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18.celebrity! au
トニペパ本に掲載した、ハリウッド俳優女優なトニペパauから。
***
トニーの新作映画は、西部劇風のアクション映画となった。西部劇ということで、馬に乗るシーンが山ほどあり、元々乗馬は得意なトニーだが、もっと上手く乗りこなしたいと、ヴァージニアの実家でソーに特訓してもらうことになった。
そこで2週間程、ヴァージニアの実家に滞在することになった。これを喜んだのは、ヴァージニアの両親は勿論のこと、ソーもだった。そして2つになったモーガンとレニーは、沢山の動物に大喜び。
「パパ!ママ!うさぎちゃん!」
ぴょんぴょん跳ね回るウサギを追いかけていたモーガンは、向こうからやって来たソーに気づくと、走り出した。
「ソーおじたん!!!!」
キャーっと歓声を上げたモーガンは、ソーに飛びかかった。
「お姫様、元気にしてたか?」
モーガンを軽々抱き上げたソーは、肩車をすると笑い声を上げた。
レニーはトニーに抱かれて、ヤギを眺めていたが、顔を上げた彼は何かを見つけた。
「あれ、なぁに?」
見るとアルパカの群れがこちらに向かってくるではないか。昔からアルパカはいたが、確か1頭だけだったはず…。それなのに、目の前にやってきたアルパカは、10頭以上いるではないか。
「アルパカが増えてない?どうしたの?」
さすがのヴァージニアもポカンと口を開けたまま両親を見つめた。するとポッツ氏は得意げに鼻を擦った。
「この間来た時、モーガンとレニーがアルパカが気に入って離れなかっただろ?だから増やしたんだ」
可愛い孫のためだと頷いている両親に、ヴァージニアは苦笑い。というのも、『モーガンとレニーが気に入ったから』と、2人が生まれて以来、様々な動物が増え続けているのだ。そのため、今では動物園のようになっている。だが、両親は勿論のこと、ソーやこの場で働いている全員が、モーガンとレニーのことを可愛がってくれるのだ。嬉しくなったヴァージニアはトニーと顔を見合わせると、ふふっと笑みを浮かべた。
見つめ合う2人に、ポッツ夫人はニヤリと笑った。
「ところで……」
トニーににじり寄った彼女は、彼の耳元で囁いた。
「3人目はまだなの?」
目をキラキラさせている義母に、トニーはははっと渇いた笑い声を上げた。
双子が2歳になり、3人目を…と考えているのだが、なかなか出来ないなんて、夫婦の性生活を義母に言えるはずはない。が、苦笑いしているトニーの肩をポッツ夫人はバシバシ叩いた。
「トニーったら、もっと頑張って頂戴!」
キャーキャー言いながら盛り上がる義母に、トニーは引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
その夜。
モーガンとレニーは祖父母と寝ると言ったため、寝室にはトニーとヴァージニアの2人きりとなった。
「お義母さんに3人目はまだかと催促されたぞ?」
「えっ?!」
トニーの言葉に真っ赤になったヴァージニアは、ベッドの上で飛び上がったが、トニーは妻の身体をベッドに押さえ込んだ。
「期待に応えられるようにしないとな?」
ニヤニヤと笑ったトニーは、妻のパジャマを脱がせると、部屋の隅に向かって放り投げた。
「と、トニー!」
ここは家ではないし、2つ先の部屋には両親と子供たちが眠っているのだ。ますます顔を赤らめたペッパーは、トニーの身体の下でジタバタともがいたが、自分もパジャマをさっさと脱いだトニーは、妻の頬を撫でると耳元で囁いた。
「大丈夫さ。お前がいつもみたいなデカい声を出さなければ…」
これ以上ない程真っ赤な顔をしたヴァージニアは、顔を隠すようにトニーにしがみつくと小さく頷いた。
撮影は半年に渡り、中西部の町で行われるため、ヴァージニアも子供達を連れて滞在することになった。いつもの如く家を借り、撮影が休みの日には、子供たちを連れて近くの公園やマーケットに足を運んだ。撮影所の周りにはパパラッチが張り込んでいるが、街中ではあまり見かけなかったため、一家はのんびりと家族の時間を過ごすことができた。
結婚後、2人はチャリティー活動にも力を入れ始めていた。それぞれの映画の撮影に合わせて、協力してくれたファンを現場に招待したりと、精力的に活動しているのだが、今回もトニーは抽選で選ばれた1組のファンを撮影現場に招待していた。
その日は、トニー主催のランチ会が開かれることになっていた。トニーは馴染みのシェフを時折呼び、スタッフや共演者のためによく食事会を開いていたが、今日はファンの招待日ということもあり、撮影のないキャストも大勢参加する、賑やかな会になっていた。そのため、ヴァージニアも子供たちを連れて参加することになった。
今回の共演者の中には、以前ヴァージニアも共演したことのある、ジェーン・フォスターがトニーの恋人役としてキャスティングされていた。
久しぶりの再会に、ヴァージニアとジェーンは抱き合い喜んでいる。母親はすっかり話に夢中になってしまい、モーガンとレニーは父親の姿を探した。すると、少し離れた所で、誰かと話し込んでいる父親を見つけた。そこで手を繋いだ双子は、父親の元へと走り出した。
「パパ!」
招待したファンと話をしていたトニーは、双子の声に気づくと立ち上がった。そして走ってきた双子を抱きしめると、軽々抱き上げた。
ファンは、可愛らしい双子の姿に歓声を上げた。というのも、トニーとヴァージニアは双子を出来る限りマスコミから遠ざけていたため、2人の姿は一度も写真に撮られたことはなかったのだ。一度レニーが1歳になったばかりの頃、ヴァージニアの映画に参加したことがあったが、結局そのシーンはカットされたのだ。そのため、トニーとヴァージニアの子供はモーガンとレニーという名前であることは知れ渡っていたが、姿を見たものは友人や知り合いを除いて、殆どいなかったのだ。
「子供たちの写真は撮らないでくれよ」
そう念押ししたトニーにファンは頷いた。彼らもまた、トニーのプライバシーは尊重していたからだ。
そこへヴァージニアもやって来た。再び歓声を上げたファンは、スターク一家とランチを共にし、夢のような一日を過ごした。
あと1週間で撮影も終わる。
トニーの撮影が終わった後は、入れ替わるようにヴァージニアの新作の撮影があるため、次はNYへ滞在することになっている。そろそろ荷造りをしなければ…と、双子を昼寝させたヴァージニアは、片づけ始めたのだが…。
そこへ、ハッピーから電話がかかってきた。
何と、トニーが落馬し、救急車で病院に運ばれたというのだ。
今日は馬で狭い路地を駆け抜けるシーンの撮影だった。トニーはほぼ全てのシーンをスタントマンを使わず自分でやっていた。というのも、彼の乗馬の腕前はスタントマンに匹敵する程だったからだ。
だが、今日のシーンは今までで一番危険だった。さすがのトニーも怯んだが、最も危険なシーンはスタントマンを使うことになり、それ以外は彼の腕前を見込まれて、トニー自身がすることになった。
撮影は順調だった。このまま何事もなく終わると思っていたが、真っ直ぐな路地をただ駆け抜けるだけの、比較的安全な撮影で、事故は起きた。物陰からエキストラの子供が飛び出してきたのだ。子供を避けようとしたトニーは、馬の手綱を急にきった。驚いた馬は暴れだし、トニーは馬から不自然な体勢で硬い地面の上に投げ飛ばされた。辺りにバキッという嫌な音が響き、トニーは悲鳴を上げた。その間にも馬は暴れ、倒れているトニーを蹴り飛ばした。
右肩と左足を骨折し、頭や腰も酷く打っており、驚いた馬に蹴り飛ばされ、肋骨も数本折れたというのだから、ヴァージニアは卒倒しそうになった。
双子を連れて慌てて病院へ向かうと、トニーは手術中だった。
暫く待っていると手術が終わり、病室へ通され、ヴァージニアは双子を抱き上げたままベッドの横の椅子に座った。
「パパ……」
「いたいいたい?」
頭や腕に包帯を巻き、左脚を吊った父親は青い顔をしており、双子は不安そうに母親を見上げた。
「パパはね、怪我をしたのよ。でも、大丈夫。すぐに元気になるわ」
そう言うと、双子はホッとしたように息を吐いた。
翌日、トニーは目を覚ました。
「ジニー…ごめん…」
開口一番謝罪の言葉を口にした夫に、ヴァージニアは首を傾げた。
「どうして謝るの?」
するとトニーは申し訳なさそうに頭を下げた。
「俺がさ、カッコつけて自分でやるって言ったばかりに、こんなことになって…。これからは、危険なことは絶対にしない。約束する」
幸いにも、残すシーンはほんの僅かだ。トニーの入院中は他のシーンを撮影することになった。トニーのシーンもスタントマンを用い撮影可能だったため、トニー自身が演じなければならないシーンは、彼が動けるようになり次第、撮影することになった。
撮影の方は何とかなるが、問題は自分たちの事だった。ヴァージニアは来週からNYで撮影が始まる。最初の数日は拘束される時間は短いが、2週目からは毎日一日中撮影がある。となると、子供たちの面倒を誰が見るのか…ということになる。トニーは暫く入院しなければならないし、退院後も撮影があるため、すぐにはNYに移動することはできない。だが、ヴァージニアの撮影を延期する訳にもいかない。
「俺が面倒みるよ」
最悪無理矢理退院して、家で安静にしておけばいいだろうと考えていたトニーだが、ヴァージニアは顔を顰めた。
「無理言わないで。あなたはまだ入院していないといけないし、退院しても一人で動けないわ。子供たちの世話をするのは無理よ」
妻の言い分は最もだが、双子が産まれた時に決めていた。子供たちはなるべくベビーシッターに任せず、自分たちの手で育てること、そのため2人同時に仕事を入れないことを…。
「だけど、君も無理だろ?」
自分が何とかするしかないと考えたトニーだが、ヴァージニアは首を横に振った。
「トニー、あなたはまず怪我を治すことが最優先。子供たちは私が連れていくわ。ママに手伝いに来てもらうから大丈夫よ」
トニーの手を握ったヴァージニアは、にっこり笑った。
「心配しないで。大丈夫だから」
そう言われると、トニーも頷くしかないので、結局、ヴァージニアは子供たちとNYへ向かった。
トニーのことはハッピーが甲斐甲斐しく世話をしてくれた。ヴァージニアに『トニーのこと、お願いね。ハッピー、あなたしか頼れる人はいないの』と言われたものだから、ハッピーはやたら張り切って世話をしてくれた。が、ヴァージニアや子供たちと会えないと、トニーはしょぼくれたままだった。
2週間後。
ギプスが外れ松葉杖を付きながら歩けるようになったトニーは、撮影に復帰した。本当はまだ安静にしておかねばならないのだが、残すシーンはあまり動かなくても良いシーンばかりだし、これ以上スケジュールに遅れが生じると、他のキャストやスタッフに迷惑がかかると、トニーは半ば強引に退院したのだ。
後ろ姿など顔が映らないシーンは代役で撮影済みだったため、顔だけの撮影とセリフの録音などを済ませ、残すは相手役の女優のジェーンとのキスシーンだけとなった。あの映画以来、やたらとキスシーンだけではなくベッドシーンを要求されるようになっていたが、ベッドシーンだけは勘弁してくれと、トニーは頑なに断っていた。
