4.mafia! au

NYのスターク・インダストリーズといえば、世界屈指の軍事企業として名を馳せており、そのCEOであるトニー・スタークは、若くして才能溢れた人物だと、皆の憧れの的だった。が、彼にはもう一つの顔があった。それは、NY界隈を取り仕切るマフィアのボスという顔。マフィアと言っても、スターク家の者は皆品行旺盛で、争い事も起こすことなく、街中で起こる小競り合いを取り締まっているのだから、街の人々はスターク家のことを慕っている者が多かった。
が、最近になり、中西部からとある組織がNYへやって来た。ポッツという名の組織は、スターク家とは違い、荒っぽく諍いを良く起こした。街の者はスターク家に何とかしてくれと頼んだ。スターク家としても街の平穏を荒らす者は許せなかったため、トニーの命で昼夜問わず街をパトロールし始めた。が、ポッツ家の者は何かにつけてスターク家を目の敵にしたため、街中ではいざこざがよく起こるようになっていた。

そんなある日のこと。トニーは市長主催のパーティーに出席していた。
若く知的なトニーは昔から女性に非常にモテた。一夜を共にした女性は星の数程いるのだが、どうしたものか、生涯を共にしたい女性は一向に現れない。今宵も共に過ごす女性を探していたトニーだったが、一人の女性にぶつかってしまった。転倒してしまった女性を慌てて抱き起こしたトニーは、頭を下げた。
「申し訳ありません」
「いいえ、私もぼんやりしていたので…」
顔を上げた女性に、トニーは一目で魅了された。赤毛の美しい女性のオーシャンブルーの瞳に引き寄せられたトニーは、彼女から目が離せなくなった。
すると、女性は真っ赤な顔をして俯いた。
自分よりも随分年下の女性は、そのまま恥ずかしそうに立ち去ってしまい、名を聞くチャンスを逃したトニーは、ガックリと首を垂れた。するとそこに、ボディーガードのハッピーがやって来た。ハッピーは顔が広く、街中の者に精通している。そこでトニーは先程の女性についてハッピーに尋ねてみることにした。
「あれは…誰だ?」
するとハッピーは顔を曇らせた。
「ボス、あれはポッツ家のご令嬢のヴァージニアです」
ヴァージニア・ポッツ…スターク家とは敵対関係にある組織の一人娘…。つまり、絶対に関わってはいけない人物…。
「そうか…」
そう呟いたトニーは、彼女のことを忘れようとした。が、どうしても忘れられなかった。

***

数日後。工場への視察を終えたトニーは、社へ戻る車の中にいた。窓から外を眺めていたトニーは、道行く人の中に『彼女』の姿を見つけると、運転手に車を停めるよう告げた。
車から降りたトニーは、ヴァージニアの元へ向かった。

突然目の前に現れた男性…それは数日前のパーティーでぶつかったあの男性だった。
「あ、あなたは…」
ヴァージニアは頬を真っ赤に染めた。というのも、あの日以来、彼女もトニーのことが忘れられなかったから…。
笑顔を向けたトニーは
「こんな所で奇遇ですね。よければ、お茶でもどうですか?先日ご迷惑をおかけしたお詫びに…」
と、ヴァージニアを誘ってみた。するとヴァージニアはますます頬を赤らめると、嬉しそうに頷いた。
付き添っていたハッピーは堪らずトニーに声を掛けた。
「ボス」
深入りするなというように顔を顰めたハッピーに、トニーは心配するなと肩を竦めた。

トニーは近くのカフェにヴァージニアを連れて行った。
コーヒーと紅茶を頼んだトニーは、ヴァージニアに向かって微笑んだ。
「自己紹介もまだでしたね。私はトニーです」
「ゔ、ヴァージニアです」

まだ18歳のヴァージニアにとって、35歳の随分と年上なトニーと話すこと自体が、気恥ずかしかった。だがトニーは優しく紳士だった。ヴァージニアの話に耳を傾け、真剣に聞いてくれた。そのため、1時間もすると、2人はすっかり仲良くなっていた。
気付けば数時間経っており、窓からは夕日が差し込んでいる。そろそろお開きにしようと店を出た2人だが、モジモジしていたヴァージニアが意を決したように口を開いた。
「あ、あの…またお会いできますか?」
「ヴァージニアさんが良ければ、是非」
トニーがそう告げると、ヴァージニアはパッと満面の笑みを浮かべた。
そのため2人は、1週間後の再会を約束し、別れた。

ヴァージニアを見送ったトニーは車に戻ったが、案の定、ハッピーは苦虫を潰したような顔をしているではないか。
「ハッピー、深入りはしない。大丈夫だ」
トニーはそう言ったが、ハッピーは不安だった。そこで彼は必ず店内に護衛を付けるとトニーに約束させた。

***

それから2人は週に一度、おしゃべりを楽しんだ。
3ヶ月も経つと、ヴァージニアはどうしようもないほどトニーに好意を抱いていた。
それはトニーも同じだったが、相手は敵対する一族の娘なのだから、彼は自分の素性を明かすことすら出来なかった。

