16.supernatural! au

その国には昔からの言い伝えがあった。
森の奥深くには魔物が住んでおり、この国を守っている。おかげでこの国は他国から攻め込まれることもなく、何百年も平穏な日々が続いている。だがその代わりに、毎年美しき穢れない乙女を捧げなければならない。もし捧げ物が途絶えれば、魔物の怒りに触れ、この国は…いや、世界が破滅するというのだ。

その生贄に今年選ばれたのは、とある村にいるヴァージニア・ポッツという、16になったばかりの少女だった。少女の家は貧しく、ヴァージニアは満足に学ぶことすらできなかった。が、優しく聡明な彼女は、村の皆に可愛がられていた。学校で学ぶことのできない彼女に、村の教会の神父は、時間を見つけては読み書きを教え、本を貸していた。そのため、ヴァージニアは学校へ行くことはできないが、本を通じて世界を広げていた。
そのため、ヴァージニアが生贄に決まったと、王の使者が村にやって来た時、村人は嘆き悲しんだ。だが、生贄になれば、両親には多額の金が国から支給され、生涯保証されると知ったヴァージニアは、両親とそして妹や弟たちのために、喜んで生贄となると告げた。

そしてその日がやって来た。
豪華なドレスに身を包んだヴァージニアは、両親と別れを告げると、籠に乗せられ森へとやって来た。森の奥深くへと進むにつれ、辺りは闇を増していき、獣の声も聞こえて来た。身震いしたヴァージニアだが、これも自ら選んだ道だと言い聞かせた。
真っ暗な森の中、ヴァージニアは1人ぽつんと取り残された。不気味なほど静かな空間なのに、何故かヴァージニアは心が落ち着いた。

と、その時だった。
背後でガサッと音がした。
ついに命が奪われる…そう考えたヴァージニアは神に祈った。
すると…
「怖がらなくていい」
と、優しげな男性の声がした。恐る恐る振り返ると何かがいた。
「だ、誰……」
誰かいるのに、暗くてその姿はよく見えない。震えるヴァージニアにゆっくりと近づいてきた男性は、手を伸ばし額に触れた。すると、ヴァージニアはすぅと意識が遠のいた……。

***

暖かな光に目を開けると、そこはあの暗闇の世界ではなく、明るく光に満ち溢れた世界だった。
一瞬ここは天国かしら…と思ったが、どこかの森の中のようだ。小鳥の囀りも聞こえるし、風で木々が揺れる音もする。あの鬱蒼とした森とは別世界のような場所で、フワフワの草の上に綺麗な織物が敷かれおり、ヴァージニアはその上に寝かされていた。そばには透き通るような湖があり、立ち上がったヴァージニアは湖に近づくと、1口2口水を飲んだ。
「気がついたか?」
あの男性の声が聞こえたため、ヴァージニアは振り返った。いつの間にか背後には、声の主が立っていた。年は20代半ばだろうか…。自分より随分年上の男性は、笑みを浮かべているのだが、どこか緊張した面持ちをしていた。
「あ、あなたは…」
恐る恐る尋ねると、男性はニコッと笑った。
「トニー・スターク。トニーと呼んでくれ」
優しく煌めく魅力的な瞳に、ヴァージニアは人目で魅了されてしまった。つまり、一瞬にしてヴァージニアは、トニーと恋に落ちてしまったのだ。頬を真っ赤に染めたヴァージニアは、慌てて立ち上がった。
「ヴァージニア・ポッツです」
すると、トニーの方も同じ気持ちなのか、彼は満面の笑みで頷いた。
「気に入った。お前のこと、気に入った。初めてだ。これで終わりだな。今までのオンナは、正直口に合いそうになかった。だが、お前なら…」
トニーの言葉にヴァージニアは目を見開いた。つまり彼はあの魔物なのだ…。そう悟ったヴァージニアは、悲鳴を上げそうになったが、恐怖のあまり声どころか、涙すら出ない。
生贄になった女性たちは、誰1人戻ってこなかった。口に合わなかったということは、目の前の魔物は噂通り、生贄を食らって生きながらえているのだろう。
ヴァージニアは逃げようとした。が、足がすくんで動けない。そうこうしているうちに、魔物はどんどん近づいてきた。
最早これまで…と覚悟を決めたヴァージニアは目をぎゅっと閉じた。が、ふわっと甘い香りが鼻先を漂い、覚えのある香りに彼女は恐る恐る目を開けた。すると魔物…いや、トニーが目の前に跪いており、美しい薔薇の花束を自分に向かって差し出しているではないか。
「え……」
目をパチクリさせているヴァージニアに、トニーは首を傾げた。
「人間の男は、求婚する時、花を捧げるだろ?」
「え……求婚……って………」
伝え聞いていた話とは、どうも違う。ポカンと見つめてくるヴァージニアに、トニーは眉をひそめた。
「お前は俺の妻になるのだろ?だから求婚している」
当然と言わんばかりに告げるトニーに、ヴァージニアは口をポカンと開けたままだ。

