉ちゃんは、きっと本当はパパに抱きしめてもらいたかったはず…。僕だって本当は抱きしめてもらいたかったから。
お姉ちゃんは僕よりもずっとずっとパパに会いたかったんだと思う。11年間、本当は僕よりもずっとパパに会いたくて仕方なかったんだと思う。『パパに何も言えなかった』ってお姉ちゃんはずっと言ってたから…。パパに大好きだって最後に言えないまま、パパとお別れしないといけなかったのが、一番悔しいって、お姉ちゃんはよく言ってたから…。
だからお姉ちゃんにとって、過去のパパに会いに行ったことは、辛くて悲しいことで、本当は行きたくなかったのかもしれない。だって、過去を変えてもパパが戻ってくるはずはないから…。それなのに、僕は…。お姉ちゃんの気持ちも考えずに、『パパに会いたい』と我儘を言ってしまった…。

「お姉ちゃん…ごめんなさい…」
泣いているお姉ちゃんの姿に、僕は後悔した。僕のことをずっと守ってくれていたお姉ちゃんを苦しめてしまったって、僕は情けなくなった。でも、涙を拭ったお姉ちゃんは、首を傾げた。
「どうしてエディが謝るの?」
「だって……僕が…パパに会いたいってわがまま言ったから…」
口を尖らせた僕は涙が溢れそうになった。必死で我慢したけど、涙は止まらなかった。グズグズ泣き始めた僕を、立ち上がったお姉ちゃんは抱きしめてくれた。
「バカね。あんたが謝る必要なんてないわ。私も…パパに会えて嬉しかった。パパに愛してるってもう一度言えて、嬉しかった。それにね…あの世界のパパはきっと、エディにも会えたはずよ…」

と、その時。
「あの世界だけじゃない」
どこからもとなく男の人の声が聞こえた。
キョロキョロと辺りを見渡すと、見知らぬ男の人が突然開いた穴の中から出てきた。
「きゃ!」
小さく悲鳴を上げたお姉ちゃんを僕は守ろうと、咄嗟に腕を広げて立ちはだかった。
だけど、赤いマントを羽織った見知らぬおじさんは、お姉ちゃんと僕に向かって笑った。
「お前に会うのは初めてだな、スタークの息子。だが、モーガン、君には遠い昔何度か会ったことがある。覚えてないか?」
見知らぬおじさんをじっと見ていたお姉ちゃんは、何か思い出したのか、あっ!と声を上げた。
「もしかして…魔法使いさん?」
すると、魔法使いのおじさんは、不機嫌そうに顔を顰めた。
「その言い方はやめろ。ドクター・ストレンジだ」

ドクター・ストレンジ。
パパの仲間だったことがちょっとだけある、魔法の使えるヒーロー。
僕はパパの仲間だったヒーローに、会ったことがない。ウォーマシーンのローディおじさんは、パパの親友だったから、今でもよく遊びに来てくれる。だけど、他のヒーローには会ったことがないから、ウォーマシーン以外のヒーローを見るのは、僕は初めてだった。

「全くお前たちは、少し目を離した隙に……」
目を三角にしたストレンジおじさんに、僕は怒られると、ビクッとしてしまった。だけどおじさんはふっと小さく笑ったんだ。
「さすが、スタークの子供たちだな。お前たちは、過去を変えてしまったぞ」
僕はお姉ちゃんと顔を見合わせた。一体どういうことだろう…って。

「あの時のお前の言葉を、スタークは忘れなかった」
「つまり…」
お姉ちゃんが震え始めた。
すると、ストレンジおじさんは手をかざした。
「自分たちの目で見ろ」

僕たちの目の前に映像が流れ始めた。
それはあの日の…パパが死んだ日の映像だった。
初めて見る戦っているパパの姿に、僕は釘付けになった。それはお姉ちゃんも同じだった。
パパは…アイアンマンはとってもかっこよかった。次々と敵を倒していった。パパもだけど、ママもかっこよかった。ママはとっても強かった。ママはあの時一度だけ戦っただけだって言っていた。でも、パパはママのために最強のアーマーを作っていたんだって、僕は映像を見ながら思った。
でも、サノスっていう敵は強かった。パパたちは負けそうになった。
そしてパパは…。パパはパパの命を奪った石をサノスから取り戻した。
お姉ちゃんが目をギュッと閉じた。パパが死ぬところは見たくないって、お姉ちゃんは首を何度も振った。僕は震えだしたお姉ちゃんの手を握り締めると目を閉じた。でも…。
「よく見てみろ」
ストレンジおじさんの声に、僕とお姉ちゃんは恐る恐る目を開けた。
パパが指を鳴らした。すると敵は全部いなくなった。大きく深呼吸をしたパパは、ボロボロになったアーマーを脱ぐと立ち上がった。
パパは沢山怪我をしているけど、笑顔だった。
『トニー!』
ママが駆け寄って来た。パパはママを抱きしめようと腕を広げた。ふらついたパパをママが抱きしめた。パパはママにキスをすると笑った。
だけどパパはそのまま気を失っちゃった。

次に僕たちが見たのは、パーティをしているパパたちの映像だった。
お姉ちゃんをおんぶしたパパは、ママと楽しそうに踊っていた。
そしてそれから次々とパパの姿が現れた。
お姉ちゃんを肩車して庭を走っているパパ。アルパカのジェラルドに追いかけられているパパ。クリスマスに大きなツリーを買って戻って来たけど、ツリーは大きすぎてお家に入らなくて困っているパパ。サンタクロースの格好をして、お姉ちゃんにプレゼントを渡しているパパ……。
そして…。パパに何かを見せているママが映った。するとパパはガッツポーズをすると、ママを抱き上げ顔中にキスをした。

「パパは…パパは勝ったんだ……」
僕がそう言うと、ストレンジおじさんは大きく頷いた。
「あの世界のスタークはお前たちと会った後、タイムトラベルの装置を完成させた。そしてアーマーを改良した。ストーンの力に耐えられるように…。宇宙一最強のアーマーなんだろ?トニー・スタークにもハッピーエンドは必要なんだろ?その言葉を、スタークは忘れなかったんだ」
ストレンジおじさんは、笑顔だった。
僕は嬉しくて涙が出てきた。お姉ちゃんは声を上げて泣いている。すると、おじさんのマントが勝手に動いて、お姉ちゃんを抱きしめた。動くマントに僕は驚いてしまった。ストレンジおじさんは、やっぱり魔法使いなんだっておじさんを見ると、ストレンジおじさんも僕を見つめていた。

すると映像が変わった。
パパは車の運転を必死でしていた。お姉ちゃんは後ろに座ってるけど、パパの乱暴な運転のせいで、目を白黒させている。
「パパ!スピードのだしすぎ!おまわりさんにおこられるよ!」
ほっぺたを膨らませたお姉ちゃんは、パパに向かって叫んだ。少しだけスピードを緩めたパパだけど、目をくるりと回すと溜息を付いた。
「はいはい、長官殿。だがな、パパはめちゃくちゃ急いでるんだ。ママがドーナツが食べたいと言うから買いに行ったのに、その間に…」
ぶつぶつと文句を言ったパパは、車を止めた。そしてパパはお姉ちゃんを抱き上げると走り始めた。
そこは病院だった。
廊下を全力疾走したパパは、ドアの前で立ち止まると、息を整えた。そしてドアを勢いよく開くと叫んだ。
「ペッパー!!!!!!!」
あまりの大声に、パパに抱っこされていたお姉ちゃんが耳を塞いだ。
ママはソファに座っていた。そして何かを抱いていた。
「トニー、ごめんなさい。生まれちゃったわ」
ぺろっと舌を出したママに、お姉ちゃんを床に下ろしたパパはわざとらしく鼻を鳴らすと腕を組んだ。
「ペッパー、君がこんな時に呑気にドーナツが食べたいとか言うからだ。全く…私は最高の瞬間を見逃したんだぞ」
ぷうっと頬を膨らませたパパにママはふふっと笑った。するとパパもすぐに笑い出し、ママの隣に座った。
「トニー、抱いてあげて……」
ママから受け取ったパパは、嬉しそうに笑った。
「また会えたな…エドワード…」
パパの目から涙が零れ落ちた。

僕が生まれた日……。
パパが生きていて、僕が生まれたことを喜んでくれている…。
僕も涙が止まらなかった。
パパは僕に会えたし、僕もパパに会えたんだから…。

泣いているお姉ちゃんと僕の肩を摩ったストレンジおじさんは、おじさんが出てきた丸く光る穴の方をチラリと見た。
「スタークは……」
言葉を切ったストレンジおじさんは、大きな声で言った。
「自分の口から言え、スターク」
すると、丸く光る穴から誰かが出てきた。
それは……。

「パパ………」
出てきたのは、何とパパだった。
さっき2023年の世界で見たパパよりも、髪の毛は随分と白くなってたけど、それは間違いなくパパだった。
お姉ちゃんがゆっくりとパパに近づいた。
「パパ………」
するとパパは腕を広げた。
「モーグーナ…」
お姉ちゃんは走った。そしてパパは駆け寄ってきたお姉ちゃんを抱きしめた。お姉ちゃんは声を上げて泣き始めた。
僕は足が震えて動けなかった。本当はお姉ちゃんみたいにパパに抱きつきたいけど、もしかしたらこれはストレンジおじさんの魔法で、パパに触るとパパが消えてしまうかもしれないと思うと、怖くて動けなかった。
するとパパが顔を上げた。パパも泣いていた。パパの目からは涙が止まることなく流れていた。
「エドワード…」
パパが僕の名前を呼んだ。僕はゆっくりとパパに近づいた。
「パパ………」
パパが僕の手を引っ張った。僕はパパに抱きしめられていた。

初めて触れるパパ…。
パパは温かかった。
これがパパなんだって…僕を抱きしめているパパは魔法なんかじゃなくて、本当に目の前にいるんだって、ようやく理解した僕は、パパにしがみつくと泣いた。

と、そこへ、バタバタと足音がした。
ママだった。
ママはパパの姿を見ると叫び声を上げそうになって、口を押さえた。だけど、ママの目からも大粒の涙が零れ落ちた。
僕たちから身体を離したパパは立ち上がると、ママに近づいた。
「ペッパー………」
パパはとっても優しい声でママの名前を呼んだ。ママは顔を歪めると、パパの胸に飛び込んだ。
「トニー…………」
パパは黙ってママを抱きしめた。ママはパパに抱きつくと、僕が見たことないくらい泣き始めた。
「トニー…本当に…本当にあなたなの?」
しゃくり上げながら顔を上げたママは、パパのほっぺたを両手で触った。
「あぁ。正真正銘、君の夫のトニー・スタークだ。靴紐も一人で結べない、トニー・スタークだ」
笑いながらそう言ったパパは、ママにキスをした。するとママも笑い声を上げた。

涙を拭いたお姉ちゃんが、ストレンジおじさんに聞いた。
「パパに何が起きたの?」
「全員揃ったから説明しよう。スタークも訳が分からないだろうから…」
頷いたパパはママの手を繋ぐとソファに座った。お姉ちゃんと僕も近くの椅子に座ると、ストレンジおじさんは話し始めた。

「まずは、マルチバースの存在について話しておこう。ややこしいからかいつまんで説明すると、世界は一つではない。色々な世界が存在し、色々な我々がいる世界が数えきれないくらいある。今、我々がいる世界は、2023年にスタークが死んだ世界だ。実は2023年に過去に戻りストーンを集めたことで、別の世界も生まれた。一つは、2023年に我々が戦ったサノスは2014年からやって来たサノスだったが、サノスはスタークの犠牲で滅びた。つまりサノスのいなくなった2014年の世界では、サノスによる襲撃は回避され、その後我々の世界で起こった事件は起こらず、スタークはずっと生き延びている世界だ。そしてもう一つは、2012年…つまりスタークたちがストーンを借りに行った世界だ。あの世界ではロキが逃亡したのだが…」
ストレンジおじさんはパパとママを見た。
「その世界のお前たちは、NY決戦後に結婚した。そしてモーガンを身篭っている時にキリアンの事件が起こった。ヴァージニア・スタークはエクストリミスに感染したままモーガンを産み、スターク自身もリアクターを除去するためにエクストリミスを投与したが、娘が感染しているからと、お前たちは除去しなかった。そのおかげで、あのタイタンの戦いで、エクストリミスの力を使い、スタークはサノスを倒した。だからその世界のお前も、それからずっと幸せに暮らしている」
すると、パパが顔を顰めた。
「ストレンジ。あの時お前は方法は1つしかないと言い切った。そんな世界があるなら…」
ストレンジおじさんは手を上げると、パパを遮った。
「あの時たった一つの方法しかないとお前に言ったが、我々の世界の未来は、本当にたった一つ…つまりスタークの犠牲という選択肢しかなかったんだ。だが…」
ストレンジおじさんは僕とお姉ちゃんを見た。
「モーガンとエドワードが過去に戻ったことで、予想外のことが起こった」
「つまり?」
パパは眉を釣り上げた。
「普通ならあり得ないことが起こった。過去に戻っても、その過去で変えたことは自分たちの世界の未来には影響しない。別の未来が生まれるだけだ。そしてその未来は、我々が生きている世界には影響しない。モーガンとエドワードが過去のスタークに接触したことで、スタークがあの戦いで生き残る世界が新たに誕生した。その世界は今でも存在するし、今この瞬間、その世界では、私はお前の家を訪ねてもないし、お前たちは呑気に昼飯でも食べている頃だろう。先程子供たちに見せたのは、その世界での出来事だ。ややこしいから、仮にAという世界としておこうか。Aの世界と我々のこの世界は元々同じ世界だ。だが、2023年10月1日…つまりモーガンとエドワードがタイムスリップした時点で、2つに分かれてしまった。1つは、スタークはエドワードの存在を知らず、数週間後のあの戦いで命を落としたこの世界。そしてもう1つは、スタークがモーガンとエドワードと接触したことで、あの戦いを生き延びた、Aという世界だ。そこまではいいな?」
ストレンジおじさんは僕を見た。僕が大きく頷いたのを確認すると、おじさんはまた話し始めた。
「本来ならば、我々の世界とAという世界は、別の世界なのだから、交わることは決してない。だが、どういう訳だか、モーガンとエドワードが元の世界に戻ってきた瞬間から、2つの世界はまた1つの世界に戻り始めた。つまり、2023年でスタークが死んだという世界は消え、生き残ったという世界だけが残ろうとしている。その証拠に、お前たちはあの戦いの後、盛大に結婚式を挙げた。実際には2度目の結婚式だったが…。その時、お前たちは2つ目の結婚指輪を交換した」
ストレンジおじさんの言葉に、ママは左手を見た。さっきまでは指輪はパパから贈られた婚約指輪と結婚指輪しかなかったのに、今のママの指にはもう1つ指輪が重ねて付けてあった。
「……いつの間に…」
ママは目をまん丸にすると、パパの左手を取った。パパの指にも2つ指輪が付けてあった。パパも驚いたように目を丸くして、ママを見た。2人とも、びっくりしすぎて、言葉を失っている。