2人はただ話をするだけだったが、半年程経った頃、ついにポッツ家の人間に2人の秘密の逢瀬がばれてしまった。
ヴァージニアがトニーに会っていることは、すぐにヴァージニアの父親であるポッツ氏に告げられた。激怒したポッツ氏は、娘を呼び問い正した。
が、ヴァージニアはトニーの正体を知らなかったため、トニーの素性を知った彼女は腰を抜かしそうになる程驚いた。が、自分の知っているトニーは心優しく素晴らしい男性だったため、彼女は父親に反論した。
「トニーは素晴らしい方です。確かに彼はスターク家の方かもしれませんが、関係ありません!私にとっては大切な方です!」
娘が彼に好意を抱いていると気づいたポッツ氏は、ますます激怒し、ヴァージニアは外出禁止になってしまった。

そんなことがあったとは知らないトニーは、いつものようにカフェでヴァージニアを待っていた。
だが、ヴァージニアは現れない。
何かあったのだろうかと心配になったトニーだが、連絡を取る術もないのだから、もう少し待ってみることにした。
とそこへ、一人の男性がトニーに近づいてきた。男の顔に見覚えはないトニーだったが、彼の醸し出す雰囲気は自分たちと同じだと気付いた。だが、自分の部下ではない…つまり、ポッツ家の人間だ。慌てて立ち上がったトニーに、男は無表情で告げた。
「トニー・スターク、ボスからの伝言だ。二度と娘に近づくなと…」
関係がバレたと目を丸くしたトニーは、懐からもしもの時のために携帯している銃を取り出そうとしたが、遅かった。

パンっと乾いた音が二度響き渡った。

呻き声を上げたトニーは、腹を押さえるとその場に崩れ落ちた。

キャー!と悲鳴が店内に響き渡り、離れた場所に座っていたトニーの腹心のローディは、慌ててボスの元に駆け寄った。
「ボス!」
外にいたハッピーも店内に駆け込んできた。
どさくさに紛れて、狙撃犯は姿を消してしまい、ハッピーとローディは血塗れでぐったりとしたトニーを病院へ連れて行った。

***

翌朝。
「ヴァージニア様…」
侍女のナターシャが、青い顔をして新聞片手にやってきた。手渡された新聞を開いたヴァージニアは、倒れそうになった。

『トニー・スターク、狙撃される』

一面の見出しの下には、血塗れで店内から運び出されるトニーの姿が掲載されていた。
トニーは意識不明の重体で病院に運ばれたと書かれており、ヴァージニアは涙が止まらなかった。
「どうして……」
新聞を持つ手が震え始めた。
トニーを狙撃したのは、おそらくポッツ家の人間…つまり、父親が命じたに違いない。
椅子に座り込んだヴァージニアは、新聞を握りしめると、声を上げて泣き始めた。
トニーとヴァージニアの関係を知っているナターシャは、彼の正体も最初から知っていたにも関わらず、何も言わずに陰ながら応援していたのだが、今こそ胸に秘めていた話をすべきだと、口を開いた。
「ヴァージニア様にはお話ししておりませんでしたが、スターク様とヴァージニア様が出会われて間もない頃、私はスターク様とお話ししたことがありました。向こうは初めからヴァージニア様のことをご存知でしたから、どういうつもりかとお尋ねしたんです。するとスターク様は言われました。『俺はヴァージニアがポッツ家の人間だから近づいたのではない。ヴァージニアのことが気になったから、彼女のことを知りたいと思ったんだ。だから俺も彼女の前ではトニー・スタークではなく、ただのトニーでいるつもりだ。ただのトニーとヴァージニアとして、仲良くなりたい…それだけだ。だから俺は彼女に自分の素性を明かすつもりはない』と…。スターク様は、ヴァージニア様のことを愛していらっしゃいました」
ナターシャの言葉に、ヴァージニアは顔を上げた。トニーのことを愛していたのは自分も同じだったから…。
ポロポロと大粒の涙を溢したヴァージニアは、しゃくりあげながら涙を拭った。
「私……トニーに…会いたい……。トニーにお会いして…父のしたことを謝りたい…。そばにいてあげたい…。ただのヴァージニアとして…彼のそばにいたいの…」
真剣なヴァージニアの眼差しに、ナターシャは腹を括った。
「分かりました。私にお任せください」
にっこり微笑んだナターシャは、早速動き始めた。

実はナターシャには、スターク家に仕えているクリント・バートンという知り合いがいた。以前街で困っていた時に助けてくれたのがクリントだったのだが、やけにウマがあった彼とはそれ以外、密かに交流を続けていたのだ。
クリントに連絡を取ったナターシャは、ヴァージニア脱出の綿密な計画を練った。
ポッツ家ではトニーが意識不明の間に一気にスターク家を潰そうと、屋敷中がバタバタとしていた。その騒々しさに紛れて、ナターシャは必要最低限の物だけを持つと、ヴァージニアを連れ、屋敷を脱出した。

