現場付近の防犯カメラは全て破壊されており、警察の必死の現場検証からも、有力な手掛かりは何一つ得られなかった。唯一残された遺留品であるトニーの右手に刺さったナイフからも指紋は検出されず、この犯行は計画的なものであったことを示していた。
ペッパーは少しでもトニーを勇気付けれればと、片時もそばを離れようとしなかった。
事件から3日経ち、まだ予断は許さない状態ではあったが、トニーの容態も少し落ち着いてきた。それと同時にペッパーも冷静さを取り戻すことができたのだが、小声でトニーに話しかけていた彼女の脳裏に突然数年前の出来事が蘇った。
(あの時もそうだったわ…。知らせを聞いて病院へ駆けつけた時、あの人はこの世を去った後だった…)
この状況、5年前の悲劇と似ている。
「あの時と…同じ……。まさか……」
顔色を変えたペッパーは、この話をすぐにでも警察にするべきかと迷った。だが、証拠は何一つないのだ。それならば、自分の目で確かめてからでも遅くない。そう思うと居ても立っても居られなくなった。
「トニー、少し出掛けてくるわ。待ってて。犯人は必ず捕まえるから…」
トニーの耳元で囁いたペッパーは、足早に病室を出て行った。
***
数時間後、ペッパーはサンタモニカにいた。
トニーと初めてデートした桟橋からは、あの日と変わらない光景が広がっていた。
(神様……お願いします…。彼を…トニーを…奪わないで下さい…)
沈みゆく夕日を見つめながらペッパーが祈っていると、
「ヴァージニアじゃないか」
と声を掛けて来る者がいた。どうやら待ち人がようやく現れたようだ。
(やっぱり来たわね…)
ゴクリと唾を飲み込んだペッパーは、上着のポケットに忍ばせておいたボイスレコーダーのスイッチを入れると、クルリと振り返った。
「アルドリッチ。ここにいればあなたに会えると思ったわ」
アルドリッチ・キリアン。ペッパーの元彼だ。
最後に顔を合わせたのは4年前だが、目の前の男は少しも変わっておらず、笑みを浮かべながら近づいてくると、ペッパーの頬にキスをした。ぞくっと背筋が震えたが、ペッパーは平静を装った。
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
馴れ馴れしくも手を握りしめたキリアンに、ペッパーは無理矢理微笑もうとしたが、トニーのことが頭を過ると引きつった笑みを浮かべた。
「何かあったのか?」
どこか芝居掛かったキリアンの口調に、ペッパーはやはり彼が今回の一件に関わっていると確信した。そこでペッパーは、キリアンが自ら語り出すよう仕向けてみることにした。
「…あなたには関係ないわ」
顔を背けたペッパーの背中を撫でたキリアンは、ニンマリと微笑んだ。
「そうか、辛いよな。恋人が意識不明の重体だもんな」
トニーが重体ということは、まだ報道されていない。それなのに、なぜキリアンが知っているのだろうか…。答えは明白だった。
「どうして知ってるの?」
眉を吊り上げたペッパーだが、キリアンの方もペッパーが勘付いていることを分かっているのか、彼女の言葉を無視すると、視線を反らせた。
「あいつは死んだか?それともまだ生きてるのか?生きていたとしても、あの状態じゃあ、一生眠ったままだろうけどな」
勘は当たっていた。目の前の男が、トニーを半殺しにした犯人だ。
「…やっぱり…。あなたがトニーを…」
体を捻り距離を取ったペッパーは、唇を噛み締めた。
「君を取り戻すためなら、多少の犠牲は仕方ないさ」
憎々しげに見つめてくるペッパーに肩を竦めたキリアンは、せせら笑うように口の端を上げた。
「それにしても、あのガキ、なかなかしぶとかったぞ。君と別れたら命は助けてやると言ったのに、何度も拒否しやがった。本当はあいつを陵辱してやるつもりだったんだ。部下に順番に犯させて、2度と君と会えないように心を壊してやるつもりだった。さすがにこの俺も、あんな子供を殺そうと思うほど非道な男じゃないからな。だが、あのガキの目を見て思った。そんなことをしてもあいつは君のことを絶対に諦めないだろうって。だから痛めつけることにした。1時間くらい暴行してやった。それなのに、あいつはまだ君のことを諦めなかった。だからナイフでめった刺しにして…。そうそう、頭も相当殴ったから、例え命を繋いだとしても、あれじゃあ意識は戻らないだろうな。もし戻ったとしても、五体満足じゃあ……」
「やめて!」
あの時のことを生々しく、そして楽しそうに語るキリアンに堪らなくなったペッパーは耳を塞いだ。そして拳を握りしめたペッパーは、キリアンを睨み付けた。
「彼を傷つけるなんて、私が絶対に許さないわ!」
これだけ証拠があれば十分だ。そう思ったペッパーは、その場を立ち去ろうとしたが、キリアンはペッパーの手を引っ張ると腰を抱き寄せた。
「は、離して!!」