聞き伝えられている話とはどうも様子が違う。生贄になると聞いているが、花嫁に…という話は聞いたことがない。

「わ、私は…生贄ですよね……」
やっとの思いで尋ねると、トニーは不思議そうに首を傾げた。
「生贄ではない。俺の花嫁だ」
「…私が…断ったら…?」
「何度でも求婚する。俺はお前のことが気に入った」
キッパリと言い切ったトニーだが、気になるのは今までの『生贄』とされてきた大勢女性たちの行方。
「い、今までの女の方は…」
するとトニーは肩を竦めた。
「結婚したいと感じたオンナは誰一人いなかった。だから家に帰そうとした。こんな森の奥深くだ。迷子になるのは目に見えている。だから、俺が村まで送ると言ったのに、彼女たちは勝手に帰ってしまい、森の中で迷い、皆、命を落とした」

ヴァージニアの頭の中は大混乱。つまり今までの生贄とされた女性たちは、魔物の手にかかり命を落としたのではないということだ。
「た、食べたんじゃないんですか?!」
思わず叫んだヴァージニアに、トニーは目を見張った。
「俺が人間を食べる?誰から聞いた?」
「言い伝えです。もう何百年も前からの…」
何度か瞬きをしたトニーは、ブッと吹き出すと、腹を抱えて笑い出した。
「俺が?面白いことを考えるな」
ハハハと笑い声を上げたトニーは、笑いすぎて目に浮かんだ涙を拭った。
「確かに俺は何百年と生きている。この国を作ったのは俺だ。だが、俺には国は治められない。そこで人間の男に国を治めさせることにした。俺は影から国を守る。その代わりに、俺にふさわしい花嫁を求めた。人間の王は毎年俺の元に女を遣わした。だが、なかなか巡り会えなかった。花嫁とし、生涯を共にしたいと思う女には…。それがお前を一目見た時から、俺は恋に落ちた。お前のことは俺が守る。何があっても絶対に…。お前を目にした瞬間、そう感じたんだ」

トニーの力強い瞳に、ヴァージニアはドキっとした。今まで他人からこんなにも求められたことはなかったから…。
潤んだ瞳で見つめてくるヴァージニアに、気持ちを落ち着けるようにトニーは軽く咳払いをした。
「俺と共になれば永遠の命を与えよう。その美しき姿のまま、お前は俺と永遠に生き続ける。どうだ?」

ヴァージニアはトニーにすっかり心を許していた。そして彼のそばにいてあげたいと思い始めていたのだ。それに、ここで結婚せずに村に帰れば、逃げ出した生贄と言われ、どんな目に合うか分からない。あの村には自分にはもう居場所はない。自分はもう『死んだ』人間なのだから…。

「…分かりました。あなたのお嫁さんになります」
囁くように告げたヴァージニアに、すぅと近づいたトニーは、彼女の頬を両手で包みこんだ。そして真剣な眼差しになった彼は、ヴァージニアをじっと見つめた。
「ヴァージニアよ…お前は永遠に俺のものだ…」
トニーはヴァージニアの唇にキスをした。すると唇越しに何かが伝わってきた。と同時に、ヴァージニアの身体が温かな光に包まれた。とても心地よく、そして安心できる光に包まれたヴァージニアは、知らず知らずのうちに、トニーの服をキュッと握りしめた。永遠とも思えるような甘ったるいキスに、ヴァージニアは頭がぼんやりとしてきた。身体中のチカラが抜けた彼女から唇を離したトニーは、妻となった女性の華奢な身体を抱きしめた。
「これでお前は俺の妻となった。そして永遠の命を宿した…」
ヴァージニアが小さく頷いたのを確認すると、トニーは手をかざした。すると湖のそばに可愛らしい屋敷が現れた。そしてヴァージニアを抱き上げると、トニーは家の中に入った。

「お前の家だ。使用人もいるから、何かあれば彼らに言ってくれ」
家の中は沢山の花が飾られ、豪勢な家具が置かれていた。玄関ホールだけでも元の自分の家ほどある広大な屋敷に、ヴァージニアは珍しそうにキョロキョロと辺りを見渡した。トニーの言葉通り、使用人も数人見かけた。が、彼らもまた人間ではないようだ。
「トニー様は…」
「トニーと呼んでくれればいい」
トニーの言葉に頷いたヴァージニアは、先程から気になっていたこと…つまり、この家は真新しく生活感を全く感じられないことを尋ねてみることにした。
「では…。トニーはこの家で暮らしていらっしゃるんですか?」
するとトニーは首を振った。
「ここはお前のために作った。俺の身体にここは狭すぎる」
自分と同じくらいの背丈なのに、一体どういうことなのだろうかと、ヴァージニアは首を傾げた。するとトニーは、肩を竦めた。
「これは俺の本当の姿ではない。人間と会う時の姿だ」
「えっ?!!」
目を見開いたヴァージニアは、余程の驚いたのか、言葉を失い口をパクパクしている。が、彼女からは恐怖というものは全く感じなかった。そのため、彼女ならば自分の本当の姿を受け入れてくれるかもしれないも感じたトニーだったが、初日からそうする程、彼も愚かではなかった。
「安心しろ。お前の前にはこの姿で現れる。だが、この姿は半日しか保てない。お前はここで暮らし、俺は毎日ここを訪れる」
と、トニーが大きなドアの前で立ち止まった。彼が手をかざすと、ドアは勝手に開いた。
部屋の中央には、大きなベッドが置いてあり、これから夫婦の契りを結ぶのだと気付いたヴァージニアは、顔を赤らめた。

