そして週末になった。
昼過ぎに迎えにきたローディと共にモーガンは出かけ、家には夫婦2人きりとなった。
「で、予定は?」
デートプランはトニーに一任されているため、ペッパーは全く知らなかった。するとトニーは前日に用意していたのだろう、スーツケースを寝室から持って降りてくると、ペッパーの手を取り車に向かった。
トニーは車を走らせ続けた。どこに向かっているのかと尋ねても、トニーは秘密だと教えてくれなかったが、どうやらハンプトン方面へ向かっているようだとペッパーは気づいた。
そして2時間ほど経った頃、車はイーストハンプトンのとある家の前に到着していた。木に囲まれ敷地内は見えない。ここはホテルかゲストハウスか何かで、今宵はここに泊まるのだろうかとペッパーが考えていると、自動で開いたゲートをくぐり、車は敷地内へと入って行った。しばらく進むと、石造りの大きな家が見えた。家の前には芝生に覆われた広々とした庭が広がっており、車から降りたペッパーは感嘆の声を上げた。
「素敵な家ね!」
「気に入ったか?」
トランクからスーツケースを出したトニーは、ペッパーの肩を抱き寄せると頬にキスをした。
「えぇ。今日はここへ泊るの?」
するとトニーは得意げに鼻をこすった。
「いや、我が家だ」
「え???」
我が家とは一体どういうことなのだろうかとペッパーが首を傾げると、トニーは笑みを浮かべた。
「買ったんだ。週末を過ごすための家だ。確かプロポーズした後だったか?何処かに別荘を買おうと話したことがあっただろ?その時君はハンプトンがいいと言っていた。だからここを買ったんだ」
そう言えば、プロポーズされ、結婚式の打ち合わせをしている時だったか、そういう話をした記憶がある。結局、サノス襲来のせいで、結婚式も何もかもが予定通りにできず、別荘の話どころではなかったため、すっかり忘れていた。だが、トニーは覚えていてくれたのだ。
「覚えていてくれたの?」
「当たり前だ。愛する妻の言葉は一言一句全て覚えている」
ニヤニヤと笑いながらそう答えたトニーは本当に楽しそうだ。彼の笑顔を見るだけで、ペッパーは嬉しくてたまらなかった。特に子供のような無邪気な笑顔を見るたびに、あの5年間、ずっと苦しんでいたトニーがようやく全ての悪夢から解放されたことを、感謝せずにいられなかった。
ふふっと笑ったペッパーは、トニーにキスをすると、腕を絡ませ歩き始めた。
プールもある広大な裏庭からは、ハンプトンの海が見えた。どことなくマリブの家からの景観に似ており、ペッパーは長年暮らしたマリブの家が恋しくなった。だが、あの場にはもう戻れない。NYに移ってから、トニーの口からマリブの話は一度も出ていなかった。そのため、あんな事件があったのだから、きっとトニーは戻りたくないのだろうと考えたペッパーは、先程の思いを払拭するように首を振った。
トニーと共に家の中をあちこち見て回ったペッパーは、買い揃えねばならない物の名前を口に出した。するとトニーはそれを自らメモに書いているではないか。いつもならA.I.に記憶させている彼なのに、一体どうしたのだろう。が、ペッパーは気づいた。この別荘には、彼専用のラボがないどころか、F.R.I.D.A.Y.の声も聞こえないことに…。
「ねぇ、F.R.I.D.A.Y.は?」
ペッパーの問いに、メモを取る手を止めたトニーは、微笑んだ。
「言っただろ?もう二度とヒーローになるつもりはないと。今の私はただのトニー・スタークだ。過去に少しだけヒーローだったことがある、ただの男なんだ。だからここでは、普通の暮らしをすることにした」
トニーのその気持ちは嬉しかった。だが、彼は『普通の生活』をするために我慢しているのではないかという疑念が、ペッパーの心に浮かんできた。それでも彼の気持ちは嬉しくもあり、望んできたことでもあったので、感謝の言葉を口にしたペッパーは、夫の頬にキスをした。
近くのレストランでランチを済ませた後、必要なものを買い揃えるために、2人はハンプトンの街を散策した。帰宅し荷物を片付け終わると、夕方になっていたため、ピザを頼み映画を見ながら食べることにした。
『死んで』いた間に公開された、トニーのお気に入りのシリーズ作品を見ながら、ペッパーは恋人時代を思い出していた。あの頃はこうやって2人きりの夜を楽しんでいた。
