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その本屋を見つけたのは偶然だった。
仕事帰りに立ち寄った本屋には、他では扱っていないような珍しい本が沢山揃っていた。
元来本好きなヴァージニア・ポッツは、その本屋がお気に入りの場所になった。

休日には必ず本屋を訪れた。
何冊か買い求め、休みになれば足を運んだ。
本屋の店員は自分と同年代の男性だった。
三度目に訪れた時、店員がヴァージニアに声を掛けた。
「よく来られますね。本がお好きなんですか?」
胸元のプレートには『トニー・スターク』とあった。人懐っこいトニーの笑みに、ヴァージニアも微笑み返した。
「えぇ、大好きなんです。ここは珍しい本が沢山揃ってますし、次は何を読もうか探すのが楽しくって。何かおすすめがありますか?」
「そうですねぇ…」
何事か考えていたトニーは、来週までに何冊か見繕っておくと、ヴァージニアに約束した。互いに名乗り合い、ヴァージニアは笑顔で店を後にした。

週末になり、ヴァージニアは本屋へと向かった。
「ポッツさん、いらっしゃい」
笑顔で出迎えてくれたトニーは、カウンターの下から本を取り出した。
「何冊か選んでおきましたよ」
カウンター横の椅子に案内したトニーは、ヴァージニアの前に本を置いた。
トニーは5冊選んでくれていた。
ミステリー小説に、歴史本、文芸作品に科学の読み物…。どれもヴァージニアは読んだことのない本だった。中でも目を引いたのは、写真集だった。世界中の星空を集めた装飾の美しい本に、ヴァージニアは釘付けになった。
「綺麗…。こんな素敵な本があるんですね」
パラパラとページを捲ると、見たことのない世界が広がっており、ヴァージニアはすぐに夢中になった。
「今この瞬間にも、本は沢山誕生しています。脚光を浴びる本はほんの一部です。人目に付くことなく、埋もれてしまう本も沢山あります。僕はそんな本を一冊でもいいから、誰かの元に届けたいんです。その本を受け取った人が幸せになる…そんな本を僕はここを訪れた人にお届けしたいんです」
ヴァージニアはトニーを見つめた。
そんなことは考えたことはなかった。それ故に、トニーの言葉はヴァージニアにとって新鮮だった。
「素敵ですね。スタークさんのような方に見つけてもらった本は幸せですね」
笑みを浮かべたヴァージニアに、トニーはドキッとした。彼は彼女の笑顔から目が離せなくなった。

それから毎週のように、ヴァージニアはやった来た。本の感想をトニーと語り合い、そしてトニーの選んだ本を買って帰る…。
彼の選んだ本は、どれもハズレがなく、ヴァージニアのお気に入りになった。そのため彼女の家の本棚は、さながら小さな本屋のようになっていった。

ヴァージニアは本を選んでもらうこともだが、トニーと話をすることを楽しみに、本屋に通うようになった。
ヴァージニアにとって、トニーは新しい世界を教えてくれる最高の友達だった。だが次第に、ヴァージニアは彼に惹かれていった。そのため半年経った頃には、ヴァージニアはトニーのことを心から愛するようになっていたのだ。トニーの方もヴァージニアに好意を抱いていた。だが、トニーはとある事情で、自分の思いを伝えることができなかった。

そんなある日のこと。
ふとした拍子に、お互いの手が触れ合った。2人は手を離すことが出来なかった。
トニーがヴァージニアを見つめた。真っ赤な顔をしたヴァージニアは、トニーから目が離せなかった。
「トニー……」
掠れた声でヴァージニアが囁いた。
「ヴァージニア……」
トニーが手を握ると同時に、ヴァージニアはそっと目を閉じた。
すると、トニーの唇が重なった。触れる程度のキスだったが、耳の先まで赤くなったヴァージニアは、身を乗り出すともう一度トニーにキスをした。
そして
「また来週…」
と言うと、恥ずかしそうに本で顔を隠し、パタパタと店を後にした。

いつも待ち遠しい週末が、この1週間は特に待ちきれなかった。
それなのに、急に予定が入り、その週末、ヴァージニアは本屋に行くことが出来なかった。結局ヴァージニアが再び本屋を訪れたのは、あのキスの日から3週間後のことだった。
ヴァージニアは走って本屋に向かった。彼に気持ちをしっかり伝えようと、ヴァージニアはトニーにプレゼントを用意していた。偶然見つけた、本の柄のネクタイ。きっと彼は気に入ってくれるだろうと、ヴァージニアは包みを抱きしめると、店に飛び込んだ。
だが、店にトニーはいなかった。
カウンターにはトニーではない、別の男性の店員が座っていた。
「すみません…トニー……いえ、スタークさんは?」
店員に尋ねると、彼は悲しそうに首を振った。
「彼は…辞めました」
「え……」
ヴァージニアはショックだった。どうして彼は何も言わずに急に辞めてしまったのだろうかと…。
「どうして……」
泣き出しそうな女性に、店員はピンときた。
「もしかして…ヴァージニア・ポッツさんですか?」
「は、はい…そうですけど…」
頷いたヴァージニアに、店員はカウンターの下から紙袋を取り出した。
「トニーからの預かり物があるんです。あなたが来たら渡して欲しいって…。お代はいりません。あいつからの…プレゼントです」
店員はそれ以外何も言わなかった。ただ、彼は悲しそうだった。

