14.Parent! au

『トニー・スターク様。あなたの子です』

スターク・インダストリーズの門の前に置かれていた箱には、そっけないメモと共に産まれたばかりの赤ん坊が入っていた。
早朝出社した社員から赤ん坊のことを知らされたトニーは、半信半疑で赤ん坊と対面したのだが、栗毛色の髪の毛も大きな琥珀色の瞳も自分そっくりな赤ん坊に、これは本当に自分の娘だと納得せざるを得なかった。それでも念の為にDNA検査を行ってみたが、彼女は確かに自分の娘だと判定された。

「で、母親に心当たりは?」
ハッピーに聞かれたトニーは、首を傾げ考えるフリをした。が、一夜を共にした女性は星の数ほどいるし、名前どころか顔すら覚えていない。寧ろ、ハッピーの方が覚えているのでは…と考えたトニーだが、相手の女性が分かったところで、結婚する気もないし、それは向こうも同じだろう。
「ない。全くない。だが、この子は私の娘…。それだけは紛れもない事実だ」
小さく首を振ったトニーは、腕の中で眠ってしまった娘を見つめた。その瞳は、長年そばにいるハッピーですら、見たことがない優しい瞳だった。

自分の血を分けた小さな存在は、トニーの中で何よりも大切なものになった。それは、今までの生活を一変させてしまう程…。
『モーガン』と名付けた娘を、トニーは一人で育てることにした。が、料理も洗濯も何も出来ないトニーが一人で娘を育てるのは、どう考えても無理だ。ハッピーはもちろんのこと、トニーの親友のローディも、心配だと言い続けた。が、トニーは
「私を誰だと思っている。トニー・スタークだぞ?トニー・スタークに不可能はない!」
と、自信満々に言い切った。だが、その自信は、早くも2日目にして崩れさってしまい、トニーがどうしようかと途方に暮れていると、ハッピーが子守にどうかと、一人の女性を連れてやって来た。

「スタークさん、初めまして。ヴァージニア・ポッツです」
ヴァージニアと名乗った赤毛の美しい女性は鼻の上のそばかすが可愛らしく、何故か分からないが、トニーは今まで出会った女性とは違う感情を一瞬にして抱いてしまった。が、それに気づかぬふりをしたトニーは、咳払いをすると手を差し出した。
「ポッツくん、よろしく頼む。ハッピーから聞いているだろうが…」
「はい、事情は全て聞きました」
頷いたポッツをじっと見つめたトニーは、大きな目を何度か瞬かせた。
「ペッパーと呼んでいいか?君のニックネームだ」
出会ってまだ数分なのに、トニー・スタークはフレンドリーなのか、はたまた厚かましいのかしら…と思ったポッツだが、彼は今から自分の『雇い主』だし、『ペッパー』というニックネームも何となく気に入ったので、彼女は特に何も言わなかった。

住み込みで働き始めたペッパーに、モーガンはあっという間に慣れ、可愛らしい彼女に魅了されたペッパーもまた、本当の娘のようにモーガンを可愛がった。
ペッパーは料理も洗濯も掃除も得意なようで、トニーが帰ってくるまでに夕食の支度もしてくれた。
「助かるよ。一生モーガンにデリバリーを食べさせないといけないと覚悟してた」
美味い美味いと夕食を食べるトニーに、ペッパーは目を丸くした。
「本当に何も作れないんですか?」
手を止めたトニーはペッパーを見つめると頷いた。
「あぁ。一度3時間かけてオムレツを作ったが、出来上がったのは、ただの炭だった」
真顔で答えるトニーに、ペッパーは思わずぷっと吹き出した。

それからの日々は、トニーにとっては新鮮で心躍るものだった。帰宅すると「おかえり」と出迎えてくれる人がいるし、温かな夕食も用意されている。これが『家族』なのかと初めて知ったトニーは、いつしかその温もりを心の拠り所にし始めていた。

