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Nothing’s Gonna Change.

年の瀬の迫った12月。人々が忙しく行き交う東京の雑踏の中に、あの2人の姿があった。
トニー・スタークとペッパー・スターク。
スターク・インダストリーズの東京支社で年末のパーティが開催されるため、2人は来日していた。
年が明ければ、モーガンは結婚し、家を出て行く。そのため、家族3人で新年を日本で過ごそうと、娘も連れて来ているのだが、そのモーガンは日本を満喫したいと、到着早々、ボディーガードにハッピーを連れて、街へと繰り出してしまった。そこで2人もホテル近くを散策することにしたのだが、こちらはお供は誰もおらず、2人きりだった。
街を歩けば騒がれていたのも遠い昔。ヒーロー業から遠ざかり早25年。NYの街中では今でもファンやパパラッチが周囲を彷徨いているが、それも昔に比べると数は減った。アメリカ国内でそのレベルだから、遠い国である日本ではおそらく気付かれないだろうと、2人は変装もせず堂々と歩いていた。案の定、2人に気づく者は誰もいなかった。年末という忙しさもあり、腕を組み楽しげに話しながら歩く外国人の初老のカップルに、気を留める者はいなかったのだ。
目に付く店に入り買い物をし歩き回っていると、いつの間にかトニーの両手は荷物でいっぱいになっていた。と、トニーがくしゅんとクシャミをした。するとペッパーは鞄の中からマフラーを取り出すと、彼の首元に巻きつけた。
「風邪を引いたら大変よ」
リアクター除去の手術を受けてから、トニーの体調管理には人一倍気をつけていたペッパーだったが、サノスとの戦いで、生死の境を彷徨ったトニーは、それ以来体調を崩すことが多かった。そのトニーが心臓発作で倒れたのは5年前。一時は危篤状態となったが、一命を取り留めたトニーに、ペッパーはそれまで以上に気を配るようになっていた。
「寒くない?」
妻の言葉に頷いたトニーだが、夕方になり気温が下がってきた。時刻は16時前。夕食は19時からホテルのレストランを予約しているが、まだ時間はたっぷりある。
「せっかくだから何か飲まないか?」
そばにあった小さなカフェに目をやったトニーは、ペッパーと共にカフェへと向かった。

中途半端な時間なためか、店内は空いていた。奥の席へと案内された2人は、メニューを広げた。が、メニューは文字だけ…しかも、日本語で書いてあるのでよく分からない。店員に助けを求めようとしたが、タイミング悪く何組も客が入店してきたため、対応に追われた店員に気づいてもらえなかった。
「どうする?」
「コーヒーだけにする?コーヒーなら何処にでもあるわ」
と、2人が話をしていると、先程とは違う店員が、慌てて駆け寄って来た。
「すみません!お待たせしました」
ぺこぺこと頭を下げた店員は、モーガンと同じくらいの年齢だろうか、慣れない英語で身振り手振り一生懸命に説明をし始めた。
店員の丁寧な説明の甲斐あって、2人はコーヒーと店のオススメだというサンドイッチを頼むことにした。
「すぐにご用意しますね」
日本語だったので何と言われたか分からなかったが、笑顔でそう告げた店員に、トニーは頷いた。
店員が立ち去ると、トニーは店内を見渡した。先程店員が説明してくれたメニューに、ヒーローの名前が付いたものがあり、気になっていたのだ。すると、店内の壁際には、キャプテン・アメリカ…と言っても、トニーが馴染みのある方ではなく、元ファルコンの方だが…や、今活躍しているヒーローたちのフィギュアや絵が飾ってあるではないか。
このカフェは一体どういうコンセプトなのだろうか。よく見ずに入店したが、ヒーローがテーマのカフェなのだろうかとキョロキョロしているトニーに、何やら携帯で検索していたペッパーが声を掛けた。
「ここ、ヒーローがテーマのカフェみたいよ」
偶然入ったカフェは、『ヒーローズカフェ』という、ヒーローがテーマのカフェだったのだ。だからやたらとフィギュアなどが展示してあり、メニューもヒーローに因んだものになっていたのだ。納得したように頷いたトニーが、何やら言いかけた時だった。先程の店員がコーヒーとサンドイッチを持って戻ってきた。
「お待たせしました。コーヒーとサンドイッチです」
と、トニーは気づいた。テーブルに手際よくセッティングしていく店員の胸元のポケットには、アイアンマンのフィギュアの付いたボールペンがささっていることに…。ボールペンだけではない。彼女のピアスはリアクター型だし、エプロンにはアイアンマンのバッチが山ほど付けてある。
(懐かしいな…)
彼女はアイアンマンのファンなのだろうが、ヒーローとして活躍していたのは25年も前の話なのに、こうやってまだ自分のファンでいてくれる人が日本にもいるのだ。
感慨深げなトニーの表情に、彼が何を見ているのか気づいたペッパーは、思わず微笑んだ。
「懐かしいわね…」
「あぁ…」
すると、見つめ合い微笑んでいる2人の視線に気づいた店員は、目を輝かせた。
「アイアンマンです。知ってます?」
辿々しい英語でそう告げた店員は、アイアンマン本人にそう尋ねているのだから、ペッパーは笑いを堪えるのに必死だった。が、トニーは眼鏡を掛けているし、髪型もあの頃とは少しばかり違っている。何より25年も経てば、容姿もそれなりに変わっている。それに、まさかトニー・スターク本人が、こんな所に座っているとは誰も思いもしないだろう。
黙って頷いたトニーに、店員はますます嬉しそうに告げた。
「私はアイアンマンの大ファンなんです。彼は今でも世界一のヒーローです」
キラキラと目を輝かせている店員は、心の底からそう思ってくれているのだろう。彼女の気持ちはその一言で十分伝わってきた。
「そうだな」
トニーはそれ以外何も言わなかったが、店員が去った後も、彼は笑みを浮かべたままだった。

