129.猿轡 の続きです。
「スタークよ、今回ばかりは私の判断ミスだった。すまなかった」
あの事件から2週間。
生死の境を彷徨っていたトニーが意識を取り戻したのは1週間前。だが、彼は身動き一つ取れないばかりか、話ができる状態ではなかったため、ペッパー以外の人間はずっと面会謝絶だった。それがようやく面会が叶うようになり、その第一号としてニック・フューリーがやって来たのだ。
開口一番謝罪の言葉を口に出したフューリーは、彼にしては珍しくずっと頭を下げ続けている。
ヒドラが開発していた兵器とは、超人血清を打った人間だったのだ。それも、ただ肉体的に強靭なのではなく、知性を備えた究極の人間兵器。そして彼らがうってつけだと考えたのが、トニー・スタークだった。つまりフューリーは、敵の罠の中にトニーを送り込んでしまったのだ。もしあの時、数分遅ければ、記憶を消されたトニーは超人血清を与えられ、自分たちに対抗する恐ろしい兵器と化していただろう。今までの彼の開発してきた物を考えると、トニー・スタークを敵に回すほど恐ろしいことはないのだから…。
お偉いさん方にもこってりと絞られたフューリーだったが、何より応えたのはペッパー・ポッツの言葉だった。
トニー救出の知らせを受け、コールソンを連れ病院へ向かうと、手術室の前にペッパーを始めアベンジャーズの面々がいた。フューリーに気づいたスティーブが、状況を説明し始めた。
「トニーは手術中です。かなり危険な状態だ、覚悟してくれと言われました…」
目に涙を薄っすらと浮かべたスティーブの肩をポンと叩いたフューリーは、ソファーに座り祈るように首を垂れているペッパーの元へ向かった。
「ポッツくん…」
ペッパーが顔を上げた。目を真っ赤に腫らせた彼女の頬には幾筋もの涙の跡があったが、フューリーの姿を見るとペッパーの表情が一変した。
キッとフューリーを睨みつけたペッパーは立ち上がると、彼に詰め寄った。
「知ってたんですか!トニーが狙われてることを知ってて、トニーを1人で向かわせたんですか?!」
「いや、知らなかった。いや、超人血清の開発を続けていることは知っていた。だが、狙いがスタークということまでは知らなかった」
トニーは命を落としかけているのに、何の感情もなく冷静に言葉を発するフューリーに、ペッパーは拳を握りしめた。
「では、何故もっと早く助けに行かなかったんです!1日でも早く助けに行っていれば、トニーは苦しまなくても済んだかもしれないんですよ!」
唇を噛み締めたペッパーの目は怒りに燃えている。
「そうかもしれない。だが、ポッツくん。これは任務なんだ。世界の平和を守るためには多少の犠牲は付き物なんだ」
そうかもしれない。だが、愛するトニーが傷つけられているのだから、ペッパーが感情的になるのは当たり前のことだろう。
「任務?世界の平和を守るため?そんなの関係ありません!トニーが無事に帰って来る方が…彼が笑って側にいてくれることの方が、大切なことです!トニーだけではありません!アカデミーのみんなもです!あなたはみんなを…ただの駒としか思ってないんです!だから大事なことを隠して…。みんなを危険に晒しても何とも思わないんですか?!」
ペッパーの悲痛な叫びは、フューリーだけではなく、その場にいた全員の胸に突き刺さった。そして、こんなペッパー・ポッツは誰も見たことがなかった。何事も準備万端に整え、冷静に対応するペッパー・ポッツが、感情剥き出しにフューリーに詰め寄っているのだ。
誰も何も言うことができなかった。
黙ったままのフューリーを見据えたペッパーは、何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、静かな声で告げた。
「トニーに何かあったら…私はあなたを絶対に許しませんから…」
あの時のペッパーを思い出したフューリーは、顔を上げるとトニーを見つめた。
頭の先から足の先まで包帯とギブスだらけで動けないトニーは、まだ起きておくのが辛いのだろう、微睡んだ瞳をフューリーに向けた。
「ポッツくんがえらい剣幕でなぁ…。スタークのことになると、彼女は冷静ではいられんらしい」
あの時の彼女の様子を一語一句教えてもいいのだが、そうなるとトニーの惚気話を聞かなければならないだろう。彼を危険な目に遭わせたという後ろめたさはあるが、それとこれとは別だ。それにおそらく、ブルース・バナー辺りがあの時の話はするだろうから…。
フューリーをボンヤリ見つめていたトニーだが、瞬きした彼は少しだけ口の端を上げた。
「…俺…愛されてるんです…」
ニヤリと笑ったトニーだが、息を詰まらせると咳き込み始めた。
そろそろ潮時だろう。トニーに酸素マスクを付けたフューリーは、毛布をかけ直すと立ち上がった。
「まぁ、いい。しっかり休め」
帰り支度を始めたフューリーは、ふと思い出した。
トニーを痛めつけた男によると、トニー・スタークは常人なら堪え難い拷問にも決して屈しなかったらしい。
「スタークよ。よく闇の世界に飲まれなかったな…」
フューリーの言葉に一瞬目を丸くしたトニーだが、掠れた声で囁いた。
「ペッパーが…いるから…」
その言葉にフューリーは確信した。今のトニーはペッパーのためにこちら側の世界に留まっているのだと。そしてそれはペッパー・ポッツも同じなのかもしれない。
今まで自分のために生きてきた2人が、お互いのために生きようとしている、そのことがフューリーは内心嬉しくて堪らなかった。
特にトニー・スタークは…。トニーと父親のハワードとの確執もずっと見守ってきたフューリーは、孤独だったトニーを理解し支えてくれる人に出会えたことを神に感謝した。
「そうか…」
そう呟いたフューリーは、普段の彼が見せないような笑みをトニーに向けた。
「お前を受け入れてくれる者が見つかり、よかったな、スターク」
フューリーの心からの笑みに頷いたトニーは、安心したように目を閉じた。