僕は正直、ストレンジおじさんの話が全部は分からなかった。お姉ちゃんも訳が分からないと、口をぽかんと開けたままだ。
目が点になっているママとお姉ちゃんと僕を見渡したパパが、わざとらしくため息を付いた。
「ストレンジ。お前の話は相変わらずつまらないし訳が分からないな」
ストレンジおじさんは眉をつり上げた。
「あぁ、そうだろうな。実際のところ、私も訳が分からんからな。とにかく、スタークが生き返ったと知り、私は墓に向かった。すると、スタークの墓は消え、代わりにスターク本人が墓があった場所に座り込んでいた」
その時のことを思い出したのか、ストレンジおじさんは吹き出した。
「スタークのあんな顔は見たことがない。ポカンとしていて、穴が開くほど私を見つめて…。『随分老けたな』と開口一番言ったんだぞ」
笑い声を上げたストレンジおじさんは、とっても楽しそうだった。
「つまりだな…、スタークがあの時死んだという事実は、この世界でも消滅した。後で確認してみろ。何を読んでもそんなことは一言も書いてない。スタークは…アイアンマンはサノスを倒し宇宙を救ったヒーローだが、その後ヒーローは引退したとしか書いてない」
すると、黙っていたママが口を開いた。
「じゃあ、トニーが死んだことを覚えてるのは…」
ストレンジおじさんはママに向かって頷いた。
「お前たち家族と私だけだ。11年間の記憶は今はないだろう。だが、2つの世界が元に戻ろうとしているのだから、そのうち色々と思い出すように、頭の中に入ってくるはずだ。つまり、Aの世界で起こったことがお前たちに起こったことになる」
肩を竦めたストレンジおじさんは、立ち上がった。
「そろそろお開きの時間だ。私は帰る。何か分かったらまた知らせに来てやる」
ストレンジおじさんは丸い穴に向かって歩き出したけど、パパは立ち上がるとおじさんに向かって頭を下げた。
「ストレンジ、ありがとう」
お礼を言うパパに、ストレンジおじさんは首を振った。
「スターク、私は訳が分からない話をしに来ただけだ。礼なら子供たちに言え」
ウインクをしたストレンジおじさんは、丸い穴の中に消えていった。

ストレンジおじさんが消えると、鼻の頭を掻いたパパは、僕たちを見渡した。
「正直、まだ混乱している。最後に覚えているのは、ペッパーが手を握ってくれていたことだけだ。それが突然、戻って来れた…。奇跡が起こったとしか言いようがないな」
パパは口の端を上げて少しだけ笑った。でも、すぐに真面目な顔になった。
「ペッパー、すまなかった」
頭を下げたパパにママは首を傾げた。
「どうして謝るの?」
パパは顔を上げると、ママを真っ直ぐ見つめた。
「あの時、あの方法しかなかったと言え、何も言わずに死んでしまって、本当にすまなかった。苦労ばかりかけたに決まっている。それまでも散々苦労ばかりかけていたのに、私は君に苦労しか残さなかった…。本当にすまなかった。許してくれ…」
パパはお姉ちゃんにも頭を下げた。
「それから、モーガン。急にいなくなってすまなかった。寂しい思いをさせて、本当にすまなかった…」
頭を下げ続けるパパの手を、首を振ったママは優しく握りしめた。
「トニー、謝らないで。あなたをああいう形で失って、確かに悲しくて辛くて、死んでしまいたいって思ったこともあったわ。でもね、あなたはモーガンを遺してくれた。それからエドワードも…。あの子たちがいたから、あなたの存在を感じることができたの。それに、あなたは戻ってきてくれたのよ。それだけで十分…。あなたとまた一緒に歩いていけるんですもの…」
「そうよ、パパ。パパは戻ってきてくれた。それにね、パパ。私、パパのことずっと誇りに思ってた。パパは私の未来を守るために…命をかけて守ってくれたんだって、誇りに思ってた。パパに会いたくて寂しくて泣いたことも沢山あるけど、パパはいつだって私のそばにいてくれたって知ってるから…」
ママとお姉ちゃんの言葉に、パパは安心したのか、涙をシャツの袖で乱暴に拭った。そして頬を軽く叩いたパパは、深呼吸すると僕に顔を向けた。
「エドワード…。パパが一番悔しいのは…お前が生まれた瞬間を見届けられなかったことだな」
「パパ……」
パパはニッコリ笑った。パパの笑顔に、僕はまた涙が溢れた。
するとパパが手招きした。僕はパパの目の前にゆっくりと歩いて行った。
パパは僕の両腕をそっと摩ると、僕をじっと見つめた。
「しかし…本当にそっくりだな」
感心したように小さく唸ったパパに、ママは嬉しそうに言った。
「そうなのよ。瓜二つでしょ?それにね、最近は仕草もあなたにそっくりなの」
パパは僕のほっぺたを撫でた。そしてキスをしてくれた。僕は昔からお姉ちゃんが言っていたことを思い出した。
『パパのお髭はかっこいいし、お髭のないパパなんか想像できないでしょ?でもね、ほっぺたにキスされると、お髭がチクチクして痛かったのを覚えてるわ』
お姉ちゃんの言う通りだった。パパのキスはチクチクして痛かった。でも、僕はやっとパパにキスしてもらえたから、嬉しくて仕方なかった。僕もお姉ちゃんみたいにパパとのことをこれからみんなに話せると思うと楽しみでどうしようもなかった。

僕はパパに抱きついた。
僕のパパ。ずっと会いたかった僕のパパ。
絶対に会えないと思っていたパパが、僕の目の前にいて、僕を抱きしめてくれている。
今度はいくら抱きついても大丈夫。これは魔法なんかじゃないから…。

「パパ…大好きだよ…」
僕がそう言うと、パパは僕の背中をポンポンっと撫でた。そして頭をギュッと抱き寄せると、僕の耳元で言った。
「パパもだ。パパもエドワードのことが大好きだ…」

と、ママが、あ…っと声を上げた。
「どうした?」
僕を離したパパは、心配そうにママを見つめた。するとママは顔を輝かせてパパを見つめた。
「今日は…5月29日よ…」
不思議そうな顔をしているパパに、ママは楽しそうに笑った。
「あなたの誕生日」
僕はパパのお誕生日を知らなかったから、ビックリしてその場で飛び上がった。パパもお誕生日を忘れたのか、目をパチクリさせていたけど、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「そうだったな。そうなると…私は誕生日の日に生き返ったのか?」
パパの言葉にお姉ちゃんは手を叩いた。
「本当だ!じゃあ、今日はパパの2度目の誕生日になったんだね!」
お誕生日に生き返ったなんて、奇跡だと僕たちが騒いでいると、またママが「あ!!!!」と声を出した。今度は慌てふためいている。
「どうした?!」
ママの様子に気づいたパパは顔色を変えた。
するとママはパパの手を握りしめると、ブンブン振り回し始めた。
「誕生日パーティーよ!」
「は?」
訳が分からないと、パパはポカンと口を開けたまま、僕とお姉ちゃんを見た。僕たちも何のことか分からないので、首を振った。
「おい、ハニー。分かりやすく説明してくれ」
顔を顰めたパパに、ママは肩を竦めた。
「もう!忘れたの?あなたの誕生日パーティーよ。あの事件の前まで、毎年盛大なパーティーを開いてたでしょ?世の中が平和になったんだから、きっとまたパーティーを開いていたはずよ!だから今日も…」

時計を見ると、12時過ぎている。ママの誕生日パーティーは、いつも夕方からある。だからもしパパの誕生日パーティーがあるなら、きっと夕方からだろうし、用意しないと間に合わない。
パパは思いっきり顔を顰めていた。『パーティー?そんなもの出たくない』というように…。
「F.R.I.D.A.Y.、聞きたくないが…今日のこの後の予定は?」
それでも溜息を付いたパパが尋ねると、F.R.I.D.A.Y.は当然のように答えた。
『ボス、お忘れですか?今日はボスの64歳のお誕生日。ですからパーティーがあります。今年はペニンシュラホテルで開催されます。ゲストは…』
F.R.I.D.A.Y.は招待された人の名前を言い始めた。有名なハリウッドスターに、モデルさん、それから今人気のアーティストも…。
あまりに豪華なメンバーに、パパはあんぐりと口を開けたままだ。
「おい、F.R.I.D.A.Y.。誰がそんな豪華なパーティーに…」
『ボスです。ペッパー様が止められたのに、ボスは派手なパーティーにすると張り切っていらっしゃったではないですか』
どうやらF.R.I.D.A.Y.も、パパが死んでたことは覚えてないみたいで、呆れたような口調でパパに言った。文句を言いかけたパパだけど、自分がしたことらしいから、黙ってしまった。そんなパパを見たママも、呆れたように溜息をついた。

僕はお姉ちゃんを見た。お姉ちゃんも僕を見た。
これがパパがいるという生活なんだ。
ママが言っていた通りだった。パパがいるだけで、今まで以上に楽しくなるし、お家の空気がパッと明るくなったんだから…。
何だかおかしくなってきた僕とお姉ちゃんは、ゲラゲラ笑い出した。パパも笑い出した。ママも笑い出した。
僕たちは笑い転げた。こんなに笑ったのは初めてっていうくらい。これからは、こうやってパパとママとお姉ちゃんと僕と、家族みんなで笑えるんだって思うと、嬉しくて仕方なかった。
でも僕が一番嬉しかったのは、ママが笑っていたこと。ママは本当に嬉しそうに笑っていた。ママがこんなに笑っているのを、僕は初めて見た。ママはパパが死んでから、きっと心から笑ったことはなかったんだと思う。そのママが、涙を流しながら笑っている。パパがそばにいるだけで、ママはキラキラと輝いていた。
パパはいるだけで、ママを幸せにしてくれる。ママは僕がいるから幸せだって言っていたけど、パパがいるとママはもっともっと幸せなんだなって思う。

パパって凄い…。
僕もパパみたいになりたい。
パパみたいに、みんなを幸せにできる人になりたい…って思った。

そんなことを考えてると、ハッピーおじさんがやって来た。
ゲラゲラ笑っている僕たちを見たハッピーおじさんは、呆れたように肩を竦めると、時計を見た。
「てっきり準備し終わってると思って来たんだが…どうして笑い転げてるんだ?」
ハッピーおじさんに気づいたパパは、立ち上がると、黙っておじさんを抱きしめた。だってパパにとっては11年ぶりにハッピーおじさんに会えたんだから、嬉しかったんだよね。でも、ハッピーおじさんは、突然抱きしめられて、戸惑っている。
「トニー…。これは誕生日おめでとうと言って欲しいというハグか?」
目を白黒させながらハッピーおじさんがそう言うと、パパはおじさんのお腹をポンっと叩いた。
「いや、11年ぶりだろ?懐かしくてつい…。それにしても、お前…痩せたか?」
パパ…ハッピーおじさんは混乱してるよ。何言っているんだ?って顔に書いてある…。
「トニー…11時間ぶりの間違いじゃないか?確かに昨日は日付が超えるまで飲みまくったが…。まだ酔ってるんだろ?それに、昨日は『太った』と俺のことをからかってたじゃないか」
ハッピーおじさんは怪訝そうにパパを見つめた。パパは余計なことを言ってしまったというように、鼻の頭を叩いた。あまり喋るとまた変なことを言ってしまうと思ったのか、パパはママの手を取ると、僕とお姉ちゃんにも声をかけた。
「よし!用意しよう!遅刻したら大変だ!」

それから僕たちは大急ぎで準備をした。部屋には朝にはなかったはずの、パーティーで着る洋服が掛けてあった。棚の上の写真には、僕とパパが写っているものが沢山あった。
本当に、この11年間、パパが生きていたことになったんだと僕は思ったけど、早く準備をしないと大変だと、急いで着替えた。