店のオススメと謳うだけあって、サンドイッチは絶品だった。黙々と食べ終えた2人だが、店内はいつの間にか満席になっていた。何かイベントでもあったのだろうか、ヒーローのコスプレをしている客もおり、待っている客もいるのだから、早く出た方がいいだろうと、2人は帰り支度を始めた。

「モーガン、近くにいるんですって。こっちに向かってるから、待っててですって」
娘からのメールの内容を伝える妻に頷いたトニーは、荷物と伝票を持つとレジへと向かった。
レジでは先程のアイアンマンファンの店員が対応してくれた。金額を告げられたトニーは、財布からカードを出すと、トレーの上に置いた。と、店員はそれがスターク・インダストリーズのカードであることに気づいた。今や日本にも支社のある世界的大企業。その企業のクレジットカードは、役員クラス…それも超上層部の人間しか持つことができないカードとして有名だった。しかも出されたカードはブラックカードときたもんだから、目の前の年配の外国人の男性は、日本支社ではなくアメリカの本社勤務の、超VIPな関係者なのだろうと、店員は考えた。
おそらく今後一生触ることがないであろう、スターク・インダストリーズのブラックカードを恐る恐る受け取った店員は、そこに記載された名前に気づくと、目を丸くした。
何度見ても、カードには”Tony Stark”と書いてあるのだ。
店員は、カードと客の顔を見比べた。何度も何度も見比べた彼女は、ようやく気付いた。男性は、何十年もずっと大好きな、トニー・スターク本人であることに…。

「と、と、と……」
思わず名前を叫びそうになった店員だが、さすがに場を弁えたのか、慌てて口を塞いだ。目を擦った彼女は、遅れてやって来た女性が、トニー・スタークの妻であるペッパーであることにもようやく気づいた。
憧れのスターク夫妻が目の前にいるのだ。
顔を真っ赤にした彼女は、暫く目を見開いて口をパクパクさせていたが、こんな機会はもう一生ないだろうから、何か伝えなければと、必死で思いつく英語を絞り出した。
「さ、さ、3000回愛してます…」
お馴染みのセリフに、日本でも浸透しているとは…と、トニーは苦笑い。だが、25年経った今でも、こんなにも思ってくれているファンに異国の地で出会えたのは、彼にとっても喜ばしいことだった。
そこで、そばにあったメモ用紙にサラサラとサインをしたトニーは、店員に渡した。
「ありがとう。日本にもまだアイアンマンのファンがいると知って、嬉しかった。君と出会えてよかったよ」
生憎日本語は挨拶程度しか喋れないので英語で告げてみた。きちんと伝わったかどうかは分からない。だが、店員は感動のあまり目に涙を浮かべているではないか。
涙を拭った店員は、素早く決済をすると、トレーの上にカードを置いた。カードを財布にしまったトニーは、店員に向かって手を差し出した。おずおずと握ってきた店員の手を力強く握ったトニーは、ウインクするとペッパーと手を繋ぎ、店を後にした。

