037.唇をなぞる指先(アベアカ)

079.豹変 の続きです。

それから数日後。
ようやくまともに話ができるようになってきたトニーの元には、毎日のように仲間が見舞いに訪れていた。
今日も朝からブルースが実験の経過を話に来、昼前にはソーが見舞いの品を食べに…いや、顔を覗かせたかと思うと、スティーブがクリントやナターシャとやって来て…。朝から入れ代わり立ち代わり誰かがやって来たのだから、少々疲労感を覚えたトニーはいつの間にか眠ってしまっていた。

唇に何かが触れている…。
温かく柔らかな何かに気づいたトニーがゆっくりと目を開けると、彼の最愛の女性は悪戯の見つかった子供のように目を瞬かせた。
「ごめんなさい、起こしちゃった…」
小さく舌を出したペッパーは肩を竦めた。
「気分はどう?」
痩せてしまった頬を撫でると、トニーは擽ったそうに目を閉じた。
「身体中痛いし動けないし最悪…。でも、君がずっと傍にいてくれるから、悪くないな」
両手すら動かせないトニーをペッパーは、病院に寝泊まりし、付きっきりで看病していた。
ちなみに、ペッパー不在の時は誰がトニー・スタークの介助をするかという争いが看護師の中で勃発していることを、2人は知らない。

暫くは他愛もない話をしていた2人だが、真剣な面持ちをしたトニーが切り出したのは、真っ赤な夕日が窓から差し込み始めた頃だった。
「なぁ、ペッパー。話、聞いてくれるか?」
「いいわよ」
姿勢を正したペッパーに、トニーはふぅと息を吐き出した。
「リアクターのこと…、そろそろ話しておこうと思って…」
トニーは今まで話してくれなかったことを話そうとしている。それは恐らく、トニーの心の奥底にある辛い体験。気づかれないようにゴクリと唾を飲み込んだペッパーは、スカートの裾をキュッと握りしめた。
「これ、何であるか知ってる?」
視線をリアクターに向けたトニーに、ペッパーは頭を振った。
「いいえ。詳しくは知らないわ。あなたの噂って、女の子との噂ばかりでしょ?だからあなたと出会うまで、リアクターのことは知らなかったの」
正直に言ったつもりなのに、トニーは可笑しそうにクスクス笑い出した。
「確かに俺の噂はオンナとのものばかりかもな。それなら、驚いただろ?胸にこんな物が埋まってるなんてさ」
確かに最初は驚いた。初めて彼に抱かれた時、胸に光る見たことがない物に一瞬恐れ慄いた。だが、彼の優しさと愛に包まれると、彼には普通はない物があることもすっかり忘れてしまったのだ。
うん…と小さく頷いたペッパーだが、慌てて首を振った。
「でもね、それはあなたの一部でしょ?だから今じゃあ、リアクターのないあなたって考えられないわ」
真剣な面持ちのペッパーに気持ちが少しだけ楽になったトニーは、深呼吸すると明るめの声を出した。
「これはさ、俺の心臓を守ってる。実は俺の胸元には、爆弾の破片が沢山埋まってるんだ」
「え……」
どういうことなのだろうか…。彼は身体に爆弾を抱えて生きているのだろうか…。
唇を震わせたペッパーは、トニーの腕にそっと触れた。
「リアクターは、破片が心臓に突き刺さるのを防いでる…言わば、俺の命綱なんだ」
ふぅと息を吐き出したトニーに、ペッパーは震える声で呟いた。
「一体…何があったの?」
ペッパーを見つめたトニーだが、視線を伏せるとポツリポツリと話し始めた。
「数年前のことだ。その頃のスターク・インダストリーズは、軍用の武器を製造してた。ある日、紛争地域に新しいミサイルのデモをしに行った。その時、テロリストに襲撃された。一緒にいた何人もの軍人は殺された。俺は逃げ出したけど、傍にミサイルが着弾した。それも…うちの会社のミサイルに…。後で分かったことだけど、親父の腹心だった男がテロリストに武器を売りさばいてた。俺が作った武器で罪のない人が大勢命を落していた…。だから俺は武器製造を止めたんだ」
ふぅと息を吐き出したトニーは、一息つくと再び話し始めた。
「テロリストは俺を洞窟に閉じ込めた。そして俺を拷問した。そこは、誰もいない暗闇と静寂しかない世界だった。誰も助けてくれる人はいなかった。俺を痛めつけて、みんな笑ってた…。ペッパー…あの世界には絶望しかなかった…。胸にはミサイルの破片があるし、いつ死ぬか分からない恐怖に震えながら…俺は過ごすしかなかった」
トニーの身体が震えだした。目を閉じたトニーは当時のことを思い出したのか、必死で恐怖と戦っているようだった。
「トニー…もういいわ…」
トニーが苦しむ姿は見たくなかった。堪らなくなったペッパーは、ギブスで固定されたトニーの右手をそっと握りしめた。が、何度も頭を振ったトニーは、息を整えると再び話し始めた。
「拷問は何日か続いた。すっかり抵抗する気力がなくなった俺は、別の場所に移された。そしてテロリストは、俺に最新鋭のミサイルを作れと命令した。今度は一人ぼっちじゃなかった。近くの村に住んでた科学者が一緒だった。彼は住んでいた村が襲撃され、家族を殺され、連れて来られてた。俺は最初、その人のことも信じられなかったんだ。だから一人の世界に閉じ籠ろうとした。だけどその人に言われたんだ。君が生き残ったのには意味があるって…。君を待っている人がいるって…。その言葉に俺は目が覚めた。その人の力を借りて、俺はミサイルを作るふりをして脱出するためにアーマーを作った。俺の目を覚まさせてくれた人は…俺を逃がすために命を落とした。だから俺は誓った。俺の助けを必要としている人たちを一人でも多く救ってやるって…。だから俺はアイアンマンになったんだ」
想像以上に壮絶な話だった。トニーは今までどれだけの重荷を1人で背負い闘ってきたのだろう…。
黙ったままのペッパーだったが、その目からは涙が次々と零れ落ち、トニーの身体を濡らしていった。恋人の涙に気づいたトニーは頬を緩めた。ペッパーが自分のために涙を流してくれていることが嬉しかったから…。
「今までさ、この話を詳しくしたのは、ローディだけだったんだ。君にもいつか話さなきゃって思ってたけど、なかなか勇気が出なくってさ…。でも、ペッパー、君なら俺のこと、全て受け止めてくれるって…そう思ったから、今日、君に話をした。ありがとう、聞いてくれて」
そう言って微笑んだトニーはとてもスッキリした顔をしていた。
その笑顔を見たペッパーは心に誓った。
話を聞き思いを受け止めることで彼が救われるのなら、これから先、何があろうとも彼のことを受け止めてみせる…と。
涙を拭ったペッパーは、トニーの唇を指で触れるとそのまま頬を両手で包み込んだ。
「ありがとう、トニー。話してくれてありがとう…」
そのまま頬に何度かキスをすると、トニーはわざとらしく顔を顰めた。
「早く君のこと抱きたい…」
すっかりいつもの口調に戻ったトニーにひと安心したペッパーも調子を合わさるように肩を竦めた。
「あら、残念。でも、もう少し我慢して…」
頭を軽く撫で猫っ毛の髪の毛を梳くと、トニーは気持ちよさそうに目を閉じた。

112.蜂蜜の使い方

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