「なんだか懐かしいわね、こういうの」
トニーの足の間に座り込んだペッパーは、甘えるように寄りかかった。
「モーガンが生まれてからは、あの子がいる生活が当たり前になっていたわ。あなたと2人きりになっても、あの子が怖い夢を見て起きてくるんじゃないかって、心のどこかで気になってた。でも今日は、あの子が生まれる前に戻った気分よ」
「それもこのデートをお膳立てしたくれた、モーガンのおかげだな」
顔を見合わせた2人はふふっと笑いあったが、ペッパーを背後から抱きしめたトニーは、ここに来てからずっと考えていたことを妻に話すことにした。
「なぁ…裏庭から海が見えるだろ?マリブの海に似ている海が…。懐かしかった。あっちは気候もいいし…。そこで提案だ。マリブにも家を建てないか?あの場所に、今度はもう少し小さめの家を…。冬はマリブで過ごそう」
黙って話を聞いていたペッパーだったが、身体を離すと潤んだ瞳でトニーを見つめた。
「トニー…」
目に涙を溜めた妻に、トニーは眉を顰めた。
「嫌か?」
あんな事件があった家だから、ペッパーは戻りたくないだろうと、トニーはNYに移住してからマリブの話をしないようにしていた。だから今彼女が泣き出しそうなのは、エクストリミスの事件を思い出したからで、辛い思い出を蘇らせてしまったと、トニーは後悔した。が、ペッパーは小さく首を振ると、トニーにギュッと抱きついた。
「いいえ。私も同じことを考えていたの」
トニーは目をパチクリさせた。どうやらペッパーは、悲しくて泣いていたのではなく、嬉しくて泣いていたらしい。
「君は戻りたくないかと…」
予想外の展開にそう一言告げると、涙を拭ったペッパーは小さく笑みを浮かべた。
「あなたこそ。NYに来てから、マリブの家のことは一切口に出さないから、嫌なんだと思ってたわ」
妻の言葉に目を軽く見開いたトニーは、わざとらしく肩を竦めてみせた。そんな夫の頬にキスをしたペッパーは、マリブの家を思い出したのか、何度か瞬きした。
「あの家は、私たちのことを最初から見守ってくれていた思い出の家よ。楽しいことも辛いことも沢山あったけど、あの場所が私たちの原点でしょ?」
頷いたトニーは、妻の手を取ると軽く握りしめた。
「よかった。君が同じ思いでいてくれて。意見が一致したところで、早速取り掛かろう。前の家とは雰囲気をガラッと変えたい。モーガンが走り回って遊べて、落ち着く家にしたい。家の内装は君とモーガンの思う通りにしてくれ」
えぇと頷いたペッパーは、トニーの手を握り返した。
「一つだけお願いがあるの。マリブの家には、あなたのラボも作って。それからF.R.I.D.A.Y.も…」
思わぬ提案に、トニーは困惑した表情を見せた。
無理もない。ペッパーは自分がラボに篭っていることを昔からあまりよく思っていなかった。だから生き返った今、『普通の生活』をしようとトニーは考えていたのだ。それなのに、妻は今まで通りの生活をしたいと言っているのだ。
困惑するトニーに気づいたペッパーは、トニーの手を優しく摩った。
「あなたがこの家では普通の暮らしをしたいと言ってくれたのは、凄く嬉しかったのよ。でも、あなたはラボで好きなことをしている時、とっても生き生きしてるわ。そんなあなたの姿を見るのが私は好きなの。昔からずっと…。だからね、冬を過ごすマリブの家は、今の家のようにあなたには好きなことをしていてもらいたいの」
どうして彼女はこんなにも自分のことを分かってくれているのだろうか…。
普通の暮らしをしようと決めたが、頭の中にはアイデアが次々と浮かんできて、すぐにでもラボに篭りたい気持ちをトニーは抑え込んでいたのだ。勿論、アーマーを開発する気はさらさらない。折角生き返ったのだ。もう二度とヒーロー活動をするつもりはなかった。
ペッパーはそんな自分の本心にとっくに気づいていたのだ。自分自身以上に理解してくれているのは、ペッパーだけ。如何なる時もずっとそばにいて見守ってくれていたペッパーだけ…。
微笑んだペッパーを、トニーは抱き寄せた。
「ありがとう…ペッパー」
耳元で囁いたトニーの目から小さな涙が零れ落ちた。夫の涙に気づいたペッパーは、黙って彼の背中を撫でた。
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