First part-time job

『モーガンがアルバイトを始めた』

父親同様、MITに進学したモーガンは、1年前からボストンで一人暮らしをしているが、ついにアルバイトを始めたらしい。ペッパーからそう聞いたトニーは、早速娘のアルバイト先に行こうとしたのだが…。

娘は『パパには言わないで。絶対にお店に来るでしょ?パパはトニー・スタークよ?大騒ぎになるに決まってるわ。だからね、ママ、パパには黙っておいて!』と母親に告げたと言うのだ。

「トニー、お願いだから、モーガンのバイト先に行こうなんて考えないでね」
妻に何度も念押しされ、一応は了承するふりをしたトニーだが、そんなことで怯むトニー・スタークではない。

ペッパーが出張中のこの日、ボストンへ向かったトニー…いや、アイアンマンは、ビルの影に降り立った。辺りに誰もいないことを確認したトニーが腕時計に触れると、ナノテックで出来たアーマーはあっという間に腕時計に収納された。
「こういう時、便利だな」
今やアーマーを装着し戦うことはないのだが、移動手段としてはまだまだ現役のアーマーにご満悦なトニーは、ポケットから帽子を取り出し被った。そして眼鏡をかけると、歩き始めた。

娘のアルバイト先…それはアパレルショップだ。店の名前も場所は勿論のこと、勤務時間も何もかも、得意のハッキングで調査済みだ。
ちなみに、今日は朝から夕方までのシフトだから、娘は勤務中だろうと、トニーはショーウィンドウ越しにそっと店内を覗いた。すると娘は接客中だった。
ガラス越しに写る自分の姿をチェックしたトニーは、トニー・スタークだとバレないように、髭を剃ってきた頬を撫でた。
帽子と眼鏡を被り、いつもは上げている前髪も下ろし、トレードマークとも言うべき髭までないのだ。これなら絶対にトニー・スタークだとバレないぞとガラスに写る自分に頷いたトニーは、意気揚々と店へと入っていった。

「いらっしゃいませ」
店内には数組の女性客がいた。そして店員はモーガンを含め3人。ショートカットの眼鏡をかけた女性はトンプソン。この店の店長だ。そしてもう1人の女性店員はルイス。ルイスはデザイナーで、この店のオリジナル商品のデザインを担当している。それも全て調査済だ。さほど広くない店内で、娘とかち合わないようにしようと、トニーは入口に近いレディースものを取り揃えたスペースに向かった。そして、洋服を見るふりをしながら、娘の方へ視線を向けた。
すると、店長のトンプソンがにこやかな笑みを浮かべながら、こちらに近づいてくるではないか。
「何かお探しですか?」
トンプソンが声を掛けると、初老の男性はチラリと視線を送ったが、すぐに洋服に目を移した。
「いや、間に合ってる」
と、トンプソンは気づいた。この男性は『彼』だと。
確認するように男性の右手を見ると、赤と金色の指が見えた。それはつまり、アイアンマンカラーの義手…。
間違いない。髭こそないが、目の前の男性はトニー・スタークだ。

トンプソンは思わず「あっ!」と声を上げそうになった。
あの、トニー・スタークがやって来たのだ。
彼の娘であるモーガン・スタークがバイトをしているのだから、いつかはスターク夫妻がやって来るだろうと思っていたが、彼はわざわざトレードマークの髭を剃り、変装までしてやって来たのだ。つまり、娘であるモーガンには黙ってやって来たのだろう。それもおそらく、娘のことが心配になり、こっそりと様子を見に来たのだろうから、途端にトニーの親心に胸がいっぱいになったトンプソンは、小さく頭を下げると、モーガンの元に向かった。

「スタークさん、スタークさん!」
「はい」
接客が終わり、洋服をたたみ片付けていたモーガンは、店長の声に顔を上げた。
「お父様が来られてるわよ」
「えっ!!!!」
思わず大声を出したモーガンは慌てて口を押えたが、トンプソンはニコニコと笑みを浮かべているではないか。
「あなたのことが気になって、こっそり来られたのね。優しいお父様ね。後でサインを頂いてもいいかしら。トニー・スタークが来店したって、飾らせてもらいたいから…」

(もう!パパったら!!)

こうなることが分かっていたから、父親には来て欲しくなかったのだ。
父親が写真とサイン攻めにあい、折角の父親のプライベートな時間が邪魔されるのが、昔からモーガンは何よりも嫌だったのだ。だから、父親には、突撃で来て欲しくなかったのだが、幸いにも店内の他の客は父親には気づいていないようだし、店の外にパパラッチが潜んでいる様子もない。
さすがにトンプソンもその辺は弁えているので、彼女はウインクすると、他の客の元へ向かった。