モーガンの初めての言葉は、『ぱぁぱ』だった。トニーは大喜びで、J.A.R.V.I.S.に命じ、何度も初めての言葉を記録した映像を再生させた。
そして翌日。モーガンに昼食を食べさせたペッパーは、彼女を昼寝させようと子供部屋へと向かった。
着替えをさせ、ベッドに入れた時だった。
「まぁま」
「え?」
ペッパーを指差したモーガンは、ニコニコと笑っていた。
「まぁま」
小さな手を叩いたモーガンは、もう一度ペッパーに向かってそう告げた。
「モーガン、私はあなたの……」
『本当のママじゃないのよ』
そう言うべきかペッパーは迷った。だが、モーガンは今や自分の娘同然だ。例え血は繋がっていなくても、モーガンは自分にとってかけがえのない存在になっていた。だからこれから何があってもモーガンと離れないと、ペッパーはとっくに決めていた。だが、それも全てトニー次第だ。もし彼が生涯を共にしたと思う女性が現れれば、自分の役目は終わりなのだから…。
何度も「まぁま」と呼ぶモーガンに、その時のペッパーは何も言えなかった。

だが、その夜…。夕食を食べていると、モーガンがペッパーを指差し叫んだ。
「まぁま!」
するとトニーが驚いたようにペッパーを見つめた。戸惑った表情を見せたトニーに、ペッパーは胸が痛んだ。
「ごめんなさい。私のことを母親だと思っているみたいで…。お昼寝する前から、今日はずっと言ってるんです」
と、トニーが嬉しそうな顔をした。もっとも一瞬で、ペッパーは気づかなかったが…。
慌てて咳払いをしたトニーは、ペッパーに向かって頭を下げた。
「いや、謝るのはこっちの方だ。母親ではないのに…」
トニーは娘を見つめた。
「モーガン、ペッパーはな、お前のマ……」
すると、ペッパーは首を振り、トニーの言葉を遮った。
「トニー、『ママ』で大丈夫です」
トニーは驚いた。ペッパーはモーガンの実の母親ではない。最も彼女は母親のようにモーガンと接してくれているが…。だが、母親でもないのに『ママ』と呼ばれることが、彼女の負担にならないのかと、トニーはずっと心配で堪らなかった。
「本当に…いいのか?」
そう尋ねると、ペッパーは大きく頷いた。
「はい」
ニッコリ笑ったペッパーの笑顔は本物で、トニーはホッと胸を撫で下ろした。
「そうよ、モーガン。ママよ」
ペッパーはモーガンの頬をくすぐった。すると、モーガンは満面の笑みで、トニーとペッパーを指差した。
「ぱぁぱ!まぁま!もーー!!」
キャッキャと笑いながら手を叩き続けるモーガンを、トニーとペッパーも笑顔で見つめた。

3人はまるで本当の家族のようだった。
モーガンを連れて公園に遊びに行ったり、買い物に連れて行くこともあった。そのため、スターク家の子守の存在は、すぐにマスコミに知られることになり、『スターク家の子守はトニー・スタークの新恋人?』と報道された。
「迷惑かけるな」
トニーはペッパーにそう謝った。と、ペッパーは胸がチクチクと痛んだ。自分たちはそういう関係ではないのに、どうして胸が痛むのだろうかと、ペッパーは考えた。が、迷惑だなんて思ったことは一度もないのだから、彼女はトニーに向かって微笑んだ。
「いいえ、迷惑なんかじゃありません」
すると、トニーがペッパーを見つめた。いつもと違い、熱っぽい瞳で…。ペッパーは胸がドキドキし始めた。トニーは黙ったままだが、次第にジワジワとペッパーの方へ近づいてきた。
ペッパーは動けなかった。むしろ、これから先に起こることに少しだけ期待してしまった。というのも、ここ最近、夢の中でトニーといつもキスをしていたから…。
(あぁ…そうね…。私…トニーのことが好きなのよ…)
ようやく自分の気持ちを認めたペッパーは、今や鼻がつきそうなくらいの距離まで迫ったトニーを迎え入れるように目を閉じた。
が…。
タイミング悪く、トニーの携帯が鳴り始めた。スッと身体を引いたトニーは、小さく舌打ちすると電話を出た。どうやら会社からのようで、トニーはそのまま部屋を出て行った。