待ち合わせの場所にはクリントともう一人見知らぬ男性がいた。
「ヴァージニア様ですね」
スティーブ・ロジャースと名乗った男性は、ヴァージニアとナターシャを車に乗せると、病院へ向かった。
「そっちはどうなの?」
助手席に座ったクリントにナターシャが尋ねた。
「ポッツ家に報復しようと皆いきり立ってる。だが、トニー様が…もし万が一自分に何かあっても迂闊に動くなと前々から言われていたんだ。だから今はブルースとソーが必死に皆を抑えている」
トニーはこの展開を薄々予見していたのかしら…と、思ったヴァージニアだが、程なくして病院へ到着し、彼女は身を潜めるようにトニーの病室へ向かった。
トニーは眠っていた。
青白い顔をしたトニーの手を握りしめたヴァージニアは、彼に呼びかけた。
「トニー…。あなたのそばにいるわ…。だから頑張って…」

***

ヴァージニアはトニーに寄り添い続けた。
その甲斐あってか、トニーは数日後目を覚ました。
自分の手を握りしめているのがヴァージニアだと気づいた彼は、どうして彼女がここにいるのかと目を白黒させた。するとヴァージニアは、トニーの頬を愛おしそうに撫でた。
「私…ポッツではなく、ただのヴァージニアになるって決めたんです」
トニーは困惑した。彼女はそれで良くても、彼女の父親は許さないだろうと考えたからだ。
が、ヴァージニアはトニーのそばを離れようとしなかった。ポッツ家もさすがに病院を襲撃することはできないようで、何事もなく2週間が過ぎた。
何とか動けるようになったトニーは家へと戻ってきた。ヴァージニアも勿論トニーに付いて行ったのだが、初めて入るスターク家に、彼女はビクビクしっぱなしだった。車椅子に乗ったトニーは彼女の手を握りしめると、トニーを出迎えるために並んでいる部下たちをジロリと見渡した。
「彼女はヴァージニアだ。私の大切な女性だ。よろしく頼むぞ」
皆の目が一斉に自分に向いたのだから、ヴァージニアはブルッと身震いしたが、
「ヴァージニアです。よ、よろしくお願いします」
と、ピョコンと頭を下げた。その可愛らしい仕草と、そして純粋無垢な瞳に皆引き付けられた。心優しいヴァージニアは、スターク家にあっという間に受け入れられ、可愛がられるようになった。

トニーは報復は絶対にしてはならぬと言い続けた。
ポッツ家もヴァージニアがいるためだろう、特に何も仕掛けてくることもなく、事件から2ヶ月が経った。この頃になるとヴァージニアはすっかりスターク家での生活にも慣れ、彼女は屋敷内を切り盛りし始めた。
料理が得意な彼女は時折腕を奮い、皆にご馳走を振る舞った。
トニーも一人で動けるようになったが、外を出歩くのは危険だと、家から出ることが出来なかった。そこで、会社の重役は家を訪れ、打ち合わせや会議を行ったため、ひっきりなしに人が訪れていた。

***

その日は久しぶりに誰も訪れる者もおらず、2人はトニーの書斎で地球儀を前に語り合っていた。生まれ育った街とNY以外は行ったことのないヴァージニアに、トニーは自分が見聞きした世界の話をした。目を輝かせて聞いているヴァージニアに、トニーは彼女に触れたいという欲望を、次第に抑えられなくなっていた。というのも、2人はまだキスすらしていなかったのだ。
「凄いですね。私も世界中の色々な所を旅してみたいです」
興奮気味に頬を赤らめているヴァージニアの手に、トニーはそっと触れた。すると、耳の先まで真っ赤になったヴァージニアがトニーを見つめた。潤んだ瞳で見つめられたトニーは、吸い寄せられるようにヴァージニアに唇を重ねた。触れる程度の優しいキスだったが、2人の心に火がついた。
「トニー……」
唇を震わせたヴァージニアは、おずおずとトニーのシャツを掴んだ。
「ヴァージニア……」
甘ったるい声で囁いたトニーは再び口づけした。先ほどよりも濃厚な大人のキスに、ヴァージニアはトニーにしがみついた。
「口を開け」
キスの合間に囁いたトニーはヴァージニアが唇を開くと舌を入れた。そして彼女の小さな舌に自分の舌を絡めた。
初めての激しいキスに酔ってしまったヴァージニアは、身体の力を抜くとトニーに身を預けた。お腹の奥が熱くなってきた彼女は、もじもじと太腿を擦り合わせた。
トニーは貪るようなキスを続けながら、彼女の背中に手を這わせた。