***
EGから25年後のお話です。

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I want to live a second life with you.⑯【END】

久しぶりに2人きりの夜は、永遠に続いて欲しいと思うほど、最高の夜になった。
いつもはモーガンがいるから…と、声を抑え気味なペッパーも、今宵ばかりは感じるがままに思いっきり声を出した。妻の妖艶な声はトニーを駆り立て、2人は激しく求めあった。

結局、日付が変わるまで愛し合った2人は、ベッドの中で抱き合い、余韻に浸っていた。
「来週はモーガンを連れて来よう」
腕の中に閉じ込めたペッパーの髪を撫でながら、トニーはそう告げた。
「きっと気にいるわ」
頷いたペッパーは顔を上げると、トニーを見つめた。
「トニー、私たちの物語は、ハッピーエンドを迎えられそうね」
妻の言葉にトニーは一瞬目を見開いた。
『皆ハッピーエンドが好きだが、そうじゃないこともある』
あの遺言めいたメッセージに、そう吹き込んだ。あのメッセージを聞くということは、自分が何らかの形で命を落とすということだから、ハッピーエンドを迎えられないと、自分に言い聞かせるように吹き込んだ言葉だった。みんなハッピーエンドが好きに決まっている。ペッパーとモーガンも…。そしてトニー自身も、本当はハッピーエンドを迎えたかった。それなのに、あの時、あんな形で最期を迎え、ハッピーエンドを迎えられなかった。
あのメッセージを、ペッパーとモーガンはどんな気持ちで受け止めたのだろうか…。
「ハニー…」
何か言わねばと、言葉を続けようとしたトニーだが、何と言っていいか分からなかった。この先、本当にハッピーエンドを迎えられるかなんて、誰にも分からないのだから…。
トニーの気持ちを察したのか、僅かに目を潤ませたペッパーは、トニーの頬を両手で包み込むと、唇にキスをした。そして唇を離した彼女は、
「3000回愛してるわ」
と告げると、にっこり笑った。
その時トニーは確信した。
今度こそ、自分たちはハッピーエンドを迎えられると。
が、照れくささもあり、素直になれないトニーは、わざとふんっと鼻を鳴らした。
「君は600から900かそれくらいだと思っていたが」
「そういうあなたは12%くらいでしょ?」
お馴染みのセリフに、目をくるりと回したトニーだが、ハハっと笑い声を上げた。そしてペッパーの肩を抱き寄せると、ぎゅっと抱きしめた。
「3000回では足りないな。3億かもしれないし3兆かもしれない。君の言う通り、今度こそハッピーエンドを迎えられそうだ。君とモーガンがそばにいてくれるんだ。ハッピーエンドに決まってるさ」
すっきりとしたトニーの声に安心したペッパーは、彼の胸元に顔を押し付けた。

5年前、葬儀の後、彼の象徴のような存在であったリアクターを湖に流した。ずっとそばにいて欲しいという思いもあったのだが、リアクターが必要ない世界で彼がゆっくり眠れますようにという思いもあった。
奇跡が起こり、彼は戻ってきてくれた。彼の胸にあるのは、リアクターではなく、大きな傷跡だけ。
リアクターの必要のない世界で、彼は今度こそハッピーエンドを迎えることができるのだ。そしてそのそばに、自分と娘がいる…その奇跡にもペッパーは感謝せずにいられなかった。
(私たち、今まで以上に幸せになりましょうね…)
トニーのキスを顔中に受けながら、ペッパーはこれから家族3人で歩んでいく未来を想像しながら、目を閉じた。

【END】

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I want to live a second life with you.⑮