「スタークさん、ヴァージニアのご主人だから……何だか恥ずかしいですね…」
撮影直前に、トニーにはそう告げると真っ赤な顔になったジェーンだが、女優の顔を引っ張り出した。
「では、本番いきます!……用意…スタート!」
スタッフの声に、2人は演じ始めた。
椅子に座ったトニーの膝の上にジェーンは腰掛けた。本当は立ったままの予定だったが、トニーの左足はまだ万全ではないため、座ってのシーンになったのだ。
トニーの帽子を取ったジェーンは、首元のバンダナを引っ張った。トニーはジェーンの服の背中のボタンを外し始めた。するとジェーンはトニーの頬を掴むと口付けをした。キスを続けながらも、トニーはジェーンの服を肩までズラした。素肌を撫でられ、そのもどかしい感触に、ジェーンはビクッと小さく身震いした。唇を開いたジェーンは、トニーの口の中に舌を入れた。迎え入れるように彼女に舌を絡めたトニーは、ジェーンの背中に指を這わせた。
(ん…スタークさん……上手すぎ……)
本当に感じ始めたジェーンは、唇を離すと次のセリフを慌てて言った。
「ここで…抱いて…」
ジェーンの身体を持ち上げたトニーは、そのまま彼女を近くのテーブルに押し倒した。
カットと声が掛かり、トニーはジェーンの手を引っ張り起き上がらせた。
真っ赤な顔をしたジェーンに
「大丈夫か?」
と尋ねたトニーだが、足が痛み、気づかれないように顔を顰めた。
「は、はい!」
手早く服を直したジェーンは、トニーが顔を顰めたのに気づいていたため、彼を椅子に座らせた。
と、監督やスタッフが拍手し始めた。
「お疲れ様でした!」
全てのシーンの撮影が終わったのだ。
駆け寄ってきたハッピーから松葉杖を受け取ったトニーは立ち上がると、迷惑を掛けたお詫びに今夜はパーティーを開催すると告げ、スタッフたちと談笑しながら、その場を後にした。
その夜、近くのレストランを貸切ったパーティーは大盛り上がりだった。酒が入った一同はどんちゃん騒ぎで、トニーは一滴も飲んでなかったが、久しぶりの賑わいに彼自身も楽しくて仕方なかった。
ふと気づくと、携帯が鳴っていた。見るとヴァージニアからだった。断りを入れテラスに向かったトニーが電話に出ると、急用が出来た母親の代わりに手伝いに来てくれているソーが、明日は空港まで迎えに行くという話だった。
電話を切り、テラスの椅子に腰を下ろしたトニーは再び携帯を開くと、ヴァージニアと双子の写真を見つめた。
3人には1ヶ月近く会っていない。
毎日電話で話をしているし、ヴァージニアは双子の写真や動画を送ってきてくれるが、直接温もりを感じられないため、トニーは寂しくて仕方なかった。
「スタークさん、お疲れ様です」
ジェーンの声が聞こえ、トニーは携帯をポケットに突っ込んだ。
「お疲れ様」
手に持っていたグラスの1つをトニーに渡したジェーンは、隣に腰を下ろした。
暫く他愛もない話をしていた2人だが、突然、バーン!という破裂音が数回響き渡った。
「キャッ!!」
驚いたジェーンは身を縮め、彼女を守るようにトニーは咄嗟に彼女を抱きしめた。
辺りは騒然とし始め、恐怖のあまり震え始めたジェーンは、トニーにギュッと抱きついた。
結局、タイヤの破裂音だったようで、落ち着いたジェーンはトニーに抱きついていることに気づくと、慌てて身体を離した。
「す、すみません!」
真っ赤な顔をしたジェーンは、トニーに平謝り始めたが、トニーは
「大丈夫だよ」
と告げると、中に戻ろうと、松葉杖を手に取り立ち上がった。足元は狭く倒れそうになったトニーを支えるように、ジェーンは彼の背中に手を回した。
パーティーは大盛況に終わり、一部のスタッフを除き、明日の飛行機で皆現場を離れるため、引き続き滞在先のホテルのバーで飲むことになった。トニーはバーには行くつもりはなかったが、退院後は同じホテルに滞在していたため、ジェーンと同じ車に乗り込みホテルへと戻った。
翌日。
トニーが荷物を片付けていると、土産物を買いにホテルの近くの店に行っていたハッピーが戻ってきた。
「トニー」
しかめ面をしたハッピーは、ベッドの上に何かを放り投げた。それはタブロイド紙だったが、何故か自分とヴァージニアの写真が一面を飾っているではないか。
「何かあったか?」
首を傾げたトニーはタブロイド紙を手に取った。
『トニーとヴァージニア、離婚へ!』
「は???」
目をぱちくりさせたトニーは、顔を近づけてタブロイド紙を見つめた。が、何度読んでも自分たちは『離婚』することになったと書かれているではないか。
昨晩、ジェーンと抱き合う写真とホテルへと入っていく写真には、『トニー・スターク、共演女優と不倫』と書かれており、トニーは目を見開いた。
「何だって…。『トニー・スタークは新作の共演者であるジェーン・フォスターと撮影中、関係を持ち続けていた。関係者の話によると、2人は撮影当初から関係を持っていた。トレーラーで愛し合っている姿が毎日のように目撃されており、トニー・スタークの妻であるヴァージニアが自身の撮影のために現場を離れた後は、ジェーン・フォスターが毎晩トニー・スタークのホテルの部屋に入り浸っていた。一方のヴァージニアも、別の男性と不倫しており、トニーとヴァージニアは現在離婚調停中であるという情報も、一部関係者の話から浮上した』……。関係者って誰だ?」
事実無根もいいところだ。頬を膨らませたトニーは、ヴァージニアの『不倫現場』である写真に目を移した。
「これ、ソーじゃないか?」
買い物にでも行ったのか、ベビーカーを押すヴァージニアと並んで歩いている男性は、山ほど荷物を持っているが、どこからどう見てもソーだった。写真を覗き込んだハッピーは、ブッと吹き出した。
「ですね。ソーですね。しかも、どう見ても荷物持ち要員ですよね」
暫く2人きりの写真を撮られてなかったし、公の場にも一緒に登場していなかったから、離婚というネタを振りかけられたのだろう。
「もっとマシなネタはないのか?」
苦笑したトニーはハッピーに向かって肩を竦めると、タブロイド紙をゴミ箱に捨てた。
が、巻き込んでしまったジェーンには謝っておこうと、トニーは彼女に電話をした。するとジェーンは
「スタークさんとヴァージニアが離婚なんてするわけないじゃないですか。私は大丈夫です」
と笑っていた。
NYへ向かう途中、ヴァージニアに電話したトニーだが、彼女は撮影中なのか、電話に出なかった。
今回は短距離なので、トニーはプライベートジェットではなく、旅客機に搭乗したのだが、ビジネスクラスを予約したつもりが、手違いでエコノミークラスの席となっていた。
窓際の2つ並んだ席を前に、トニーはハッピーをチラリと見た。自分はいいが、体格の良すぎるハッピーには、この席は狭いのではないかと一瞬考えたトニーだが、生憎このフライトは満席なので、今更どうすることもできない。結局、窓際にトニーが、通路側にハッピーが座り、2人は何とか狭い席に身体を押し込んだ。
離陸して暫くすると、どこからともなく自分の名前が聞こえてきた。声の方に視線を送ると、前の席の女性2人が、自分たちの『離婚』の話で盛り上がっているではないか。
「やっぱり離婚ですって!」
「だって、トニー・スタークよ?彼女と結婚しても、不倫しまくってたらしいわ」
「子供も山程いるって話だし」
「でも、トニー・スタークに誘われたら、私でもOKしちゃうわ」
「そうよねぇ。カッコいいもん…」
(おい!俺はそんな浮気者じゃないぞ!)
文句を言うわけにもいかず、トニーは頬を膨らませた。が、ハッピーは笑いを堪えるのに必死らしく、真っ赤な顔をしている。
(全く…。俺はジニー一筋だって、見れば分かるだろ!)
ジロリとハッピーを睨み付けたトニーは、まだ笑いを堪えている彼の足を思いっきり踏みつけた。
結局ヴァージニアと連絡が取れないままNYの空港に到着したトニーは、出口で見慣れた男を見つけると、軽く手を上げた。トニーに気づいた男…つまりソーは、パッと顔を輝かせると手をブンブン振り回した。
「ト……」
大声で名前を呼びそうになったソーは、慌てて口を塞いだ。松葉杖を付きながら、ヒョコヒョコとソーのそばに向かうと、ソーはハッピーと荷物を手分けして持ち、車へと向かった。
NYの滞在先であるペントハウスに到着すると、父親を待ち構えていた双子が飛び出してきた。
「パパ!おかえりなしゃい」
「ただいま、モーガン、レニー。パパはお前たちに会えなかったから、寂しかったぞ」
かがみ込んだトニーは双子を抱きしめた。2人は小さな手で父親の頬に触れるとキスを何度もした。小さな温もりにようやく気持ちが落ち着いたトニーは、妻の声に顔を上げた。
「トニー、おかえりなさい」
ニコニコしているヴァージニアに、トニーはあの記事のことを思いだしてしまった。すると彼女は、夫の考えを読んだのか、肩を竦めた。
「あの記事のことでしょ?ジェーンから連絡があったの。大きな音に驚いてあなたに抱きついちゃったのを、面白おかしく書かれただけだからって」
クスクス笑ったヴァージニアは、腰を下ろすとトニーの唇にキスをした。
「それに、私たちの離婚のニュースって、定期的に出てるわよ」
そう言われれば、半年に一度は出ている気がする。それも大体、他のセレブ勢のゴシップネタがない頃に…。
「そうだな」
頷いたトニーだが、今回は見当違いとはいえ、写真まで掲載されていたのだ。
「1mmも不安にならなかったか?」
そう尋ねると、ヴァージニアは頷いた。
「ええ、もちろん。トニー、私はあなたのこと信じてるし、あなたは私に夢中だって知ってるわよ」
と、両手に荷物を抱えたハッピーとソーが戻ってきた。
「ハッピーおいたん!!」
こちらも久しぶりに会うハッピーに、父親から離れた双子は彼を追いかけて行ってしまった。すると荷物を床に置いたソーが、ポケットから何か取り出した。
「見ろよ、トニー。俺とヴァージニアは恋人に見えるらしいぞ!」
ソーが取り出したのは、ヴァージニアとの写真が掲載された例のゴシップ誌。ニヤニヤと笑ったソーに、トニーもペッパーも苦笑した。
「そりゃよかったな」
得意げに鼻を擦ったソーは、トニーの背中を叩くと、笑いながら荷物を奥の部屋へと持って行った。
その夜。
双子を寝かしつけた2人は、寝室のベッドの上で抱き合っていた。
「1か月近く会えなかったから、寂しかったわ…」
甘えるように抱きついてきた妻を、トニーもギュッと抱きしめた。
「俺も。ジニーが恋しくて死にそうだった。だから、しっかり妻孝行させてくれよ」
「お願いね」
ふふっと笑い合った2人は、キスをしながらベッドに倒れ込んだ。
いつもは2日ほど経てば落ち着くゴシップネタなのに、今回は余程他にネタがないのか、落ちつく気配がない。
街中でロケをしているヴァージニアの元へもパパラッチは殺到しており、毎日のようにヴァージニアの写真がネット上には上がっていた。
離婚の理由も双方の浮気が原因から、撮影中のトニーが役になりきるあまり、家族との時間を蔑ろにし、ヴァージニアとの夫婦関係にヒビが入ったという、トニーに非がある報道へと変わっていた。
加熱する報道に、トニーもヴァージニアもいい加減うんざりしてきた。
「俺たちが2人で外に出て、キスでもすれば落ち着くか?」
ベッドの中で妻を抱きしめたトニーがそう提案すると、ヴァージニアは顔を顰めた。