結局2人の間にはその後何も起こらなかった。

が、もうすぐモーガンが1歳になる頃、些細なことで2人は大喧嘩をしてしまった。そして子守を辞めたペッパーは、家を出て行ってしまった。
後に残されたトニーは途方に暮れた。
モーガンを世話してくれるペッパーがいなくなったことではない。いつしかペッパーは、トニーにとって世界一大切な存在になっていた。そのペッパーがいなくなってしまったのだから、トニーは自分自身がこれからどうすれば良いのかと、不安になってしまったのだ。
すると、ドアの隙間から様子を伺っていたモーガンが、ちょこちょこと走ってやって来た。
「パパ…ママは?」
キョロキョロと辺りを見渡したモーガンに、トニーは首を振った。
「モーガン、ペッパーは…もういないんだ…」
モーガンは唇を尖らせた。
「ママ…………」
そう呟いたモーガンの目には、みるみるうちに涙が溜まり始め、彼女はトニーな抱きつくと号泣し始めた。

モーガンは何をやっても泣き止まなかった。娘を抱きしめたトニーは、自分も泣きたかった。
どうして彼女に気持ちを伝えなかったのだろうかと、トニーは後悔した。ペッパーにそばにいて欲しかった。娘の母親として…そして自分の………。
トニーは決意した。もし今からでも間に合うのなら、彼女にきちんと伝えようと…。

そこでトニーはモーガンを連れてペッパーの家に向かった。
3時間ほど前に喧嘩別れしたトニーがやって来たのだから、ペッパーは戸惑った。
「ママ!」
駆け寄ってきたモーガンを身体をかがめて抱きしめたペッパーだが、彼女はトニーの顔を見ることが出来ず、俯いたままだった。
するとトニーは、深々と頭を下げた。
「ペッパー。すまなかった。モーガンが泣き止まないんだ。君のことを恋しがって…」
言葉を切ったトニーは顔を上げた。そしてまだ俯いたままのペッパーを見つめた。
「私もだ…」
「え…」
ペッパーは顔を上げた。一瞬、トニーの言葉は信じられなかった。トニーは一度もそれらしきことは言ってくれてなかったから…。
唇を震わせるペッパーを見つめたトニーは、とても優しい瞳をしていた。
「君のことが恋しくてたまらない。モーガンよりも私の方が君のことが恋しくて堪らないだろうな…。君がそばにいてくれる…当たり前の生活になっていた。だから君は私とモーガンと、ずっと一緒にいると思っていた。だが、きちんと伝えなければならなかったんだ。伝えなかった私が悪かった…」
ふぅと深呼吸をしたトニーは、一段と優しい笑みを浮かべた。
「愛してる。君のこと…ペッパーのこと、愛してる。世界一…いや、宇宙一愛してる…」
何度か瞬きしたペッパーの目から涙が溢れ落ちた。そしてポロポロと大粒の涙を流し始めたペッパーは、モーガンを抱きしめたまま、泣いた。
トニーはペッパーの横に座った。そして不思議そうな顔をしているモーガンの頭を撫でた。
「だから…この子の本当の母親になってくれないか?結婚してくれ…。ずっと私のそばにいてくれ…」
頷いたペッパーはトニーに抱きついた。最愛の女性を力一杯抱きしめた。そして、ニコニコ笑っているモーガンに向かって、トニーはウインクした。

それから3年後。
湖のそばにある家の庭では、モーガンが走り回って遊んでいた。
「モーグーナー!昼飯の時間だぞ!」
父親の声に、モーガンは家の中に駆け込んだ。
「ママ!きょうのおひるはなに?」
「パパの好きなカルボナーラよ」
キッチンでは母親がランチの用意をしていた。父親も手伝っているが、料理が出来ない父親は、邪魔しないでと母親にいつも怒られているのを、モーガンは知っている。
モーガンはダイニングテーブルのそばに置かれたゆりかごに駆け寄った。中では生まれたばかりの女の子が眠っていた。赤ん坊…つまり妹の頬をくすぐったモーガンは椅子に座ると、母親の作った美味しいカルボナーラを食べ始めた。

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