8.College! au

ヴァージニア・ポッツは走っていた。こんなに走ったのは何年ぶりだろうというくらい。
と言うのも、彼女はかなり急いでいたから。

ハーバード大に通う彼女は、大学間の交流セミナーのため、M.I.T.に行くことになった。3ヶ月という期間限定で、週に2度ゼミに入り、そこで講義を受けることになっている。
が、その大事な初日に、うっかり寝坊してしまったのだ。あと5分で講義が始まるというのに、彼女はまだ建物にすら辿り着いていなかった。

慣れない道を猛ダッシュしていたせいか、それとも慌てすぎて足元を見ていなかったせいか、ヴァージニアは段差に躓き、派手に転倒してしまった。
「痛ーっい!」
今日のために集めた資料は散らばるし、膝は擦りむいて血が出てるし、初日から散々だ。
慌てて散らばった荷物を掻き集めていると、誰かが手伝ってくれた。
「はい、どうぞ」
資料をまとめて渡してくれたのは、同じくらいの年齢の男性だった。
「大丈夫かい?」
手を差し出した男性は、心配そうに顔を覗き込みながら、ヴァージニアを立ち上がらせた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
礼を言うヴァージニアに、
「結構段差があるんだ。気をつけて」
と言うと、男性は手を振りながら立ち去った。
笑顔が眩しい男性に、きっとここの学生さんね…と見惚れてしまったヴァージニアだが、我に返ると再び走り出した。

この交流セミナーは、自分の好きなゼミを選べるのだが、経営学を専攻しているヴァージニアが選んだのは、ロボット工学のゼミだった。これからの時代、A.I.やロボットが必要不可欠になるから学びたいと理由付けたのだが、実はヴァージニアには誰にも言っていない理由があった。それは、どうしても会いたい人物がいたから。
15歳でM.I.T.に入学し、17歳で首席で卒業、そして大学院に進学したという、現在18歳の超天才と言われる男…。彼の名はトニー・スターク。彼は有名だった。天才であると同時に、あのスターク・インダストリーズの御曹司でもあったからだ。そして彼は女好きということでも有名だったが、ヴァージニアはその辺りのことには全く興味はなかったので、顔は知らない。
だが、ヴァージニアは、同じ年のトニーがどれほど優秀なのか、肌で体感してみたかったのだ。
そこで、トニーが在籍しているゼミに希望を出してみた。が、誰も希望しなかったらしく、ヴァージニアは彼のいるゼミに入ることができたのだ。

走って走って走りまくったおかげで、ヴァージニアは時間ギリギリに到着することができた。額の汗を拭ったヴァージニアは呼吸を整えると、ノックをしドアを開けた。
が、部屋には誰もいなかった。
「あら?」
時間を間違えたのかと、メールを確認したが、日にちも時間も合っている。
もしかしたら時間ぴったりに始まらないのかもしれないと考え直したヴァージニアは、部屋の中で待つことにした。

部屋のあちこちには、珍しい形のロボットが沢山あった。どんなロボットなのかは分からないが、確かにここには自分の知らない世界が広がっていた。途端に今日からの講義が楽しみになったヴァージニアだが、突然バタバタと足音がし、ドアが勢いよく開いたので、驚いた彼女は飛び上がった。
「すまない!遅刻した!!」
部屋に駆け込んできたのは、何と先程助けてくれた男性だった。
「あれ?さっきの…」
男性は目をパチクリさせているが、ヴァージニアもヴァージニアで驚いた。まさかこんな所で再会するとは思ってもみなかったが、あの時少しだけ彼の優しさにときめいていた彼女は、偶然の再会に心の中で感謝した。