「でも、逆に白々しいって書かれるかもしれないわよ?」
妻の言い分には一理ある。それならどうすればいいのかと、トニーが頭を捻っていると、
「それにね…」
と言いながら、身体を起こしたヴァージニアはトニーの身体に跨った。
「離婚の理由、あなたが家族との時間を蔑ろにしてとか出てるでしょ?事実無根もいいところよ。確かに撮影中のあなたは、役になりきっちゃうから、あなたはトニーなのか、その役なのか、家でも時々分からなくなることがあるわ。でもね、あなたと結婚する前から、それは分かっていたことだし、そういうところが私は好きなの。あなたを俳優として尊敬しているところでもあるし…。あなたは私や子供たちとの時間を何よりも大切にしてくれてるわ。家族との時間を持つために、あなたは出演する映画を選んでくれているのも、知ってるもの。だからね、世間がどう言おうが関係ないわ。あなたのことは私が一番分かってるんだから…」
「ジニー……」
妻の言葉に思わず目を潤ませたトニーは、彼女を抱き寄せた。
「俺は本当に最高の妻を娶ったんだな」
ヴァージニアの首筋に赤い印を刻みながら告げると、彼女はくすぐったそうに笑った。
「そうよ。今頃気づいたの?」
「そうらしい」
真顔で答えるトニーに、ヴァージニアは声を上げて笑った。
数週間後、ヴァージニアの撮影も終わり、一家はマリブへと戻った。トニーの怪我も治り、4人は庭やプールで遊んだりと、外には出かけないようにしていた。というのも、離婚報道はまだ収まる気配もなく、外出できなかったのだ。
そんな中、ヴァージニアが名案を思いついたとトニーに告げた。
「ナターシャの案なんだけど、私たちの公式SNSを開設したらどうかしら?」
「は?」
突然何を言い出すのかと、トニーはぽかんと妻を見つめた。
「ほら、TwitterとかInstagramとかよ」
SNSの意味が分からないと思ったのか、ヴァージニアは説明し始めたが、面倒だからやっていないだけで存在は知っていると、トニーは遮った。
「知ってるけどさ、俺がやるのか?」
うんうんと何度も頷いたヴァージニアは、溜息をついたトニーの横に腰を下ろした。
「私たちの会社の製作映画の宣伝もできるし、今の世の中、必要なツールよ。投稿するのは毎日じゃなくていいし。あなたが面倒な時は、私があなたの分を投稿してあげるから…」
確かに妻の言い分には一理ある。ネット社会の今、情報発信のツールは、SNSが主流なのだから…。
夫が納得したのを確認したヴァージニアは
「携帯、貸して」
と、手を差し出した。ヴァージニアに携帯を渡したトニーは、この件に関しては妻に任せようと、彼女の手元を覗き込んだ。
「とりあえず、Instagramだけでいいわよね」
そう言いながら、ヴァージニアはアプリをインストールすると、打ち込み始めた。
「アカウント名は何がいい?プロフィールに使う写真は?」
正直、何が何だかトニーはさっぱり分からない。
「適当にしておいてくれ。お前に任せる」
肩を竦めた夫に頷いたヴァージニアは、一番最近のポートレートで、彼女お気に入りのトニーの写真をプロフィール画像に設定した。
「はい、出来たわ」
トニーに携帯を返したヴァージニアは、自分の分もさっさと作ると、早速投稿しようとカメラを立ち上げた。
「じゃあ、記念すべき初投稿は…」
コーヒーを飲んでいるトニーに向けて携帯を向けたヴァージニアは何枚か写真を取ったのだが…。
「あ!これじゃ、ダメ!」
何やら叫んだヴァージニアに、一体何がダメなのかと、トニーは首を傾げた。
「どうしたんだ?」
彼女の携帯を覗き込んでみたが、ボヤけている様子もない。
「ちゃんと写ってるじゃないか?俺は相変わらずいい男だな」
茶化したように言うトニーを、ヴァージニアは軽く睨み付けた。
「ダメよ!これは、私だけのトニーなのよ!」
「は?」
頬を膨らませたヴァージニアだが、意味が分からないトニーは、ぽかんと口を開けたまま妻を見つめた。すると彼女は、唾を飛ばしながら夫に説明し始めた。
「前髪よ!前髪!家でしか前髪は下ろしてないでしょ?そういうあなたは、私しか見たらダメなの!」
目をパチクリさせたトニーだが、あまりにも可愛らしい妻の言葉に、腹を抱えて笑い出した。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないの…」
口を尖らせたヴァージニアは、悲しそうに目を伏せた。
「ごめん」
しょぼくれている妻の頭を撫でたトニーは、謝罪の言葉を口にした。すると顔を上げたヴァージニアは手を伸ばすとトニーの前髪をかきあげ、手早くセットした。そして写真を撮り直したが、何度撮っても普段すぎるトニーしか撮れないのだから、結局写真を撮る事は諦めた。
代わりに写真のフォルダーを漁ったヴァージニアは、数年前の写真だがお気に入りの一枚…背中しか写っていないが、モーガンとレニーを抱っこしあやしているトニーの写真と共に、『私の宝物。世界一愛する旦那様と子供たちよ💞 VS』と、書き添えて投稿した。
「これで離婚報道は消えるわ」
満足げに笑ったヴァージニアに、
「じゃあ、俺は……」
と、妻の肩を抱き寄せたトニーは携帯を掲げた。そして唇を奪うと何枚か写真を撮った。
「トニー?!」
真っ赤な顔をしているヴァージニアを後目に何やら打ち込んだトニーは、ヴァージニアに携帯を差し出した。
「投稿したぞ」
ヴァージニアが確認すると、キスをしている自分たちの写真…それも、いい具合にぼやけているので、直接は見えない写真と共に、”My only one💋”と、ご丁寧にもキスマークが入っているではないか。
「これで俺たちには離婚なんて縁遠いって分かるだろ?」
ニコニコ笑ったトニーだが、2人のアカウントはあっという間に世間に知れ渡り、それと同時に離婚報道も消え去ったとか…。
14.Parent! au
『トニー・スターク様。あなたの子です』
スターク・インダストリーズの門の前に置かれていた箱には、そっけないメモと共に産まれたばかりの赤ん坊が入っていた。
早朝出社した社員から赤ん坊のことを知らされたトニーは、半信半疑で赤ん坊と対面したのだが、栗毛色の髪の毛も大きな琥珀色の瞳も自分そっくりな赤ん坊に、これは本当に自分の娘だと納得せざるを得なかった。それでも念の為にDNA検査を行ってみたが、彼女は確かに自分の娘だと判定された。
「で、母親に心当たりは?」
ハッピーに聞かれたトニーは、首を傾げ考えるフリをした。が、一夜を共にした女性は星の数ほどいるし、名前どころか顔すら覚えていない。寧ろ、ハッピーの方が覚えているのでは…と考えたトニーだが、相手の女性が分かったところで、結婚する気もないし、それは向こうも同じだろう。
「ない。全くない。だが、この子は私の娘…。それだけは紛れもない事実だ」
小さく首を振ったトニーは、腕の中で眠ってしまった娘を見つめた。その瞳は、長年そばにいるハッピーですら、見たことがない優しい瞳だった。
自分の血を分けた小さな存在は、トニーの中で何よりも大切なものになった。それは、今までの生活を一変させてしまう程…。
『モーガン』と名付けた娘を、トニーは一人で育てることにした。が、料理も洗濯も何も出来ないトニーが一人で娘を育てるのは、どう考えても無理だ。ハッピーはもちろんのこと、トニーの親友のローディも、心配だと言い続けた。が、トニーは
「私を誰だと思っている。トニー・スタークだぞ?トニー・スタークに不可能はない!」
と、自信満々に言い切った。だが、その自信は、早くも2日目にして崩れさってしまい、トニーがどうしようかと途方に暮れていると、ハッピーが子守にどうかと、一人の女性を連れてやって来た。
「スタークさん、初めまして。ヴァージニア・ポッツです」
ヴァージニアと名乗った赤毛の美しい女性は鼻の上のそばかすが可愛らしく、何故か分からないが、トニーは今まで出会った女性とは違う感情を一瞬にして抱いてしまった。が、それに気づかぬふりをしたトニーは、咳払いをすると手を差し出した。
「ポッツくん、よろしく頼む。ハッピーから聞いているだろうが…」
「はい、事情は全て聞きました」
頷いたポッツをじっと見つめたトニーは、大きな目を何度か瞬かせた。
「ペッパーと呼んでいいか?君のニックネームだ」
出会ってまだ数分なのに、トニー・スタークはフレンドリーなのか、はたまた厚かましいのかしら…と思ったポッツだが、彼は今から自分の『雇い主』だし、『ペッパー』というニックネームも何となく気に入ったので、彼女は特に何も言わなかった。
住み込みで働き始めたペッパーに、モーガンはあっという間に慣れ、可愛らしい彼女に魅了されたペッパーもまた、本当の娘のようにモーガンを可愛がった。
ペッパーは料理も洗濯も掃除も得意なようで、トニーが帰ってくるまでに夕食の支度もしてくれた。
「助かるよ。一生モーガンにデリバリーを食べさせないといけないと覚悟してた」
美味い美味いと夕食を食べるトニーに、ペッパーは目を丸くした。
「本当に何も作れないんですか?」
手を止めたトニーはペッパーを見つめると頷いた。
「あぁ。一度3時間かけてオムレツを作ったが、出来上がったのは、ただの炭だった」
真顔で答えるトニーに、ペッパーは思わずぷっと吹き出した。
それからの日々は、トニーにとっては新鮮で心躍るものだった。帰宅すると「おかえり」と出迎えてくれる人がいるし、温かな夕食も用意されている。これが『家族』なのかと初めて知ったトニーは、いつしかその温もりを心の拠り所にし始めていた。
モーガンの初めての言葉は、『ぱぁぱ』だった。トニーは大喜びで、J.A.R.V.I.S.に命じ、何度も初めての言葉を記録した映像を再生させた。
そして翌日。モーガンに昼食を食べさせたペッパーは、彼女を昼寝させようと子供部屋へと向かった。
着替えをさせ、ベッドに入れた時だった。
「まぁま」
「え?」
ペッパーを指差したモーガンは、ニコニコと笑っていた。
「まぁま」
小さな手を叩いたモーガンは、もう一度ペッパーに向かってそう告げた。
「モーガン、私はあなたの……」
『本当のママじゃないのよ』
そう言うべきかペッパーは迷った。だが、モーガンは今や自分の娘同然だ。例え血は繋がっていなくても、モーガンは自分にとってかけがえのない存在になっていた。だからこれから何があってもモーガンと離れないと、ペッパーはとっくに決めていた。だが、それも全てトニー次第だ。もし彼が生涯を共にしたと思う女性が現れれば、自分の役目は終わりなのだから…。
何度も「まぁま」と呼ぶモーガンに、その時のペッパーは何も言えなかった。
だが、その夜…。夕食を食べていると、モーガンがペッパーを指差し叫んだ。
「まぁま!」
するとトニーが驚いたようにペッパーを見つめた。戸惑った表情を見せたトニーに、ペッパーは胸が痛んだ。
「ごめんなさい。私のことを母親だと思っているみたいで…。お昼寝する前から、今日はずっと言ってるんです」
と、トニーが嬉しそうな顔をした。もっとも一瞬で、ペッパーは気づかなかったが…。
慌てて咳払いをしたトニーは、ペッパーに向かって頭を下げた。
「いや、謝るのはこっちの方だ。母親ではないのに…」
トニーは娘を見つめた。
「モーガン、ペッパーはな、お前のマ……」