キスに夢中の2人だったが、ドアをノックする音で我に返った。
「ボス…」
青い顔をしたハッピーが何かを手に部屋に入ってきた。
「どうした?」
彼は黙ったまま箱をトニーに手渡した。蓋を開けたトニーは息を飲んだ。
何事かと箱の中を覗き込んだヴァージニアは、小さく悲鳴を上げた。
箱の中にはナイフの突き刺さったトニーの写真、そして血に塗れた写真には文字が書かれていた。
『ヴァージニアを返せ。さもなくば、今度こそ息の根を止める』
泣きながら震え始めたヴァージニアをトニーは抱き寄せた。
「心配するな。大丈夫だ。君には言ってなかったが、もう何十通と届いている」
トニーは狙撃されたばかりか、あれ以来ずっと脅迫されていたと知ったヴァージニアは震え上がった。
「で、ですが…。トニー、あなたが危険なんですよ!私が父を説得します。あなたと共になれるように、父を説得しますから…」
が、トニーは口をへの字に曲げると首を振った。
「ヴァージニア、今戻れば君は二度と外の世界に出ることはできない。ロマノフの情報だと、家に戻れば、君はイギリスに送られて、そこで名も知らぬ男と結婚する段取りらしい」
「え…」
自分の知らぬところで、事態はどうにもならないことになっていた。トニーが話してくれなかったのは、きっと心配かけたくなかったからだろう。トニーに守られるだけで何もできない自分が情けなくなったヴァージニアは、トニーに抱きつき泣くことしか出来なかった。
泣きじゃくるヴァージニアを抱きしめたトニーは、心を決めた。自分が解決するしかないと…。

翌日。
正装したトニーはポッツ家の前に立っていた。勿論誰にも言わずに来た。言えば反対されると分かっていたから…。
武器も何も持たず、一人で乗り込んできたトニーに、ポッツ氏は面食らった。
ポッツ家の者は、この機会に殺そうといきり立った。が、ポッツ氏はトニーの度胸に、話だけでも聞いてみようと皆を制した。

応接室に通されたトニーだが、壁際にはずらりとポッツ家の者が並んでいるのだ。辺りから漂う殺気に、さすがのトニーもゴクリと唾を飲み込んだ。
と、眼光鋭い男が部屋に入ってきた。
ポッツ氏だ。
トニーの正面に腰掛けたポッツ氏は、葉巻に火を付けると、ふぅと一息吐いた。
「スターク、一人乗り込んでくるとは、いい度胸だな」
ポッツ氏を真っ直ぐに見つめたトニーは、頭を下げた。
「ポッツさん、今日はトニー・スタークではなく、ただのトニーとしてやって来ました。お嬢さんの…ヴァージニアさんのことです。ヴァージニアさんと結婚させて下さい」
頭を下げたままのトニーに、ポッツ氏は溜息を付いた。
「どうして娘だったんだ?お前には大勢のオンナがいる。それなのに、どうして娘を誑し込んだんだ」
一人娘を奪われた怒りをぶつけるように、ポッツ氏はトニーを睨みつけた。が、トニーは負けじとポッツ氏を見つめた。
「ヴァージニアさんと出会ったのは、偶然でした。偶然出会い、惹かれました。あなたの娘さんと知り、一度は諦めようと思いました。ですが、諦められませんでした。街でヴァージニアさんを見かけ、堪らず声を掛けました。私の素性は明かさず…。ヴァージニアさんも自分から素性は明かしませんでした。私たちは、スタークでもポッツでもない、ただのトニーとヴァージニアとして、親交を深めました。そしてお互いに好意を持つようになりました。ヴァージニアさんは素晴らしい女性です。ポッツさんが娘さんのことを大切に育てられたのは分かります。ですが、彼女を愛する気持ち、それだけは誰にも負けません。初めてなんです。生涯を共にしたいと思った女性は、ヴァージニアさんが初めてなんです。ですから私は彼女のためなら命を掛けても良いと思ってます。お願いします。彼女のことは絶対に幸せにしてみせます。ですから、ヴァージニアさんとの結婚を許して下さい」
再び頭を下げたトニーに、ポッツ氏は感銘を受けた。
(この男はなかなか大した男だ。こいつになら、ヴァージニアを預けても大丈夫だ…)
そう思ったポッツ氏だが、目の前の男はトニー・スタークだ。敵対する憎きスターク家のボスだ。親としての自分は、この結婚を祝福できる。娘の選んだ相手だし、噂とは違い実直で真面目なトニーは、娘を生涯幸せにしてくれると感じたから…。だが、ポッツ家のボスとしては、絶対に許してはいけないのだ。
ポッツ氏の心は揺れた。親であることと、マフィアのボスであることの狭間で、彼の心は揺らぎ続けた。

(お父様…)
ヴァージニアの声が聞こえた。幸せそうに笑っている娘の姿が目に浮かび、ポッツ氏は親としての感情を抑えることができなくなってしまった。

そこでポッツ氏は心を鬼にした。
娘とは縁を切る。そうすれば娘は愛する男と幸せになれる。
そして自分は恨まれるように仕向けよう…。娘がこれから幸せに生きていくためには、自分が悪者になり、そして自分たちの影から…いや、存在から娘が解放される…それが必要だと…。

