Kiss the Teacher~冬編2

翌朝。
夜明け前に眠ったばかりのトニーは、何度も鳴り続けるインターフォンの音に目を覚ました。時計を見ると八時。
(誰だ…。こんな朝早くから…)
腕の中のペッパーはぐっすり眠っている。起こさないようにベッドを抜け出したトニーは、下着を履きバスローブを羽織ると玄関を開けた。
目の前にいたのは、母親であるマリア・スターク。
とっさにドアを閉めたトニーは大慌て。リビングに散らばった自分とペッパーの服をかき集めると二階へ駆け上がった。

「トニー!開けなさい!」
玄関の外では母親が叫んでいる。
この騒ぎの中でも、ペッパーはまだ眠っている。大したもんだ…と内心苦笑しながらも、トニーはペッパーを叩き起こした。
「ペッパー!起きろ! お袋が来た!」
「おはよ…とにー…」
寝ぼけ眼で抱きついてくるペッパーを引き離すと、洋服とカバンを渡しバスルームへと押し込んだ。

ドンドンと叩き続けられるドアを開けたトニーは、自分とよく似た笑みを浮かべた母親を不機嫌な顔をして見つめた。
「何だよ、こんな朝早くから…」
「もう、いいでしょ?大事な息子に会いにきたんだから…」
母親はトニーを押しのけると、ズカズカと部屋の中に入って行く。
あちこち詮索するように見回していたマリアだが、ソファーの片隅に落ちているレースのものに気が付いた。
「あら?何かしら?」
拾い上げたのは、ペッパーのブラジャー。
(しまった!)
青くなったトニーがどう言い訳しようか考えていると、ニンマリ微笑んだマリアは、ブラジャーを掲げながらトニーに近づいてきた。
「あら?誰かいるのね?ほら、ママに正直に言いなさい!」
楽しそうに息子に詰め寄る母親。
そんな親子の様子を、身なりを整えバスルームから伺っていたペッパーだが、自分のブラジャーがヒラヒラと舞っているのだから、恥ずかしくてたまらない。耐 え切れなくなったペッパーは、バスルームから飛び出し叫んだ。
「あ、あの!すみません…。それ…私のです…」
突然現れた女の子に、マリアの目は釘付けになった。だが、さすがトニー・スタークの母親と言うべきか、瞬時に状況を察したマリアは、トニーにブラジャーを 押し付けると、ペッパーの方へ歩いて行った。
「あら?かわいらしい方ね」
「は、初めまして…ヴァージニア・ポッツと言います…」
「トニーの母親のマリアよ。おいくつ?」
「17です…」
「あら?トニーったら!十も若い女の子を捕まえて!やるわね、トニーも。ヴァージニアさん、この子、偏屈だから大変でしょ?」
「い、いえ…」
(トニーって、お母様に似たのかしら…)
ペッパーがそんなことを考えていると、嫌悪感丸出しのトニーが母親の肩を突ついた。
「お袋、何しにきたんだ」
「あら?せっかくのクリスマスに、かわいい息子の顔を見に来たらダメなの?誰に似たのかしら?かわいくないわねぇ」
口を尖らせるマリアに、ため息を付くトニー。

マリアは何か話があってここに来たに違いない。そう思ったペッパーは、椅子の上に掛けてあったコートを手に取ると、遠慮がちに声を掛けた。
「あ、あの…私…そろそろお暇します…」
ペッパーの言葉にマリアは、眉を釣り上げた。
「あら?いいのよ。ねえ、トニー、あなたが言っていた方でしょ?」
「あぁ…」
「私、あなたのこと気になっていたの。もう少しお話ししましょ?」
ペッパーの手からカバンとコートを奪い取ったマリアは、ペッパーを強引にソファーに座らせると、トニーを睨んだ。
「ほら!トニー!気が利かないわね!早くコーヒーでもいれなさい!それと、いつまでそんな格好してるの?早く着替えて来なさい!」