すると、ペッパーは首を振り、トニーの言葉を遮った。
「トニー、『ママ』で大丈夫です」
トニーは驚いた。ペッパーはモーガンの実の母親ではない。最も彼女は母親のようにモーガンと接してくれているが…。だが、母親でもないのに『ママ』と呼ばれることが、彼女の負担にならないのかと、トニーはずっと心配で堪らなかった。
「本当に…いいのか?」
そう尋ねると、ペッパーは大きく頷いた。
「はい」
ニッコリ笑ったペッパーの笑顔は本物で、トニーはホッと胸を撫で下ろした。
「そうよ、モーガン。ママよ」
ペッパーはモーガンの頬をくすぐった。すると、モーガンは満面の笑みで、トニーとペッパーを指差した。
「ぱぁぱ!まぁま!もーー!!」
キャッキャと笑いながら手を叩き続けるモーガンを、トニーとペッパーも笑顔で見つめた。
3人はまるで本当の家族のようだった。
モーガンを連れて公園に遊びに行ったり、買い物に連れて行くこともあった。そのため、スターク家の子守の存在は、すぐにマスコミに知られることになり、『スターク家の子守はトニー・スタークの新恋人?』と報道された。
「迷惑かけるな」
トニーはペッパーにそう謝った。と、ペッパーは胸がチクチクと痛んだ。自分たちはそういう関係ではないのに、どうして胸が痛むのだろうかと、ペッパーは考えた。が、迷惑だなんて思ったことは一度もないのだから、彼女はトニーに向かって微笑んだ。
「いいえ、迷惑なんかじゃありません」
すると、トニーがペッパーを見つめた。いつもと違い、熱っぽい瞳で…。ペッパーは胸がドキドキし始めた。トニーは黙ったままだが、次第にジワジワとペッパーの方へ近づいてきた。
ペッパーは動けなかった。むしろ、これから先に起こることに少しだけ期待してしまった。というのも、ここ最近、夢の中でトニーといつもキスをしていたから…。
(あぁ…そうね…。私…トニーのことが好きなのよ…)
ようやく自分の気持ちを認めたペッパーは、今や鼻がつきそうなくらいの距離まで迫ったトニーを迎え入れるように目を閉じた。
が…。
タイミング悪く、トニーの携帯が鳴り始めた。スッと身体を引いたトニーは、小さく舌打ちすると電話を出た。どうやら会社からのようで、トニーはそのまま部屋を出て行った。
結局2人の間にはその後何も起こらなかった。
が、もうすぐモーガンが1歳になる頃、些細なことで2人は大喧嘩をしてしまった。そして子守を辞めたペッパーは、家を出て行ってしまった。
後に残されたトニーは途方に暮れた。
モーガンを世話してくれるペッパーがいなくなったことではない。いつしかペッパーは、トニーにとって世界一大切な存在になっていた。そのペッパーがいなくなってしまったのだから、トニーは自分自身がこれからどうすれば良いのかと、不安になってしまったのだ。
すると、ドアの隙間から様子を伺っていたモーガンが、ちょこちょこと走ってやって来た。
「パパ…ママは?」
キョロキョロと辺りを見渡したモーガンに、トニーは首を振った。
「モーガン、ペッパーは…もういないんだ…」
モーガンは唇を尖らせた。
「ママ…………」
そう呟いたモーガンの目には、みるみるうちに涙が溜まり始め、彼女はトニーな抱きつくと号泣し始めた。
モーガンは何をやっても泣き止まなかった。娘を抱きしめたトニーは、自分も泣きたかった。
どうして彼女に気持ちを伝えなかったのだろうかと、トニーは後悔した。ペッパーにそばにいて欲しかった。娘の母親として…そして自分の………。
トニーは決意した。もし今からでも間に合うのなら、彼女にきちんと伝えようと…。
そこでトニーはモーガンを連れてペッパーの家に向かった。
3時間ほど前に喧嘩別れしたトニーがやって来たのだから、ペッパーは戸惑った。
「ママ!」
駆け寄ってきたモーガンを身体をかがめて抱きしめたペッパーだが、彼女はトニーの顔を見ることが出来ず、俯いたままだった。
するとトニーは、深々と頭を下げた。
「ペッパー。すまなかった。モーガンが泣き止まないんだ。君のことを恋しがって…」
言葉を切ったトニーは顔を上げた。そしてまだ俯いたままのペッパーを見つめた。
「私もだ…」
「え…」
ペッパーは顔を上げた。一瞬、トニーの言葉は信じられなかった。トニーは一度もそれらしきことは言ってくれてなかったから…。
唇を震わせるペッパーを見つめたトニーは、とても優しい瞳をしていた。
「君のことが恋しくてたまらない。モーガンよりも私の方が君のことが恋しくて堪らないだろうな…。君がそばにいてくれる…当たり前の生活になっていた。だから君は私とモーガンと、ずっと一緒にいると思っていた。だが、きちんと伝えなければならなかったんだ。伝えなかった私が悪かった…」
ふぅと深呼吸をしたトニーは、一段と優しい笑みを浮かべた。
「愛してる。君のこと…ペッパーのこと、愛してる。世界一…いや、宇宙一愛してる…」
何度か瞬きしたペッパーの目から涙が溢れ落ちた。そしてポロポロと大粒の涙を流し始めたペッパーは、モーガンを抱きしめたまま、泣いた。
トニーはペッパーの横に座った。そして不思議そうな顔をしているモーガンの頭を撫でた。
「だから…この子の本当の母親になってくれないか?結婚してくれ…。ずっと私のそばにいてくれ…」
頷いたペッパーはトニーに抱きついた。最愛の女性を力一杯抱きしめた。そして、ニコニコ笑っているモーガンに向かって、トニーはウインクした。
それから3年後。
湖のそばにある家の庭では、モーガンが走り回って遊んでいた。
「モーグーナー!昼飯の時間だぞ!」
父親の声に、モーガンは家の中に駆け込んだ。
「ママ!きょうのおひるはなに?」
「パパの好きなカルボナーラよ」
キッチンでは母親がランチの用意をしていた。父親も手伝っているが、料理が出来ない父親は、邪魔しないでと母親にいつも怒られているのを、モーガンは知っている。
モーガンはダイニングテーブルのそばに置かれたゆりかごに駆け寄った。中では生まれたばかりの女の子が眠っていた。赤ん坊…つまり妹の頬をくすぐったモーガンは椅子に座ると、母親の作った美味しいカルボナーラを食べ始めた。
16.supernatural! au
その国には昔からの言い伝えがあった。
森の奥深くには魔物が住んでおり、この国を守っている。おかげでこの国は他国から攻め込まれることもなく、何百年も平穏な日々が続いている。だがその代わりに、毎年美しき穢れない乙女を捧げなければならない。もし捧げ物が途絶えれば、魔物の怒りに触れ、この国は…いや、世界が破滅するというのだ。
その生贄に今年選ばれたのは、とある村にいるヴァージニア・ポッツという、16になったばかりの少女だった。少女の家は貧しく、ヴァージニアは満足に学ぶことすらできなかった。が、優しく聡明な彼女は、村の皆に可愛がられていた。学校で学ぶことのできない彼女に、村の教会の神父は、時間を見つけては読み書きを教え、本を貸していた。そのため、ヴァージニアは学校へ行くことはできないが、本を通じて世界を広げていた。
そのため、ヴァージニアが生贄に決まったと、王の使者が村にやって来た時、村人は嘆き悲しんだ。だが、生贄になれば、両親には多額の金が国から支給され、生涯保証されると知ったヴァージニアは、両親とそして妹や弟たちのために、喜んで生贄となると告げた。
そしてその日がやって来た。
豪華なドレスに身を包んだヴァージニアは、両親と別れを告げると、籠に乗せられ森へとやって来た。森の奥深くへと進むにつれ、辺りは闇を増していき、獣の声も聞こえて来た。身震いしたヴァージニアだが、これも自ら選んだ道だと言い聞かせた。
真っ暗な森の中、ヴァージニアは1人ぽつんと取り残された。不気味なほど静かな空間なのに、何故かヴァージニアは心が落ち着いた。
と、その時だった。
背後でガサッと音がした。
ついに命が奪われる…そう考えたヴァージニアは神に祈った。
すると…
「怖がらなくていい」
と、優しげな男性の声がした。恐る恐る振り返ると何かがいた。
「だ、誰……」
誰かいるのに、暗くてその姿はよく見えない。震えるヴァージニアにゆっくりと近づいてきた男性は、手を伸ばし額に触れた。すると、ヴァージニアはすぅと意識が遠のいた……。
***
暖かな光に目を開けると、そこはあの暗闇の世界ではなく、明るく光に満ち溢れた世界だった。
一瞬ここは天国かしら…と思ったが、どこかの森の中のようだ。小鳥の囀りも聞こえるし、風で木々が揺れる音もする。あの鬱蒼とした森とは別世界のような場所で、フワフワの草の上に綺麗な織物が敷かれおり、ヴァージニアはその上に寝かされていた。そばには透き通るような湖があり、立ち上がったヴァージニアは湖に近づくと、1口2口水を飲んだ。
「気がついたか?」
あの男性の声が聞こえたため、ヴァージニアは振り返った。いつの間にか背後には、声の主が立っていた。年は20代半ばだろうか…。自分より随分年上の男性は、笑みを浮かべているのだが、どこか緊張した面持ちをしていた。
「あ、あなたは…」
恐る恐る尋ねると、男性はニコッと笑った。
「トニー・スターク。トニーと呼んでくれ」
優しく煌めく魅力的な瞳に、ヴァージニアは人目で魅了されてしまった。つまり、一瞬にしてヴァージニアは、トニーと恋に落ちてしまったのだ。頬を真っ赤に染めたヴァージニアは、慌てて立ち上がった。
「ヴァージニア・ポッツです」
すると、トニーの方も同じ気持ちなのか、彼は満面の笑みで頷いた。
「気に入った。お前のこと、気に入った。初めてだ。これで終わりだな。今までのオンナは、正直口に合いそうになかった。だが、お前なら…」
トニーの言葉にヴァージニアは目を見開いた。つまり彼はあの魔物なのだ…。そう悟ったヴァージニアは、悲鳴を上げそうになったが、恐怖のあまり声どころか、涙すら出ない。
生贄になった女性たちは、誰1人戻ってこなかった。口に合わなかったということは、目の前の魔物は噂通り、生贄を食らって生きながらえているのだろう。
ヴァージニアは逃げようとした。が、足がすくんで動けない。そうこうしているうちに、魔物はどんどん近づいてきた。
最早これまで…と覚悟を決めたヴァージニアは目をぎゅっと閉じた。が、ふわっと甘い香りが鼻先を漂い、覚えのある香りに彼女は恐る恐る目を開けた。すると魔物…いや、トニーが目の前に跪いており、美しい薔薇の花束を自分に向かって差し出しているではないか。
「え……」
目をパチクリさせているヴァージニアに、トニーは首を傾げた。
「人間の男は、求婚する時、花を捧げるだろ?」
「え……求婚……って………」
伝え聞いていた話とは、どうも違う。ポカンと見つめてくるヴァージニアに、トニーは眉をひそめた。
「お前は俺の妻になるのだろ?だから求婚している」
当然と言わんばかりに告げるトニーに、ヴァージニアは口をポカンと開けたままだ。
聞き伝えられている話とはどうも様子が違う。生贄になると聞いているが、花嫁に…という話は聞いたことがない。
「わ、私は…生贄ですよね……」
やっとの思いで尋ねると、トニーは不思議そうに首を傾げた。
「生贄ではない。俺の花嫁だ」
「…私が…断ったら…?」
「何度でも求婚する。俺はお前のことが気に入った」
キッパリと言い切ったトニーだが、気になるのは今までの『生贄』とされてきた大勢女性たちの行方。