「ねぇ、シャワー浴びない?」
暫くしてペッパーが甘ったるい声でそう囁いた。チラリと腕時計を見たトニーは、身体を離した。
「お先にどうぞ」
するとペッパーは、わざとらしく眉を吊り上げた。
「やだわ、トニー。『一緒に』って意味よ」
悪戯めいた笑みを浮かべたペッパーに、トニーは彼にしては珍しく、照れ臭そうに鼻の頭を擦った。
無理もない。一緒に風呂に入るのは5年ぶり…いや、モーガンが生まれてからは、どちらかが娘と共に入っていたため、夫婦2人きりで風呂に入ったことは、一度もなかったのだ。
「5年ぶりか?」
頬を赤らめているトニーに、ペッパーは笑い声を上げた。
「あなたは5年ぶりでしょうけど、私は10年ぶりよ」

手早くシャワーを浴びた2人は、バスタブの中で向かい合って座っていた。
「広いお風呂っていいわね」
バスルームを見渡したペッパーは、身体を伸ばした。湖畔の家もマンハッタンの家の風呂も足を伸ばすことはできるが、こんなにも広くはない。久しぶりに広々としたバスタブに浸かることができたし、ジャグジー機能も付いた高性能なバスタブに、ペッパーはご満悦だ。
「マリブの家の風呂はもっとバカでかくしよう。そうすれば、3人で入れるだろ」
真顔で頷いたトニーだが、ペッパーは苦笑した。
「トニーったら…。モーガンは大きくなったから、一緒には無理よ」
と、トニーが目を見開いた。
「そんな……」
ガックリと肩を落としたトニーに、ペッパーは目をくるりと回した。
「モーガンはもうすぐ10歳なのよ、トニー」
妻の言葉に、空白の5年間が重くのしかかってきた。
娘は自分が知っている、4歳のモーガンではないのだ。あの頃のように、絵本を読んで寝かしつけたり、ベッドの中でこっそりアイスキャンディーを食べたりするような年齢ではないのだ。
途端に虚無感が襲いかかってきたトニーは、唇を尖らせた。
「そうだったな…。もうちっちゃなモーグーナではないんだな…。5年という歳月は、やはり長いな…」
寂しそうなトニーの姿に、ペッパーは胸が張り裂けそうになった。トニーの中では、モーガンは4歳のままなのだ。彼の中では4歳の小さな娘が突然9歳に成長したのと同じなのだ。そして娘のその5年間を、彼は今、必死に受け入れようとしているのだ。いや、モーガンのことだけではない。トニーは全てのことにおいて、空白の時間を埋めようと必死なのだ。
だが、ペッパーは信じていた。その5年間はこれからの5年…いや、何十年という歳月がきっと埋めてくれる。だから、これから先、その5年間を忘れてしまうくらい楽しい思い出を作ればいいのだと…。
そこで、腰を浮かせたペッパーは、トニーの傍まで行くと、彼の膝の上に座った。甘えるように彼の首元に腕を回したペッパーは、頬にキスをした。
「モーガンはもう一緒に入れないけど、その分私と一緒に入るっていうのはどうかしら?旦那様?」
何度か瞬きをしたトニーは、目じりを下げ笑みを浮かべた。少しだけ寂しげな様子だが、甘ったるい笑みを浮かべたトニーは、ペッパーの頬にそっと手を置いた。
「仕方ない。君で我慢するよ」
からかうような口調で告げたトニーに、ペッパーはわざとらしく頬を膨らませたが、すぐにその頬は赤らみ始めた。というのも、トニーの指が背中を這い回り始めたのだ。
「ん……」
ペッパーが吐息を漏らした。トニーの手は今や尻を撫で回しており、ジワジワと沸き起こってきた快楽に、ペッパーは腰をモゾモゾと動かした。すると腹部に硬くなり始めたトニーのモノが触れた。手を伸ばしそれに指を這わせると、トニーが目を閉じた。
「トニー……」
耳元で名を囁いたペッパーは、彼の耳朶を甘噛みした。
「ねぇ…ベッドに連れて行って…」
仕上げとばかりに耳にふぅと息を吹きかけると、身震いしたトニーは目を開けた。
「愛する妻の頼みなら」
ニヤッと笑ったトニーはペッパーを抱き上げると、寝室へと向かった。

⑯へ…

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I want to live a second life with you.⑭

そして週末になった。
昼過ぎに迎えにきたローディと共にモーガンは出かけ、家には夫婦2人きりとなった。
「で、予定は?」
デートプランはトニーに一任されているため、ペッパーは全く知らなかった。するとトニーは前日に用意していたのだろう、スーツケースを寝室から持って降りてくると、ペッパーの手を取り車に向かった。