……

翌朝、ヴァージニアが目覚めると、トニーはいなかった。だが、左手には指輪が嵌っていた。見たことがないような綺麗な宝石が光る指輪を、ヴァージニアは愛おしそうに撫でた。
夕方になるとトニーはやって来た。彼はいつも何かしら手土産だと持って来てくれた。綺麗な花だったり美味しい果物だったり…。トニーは優しかった。そして彼は面白い話を聞かせてくれた。何百年と生きている彼は博学で、ヴァージニアはトニーの話を聞くのが楽しみで堪らなかった。そして彼は優しくヴァージニアを愛した。毎晩彼の力強い腕に抱かれ、ヴァージニアはトニーが自分のことを心から愛してくれていると感じた。
そのため、1週間も経つ頃には、ヴァージニアは心からトニーのことを慕うようになっていた。

1ヶ月後。
その日も中で果てたトニーは、ヴァージニアの胸元に顔を埋めると、息を整えた。
トニーの髪を撫でながら、ヴァージニアは彼の温もりを目を閉じ堪能した。
出会ってすぐに惹かれるものがあった。心の底から愛したのは、彼が初めてだった。それ故に、彼が人外の者ということは、とうの昔に忘れてしまった。
ヴァージニアは、トニーのことが愛おしくてたまらなかった。そしていつしか思うようになった。彼と家族を増やしたいと…。
「ねぇ…あなた…」
ヴァージニアの声にトニーは顔を上げた。
「どうした?」
首を伸ばしヴァージニアにキスをしたトニーは、コロンと彼女の隣に横になった。そして腕を伸ばし妻を腕の中に閉じ込めた。
「何か必要な物があるのか?何でも言ってみろ」
甘ったるい声で囁かれ、ヴァージニアはうっとりと目を閉じた。
「あなたの赤ちゃんが欲しいです」
子供と聞いたトニーは顔を顰めた。それも、とても悲しそうに…。
「それは無理だ。この姿のまま交わっても、子はできぬ…。だが、本当の姿の俺と、人間のオンナは交われない」
暫くしてトニーからそう告げられたヴァージニアは、顔を上げると彼を見つめた。
「でも…私はあなたを愛してます!ですから…」
『何か方法があるはず…』
そう続けようとしたヴァージニアだが、トニーは遮るように口を開いた。
「愛の問題ではない。お前が俺のことをどれ程愛してくれているかは分かっている。だがな、いくらお前が俺のことを愛してくれていても、本当の姿の俺を人間のオンナの身体では受け止められないんだ」
トニーは辛そうに、そして切なそうに顔を歪めた。

トニーの本当の姿…ヴァージニアはまだ一度も見たことがなかった。どんな姿でも受け入れる覚悟は、共になると決めた時から持っているつもりだが、トニーに見せて欲しいと告げたことは一度もなかった。だが、夫婦になり一月。そろそろ聞いても良いかもしれない…。
「…本当のあなたの姿って…」
そう尋ねると、トニーは首を振った。
「見ない方がよい」
あまりに物悲しいトニーの声に、ヴァージニアは気づいた。
彼は何百年と孤独だった。本当の自分の姿を受け入れてくれる人が誰一人いなかったから…。だから彼は恐れている。本当の姿を見せることで、ヴァージニアも逃げ出してしまうかもしれないと…。
「本当のあなたを見ても、私は絶対にあなたを裏切ったりしません。私はあなたを愛しています。心の底から、あなただけを…。ですから、トニー…私のことは信じて下さい…」

ヴァージニアの必死の説得にも、トニーは首を縦に振らなかった。だが、彼女の必死さに根負けしたのか、翌朝、ヴァージニアが目覚めると、トニーがベッドに腰掛けていた。そして朝食を共に食べると、トニーはヴァージニアの手を取り立ち上がった。
「ヴァージニア、行くぞ」
「どちらへ?」
するとトニーは、ヴァージニアを見つめた。その瞳には彼の決死の覚悟が見られ、ヴァージニアは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「本当の俺を見たいのだろ?ここでは無理だ」
トニーは相当な覚悟と勇気をもって、自分の本当の姿を見せようとしている…。何があっても彼のことを受け止めようと覚悟したヴァージニアは、トニーの手を握り返すと黙って頷いた。

松明片手に歩き始めたトニーは、森の奥深くに向かった。どのくらい歩いたのか定かではないが、どんどんと暗くなっていく森に、ヴァージニアは身震いした。
暫く歩くと、大きな洞窟が目の前に現れた。
「ここが俺の家だ」
中に家があるのかと覗き込んでみたが、洞窟の中は真っ暗で何も見えない。
「洞穴ですよ?」
首を傾げるヴァージニアに、トニーは少しだけ笑みを浮かべた。
「呼ぶまで待っていろ」
そう言うと、ヴァージニアに松明を渡したトニーは、洞窟の中に入って行った。