「い、今までの女の方は…」
するとトニーは肩を竦めた。
「結婚したいと感じたオンナは誰一人いなかった。だから家に帰そうとした。こんな森の奥深くだ。迷子になるのは目に見えている。だから、俺が村まで送ると言ったのに、彼女たちは勝手に帰ってしまい、森の中で迷い、皆、命を落とした」
ヴァージニアの頭の中は大混乱。つまり今までの生贄とされた女性たちは、魔物の手にかかり命を落としたのではないということだ。
「た、食べたんじゃないんですか?!」
思わず叫んだヴァージニアに、トニーは目を見張った。
「俺が人間を食べる?誰から聞いた?」
「言い伝えです。もう何百年も前からの…」
何度か瞬きをしたトニーは、ブッと吹き出すと、腹を抱えて笑い出した。
「俺が?面白いことを考えるな」
ハハハと笑い声を上げたトニーは、笑いすぎて目に浮かんだ涙を拭った。
「確かに俺は何百年と生きている。この国を作ったのは俺だ。だが、俺には国は治められない。そこで人間の男に国を治めさせることにした。俺は影から国を守る。その代わりに、俺にふさわしい花嫁を求めた。人間の王は毎年俺の元に女を遣わした。だが、なかなか巡り会えなかった。花嫁とし、生涯を共にしたいと思う女には…。それがお前を一目見た時から、俺は恋に落ちた。お前のことは俺が守る。何があっても絶対に…。お前を目にした瞬間、そう感じたんだ」
トニーの力強い瞳に、ヴァージニアはドキっとした。今まで他人からこんなにも求められたことはなかったから…。
潤んだ瞳で見つめてくるヴァージニアに、気持ちを落ち着けるようにトニーは軽く咳払いをした。
「俺と共になれば永遠の命を与えよう。その美しき姿のまま、お前は俺と永遠に生き続ける。どうだ?」
ヴァージニアはトニーにすっかり心を許していた。そして彼のそばにいてあげたいと思い始めていたのだ。それに、ここで結婚せずに村に帰れば、逃げ出した生贄と言われ、どんな目に合うか分からない。あの村には自分にはもう居場所はない。自分はもう『死んだ』人間なのだから…。
「…分かりました。あなたのお嫁さんになります」
囁くように告げたヴァージニアに、すぅと近づいたトニーは、彼女の頬を両手で包みこんだ。そして真剣な眼差しになった彼は、ヴァージニアをじっと見つめた。
「ヴァージニアよ…お前は永遠に俺のものだ…」
トニーはヴァージニアの唇にキスをした。すると唇越しに何かが伝わってきた。と同時に、ヴァージニアの身体が温かな光に包まれた。とても心地よく、そして安心できる光に包まれたヴァージニアは、知らず知らずのうちに、トニーの服をキュッと握りしめた。永遠とも思えるような甘ったるいキスに、ヴァージニアは頭がぼんやりとしてきた。身体中のチカラが抜けた彼女から唇を離したトニーは、妻となった女性の華奢な身体を抱きしめた。
「これでお前は俺の妻となった。そして永遠の命を宿した…」
ヴァージニアが小さく頷いたのを確認すると、トニーは手をかざした。すると湖のそばに可愛らしい屋敷が現れた。そしてヴァージニアを抱き上げると、トニーは家の中に入った。
「お前の家だ。使用人もいるから、何かあれば彼らに言ってくれ」
家の中は沢山の花が飾られ、豪勢な家具が置かれていた。玄関ホールだけでも元の自分の家ほどある広大な屋敷に、ヴァージニアは珍しそうにキョロキョロと辺りを見渡した。トニーの言葉通り、使用人も数人見かけた。が、彼らもまた人間ではないようだ。
「トニー様は…」
「トニーと呼んでくれればいい」
トニーの言葉に頷いたヴァージニアは、先程から気になっていたこと…つまり、この家は真新しく生活感を全く感じられないことを尋ねてみることにした。
「では…。トニーはこの家で暮らしていらっしゃるんですか?」
するとトニーは首を振った。
「ここはお前のために作った。俺の身体にここは狭すぎる」
自分と同じくらいの背丈なのに、一体どういうことなのだろうかと、ヴァージニアは首を傾げた。するとトニーは、肩を竦めた。
「これは俺の本当の姿ではない。人間と会う時の姿だ」
「えっ?!!」
目を見開いたヴァージニアは、余程の驚いたのか、言葉を失い口をパクパクしている。が、彼女からは恐怖というものは全く感じなかった。そのため、彼女ならば自分の本当の姿を受け入れてくれるかもしれないも感じたトニーだったが、初日からそうする程、彼も愚かではなかった。
「安心しろ。お前の前にはこの姿で現れる。だが、この姿は半日しか保てない。お前はここで暮らし、俺は毎日ここを訪れる」
と、トニーが大きなドアの前で立ち止まった。彼が手をかざすと、ドアは勝手に開いた。
部屋の中央には、大きなベッドが置いてあり、これから夫婦の契りを結ぶのだと気付いたヴァージニアは、顔を赤らめた。
……
翌朝、ヴァージニアが目覚めると、トニーはいなかった。だが、左手には指輪が嵌っていた。見たことがないような綺麗な宝石が光る指輪を、ヴァージニアは愛おしそうに撫でた。
夕方になるとトニーはやって来た。彼はいつも何かしら手土産だと持って来てくれた。綺麗な花だったり美味しい果物だったり…。トニーは優しかった。そして彼は面白い話を聞かせてくれた。何百年と生きている彼は博学で、ヴァージニアはトニーの話を聞くのが楽しみで堪らなかった。そして彼は優しくヴァージニアを愛した。毎晩彼の力強い腕に抱かれ、ヴァージニアはトニーが自分のことを心から愛してくれていると感じた。
そのため、1週間も経つ頃には、ヴァージニアは心からトニーのことを慕うようになっていた。
1ヶ月後。
その日も中で果てたトニーは、ヴァージニアの胸元に顔を埋めると、息を整えた。
トニーの髪を撫でながら、ヴァージニアは彼の温もりを目を閉じ堪能した。
出会ってすぐに惹かれるものがあった。心の底から愛したのは、彼が初めてだった。それ故に、彼が人外の者ということは、とうの昔に忘れてしまった。
ヴァージニアは、トニーのことが愛おしくてたまらなかった。そしていつしか思うようになった。彼と家族を増やしたいと…。
「ねぇ…あなた…」
ヴァージニアの声にトニーは顔を上げた。
「どうした?」
首を伸ばしヴァージニアにキスをしたトニーは、コロンと彼女の隣に横になった。そして腕を伸ばし妻を腕の中に閉じ込めた。
「何か必要な物があるのか?何でも言ってみろ」
甘ったるい声で囁かれ、ヴァージニアはうっとりと目を閉じた。
「あなたの赤ちゃんが欲しいです」
子供と聞いたトニーは顔を顰めた。それも、とても悲しそうに…。
「それは無理だ。この姿のまま交わっても、子はできぬ…。だが、本当の姿の俺と、人間のオンナは交われない」
暫くしてトニーからそう告げられたヴァージニアは、顔を上げると彼を見つめた。
「でも…私はあなたを愛してます!ですから…」
『何か方法があるはず…』
そう続けようとしたヴァージニアだが、トニーは遮るように口を開いた。
「愛の問題ではない。お前が俺のことをどれ程愛してくれているかは分かっている。だがな、いくらお前が俺のことを愛してくれていても、本当の姿の俺を人間のオンナの身体では受け止められないんだ」
トニーは辛そうに、そして切なそうに顔を歪めた。
トニーの本当の姿…ヴァージニアはまだ一度も見たことがなかった。どんな姿でも受け入れる覚悟は、共になると決めた時から持っているつもりだが、トニーに見せて欲しいと告げたことは一度もなかった。だが、夫婦になり一月。そろそろ聞いても良いかもしれない…。
「…本当のあなたの姿って…」
そう尋ねると、トニーは首を振った。
「見ない方がよい」
あまりに物悲しいトニーの声に、ヴァージニアは気づいた。
彼は何百年と孤独だった。本当の自分の姿を受け入れてくれる人が誰一人いなかったから…。だから彼は恐れている。本当の姿を見せることで、ヴァージニアも逃げ出してしまうかもしれないと…。
「本当のあなたを見ても、私は絶対にあなたを裏切ったりしません。私はあなたを愛しています。心の底から、あなただけを…。ですから、トニー…私のことは信じて下さい…」
ヴァージニアの必死の説得にも、トニーは首を縦に振らなかった。だが、彼女の必死さに根負けしたのか、翌朝、ヴァージニアが目覚めると、トニーがベッドに腰掛けていた。そして朝食を共に食べると、トニーはヴァージニアの手を取り立ち上がった。
「ヴァージニア、行くぞ」
「どちらへ?」
するとトニーは、ヴァージニアを見つめた。その瞳には彼の決死の覚悟が見られ、ヴァージニアは思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
「本当の俺を見たいのだろ?ここでは無理だ」
トニーは相当な覚悟と勇気をもって、自分の本当の姿を見せようとしている…。何があっても彼のことを受け止めようと覚悟したヴァージニアは、トニーの手を握り返すと黙って頷いた。
松明片手に歩き始めたトニーは、森の奥深くに向かった。どのくらい歩いたのか定かではないが、どんどんと暗くなっていく森に、ヴァージニアは身震いした。
暫く歩くと、大きな洞窟が目の前に現れた。
「ここが俺の家だ」
中に家があるのかと覗き込んでみたが、洞窟の中は真っ暗で何も見えない。
「洞穴ですよ?」
首を傾げるヴァージニアに、トニーは少しだけ笑みを浮かべた。
「呼ぶまで待っていろ」
そう言うと、ヴァージニアに松明を渡したトニーは、洞窟の中に入って行った。
しばらくすると、ピュウと生暖かい風が洞窟の奥から吹いてきた。そして風に乗り、『ヴァージニア…』と、トニーの呼ぶ声が聞こえた。
ヴァージニアは恐る恐る中に入って行った。
洞窟の中には何かがいる…。だが、気配はするが姿は見えない。
「トニー?」
そっと呼びかけると、獣のような唸り声がした。
ヴァージニアはゆっくりと足を進めた。そして、奥を照らすように松明を掲げた。
すると、それは姿を現した。
ヴァージニアは悲鳴を上げそうになった。
そこにいたのは、漆黒の生き物だった。
自分の何十倍もの大きさのそれは、空想の世界の本で読んだドラゴンと呼ばれるものそっくりだった。
これがトニーなのかと、ヴァージニアはパニックになりそうになった。が、ドラゴンは優しい瞳でヴァージニアを見つめた。琥珀色の瞳はトニーと同じだった。
「トニー…?」
そっと呼びかけると、ドラゴンは頭を低くした。手を伸ばしたヴァージニアは、ドラゴンの鼻に触れてみた。するとドラゴンは、まるで猫のように喉を鳴らした。
間違いない。これはトニーだ。ヴァージニアの愛する、たった一人の男の正体は、ドラゴンだったのだ。
「トニー…あなたは……ドラゴンなの?」
瞬きしたドラゴンは、そうだというように小さく鳴き声を上げた。
「言葉は話せないの?」
ドラゴン…いや、トニーは困ったように首を傾げると頷いた。ヴァージニアは黙ったままだ。口をポカンと開けて、固まってしまったヴァージニアに、トニーは何度か瞬きをした。そして再び小さく声を上げると、俯いてしまった。
人間の言葉は話せないが、こちらの話すことは理解できるらしい。だから一方的とはいえコミュニケーションを取ることはできるが、確かにこれではあの家で共に暮らすことはできないし、愛し合うことなど出来ない。トニーの言う通り、愛が問題ではないと悟ったヴァージニアは、ようやく我に返ったが、見るとトニーはしょぼくれているではないか。