トニーは車を走らせ続けた。どこに向かっているのかと尋ねても、トニーは秘密だと教えてくれなかったが、どうやらハンプトン方面へ向かっているようだとペッパーは気づいた。
そして2時間ほど経った頃、車はイーストハンプトンのとある家の前に到着していた。木に囲まれ敷地内は見えない。ここはホテルかゲストハウスか何かで、今宵はここに泊まるのだろうかとペッパーが考えていると、自動で開いたゲートをくぐり、車は敷地内へと入って行った。しばらく進むと、石造りの大きな家が見えた。家の前には芝生に覆われた広々とした庭が広がっており、車から降りたペッパーは感嘆の声を上げた。
「素敵な家ね!」
「気に入ったか?」
トランクからスーツケースを出したトニーは、ペッパーの肩を抱き寄せると頬にキスをした。
「えぇ。今日はここへ泊るの?」
するとトニーは得意げに鼻をこすった。
「いや、我が家だ」
「え???」
我が家とは一体どういうことなのだろうかとペッパーが首を傾げると、トニーは笑みを浮かべた。
「買ったんだ。週末を過ごすための家だ。確かプロポーズした後だったか?何処かに別荘を買おうと話したことがあっただろ?その時君はハンプトンがいいと言っていた。だからここを買ったんだ」
そう言えば、プロポーズされ、結婚式の打ち合わせをしている時だったか、そういう話をした記憶がある。結局、サノス襲来のせいで、結婚式も何もかもが予定通りにできず、別荘の話どころではなかったため、すっかり忘れていた。だが、トニーは覚えていてくれたのだ。
「覚えていてくれたの?」
「当たり前だ。愛する妻の言葉は一言一句全て覚えている」
ニヤニヤと笑いながらそう答えたトニーは本当に楽しそうだ。彼の笑顔を見るだけで、ペッパーは嬉しくてたまらなかった。特に子供のような無邪気な笑顔を見るたびに、あの5年間、ずっと苦しんでいたトニーがようやく全ての悪夢から解放されたことを、感謝せずにいられなかった。
ふふっと笑ったペッパーは、トニーにキスをすると、腕を絡ませ歩き始めた。

プールもある広大な裏庭からは、ハンプトンの海が見えた。どことなくマリブの家からの景観に似ており、ペッパーは長年暮らしたマリブの家が恋しくなった。だが、あの場にはもう戻れない。NYに移ってから、トニーの口からマリブの話は一度も出ていなかった。そのため、あんな事件があったのだから、きっとトニーは戻りたくないのだろうと考えたペッパーは、先程の思いを払拭するように首を振った。

トニーと共に家の中をあちこち見て回ったペッパーは、買い揃えねばならない物の名前を口に出した。するとトニーはそれを自らメモに書いているではないか。いつもならA.I.に記憶させている彼なのに、一体どうしたのだろう。が、ペッパーは気づいた。この別荘には、彼専用のラボがないどころか、F.R.I.D.A.Y.の声も聞こえないことに…。
「ねぇ、F.R.I.D.A.Y.は?」
ペッパーの問いに、メモを取る手を止めたトニーは、微笑んだ。
「言っただろ?もう二度とヒーローになるつもりはないと。今の私はただのトニー・スタークだ。過去に少しだけヒーローだったことがある、ただの男なんだ。だからここでは、普通の暮らしをすることにした」
トニーのその気持ちは嬉しかった。だが、彼は『普通の生活』をするために我慢しているのではないかという疑念が、ペッパーの心に浮かんできた。それでも彼の気持ちは嬉しくもあり、望んできたことでもあったので、感謝の言葉を口にしたペッパーは、夫の頬にキスをした。