しばらくすると、ピュウと生暖かい風が洞窟の奥から吹いてきた。そして風に乗り、『ヴァージニア…』と、トニーの呼ぶ声が聞こえた。
ヴァージニアは恐る恐る中に入って行った。
洞窟の中には何かがいる…。だが、気配はするが姿は見えない。
「トニー?」
そっと呼びかけると、獣のような唸り声がした。
ヴァージニアはゆっくりと足を進めた。そして、奥を照らすように松明を掲げた。
すると、それは姿を現した。
ヴァージニアは悲鳴を上げそうになった。
そこにいたのは、漆黒の生き物だった。
自分の何十倍もの大きさのそれは、空想の世界の本で読んだドラゴンと呼ばれるものそっくりだった。
これがトニーなのかと、ヴァージニアはパニックになりそうになった。が、ドラゴンは優しい瞳でヴァージニアを見つめた。琥珀色の瞳はトニーと同じだった。
「トニー…?」
そっと呼びかけると、ドラゴンは頭を低くした。手を伸ばしたヴァージニアは、ドラゴンの鼻に触れてみた。するとドラゴンは、まるで猫のように喉を鳴らした。
間違いない。これはトニーだ。ヴァージニアの愛する、たった一人の男の正体は、ドラゴンだったのだ。
「トニー…あなたは……ドラゴンなの?」
瞬きしたドラゴンは、そうだというように小さく鳴き声を上げた。
「言葉は話せないの?」
ドラゴン…いや、トニーは困ったように首を傾げると頷いた。ヴァージニアは黙ったままだ。口をポカンと開けて、固まってしまったヴァージニアに、トニーは何度か瞬きをした。そして再び小さく声を上げると、俯いてしまった。

人間の言葉は話せないが、こちらの話すことは理解できるらしい。だから一方的とはいえコミュニケーションを取ることはできるが、確かにこれではあの家で共に暮らすことはできないし、愛し合うことなど出来ない。トニーの言う通り、愛が問題ではないと悟ったヴァージニアは、ようやく我に返ったが、見るとトニーはしょぼくれているではないか。
「私があなたのこと、嫌いになったと思ってます?」
俯いたまま頷いたトニーの目には涙が溜まっており、ヴァージニアはトニーの鼻にキスをした。
「嫌いになる訳ないわ。私はあなたの心に惹かれたの。だからあなたがドラゴンでも、私のあなたへの愛は変わらないわ」
すると、パッと顔を輝かせたトニーは、嬉しそうに声を上げた。そして起き上がると、入り口へ向かった。
何事だろうかと、ヴァージニアは慌ててトニーを追いかけた。
外の明るい場所で見ると、トニーの姿は神々しいまでに美しかった。本で見たドラゴンの絵は、恐ろしい生き物として描かれていた。だが、漆黒の身体も翼も、トニーは何もかもが美しかった。ヴァージニアが惚れ惚れしていると、トニーは身体を低くし、小さく吠えた。
「背中に乗ればいいんですか?」
頷いたトニーは、ヴァージニアが乗りやすいように、更に身体を低くした。ヴァージニアが背中によじ登ったのを確認すると、トニーは翼を動かし、空へと飛び立った。

「きゃっ!」
落ちないように、ヴァージニアはトニーの背中にしがみついた。が、トニーはヴァージニアが怖がらないように、ゆっくりと飛び始めた。

「す、凄い!」
初めて見る上空からの森の様子に、ヴァージニアは目を輝かせた。ぐるりと辺りを回ったトニーは、再び洞窟に戻ると、背中から降りたヴァージニアの頬を舌でペロリと舐めた。

「トニーはいつもあんなに素敵な景色を眺めているんですね」
興奮気味に話すヴァージニアを、優しい瞳で見つめていたトニーは、座り込むとヴァージニアを翼で優しく包み込んだ。
トニーの翼は、鱗のようなものに覆われた硬い身体とは違いフワフワしていた。その温かさに、すっかり安心しきったヴァージニアは、そのまま眠ってしまった。

ヴァージニアが目覚めると、そこはいつもの寝室のベッドの中だった。トニーが連れて戻ってきてくれたのだろうが、彼の姿は見えなかった。
あの洞窟に行ってみようかと思ったが、いつも夕方にはやって来るのだから…と、待つことにした。

夕方になりやって来たトニーは、ヴァージニアと顔を合わせるや早々、
「驚いただろ?」
と告げた。
頷いたヴァージニアだが、あの神々しい姿を思い出した彼女は、頬を赤らめるとトニーにそっと抱きついた。
「ですが…あなたの美しい瞳と温もりは、今の姿のあなたと同じでした。それにとても美しかったです。今のあなたもですけど、あの姿のあなたは、今まで見たことがないほど、美しかったです」
ベタ褒めする妻の言葉に、トニーは嬉しそうに笑った。が、それはすぐに寂しそうなものになった。
「だが、分かっただろ?本当の俺とは交われない理由が…」
心なしか泣き出しそうな顔をしているトニーに、ヴァージニアは一日中、ずっと考えていたことを告げてみることにした。
「私もあなたと同じ姿になればいいのではないですか?」
「は?」
トニーが眉をひそめた。
「ヴァージニア…お前は魔物になりたいのか?」
信じられないというようなトニーに、ヴァージニアは首を振ると彼の手を握りしめた。
「あなたは魔物ではありません。ただ、人間とは少し違う姿をされているだけです。私、あなたとずっと共にいたいんです。1日たりとも離れたくないんです。ですから、あなたと同じ姿になれば、ずっと一緒にいることができます。言葉も通じます。それに、可愛らしい子供も…」

