誰にも邪魔されることのない、特別な3週間の休暇を終えた2人は、再び日常へと戻って行った。
公の場では相変わらず『社長と秘書』という立場を貫く2人だが、一つ変わったことがあった。それは会議中に時折見つめ合ったり、机の下で手を握り合うようになったこと。
社内では2人の仲は知れ渡っているが、不思議なことにマスコミに報じられることはなかった。
だが、いい加減公表した方がいいのかもしれない…と、パーティーでヴァージニアを口説こうとしている見知らぬ男を見ながら、トニーは決心した。
2週後はヴァージニアの誕生日。その日に合わせ、正式に自分からプロポーズしようと考えたのだ。
ということで、トニーは仕事の合間をぬって、社の近くのジュエリーショップへと足を運んだ。
ヴァージニアに似合いそうなエンゲージリングはすぐに見つかった。ちょうど良いサイズも見つかり、リングの内面にメッセージを刻んでもらったトニーは、内ポケットに指輪を忍ばせると店を出た。
が、店を出てすぐの所で、彼は誰かに呼び止められた。
「トニー・スターク様ですか?」
ヴァージニアはよく声を掛けられるが、自分に声を掛けてくる者など滅多にいない。誰だといぶかし気に振り返ったトニーは、驚きのあまり声を失った。
「お久しぶりです。トニー様」
トニーに向かって頭を下げた初老の紳士。15年ぶりに再会したが、その顔はトニーにとって懐かしいものだった。
「ジャーヴィス?」
エドウィン・ジャーヴィスは、父親であるハワードの執事だった。トニーが幼い頃には彼の家庭教師を務めていたジャーヴィスは、あの飛行機事故で難を逃れ、その後は妻と共に故郷のイギリスへと帰っていたのだ。
「どうしたんだ?15年ぶりだろ?」
懐かしそうにジャーヴィスに抱き付いたトニーは、彼の背中をポンと叩いた。すっかり立派に成長したトニーに目を細めたジャーヴィスは、トニーに向かって再び軽く頭を下げた。
「今日はトニー様に折り入ってお願いしたいことがあり、お伺いしました」
深刻な顔をしているジャーヴィスに、余程の相談事なのだろうと思ったトニーは、近くの喫茶店へとジャーヴィスを連れて行った。
しばらくは近況を話していた2人だが、小一時間程経った頃、ジャーヴィスが本題を切り出した。
「トニー様、風の噂で耳にしました。ポッツ・インダストリーズのCEOであられますヴァージニア様とご結婚されるとか…」
2人の結婚話は、ごく一部の人間しか知らないはず。それを彼がどうして知っているのかと思ったトニーだが、昔から水面下に情報網を持っているジャーヴィスのことだから、どこかで仕入れてきたのだろう。
「あぁ。先日彼女からプロポーズされた。再来週の彼女の誕生日に、俺から改めてするつもりだ」
きっとジャーヴィスは祝福してくれると思っていたトニーだが、予想に反して彼は残念そうに視線を伏せた。
「そうですか…。やはり噂は本当だったんですね…。ところで、ご結婚後は、ポッツ姓を名乗られるのですか?」
声を潜めて話すジャーヴィスに、話の展開が見えないトニーはムッとした声で告げた。
「そこまではまだ話してないが…。何だ、ジャーヴィス。祝福してくれないのか?それとも俺が彼女と結婚するのに反対なのか?」
ジャーヴィスとて、トニーには幸せになって欲しい。だが、問題は結婚相手だった。スターク・インダストリーズを合併しスタークと名の付く製品を全て自社のものにしたライバル社の娘というのが、ジャーヴィスとしては我慢できなかったのだ。というのも、スターク・インダストリーズを合併する際、当時のポッツ社長は約束したのだ。『スタークの名は残す。トニーくんが独り立ちする日が来れば、社の再興に力を貸そう』と。だが、15年経ってもその約束は果たされておらず、トニーは秘書のまま。挙句の果てに彼を『ポッツ』とし、スタークの名を完全に消し去ろうとしている…。
だからこそ、今日ここに来た。元社員の長年の願いをもって、トニーの元へやって来たのだ。
「トニー様には幸せになって頂きたいです。ですが、トニー様。我々は15年間ずっと待っていました。トニー様が再びスターク・インダストリーズを立ち上げる日を…。お願いです、トニー様。今のトニー様ならば、できるはずです。ですから、もう一度、スターク・インダストリーズを…」
ジャーヴィスの言葉は、ずっと隠し持っていたトニーの野心に火をつけた。いつか自分の会社を…スターク・インダストリーズを再興したいという気持ちに…。
だがヴァージニアを見捨てるわけにはいかない。彼女は自分にとってかけがえのない存在なのだから…。
「少し考えさせてくれ…」
暫くして顔を上げたトニーは、手元のコーヒーを飲み乾すと立ち上がった。
***
その数分後。
少し出掛けてくると出て行ったトニーはまだ戻ってこない。
「どこ行ったのかしら…」
今日はこの後、DCへ向かわなければならない。トニーではない別のスタッフが同行することになっているので、5日ほど会えないのだ。出発の前にキスの一つでも欲しいと思っていたのに、後10分で出発しなければならないのだ。
連絡してみようと携帯を取り出したヴァージニアだが、タイミング悪くハッピーが部屋にやって来た。
「ヴァージニア様、少しよろしいですか?」
心なしか青い顔をしたハッピーは、辺りをキョロキョロと見渡すと、声を潜めた。
「トニーのことでお話が…」
トニーに何かあったのかと血相を変えたヴァージニアに、
「トニーから直接聞いた訳ではないですが…」
と前置きしたハッピーは、先ほど偶然にも見聞きしたことをヴァージニアに話し始めた。
「そう…」
話を聞き終わったヴァージニアは、そうポツリと呟くと口を閉ざしてしまった。
トニーの独立。それはヴァージニアも考えたことはある。あれだけ才能溢れた人なのだから、起業しても成功するに決まっている。だが問題は、自分が彼と離れたくないということだった。トニーのことは大切だ。1秒たりとも離れたくない存在だ。
だが、彼の気持ちと夢を大事にしてあげたかった。もし彼がスターク・インダストリーズを再興したのであれば、応援してあげなければならない。が、おそらくそう持ち掛けてもトニーは拒否するだろう。きっと彼も自分と離れたくないと言うだろうから…。それならば、彼が心置きなく自分の元から離れれるようするのがいいのかもしれない…。
ハッピーに先ほどの話は口外しないよう告げたヴァージニアは、トニーが戻って来る前に鞄を掴み部屋を後にした。
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