目を三角にした娘が近づいてきたのに気づいたトニーは、慌ててその場から立ち去ろうとした。が、コホンっと咳払いしたモーガンは、笑みを作ると父親の前に立ちはだかった。
「何かお探しですか?」
怖いほどの笑みを浮かべた娘だが、その目はちっとも笑ってない。まるでペッパーのような視線に、トニーは肩をびくつかせた。が、あくまで『店員と客』を演じようとしている娘に、彼も合わせることにした。
「あぁ。妻へのプレゼントを探している。どれがいいか選んでくれ」
やけに芝居がかった口調の父親に、モーガンは頷いた。
「奥様はどんな方なんですか?」
「丁度君と同じくらいの背格好だ。妻は私が選んだ服は着てくれない。だが、君が選んでくれた服なら着てくれるだろう」
眉を吊り上げたトニーに、モーガンは吹き出しそうになった。
『ママはパパが選んだ服は着てくれないんだ』
父親は昔からそう言って、母親へのプレゼントを買う時は、自分を連れて行っていた。そして幼い自分の意見を聞いて、洋服を選んでいたのだ。
『これはモーガンが選んだ服だ』
そう言いながら父親は母親に渡していたが、それは今でも続いていること。そして、父親が選んだとちゃんと分かっているのに、母親はいつも『モーガンが選んでくれたのね』と喜んでくれるのだ。そのため、モーガンは誰かのために洋服を選ぶことが大好きになっていた。
勿論、将来の夢は、父親と母親のようになることだ。母親の跡を継ぎ、スターク・インダストリーズを守っていくことであり、父親のように世の中の役に立つ開発者になることだ。が、このアルバイトを選んだのは、洋服選びが好きなことが影響しているのは確かだ。
うーんと小さく唸ったモーガンは、目の前のワンピースの中から、母親に似合いそうなものを3枚選んだ。
「それでしたら、こちらはいかがですか?」
モーガンが選んだワンピース、それはどれもペッパーのイメージにピッタリで、トニーもひと目で気に入った。
大きく頷いたトニーは
「全部くれ。プレゼントにするから、ラッピングしてくれ」
と娘に告げた。
「はい。では、こちらへお願いします」

モーガンのあとをついてレジに向かうと、彼女は手際よく会計を始めた。ラッピングはトンプソンがするようで、彼女はワンピースをたたみ始めた。
「そうだ。発送してくれ。それから送り主は、モーガン・スタークにしてくれ」
モーガンは父親を見つめた。
「パパ?!パパからのプレゼントでしょ?」
思わず素に戻ったモーガンに、トニーは悪戯めいた笑みを浮かべた。
「おい、モーグーナ。これはお前がママに選んだ服だ。お前が初めてアルバイトをしている店で、お前が選んだ服なんだ。だからお前からのプレゼントだ」
何度か瞬きしたモーガンは、目を潤ませた。
すると、邪魔をして申し訳なさそうに、トンプソンが包みをカウンターに置いた。
「スターク様、ありがとうございます。こちらでよろしいでしょうか?」
トンプソンが綺麗にラッピングした箱をトニーの目の前に置いた。
「あぁ。すまないが、発送して貰えないか?」
「勿論でございます」
支払いを済ませたトニーは、帽子を深々と被り直すと、娘に手を振った。
「じゃあな、モーガン。邪魔して悪かったな。パパはもう帰る。頑張れよ」
そう言うと、トニーは足早に店を後にした。

何処となく寂しそうな父親の後ろ姿を、モーガンは黙って見守った。『パパ、来てくれてありがとう』と言うべきなのだろうが、『来ないで』と頼んでいたのに急に押しかけてきたことに対して、何となく許せなかったモーガンは、ありがとうの一言を言うことができなかった。
だが、父親がわざわざ来てくれたことは嬉しいに決まっている。

(パパにありがとうって言わなきゃ!)
そう考えたモーガンは、父親の後を追った。が、店の外には父親の姿はなかった。
キョロキョロと辺りを見渡したモーガンが空を見上げると、赤と金色に光るものが、南の方へ飛んでいった。

***

数日後。

「トニー、モーガンから荷物が届いたわよ」
小包を手にリビングへやって来たペッパーは、『ヴァージニア・スターク様』と書かれた荷物を開け始めた。
中身を知っているトニーは、珈琲を飲みながら黙って眺めた。
『ママへ』と書かれた箱を開けたペッパーは、嬉しそうに声を上げた。
「あら!素敵な洋服!トニー、見て!モーガンからのプレゼントよ」
服を当てたペッパーは満面の笑みで、内心ホッとしたトニーだが、あの場に自分がいたことは妻には秘密なのだ。
「モーグーナから?あぁ、そうか。バイト先が洋服屋だったな」
そう言ってみたトニーだが、箱の中にもう1つ包みがあることに気づいた。
「はい、これは、あなたへのプレゼントよ」
「え?」
ペッパーへのプレゼントしか買っていないのに、一体どういうことだろうかと驚きつつも、トニーは妻から受け取った箱を開けた。すると、中にはTシャツとシャツとネクタイが入っていた。そして、モーガンの字で書かれたメッセージカードも…。

『パパ、いつもありがとう。パパは世界一のパパよ。3000回愛してる』

娘の気遣いに、トニーは胸がいっぱいになった。幸せそうな笑みを浮かべている夫に抱きついたペッパーは、首筋にキスをすると囁いた。
「ねぇ、今からあの子のお店に行ってみない?サプライズで」
「今からか?」
今日はモーガンは勤務日ではないから、行ってもいないのだが…と、トニーは妻を見つめた。
「私たちには、アレがあるでしょ?アーマーが」
確かに今は14時過ぎで、文字通り『飛んで』行けば、1時間以内にはボストンに到着するのだが…。いや、そういうことではなく、まさか娘のシフトを全て把握しているとは言えないトニーは、妻の腰を抱き寄せるとキスをした。
「モーガンにちゃんと行くと連絡してからにしよう。あの子も一生懸命働いているんだ。急に行って邪魔したら悪いだろ」
と、目を丸くしたペッパーがトニーを見つめた。
「あなたがそんなことを言うなんて意外だわ」
「何年モーガンの親をやってると思ってるんだ?もう18年だぞ?つまり、私もちゃんと成長したってことだ」
ふんっと鼻を鳴らしたトニーを見つめていたペッパーだが、クスクス笑いだした。そして、すっかり白髪の方が多くなったトニーの髪の毛を愛おしそうに撫でた。
「よかったわ。あなたのことだから、こっそりあの子の所に行ったとか言い出すかと思ったから」
妻の言葉は真実なのだが、目をくるりと回したトニーは、肩をすくめると誤魔化すようにペッパーにキスをし続けた。

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