トニーは何も言わなかった。
が、翌日、夕方になってもトニーはやって来なかった。次の日も、その次の日も…。
何かあったのかもしれないと心配になったヴァージニアは、あの洞窟へ行ってみることにした。

「トニー?」
入口からそっと呼びかけると、微かに唸り声がした。それも弱々しい声が…。そして風に乗り、血生臭い匂いもするのだから、顔色を変えたヴァージニアは、中へと走った。
「トニー!」
叫びながら奥へ向かうと、トニーはいた。傷つきボロボロになったトニーが…。
翼は折れ、片方は無残にもちぎれかけている。身体中には沢山の矢が刺さり、何かでえぐられたような傷口からは、大量に出血しており、辺り一面血の海と化しているではないか。
「トニー…何があったんですか?!」
慌てて駆け寄ったヴァージニアは、服が血だらけになるのもお構いなしに、トニーの横に跪いた。
荒い息をしているトニーは、薄らと目を開けた。そして弱々しい小さな声で鳴いた。
「トニー……」
ボロボロと涙を流し始めたヴァージニアの顔を、舌を出したトニーはペロリと舐めた。
まるで泣くなというように…。
そしてトニーはゆっくりと目を閉じた。

「トニー…?」
動かなくなったトニーに、ヴァージニアはすがり付いた。
「トニー…トニー……お願い……私を置いて…いなくなったりしないで…。あなたのこと…愛してるんです…」
涙は止まらなかった。ヴァージニアの涙は、トニーの身体に降り注いだ。

すると、声が聞こえた。
「こいつを助けたいか?」
聞いたことのない声に、ヴァージニアはその場で飛び上がった。
「だ、誰?!」
キョロキョロと辺りを伺うと、いつの間にか一人の男が目の前に立っているではないか。
ハンマーを持った男は、見慣れない格好をしており、どう見てもこの国の者ではなさそうだ。
もしかしたら、男性はハンターか何かで、トニーをこんな目に合わせた張本人かもしれない…。それならば、これ以上トニーを傷つけさせてはならないと、ヴァージニアは男性を思いっきり睨みつけた。が、男性は目を細めると、小さく笑みを浮かべた。
「神だ。ソーと呼んでくれ」
「神様?!」
教会に掲げてある神の絵とは似ても似つかないソーと名乗った神に、ヴァージニアは驚きのあまり言葉を失っている。そんなヴァージニアを見つめたソーは、ハンマーを地面に置いた。
「スタークを愛しているのだろ?」
これは試されているのでは…と思ったヴァージニアは、勢いよく立ち上がった。
「は、はい!死ぬほど愛してます!トニーは私の全てです!トニーのためなら、私、彼と同じようになってもいいと思ってます!」
唾を撒き散らしながら熱弁するヴァージニアに、ソーは思わず苦笑した。
「落ち着け。お前がスタークのことをどれだけ愛しているかは知っている。スタークもお前のことを愛している。何百年と生き続けたスタークが初めて愛した女がお前だ。スタークは元々人間で……」
「え?!トニーが?!」
トニーは元々人間だったと聞き、ヴァージニアは驚きのあまり腰を抜かしそうになった。ヘナヘナとその場に座り込んだヴァージニアに、ソーは片眉を上げるとトニーを見つめた。
「聞いてないのか?スタークもきちんと話をしておけ…」
ブツブツと文句を言ったソーは、説明しようと前置きすると、近くの岩に腰を下ろした。

