その夜。
家の前で車を降りたペッパーにキスをしながら、ポールは尋ねた。
「明日の夕食、モーガンも一緒にどうだい?」
「えぇ、きっと喜ぶわ」
笑顔で答えるペッパーだが、ポールは顔を曇らせた。
「どうかな。モーガンは俺を受け入れてくれてない」
「時間が必要なの。きっと分かってくれるわ」
そう告げたペッパーは、ポールにキスをした。甘い口付けに、ポールはペッパーの身体を抱きしめると、耳元で囁いた。
「ところで、いつになったら君と朝まで過ごせる?」
と、ペッパーが身体を強ばらせた。
「もう少し待って…」
声を震わせたペッパーの背中をポールはスっと撫でた。
「婚約しているのに?」
「……」
いつもこうなのだ。ペッパーは決して一線を踏み越えようとしないのだ。いい雰囲気になっても、彼女は身を引いてしまう。その理由は分かっている。彼女には未だに彼の影がまとわりついているから…。
黙ったままのペッパーから身体を離したポールは、もう一度キスをした。
「いいさ。結婚するまで待つさ。愛してるよ、ヴァージニア」
「おやすみなさい」
そう告げると、ペッパーは足早に家へと向かった。
ポールは優しい。
だが、彼とキスをしても心はときめかない。
彼はトニーではないから。
いつまでも比べていてはいけないと分かっている。トニーはもうこの世にはいないのだから。トニーとキスをすることはもう二度とないのだから。
玄関の前で深呼吸をしたペッパーは、
「ただいま」
と明るい声で言うと、リビングへと向かった。すると真剣な顔をしたモーガンが待ち構えているではないか。
「ママ、話があるの」
「学校で何かあったの?」
いつになく真剣な娘に、ペッパーは首を傾げたが、モーガンは口をへの字に曲げたままだ。
「学校よりも、もっと大事な話」
これは本当に重大な話なのだと気づいたペッパーは、
「分かったわ。着替えてくるから待ってて」
と言うと、寝室に向かった。
服を脱ぎベッドに腰掛けると、『ハニー…』と、トニーの声が聞こえた気がした。
ベッドサイドのテーブルに置かれたトニーの写真を手に取ったペッパーは、愛おしそうに写真を撫でた。
「トニー………」
ポールとの関係を一歩踏み出せないでいるのは、やはりトニーのことを忘れられないからだ。トニーのことを心の底から愛しているからだ。
彼以上の存在は、永遠に現れることはないと分かっている。だが、いい加減、前に向かって歩かねばならない。トニーはきっと、人生を楽しめって思っているはずだから。
深呼吸したペッパーはクローゼットからトニーの古びたTシャツを出した。
トニーが死んだ後、思い出が詰まりすぎているあの家に住むのは無理だった。そこでここに引っ越したのだが、彼の物は何一つ処分することができず、あの家に全て置いてきた。あの家は、5年前のままだった。トニーの存在が5年経っても残っていた。そのため、ペッパーとモーガンは時折あの家に戻り、トニーの思い出と過ごしていた。
それでも毎日彼の存在を感じたくて、彼がよく着ていた洋服は寝室のクローゼットに入れてある。恋しくなるとトニーの服を着て、写真や動画を見て、彼の温もりを思い出していた。
Tシャツを被ったペッパーはもう一度深呼吸すると、モーガンの元へと向かった。
モーガンは恐ろしいほど真剣な顔をして待ち構えていた。
「話って?どうしたの?」
隣に座ってきた母親は、父親のTシャツを着ていた。ポールおじさんと過ごした日の母親は、いつも父親のものを身に付けていることに、モーガンはとっくに気づいていた。そしてその夜は、父親の思い出話をし始めるということにも。
そんな日だからこそ、父親が生き返ったという話を、生真面目な母親も信じてくれるかもしれないと、モーガンは心の中で気合いを入れた。
「ママ、私の話は信じられないかもしれないけど、ちゃんと聞いてくれる?」
首を傾げたペッパーは、不思議そうに娘を見つめた。
「ママはいつだってあなたの話を真剣に聞いてるわよ」
それはそうだけど…と、モーガンは気づかれないように目をくるりと回した。
「それは分かってる。でも、今からする話は、いつもよりも真剣に聞いて欲しいの。きっとママは信じられないって叫びたいって思う。私もそうだったから。でもね、嘘のような話だけど、本当の話だから……」