机の上に荷物を置いた男性は、部屋を見渡すと、やれやれと溜息を付いた。
「今日は俺の講義だから、あいつら逃げたな…」
「え??」
どういうことなのかと首を傾げたヴァージニアだが、男性が近づいてきたので、姿勢を正した。
「君は、ハーバードからの?」
「は、はい。ヴァージニア・ポッツです」
鞄の中から書類を取り出したヴァージニアは男性に渡した。それを眺めた男性は、ヴァージニアに向かって手を差し出した。
「俺はトニー・スターク。ここのゼミの院生をやってる」
会いたかった憧れの人物が目の前にいるのだ。ヴァージニアは目を輝かせるとトニーの手を握った。
「は、初めまして!短い間ですが、よろしくお願いします!!」
トニーの手をブンブン振り回したヴァージニアは満面の笑みで、可愛らしい彼女にトニーは頬を赤らめた。
「本当はさ、もっと大勢いるはずなんだけど。うちの教授、自分が講義するのは面倒だからって、俺に押し付けるんだ。で、学生はさ、俺の講義はサボるんだ。俺の方が年下だから、俺の講義は受けたくないんだってさ」
肩を竦めたトニーは、近くにあった椅子に座らせると、彼女の足元に跪いた。
「あ、やっぱり。擦り剥いてるじゃんか!ちょっと待ってて」
立ち上がったトニーは部屋の奥に向かうと、救急箱片手に戻ってきた。そしてヴァージニアの膝を消毒しバンドエイドを貼ったトニーは、満足げに頷いた。
「これでよし」
救急箱を片付けたトニーは、ヴァージニアの隣に腰掛けると、彼女に顔を向けた。
「で、何が知りたい?今日はさ、初日だし、ポッツさんが知りたいこととかやりたいことを教えて。それを元に、この3ヶ月で何をするか決めるから」
そこでヴァージニアは考えてきていた質問をまとめた資料を取り出した。山程ある質問にトニーは「すごいな…」と言いながら目を通した。そして資料を読み終えたトニーは、パソコンを開いた。
「よし。まずは、俺たちがどんなことを研究しているか教えるよ」

***
トニーの説明は分かりやすく、しかも面白おかしく、あっという間に時間は過ぎてしまった。
「今日は終わりにしよう。この後は?」
時計を見たトニーは、パソコンを閉じるとヴァージニアに尋ねた。
「今日は特に何も…」
今日は午後からも講義もないし用事もないヴァージニアは、何度か瞬きするとそう答えた。するとトニーはパッと顔を輝かせた。
「だったらさ、ランチでもどう?君もまだ質問したそうな顔してるし」
まだまだ聞きたいことは山のようにあった。そのため、トニーのこの有難い提案に、ヴァージニアも笑みを浮かべ頷いた。

トニーはヴァージニアを連れてカフェテリアに向かった。学内で一番大きなカフェテリアらしく、中は大勢の学生で賑わっていた。
「これがオススメ。めちゃくちゃ美味いんだ」
料理を取る間も、トニーはヴァージニアにずっと話しかけていたが、ヴァージニアは気づいた。カフェテリア中の女子学生が自分たちの方を見ていることに…。

「あの子、誰?」
「スタークくんとやけに親しそうじゃない?」

コソコソとそんな声が聞こえてきたが、ヴァージニアは聞かなかったことにしようと、トニーの後を付いて席に着いた。

ランチの間中も、ヴァージニアはトニー に質問し続けた。トニーは的確な答えをくれるのだから、2人の議論は白熱し、気づけばカフェテリアは閑散としていた。
いい加減お開きにしようと2人は荷物をまとめ始めた。
「次は3日後だっけ?」
「はい」
するとトニーはレポート用紙を破ると、何やら書き、それをヴァージニアに渡した。
「もしさ、何かしたいこととかあったら連絡して。用意しておくから」
渡された紙に書いてあったのは、メールアドレス。目をパチクリさせているヴァージニアに、トニーはクスッと笑みを浮かべた。
「俺の個人的なメアド。質問があったらさ、遠慮なく連絡してくれていいから」
ご丁寧にもウインクをしたトニーは、学外まで送ると、ヴァージニアの荷物を持ち歩き始めた。