「スタークは元々人間だ。何百年も前の話だ。スタークは、病気の母親の命を救おうと、森の奥深くにある泉へとやってきた。その泉は願いが叶うという言い伝えがあったからだ。だが、森は恐ろしいところだ。今まで誰1人たどり着いたことはなかった。だが、スタークは辿り着いた。そして水を汲み帰ろうとした。が、それは神の泉だった。神は問うた。その水はお前にやる。だが、代わりに何か置いていけと…。自分は貧しいため、何も持っていない、だから自分の命を差し出すとスタークは告げた。健気な男だろ?貧しさにも負けず、スタークの心は純真無垢そのものだった。そこで神は、スタークの命を奪う代わりに、永遠の命を与え、この地を守るよう告げた。スタークは水を持ち帰った。母親は回復したが、スタークは神との約束通り、この地を守る者になった。が、人間の姿では永遠の命を保てない。そこでスタークの姿はあのように変化してしまった」
「そうだったんですか…」
ソーの話に、ヴァージニアは気づいた。時代も背景も何もかも異なっているが、トニーは自分と同じだったのだと…。家族のために自らを犠牲にしようとした姿は、自分と同じだったのだと…。お互い惹かれ合ったのは、もしかしたらそれが理由だったのかもしれない。だが、そのトニーがどうしてこれ程まで傷ついているのだろうか…。
「ですが、どうしてトニーはこんな酷い目に…」
ちらりとトニーに視線を送ったソーは、ヴァージニアを見つめた。
「お前のためだ。スタークは神の国に乗り込んできた。『いい加減、務めは果たしたはずだ。永遠の命は要らぬ。返すから、人間に戻してくれ』と、スタークは言いに来た。そして、懇願した。人間の女に恋をした。夫婦になった。このままでは彼女と添い遂げることは出来ない。だから人間に戻りたいと…。スタークと契約したのは、わが姉上だ。姉上は短気で血の気が多くてな…。怒り狂った姉上は、スタークを殺そうとした。父上と母上がいれば、こんなことにはならなかっただろうが…昨日までお二人とも旅行に行かれていて、不在だったんだ…」
ふぅとため息を吐いたソーは、やれやれと首を振った。
「姉上は父上と母上にこっ酷く叱られた。スタークが姉上と交わした契約は、100年間だったが、姉上は我々の目を欺き、何百年とスタークを縛り付けていたんだ。スタークとの契約は解除した。そして姉上の代わりに俺が謝罪にきた。すまなかった」
頭を下げたソーは立ち上がると、トニーに近づいた。そしてトニーの鼻をそっと撫でた。
「スターク…俺だ。ソーだ。お前の願い、叶えに来たぞ…」
すると、トニーが少しだけ目を開いた。そして苦しそうに小さく声を上げた。
「あぁ、すまなかった。姉上が逆上するとは思わなかったんだ。姉上はお前を気に入っていたからな。文句はお前が元気になったらいくらでも聞く。だからこれを食べろ」
ソーは懐から光り輝く物を取り出した。そしてトニーの口に押し込んだ。するとトニーの身体が光り始めた。傷口はみるみるうちに癒え、折れていた翼も元通りになった。そして、大きく息を吐いたトニーは、すぅすぅと寝息を立て始めた。
「明日の朝には元気になっているだろう。それから、命のある人間にも…」
眠るトニーの頭を撫でたソーは、安心したように息を吐いたが、トニーが人間に戻ると聞いたヴァージニアは、ソーに駆け寄ると彼の腕を掴んだ。
「あ、あの!トニーのお嫁さんになった時、永遠の命を与えると言われました。私だけそんなに長生きしても困るんで、何とかして下さい!」
またしても物凄い剣幕に、ソーは目をぱちくりさせていたが、笑い始めた。
「それは嘘だ。お前はただの人間だ。だから命に限りはある。スタークはお前に魔法をかけたんだ。森の中には何がいるか分からない。スタークがそばにいない時でも、お前が安全に暮らせるように…」
自分には永遠の命が備わっていないと知ったヴァージニアは、よかったと胸を撫で下ろした。するとソーが、ヴァージニアの肩をぽんっと叩いた。
「ところで、ヴァージニアよ。お前は料理が得意か?」
「はい」
頷いたヴァージニアに、ソーはニヤッと笑った。
「それはよかった。スタークが元気になったら、お前の料理を食べさせてくれ。それが礼の代わりだ」
ガハハと笑ったソーはハンマーを振り回しながら、外へと出て行った。

ソーを見送ったヴァージニアは、トニーのそばに腰を下ろした。
「トニー、私がそばにいます。ですから、今はゆっくり休んで…」
トニーに抱きついたヴァージニアは、そっと目を閉じた……。

……

翌朝。
ヴァージニアは頬を擽る感触に目を覚ました。ゆっくりと目を開けると、人間の姿をしたトニーが頬を撫でているではないか。
「おはよう、ヴァージニア…」
笑みを浮かべたトニーは、ヴァージニアにキスをした。
「トニー……」
トニーは怪我もしておらず、元気だ。
涙が止まらなかった。トニーが元気なってくれたこと、人間に戻ることができたこともだが、これからも共にいることができるという喜びを抑えることができなくなったヴァージニアは、泣きながらトニーに抱きついた。
泣き続ける妻の背中を、トニーは撫で続けた。