ポッツ氏は深呼吸をすると、トニーを見つめた。
「分かった。君の気持ちは良く分かった。だがな、君はスタークの人間だ。だから、簡単には娘はやれん。こうしようじゃないか。お前の腕を一本置いていけ。お前の腕と娘と交換だ」
その言葉に、トニーが顔を上げた。
青い顔をしたトニーは、ポッツ氏の言葉の真意を探ろうと、彼を見つめた。ポッツ氏は目を潤ませていた。そして彼は周りに気づかれないようにトニーに頷いた。
(娘を頼む…)
トニーはポッツ氏の真意に気づいた。娘の幸せを祈る彼の親心とその先の覚悟に…。
彼の思いを受け取ったトニーも、覚悟を決めると頷いた。
「それで許して頂けるのなら…」
静かな声で答えたトニーは左腕を差し出した。
ポッツ氏が部下に合図をした。すると数人の部下がトニーの身体を押さえこんだ。口に猿轡を噛ませると、左腕をテーブルの上に押しつけた。
「やれ」
ポッツ氏の命令に、部下が斧を振りかざした。

トニーがくぐもった悲鳴を上げた。
肘から下が転がり落ち、血が噴き出した。辺りは血で真っ赤に染まり、ポッツ氏の足元にまで血の海が広がった。
あまりの痛さに悲鳴を上げ続けるトニーだが、煩いとばかりに部下は腹を蹴り上げた。
何度も何度も腹を蹴られたトニーは咳き込み、口の端から血が流れ落ちた。

意識が朦朧とし始めたトニーは大人しくなり、そんなトニーの頭を掴んだポッツ氏は周囲に気づかれないように耳元で囁いた。
「すまない…許してくれ…」
そして表情を作り直したポッツ氏は、トニーの頭を机に叩きつけると、大声で告げた。
「お前は二度とここへは来るな!だか、報復したければ報復しに来い!いくらでも受けて立ってやる!それから娘に伝えろ!お前とは縁を切ると…。二度と戻ってくるなと…」

屋敷の外に蹴飛ばされたトニーは、倒れ込んだ。痛みが全身に襲いかかり、血は止まることなく流れ続けている。
何とか立ち上がったトニーは、這うようにして歩き始めた。が、彼は自分がどこを歩いているのかも定かではなかった。
やがて人の往来の激しい通りにやってきた。血を流しながら歩いている男性がトニー・スタークだと気付いた者が、トニーに駆け寄った。
「スタークさん!」
倒れかかった身体を受け止める者もいれば、
「誰か!スタークさんの家の者に連絡しろ!」
と、叫ぶ者もいた。
辺りは騒然とし始めたが、トニーの意識はそこでプツリと途絶えた。

その頃、トニーがいなくなったと屋敷の者は総出で彼を探し回っていた。
ヴァージニアも屋敷の前でウロウロと彼の帰宅を待っていたのだが、そこへブルースが走って戻って来た。
「ヴァージニア様!大変です!」
トニーに何かあったと悟ったヴァージニアは顔色を変えた。すると、ソーに担がれるようにトニーが姿を現した。
トニーの左腕からは血が流れ落ちており、彼の全身は血で真っ赤に染まっていた。そして彼の左腕は…肘から下がなくなっていた。

ヴァージニアは泣き叫びながらトニーに駆け寄った。だがトニーは気を失っており、グッタリとした彼は叫び声と怒声の響き渡る中、寝室へと運ばれた。

すぐにやってきた医師に、大量に出血しているが命に別状はないと言われ、一安心したヴァージニアだが、どうしてこんなことになったのかと、彼女は泣きながら彼に付き添った。

翌日。
ポッツ家から侍女がやって来た。ヴァージニアに仕えていたという彼女は、ポッツ氏からの贈り物だと大きな箱を抱えてやって来た。
トニーはまだ意識が戻っていないため、ヴァージニアが代わりに対応することになった。
ヴァージニアの姿を見た侍女は泣き始めた。
「お嬢様……」
侍女は泣きながら箱を開いた。
中には切り落とされたトニーの左腕が入っていた。そして切り刻まれたヴァージニアの写真も…。
侍女は泣きながら昨日の顛末を話した。
トニーがヴァージニアとの結婚を許してもらうために一人乗り込んできたこと、ヴァージニアの父親はトニーの左腕を斬り落としたこと、そしてヴァージニアとは縁を切ると宣言したこと…。
「旦那様が二度と戻ってくるなと…。私は追い出されました。お願いします。ヴァージニア様…。私をここへ置いて頂けませんか?お願いします…お願いします…」
年若い侍女に、ヴァージニアはトニーが意識を取り戻したら頼んでみる、だからそれまでは私のそばにいてと告げた。

侍女の話を聞いたヴァージニアは、父親を憎んだ。縁を切られたことではない。トニーの左腕を斬り落としたことを恨んだ。

***

3日経ちトニーが意識を取り戻した。
「トニー…どうして…」
何度尋ねても、トニーは何も語らなかった。ただ一言、
「これで全てうまくいくから…」
と、言うだけだった。