***

3日後。今度は時間前に集まった2人だが、いるはずの学生は誰も来ず、ヴァージニアだけだった。そして前回同様、講義の後はランチを食べ、夕方まで2人は話し込んだ。

2週目も誰も来ず、一体どうしたのだろうかと、ヴァージニアはトニーに尋ねた。
「他の学生さん、3回もサボって大丈夫なの?」
瞬きしたトニーは、鼻の頭を掻いた。
「あぁ…そのことだけどさ…俺は君専属になったんだ」
「え?」
専属とはどういうことなのだろうかと、ヴァージニアはトニーを見つめた。すると彼は嬉しそうに笑みを浮かべているではないか。
「せっかくハーバードから来てくれてるんだから、マンツーマンで指導してあげろって。だから俺は君だけを教えていればいいってこと。君は君が知りたいことだけを勉強できるんだ」
そんな優遇されることになるとは思ってもいなかったヴァージニアだが、あのトニー・スターク直々にマンツーマンで教えてもらえるのだから、ニコニコと嬉しそうなトニーに、彼女もにっこりと笑った。

***

1月も経つと、恒例となったランチタイムには、2人はお互いのことも話すようになっていた。そして「トニー」「ジニー」と呼び合うようになり、すっかり意気投合していた。

ヴァージニアはトニーが天才たる故を身を持って実感しっぱなしだった。
「トニーって本当に凄いわね」
今日も感心したように告げると、トニーは照れたように鼻の頭を擦った。

***

そしてあっという間に3ヶ月が過ぎてしまった。
「今日が最後だな」
どこか寂しそうに呟いたトニーに、ヴァージニアもしょんぼりと首を垂れた。
トニーと過ごすこの時間は、ヴァージニアの中で大切な一時になっていた。憧れと尊敬の念を抱いていた彼を、いつの間にか男性として意識するようになっていたし、彼のことを好きになっていたのだから…。
だが、それも今日で終わり。彼との接点は今日限りで消えてしまうのだから…。
寂しさを振り払うように、ヴァージニアは無理矢理笑みを作った。
「すごく楽しかったわ。私の知らなかった世界を教えてくれたから…。トニー、ありがとうございました」
立ち上がったヴァージニアはトニーに向かって頭を下げた。トニーも慌てて軽く頭を下げたが、何も言わない。
最後なのだから、何か言葉を交わしたかったが、彼は一言も発しないのだから、ヴァージニアは諦めて帰ろうとした。
と、その時、ヴァージニアの腕をトニーが掴んだ。振り返ったヴァージニアは、ドキッとした。トニーはいつになく真剣な眼差しで見つめてくるのだから…。
ドキドキという鼓動の音が耳の奥に響き渡り、ヴァージニアは頬を赤らめた。すると何度も深呼吸をしたトニーが、ようやく口を開いた。
「あ、あのさ。よかったら、これからも会えないかな?」
一瞬どういうことかと考えてしまったヴァージニアだが、何度か瞬きした。
「お、俺…君のこと……」
「トニー……」
その続きは聞かずとも分かった。なぜならヴァージニアも同じ気持ちだから…。
耳の先まで真っ赤になったヴァージニアは、今や口から心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしていたが、ゴクリと唾を飲み込むと、トニーの言葉の続きを待った。
一方のトニーは、潤んだ瞳で見つめられているのだから、どうにも我慢出来なくなった彼は、ヴァージニアを抱きしめた。
ギュッとヴァージニアを抱きしめたトニーは、彼女の耳元で囁いた。

「好きだ。ジニーのこと…好きなんだ。だからずっとそばにいてくれ…」

いつもよりも低く甘い声に、ヴァージニアは胸がいっぱいになった。ヴァージニアの中で、トニーの存在もまた、かけがえのない存在になっていたから。
ヴァージニアがトニーの背中にそっと腕を回した。そして目を閉じた彼女は、トニーの胸元に顔を押し付けた。
「私も…。トニーのこと…大好きよ…」
ヴァージニアの言葉にホッとしたのか、ふぅと大きく息を吐いたトニーは、彼女の頭にそっとキスをした。
「よし、じゃあさ、早速ランチに行こう。でも今日は、いつものカフェテリアじゃなくて、遠出しないか?オススメの店があるんだ」
「うん!」
満面の笑みで頷いたヴァージニアの荷物を持ったトニーは、彼女と手を繋ぎ、部屋をあとにした。

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