急いで下に降りると、まだ誰も降りて来ていなかった。リビングも、さっきと違っていた。パパのラボの前の本棚がたくさんある所には、11年前までパパが使っていたテーブル…ホログラムが浮かんだりするテーブルで、お姉ちゃんや僕が遊んだり宿題をするのに使っていたテーブルがあったはずなのに、テーブルはなくなって、グランドピアノが置いてあった。
ママは勿論だけど、お姉ちゃんも僕もピアノは弾かない。誰が弾くのかな?と思っていたら、パパが2階から降りて来た。髪の毛を綺麗にセットして、タキシードを着たパパは、映画に出てくる俳優さんみたいにかっこよかった。
僕がパパに見惚れていると、ピアノに気づいたパパが目を丸くした。
「ん?ピアノがあるのか?モーガンかエドワードが弾くのか?」
「ううん。僕もお姉ちゃんも弾かないよ。さっきまでなかったのに、急に現れたんだ」
すると、パパはピアノに近づいた。
「それなら、死んでいなかった世界のパパが弾いていたのかもしれないな」
「パパ!ピアノが弾けるの?!」
驚いて飛び上がった僕にパパはわざとらしく顔を顰めた。
「おい、エドワード。パパの特技を知らないのか?」
椅子に座ったパパは鍵盤に指を滑らせた。
心地よい音がリビングに響いた。
「ママはな、パパのピアノが大好きだったんだぞ」
懐かしそうに笑ったパパは、ピアノを弾きながら歌い始めた。

聞いたことがない曲だった。
でも、パパの弾くピアノの音色とそして歌声はとっても優しくて、僕はこの曲が大好きになった。

パパが歌い終わると、拍手が聞こえた。
振り返ると、ママとお姉ちゃんが階段に座って拍手をしていた。
「パパ、素敵な歌ね」
目をキラキラさせて拍手していたお姉ちゃんは飛び上がるように立ち上がった。
「ママが大好きな歌さ」
ウインクしたパパは、ママのそばまで歩いて行くと、ママの手を取った。
「懐かしいわね」
嬉しそうに笑ったママは、お姫様みたいだった。パーティーがある時のママは、いつもドレスを着て綺麗だけど、今日のママはいつも以上に綺麗だった。そうか、パパはママの王子様だから、ママはお姫様みたいなんだな…って僕が考えていると、ママにキスをしたパパは、僕たちを手招きした。
「ほら、行くぞ。ハッピーに怒られる」

それから僕たちはパパの誕生日パーティーに出席した。
F.R.I.D.A.Y.が言った通り、有名な人が山程来ていた。みんなパパに「おめでとう」と声を掛けていたけれど、パパは11年間死んでいたんだから、相手が誰なのか全然分からなかったみたい。だからパパはママにずーっとくっついていた。でも、『11年間生きていたパパ』は、ママにいっつもベッタリくっついていたみたいだから、お客さんは『いつものことだな』というように、パパとママを見守っていた。

パーティーは大盛り上がりで、僕たちは夜遅く家に戻ってきた。僕は眠くて仕方なかったから、シャワーを浴びるとすぐに寝てしまったけど、次の日の朝は、いつもよりも早く目が覚めた。だって、パパがいるんだから。
急いで着替えると、僕は階段を駆け下りた。でもキッチンにはママとお姉ちゃんしかいなかった。
「おはよう、ママ」
キョロキョロしている僕に、朝ごはんを並べ終えたママは、笑いながら言った。
「エドワード、おはよう。パパはまだ寝てるわよ。でも、朝ごはんが出来たから、起こしてきてくれる?」
「うん!」
パパを起こしに行くなんて、初めてだ。昨日までパパはいなかったから、当たり前だけど…。だからその大役を仰せつかった僕は嬉しくて、パパとママの寝室まで走って行った。
ドアをそっと開けると、パパは寝てた。
枕を抱きしめたパパは、グーグーいびきをかいて眠っていた。髪の毛はボサボサだし、昨日は綺麗にしていた髭も、無精髭が生えていた。どうやって起こせばいいのか分からないから、僕はパパの顔を突いてみた。
「パパ…」
でもパパは起きなかった。そこで僕はパパの耳元で大声で叫んだ。
「パパ!起きて!」
すると、パッと目を開けたパパは、何事かというように飛び起きた。そして、キョロキョロと辺りを見渡したパパは、僕に気づくと苦笑いした。
「おい、エドワード。ビックリするだろ」
パパは、笑いながら僕の髪の毛をくしゃくしゃにした。
「ごめんね。でも、パパ。朝ごはんができたよ」
僕がそう言うと、パパは嬉しそうに僕のほっぺたにキスをした。そしてベッドから出ると、そのままバスルームへと向かった。
僕は先にキッチンに戻ることにした。パパは何も着てなかったから、ちゃんと洋服を着て降りてきてくれますように…と祈りながら…。

***

それから僕は、パパとの『初めて』を沢山経験した。
パパと釣りをして、湖で泳いだ。映画を観に行ったり、買い物にも行った。家族4人でディズニーランドにも行った。

お姉ちゃんがボストンに行って、パパとママと僕の3人になった。お姉ちゃんは『私もパパと一緒にいたい!』って泣いてたから、毎週帰ってきてるけど。
僕を学校に送ってくれるのは、ハッピーおじさんではなくて、パパの仕事になった。
どうやら11年間生きていたパパは、あの戦いの後、アイアンマンを引退すると、スターク・インダストリーズの開発専門の会社を新たに立ち上げて、そこの責任者になったみたい。今まで開発部はあったけど、パパは今まで自分がアーマーのために開発した技術を使って、困っている人を助ける商品を開発する…そんな会社を作った。それを知って、僕はますますパパは凄い人だと思った。11年間でパパは沢山の物を開発していた。事故や病気で手や足を失った人のために、義手や義足を作ったり、リアクターやナノテックを使った技術…。それから、F.R.I.D.A.Y.みたいなA.I.を家で使えるようにもしていた。
パパは世界中の人たちの助けになる物を沢山開発していた。
だからパパは僕を学校に送って行って、そのまま会社に行く。そして僕の学校が終わると迎えに来てくれる。
パパは僕に勉強を教えてくれるし、一緒にロボットを組み立てたりもした。

僕は毎日楽しくて仕方なかった。
パパが戻ってきてから、僕は自分に自信が持てるようになった。勉強も前よりも出来るようになったし、パパにアドバイスしてもらったロボットコンテストで優勝もした。
「エドワードはパパが戻ってきてから明るくなったし変わったわね」
と、ママも嬉しそうだった。

でも僕はストレンジおじさんの言葉がずっと引っかかっていた。『11年間の記憶はいつの間にか頭に入ってくる』という言葉が…。

だから僕は、パパが帰ってきた日から、出来るだけ詳しく日記を書き続けた。パパとの思い出を忘れたくなかったから…。

***

パパが戻ってきてもうすぐ1年になる。
この頃になると、パパもママもお姉ちゃんも覚えているのに、僕だけが覚えていないことが起こるようになってきた。
今日も今度の夏休みにどこに行こうかと、僕はパパとママと話していた。僕は行ってみたい場所を挙げてみた。すると…。
「おい、エドワード。3年前に行っただろ?」
パパはそう言うと、怪訝そうに眉をひそめた。
その時、僕は気づいた。
パパは死んでいた11年間の記憶が全部頭に入ってきたんだ。パパだけじゃなくて、ママもお姉ちゃんも…。だからパパが死んでいたことを覚えているのは、もう僕だけなんだ…って。
でも、僕も時々忘れてしまうことがある。パパは死んでたっていうことを…。
そんな時、僕は1年間書き続けた日記を読み返す。そうすると、パパとやった『初めて』のことを思い出すから…。

でも、不思議なことが起こった。それは5月28日…つまり、パパが帰ってきて明日で1年になるという日だった。
明日はパパの65歳のお誕生日。去年以上に盛大なパーティにするのかと思ったら、今年は家族だけでお祝いするんだって。
お姉ちゃんも帰って来たから、ママとお姉ちゃんはパパの好きなものを沢山作るんだって張り切ってる。僕はパパと朝からお出かけして、パーティの準備が出来るまでパパを家から遠ざけておくのが仕事。
あれから1年経ったんだな…と、僕は日記を開いた。
だけど、日記は真っ白だった。
パパと僕のこの1年の思い出が、全部消えてしまったと僕は焦った。
だけど、次の瞬間、思ったんだ。
どうして僕は日記を付けてたんだろう…って。僕はこの日記に何を書いていたんだろうって…。

僕はアルバムを開いた。
そこには僕が生まれた時からの写真が沢山貼ってあった。パパと僕の写真も沢山…。

どうして僕は『パパは死んでいた』なんて思ったんだろう…。
パパは僕が生まれてから…ううん、生まれる前からずっと一緒にいるのに…。

アルバムを閉じると、さっきまであったあの日記帳は消えていた。消えたこと…ううん、その存在すら、僕は忘れていた。
でも、何か大切なことを忘れたことだけは、僕は覚えていた。
うんうんと頭を捻った僕は、ようやく思い出した。
「そうだ!明日の映画のチケット、予約しておかなきゃ!」
パパを家から遠ざけておくために、明日はパパと映画を観に行く約束をしているんだった。人気シリーズの最新作だから、きっと予約しておかないと、チケットは売り切れてしまう。そうしたら、映画を楽しみにしているパパは、しょぼくれてしまうに決まっている。
僕はパソコンを開いた。でも、丁度その時、パパが部屋に入ってきた。
「おい、エディ。明日の映画のチケット…」
「今から取る!」
パパを遮るように叫んだ僕に、パパはわざとらしく眉をつり上げた。
「お前が言っていた回は、もう売り切れてるぞ?そんなことだろうと思って、パパが1週間前に取っておいた。特等席だ。ど真ん中の、一番よく見える席だ」
得意げに鼻を鳴らしたパパに、僕は感謝しながらも、肩を竦めてみせた。
「さすがパパ」
するとパパは、口の端を上げてニヤリと笑った。
「お前のパパを何年やってると思ってる。もう11年だ。モーガンのパパは、16年もやってるんだぞ?お前たちのことは、全部分かってるさ」
笑いながら言うパパは、明日がお誕生日だからか、とっても楽しそうだった。

そんなパパを見ながら、僕は思った。
『パパ、戻ってきてくれてありがとう』って。
どうしてそんなことを思ったのか分からないけど。でも、きっと、12年前のあの戦い…アイアンマンにとっての最後の戦いで、生きて帰ってきてくれてありがとうということだろうって、思うことにした。

3 人がいいねと言っています。

16.supernatural! au

その国には昔からの言い伝えがあった。
森の奥深くには魔物が住んでおり、この国を守っている。おかげでこの国は他国から攻め込まれることもなく、何百年も平穏な日々が続いている。だがその代わりに、毎年美しき穢れない乙女を捧げなければならない。もし捧げ物が途絶えれば、魔物の怒りに触れ、この国は…いや、世界が破滅するというのだ。

その生贄に今年選ばれたのは、とある村にいるヴァージニア・ポッツという、16になったばかりの少女だった。少女の家は貧しく、ヴァージニアは満足に学ぶことすらできなかった。が、優しく聡明な彼女は、村の皆に可愛がられていた。学校で学ぶことのできない彼女に、村の教会の神父は、時間を見つけては読み書きを教え、本を貸していた。そのため、ヴァージニアは学校へ行くことはできないが、本を通じて世界を広げていた。
そのため、ヴァージニアが生贄に決まったと、王の使者が村にやって来た時、村人は嘆き悲しんだ。だが、生贄になれば、両親には多額の金が国から支給され、生涯保証されると知ったヴァージニアは、両親とそして妹や弟たちのために、喜んで生贄となると告げた。

そしてその日がやって来た。
豪華なドレスに身を包んだヴァージニアは、両親と別れを告げると、籠に乗せられ森へとやって来た。森の奥深くへと進むにつれ、辺りは闇を増していき、獣の声も聞こえて来た。身震いしたヴァージニアだが、これも自ら選んだ道だと言い聞かせた。
真っ暗な森の中、ヴァージニアは1人ぽつんと取り残された。不気味なほど静かな空間なのに、何故かヴァージニアは心が落ち着いた。

と、その時だった。
背後でガサッと音がした。
ついに命が奪われる…そう考えたヴァージニアは神に祈った。
すると…
「怖がらなくていい」
と、優しげな男性の声がした。恐る恐る振り返ると何かがいた。
「だ、誰……」
誰かいるのに、暗くてその姿はよく見えない。震えるヴァージニアにゆっくりと近づいてきた男性は、手を伸ばし額に触れた。すると、ヴァージニアはすぅと意識が遠のいた……。

***

暖かな光に目を開けると、そこはあの暗闇の世界ではなく、明るく光に満ち溢れた世界だった。
一瞬ここは天国かしら…と思ったが、どこかの森の中のようだ。小鳥の囀りも聞こえるし、風で木々が揺れる音もする。あの鬱蒼とした森とは別世界のような場所で、フワフワの草の上に綺麗な織物が敷かれおり、ヴァージニアはその上に寝かされていた。そばには透き通るような湖があり、立ち上がったヴァージニアは湖に近づくと、1口2口水を飲んだ。
「気がついたか?」
あの男性の声が聞こえたため、ヴァージニアは振り返った。いつの間にか背後には、声の主が立っていた。年は20代半ばだろうか…。自分より随分年上の男性は、笑みを浮かべているのだが、どこか緊張した面持ちをしていた。
「あ、あなたは…」
恐る恐る尋ねると、男性はニコッと笑った。
「トニー・スターク。トニーと呼んでくれ」
優しく煌めく魅力的な瞳に、ヴァージニアは人目で魅了されてしまった。つまり、一瞬にしてヴァージニアは、トニーと恋に落ちてしまったのだ。頬を真っ赤に染めたヴァージニアは、慌てて立ち上がった。
「ヴァージニア・ポッツです」
すると、トニーの方も同じ気持ちなのか、彼は満面の笑みで頷いた。
「気に入った。お前のこと、気に入った。初めてだ。これで終わりだな。今までのオンナは、正直口に合いそうになかった。だが、お前なら…」
トニーの言葉にヴァージニアは目を見開いた。つまり彼はあの魔物なのだ…。そう悟ったヴァージニアは、悲鳴を上げそうになったが、恐怖のあまり声どころか、涙すら出ない。
生贄になった女性たちは、誰1人戻ってこなかった。口に合わなかったということは、目の前の魔物は噂通り、生贄を食らって生きながらえているのだろう。
ヴァージニアは逃げようとした。が、足がすくんで動けない。そうこうしているうちに、魔物はどんどん近づいてきた。
最早これまで…と覚悟を決めたヴァージニアは目をぎゅっと閉じた。が、ふわっと甘い香りが鼻先を漂い、覚えのある香りに彼女は恐る恐る目を開けた。すると魔物…いや、トニーが目の前に跪いており、美しい薔薇の花束を自分に向かって差し出しているではないか。
「え……」
目をパチクリさせているヴァージニアに、トニーは首を傾げた。
「人間の男は、求婚する時、花を捧げるだろ?」
「え……求婚……って………」
伝え聞いていた話とは、どうも違う。ポカンと見つめてくるヴァージニアに、トニーは眉をひそめた。
「お前は俺の妻になるのだろ?だから求婚している」
当然と言わんばかりに告げるトニーに、ヴァージニアは口をポカンと開けたままだ。