片腕になったトニーは、食事をするのも何もかも四苦八苦していたが、1ヶ月もするとそんな生活にも慣れたため、ヴァージニアと結婚式を挙げることになった。だが、街中で行えば襲撃される可能性もある。そこで屋敷で友人だけを呼んだこじんまりとした式を挙げることにした。
式の当日、ブライダルベールの鉢植えが届いた。送り主の名前はないその花の言葉は『あなたの幸せを祈る』。
「どなたが送ってくださったんですかね?」
可愛らしい鉢植えが気に入ったヴァージニアは、自分たちの寝室に飾ることにした。
だが、トニーだけは気づいていた。その送り主に…。

その夜。
「ようやく君をミセス・スタークにできる」
満面の笑みのトニーは本当に嬉しそうにヴァージニアを抱きしめた。
トニーに抱かれ、ヴァージニアは幸せ以外の何も感じることはなかった。ただひたすら、2人は求めあった。2人きりで愛し合っている時だけは、何もかも忘れることが出来たから…。

***

結婚式が終わってから、屋敷には頻繁に人が出入りするようになった。トニーも一日中、部屋に篭って話し合っていることが多かった。何も出来ないヴァージニアは、屋敷の中の雰囲気が少しでも明るくなるようにと、侍女たちと庭で花を植えたり、部屋に花を飾ったりした。時には菓子や料理を作り、部屋に篭りっきりの夫たちの元に届けた。そんな時トニーは、心配りを忘れない心優しい新妻のことを皆の前で褒め称えた。

が、トニーは何をしているのか、ヴァージニアには何も言わなかった。だが、ヴァージニアは薄々感じていた。彼女も組織の中で育ってきた娘だ。こういう時は何かが起こる前だと、彼女は気づいていた。

***

結婚式から2ヶ月ほど経ったある日のこと。
夕方になりトニーが戻ってきた。
土砂降りの雨の中戻ってきた夫はずぶ濡れで、出迎えたヴァージニアは身体を冷やさぬようにとタオルで夫を包み込んだ。
「風邪を引かれては大変です。お風呂の準備が整っていますので…」
妻を見つめたトニーは
「共に入ろう」
と告げると、ヴァージニアの手を引っ張りバスルームへと向かった。

バスタブの中でも、トニーは何も話さなかった。どこか緊張した表情の夫を和ませようと、ヴァージニアは夫の膝の上に座ると向かい合いキスをした。
「ねぇ、あなた…」
そう言いながらヴァージニアは、夫の下腹部のものに指を這わせた。するとトニーが…怖いほどの瞳をしたトニーがヴァージニアの手を掴んだ。あまりの力強さにヴァージニアはトニーを見つめた。するとトニーはヴァージニアを右腕で抱きしめた。
「ヴァージニア…今宵お前は俺を嫌いになるかもしれない……。俺を許してくれ…」
トニーの言葉にヴァージニアは気づいた。いや、とっくに気づいていた。今、この瞬間、何が起こっているかを…。
だが、自分は今はスターク家の人間だ。ポッツ家とは縁を切られた人間だ。
生涯トニーと添い遂げると誓ったのだ。
だからポッツ家で今起こっていることは、自分には無関係であると思わねばならないのだ。
それでもヴァージニアは涙を抑えることは出来なかった。父親と母親の姿が…楽しかった子供の頃の思い出が蘇ってきたから…。

そんな感情を振り払うように、ヴァージニアは小さく首を振った。
ヴァージニアは夫の左腕の付け根を撫でた。本来あるべきはずの肘から下は、自分の父親だった男のせいで失われたのだ。これだけは許せなかった。愛する夫は、生涯苦しまなければならなくなったのだから…。
「私はスターク家の人間です。ですから…大丈夫です…。あなたへの仕打ちを考えれば…当然の報いですから……。それに、あなたのことを嫌いになるなんてあり得ません。私はあなたに生涯を捧げました。あなただけを愛すると誓ったんです…。あなたがそばにいて下さるんですもの…。ですから私は大丈夫です…」
泣きながら無理矢理笑みを浮かべる妻をトニーは力強く抱きしめた。トニーの腕の温かさに、ヴァージニアは幼い頃の両親の腕の温もりを思い出した。途端に彼女の胸にどうしようもない虚無感と悲しみが襲い掛かった。

大丈夫だなんて、嘘だ。
平気な顔なんてできるはずがない。
自分の血を分けた両親、そして幼い頃から可愛がってくれた人々が、今この瞬間にも無残に命を絶たれているのだから…。
それも全て、目の前にいる男性が命じたから…。
だから、今日だけは、トニーのことが憎かった。

ヴァージニアは声を上げて泣き始めた。すると彼女の肩にポツリポツリと冷たいものが降り注いだ。
トニーは泣いていた。肩を震わせ、声を押し殺しトニーは泣いていた。
トニーは悲しんでくれているのだ…。トニーも苦渋の決断をしなければならなかったのだ…。
ヴァージニアはそれだけで十分だった。
先ほどまでの憎しみはきれいさっぱり消えてしまった。
後に残ったのは、深い悲しみだけだった。

