Nothing’s Gonna Change.

年の瀬の迫った12月。人々が忙しく行き交う東京の雑踏の中に、あの2人の姿があった。
トニー・スタークとペッパー・スターク。
スターク・インダストリーズの東京支社で年末のパーティが開催されるため、2人は来日していた。
年が明ければ、モーガンは結婚し、家を出て行く。そのため、家族3人で新年を日本で過ごそうと、娘も連れて来ているのだが、そのモーガンは日本を満喫したいと、到着早々、ボディーガードにハッピーを連れて、街へと繰り出してしまった。そこで2人もホテル近くを散策することにしたのだが、こちらはお供は誰もおらず、2人きりだった。
街を歩けば騒がれていたのも遠い昔。ヒーロー業から遠ざかり早25年。NYの街中では今でもファンやパパラッチが周囲を彷徨いているが、それも昔に比べると数は減った。アメリカ国内でそのレベルだから、遠い国である日本ではおそらく気付かれないだろうと、2人は変装もせず堂々と歩いていた。案の定、2人に気づく者は誰もいなかった。年末という忙しさもあり、腕を組み楽しげに話しながら歩く外国人の初老のカップルに、気を留める者はいなかったのだ。
目に付く店に入り買い物をし歩き回っていると、いつの間にかトニーの両手は荷物でいっぱいになっていた。と、トニーがくしゅんとクシャミをした。するとペッパーは鞄の中からマフラーを取り出すと、彼の首元に巻きつけた。
「風邪を引いたら大変よ」
リアクター除去の手術を受けてから、トニーの体調管理には人一倍気をつけていたペッパーだったが、サノスとの戦いで、生死の境を彷徨ったトニーは、それ以来体調を崩すことが多かった。そのトニーが心臓発作で倒れたのは5年前。一時は危篤状態となったが、一命を取り留めたトニーに、ペッパーはそれまで以上に気を配るようになっていた。
「寒くない?」
妻の言葉に頷いたトニーだが、夕方になり気温が下がってきた。時刻は16時前。夕食は19時からホテルのレストランを予約しているが、まだ時間はたっぷりある。
「せっかくだから何か飲まないか?」
そばにあった小さなカフェに目をやったトニーは、ペッパーと共にカフェへと向かった。

中途半端な時間なためか、店内は空いていた。奥の席へと案内された2人は、メニューを広げた。が、メニューは文字だけ…しかも、日本語で書いてあるのでよく分からない。店員に助けを求めようとしたが、タイミング悪く何組も客が入店してきたため、対応に追われた店員に気づいてもらえなかった。
「どうする?」
「コーヒーだけにする?コーヒーなら何処にでもあるわ」
と、2人が話をしていると、先程とは違う店員が、慌てて駆け寄って来た。
「すみません!お待たせしました」
ぺこぺこと頭を下げた店員は、モーガンと同じくらいの年齢だろうか、慣れない英語で身振り手振り一生懸命に説明をし始めた。
店員の丁寧な説明の甲斐あって、2人はコーヒーと店のオススメだというサンドイッチを頼むことにした。
「すぐにご用意しますね」
日本語だったので何と言われたか分からなかったが、笑顔でそう告げた店員に、トニーは頷いた。
店員が立ち去ると、トニーは店内を見渡した。先程店員が説明してくれたメニューに、ヒーローの名前が付いたものがあり、気になっていたのだ。すると、店内の壁際には、キャプテン・アメリカ…と言っても、トニーが馴染みのある方ではなく、元ファルコンの方だが…や、今活躍しているヒーローたちのフィギュアや絵が飾ってあるではないか。
このカフェは一体どういうコンセプトなのだろうか。よく見ずに入店したが、ヒーローがテーマのカフェなのだろうかとキョロキョロしているトニーに、何やら携帯で検索していたペッパーが声を掛けた。
「ここ、ヒーローがテーマのカフェみたいよ」
偶然入ったカフェは、『ヒーローズカフェ』という、ヒーローがテーマのカフェだったのだ。だからやたらとフィギュアなどが展示してあり、メニューもヒーローに因んだものになっていたのだ。納得したように頷いたトニーが、何やら言いかけた時だった。先程の店員がコーヒーとサンドイッチを持って戻ってきた。
「お待たせしました。コーヒーとサンドイッチです」
と、トニーは気づいた。テーブルに手際よくセッティングしていく店員の胸元のポケットには、アイアンマンのフィギュアの付いたボールペンがささっていることに…。ボールペンだけではない。彼女のピアスはリアクター型だし、エプロンにはアイアンマンのバッチが山ほど付けてある。
(懐かしいな…)
彼女はアイアンマンのファンなのだろうが、ヒーローとして活躍していたのは25年も前の話なのに、こうやってまだ自分のファンでいてくれる人が日本にもいるのだ。
感慨深げなトニーの表情に、彼が何を見ているのか気づいたペッパーは、思わず微笑んだ。
「懐かしいわね…」
「あぁ…」
すると、見つめ合い微笑んでいる2人の視線に気づいた店員は、目を輝かせた。
「アイアンマンです。知ってます?」
辿々しい英語でそう告げた店員は、アイアンマン本人にそう尋ねているのだから、ペッパーは笑いを堪えるのに必死だった。が、トニーは眼鏡を掛けているし、髪型もあの頃とは少しばかり違っている。何より25年も経てば、容姿もそれなりに変わっている。それに、まさかトニー・スターク本人が、こんな所に座っているとは誰も思いもしないだろう。
黙って頷いたトニーに、店員はますます嬉しそうに告げた。
「私はアイアンマンの大ファンなんです。彼は今でも世界一のヒーローです」
キラキラと目を輝かせている店員は、心の底からそう思ってくれているのだろう。彼女の気持ちはその一言で十分伝わってきた。
「そうだな」
トニーはそれ以外何も言わなかったが、店員が去った後も、彼は笑みを浮かべたままだった。