聞き伝えられている話とはどうも様子が違う。生贄になると聞いているが、花嫁に…という話は聞いたことがない。

「わ、私は…生贄ですよね……」
やっとの思いで尋ねると、トニーは不思議そうに首を傾げた。
「生贄ではない。俺の花嫁だ」
「…私が…断ったら…?」
「何度でも求婚する。俺はお前のことが気に入った」
キッパリと言い切ったトニーだが、気になるのは今までの『生贄』とされてきた大勢女性たちの行方。
「い、今までの女の方は…」
するとトニーは肩を竦めた。
「結婚したいと感じたオンナは誰一人いなかった。だから家に帰そうとした。こんな森の奥深くだ。迷子になるのは目に見えている。だから、俺が村まで送ると言ったのに、彼女たちは勝手に帰ってしまい、森の中で迷い、皆、命を落とした」

ヴァージニアの頭の中は大混乱。つまり今までの生贄とされた女性たちは、魔物の手にかかり命を落としたのではないということだ。
「た、食べたんじゃないんですか?!」
思わず叫んだヴァージニアに、トニーは目を見張った。
「俺が人間を食べる?誰から聞いた?」
「言い伝えです。もう何百年も前からの…」
何度か瞬きをしたトニーは、ブッと吹き出すと、腹を抱えて笑い出した。
「俺が?面白いことを考えるな」
ハハハと笑い声を上げたトニーは、笑いすぎて目に浮かんだ涙を拭った。
「確かに俺は何百年と生きている。この国を作ったのは俺だ。だが、俺には国は治められない。そこで人間の男に国を治めさせることにした。俺は影から国を守る。その代わりに、俺にふさわしい花嫁を求めた。人間の王は毎年俺の元に女を遣わした。だが、なかなか巡り会えなかった。花嫁とし、生涯を共にしたいと思う女には…。それがお前を一目見た時から、俺は恋に落ちた。お前のことは俺が守る。何があっても絶対に…。お前を目にした瞬間、そう感じたんだ」

トニーの力強い瞳に、ヴァージニアはドキっとした。今まで他人からこんなにも求められたことはなかったから…。
潤んだ瞳で見つめてくるヴァージニアに、気持ちを落ち着けるようにトニーは軽く咳払いをした。
「俺と共になれば永遠の命を与えよう。その美しき姿のまま、お前は俺と永遠に生き続ける。どうだ?」

ヴァージニアはトニーにすっかり心を許していた。そして彼のそばにいてあげたいと思い始めていたのだ。それに、ここで結婚せずに村に帰れば、逃げ出した生贄と言われ、どんな目に合うか分からない。あの村には自分にはもう居場所はない。自分はもう『死んだ』人間なのだから…。

「…分かりました。あなたのお嫁さんになります」
囁くように告げたヴァージニアに、すぅと近づいたトニーは、彼女の頬を両手で包みこんだ。そして真剣な眼差しになった彼は、ヴァージニアをじっと見つめた。
「ヴァージニアよ…お前は永遠に俺のものだ…」
トニーはヴァージニアの唇にキスをした。すると唇越しに何かが伝わってきた。と同時に、ヴァージニアの身体が温かな光に包まれた。とても心地よく、そして安心できる光に包まれたヴァージニアは、知らず知らずのうちに、トニーの服をキュッと握りしめた。永遠とも思えるような甘ったるいキスに、ヴァージニアは頭がぼんやりとしてきた。身体中のチカラが抜けた彼女から唇を離したトニーは、妻となった女性の華奢な身体を抱きしめた。
「これでお前は俺の妻となった。そして永遠の命を宿した…」
ヴァージニアが小さく頷いたのを確認すると、トニーは手をかざした。すると湖のそばに可愛らしい屋敷が現れた。そしてヴァージニアを抱き上げると、トニーは家の中に入った。

「お前の家だ。使用人もいるから、何かあれば彼らに言ってくれ」
家の中は沢山の花が飾られ、豪勢な家具が置かれていた。玄関ホールだけでも元の自分の家ほどある広大な屋敷に、ヴァージニアは珍しそうにキョロキョロと辺りを見渡した。トニーの言葉通り、使用人も数人見かけた。が、彼らもまた人間ではないようだ。
「トニー様は…」
「トニーと呼んでくれればいい」
トニーの言葉に頷いたヴァージニアは、先程から気になっていたこと…つまり、この家は真新しく生活感を全く感じられないことを尋ねてみることにした。
「では…。トニーはこの家で暮らしていらっしゃるんですか?」
するとトニーは首を振った。
「ここはお前のために作った。俺の身体にここは狭すぎる」
自分と同じくらいの背丈なのに、一体どういうことなのだろうかと、ヴァージニアは首を傾げた。するとトニーは、肩を竦めた。
「これは俺の本当の姿ではない。人間と会う時の姿だ」
「えっ?!!」
目を見開いたヴァージニアは、余程の驚いたのか、言葉を失い口をパクパクしている。が、彼女からは恐怖というものは全く感じなかった。そのため、彼女ならば自分の本当の姿を受け入れてくれるかもしれないも感じたトニーだったが、初日からそうする程、彼も愚かではなかった。
「安心しろ。お前の前にはこの姿で現れる。だが、この姿は半日しか保てない。お前はここで暮らし、俺は毎日ここを訪れる」
と、トニーが大きなドアの前で立ち止まった。彼が手をかざすと、ドアは勝手に開いた。
部屋の中央には、大きなベッドが置いてあり、これから夫婦の契りを結ぶのだと気付いたヴァージニアは、顔を赤らめた。

……

翌朝、ヴァージニアが目覚めると、トニーはいなかった。だが、左手には指輪が嵌っていた。見たことがないような綺麗な宝石が光る指輪を、ヴァージニアは愛おしそうに撫でた。
夕方になるとトニーはやって来た。彼はいつも何かしら手土産だと持って来てくれた。綺麗な花だったり美味しい果物だったり…。トニーは優しかった。そして彼は面白い話を聞かせてくれた。何百年と生きている彼は博学で、ヴァージニアはトニーの話を聞くのが楽しみで堪らなかった。そして彼は優しくヴァージニアを愛した。毎晩彼の力強い腕に抱かれ、ヴァージニアはトニーが自分のことを心から愛してくれていると感じた。
そのため、1週間も経つ頃には、ヴァージニアは心からトニーのことを慕うようになっていた。

1ヶ月後。
その日も中で果てたトニーは、ヴァージニアの胸元に顔を埋めると、息を整えた。
トニーの髪を撫でながら、ヴァージニアは彼の温もりを目を閉じ堪能した。
出会ってすぐに惹かれるものがあった。心の底から愛したのは、彼が初めてだった。それ故に、彼が人外の者ということは、とうの昔に忘れてしまった。
ヴァージニアは、トニーのことが愛おしくてたまらなかった。そしていつしか思うようになった。彼と家族を増やしたいと…。
「ねぇ…あなた…」
ヴァージニアの声にトニーは顔を上げた。
「どうした?」
首を伸ばしヴァージニアにキスをしたトニーは、コロンと彼女の隣に横になった。そして腕を伸ばし妻を腕の中に閉じ込めた。
「何か必要な物があるのか?何でも言ってみろ」
甘ったるい声で囁かれ、ヴァージニアはうっとりと目を閉じた。
「あなたの赤ちゃんが欲しいです」
子供と聞いたトニーは顔を顰めた。それも、とても悲しそうに…。
「それは無理だ。この姿のまま交わっても、子はできぬ…。だが、本当の姿の俺と、人間のオンナは交われない」
暫くしてトニーからそう告げられたヴァージニアは、顔を上げると彼を見つめた。
「でも…私はあなたを愛してます!ですから…」
『何か方法があるはず…』
そう続けようとしたヴァージニアだが、トニーは遮るように口を開いた。
「愛の問題ではない。お前が俺のことをどれ程愛してくれているかは分かっている。だがな、いくらお前が俺のことを愛してくれていても、本当の姿の俺を人間のオンナの身体では受け止められないんだ」
トニーは辛そうに、そして切なそうに顔を歪めた。

トニーの本当の姿…ヴァージニアはまだ一度も見たことがなかった。どんな姿でも受け入れる覚悟は、共になると決めた時から持っているつもりだが、トニーに見せて欲しいと告げたことは一度もなかった。だが、夫婦になり一月。そろそろ聞いても良いかもしれない…。
「…本当のあなたの姿って…」
そう尋ねると、トニーは首を振った。
「見ない方がよい」
あまりに物悲しいトニーの声に、ヴァージニアは気づいた。
彼は何百年と孤独だった。本当の自分の姿を受け入れてくれる人が誰一人いなかったから…。だから彼は恐れている。本当の姿を見せることで、ヴァージニアも逃げ出してしまうかもしれないと…。
「本当のあなたを見ても、私は絶対にあなたを裏切ったりしません。私はあなたを愛しています。心の底から、あなただけを…。ですから、トニー…私のことは信じて下さい…」

ヴァージニアの必死の説得にも、トニーは首を縦に振らなかった。だが、彼女の必死さに根負けしたのか、翌朝、ヴァージニアが目覚めると、トニーがベッドに腰掛けていた。そして朝食を共に食べると、トニーはヴァージニアの手を取り立ち上がった。
「ヴァージニア、行くぞ」
「どちらへ?」
するとトニーは、ヴァージニアを見つめた。その瞳には彼の決死の覚悟が見られ、ヴァージニアは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「本当の俺を見たいのだろ?ここでは無理だ」
トニーは相当な覚悟と勇気をもって、自分の本当の姿を見せようとしている…。何があっても彼のことを受け止めようと覚悟したヴァージニアは、トニーの手を握り返すと黙って頷いた。

松明片手に歩き始めたトニーは、森の奥深くに向かった。どのくらい歩いたのか定かではないが、どんどんと暗くなっていく森に、ヴァージニアは身震いした。
暫く歩くと、大きな洞窟が目の前に現れた。
「ここが俺の家だ」
中に家があるのかと覗き込んでみたが、洞窟の中は真っ暗で何も見えない。
「洞穴ですよ?」
首を傾げるヴァージニアに、トニーは少しだけ笑みを浮かべた。
「呼ぶまで待っていろ」
そう言うと、ヴァージニアに松明を渡したトニーは、洞窟の中に入って行った。

しばらくすると、ピュウと生暖かい風が洞窟の奥から吹いてきた。そして風に乗り、『ヴァージニア…』と、トニーの呼ぶ声が聞こえた。
ヴァージニアは恐る恐る中に入って行った。
洞窟の中には何かがいる…。だが、気配はするが姿は見えない。
「トニー?」
そっと呼びかけると、獣のような唸り声がした。
ヴァージニアはゆっくりと足を進めた。そして、奥を照らすように松明を掲げた。
すると、それは姿を現した。
ヴァージニアは悲鳴を上げそうになった。
そこにいたのは、漆黒の生き物だった。
自分の何十倍もの大きさのそれは、空想の世界の本で読んだドラゴンと呼ばれるものそっくりだった。
これがトニーなのかと、ヴァージニアはパニックになりそうになった。が、ドラゴンは優しい瞳でヴァージニアを見つめた。琥珀色の瞳はトニーと同じだった。
「トニー…?」
そっと呼びかけると、ドラゴンは頭を低くした。手を伸ばしたヴァージニアは、ドラゴンの鼻に触れてみた。するとドラゴンは、まるで猫のように喉を鳴らした。
間違いない。これはトニーだ。ヴァージニアの愛する、たった一人の男の正体は、ドラゴンだったのだ。
「トニー…あなたは……ドラゴンなの?」
瞬きしたドラゴンは、そうだというように小さく鳴き声を上げた。
「言葉は話せないの?」
ドラゴン…いや、トニーは困ったように首を傾げると頷いた。ヴァージニアは黙ったままだ。口をポカンと開けて、固まってしまったヴァージニアに、トニーは何度か瞬きをした。そして再び小さく声を上げると、俯いてしまった。