暫くして落ち着いたヴァージニアは、涙を拭うとトニーを見つめた。
「ソー様から聞きました。あなたが何故あのような姿になっていたか…」
2、3度瞬きしたトニーは、大きく息を吐いた。
「そうか…。いつかお前に話さねばと思っていたが…」
そう言いながら座り直したトニーは、話し始めた。
「あの頃俺は、母と弟や妹たちと暮らしていた。父を数年前に流行病で亡くし、長男の俺は父の跡を継ぎ、鍛冶屋で生計を立てていた。だが、俺の下には5人も弟と妹がおり、生活は決して豊かではなかった。そんなある日、村1番の金持ちの男が母に恋をした。男は母に結婚を申し込んできた。もちろん俺たちの面倒も見ると約束してくれた。その時、俺は25だった。だから、俺は一人で独立することにした。俺は村を出て、国一番の鍛冶屋に修行に行くことになった。そんな中、母が倒れた。ここで母が死ねば、弟と妹たちは路頭に迷うことになる…。母の病の原因は医者にも分からなかった。俺は母を救う方法を必死で考えた。そして思い出した。村には昔からとある言い伝えがあることに…。森の奥深くにある、願いが叶う泉の話を思い出したんだ。だが、願いが叶う代わりに、大きな代償を払わなくてはならないという話も…。俺には金も何もない。だから母を助ける代わりに俺の命を捧げようと決め、泉に向かった。何日もかかり辿り着いた泉には女神がいた。俺は女神に頼んだ。母を救う代わりに、俺の命を奪ってくれと…。だが、女神は何故か俺のことを気に入ったんだ。『命は要らぬ。だが、私の気に入る姿になり、永遠に生き続けろ』と言われた。俺は死なずに済んだと喜んだ。母も助かり、俺は嬉しくて、女神との約束を忘れていた。つまり、すぐには戻らなかったんだ。森から戻り5日後、女神が俺の前に現れた。そして俺をここへ連れて来た。『約束を果たして貰おう。永遠の命を与える代わりにこの地を守れ。だが、その姿のままにしておくことは出来ぬ。私好みの醜い獣になってもらおう』そう言いながら、女神は俺に杖を向けた。俺の意識はそこで途絶えた。次に目が覚めた時、俺はあの姿になっていたんだ。湖に映った姿に絶望したよ。俺は人間ではない、魔物になっていたんだから…」
ふぅと息を吐いたトニーは、洞窟を見渡した。
「母や弟たちは、失踪した俺を探しに森に毎日やって来た。村の仲間も大勢…。何ヶ月も皆は俺のことを探してくれていた。だが、この姿では会えないと、俺はこの洞窟に身を隠した。人間なのに、人間の言葉も喋れないんだから…。この姿のまま、永遠に生き続けなければならないのかと、俺は毎日泣いた。半年も経つと、皆は俺の捜索をやめた。死んだと諦めてくれたんだと俺は少しだけほっとした。だが、孤独だった。こうやって俺のことは忘れられるんだと思うと…。俺はここに閉じこもった。気づけば何十年も経っていた。そんなある日のことだ。あの女神が俺の前に現れた。そして国を作れと告げた。広大な国を作り、人間に治めさせろと…。俺は久しぶりに外に出た。そして生まれ故郷の村へと向かった。村は荒廃していた。いや、村だけではなく、国全体が焼き尽くされていた。聞けば、これが引きこもっている間に、大きな戦が何度も起こり、この辺り一帯は破壊し尽くされたらしい。そこで俺は、森を切り開き、土地を作り、国を作った。そして一人の男に国を託した。だが、人間に会うのに、あの姿では驚かれるだろ?女神は俺に魔力を与えてくれた。そこで俺は人間だった頃の姿になり、王となった男に会った。感謝した王は、何でも望むものを毎年捧げると俺に約束した。俺は人間が恋しかった。誰かにそばにいて欲しかった。そこで俺は王に告げた。『花嫁が欲しい』と…。すると王は美しい女を俺の元に遣わせた。俺はあの姿のまま女に会ったが、女は恐怖のあまりその場で死んだ。王はそれからも毎年女を次々と送り込んできた。だが、どの女もあの姿の俺を受け入れてくれなかった。だから人間の姿で会うことにしたが、俺の心は何も感じなかった。そばにいて欲しいと感じる女は一人もいなかった。俺は諦めていた。そばにいてくれる女は現れないと…。だが、お前が来てくれた。お前はあの姿の俺を怖がらなかった。お前だけだった。本当の俺を受け入れてくれたのは…。そしてヴァージニア、お前は俺を苦しみから救ってくれた…」

話し終えたトニーは、大きく深呼吸をすると、ポンっと手を叩いた。
「さてと、ヴァージニア。これからどうする?俺は人間になった。だから、魔法は使えなくなった。あの家は魔法で作り出したもの。だから家はもう、ここしかない」
肩を竦めたトニーは洞窟を見渡した。
「こんな陰気な所にお前を置いておく訳にはいかない」
確かに何もない洞窟で、これから生活するのは無理だ。だが、行くあてもないし、金も何にもないのだから、一体どうすればよいのだろうと、ヴァージニアは頭を捻った。が、洞窟の奥を覗き込んだヴァージニアは、何か光っているのに気づいた。
「トニー、あれは何です?」
奥を指さしたヴァージニアに、トニーは目をくるりと回した。
「あぁ、あれは女たちと共に持ってきた貢物だ。何百年も毎年持ってこられて、処分もできず、溜まりに溜まっている」
立ち上がったヴァージニアは、その光るものに近づいてみたのだが…。
見たことがないほどの量の金貨や宝石が、山積みになっているではないか。
「と、と、と、と……」
驚きすぎて腰を抜かしてしまったヴァージニアに、何事かとトニーは駆け寄った。
「どうした?」
抱き起こされたトニーに、ヴァージニアは抱きついた。
「これだけあれば、どこに行っても暮らしていけますよ!」
「そうなのか?」
何百年も人の世から遠ざかっていたトニーには、価値がいまいち分からないらしく、彼は本気で不思議そうな顔をしているではないか。
何度も深呼吸して気持ちを落ち着かせたヴァージニアは、トニーの手を取った。
「トニー、どこか静かな場所に家を建てましょう。そしてそこで幸せに暮らしましょう」
にっこり微笑んだ妻にキスをしたトニーもまた、嬉しそうに微笑んだ。
「俺は今の時代の人間というものがよく分からない。だから、ヴァージニア、お前に任せる」