と、ペッパーがクスクス笑い出した。
「その言い方、トニーに…パパにそっくりね」
父親の話になり、モーガンはこれはチャンスと母親の話に乗ることにした。
「そうなの?」
「ええ。あなたは本当にパパにそっくりよ」
愛おしそうに娘の頬を撫でたペッパーは、トニーを思い浮かべた。
「パパはあなたという大切な存在を遺してくれたわ。パパにそっくりなあなたがいてくれたから…パパが命をかけて守ったあなたがいたから、ママは頑張ろうって思えたのよ」
モーガンがいたからこそ、トニー亡き後も生きてこられたのだ。娘がいなければ…トニーの生きた証がなければ、喪失感は何一つ埋めることが出来ず生きていただろう。
大きな琥珀色の瞳でモーガンは見つめてきた。その眼差しはトニーそのままで、娘に亡き夫の姿を重ねたペッパーは、笑みを浮かべた。
母親の表情は優しいが、少しだけ寂しそうで、ママは今でもパパのことだけを愛していると確信したモーガンは、単刀直入に尋ねた。
「ママはパパのことを愛してる?」
「えぇ。パパはママの全てだった。パパのことは今でも世界で一番愛しているわ」
「ポールおじさんよりも?」
娘の言葉にペッパーは一瞬黙ってしまった。だが、トニーと同じ瞳に見つめられ、娘に嘘をついても仕方ないと感じたため、正直に自分の気持ちを話すことにした。
「そうね。彼は…ポールはトニーとは違うの。トニー以上の人ってきっと現れないわ。でもね、モーガン。ママがいくらパパのことを愛していても、トニーはもう戻って来ないの。ママのそばにいてくれないの。ママもね、誰かそばにいて欲しい、そう思うことがあるの。だから………」
泣き出しそうになった母親に、早く父親のことを知らせたかったが、モーガンはもう一つ確認しておきたかった。
「じゃあ、パパがそばにいたら、ママはポールおじさんと結婚しない?」
と、ペッパーが眉をひそめた。
「もちろんよ。トニーがいてくれるなら、他の人と結婚する必要はないもの」
母親の言葉に、モーガンはようやく安心した。ママと生き返ったパパと3人で暮らしていけると感じたモーガンは、母親の手を握りしめた。
「じゃあ、ママ、ポールおじさんとお別れして!だって、パパが戻ってきてくれたから!」
ポカンと口を開けたペッパーは娘を見つめた。一体娘は何を言い出すのだろうかと、目を白黒させたペッパーは、何度も深呼吸をすると顔を顰めた。
「モーガン、大人をからかうのは…」
が、冗談ではなかったのか、モーガンは目を三角にすると怒鳴った。
「からかってない!本当の話なの!言ったでしょ!真剣に聞いてって!!」
頬を膨らませたモーガンだが、戸惑った様子の母親に、気持ちを落ち着かせようと深呼吸をした。そして再び真剣な顔をすると、母親を見つめた。
「パパが生き返ったの」
ギョッとしたようにペッパーが目を見開いた。
「今朝ね、ストレンジおじさんが来たの。パパが生き返ったって教えてくれた。私も最初は嘘だって思った。でも、おじさんについて家に行ったら、パパがいた。パパに会ったの。本物のパパだったの」
父親に似て冗談好きな娘だが、今の娘は冗談を言っているのではなさそうだ。それにストレンジが絡んでいるとなると、本当の話なのだと、ペッパーはようやく理解した。が、生き返ったとは一体どういうことなのだろうか。あれから5年も経っているのに…。
「生き返るって……」
やっとの思いでそう言うと、モーガンは肩を竦めた。
「ママ、神様や魔法使いや宇宙人がいるんだから、パパが生き返っても不思議じゃないわ」
「そうだけど……」
娘はトニーに会ったからそう思えるのだろう。この目で確かめた訳ではないので、まだ半信半疑な母親に、これはちゃんと再会するまで信じてくれないと感じたモーガンは、提案した。
「パパに会いに行こうよ」
が、母親は黙ったままだった。そんな母親に、モーガンは悲しそうに顔を歪めた。
「パパに会いたくないの?」
「そんな訳ないわ!トニーは……ママの………」
思わず声を荒げた母親の目から零れ落ちた涙を拭ったモーガンは、手をそっと握りしめた。
「じゃあ、明日、パパに会いに行こう」
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