人間の言葉は話せないが、こちらの話すことは理解できるらしい。だから一方的とはいえコミュニケーションを取ることはできるが、確かにこれではあの家で共に暮らすことはできないし、愛し合うことなど出来ない。トニーの言う通り、愛が問題ではないと悟ったヴァージニアは、ようやく我に返ったが、見るとトニーはしょぼくれているではないか。
「私があなたのこと、嫌いになったと思ってます?」
俯いたまま頷いたトニーの目には涙が溜まっており、ヴァージニアはトニーの鼻にキスをした。
「嫌いになる訳ないわ。私はあなたの心に惹かれたの。だからあなたがドラゴンでも、私のあなたへの愛は変わらないわ」
すると、パッと顔を輝かせたトニーは、嬉しそうに声を上げた。そして起き上がると、入り口へ向かった。
何事だろうかと、ヴァージニアは慌ててトニーを追いかけた。
外の明るい場所で見ると、トニーの姿は神々しいまでに美しかった。本で見たドラゴンの絵は、恐ろしい生き物として描かれていた。だが、漆黒の身体も翼も、トニーは何もかもが美しかった。ヴァージニアが惚れ惚れしていると、トニーは身体を低くし、小さく吠えた。
「背中に乗ればいいんですか?」
頷いたトニーは、ヴァージニアが乗りやすいように、更に身体を低くした。ヴァージニアが背中によじ登ったのを確認すると、トニーは翼を動かし、空へと飛び立った。

「きゃっ!」
落ちないように、ヴァージニアはトニーの背中にしがみついた。が、トニーはヴァージニアが怖がらないように、ゆっくりと飛び始めた。

「す、凄い!」
初めて見る上空からの森の様子に、ヴァージニアは目を輝かせた。ぐるりと辺りを回ったトニーは、再び洞窟に戻ると、背中から降りたヴァージニアの頬を舌でペロリと舐めた。

「トニーはいつもあんなに素敵な景色を眺めているんですね」
興奮気味に話すヴァージニアを、優しい瞳で見つめていたトニーは、座り込むとヴァージニアを翼で優しく包み込んだ。
トニーの翼は、鱗のようなものに覆われた硬い身体とは違いフワフワしていた。その温かさに、すっかり安心しきったヴァージニアは、そのまま眠ってしまった。

ヴァージニアが目覚めると、そこはいつもの寝室のベッドの中だった。トニーが連れて戻ってきてくれたのだろうが、彼の姿は見えなかった。
あの洞窟に行ってみようかと思ったが、いつも夕方にはやって来るのだから…と、待つことにした。

夕方になりやって来たトニーは、ヴァージニアと顔を合わせるや早々、
「驚いただろ?」
と告げた。
頷いたヴァージニアだが、あの神々しい姿を思い出した彼女は、頬を赤らめるとトニーにそっと抱きついた。
「ですが…あなたの美しい瞳と温もりは、今の姿のあなたと同じでした。それにとても美しかったです。今のあなたもですけど、あの姿のあなたは、今まで見たことがないほど、美しかったです」
ベタ褒めする妻の言葉に、トニーは嬉しそうに笑った。が、それはすぐに寂しそうなものになった。
「だが、分かっただろ?本当の俺とは交われない理由が…」
心なしか泣き出しそうな顔をしているトニーに、ヴァージニアは一日中、ずっと考えていたことを告げてみることにした。
「私もあなたと同じ姿になればいいのではないですか?」
「は?」
トニーが眉をひそめた。
「ヴァージニア…お前は魔物になりたいのか?」
信じられないというようなトニーに、ヴァージニアは首を振ると彼の手を握りしめた。
「あなたは魔物ではありません。ただ、人間とは少し違う姿をされているだけです。私、あなたとずっと共にいたいんです。1日たりとも離れたくないんです。ですから、あなたと同じ姿になれば、ずっと一緒にいることができます。言葉も通じます。それに、可愛らしい子供も…」

トニーは何も言わなかった。
が、翌日、夕方になってもトニーはやって来なかった。次の日も、その次の日も…。
何かあったのかもしれないと心配になったヴァージニアは、あの洞窟へ行ってみることにした。

「トニー?」
入口からそっと呼びかけると、微かに唸り声がした。それも弱々しい声が…。そして風に乗り、血生臭い匂いもするのだから、顔色を変えたヴァージニアは、中へと走った。
「トニー!」
叫びながら奥へ向かうと、トニーはいた。傷つきボロボロになったトニーが…。
翼は折れ、片方は無残にもちぎれかけている。身体中には沢山の矢が刺さり、何かでえぐられたような傷口からは、大量に出血しており、辺り一面血の海と化しているではないか。
「トニー…何があったんですか?!」
慌てて駆け寄ったヴァージニアは、服が血だらけになるのもお構いなしに、トニーの横に跪いた。
荒い息をしているトニーは、薄らと目を開けた。そして弱々しい小さな声で鳴いた。
「トニー……」
ボロボロと涙を流し始めたヴァージニアの顔を、舌を出したトニーはペロリと舐めた。
まるで泣くなというように…。
そしてトニーはゆっくりと目を閉じた。

「トニー…?」
動かなくなったトニーに、ヴァージニアはすがり付いた。
「トニー…トニー……お願い……私を置いて…いなくなったりしないで…。あなたのこと…愛してるんです…」
涙は止まらなかった。ヴァージニアの涙は、トニーの身体に降り注いだ。

すると、声が聞こえた。
「こいつを助けたいか?」
聞いたことのない声に、ヴァージニアはその場で飛び上がった。
「だ、誰?!」
キョロキョロと辺りを伺うと、いつの間にか一人の男が目の前に立っているではないか。
ハンマーを持った男は、見慣れない格好をしており、どう見てもこの国の者ではなさそうだ。
もしかしたら、男性はハンターか何かで、トニーをこんな目に合わせた張本人かもしれない…。それならば、これ以上トニーを傷つけさせてはならないと、ヴァージニアは男性を思いっきり睨みつけた。が、男性は目を細めると、小さく笑みを浮かべた。
「神だ。ソーと呼んでくれ」
「神様?!」
教会に掲げてある神の絵とは似ても似つかないソーと名乗った神に、ヴァージニアは驚きのあまり言葉を失っている。そんなヴァージニアを見つめたソーは、ハンマーを地面に置いた。
「スタークを愛しているのだろ?」
これは試されているのでは…と思ったヴァージニアは、勢いよく立ち上がった。
「は、はい!死ぬほど愛してます!トニーは私の全てです!トニーのためなら、私、彼と同じようになってもいいと思ってます!」
唾を撒き散らしながら熱弁するヴァージニアに、ソーは思わず苦笑した。
「落ち着け。お前がスタークのことをどれだけ愛しているかは知っている。スタークもお前のことを愛している。何百年と生き続けたスタークが初めて愛した女がお前だ。スタークは元々人間で……」
「え?!トニーが?!」
トニーは元々人間だったと聞き、ヴァージニアは驚きのあまり腰を抜かしそうになった。ヘナヘナとその場に座り込んだヴァージニアに、ソーは片眉を上げるとトニーを見つめた。
「聞いてないのか?スタークもきちんと話をしておけ…」
ブツブツと文句を言ったソーは、説明しようと前置きすると、近くの岩に腰を下ろした。

「スタークは元々人間だ。何百年も前の話だ。スタークは、病気の母親の命を救おうと、森の奥深くにある泉へとやってきた。その泉は願いが叶うという言い伝えがあったからだ。だが、森は恐ろしいところだ。今まで誰1人たどり着いたことはなかった。だが、スタークは辿り着いた。そして水を汲み帰ろうとした。が、それは神の泉だった。神は問うた。その水はお前にやる。だが、代わりに何か置いていけと…。自分は貧しいため、何も持っていない、だから自分の命を差し出すとスタークは告げた。健気な男だろ?貧しさにも負けず、スタークの心は純真無垢そのものだった。そこで神は、スタークの命を奪う代わりに、永遠の命を与え、この地を守るよう告げた。スタークは水を持ち帰った。母親は回復したが、スタークは神との約束通り、この地を守る者になった。が、人間の姿では永遠の命を保てない。そこでスタークの姿はあのように変化してしまった」
「そうだったんですか…」
ソーの話に、ヴァージニアは気づいた。時代も背景も何もかも異なっているが、トニーは自分と同じだったのだと…。家族のために自らを犠牲にしようとした姿は、自分と同じだったのだと…。お互い惹かれ合ったのは、もしかしたらそれが理由だったのかもしれない。だが、そのトニーがどうしてこれ程まで傷ついているのだろうか…。
「ですが、どうしてトニーはこんな酷い目に…」
ちらりとトニーに視線を送ったソーは、ヴァージニアを見つめた。
「お前のためだ。スタークは神の国に乗り込んできた。『いい加減、務めは果たしたはずだ。永遠の命は要らぬ。返すから、人間に戻してくれ』と、スタークは言いに来た。そして、懇願した。人間の女に恋をした。夫婦になった。このままでは彼女と添い遂げることは出来ない。だから人間に戻りたいと…。スタークと契約したのは、わが姉上だ。姉上は短気で血の気が多くてな…。怒り狂った姉上は、スタークを殺そうとした。父上と母上がいれば、こんなことにはならなかっただろうが…昨日までお二人とも旅行に行かれていて、不在だったんだ…」
ふぅとため息を吐いたソーは、やれやれと首を振った。
「姉上は父上と母上にこっ酷く叱られた。スタークが姉上と交わした契約は、100年間だったが、姉上は我々の目を欺き、何百年とスタークを縛り付けていたんだ。スタークとの契約は解除した。そして姉上の代わりに俺が謝罪にきた。すまなかった」
頭を下げたソーは立ち上がると、トニーに近づいた。そしてトニーの鼻をそっと撫でた。
「スターク…俺だ。ソーだ。お前の願い、叶えに来たぞ…」
すると、トニーが少しだけ目を開いた。そして苦しそうに小さく声を上げた。
「あぁ、すまなかった。姉上が逆上するとは思わなかったんだ。姉上はお前を気に入っていたからな。文句はお前が元気になったらいくらでも聞く。だからこれを食べろ」
ソーは懐から光り輝く物を取り出した。そしてトニーの口に押し込んだ。するとトニーの身体が光り始めた。傷口はみるみるうちに癒え、折れていた翼も元通りになった。そして、大きく息を吐いたトニーは、すぅすぅと寝息を立て始めた。
「明日の朝には元気になっているだろう。それから、命のある人間にも…」
眠るトニーの頭を撫でたソーは、安心したように息を吐いたが、トニーが人間に戻ると聞いたヴァージニアは、ソーに駆け寄ると彼の腕を掴んだ。
「あ、あの!トニーのお嫁さんになった時、永遠の命を与えると言われました。私だけそんなに長生きしても困るんで、何とかして下さい!」
またしても物凄い剣幕に、ソーは目をぱちくりさせていたが、笑い始めた。
「それは嘘だ。お前はただの人間だ。だから命に限りはある。スタークはお前に魔法をかけたんだ。森の中には何がいるか分からない。スタークがそばにいない時でも、お前が安全に暮らせるように…」
自分には永遠の命が備わっていないと知ったヴァージニアは、よかったと胸を撫で下ろした。するとソーが、ヴァージニアの肩をぽんっと叩いた。
「ところで、ヴァージニアよ。お前は料理が得意か?」
「はい」
頷いたヴァージニアに、ソーはニヤッと笑った。
「それはよかった。スタークが元気になったら、お前の料理を食べさせてくれ。それが礼の代わりだ」
ガハハと笑ったソーはハンマーを振り回しながら、外へと出て行った。

ソーを見送ったヴァージニアは、トニーのそばに腰を下ろした。
「トニー、私がそばにいます。ですから、今はゆっくり休んで…」
トニーに抱きついたヴァージニアは、そっと目を閉じた……。

……

翌朝。
ヴァージニアは頬を擽る感触に目を覚ました。ゆっくりと目を開けると、人間の姿をしたトニーが頬を撫でているではないか。
「おはよう、ヴァージニア…」
笑みを浮かべたトニーは、ヴァージニアにキスをした。
「トニー……」
トニーは怪我もしておらず、元気だ。
涙が止まらなかった。トニーが元気なってくれたこと、人間に戻ることができたこともだが、これからも共にいることができるという喜びを抑えることができなくなったヴァージニアは、泣きながらトニーに抱きついた。
泣き続ける妻の背中を、トニーは撫で続けた。