服を着替え、コーヒーを入れ始めたトニー。キッチンからリビングの様子を伺うと、母親とペッパーは楽しそうに話をしていた。
「ペッパーちゃんっていいこね」
「そ、そうですか…。えっと…スタークさん…」
「あら、よそよそしくしないでよ。あなたたち、どうせ結婚するんでしょ?トニーったら、結婚したい女性がいるからってメールを一通よこしてきただけだか ら、あなたに会いたかったの。私ね、ずっと娘が欲しかったの。一緒にお買い物に行ったりできるでしょ?うちの男連中は…と言っても、主人とあの子だけだけ どね、買い物なんか行ってくれないから…。だからあなたがお嫁さんになってくれたら、毎日ショッピングに行けるわね!よかったわ!こんなカワイイ娘さんが お嫁さんに来てくれるんだもの!ペッパーちゃん、私のこと本当の母親だと思って甘えて頂戴ね!」
嬉しそうにペッパーを抱き寄せた母親を見たトニーは、ペッパーが受け入れてもらえたことに安心した。
ペッパーを抱き締めていたマリアだが、ふと思い出したようにペッパーの手を握りしめた。
「ねぇ、うちのクリスマスパーティーに来ない?」
「折角のお誘いなんですが、クリスマスは毎年家族と過ごすんで…」
「大丈夫、今日の夕方だから。それに今夜中に帰すわ。トニーがあなたを離さなかったら別だけど…」

(せっかくトニーのお母様が誘ってくださっているし…)
トニーに似て明るく気さくなマリアのことをペッパーは会った瞬間から好きになっていたのだ。
(それに、お父様にもご挨拶できるし…)
「私が伺ってもいいんですか?」
「いいわよ!大歓迎よ!主人もきっとあなたのこと気に入るわ。と言うことで、あなたもよ、トニー。言わなくても付いてくるでしょけど」
キッチンで聞いているであろうトニーに向かってマリアは叫んだ。やがてコーヒーを持って戻って来たトニーは、渋い顔をしながらも頷き、マリアはニンマリと 笑った。

***

「え? ご両親には話してないの?」
「はい…。話せなくて…」
「そう…。ごめんなさい。あなたにばかり苦労をかけて…」
「そんなことないです!私、トニーに愛されて幸せなんです!」
「いいわね~。あ、でも、大丈夫。何かあってもトニーにちゃんと責任取らせるから!」
「は、はぁ…」
LAへ向かう車内。後部座席に並んで座りずっと話しているペッパーと母親を、助手席に座ったトニーはバックミラー越しに時折盗み見していた。が、女同士の 話に入る隙間もなく、昨晩張り切りすぎてほとんど眠っていないトニーは、あくびをすると目を閉じた。

***
 
毎年24日に行われるクリスマスパーティーは、会社の重役の家族を招待するもので、スターク邸で行われるものだった。

「あなたは適当にしときなさい。さぁ、ペッパーちゃん、用意しなきゃ!」
楽しそうな母親とペッパーの後姿を見送ったトニーは、パーティーの用意で忙しそうに動き回る人々の間を縫うように歩くと、リビングへ向かった。

一時間ほどたった頃。母親の用意していたタキシードに着替え、早くもやって来たゲストと話をしていたトニーは、スターク家のメイドに声をかけられた。
「トニー様。マリア様がお呼びです」
二階の衣装部屋をノックすると、母親の嬉しそうな声が聞こえた。
「トニー?用意できたわよ。見てあげて」
部屋に入ったトニーは、息を飲んだ。
ペッパーは別人のようだった。長く美しい髪を巻き、メイクをしたその顔はいつもより数段大人っぽく見えた。瞳と同じブルーのドレスは背中が大きく開いたデ ザインなのだが、ペッパーの白く美しい肌のおかげで、ドレスは色鮮やかに映えていた。そして、母親がプレゼントしたらしいピアスとネックレスを付け、指に はトニーの送ったエンゲージリングを嵌めたペッパーは、見惚れるほど綺麗だった。
目を見開いて固まったままのトニーに気づいたマリアは、トニーの頭を軽く叩いた。
「ほら、トニー。見とれてないで何か言いなさいよ!あ、私はお邪魔よね。二人きりにしてあげるわね」
母親が部屋から出て行ったのを確認したトニーは、真っ赤になり俯いているペッパーの腰を引きよせ唇を奪った。
「綺麗だ…すごく似合っている…。言葉が出ないほど綺麗だよ」
一方のペッパーも…タキシードを着こなしたトニーは映画のスターのようにカッコよく、ペッパーは何百回目かの恋に落ちた。
しばらく見つめあっていた二人だが…。
「行こうか…」
差し出された腕に手を置いたペッパーは、トニーと嬉しそうに微笑みあった。