「私があなたのこと、嫌いになったと思ってます?」
俯いたまま頷いたトニーの目には涙が溜まっており、ヴァージニアはトニーの鼻にキスをした。
「嫌いになる訳ないわ。私はあなたの心に惹かれたの。だからあなたがドラゴンでも、私のあなたへの愛は変わらないわ」
すると、パッと顔を輝かせたトニーは、嬉しそうに声を上げた。そして起き上がると、入り口へ向かった。
何事だろうかと、ヴァージニアは慌ててトニーを追いかけた。
外の明るい場所で見ると、トニーの姿は神々しいまでに美しかった。本で見たドラゴンの絵は、恐ろしい生き物として描かれていた。だが、漆黒の身体も翼も、トニーは何もかもが美しかった。ヴァージニアが惚れ惚れしていると、トニーは身体を低くし、小さく吠えた。
「背中に乗ればいいんですか?」
頷いたトニーは、ヴァージニアが乗りやすいように、更に身体を低くした。ヴァージニアが背中によじ登ったのを確認すると、トニーは翼を動かし、空へと飛び立った。
「きゃっ!」
落ちないように、ヴァージニアはトニーの背中にしがみついた。が、トニーはヴァージニアが怖がらないように、ゆっくりと飛び始めた。
「す、凄い!」
初めて見る上空からの森の様子に、ヴァージニアは目を輝かせた。ぐるりと辺りを回ったトニーは、再び洞窟に戻ると、背中から降りたヴァージニアの頬を舌でペロリと舐めた。
「トニーはいつもあんなに素敵な景色を眺めているんですね」
興奮気味に話すヴァージニアを、優しい瞳で見つめていたトニーは、座り込むとヴァージニアを翼で優しく包み込んだ。
トニーの翼は、鱗のようなものに覆われた硬い身体とは違いフワフワしていた。その温かさに、すっかり安心しきったヴァージニアは、そのまま眠ってしまった。
ヴァージニアが目覚めると、そこはいつもの寝室のベッドの中だった。トニーが連れて戻ってきてくれたのだろうが、彼の姿は見えなかった。
あの洞窟に行ってみようかと思ったが、いつも夕方にはやって来るのだから…と、待つことにした。
夕方になりやって来たトニーは、ヴァージニアと顔を合わせるや早々、
「驚いただろ?」
と告げた。
頷いたヴァージニアだが、あの神々しい姿を思い出した彼女は、頬を赤らめるとトニーにそっと抱きついた。
「ですが…あなたの美しい瞳と温もりは、今の姿のあなたと同じでした。それにとても美しかったです。今のあなたもですけど、あの姿のあなたは、今まで見たことがないほど、美しかったです」
ベタ褒めする妻の言葉に、トニーは嬉しそうに笑った。が、それはすぐに寂しそうなものになった。
「だが、分かっただろ?本当の俺とは交われない理由が…」
心なしか泣き出しそうな顔をしているトニーに、ヴァージニアは一日中、ずっと考えていたことを告げてみることにした。
「私もあなたと同じ姿になればいいのではないですか?」
「は?」
トニーが眉をひそめた。
「ヴァージニア…お前は魔物になりたいのか?」
信じられないというようなトニーに、ヴァージニアは首を振ると彼の手を握りしめた。
「あなたは魔物ではありません。ただ、人間とは少し違う姿をされているだけです。私、あなたとずっと共にいたいんです。1日たりとも離れたくないんです。ですから、あなたと同じ姿になれば、ずっと一緒にいることができます。言葉も通じます。それに、可愛らしい子供も…」
トニーは何も言わなかった。
が、翌日、夕方になってもトニーはやって来なかった。次の日も、その次の日も…。
何かあったのかもしれないと心配になったヴァージニアは、あの洞窟へ行ってみることにした。
「トニー?」
入口からそっと呼びかけると、微かに唸り声がした。それも弱々しい声が…。そして風に乗り、血生臭い匂いもするのだから、顔色を変えたヴァージニアは、中へと走った。
「トニー!」
叫びながら奥へ向かうと、トニーはいた。傷つきボロボロになったトニーが…。
翼は折れ、片方は無残にもちぎれかけている。身体中には沢山の矢が刺さり、何かでえぐられたような傷口からは、大量に出血しており、辺り一面血の海と化しているではないか。
「トニー…何があったんですか?!」
慌てて駆け寄ったヴァージニアは、服が血だらけになるのもお構いなしに、トニーの横に跪いた。
荒い息をしているトニーは、薄らと目を開けた。そして弱々しい小さな声で鳴いた。
「トニー……」
ボロボロと涙を流し始めたヴァージニアの顔を、舌を出したトニーはペロリと舐めた。
まるで泣くなというように…。
そしてトニーはゆっくりと目を閉じた。
「トニー…?」
動かなくなったトニーに、ヴァージニアはすがり付いた。
「トニー…トニー……お願い……私を置いて…いなくなったりしないで…。あなたのこと…愛してるんです…」
涙は止まらなかった。ヴァージニアの涙は、トニーの身体に降り注いだ。
すると、声が聞こえた。
「こいつを助けたいか?」
聞いたことのない声に、ヴァージニアはその場で飛び上がった。
「だ、誰?!」
キョロキョロと辺りを伺うと、いつの間にか一人の男が目の前に立っているではないか。
ハンマーを持った男は、見慣れない格好をしており、どう見てもこの国の者ではなさそうだ。
もしかしたら、男性はハンターか何かで、トニーをこんな目に合わせた張本人かもしれない…。それならば、これ以上トニーを傷つけさせてはならないと、ヴァージニアは男性を思いっきり睨みつけた。が、男性は目を細めると、小さく笑みを浮かべた。
「神だ。ソーと呼んでくれ」
「神様?!」
教会に掲げてある神の絵とは似ても似つかないソーと名乗った神に、ヴァージニアは驚きのあまり言葉を失っている。そんなヴァージニアを見つめたソーは、ハンマーを地面に置いた。
「スタークを愛しているのだろ?」
これは試されているのでは…と思ったヴァージニアは、勢いよく立ち上がった。
「は、はい!死ぬほど愛してます!トニーは私の全てです!トニーのためなら、私、彼と同じようになってもいいと思ってます!」
唾を撒き散らしながら熱弁するヴァージニアに、ソーは思わず苦笑した。
「落ち着け。お前がスタークのことをどれだけ愛しているかは知っている。スタークもお前のことを愛している。何百年と生き続けたスタークが初めて愛した女がお前だ。スタークは元々人間で……」
「え?!トニーが?!」
トニーは元々人間だったと聞き、ヴァージニアは驚きのあまり腰を抜かしそうになった。ヘナヘナとその場に座り込んだヴァージニアに、ソーは片眉を上げるとトニーを見つめた。
「聞いてないのか?スタークもきちんと話をしておけ…」
ブツブツと文句を言ったソーは、説明しようと前置きすると、近くの岩に腰を下ろした。
「スタークは元々人間だ。何百年も前の話だ。スタークは、病気の母親の命を救おうと、森の奥深くにある泉へとやってきた。その泉は願いが叶うという言い伝えがあったからだ。だが、森は恐ろしいところだ。今まで誰1人たどり着いたことはなかった。だが、スタークは辿り着いた。そして水を汲み帰ろうとした。が、それは神の泉だった。神は問うた。その水はお前にやる。だが、代わりに何か置いていけと…。自分は貧しいため、何も持っていない、だから自分の命を差し出すとスタークは告げた。健気な男だろ?貧しさにも負けず、スタークの心は純真無垢そのものだった。そこで神は、スタークの命を奪う代わりに、永遠の命を与え、この地を守るよう告げた。スタークは水を持ち帰った。母親は回復したが、スタークは神との約束通り、この地を守る者になった。が、人間の姿では永遠の命を保てない。そこでスタークの姿はあのように変化してしまった」
「そうだったんですか…」
ソーの話に、ヴァージニアは気づいた。時代も背景も何もかも異なっているが、トニーは自分と同じだったのだと…。家族のために自らを犠牲にしようとした姿は、自分と同じだったのだと…。お互い惹かれ合ったのは、もしかしたらそれが理由だったのかもしれない。だが、そのトニーがどうしてこれ程まで傷ついているのだろうか…。
「ですが、どうしてトニーはこんな酷い目に…」
ちらりとトニーに視線を送ったソーは、ヴァージニアを見つめた。
「お前のためだ。スタークは神の国に乗り込んできた。『いい加減、務めは果たしたはずだ。永遠の命は要らぬ。返すから、人間に戻してくれ』と、スタークは言いに来た。そして、懇願した。人間の女に恋をした。夫婦になった。このままでは彼女と添い遂げることは出来ない。だから人間に戻りたいと…。スタークと契約したのは、わが姉上だ。姉上は短気で血の気が多くてな…。怒り狂った姉上は、スタークを殺そうとした。父上と母上がいれば、こんなことにはならなかっただろうが…昨日までお二人とも旅行に行かれていて、不在だったんだ…」
ふぅとため息を吐いたソーは、やれやれと首を振った。
「姉上は父上と母上にこっ酷く叱られた。スタークが姉上と交わした契約は、100年間だったが、姉上は我々の目を欺き、何百年とスタークを縛り付けていたんだ。スタークとの契約は解除した。そして姉上の代わりに俺が謝罪にきた。すまなかった」
頭を下げたソーは立ち上がると、トニーに近づいた。そしてトニーの鼻をそっと撫でた。
「スターク…俺だ。ソーだ。お前の願い、叶えに来たぞ…」
すると、トニーが少しだけ目を開いた。そして苦しそうに小さく声を上げた。
「あぁ、すまなかった。姉上が逆上するとは思わなかったんだ。姉上はお前を気に入っていたからな。文句はお前が元気になったらいくらでも聞く。だからこれを食べろ」
ソーは懐から光り輝く物を取り出した。そしてトニーの口に押し込んだ。するとトニーの身体が光り始めた。傷口はみるみるうちに癒え、折れていた翼も元通りになった。そして、大きく息を吐いたトニーは、すぅすぅと寝息を立て始めた。
「明日の朝には元気になっているだろう。それから、命のある人間にも…」
眠るトニーの頭を撫でたソーは、安心したように息を吐いたが、トニーが人間に戻ると聞いたヴァージニアは、ソーに駆け寄ると彼の腕を掴んだ。
「あ、あの!トニーのお嫁さんになった時、永遠の命を与えると言われました。私だけそんなに長生きしても困るんで、何とかして下さい!」
またしても物凄い剣幕に、ソーは目をぱちくりさせていたが、笑い始めた。
「それは嘘だ。お前はただの人間だ。だから命に限りはある。スタークはお前に魔法をかけたんだ。森の中には何がいるか分からない。スタークがそばにいない時でも、お前が安全に暮らせるように…」
自分には永遠の命が備わっていないと知ったヴァージニアは、よかったと胸を撫で下ろした。するとソーが、ヴァージニアの肩をぽんっと叩いた。
「ところで、ヴァージニアよ。お前は料理が得意か?」
「はい」
頷いたヴァージニアに、ソーはニヤッと笑った。
「それはよかった。スタークが元気になったら、お前の料理を食べさせてくれ。それが礼の代わりだ」
ガハハと笑ったソーはハンマーを振り回しながら、外へと出て行った。
ソーを見送ったヴァージニアは、トニーのそばに腰を下ろした。
「トニー、私がそばにいます。ですから、今はゆっくり休んで…」
トニーに抱きついたヴァージニアは、そっと目を閉じた……。
……
翌朝。
ヴァージニアは頬を擽る感触に目を覚ました。ゆっくりと目を開けると、人間の姿をしたトニーが頬を撫でているではないか。