暫くして落ち着いたヴァージニアは、涙を拭うとトニーを見つめた。
「ソー様から聞きました。あなたが何故あのような姿になっていたか…」
2、3度瞬きしたトニーは、大きく息を吐いた。
「そうか…。いつかお前に話さねばと思っていたが…」
そう言いながら座り直したトニーは、話し始めた。
「あの頃俺は、母と弟や妹たちと暮らしていた。父を数年前に流行病で亡くし、長男の俺は父の跡を継ぎ、鍛冶屋で生計を立てていた。だが、俺の下には5人も弟と妹がおり、生活は決して豊かではなかった。そんなある日、村1番の金持ちの男が母に恋をした。男は母に結婚を申し込んできた。もちろん俺たちの面倒も見ると約束してくれた。その時、俺は25だった。だから、俺は一人で独立することにした。俺は村を出て、国一番の鍛冶屋に修行に行くことになった。そんな中、母が倒れた。ここで母が死ねば、弟と妹たちは路頭に迷うことになる…。母の病の原因は医者にも分からなかった。俺は母を救う方法を必死で考えた。そして思い出した。村には昔からとある言い伝えがあることに…。森の奥深くにある、願いが叶う泉の話を思い出したんだ。だが、願いが叶う代わりに、大きな代償を払わなくてはならないという話も…。俺には金も何もない。だから母を助ける代わりに俺の命を捧げようと決め、泉に向かった。何日もかかり辿り着いた泉には女神がいた。俺は女神に頼んだ。母を救う代わりに、俺の命を奪ってくれと…。だが、女神は何故か俺のことを気に入ったんだ。『命は要らぬ。だが、私の気に入る姿になり、永遠に生き続けろ』と言われた。俺は死なずに済んだと喜んだ。母も助かり、俺は嬉しくて、女神との約束を忘れていた。つまり、すぐには戻らなかったんだ。森から戻り5日後、女神が俺の前に現れた。そして俺をここへ連れて来た。『約束を果たして貰おう。永遠の命を与える代わりにこの地を守れ。だが、その姿のままにしておくことは出来ぬ。私好みの醜い獣になってもらおう』そう言いながら、女神は俺に杖を向けた。俺の意識はそこで途絶えた。次に目が覚めた時、俺はあの姿になっていたんだ。湖に映った姿に絶望したよ。俺は人間ではない、魔物になっていたんだから…」
ふぅと息を吐いたトニーは、洞窟を見渡した。
「母や弟たちは、失踪した俺を探しに森に毎日やって来た。村の仲間も大勢…。何ヶ月も皆は俺のことを探してくれていた。だが、この姿では会えないと、俺はこの洞窟に身を隠した。人間なのに、人間の言葉も喋れないんだから…。この姿のまま、永遠に生き続けなければならないのかと、俺は毎日泣いた。半年も経つと、皆は俺の捜索をやめた。死んだと諦めてくれたんだと俺は少しだけほっとした。だが、孤独だった。こうやって俺のことは忘れられるんだと思うと…。俺はここに閉じこもった。気づけば何十年も経っていた。そんなある日のことだ。あの女神が俺の前に現れた。そして国を作れと告げた。広大な国を作り、人間に治めさせろと…。俺は久しぶりに外に出た。そして生まれ故郷の村へと向かった。村は荒廃していた。いや、村だけではなく、国全体が焼き尽くされていた。聞けば、これが引きこもっている間に、大きな戦が何度も起こり、この辺り一帯は破壊し尽くされたらしい。そこで俺は、森を切り開き、土地を作り、国を作った。そして一人の男に国を託した。だが、人間に会うのに、あの姿では驚かれるだろ?女神は俺に魔力を与えてくれた。そこで俺は人間だった頃の姿になり、王となった男に会った。感謝した王は、何でも望むものを毎年捧げると俺に約束した。俺は人間が恋しかった。誰かにそばにいて欲しかった。そこで俺は王に告げた。『花嫁が欲しい』と…。すると王は美しい女を俺の元に遣わせた。俺はあの姿のまま女に会ったが、女は恐怖のあまりその場で死んだ。王はそれからも毎年女を次々と送り込んできた。だが、どの女もあの姿の俺を受け入れてくれなかった。だから人間の姿で会うことにしたが、俺の心は何も感じなかった。そばにいて欲しいと感じる女は一人もいなかった。俺は諦めていた。そばにいてくれる女は現れないと…。だが、お前が来てくれた。お前はあの姿の俺を怖がらなかった。お前だけだった。本当の俺を受け入れてくれたのは…。そしてヴァージニア、お前は俺を苦しみから救ってくれた…」

話し終えたトニーは、大きく深呼吸をすると、ポンっと手を叩いた。
「さてと、ヴァージニア。これからどうする?俺は人間になった。だから、魔法は使えなくなった。あの家は魔法で作り出したもの。だから家はもう、ここしかない」
肩を竦めたトニーは洞窟を見渡した。
「こんな陰気な所にお前を置いておく訳にはいかない」
確かに何もない洞窟で、これから生活するのは無理だ。だが、行くあてもないし、金も何にもないのだから、一体どうすればよいのだろうと、ヴァージニアは頭を捻った。が、洞窟の奥を覗き込んだヴァージニアは、何か光っているのに気づいた。
「トニー、あれは何です?」
奥を指さしたヴァージニアに、トニーは目をくるりと回した。
「あぁ、あれは女たちと共に持ってきた貢物だ。何百年も毎年持ってこられて、処分もできず、溜まりに溜まっている」
立ち上がったヴァージニアは、その光るものに近づいてみたのだが…。
見たことがないほどの量の金貨や宝石が、山積みになっているではないか。
「と、と、と、と……」
驚きすぎて腰を抜かしてしまったヴァージニアに、何事かとトニーは駆け寄った。
「どうした?」
抱き起こされたトニーに、ヴァージニアは抱きついた。
「これだけあれば、どこに行っても暮らしていけますよ!」
「そうなのか?」
何百年も人の世から遠ざかっていたトニーには、価値がいまいち分からないらしく、彼は本気で不思議そうな顔をしているではないか。
何度も深呼吸して気持ちを落ち着かせたヴァージニアは、トニーの手を取った。
「トニー、どこか静かな場所に家を建てましょう。そしてそこで幸せに暮らしましょう」
にっこり微笑んだ妻にキスをしたトニーもまた、嬉しそうに微笑んだ。
「俺は今の時代の人間というものがよく分からない。だから、ヴァージニア、お前に任せる」

***

数年後…。
とある村から少し離れた静かな森の中には、一軒の可愛らしい家が建っていた。周りには沢山の花が植えられ、畑では様々な野菜も育てられている。そして家のそばにある工房からは、毎日遅くまで鉄を打つ音が聞こえていた。
鍛冶屋を営む主人の腕は国一番との評判で、大勢の客が彼の商品を買いにこの地を訪れていた。主人はどこか浮世離れした雰囲気があったが、彼の妻は明るく気さくで、訪れた者を温かく迎え入れてくれるため、誰もが皆、笑顔でこの家を後にした。評判は評判を呼び、ついにはこの国の王の耳にも触れることになった。主人の作る物と人柄が気に入った王は、主人に気高い位と、街にある大きな工房を与えると告げた。だが、主人もその妻もその話を断った。誰隔てもなく門戸を開けておきたいこと、そしてこの静かな地が気に入っていると王に告げると、感銘した王はますます主人のことを重宝するようになった。
そしてもう一つ。夫妻には可愛らしい娘がいた。3つになったばかりのモーガンという名の娘は、天真爛漫で、森の中を走り回るのが大好きだった。そして彼女には秘密があった…。

「モーガン!モーガン!どこにいるの?」
家から大きなお腹を抱えた女性が出てきた。ヴァージニアだ。娘を探し外まで出てきたヴァージニアは、娘の姿が庭にないことを確認すると、工房へ向かった。
「トニー!」
大きな音に負けぬくらいの妻の声に、トニーは鉄を打つ手を止めた。
「どうした?」
汗を拭ったトニーは、近づいてきた妻にキスすると、お腹を撫でた。
「モーガンがまたいなくなったんです」
困ったように溜息を付いたヴァージニアに、トニーは目をくるりと回した。
「またアレになったのか?」
「そうみたいです」
肩を竦めたトニーは、頷いた妻の手を取ると、森に向かって歩き始めた。

暫く歩くと、獣のような声が聞こえてきた。
「モーグーナ!」
トニーが娘を呼ぶと、小さな何かが木の影から飛び出してきた。そしてそれはトニーとヴァージニアに向かって飛びながら近づいてきた。
「モーガン、昼ごはんの時間だぞ」
目の前で羽ばたいている小さなドラゴンに、トニーはわざとらしく顔を顰めたが、ドラゴンは可愛らしい声を上げた。
「何ですって?」
トニーはドラゴンの言葉が理解できるが、ヴァージニアには分からない。そこで夫に尋ねると、妻に顔を向けたトニーは、眉をつり上げた。
「新しい友達ができたから、紹介したいと言っている」
「新しいお友達?」
ヴァージニアが首を傾げると、ドラゴンは嬉しそうに頷き、先ほどよりも甲高い声を上げた。すると、木の影から何かが姿を現した。何と大きな熊がのそのそと向かってくるではないか。
「キャッ!」
思わず悲鳴を上げたヴァージニアは、トニーに抱きついた。が、熊はまるで犬のようにその場に座り込み、大人しくしているではないか。
「モーガン、頼むから家に連れて帰りたいと言うなよ」
ドラゴンに向かってトニーがそう言うと、ドラゴンは熊の元に近づくと、何やら告げた。すると熊は立ち上がり、森の奥へと姿を消した。

ヴァージニアは困ったように息を吐いた。
モーガンは生まれた時からドラゴンだった訳ではない。ちゃんとした人間だったのに、2歳の誕生日を迎えた後、突然ドラゴンに変身できるようになったのだ。トニーに僅かに残っていた魔力のせいなのか分からない。というのも、トニーはもうドラゴンに変身できないのだから…。

両親の元に戻ってきたドラゴンは、父親の腕に飛び込んだ。するとドラゴンは小さな女の子に姿を変えていた。
「パパ!ママ!くまちゃんとおともだちになったのよ!」
得意げに言う娘にキスをしたトニーは、彼女のほっぺたを突いた。
「モーガン、ドラゴンになる時は、お父様かお母様にきちんと言えと約束しただろ?」
「ごめんちゃい…」
しょぼくれたモーガンに、もう一度キスをしたトニーは、ヴァージニアの手を握った。
「さあ、帰りましょ?美味しいお昼ご飯が出来てるわ」
母親の言葉にモーガンはパッと顔を輝かせた。可愛らしい娘に微笑んだトニーは、ヴァージニアを見つめた。
「永遠に愛してる」
そう囁いたトニーは、頬を赤く染めた妻にキスをすると、家に向かって歩き始めた。

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12.Babysitter! au

友人であるナターシャが夫のクリントと共に5日間の出張に行くことになり、ヴァージニア・ポッツは生後8ヶ月の彼らの娘アヴァを預かることになった。生まれた時からよく面倒を見ていたためか、アヴァはヴァージニアに懐いていたのだ。

当日、友人宅に向かうと、同年代の見知らぬ男性がいた。ヴァージニアは、首を傾げた。一体彼は誰だと…。すると2人は思わぬことを言い出した。
『数日前に隣の家に泥棒が入った。女一人で留守番させるのは物騒だから、用心棒代わりにクリントの友人を呼んだ』と。
初対面の男性と5日も過ごすのかと思ったヴァージニアだが、身の安全には変えられない。

ということで、トニー・スタークと名乗った男性とヴァージニアは、期間限定の共同生活をすることになった。

2人きりになると、トニーはヴァージニアに告げた。
「先に言っとくけど、俺、料理は出来ないから。それから、子供と遊ぶのは好きだけど、赤ん坊の世話なんかしたことない」
いきなりそんなことを言われたものだから、ヴァージニアは思わず眉を顰めた。
「じゃあ、どうして子守を引き受けたの?」
するとトニーは頭をポリポリと掻くと肩を竦めた。
「あいつには借りがあるから、断れなかった」
悪びれもなく言うトニーに、ヴァージニアは溜息を付いた。こんな人と5日間も一緒に過ごすなんて…と、幸先不安になったヴァージニアだが、文句を言っても仕方ない。
抱いていたアヴァをトニーに渡すと、彼女は彼に告げた。
「分かったわ。食事は私が作る。あなたはこの子と遊んでて」
「了解」
大きく頷いたトニーは、アヴァを連れてリビングの隅のおもちゃコーナーへ向かった。

昼食を作りながら、ヴァージニアはチラチラと2人の様子を伺った。するとトニーはアヴァと楽しそうに遊んでいた。可愛らしく笑い声を上げているアヴァは、トニーがお気に入りになったのだろう、抱きついて離れようとしない。
それでも昼食を食べ終わると、アヴァはあっという間に眠ってしまったのだが、途端に2人は暇になってしまった。
「せっかくだしさ、話でもしようぜ」
「えぇ」
ということで、お互いの自己紹介から始まった話だが、30分もすると意気投合した2人は、夕方になりアヴァが起きてくるまで、すっかり盛り上がっていた。

夜になり、アヴァを寝かしつけたが、慣れない一日に疲れ切った2人は、早々に休むことにした。が、バートン家にはゲストルームは1つしかないではないか。
「俺は下のリビングで寝るよ」
肩を竦めたトニーだが、リビングにあるソファはどう考えてもトニーの身体よりも小さいのだ。それではゆっくり眠れないだろうと、ヴァージニアは顔を曇らせた。
「でも…」
「大丈夫さ」
ニッと笑みを浮かべたトニーは、手を振りながら階段を降りて行った。

…と言ったものの、ソファーは男のトニーの身体には、あまりにも小さかった。いっそのこと床で寝ようかと思ったが、硬いフローリングの上では背中が痛くなりそうだ。結局狭いソファに無理矢理身体を押し込んだトニーは、膝を抱えると目を閉じた。

日付が超えた頃…。
ゴソゴソという音と共に、赤ん坊の泣き声とヴァージニアの声が聞こえてきた。
起き上がったトニーが大欠伸をしながらキッチンへ向かうと、泣き喚いているアヴァを抱いたヴァージニアが、四苦八苦しながらミルクを作っていた。
「俺が抱っこしておくよ」
そう声を掛けると、ヴァージニアは小さく「あ…」と声を出すと、申し訳なさそうにトニーを見つめた。
「起こしてごめんなさい」
「お互い様だろ」
肩を竦めたトニーに、手早くミルクを作ったヴァージニアは哺乳瓶を手渡した。すると彼は辿々しく、アヴァにミルクを飲ませ始めた。
一心不乱にミルクを飲むアヴァは可愛らしく、トニーは目を細めた。
「可愛いな」
ヴァージニアはドキっとした。というのも、トニーはとても優しい瞳をしていたから…。

いつの間にか見とれていたようで、トニーに声を掛けられ我に返ると、アヴァはトニーの腕の中で眠っていた。そのまま子供部屋に向かったトニーは、アヴァをそっとベビーベッドに寝かせた。
「アヴァが起きたら、俺も起こしてくれ」
そう告げると、トニーはリビングへと降りて行った。

