二日後。
トニーはずっとハワードに付き添っていた。ハワードが眠っている間に病室に持ち込んだ仕事を片付け、ハワードが目を覚ませば話をしたり食事を食べさせたりと、トニーは献身的に父親の世話をしていた。だが、ほとんど眠っていないのだろう。疲労の色が濃くなり始めた息子をハワードは心配そうに見つめた。
「おい、トニー。帰って休め。私より酷い顔色をしてるぞ?」
今日は気分が良いのか、からかうように言う父親にトニーは笑顔を向けた。
「大丈夫だ。そんなに柔じゃないさ。それより、さっき連絡があった。ペッパーの陣痛が始まったんだ。もうすぐ分娩室に入る。俺も行ってくるけど…。なぁ、親父…その…」
言いにくそうに声を詰まらせたトニーに、ハワードはニヤリと笑った。
「孫の顔を見るまでは死なないから、安心しろ。早く行って来い。ヴァージニアが待ってるぞ?」
早く行けと手を振ると、トニーはホッとした表情になり、足早に分娩室へと向かった。
難産なのか、産まれたという知らせは一行に来なかった。
段々と息苦しくなってきたハワードは必死に祈った。
(頼む…。マリア…。産まれるまでは……トニーが戻ってくるまでは…待ってくれ…)
目の前がぼんやりとし始めた頃、バタバタという足音と共にトニーの嬉しそうな声が聞こえ、ハワードは目を開けた。
「親父?産まれたぞ。男の子だ」
涙を浮かべたトニーはペッパーの乗る車椅子を押していた。そして、傍らのアヴェリーはペッパーの腕の中を覗き込んでいる。そう、ペッパーの腕の中には産まれたばかりの男の子がいた。
「お父様、抱いて頂けますか?」
身体を起こしてもらったハワードは、トニーに支えてもらいながら小さな孫を抱きしめた。
「かわいいな…。トニーにも…ヴァージニアにも似てる…。トニー…お前の産まれた時に…そっくりだ…」
トニーとペッパー、アヴェリーと産まれたばかりの孫の顔を見渡したハワードの目からは涙が零れ落ちた。
「父さんの名前、もらっていいか?」
トニーの言葉に頷いたハワードだが、苦しそうに咳き込んだ。子供をペッパーに渡したトニーは、父親を横たわらせた。
「もう…そろそろらしい…」
苦しい息の中で呟かれた言葉に、トニーとペッパーは流れ落ちる涙もそのままに、ハワードの手を握りしめた。
「アヴェリー……じーじのこと…覚えておいてくれよ…」
孫の頭を撫でると、幼いながらに何か感じ取ったのだろう。目を潤ませたアヴェリーは、小さな手でハワードの指を握るとにっこり笑った。
「うん!あたちね、じーじ、だいしゅきよ!じーじ、どぶちゅえん、いこうね!」
娘の言葉に必死で声を押し殺して泣いているペッパーに、ハワードは視線を向けた。
息子のことを心から愛してくれる唯一の女性。彼女のおかげでトニーは変わった。彼女が来てくれたおかげで、我々は親子の絆を取り戻すことができた…。だから、彼女には…マリアの分もお礼を言わなくては…。
「ヴァージニア…。スターク家に…来てくれて…ありがとう…。これからも…トニーのこと…頼むぞ…」
いつもトニーを正しい方向に導いてくれる手を握ると、ペッパーは優しく握り返してきた。
「はい…。お父様…私、お父様とお母様の娘になれて、幸せでした…」
何度も頷いたハワードは、先ほどから泣くばかりで何も発しない息子を見つめた。
伝えたいことは山のようにある。もっと話をしておけばよかった。だが、きっとトニーは分かってくれている。言葉にしなくても、分かってくれている。なぜなら、私たちは親子なんだなら…。
小さく震える息子の手を力強く握ったハワードは、その姿を目に焼き付けるようにじっと見つめた。
「トニー…いいか…。ヴァージニアと…子供たちを…大事にしろよ?」
せめて笑顔で送り出したい…と思ったトニーは、涙でぐちゃぐちゃになった顔を袖口で乱暴に拭くと笑顔を向けた。
「あぁ…。分かってる…分かってるよ、父さん…」
つられて笑ったハワードだが、その手から次第に温もりがなくなりつつあるのに気づいたトニーは、涙を堪えるように天を仰いだ。
焦点の合わなくなってきたハワードは、天井を…いや、その遥か先を見ているようだ。
「マリアに…やっと…会える…」
「そうだな。母さんに会ったら…俺が……」
言葉を詰まらせたトニーの後を続けるように、ハワードは囁いた。
「あぁ…。お前が…立派になったこと…伝える…」
大きく息を吐いたハワードは、トニーに視線を向けた。
「トニー…アンソニー…。愛してる…。お前が息子で…よかった…」
ゆっくりと目を閉じたハワードの手をギュっと握ったトニーは、最後に伝えなければと、耳元に口を近づけた。
「俺も…父さんと母さんの息子で良かったよ…。父さん…ありがとう…。愛してるよ…」
口元に笑みを浮かべたハワードは小さく頷くと、ふぅ…と息を吐いた。握られていた手から力が抜け、部屋には無機質なモニターの音が響き渡った。
葬儀が終わり、自宅へ戻って来たトニーとペッパーは、亡き父親の部屋へ向かった。
父親が生前の時にはあまり入ったことがないため、二人はあちこち興味深そうに見て回った。机の上にはトニーとペッパーの結婚式の写真や、アヴェリーの写真が並べて置いてある。そして、何よりも大切そうに置いてあるのが、亡き母親の沢山の写真だった。
「お父様…お母様に会えたかしら?」
ハワードとマリアの写る写真を手に取ったペッパーは、目に浮かんだ涙を拭うとトニーの腰に手を回した。
「お袋のことだ。親父が来るのが待ちきれなかっただろうから、飛びついて出迎えたんじゃないか?」
クスッと笑いあった二人は、机の下にある大きな箱に気づいた。
「何かしら?」
座り込んだ二人は箱を開けると、息を飲んだ。
「トニー…これ…」
箱の中は、トニーに関する物…産まれた瞬間から今に至るまでのたくさんの写真、使っていたのだろう小さなおもちゃ、トニーが作った工作や絵、ハワードに宛てた手紙、そして表彰状や論文、新聞記事や表紙を飾った雑誌などが箱いっぱいに大切に保管されていた。
「何だよ…こんな物までとってたのか…」
幼い頃に作ったのだろう。枯れ木や落ち葉を組み合わせて作った小さな船の模型を手に取ったトニーは、愛おしそうに眺めた。
「お父様は、あなたのことを本当に大切に思っていらっしゃったのね…」
トニーに抱きついたペッパーは、彼の肩にもたれかかった。ペッパーの背中を撫でながら、トニーは優しい声色で呟いた。
「あぁ。親父は不器用だから、言葉に出来なかったんだろうな。でも、今なら分かる…。言葉にしなくても、親父の愛情はよく分かるんだ…」
ペッパーの手をそっと握ったトニーは、身体を抱き寄せると首筋にキスを落とした。
「と、トニー…」
真っ赤になった顔を隠すように胸元に顔を押し付けたペッパーを抱き上げたトニーは、
「なぁ、ハニー。親父とお袋が恥ずかしがるくらい、君たちのことは幸せにするからな…」
と囁くと、キスをしながら部屋を後にした。
【END】