トニーの背中に手を回したヴァージニアは、泣き続けた。

***

翌朝。
結局トニーは一睡もすることができず、妻の寝顔を見つめていた。
いくらポッツ氏の頼みとはいえ、この決断が本当に正しかったのか、彼はずっと自問していた。ヴァージニアを苦しめただけなのではないか…、彼女は本当は憎んでいるのではないか…。そんな考えをトニーは拭い去ることが出来なかった。

と、ノックの音と共にドアが開いた。
「ボス…」
振り返ると、ドアの隙間からスティーブの顔が見えた。
ガウンを羽織ったトニーは妻を起こさないように寝室を後にした。

「終わったか?」
静かに問うトニーにスティーブも頷いた。
「一人残らず始末しました。屋敷にも火を放ち、何もかも燃やしました」
黙って頷いたトニーだが、その表情は暗かった。スティーブやローディたち側近は、今回の経緯をトニーから全て聞いていた。『腕を切り落とし痛めつけられた』ことに対する報復として、ポッツ家は根絶やしにする…それは同時にヴァージニアを自由にすることでもあり、ポッツ氏の意向だった。だが、いくらポッツ氏の望んだこととは言え、表向きはトニー・スタークが命じポッツ家を皆殺しにしたのだ。おそらくトニーはヴァージニアにはそこまで話していないだろうし、これからも話す気はないだろう。ヴァージニアはトニーのことを恨むかもしれない。主人の心中を思うと、スティーブは胸が張り裂けそうになった。
「ヴァージニア様は……」
するとトニーは首を小さく振った。
「ヴァージニアは気丈だな…。自分はもうスターク家の人間だ…、俺にした仕打ちを思えば当然の報いだ…、だから大丈夫だと…。泣きながらもそう言った…。俺の方が心が折れそうだった…。」
ふぅと息を吐いたトニーは、スティーブの肩を軽く叩いた。
「全員、手厚く葬ってやれ」
「はい。すでに葬儀の手配もしております」
「頼むぞ…」
悲しそうに顔を歪めたトニーに、スティーブは懐から取り出した物を渡した。
「トニー様…これをヴァージニア様に…」
それは一通の手紙だった。
「ポッツ氏が…時が来たら娘に渡してくれと…」
「分かった…」
手紙を受け取ったトニーは寝室へと戻っていった。

それからヴァージニアはその件に関しては何も言わなかった。以前と同じように、皆に笑顔で接していた。ただ時々、彼女は窓の外を眺めては泣いていた。
そんな妻をトニーは黙って見守った。トニーも敢えて何も聞かなかったのだ。

***

それから3ヶ月経った頃、ヴァージニアは身篭った。
子が出来たと聞いたトニーは泣いた。
また一人家族が増えたと嬉し泣きした。
ヴァージニアも嬉しくてたまらなかった。
「お前の父と母も喜んでいらっしゃるだろうな」
トニーがそう言うと、ヴァージニアは顔を曇らせた。
「トニー、私には父も母もおりません」
あの日以来、ヴァージニアは頑なに両親の存在を拒否し続けた。何度か墓参りに行こうとトニーは提案したのだが、彼女はそれすらも拒否していた。
ヴァージニアはあの時の経緯を知らない。トニーも話す気はなかった。話したところで、ヴァージニアを余計に苦しめることになるかもしれないと、彼は話せないでいたのだ。
だが、彼女の両親…特に父親が誤解されたままというのも、トニーは許せなかった。そこで彼はあの日託された手紙を妻に渡すことにした。
「ヴァージニア、これを…」
トニーが差し出したのは、一通の手紙。『ヴァージニアへ』という文字は、亡き父親の筆跡ではないか。
目を丸くしたヴァージニアは夫を見つめた。するとトニーは悲しそうに笑みを浮かべた。
「あの日…お前の父が俺の部下に託したそうだ。時が来たらお前に渡すよう頼まれた」
そう言うと、トニーはそっと部屋を出て行った。

暫く手紙を見つめていたヴァージニアだが、封を切ると読み始めた。

『ヴァージニア。お前がこの手紙を読んでいる時には、父も母もこの世にはいないだろう。

お前が初めて恋をした相手が彼だと知った時、腹が立った。お前の相手がスタークだと知った時、どうしてあいつなのだと、腑が煮え繰り返る思いだった。だが、時が経つにつれ、悲しみも襲ってきた。どうしてこんな時代にお前は生まれてしまったのだろう…と。好きになった男と皆から祝福され結ばれる…そんな時代にどうして生まれなかったのかと…嘆いた。

お前が彼の元に行ってから、人伝いにお前の話は聞いた。お前はスタークの家で受け入れられ、可愛がられていると…。
父は安心した。お前は自分の手で幸せを掴み取ったのだと、正直安心した。

彼が一人でやって来た時、その度胸に感銘を受けた。そしてお前のことを愛していると話した彼は、嘘偽りのない瞳をしていた。
お前はお前のことを心から大切にしてくれる良い男と出会えたと、父は嬉しかった。彼にならお前を託せると安心した。