……

2日目。
天気も良いため、2人はアヴァを公園に連れて行くことにした。
アヴァを乗せたベビーカーをトニーが押し、ヴァージニアはその横を歩いていたのだが、途中すれ違う人に、『可愛い赤ちゃん!何ヶ月?』と何度も聞かれた。
そして公園に到着し、芝生の上でアヴァを遊ばせていると…。
「あらあら!パパにそっくり!」
見知らぬ老婦人にそう言われ、トニーとヴァージニアは顔を見合わせた。
自分たちは夫婦に見えるのだろうかと、首を傾げた2人だが、何故か分からないが、そう言われても悪い気がしなかった。

その日、夜中にアヴァが起きたため、ヴァージニアはトニーを起こした。そしてトニーがアヴァをあやしている間にミルクを作った。昨日はおぼつかなかった手つきも、今日は随分と手慣れたものになっており、アヴァもトニーの腕の中であっという間に寝入ってしまった。

……

3日目。
その日は生憎の空模様。そのため、3人は家の中で遊んだ。
アヴァはトニーのことが『一番大好きなお気に入りのおじさん』になったようで、両親が不在でも愚図りもせずご機嫌だ。

ランチの用意をしたヴァージニアが2人を呼びに向かうと、トニーはアヴァをつかまり立ちさせ、音楽に合わせ踊っていた。アヴァはただトニーに手を取られて身体を揺らしているだけだったが、可愛らしい声を上げて笑っていた。が、ヴァージニアはアヴァではなく、トニーの笑顔に見惚れてしまった。

その夜。なかなか寝つかないアヴァに、トニーは子守唄を歌い出したのだが、その歌声に、ヴァージニアは思わず聞き入ってしまった。優しい歌声だった。どこか懐かしく…そして心がホッとする…トニーの歌声はとても心地よく、ヴァージニアはウトウトし始めた。

しばらくしてアヴァを寝かしつけたトニーがリビングに降りてくると、ヴァージニアはソファで眠っていた。
「風邪引くぞ?」
肩を揺さぶったが、熟睡しているヴァージニアは、ちっとも目を覚まさない。
頬を撫でると、ヴァージニアが寝言を言った。
「トニー………」
甘ったるい声で名前を呼ばれたトニーは、じっとヴァージニアを見つめた。
出会ってまだ3日なのに、トニーはヴァージニアに心を捕われていたのだ。が、彼女の気持ちは分からない。思い切って気持ちを伝えようかとも考えたが、あと2日はこの家族ごっこを続けなければならない。気不味くなるようなことだけは避けないといけないと考え直したトニーは、頬に軽くキスをすると、ヴァージニアを抱き上げた。そして彼女をゲストルームに運ぶと自分はリビングへと降りて行った。

このまま何事もなく過ぎるのかと思っていたが…。
4日目の朝、アヴァが熱を出した。
真っ赤な顔をしているアヴァを抱きしめたヴァージニアは、慌てふためいており、今にも泣き出しそうだ。
「ど、どうしよう…。どうすればいいの…」
すると、何処かに電話をし終えたトニーが、ヴァージニアの肩を掴んだ。
「落ち着け」
「で、でも……」
ヴァージニアの目からポロポロと涙が溢れ始めた。その涙を見たトニーは、思わず彼女を抱きしめた。
「大丈夫だ。俺がいる…」
トニーの腕の中に閉じ込められたヴァージニアは、すぅと心が落ち着いた。トニーの温もりに安心したヴァージニアは、小さく頷いた。

先程トニーは病院に連絡していたようで、2人は早速アヴァを病院へ連れて行った。
アヴァの主治医の医師は
「小さいお子さんにはよくあることなんですよ。アヴァちゃんはご機嫌ですし、様子をみましょうね」
と告げ、その言葉に安心した2人は家へと戻った。

医師の言葉通り、アヴァは食欲も旺盛でご機嫌だ。
いつもよりも少し早めにアヴァを寝かしつけたヴァージニアは、コーヒーを淹れると、リビングでテレビを見ているトニーの元に向かった。
「トニー、今日はありがとう。私一人だったら、パニックになって、何も出来なかったわ。あなたがいてくれたから…私…」
礼を言うヴァージニアに、トニーは首を振った。
「正直に言うとさ、俺も内心パニックだったんだ。今日だけじゃなくてさ、本当は毎日。留守番を任せられてるのに、アヴァに何かあったらどうしようって、毎日思ってた。でも、君がいてくれたから、大丈夫だって思うことにしたんだ。だからさ、お礼を言うのはこっちの方さ。ヴァージニアがいてくれたから…俺…」
トニーはヴァージニアを見つめた。真剣な瞳に見つめられ、ヴァージニアは顔を真っ赤にすると、唇を震わせた。
トニーの顔が近づいてきた。彼を迎え入れようと、ヴァージニアはそっと目を閉じたのだが……。

「うぇぇぇーーーん!」
タイミング悪く、アヴァの泣き声が聞こえ、2人は慌てて立ち上がった。

翌朝。アヴァは熱も下がり、昼前には友人夫妻も戻ってきた。何度も礼を言うクリントとナターシャに、「いつでも預かる」と告げた2人は、揃って家を出た。
歩いて帰ろうとしているヴァージニアに、トニーは家まで車で送ると告げたため、ヴァージニアはその言葉に甘えることにした。

この5日間は楽しかった。アヴァと過ごしたこともだが、トニーと出会い過ごしたことが、何よりも楽しかった。だが、その楽しかった日々もこれで終わりだ。もうトニーとは一緒にいられないと思うと、ヴァージニアは寂しくて堪らなかった。

すると黙っていたトニーが口を開いた。
「なぁ、よかったらなんだけど…昼飯食いに行かないか?」
「え?」
顔を上げたヴァージニアは、トニーを見つめた。
「せっかく知り合ったんだし…その……」
トニーは珍しく真っ赤な顔をしており、ヴァージニアは彼をじっと見つめた。

トニーは5日間、そんな素振りは一度も見せなかった。いや、昨晩、もしかしたら…と思ったが、今朝は何も言わなかったので、思い過ごしだと考えることにしていたのに…。
何も言わないヴァージニアに、トニーは少しだけ悲しそうな表情になった。
「いや、予定があるなら別に…」
我に返ったヴァージニアは、首を振った。
「ううん、時間はたっぷりあるわ」
ニッコリ微笑んだヴァージニアに、トニーも笑みを浮かべた。

***

1年後。
アヴァは両親と共にパーティーにやって来た。アヴァはパーティーに参加するのは初めてだった。そのため、華やかな衣装に身を包んだ大勢の大人たちを珍しそうに眺めていたのだが…。
「トニーおいたん!!」
大好きなトニーおじさんが手を振りながらやって来たのだ。母親の手を離したアヴァは走り出した。
「アヴァ、元気だったか?」
駆け寄って来たアヴァをトニーは笑いながら抱き上げた。
「うん!」
アヴァはトニーが大好きだった。両親が不在な時、アヴァはトニーの家に泊まりに行った。そして、いつもは両親から禁止されている、夜更かししてベッドの中でアイスクリームを食べたり…と、所謂『悪いこと』を一緒にしていた。一緒に悪いことをしてくれるのは、トニーおじさんだけではなかった。トニーおじさんの家に泊まりに行くと、いつも一緒にいるのは…。

「あ!ジニーちゃん!」
トニーおじさんといつも一緒にいる、その『ジニーちゃん』ことヴァージニアが、トニーの隣にやって来た。
「ジニーちゃん、おひめちゃまみたいね」
ウェディングドレスに身を包んだヴァージニアは、まるで絵本で見るお姫様のようで、アヴァは眩しそうに目を細めた。
嬉しそうに笑ったヴァージニアはトニーを見つめた。軽くキスをしたトニーは、アヴァの頬にもキスをすると、再びヴァージニアを見つめた。
「ジニーがお姫様なら、アヴァは俺たちのキューピットだな」
『キューピット』が何なのか分からなかったアヴァだが、大好きなトニーとヴァージニアが幸せそうに笑っているのだ。嬉しくなった彼女は、2人の頬にキスをした。

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教会から自宅に戻ってきたペッパーは、ドアを開けようとして思わず立ち止まった。

何と説明すればいいのだろう…。
あの子はまだ4歳で、父親がヒーローであることもよく分かっていない。あの子にとって彼は、ヒーローではなく父親なのだから…。

それでも、父親がもう二度と戻ってこないことを説明せねばと、何度も深呼吸をしたペッパーは、ドアを開けた。

***

両親が戻ってくるのを今か今かと待っていたモーガンは、車の音が聞こえると、ドアの前で待ち構えていた。

ママは朝ごはんの後、「パパを手伝ってくる」と、出掛けて行った。さっきお昼寝している間に、ママは帰ってきたみたいだけど、あたしが起きた時にはまたいなくなってた。でも、パパとはもう何日も会っていない。

『パパは大切な仕事をしてくる。その仕事が終わったら、パパはもうどこにも行かないし、ずっとモーガンとママのそばにいる。そうだ。帰ってきたら、動物園に行こう。モーガンの大好きな動物がたくさんいるぞ?それから遊園地にも行こうな』
パパは動物園に行こうと約束してくれた。ずっと行きたかった動物園。でも、今は動物さんもお休み中だからと、今まで行ったことがなかった。だから、早くパパのお仕事が終わって、パパとママと3人で動物園に行けますようにとお祈りしてた。ハッピーおじちゃんと、お菓子の箱と画用紙で動物園を作ったから、パパとママに見せてあげなきゃ!
そのハッピーおじちゃんは、あたしがお昼寝から起きてきてから、ずっと泣いている。どうしたのかと聞いても、ハッピーおじちゃんは何も言わなかった…。

そんなことをモーガンが考えていると、ドアが開き母親が姿を現した。

***

「ママ!おかえり!」
飛びかかってきたモーガンをペッパーは抱きしめた。
泣いてはダメ…と、必死で自分に言い聞かせたペッパーだが、部屋の反対側にいるハッピーは泣いていた。目を真っ赤に腫らし、肩を震わせ、声を押し殺して泣いていた。頼もしいはずのハッピーの背中は、酷く小さく脆く見え、ペッパーは込み上げてくるものを必死で抑えようと、娘の身体を抱きしめた。

「ママ、パパは?」
ママはパパを手伝いに行ったのに、どうして一緒に帰ってきていないのだろう…。パパのことだから、ママより先に飛び込んできてもいいのに…と、いつまで経っても姿を見せない父親を探すように、顔を上げたモーガンはドアの向こう側を見つめた。
そこで、何度か深呼吸をしたペッパーは、娘を見た。頬を撫で、何とか冷静に説明しようとしたが、無理だった。大きな琥珀色の瞳も柔らかな猫っ毛も…何もかもが父親に生き写しの娘に、トニーを思い出したペッパーの目には、みるみるうちに涙が溢れ始めた。
突然母親が泣き始めたのだから、モーガンは驚いた。
「ママ、だいじょうぶ?」
母親の頬を伝わる涙を小さな指で拭ったモーガンに、ペッパーはゆっくりと言葉を出した。
「モーガン…パパはね…パパは……もう…帰ってこないの…」
やっとの思いでそう告げると、モーガンは首を傾げた。
「パパ、おうちがイヤになったの?あたしがパパのおかし、たべちゃったから?」
首を振ったペッパーは何度も深呼吸をした。
「パパは、お家に帰りたくても帰ってこれないの。パパは…お星様になったから…」
こんな説明で伝わるはずがない。だが、今のペッパーには、これ以上の説明は無理だった。案の定、状況がよく分からないモーガンは、眉をひそめると首を傾げた。
『パパはもうお家に帰ってこない』
それだけは分かったモーガンは、唇を尖らせると母親に抱きついた。
「あたし…パパにあいたい…」

娘の背中を撫でたペッパーは、彼女を抱き上げると、車へと向かった。

***

教会は、葬儀の準備中だった。
モーガンを抱いたまま、ペッパーは真っ直ぐ棺へと向かった。
棺の中でトニーは眠っていた。彼の好きだった向日葵の花の中で、トニーは永遠の眠りについていた。
焼け爛れた顔の右側は花で隠されており、お気に入りのスーツを着たトニーは、ペッパーとモーガンがプレゼントしたネクタイをしめていた。ペッパーとモーガンの写真や、モーガンの書いたトニーの似顔絵、ハッピーとローディとの写真など、思い出の品に囲まれ眠っている父親は、いつもベッドやソファでぐーぐーいびきをかいて寝ている父親とは違い、身動き一つしていない。
「パパ……」
手を伸ばしたモーガンはトニーの手に触れた。
「パパ…あたしよ。モーガンよ…」
だが、父親の手は氷のように冷たく、モーガンは身震いした。父親の手はいつだって温かく、元気をくれる魔法の手なのに…。
「パパ……パパ、おっきして……」
何度呼んでも、父親は目を覚まさない。いつもならとっくに起き上がって、『モーガン、おはよう』と、キスをいっぱいしてくれるのに…。お髭が痛いと文句を言うと、わざとらしくしょんぼりするか、逆に余計にキスをしてくるかのどちらかなのに…。