近くのレストランでランチを済ませた後、必要なものを買い揃えるために、2人はハンプトンの街を散策した。帰宅し荷物を片付け終わると、夕方になっていたため、ピザを頼み映画を見ながら食べることにした。
『死んで』いた間に公開された、トニーのお気に入りのシリーズ作品を見ながら、ペッパーは恋人時代を思い出していた。あの頃はこうやって2人きりの夜を楽しんでいた。
「なんだか懐かしいわね、こういうの」
トニーの足の間に座り込んだペッパーは、甘えるように寄りかかった。
「モーガンが生まれてからは、あの子がいる生活が当たり前になっていたわ。あなたと2人きりになっても、あの子が怖い夢を見て起きてくるんじゃないかって、心のどこかで気になってた。でも今日は、あの子が生まれる前に戻った気分よ」
「それもこのデートをお膳立てしたくれた、モーガンのおかげだな」
顔を見合わせた2人はふふっと笑いあったが、ペッパーを背後から抱きしめたトニーは、ここに来てからずっと考えていたことを妻に話すことにした。
「なぁ…裏庭から海が見えるだろ?マリブの海に似ている海が…。懐かしかった。あっちは気候もいいし…。そこで提案だ。マリブにも家を建てないか?あの場所に、今度はもう少し小さめの家を…。冬はマリブで過ごそう」
黙って話を聞いていたペッパーだったが、身体を離すと潤んだ瞳でトニーを見つめた。
「トニー…」
目に涙を溜めた妻に、トニーは眉を顰めた。
「嫌か?」
あんな事件があった家だから、ペッパーは戻りたくないだろうと、トニーはNYに移住してからマリブの話をしないようにしていた。だから今彼女が泣き出しそうなのは、エクストリミスの事件を思い出したからで、辛い思い出を蘇らせてしまったと、トニーは後悔した。が、ペッパーは小さく首を振ると、トニーにギュッと抱きついた。
「いいえ。私も同じことを考えていたの」
トニーは目をパチクリさせた。どうやらペッパーは、悲しくて泣いていたのではなく、嬉しくて泣いていたらしい。
「君は戻りたくないかと…」
予想外の展開にそう一言告げると、涙を拭ったペッパーは小さく笑みを浮かべた。
「あなたこそ。NYに来てから、マリブの家のことは一切口に出さないから、嫌なんだと思ってたわ」
妻の言葉に目を軽く見開いたトニーは、わざとらしく肩を竦めてみせた。そんな夫の頬にキスをしたペッパーは、マリブの家を思い出したのか、何度か瞬きした。
「あの家は、私たちのことを最初から見守ってくれていた思い出の家よ。楽しいことも辛いことも沢山あったけど、あの場所が私たちの原点でしょ?」
頷いたトニーは、妻の手を取ると軽く握りしめた。
「よかった。君が同じ思いでいてくれて。意見が一致したところで、早速取り掛かろう。前の家とは雰囲気をガラッと変えたい。モーガンが走り回って遊べて、落ち着く家にしたい。家の内装は君とモーガンの思う通りにしてくれ」
えぇと頷いたペッパーは、トニーの手を握り返した。
「一つだけお願いがあるの。マリブの家には、あなたのラボも作って。それからF.R.I.D.A.Y.も…」
思わぬ提案に、トニーは困惑した表情を見せた。
無理もない。ペッパーは自分がラボに篭っていることを昔からあまりよく思っていなかった。だから生き返った今、『普通の生活』をしようとトニーは考えていたのだ。それなのに、妻は今まで通りの生活をしたいと言っているのだ。
困惑するトニーに気づいたペッパーは、トニーの手を優しく摩った。
「あなたがこの家では普通の暮らしをしたいと言ってくれたのは、凄く嬉しかったのよ。でも、あなたはラボで好きなことをしている時、とっても生き生きしてるわ。そんなあなたの姿を見るのが私は好きなの。昔からずっと…。だからね、冬を過ごすマリブの家は、今の家のようにあなたには好きなことをしていてもらいたいの」
どうして彼女はこんなにも自分のことを分かってくれているのだろうか…。
普通の暮らしをしようと決めたが、頭の中にはアイデアが次々と浮かんできて、すぐにでもラボに篭りたい気持ちをトニーは抑え込んでいたのだ。勿論、アーマーを開発する気はさらさらない。折角生き返ったのだ。もう二度とヒーロー活動をするつもりはなかった。
ペッパーはそんな自分の本心にとっくに気づいていたのだ。自分自身以上に理解してくれているのは、ペッパーだけ。如何なる時もずっとそばにいて見守ってくれていたペッパーだけ…。
微笑んだペッパーを、トニーは抱き寄せた。
「ありがとう…ペッパー」
耳元で囁いたトニーの目から小さな涙が零れ落ちた。夫の涙に気づいたペッパーは、黙って彼の背中を撫でた。