***

数年後…。
とある村から少し離れた静かな森の中には、一軒の可愛らしい家が建っていた。周りには沢山の花が植えられ、畑では様々な野菜も育てられている。そして家のそばにある工房からは、毎日遅くまで鉄を打つ音が聞こえていた。
鍛冶屋を営む主人の腕は国一番との評判で、大勢の客が彼の商品を買いにこの地を訪れていた。主人はどこか浮世離れした雰囲気があったが、彼の妻は明るく気さくで、訪れた者を温かく迎え入れてくれるため、誰もが皆、笑顔でこの家を後にした。評判は評判を呼び、ついにはこの国の王の耳にも触れることになった。主人の作る物と人柄が気に入った王は、主人に気高い位と、街にある大きな工房を与えると告げた。だが、主人もその妻もその話を断った。誰隔てもなく門戸を開けておきたいこと、そしてこの静かな地が気に入っていると王に告げると、感銘した王はますます主人のことを重宝するようになった。
そしてもう一つ。夫妻には可愛らしい娘がいた。3つになったばかりのモーガンという名の娘は、天真爛漫で、森の中を走り回るのが大好きだった。そして彼女には秘密があった…。

「モーガン!モーガン!どこにいるの?」
家から大きなお腹を抱えた女性が出てきた。ヴァージニアだ。娘を探し外まで出てきたヴァージニアは、娘の姿が庭にないことを確認すると、工房へ向かった。
「トニー!」
大きな音に負けぬくらいの妻の声に、トニーは鉄を打つ手を止めた。
「どうした?」
汗を拭ったトニーは、近づいてきた妻にキスすると、お腹を撫でた。
「モーガンがまたいなくなったんです」
困ったように溜息を付いたヴァージニアに、トニーは目をくるりと回した。
「またアレになったのか?」
「そうみたいです」
肩を竦めたトニーは、頷いた妻の手を取ると、森に向かって歩き始めた。

暫く歩くと、獣のような声が聞こえてきた。
「モーグーナ!」
トニーが娘を呼ぶと、小さな何かが木の影から飛び出してきた。そしてそれはトニーとヴァージニアに向かって飛びながら近づいてきた。
「モーガン、昼ごはんの時間だぞ」
目の前で羽ばたいている小さなドラゴンに、トニーはわざとらしく顔を顰めたが、ドラゴンは可愛らしい声を上げた。
「何ですって?」
トニーはドラゴンの言葉が理解できるが、ヴァージニアには分からない。そこで夫に尋ねると、妻に顔を向けたトニーは、眉をつり上げた。
「新しい友達ができたから、紹介したいと言っている」
「新しいお友達?」
ヴァージニアが首を傾げると、ドラゴンは嬉しそうに頷き、先ほどよりも甲高い声を上げた。すると、木の影から何かが姿を現した。何と大きな熊がのそのそと向かってくるではないか。
「キャッ!」
思わず悲鳴を上げたヴァージニアは、トニーに抱きついた。が、熊はまるで犬のようにその場に座り込み、大人しくしているではないか。
「モーガン、頼むから家に連れて帰りたいと言うなよ」
ドラゴンに向かってトニーがそう言うと、ドラゴンは熊の元に近づくと、何やら告げた。すると熊は立ち上がり、森の奥へと姿を消した。

ヴァージニアは困ったように息を吐いた。
モーガンは生まれた時からドラゴンだった訳ではない。ちゃんとした人間だったのに、2歳の誕生日を迎えた後、突然ドラゴンに変身できるようになったのだ。トニーに僅かに残っていた魔力のせいなのか分からない。というのも、トニーはもうドラゴンに変身できないのだから…。

両親の元に戻ってきたドラゴンは、父親の腕に飛び込んだ。するとドラゴンは小さな女の子に姿を変えていた。
「パパ!ママ!くまちゃんとおともだちになったのよ!」
得意げに言う娘にキスをしたトニーは、彼女のほっぺたを突いた。
「モーガン、ドラゴンになる時は、お父様かお母様にきちんと言えと約束しただろ?」
「ごめんちゃい…」
しょぼくれたモーガンに、もう一度キスをしたトニーは、ヴァージニアの手を握った。
「さあ、帰りましょ?美味しいお昼ご飯が出来てるわ」
母親の言葉にモーガンはパッと顔を輝かせた。可愛らしい娘に微笑んだトニーは、ヴァージニアを見つめた。
「永遠に愛してる」
そう囁いたトニーは、頬を赤く染めた妻にキスをすると、家に向かって歩き始めた。

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