店のオススメと謳うだけあって、サンドイッチは絶品だった。黙々と食べ終えた2人だが、店内はいつの間にか満席になっていた。何かイベントでもあったのだろうか、ヒーローのコスプレをしている客もおり、待っている客もいるのだから、早く出た方がいいだろうと、2人は帰り支度を始めた。

「モーガン、近くにいるんですって。こっちに向かってるから、待っててですって」
娘からのメールの内容を伝える妻に頷いたトニーは、荷物と伝票を持つとレジへと向かった。
レジでは先程のアイアンマンファンの店員が対応してくれた。金額を告げられたトニーは、財布からカードを出すと、トレーの上に置いた。と、店員はそれがスターク・インダストリーズのカードであることに気づいた。今や日本にも支社のある世界的大企業。その企業のクレジットカードは、役員クラス…それも超上層部の人間しか持つことができないカードとして有名だった。しかも出されたカードはブラックカードときたもんだから、目の前の年配の外国人の男性は、日本支社ではなくアメリカの本社勤務の、超VIPな関係者なのだろうと、店員は考えた。
おそらく今後一生触ることがないであろう、スターク・インダストリーズのブラックカードを恐る恐る受け取った店員は、そこに記載された名前に気づくと、目を丸くした。
何度見ても、カードには”Tony Stark”と書いてあるのだ。
店員は、カードと客の顔を見比べた。何度も何度も見比べた彼女は、ようやく気付いた。男性は、何十年もずっと大好きな、トニー・スターク本人であることに…。

「と、と、と……」
思わず名前を叫びそうになった店員だが、さすがに場を弁えたのか、慌てて口を塞いだ。目を擦った彼女は、遅れてやって来た女性が、トニー・スタークの妻であるペッパーであることにもようやく気づいた。
憧れのスターク夫妻が目の前にいるのだ。
顔を真っ赤にした彼女は、暫く目を見開いて口をパクパクさせていたが、こんな機会はもう一生ないだろうから、何か伝えなければと、必死で思いつく英語を絞り出した。
「さ、さ、3000回愛してます…」
お馴染みのセリフに、日本でも浸透しているとは…と、トニーは苦笑い。だが、25年経った今でも、こんなにも思ってくれているファンに異国の地で出会えたのは、彼にとっても喜ばしいことだった。
そこで、そばにあったメモ用紙にサラサラとサインをしたトニーは、店員に渡した。
「ありがとう。日本にもまだアイアンマンのファンがいると知って、嬉しかった。君と出会えてよかったよ」
生憎日本語は挨拶程度しか喋れないので英語で告げてみた。きちんと伝わったかどうかは分からない。だが、店員は感動のあまり目に涙を浮かべているではないか。
涙を拭った店員は、素早く決済をすると、トレーの上にカードを置いた。カードを財布にしまったトニーは、店員に向かって手を差し出した。おずおずと握ってきた店員の手を力強く握ったトニーは、ウインクするとペッパーと手を繋ぎ、店を後にした。

***
EGから25年後のお話です。

最初にいいねと言ってみませんか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。