一体トニーに何があったのだろう…。
店を出たヴァージニアは、悶々とした気持ちのまま、家へと帰った。

家へ戻って来たヴァージニアは、早速紙袋を開けた。が、いつもと違い、本は1冊しか入っていなかった。いや、別の物も入っていた。一通の手紙が…。
ヴァージニアは震える手で手紙を開いた。

『ヴァージニアへ
君がこの手紙を読んでいる時、僕はこの世にはいないだろう。
半年前、君に初めて出会った時、僕は数ヶ月前に余命半年と宣告されていた。自分の人生が半年しかないと知った僕は、それまで勤めていた会社を辞めた。そして残りの半年は、自分の好きなことだけをして生きようと決めた。君と同じく、僕は本が好きだった。だからあの本屋に勤めることにした。そして一冊でも多くの本を、誰かの元に届けようと決めた。そんな中、君と出会ったんだ。
君のために本を選ぶ…それは僕の生きがいになった。痛みで泣きそうな時も、君のための本を選んでいると、不思議と痛みはおさまった。余命半年と言われたけど、それ以上僕は生きることができたんだ。

僕は君のことが好きになっていた。だけど僕は君に自分の思いを伝えることができなかった。もうすぐ死ぬと分かっているんだから、君に余計な悲しみを与えたくなかったんだ。だから、君とのキス、あれは僕の最初で最後の最高の思い出になった。あの瞬間、君と心が繋がった気がした。あれだけ怖かった死が、不思議と怖くなくなった。君みたいな素敵な女性と出会えたこと…僕の気持ちをほんの少しでも分かってくれた人がこの世で生き続けてくれるんだから…。
死を迎えようとしているのに、僕の心はとても穏やかだ。
全て君のおかげだ。
君のように素敵な女性に最後に出会えて、僕は本当に幸せだった。
ありがとう、ヴァージニア…。あの日偶然あの本屋に立ち寄ってくれてありがとう。

最後に君に送る本、何にしようか、今までで一番迷った。これが僕が君に勧める、最後の本になるから…。
僕が好きだった君の瞳…オーシャンブルーの君の瞳と同じ海の写真集にしたよ。

時々でいいんだ。これを見て僕がこの世にほんの少しだけ生きていたことを思い出して欲しい。そして苦しんでいる人、悲しんでいる人がいたら、君が好きな本を勧めて…。僕が君に救われたように、きっと誰かの助けになる本が生まれるから…。

トニー・スターク』

「トニー……」
涙が止まらなかった。
トニーがそんな状態だったとは知らなかった。知っていれば、もっとそばにいることができたのに…。彼に直接伝えたかったのに…。あなたのことを愛してると…。

まだ間に合うかもしれない。
そう思ったヴァージニアは、プレゼントの包みと本を抱きしめると、本屋へと急いだ。

店員は渋った。
ヴァージニアには居場所を教えないというのが、トニーとの約束だと、彼は話そうとしなかった。だが、ヴァージニアは何度も頼み込んだ。彼にどうしても直接伝えたいことがあると…。
ヴァージニアの涙ながらの説得に、店員はトニーの入院先を教えてくれた。

教えられた病院へヴァージニアは走った。
そして受付で彼の病室を教えてもらった彼女は、間に合いますように…と祈りながら向かった。
病室には医師と看護師がいた。
トニーの友人だと告げると、医師は小さく首を振った。
「スタークさんは…もう…」
トニーは昏睡状態だった。
ベッドの横に跪いたヴァージニアは、彼の手を握りしめた。そして耳元で囁いた。
「トニー…ありがとう…。あなたに出会えて…私も本当に楽しかったわ…。愛してる…。あなたのこと、愛してるわ…」
すると不思議なことが起こった。意識のないはずのトニーの目から、涙が一筋零れ落ちたのだ。
「トニー……」
ヴァージニアは泣きながら、トニーの頬にキスをした。
「あの本…大切にするわ…。それから、あなたの想い…私が引き継ぐから…。あなたに教えてもらったこと…絶対に忘れないから…」

ヴァージニアは泣いた。
部屋にピーというモニターの音が響きわたるまで、トニー の手を握りしめ、最期まで彼に寄り添った。

1ヶ月後。
あの本屋にはヴァージニアの姿があった。
そして、訪れた者に本を勧めるヴァージニアの姿を見守るように、カウンターにはトニー の写真が置かれていた。

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