「おはよう、ヴァージニア…」
笑みを浮かべたトニーは、ヴァージニアにキスをした。
「トニー……」
トニーは怪我もしておらず、元気だ。
涙が止まらなかった。トニーが元気なってくれたこと、人間に戻ることができたこともだが、これからも共にいることができるという喜びを抑えることができなくなったヴァージニアは、泣きながらトニーに抱きついた。
泣き続ける妻の背中を、トニーは撫で続けた。
暫くして落ち着いたヴァージニアは、涙を拭うとトニーを見つめた。
「ソー様から聞きました。あなたが何故あのような姿になっていたか…」
2、3度瞬きしたトニーは、大きく息を吐いた。
「そうか…。いつかお前に話さねばと思っていたが…」
そう言いながら座り直したトニーは、話し始めた。
「あの頃俺は、母と弟や妹たちと暮らしていた。父を数年前に流行病で亡くし、長男の俺は父の跡を継ぎ、鍛冶屋で生計を立てていた。だが、俺の下には5人も弟と妹がおり、生活は決して豊かではなかった。そんなある日、村1番の金持ちの男が母に恋をした。男は母に結婚を申し込んできた。もちろん俺たちの面倒も見ると約束してくれた。その時、俺は25だった。だから、俺は一人で独立することにした。俺は村を出て、国一番の鍛冶屋に修行に行くことになった。そんな中、母が倒れた。ここで母が死ねば、弟と妹たちは路頭に迷うことになる…。母の病の原因は医者にも分からなかった。俺は母を救う方法を必死で考えた。そして思い出した。村には昔からとある言い伝えがあることに…。森の奥深くにある、願いが叶う泉の話を思い出したんだ。だが、願いが叶う代わりに、大きな代償を払わなくてはならないという話も…。俺には金も何もない。だから母を助ける代わりに俺の命を捧げようと決め、泉に向かった。何日もかかり辿り着いた泉には女神がいた。俺は女神に頼んだ。母を救う代わりに、俺の命を奪ってくれと…。だが、女神は何故か俺のことを気に入ったんだ。『命は要らぬ。だが、私の気に入る姿になり、永遠に生き続けろ』と言われた。俺は死なずに済んだと喜んだ。母も助かり、俺は嬉しくて、女神との約束を忘れていた。つまり、すぐには戻らなかったんだ。森から戻り5日後、女神が俺の前に現れた。そして俺をここへ連れて来た。『約束を果たして貰おう。永遠の命を与える代わりにこの地を守れ。だが、その姿のままにしておくことは出来ぬ。私好みの醜い獣になってもらおう』そう言いながら、女神は俺に杖を向けた。俺の意識はそこで途絶えた。次に目が覚めた時、俺はあの姿になっていたんだ。湖に映った姿に絶望したよ。俺は人間ではない、魔物になっていたんだから…」
ふぅと息を吐いたトニーは、洞窟を見渡した。
「母や弟たちは、失踪した俺を探しに森に毎日やって来た。村の仲間も大勢…。何ヶ月も皆は俺のことを探してくれていた。だが、この姿では会えないと、俺はこの洞窟に身を隠した。人間なのに、人間の言葉も喋れないんだから…。この姿のまま、永遠に生き続けなければならないのかと、俺は毎日泣いた。半年も経つと、皆は俺の捜索をやめた。死んだと諦めてくれたんだと俺は少しだけほっとした。だが、孤独だった。こうやって俺のことは忘れられるんだと思うと…。俺はここに閉じこもった。気づけば何十年も経っていた。そんなある日のことだ。あの女神が俺の前に現れた。そして国を作れと告げた。広大な国を作り、人間に治めさせろと…。俺は久しぶりに外に出た。そして生まれ故郷の村へと向かった。村は荒廃していた。いや、村だけではなく、国全体が焼き尽くされていた。聞けば、これが引きこもっている間に、大きな戦が何度も起こり、この辺り一帯は破壊し尽くされたらしい。そこで俺は、森を切り開き、土地を作り、国を作った。そして一人の男に国を託した。だが、人間に会うのに、あの姿では驚かれるだろ?女神は俺に魔力を与えてくれた。そこで俺は人間だった頃の姿になり、王となった男に会った。感謝した王は、何でも望むものを毎年捧げると俺に約束した。俺は人間が恋しかった。誰かにそばにいて欲しかった。そこで俺は王に告げた。『花嫁が欲しい』と…。すると王は美しい女を俺の元に遣わせた。俺はあの姿のまま女に会ったが、女は恐怖のあまりその場で死んだ。王はそれからも毎年女を次々と送り込んできた。だが、どの女もあの姿の俺を受け入れてくれなかった。だから人間の姿で会うことにしたが、俺の心は何も感じなかった。そばにいて欲しいと感じる女は一人もいなかった。俺は諦めていた。そばにいてくれる女は現れないと…。だが、お前が来てくれた。お前はあの姿の俺を怖がらなかった。お前だけだった。本当の俺を受け入れてくれたのは…。そしてヴァージニア、お前は俺を苦しみから救ってくれた…」
話し終えたトニーは、大きく深呼吸をすると、ポンっと手を叩いた。
「さてと、ヴァージニア。これからどうする?俺は人間になった。だから、魔法は使えなくなった。あの家は魔法で作り出したもの。だから家はもう、ここしかない」
肩を竦めたトニーは洞窟を見渡した。
「こんな陰気な所にお前を置いておく訳にはいかない」
確かに何もない洞窟で、これから生活するのは無理だ。だが、行くあてもないし、金も何にもないのだから、一体どうすればよいのだろうと、ヴァージニアは頭を捻った。が、洞窟の奥を覗き込んだヴァージニアは、何か光っているのに気づいた。
「トニー、あれは何です?」
奥を指さしたヴァージニアに、トニーは目をくるりと回した。
「あぁ、あれは女たちと共に持ってきた貢物だ。何百年も毎年持ってこられて、処分もできず、溜まりに溜まっている」
立ち上がったヴァージニアは、その光るものに近づいてみたのだが…。
見たことがないほどの量の金貨や宝石が、山積みになっているではないか。
「と、と、と、と……」
驚きすぎて腰を抜かしてしまったヴァージニアに、何事かとトニーは駆け寄った。
「どうした?」
抱き起こされたトニーに、ヴァージニアは抱きついた。
「これだけあれば、どこに行っても暮らしていけますよ!」
「そうなのか?」
何百年も人の世から遠ざかっていたトニーには、価値がいまいち分からないらしく、彼は本気で不思議そうな顔をしているではないか。
何度も深呼吸して気持ちを落ち着かせたヴァージニアは、トニーの手を取った。
「トニー、どこか静かな場所に家を建てましょう。そしてそこで幸せに暮らしましょう」
にっこり微笑んだ妻にキスをしたトニーもまた、嬉しそうに微笑んだ。
「俺は今の時代の人間というものがよく分からない。だから、ヴァージニア、お前に任せる」
***
数年後…。
とある村から少し離れた静かな森の中には、一軒の可愛らしい家が建っていた。周りには沢山の花が植えられ、畑では様々な野菜も育てられている。そして家のそばにある工房からは、毎日遅くまで鉄を打つ音が聞こえていた。
鍛冶屋を営む主人の腕は国一番との評判で、大勢の客が彼の商品を買いにこの地を訪れていた。主人はどこか浮世離れした雰囲気があったが、彼の妻は明るく気さくで、訪れた者を温かく迎え入れてくれるため、誰もが皆、笑顔でこの家を後にした。評判は評判を呼び、ついにはこの国の王の耳にも触れることになった。主人の作る物と人柄が気に入った王は、主人に気高い位と、街にある大きな工房を与えると告げた。だが、主人もその妻もその話を断った。誰隔てもなく門戸を開けておきたいこと、そしてこの静かな地が気に入っていると王に告げると、感銘した王はますます主人のことを重宝するようになった。
そしてもう一つ。夫妻には可愛らしい娘がいた。3つになったばかりのモーガンという名の娘は、天真爛漫で、森の中を走り回るのが大好きだった。そして彼女には秘密があった…。
「モーガン!モーガン!どこにいるの?」
家から大きなお腹を抱えた女性が出てきた。ヴァージニアだ。娘を探し外まで出てきたヴァージニアは、娘の姿が庭にないことを確認すると、工房へ向かった。
「トニー!」
大きな音に負けぬくらいの妻の声に、トニーは鉄を打つ手を止めた。
「どうした?」
汗を拭ったトニーは、近づいてきた妻にキスすると、お腹を撫でた。
「モーガンがまたいなくなったんです」
困ったように溜息を付いたヴァージニアに、トニーは目をくるりと回した。
「またアレになったのか?」
「そうみたいです」
肩を竦めたトニーは、頷いた妻の手を取ると、森に向かって歩き始めた。
暫く歩くと、獣のような声が聞こえてきた。
「モーグーナ!」
トニーが娘を呼ぶと、小さな何かが木の影から飛び出してきた。そしてそれはトニーとヴァージニアに向かって飛びながら近づいてきた。
「モーガン、昼ごはんの時間だぞ」
目の前で羽ばたいている小さなドラゴンに、トニーはわざとらしく顔を顰めたが、ドラゴンは可愛らしい声を上げた。
「何ですって?」
トニーはドラゴンの言葉が理解できるが、ヴァージニアには分からない。そこで夫に尋ねると、妻に顔を向けたトニーは、眉をつり上げた。
「新しい友達ができたから、紹介したいと言っている」
「新しいお友達?」
ヴァージニアが首を傾げると、ドラゴンは嬉しそうに頷き、先ほどよりも甲高い声を上げた。すると、木の影から何かが姿を現した。何と大きな熊がのそのそと向かってくるではないか。
「キャッ!」
思わず悲鳴を上げたヴァージニアは、トニーに抱きついた。が、熊はまるで犬のようにその場に座り込み、大人しくしているではないか。
「モーガン、頼むから家に連れて帰りたいと言うなよ」
ドラゴンに向かってトニーがそう言うと、ドラゴンは熊の元に近づくと、何やら告げた。すると熊は立ち上がり、森の奥へと姿を消した。
ヴァージニアは困ったように息を吐いた。
モーガンは生まれた時からドラゴンだった訳ではない。ちゃんとした人間だったのに、2歳の誕生日を迎えた後、突然ドラゴンに変身できるようになったのだ。トニーに僅かに残っていた魔力のせいなのか分からない。というのも、トニーはもうドラゴンに変身できないのだから…。
両親の元に戻ってきたドラゴンは、父親の腕に飛び込んだ。するとドラゴンは小さな女の子に姿を変えていた。
「パパ!ママ!くまちゃんとおともだちになったのよ!」
得意げに言う娘にキスをしたトニーは、彼女のほっぺたを突いた。
「モーガン、ドラゴンになる時は、お父様かお母様にきちんと言えと約束しただろ?」
「ごめんちゃい…」
しょぼくれたモーガンに、もう一度キスをしたトニーは、ヴァージニアの手を握った。
「さあ、帰りましょ?美味しいお昼ご飯が出来てるわ」
母親の言葉にモーガンはパッと顔を輝かせた。可愛らしい娘に微笑んだトニーは、ヴァージニアを見つめた。
「永遠に愛してる」
そう囁いたトニーは、頬を赤く染めた妻にキスをすると、家に向かって歩き始めた。
12.Babysitter! au
友人であるナターシャが夫のクリントと共に5日間の出張に行くことになり、ヴァージニア・ポッツは生後8ヶ月の彼らの娘アヴァを預かることになった。生まれた時からよく面倒を見ていたためか、アヴァはヴァージニアに懐いていたのだ。
当日、友人宅に向かうと、同年代の見知らぬ男性がいた。ヴァージニアは、首を傾げた。一体彼は誰だと…。すると2人は思わぬことを言い出した。