⑮へ…

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I want to live a second life with you.⑬

翌日。3人はコニーアイランドにあるNY水族館に向かった。
「3人で水族館に来るのって初めてだね」
両親と手を繋いだモーガンは喜びを隠しきれないようで、跳ねるように歩いている。が、あまり大声を出すと周囲にバレると感じたのか、慌てて口を閉じた。
トニーもペッパーも深々と帽子を被っているし、トニーに至っては念のため髭まで剃ってきたのだ。今のところバレていないようで、叫び声も黄色い声も聞こえない。つまり、3人は完全に周囲に溶け込んでおり、このまま気づかれずにやり過ごせると思ったのが…。

アシカショーを見終わった3人は、ショップへと向かった。
「ねぇ、パパ。このぬいぐるみ、買って?」
自分の背丈ほどもある大きなアシカのぬいぐるみを抱えたモーガンに、トニーは大きく頷いた。5年間寂しい思いをさせていたのだから、娘がねだるものはなんだって買ってあげようと、娘とアシカを連れて、意気揚々とトニーはレジへと向かった。

金額を告げられポケットから財布を取り出したトニーは、ここでようやく気づいた。自分は死んでいたのだから、クレジットカードの有効期限はとっくに切れており、ただ今再発行中で手元にないということに…。生憎現金は、チップ用程度しか持ち合わせていない。そこでキョロキョロと妻の姿を探すと、彼女は遠く離れた場所にいるではないか。
「おい、ペッパー!」
トニーはうっかり叫んでしまった。それもいつもの調子で…つまり大声で。すると、
「トニー、どうしたの?」
と、大声で叫んだペッパーが駆け寄ってきた。

『トニーとペッパー』
地球広しといえど、その呼び名はあの2人しかいない。5年ぶりに生き返ったと、話題沸騰中のトニー・スタークと妻のペッパー・スタークだ。
店内の全員が声の主に注目した。
と、レジを打っていた店員が顔を上げた。
彼女は目の前の人物が誰か気づくと、目を見開いて飛び上がった。

「と、と、トニー・スターク!!!!!!」

店員がトニーを指差し大声で叫ぶと同時に、店内は歓声と悲鳴と叫び声に包まれた。中には奇跡を目の当たりにしていると、トニーを拝み出す人までいる始末。
あまりの熱狂ぶりにモーガンはポカンと口を開けたまま固まっているではないか。溜息を付いたトニーだが、元々バレてもいいと思っていたのだから、帽子を取った。すると人々から拍手が沸き起こった。
「おかえりなさい!」
何処からともなく聞こえた声に向かって、トニーは手を振ると口を開いた。
「ありがとう。ありがとう、みんな。どうやら私は死んでも人気者だったらしいな。奇跡が起こり、戻ってくることができた。皆が祈ってくれたからかもしれない。ありがとう」
トニーの言葉に、再び拍手が沸き起こった。大袈裟に一礼したトニーは、いつの間にか会計を済ましてくれていたペッパーと、アシカを抱えたまま固まっているモーガンの手を取ると、店を後にした。

勿論、車に向かう途中も大騒ぎで、3人は急いで車に乗り込んだ。何処かでランチをする予定だったが、こんな状況ではゆっくりすることもできないだろうと、結局真っ直ぐ家へと戻ってきた。
家へ戻ってきても、モーガンは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして黙ったままだ。
「モーガン、大丈夫?」
自分たちはああいう状況には慣れているが、モーガンは初めての経験だから、驚くのも無理はないだろうと、娘の隣に腰を下ろしたペッパーは、小さな背中をそっと撫でた。すると何度か瞬きをしたモーガンは、頬を赤らめると、興奮気味に喋り始めた。
「パパってやっぱり凄いんだね!だってみんながあんなに喜んでるんだもん!私、ビックリしちゃったけど、面白かった!」
トニーは思わずペッパーと顔を見合わせた。てっきり怖がっているのかと思いきや、逆に面白がっているのだから…。
「やっぱりあなたの子ね」
目をクルリと回したペッパーだが、可笑しそうにクスクス笑い出した。
「いや、12%は君の子だ」
ふんっと鼻を鳴らしたトニーは、モーガンの傍に鎮座しているアシカの頭を撫でた。

⑭へ…

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