だかな、ヴァージニア。この世の中、そう簡単にはいかないんだ。
お前が愛した男は我々の敵対勢力だ。父が賛成しても快く思わぬ奴の方が多い。そういう奴らを力づくで抑えつけ、お前たちの結婚を許しても、いつか必ず反旗を翻す。おそらく父亡き後、トニーもお前も家族もろとも殺されるだろう…。
お前には…たった一人の娘であるお前には、幸せになって欲しかった。お前が掴み取った幸せを、壊されたくなかった。守りたかった。
だから父は悪者になると決めた。そしてポッツ家という存在を消すと決めた。ポッツ家を消すためには、スターク家に恨まれるのが一番だ。報復だと、一族諸共消されるのが一番筋が通っていると考えた。そのためにトニーの左腕を…。すまない。許してくれ。お前の愛する男に一生残る傷を残してしまったことを許してくれ…。

トニーは全てを理解してくれた。言葉にせずとも、彼は全てを分かってくれた。彼は自分の身を傷つけてでも、父の思いを受け止めてくれたんだ。
トニーを憎まないでくれ…。これは全て父が一人で決めたこと。彼はその思いを全て受け止めてくれただけだ。

トニーには本当に申し訳ないことをした。先程も書いたが、彼には多大なる代償を払わしてしまった。生涯不自由な思いをさせることになってしまった。何より彼の心を深く傷つけた。彼はポッツ家を惨殺した者として、歴史に名を残すことになってしまった。彼自身の心にも、生涯癒えない傷を深く刻み付けてしまった。あれ程までにまっすぐで心の優しい男に、父はとんでもない重みを一生背負わせてしまったんだ。
ヴァージニア、トニーに謝っておいてくれ。本来ならば直接謝罪せなばならないが、父にはそれはもう出来ぬ…。心からお詫びしたいと伝えてくれ…。そしてあの時、何も言わずに全てを受け入れてくれありがとうと伝えてくれ。

ヴァージニア、これで何もかもうまくいく。
お前はもう、ポッツ家という存在に縛られることもない。この世にはポッツ家という存在はないのだから…。

愛する男と共にお前は幸せに生きろ。
父と母のことは忘れてくれ…。

ヴァージニア…愛してる…。』

「お父様……」
涙が止まらなかった。
あの日、父親は娘である自分の幸せを守るために、そしてトニーはその幸せを受け止めるために、2人とも自らを犠牲にしたのだ。
2人がどれ程自分のことを愛し、そして考えてくれていたのだろうか…。見えないところで行われていたこととはいえ、あの時トニーを一瞬でも…そして父親をずっと恨んでいたことを、ヴァージニアは後悔した。

暫くしてトニーが戻ってきた。
真っ赤な目をした妻は泣き崩れており、トニーは黙って抱きしめた。ヴァージニアはトニーにしがみつくと声を上げて泣いた。

どれくらい泣き続けていただろうか。暫くしてようやく落ち着いた彼女は、しゃくり上げながら顔を上げた。
「トニー……ありがとう……」
どうして礼を言うんだ?というように眉をつり上げた夫に、ヴァージニアは手紙を差し出した。
「読まれました?」
トニーは首を振った。
「いや、読んではいない。それはポッツ氏が娘であるお前に宛てた手紙だ。だから俺は読むべきではない」
トニーにも是非読んで貰いたいと思ったヴァージニアは夫に手紙を渡した。
「父が…あなたに謝りたいと…。感謝したいと…。そう書いてあります。ですから、これはあなたにも読んでもらいたいです」
妻から渡された手紙に、トニーは目を通した。
トニーの目にも涙が浮かんだ。大粒の涙を流しながら読み終えたトニーは、それを丁寧に畳むと妻に返した。
「礼と謝罪は受け取れない。あの時あの決断をしたのは、俺自身が選んだ道だから…」
そう言いながらトニーはヴァージニアを抱き寄せた。
「だが、ここで改めて違う。君のことは俺が生涯掛けて守る。命を掛けて愛す…」
ヴァージニアは頷いた。新たに浮かんだ涙を隠すようにトニーの胸元に顔を押し付けたヴァージニアは、ようやく心が晴れ渡った気がした。

***

1年後。
トニーとヴァージニアの姿は墓地にあった。
『ポッツ』と刻まれた墓は訪れる者も少なく、寂れていた。
「暫く来れなくてごめんなさい」
そう言いながら墓を掃除したヴァージニアは、花束を置いた。
「お父様とお母様にお見せしようと、今日は連れて来たんですよ」
トニーがヴァージニアの横に腰を下ろした。夫の腕の中の赤ん坊の頬をくすぐったヴァージニアは少し膨らんだお腹に手を当てた。
「2人目はクリスマスの頃に生まれる予定よ。生まれたら、また会いに来ますね」
墓標に向かって微笑んだヴァージニアは、立ち上がった。
「お父様、お母様。私、幸せです。だから安心して下さいね」
そう言って笑ったヴァージニアは、トニーにキスをすると手を繋ぎその場を後にした。

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