『数日前に隣の家に泥棒が入った。女一人で留守番させるのは物騒だから、用心棒代わりにクリントの友人を呼んだ』と。
初対面の男性と5日も過ごすのかと思ったヴァージニアだが、身の安全には変えられない。
ということで、トニー・スタークと名乗った男性とヴァージニアは、期間限定の共同生活をすることになった。
2人きりになると、トニーはヴァージニアに告げた。
「先に言っとくけど、俺、料理は出来ないから。それから、子供と遊ぶのは好きだけど、赤ん坊の世話なんかしたことない」
いきなりそんなことを言われたものだから、ヴァージニアは思わず眉を顰めた。
「じゃあ、どうして子守を引き受けたの?」
するとトニーは頭をポリポリと掻くと肩を竦めた。
「あいつには借りがあるから、断れなかった」
悪びれもなく言うトニーに、ヴァージニアは溜息を付いた。こんな人と5日間も一緒に過ごすなんて…と、幸先不安になったヴァージニアだが、文句を言っても仕方ない。
抱いていたアヴァをトニーに渡すと、彼女は彼に告げた。
「分かったわ。食事は私が作る。あなたはこの子と遊んでて」
「了解」
大きく頷いたトニーは、アヴァを連れてリビングの隅のおもちゃコーナーへ向かった。
昼食を作りながら、ヴァージニアはチラチラと2人の様子を伺った。するとトニーはアヴァと楽しそうに遊んでいた。可愛らしく笑い声を上げているアヴァは、トニーがお気に入りになったのだろう、抱きついて離れようとしない。
それでも昼食を食べ終わると、アヴァはあっという間に眠ってしまったのだが、途端に2人は暇になってしまった。
「せっかくだしさ、話でもしようぜ」
「えぇ」
ということで、お互いの自己紹介から始まった話だが、30分もすると意気投合した2人は、夕方になりアヴァが起きてくるまで、すっかり盛り上がっていた。
夜になり、アヴァを寝かしつけたが、慣れない一日に疲れ切った2人は、早々に休むことにした。が、バートン家にはゲストルームは1つしかないではないか。
「俺は下のリビングで寝るよ」
肩を竦めたトニーだが、リビングにあるソファはどう考えてもトニーの身体よりも小さいのだ。それではゆっくり眠れないだろうと、ヴァージニアは顔を曇らせた。
「でも…」
「大丈夫さ」
ニッと笑みを浮かべたトニーは、手を振りながら階段を降りて行った。
…と言ったものの、ソファーは男のトニーの身体には、あまりにも小さかった。いっそのこと床で寝ようかと思ったが、硬いフローリングの上では背中が痛くなりそうだ。結局狭いソファに無理矢理身体を押し込んだトニーは、膝を抱えると目を閉じた。
日付が超えた頃…。
ゴソゴソという音と共に、赤ん坊の泣き声とヴァージニアの声が聞こえてきた。
起き上がったトニーが大欠伸をしながらキッチンへ向かうと、泣き喚いているアヴァを抱いたヴァージニアが、四苦八苦しながらミルクを作っていた。
「俺が抱っこしておくよ」
そう声を掛けると、ヴァージニアは小さく「あ…」と声を出すと、申し訳なさそうにトニーを見つめた。
「起こしてごめんなさい」
「お互い様だろ」
肩を竦めたトニーに、手早くミルクを作ったヴァージニアは哺乳瓶を手渡した。すると彼は辿々しく、アヴァにミルクを飲ませ始めた。
一心不乱にミルクを飲むアヴァは可愛らしく、トニーは目を細めた。
「可愛いな」
ヴァージニアはドキっとした。というのも、トニーはとても優しい瞳をしていたから…。
いつの間にか見とれていたようで、トニーに声を掛けられ我に返ると、アヴァはトニーの腕の中で眠っていた。そのまま子供部屋に向かったトニーは、アヴァをそっとベビーベッドに寝かせた。
「アヴァが起きたら、俺も起こしてくれ」
そう告げると、トニーはリビングへと降りて行った。
……
2日目。
天気も良いため、2人はアヴァを公園に連れて行くことにした。
アヴァを乗せたベビーカーをトニーが押し、ヴァージニアはその横を歩いていたのだが、途中すれ違う人に、『可愛い赤ちゃん!何ヶ月?』と何度も聞かれた。
そして公園に到着し、芝生の上でアヴァを遊ばせていると…。
「あらあら!パパにそっくり!」
見知らぬ老婦人にそう言われ、トニーとヴァージニアは顔を見合わせた。
自分たちは夫婦に見えるのだろうかと、首を傾げた2人だが、何故か分からないが、そう言われても悪い気がしなかった。
その日、夜中にアヴァが起きたため、ヴァージニアはトニーを起こした。そしてトニーがアヴァをあやしている間にミルクを作った。昨日はおぼつかなかった手つきも、今日は随分と手慣れたものになっており、アヴァもトニーの腕の中であっという間に寝入ってしまった。
……
3日目。
その日は生憎の空模様。そのため、3人は家の中で遊んだ。
アヴァはトニーのことが『一番大好きなお気に入りのおじさん』になったようで、両親が不在でも愚図りもせずご機嫌だ。
ランチの用意をしたヴァージニアが2人を呼びに向かうと、トニーはアヴァをつかまり立ちさせ、音楽に合わせ踊っていた。アヴァはただトニーに手を取られて身体を揺らしているだけだったが、可愛らしい声を上げて笑っていた。が、ヴァージニアはアヴァではなく、トニーの笑顔に見惚れてしまった。
その夜。なかなか寝つかないアヴァに、トニーは子守唄を歌い出したのだが、その歌声に、ヴァージニアは思わず聞き入ってしまった。優しい歌声だった。どこか懐かしく…そして心がホッとする…トニーの歌声はとても心地よく、ヴァージニアはウトウトし始めた。
しばらくしてアヴァを寝かしつけたトニーがリビングに降りてくると、ヴァージニアはソファで眠っていた。
「風邪引くぞ?」
肩を揺さぶったが、熟睡しているヴァージニアは、ちっとも目を覚まさない。
頬を撫でると、ヴァージニアが寝言を言った。
「トニー………」
甘ったるい声で名前を呼ばれたトニーは、じっとヴァージニアを見つめた。
出会ってまだ3日なのに、トニーはヴァージニアに心を捕われていたのだ。が、彼女の気持ちは分からない。思い切って気持ちを伝えようかとも考えたが、あと2日はこの家族ごっこを続けなければならない。気不味くなるようなことだけは避けないといけないと考え直したトニーは、頬に軽くキスをすると、ヴァージニアを抱き上げた。そして彼女をゲストルームに運ぶと自分はリビングへと降りて行った。
このまま何事もなく過ぎるのかと思っていたが…。
4日目の朝、アヴァが熱を出した。
真っ赤な顔をしているアヴァを抱きしめたヴァージニアは、慌てふためいており、今にも泣き出しそうだ。
「ど、どうしよう…。どうすればいいの…」
すると、何処かに電話をし終えたトニーが、ヴァージニアの肩を掴んだ。
「落ち着け」
「で、でも……」
ヴァージニアの目からポロポロと涙が溢れ始めた。その涙を見たトニーは、思わず彼女を抱きしめた。
「大丈夫だ。俺がいる…」
トニーの腕の中に閉じ込められたヴァージニアは、すぅと心が落ち着いた。トニーの温もりに安心したヴァージニアは、小さく頷いた。
先程トニーは病院に連絡していたようで、2人は早速アヴァを病院へ連れて行った。
アヴァの主治医の医師は
「小さいお子さんにはよくあることなんですよ。アヴァちゃんはご機嫌ですし、様子をみましょうね」
と告げ、その言葉に安心した2人は家へと戻った。
医師の言葉通り、アヴァは食欲も旺盛でご機嫌だ。
いつもよりも少し早めにアヴァを寝かしつけたヴァージニアは、コーヒーを淹れると、リビングでテレビを見ているトニーの元に向かった。
「トニー、今日はありがとう。私一人だったら、パニックになって、何も出来なかったわ。あなたがいてくれたから…私…」
礼を言うヴァージニアに、トニーは首を振った。
「正直に言うとさ、俺も内心パニックだったんだ。今日だけじゃなくてさ、本当は毎日。留守番を任せられてるのに、アヴァに何かあったらどうしようって、毎日思ってた。でも、君がいてくれたから、大丈夫だって思うことにしたんだ。だからさ、お礼を言うのはこっちの方さ。ヴァージニアがいてくれたから…俺…」
トニーはヴァージニアを見つめた。真剣な瞳に見つめられ、ヴァージニアは顔を真っ赤にすると、唇を震わせた。
トニーの顔が近づいてきた。彼を迎え入れようと、ヴァージニアはそっと目を閉じたのだが……。
「うぇぇぇーーーん!」
タイミング悪く、アヴァの泣き声が聞こえ、2人は慌てて立ち上がった。
翌朝。アヴァは熱も下がり、昼前には友人夫妻も戻ってきた。何度も礼を言うクリントとナターシャに、「いつでも預かる」と告げた2人は、揃って家を出た。
歩いて帰ろうとしているヴァージニアに、トニーは家まで車で送ると告げたため、ヴァージニアはその言葉に甘えることにした。
この5日間は楽しかった。アヴァと過ごしたこともだが、トニーと出会い過ごしたことが、何よりも楽しかった。だが、その楽しかった日々もこれで終わりだ。もうトニーとは一緒にいられないと思うと、ヴァージニアは寂しくて堪らなかった。
すると黙っていたトニーが口を開いた。
「なぁ、よかったらなんだけど…昼飯食いに行かないか?」
「え?」
顔を上げたヴァージニアは、トニーを見つめた。
「せっかく知り合ったんだし…その……」
トニーは珍しく真っ赤な顔をしており、ヴァージニアは彼をじっと見つめた。
トニーは5日間、そんな素振りは一度も見せなかった。いや、昨晩、もしかしたら…と思ったが、今朝は何も言わなかったので、思い過ごしだと考えることにしていたのに…。
何も言わないヴァージニアに、トニーは少しだけ悲しそうな表情になった。
「いや、予定があるなら別に…」
我に返ったヴァージニアは、首を振った。
「ううん、時間はたっぷりあるわ」
ニッコリ微笑んだヴァージニアに、トニーも笑みを浮かべた。
***
1年後。
アヴァは両親と共にパーティーにやって来た。アヴァはパーティーに参加するのは初めてだった。そのため、華やかな衣装に身を包んだ大勢の大人たちを珍しそうに眺めていたのだが…。
「トニーおいたん!!」
大好きなトニーおじさんが手を振りながらやって来たのだ。母親の手を離したアヴァは走り出した。
「アヴァ、元気だったか?」
駆け寄って来たアヴァをトニーは笑いながら抱き上げた。
「うん!」
アヴァはトニーが大好きだった。両親が不在な時、アヴァはトニーの家に泊まりに行った。そして、いつもは両親から禁止されている、夜更かししてベッドの中でアイスクリームを食べたり…と、所謂『悪いこと』を一緒にしていた。一緒に悪いことをしてくれるのは、トニーおじさんだけではなかった。トニーおじさんの家に泊まりに行くと、いつも一緒にいるのは…。
「あ!ジニーちゃん!」
トニーおじさんといつも一緒にいる、その『ジニーちゃん』ことヴァージニアが、トニーの隣にやって来た。
「ジニーちゃん、おひめちゃまみたいね」
ウェディングドレスに身を包んだヴァージニアは、まるで絵本で見るお姫様のようで、アヴァは眩しそうに目を細めた。
嬉しそうに笑ったヴァージニアはトニーを見つめた。軽くキスをしたトニーは、アヴァの頬にもキスをすると、再びヴァージニアを見つめた。
「ジニーがお姫様なら、アヴァは俺たちのキューピットだな」
『キューピット』が何なのか分からなかったアヴァだが、大好きなトニーとヴァージニアが幸せそうに笑っているのだ。嬉しくなった彼女は、2人の頬にキスをした。