「ママ……。パパ…おっきしない……」
モーガンはようやく理解した。
父親はもう二度と目を覚まさないのだということを…。もう二度と抱っこもキスもしてくれないのだということを…。それでもモーガンは認めたくなかった。父親が死んだという事実を…。
「どうしておっきしないの?どうしてあたしのこと、だっこしてくれないの?ママ、どうして?どうしてパパは、ねんねしたままなの!」
唇を噛み締めたモーガンは叫んだ。ポロポロと大粒の涙が零れ落ち、母親に抱きついたモーガンは声を上げて泣き始めた。
「モーガン…パパは…パパは天国に行ったの…。もう、あなたとママのそばにはいないの…。辛いけど…寂しいけど…。パパをゆっくり眠らせてあげて…」
小さな背中を抱きしめたペッパーも、泣きながらそう伝えたのだが、モーガンは首を乱暴に振った。
「ママ!どうして!あたし、パパのこと、だいすきなのに!パパとバイバイしたくないのに!パパとどうぶつえんにいくって、やくそくしたのに!ゆうえんちにもいくってやくそくしたのに!パパのうそつき!」
モーガンの悲痛な叫びに、教会のあちこちからすすり泣きが聞こえ始めた。娘の両腕を掴んだペッパーは、彼女を諭すように言葉を続けた。
「モーガン…パパはね…パパは、あなたと動物園に行きたかったのよ。遊園地にも行きたかった。本を読んだり、お話したり、ブランコに乗ったり、お庭で遊んだり…。パパは…あなたともっともっと沢山の時間を過ごしたかった…。だって…あなたは…モーガンはパパにとって、何よりも大切なものだから…。パパは、ずっとあなたのそばにいたかった。でもね、悪い人が沢山やって来たの。悪い人たちは、世界を壊そうとしたの。だから、パパは…あなたやあなたの好きな動物を守るために…命をかけたの…。パパしか……アイアンマンしか、出来なかったの…。パパしか…あの時、悪い人をやっつけることは出来なかったの…。あなたに何も言わずに…トニーは…パパはお別れを言わなければならなかった…。本当は、あなたに会いたかったのよ…。でも…出来なかった…。モーガン…パパのこと…許してあげて…。パパは…パパは最期まで…あなたのことを考えてた…。愛してるんだから…」

泣きながら説明する母親に、顔を上げたモーガンは顔を真っ赤にすると叫んだ。
「パパはアイアンマンじゃないもん!あたしのパパだもん!あたしだけのパパなのに!!」
足を踏み鳴らしたモーガンは、母親の身体をポカポカ叩き始めた。
「ママのうそつき!パパをたすけてくるっていったのに!!!いっしょにおうちにかえってくるっていったのに!うそつき!!パパもママも…うそつき!」

モーガンは泣いた。母親のペッパーですら見たことがないほど、泣き始めた。涙は止まらなかった。娘を抱きしめたまま、ペッパーも泣いた。涙が枯れ果てるまで、母と娘は棺の前で泣き続けた。

***

翌日。葬儀には大勢の人々がやって来た。誰もが泣きじゃくり、トニーの死を悼んだ。

ペッパーは弔問客に挨拶をしたりと、慌ただしく時間は過ぎていった。が、どこかぼんやりとしたモーガンは、トニーが買ってきたウサギのぬいぐるみを抱きしめたまま、椅子に大人しく座っていた。

墓地に埋葬する時も、モーガンは何も言わなかった。
「モーガン、パパにお別れを言って…」
トニーに別れのキスをしたペッパーは、黙ったままの娘を抱き上げた。
「パパ…3000かい…あいしてる…」
蚊の鳴くような声でそう言うと、モーガンはトニーの頬にそっとキスをした。

家に帰り、皆でトニーの遺したホログラムを見た。
『前を向いて歩いてくれ』
まるでそう告げているようなトニーの最後のメッセージに、ペッパーは涙が止まらなかった。

が、同時に気づいた。
彼はタイムトラベルに向かうためにこのメッセージを遺したのだと…。あの戦いで命を落とすとは…あのような最期を迎えるとは、彼自身も想定外だったのだと…。

だから彼はあの時、最期に笑ったのだと…。『すまない、許してくれ…』というように…。

身が引きちぎられそうだが、受け止めるしかない…。彼は…アイアンマンは、世界を救ったヒーローなのだから…。

ペッパーは無理矢理自分にそう言い聞かせるしかなかった。

***

2人きりになった家は静かだった。
笑い声も何も聞こえなかった。
空腹ではなかったが、無理矢理夕食を食べた。トニーが冗談を言い、楽しかったはずの夕食が、苦痛でしかなかった。

***

それからの日々は、何もする気にならなかった。何を見てもトニーのことを思い出してしまったから。

テレビではやたらとアイアンマンとトニー・スタークの特集を放送しており、テレビを付ける気にもならなかった。

このまま、ただ悲しみが癒え、時が過ぎるのを待つしかないのだろうか…。いや、結局は現実を受け止め、これから先、生きていくしかないのだ。
が、大丈夫なわけなかった。ペッパーにとって、トニーは人生そのものだったから…。親友であり、夫であり、そして自分自身だったから…。

いつまでも悲しんでいるなんて、トニーはそんなことを望んでいないのは分かっている。いつかこの悲しみと苦しみを乗り越えなければならないのは分かっている。
だが、失ったものはあまりにも大きすぎた。
『アイアンマンは世界を救ったヒーローだ』と言われても、嬉しくもなんともなかった。ただ悲しみが増すだけだった。ペッパーにとって、トニー・スタークはアイアンマンではなく、ただのトニーだったのだから…。

***

いつまでもこのままでいる訳にはいかない。いい加減には前に進まなければ…と、2週間程過ぎた頃、ペッパーは仕事に復帰することにした。

ペッパーが仕事に出ている間、ハッピーがモーガンの面倒を見てくれることになった。が、モーガンはペッパーに抱きついて離れようとしない。
「モーガン、お話したでしょ?ママは会社に行かないといけないの。今日からハッピーとお留守して」
数日前から何度も話をして言い聞かせていたが、モーガンはいやいやと首を振った。
「いや!ママといる!!!ママも…ママもパパみたいにいなくなっちゃったらイヤ!!」
ポロポロと大粒の涙を流したモーガンの言葉に、ペッパーはハッとした。父親だけでなく、母親も突然失うのではないかという恐怖を、モーガンは小さな胸に抱え込んでいると気づいたペッパーは、震える娘を抱きしめた。
「モーガン、大丈夫よ。ママはどこにも行かない…。大丈夫だから……」
するとモーガンは、ペッパーの服をぎゅっと掴むと、消えそうな声で囁いた。
「ママ…やくそくよ…。どこにもいかないで…。あたしをおいて、いかないで…」

結局、何かあればいつでも駆け付けられるため、モーガンは会社の保育園に預けることにしたのだが…。夕方迎えに行くと、ぐずって部屋の隅でずっと泣いていたと保育士から聞いたペッパーは、胸が痛んだ。
が、これからは2人で生きていかねばならないのだ。トニーがいないという現実を、辛くても乗り越えなくてはならないのだ。

ペッパーは決めた。
モーガンの前では決して泣くまいと。
自分が悲しんでいると、モーガンは余計に悲しむと考えたから。

それからのペッパーは、モーガンの前では決して泣き言は言わなかった。涙を見せなかった。
モーガンが「パパにあいたい」と泣いても、ペッパーは涙一つ見せなかった。
その代わり、寝室で一人きりになると、トニーの遺品を抱きしめ、静かに涙を流した。モーガンには気づかれないように…。

ペッパーは今まで以上にがむしゃらに働いた。自分が頑張っている姿を見せることで、モーガンにも前を向いて歩いてもらいたかったから…。

が、モーガンは気づいていた。
母親が笑わなくなったことに…。

***

1ヶ月後。
朝になり、モーガンを起こそうと子供部屋に向かったペッパーだが、娘の姿はなかった。
「モーガン?」
ベッドはもぬけの殻で、トニー亡き後、彼女が毎日一緒に寝ているアイアンマンのぬいぐるみも姿が見えなかった。どこに行ったのかと、慌てて1階に降りたペッパーがふと窓の外を覗くと、モーガンはぬいぐるみを抱きしめ、トニーが作ったブランコに座っていた。
12月の寒空に、パジャマ姿で外にいるのだから、風邪を引いたら大変だと、ペッパーは毛布片手に慌てて外に向かった。

「モーガン、風邪引くわよ」
肩から毛布を掛けると、モーガンは空を見上げた。
「パパ…どこにいるかな……」
あまりに静かな声に、ペッパーは何事かと娘の横に腰を下ろした。すると母親に顔を向けたモーガンは、ポツリと呟いた。
「ママ、ないていいよ?」
「え……」
目をパチクリさせたペッパーは、思わず娘を見つめた。
「あたしがまいにちないてるから、ママはなかないでしょ?だからね、ないていいよ」
娘の言葉に、ペッパーは何も言えなかった。唇を震わせている母親から視線を逸らしたモーガンは、アイアンマンのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
「きのうね、パパがね、ゆめにでてきたの。パパはいないから、モーガンがママをたすけてあげろって。パパのかわりにママのことだっこして、チューしてって。パパね、いってたよ。ママとあたしのそばにいっつもいるって。まいにちみてるって。あたしがジェラルドのおせわをしてないのもしってるって。ないてママをこまらせてるのもしってるって。きのう、ママがかいしゃで、おこったのもしってるって…」

ペッパーは思わず息を飲んだ。
確かに昨日、会議中に一悶着あった。取引先がトニーのことを貶めるような発言をしたので、思わず声を荒げてしまったのだ。その話はモーガンにはしていないのだから、トニーは本当に毎日そばにいて、自分とモーガンのことを見ているのかと、ペッパーは思わず辺りを見渡した。

そんな母親をチラリと見たモーガンは、湖を見つめると話を続けた。
「パパね、あたしのこと、ギューっていっぱいだっこしてくれたの。ブランコであそんだし、おえかきもしたの。パパのかいたぞうさん、あしがへんなところにあったんだよ。だからあたしがわらったら、パパもおおわらいしたの。それからね、パパとママのおはなしもたくさんしてくれたよ。パパね、ママのことだいすきだし、ママがおよめさんになってくれて、よかったっていってたよ。あとね、どうぶつえんにいけなくてごめんっていってたよ。でもね、またあいにきてくれるってやくそくしてくれたの。ママのところにもいくっていってたよ。まいにちママのところにいくっていったからね、あたしのところにもきてって、パパにいったの」
その時のことを思い出したのか、モーガンは少しだけ笑みを浮かべた。そしてブランコから降りると、立ち上がった。
「パパはわらってるママがだいすきだって。だからね、ママがないてたら、パパもかなしくて、てんごくでないてるんだって」
モーガンは母親を見つめた。そしてすぅと息を吸い込むと、真剣な表情になった。
「あたしがママをまもる。パパのかわりに、あたしがママをまもる。あたしも、わらってるママがだいすきだから…」
トニーそっくりの瞳に見つめられ、ペッパーはハッとした。そこには確かにトニーがいた。モーガンの中にトニーは生き続けているのだと…分かっていたつもりなのに、受け入れることが出来なかったことを、ペッパーはその時、ようやく受け入れることができた。

母親の目から涙が溢れ始めたのに気づいたモーガンは、小さな指でそっと拭った。
「だから…ママ、あたし、もうなかない。ひとりでおふろもはいるし、ひとりでねんねする。ベッドのしたにおばけがいても、なかない。あたしがアイアンマンになって、おばけをやっつけるって、パパとやくそくしたの。ママのベッドのしたのおばけも、あたしがやっつけるって…。なきむしはおわりにするって…」
深呼吸をしたモーガンは、もう一度ぬいぐるみを抱きしめた。
「ママ、パパはね、いなくなってないよ。いっしょにごはんをたべたり、あそんだりできないけど、パパはママとあたしのそばにいるんだから…。ずーっとずーっとそばにいてくれるんだから。だからね、あたし……もう、なかないよ…」
声を震わせたモーガンは、大粒の涙を流しながらも、無理矢理笑った。
それは、あの時のトニーと同じように…。

堪らなくなったペッパーが娘を抱き寄せると、モーガンは声を押し殺して泣き出した。
ペッパーも涙が止まらなかった。
「そうね…。パパは…トニーは…きっとモーガンとママが笑っている方が、喜ぶわね…」
小さな背中を撫でると、モーガンの震えが止まった。
「モーガン…今日は思いっきり泣きましょ?明日からは…パパが心配しないように、いっぱい笑って、楽しいことを沢山して…。今度パパに会った時、楽しいお話をいっぱいしてあげましょ?」
顔を上げたモーガンは、しゃくり上げながらも、笑顔で頷いた。
「でも、ママ…。パパにあいたくなったら、ないていい?」
上目遣いで見つめてくるその姿は、トニーにそっくりで、ペッパーは泣きながらも笑みを浮かべた。
「もちろんよ。ママもパパに会いたくなったら泣くわよ。だからモーガン、我慢しなくていいのよ。泣きたい時は泣いていいの。パパに会いたいって泣いていいの。そうしたら、きっとパパはモーガンの夢の中に飛んでやって来るわ…。だって、トニーはあなたのパパだから…」
小さく頷いたモーガンはペッパーの肩に顔を埋めると、再び泣き始めた。

小さな身体を抱きしめたペッパーは、空を見上げた。
今日だけは思いっきり泣こう。モーガンと2人で泣き続けよう。でも、明日からは…前を向いて生きていこう。笑って人生を楽しもう…。きっとトニーも、それを望んでいるから…。

(でも、トニー…。今日だけは泣かせて…)

と、その時だった。
ふわっと温かな何かにペッパーは包まれた。
それはきっと……。

「トニー………」
小さな声で名を呼ぶと、温もりはペッパーとモーガンを守るように包み込んだ。

トニーはいつだってそばにいてくれる。
例え姿は見えなくても、例え触れ合うことはできなくても…。これからもずっと、彼はそばで見守っていてくれる。いつの日か、再び会う時が来るまで…。

それに、モーガンの中にトニーは生きている。かけがえのない、大切な存在を、彼は遺してくれたのだから…。

だから大丈夫…。きっと大丈夫…。
これから先、何があっても、私たちは大丈夫…。あなたがそばにいてくれるんだから…。
だから、ゆっくり眠って……。

あの時告げた言葉…。あの時は、ただトニーを安心させたいがために告げた言葉だった。だが、ペッパーはようやく心の底から告げることができたのだった。

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