抵抗するペッパーに、キリアンは先程までの態度を一変させると、ドスの効いた声で囁いた。
「おい、待て。4年ぶりなんだぞ?もう少し話をしてもいいじゃないか。お前だって少しは期待してるんだろ?5年前、ここで再会し、それから何度もデートした思い出の場所だから、俺が現れると思って来たんだろ?恋人が意識不明だから、俺に慰めてもらいに来たんだろ?結局君は俺の元に戻ってくる運命なんだよ、ヴァージニア」
くくっと笑ったキリアンは胸元からスマートフォンを取り出した。
「嫌なら逃げてもいいぞ?だが、この映像を大音量で流されたくなかったら、もう少しこうやって俺に抱かれてろ」
モニターに視線をやったペッパーは言葉を失った。昔のものだが、拘束されキリアンに弄ばれる自分の姿がどうして残っているのだろうか…。身体を震わせたペッパーの尻を撫でながら、キリアンは勝ち誇ったように告げた。
「お前との行為は全て映像に残してある。お前が奴隷のように俺に服従する映像もな。美しいな、ヴァージニア。俺のモノを欲しがって泣いてたのはどこの誰だ?」
(そうよ、この男…欲しいものを手に入れるためなら、どんな手段も選ばない男なのよ…)
アルドリッチ・キリアン。ハイスクールで出会った彼は、今のトニーのように人気者だった。一方ペッパーは、地味で真面目で目立たない存在。そんなペッパーに興味を持ったのか、キリアンが告白してきた。誰にも告白されたことのなかったペッパーは舞い上がり、二つ返事で付き合い始めた。最初は彼も優しかった。だが、徐々に本性を表していった。ペッパーを束縛し、気に入らないと暴力をふるった。人には言えないような酷いこともたくさんされた。恐怖で震える毎日だったが、両親を早くに亡くし親戚の家で育っていたペッパーは、迷惑をかけまいとただひたすら我慢するしかなかった。だが、とうとう我慢できなくなり、大学進学と同時にキリアンから逃げるようにLAへ来た。すっかり人間不信に陥っていたペッパーは、黙々と勉学をこなすだけの大学生活を送った。そして卒業すると同時に入社した会社で、一人の男性に出会った。彼は優しく、そしてペッパーの苦しみを理解してくれた。程なくして二人は恋愛関係になり、結婚の約束をした。が、ある日突然事故でこの世を去った。悲しみに暮れるペッパーの前に、キリアンが現れた。慰めてもらううちに、懐かしさからか、それとも虚無感を埋めるためか、身体を許してしまった。だが同じだった。結局彼の暴力に怯え、再び逃げ出した。
そして、もう二度と恋はしないと誓ったのに、トニーと出会い恋に落ちた…。
「俺は君の全てだろ?何も知らなかった君に教えたのは誰だ?俺だろ?君の身体中に俺を刻みつけてやったのを忘れたのか?俺ではないと満足するなと、散々教え込んだのに、君は忘れているようだ。あのガキに抱かれる君は確かに美しい。どうして俺にはあんな姿一度も見せてくれなかったんだ?恥ずかしいからか?それなら俺もあのガキみたいにお前に優しくしよう。それからもう一つ。一度覚えたことを人間は忘れないんだ。いつか恋しくなるんだ。満足できなくなって辛い思いをする前に、俺が迎えに来てあげてるんだ。ヴァージニア、俺の優しさが分からないか?」
キリアンの言っていることはめちゃくちゃだった。だが、彼はペッパーが逃げられないように腕の中に閉じ込めると、ペッパーの唇を撫でた。そして彼女が反論できないように、唇を奪った。身を捩り逃げようとしたが、キリアンは唇の隙間から舌を入れた。逃げ惑うペッパーを捉えたキリアンは、ペッパーの頭を抱え込むと、一層深く口づけした。
キリアンとのキスは、嫌悪感しか感じなかった。吐き気すらもよおしたペッパーは、何とかキリアンを突き放すと、思いっきり平手打ちした。
「どうして私が幸せになろうとすると邪魔するの!!」
赤くなった頬を押さえたキリアンは、ニンマリと嫌な笑みを浮かべた。
「君は俺と結ばれる運命なんだよ、ヴァージニア。君がいくら逃げても同じさ。君が逃げれば捕まえる…それだけだ。邪魔するやつは容赦なく殺す。何度でもあいつを半殺しにしてやる。生きていても二度と社会復帰できなくしてやる。それともあいつが君を嫌うように仕向けてやろうか?それに君はいつだって最後は俺の元へ帰ってくる。そうだ。スタークが死んだら、戻って来い。慰めてやるよ」
狂気に満ちた瞳に、もう何を言っても無駄だとペッパーは感じた。
「もうあの時の私とは違うの。私の描く未来にはね、あなたではない、トニーが必要なの。だから二度と私の目の前に現れないで。それと、もしトニーに何かしてみなさい。私があなたを殺してやるわ。トニーのことは私が守るから」
その場に凛とした彼女の声が響き渡り、辺りは一瞬静寂に包まれた。どう反論しようかと考えているのか、黙ったままのキリアンを残すと、ペッパーは振り返ることなくその場を後にした。
→⑩へ…
毎回毎回、キリアンが酷い男ですみません…(;´Д`)