パーティールームは人だかりができていた。その中心には、トニーの父親であるハワード・スタークの姿があった。
トニーに気づいたハワードは、満面の笑みを浮かべて駆け寄って来た。
「トニー!五年ぶりか?元気そうだな?」
「あぁ…。親父も元気そうだな…」
嬉しそうに抱き着く父親。わざとらしいほどの歓迎ぶりにトニーは戸惑った。
大勢の社員に囲まれたトニーは、愛想よく笑っていた。一人離れたところでその様子を見ていたペッパーだが、何もすることがなくどうしようか迷っていると、 ハワードがやって来た。
「君かい?トニーの大事な女性は?」
「あ…。は、初めまして。ヴァージニア・ポッツです。今日は私までご招待頂いて…」
「いや、さっき妻から聞いたよ。こちらこそ半ば強引に連れてきてしまったようで申し訳ない」
微笑んだハワードの目はトニーによく似ており、それはとても温かく優しい目だった。
「大変だろ?あいつと一緒にいるのは?」
マリアと同じことを言うハワードに、ペッパーは思わずくすっと笑った。
「どうしたんだ?」
「いえ…。ただ、お母様にも言われました。彼のことを偏屈だって…」
「そうか」
「はい。でも、彼は私のことをとても大事にしてくれます。彼にはたくさんのことを教えてもらったんです。だから、彼と出会えたことを感謝しています。彼の ご両親にもいつかお礼を言いたいってずっと思っていました。お父様…ありがとうございます」
ぴょこんと頭を下げたペッパーにハワードの顏にも笑みがこぼれた。
「こちらこそ頼む。ヴァージニアさん、あいつのこと…トニーのこと、大事にしてやってくれ…。あんなやつだが…あの子は優しい子なんだ…。よろしく頼む よ」
「お父様…」
ペッパーの手を握り、「あいつには内緒にしておいてくれよ」と言うと、ハワードは去って行った。

「ペッパー、一人にしてすまなかった」
しばらくして、輪から抜け出したトニーが戻って来た。
「何か飲むか?」
「じゃあ、オレンジジュースがいいわ」
料理を摘まんだり話をしたりしていると、司会者がパーティーの開始を告げた。

***

ステージではハワードの挨拶が始まった。冗談を交えながら、一年のねぎらいをしたハワード。挨拶も終わりかと思われたその時だった。
「ところで、今日は私の跡取りのトニーも来ている。来年は社に戻り私の跡を継いでくれると約束してくれた。私もそろそろ引退せねばならないな」
社員たちは一斉にトニーの方へ振り向き、嬉しそうに拍手を始めた。
繋いでいた手が痛いほど握られ、ペッパーはトニーの顔を見上げた。
「親父もお袋も…嵌めやがったな!」
「トニー…」
ペッパーの手を離したトニーはステージから降りてきたハワードを捕まえた。
「親父…話がある。いいか?」

二階の書斎に向かった二人。
心配になったマリアとペッパーも後に続いたが、二人は何も言わなかった。
部屋に入るなり、トニーはハワードに向かって怒鳴った。
「どういうつもりだ!俺はまだ会社を継ぐとは言ってない!」
トニーとは対照的に、ハワード至って冷静だった。
「お前もいい加減に目を覚ませ!お前はスタークの人間だ。そろそろ責任を果たせ!」
「責任?言っておくが、俺はちゃんと考えてる。親父やお袋のことも。自分の将来のことも。十年逃げ続けて親父にも迷惑掛けたが、そろそろ蹴りをつけようと 思っていたんだ!来年の秋にはLAに戻って親父の跡を継ぐことも考えていた!」
その言葉にペッパーは顔を上げた。
あれだけ嫌がっていたのに…もしかして私のため?
私がLAに行くから…それでトニーも?

「こんなやり方は卑怯だ!きちんと言わなかった俺も悪いかもしれない。だが、俺の意見も聞かず、また俺に押し付ける気か?親父らしいよな!既成事実さえ作 れば、俺は逃げられないからな!昔から親父は…」
トニーの言葉を黙って聞いていたハワードだが、遮るようにトニーを殴った。
「甘えるのもいい加減にしろ!」
トニーの胸倉を掴み何度も殴るハワード。見るに見かねたマリアが、ハワードの腕にしがみついた。
「ハワード!やめて!せっかく久しぶりに会ったのよ…。話し合えばきっと…」
「マリア!お前が甘やかすからだ!」
「だから私は嫌だったの!トニーがかわいそうでしょ?あの子は話せば…」
言い合いを始めたハワードとマリア。その間にペッパーはトニーに駆け寄った。
「トニー?」
声をかけるが、青い顔をしたトニーは何も言わない。殴られた顔は腫れ上がり、唇からは血が流れ落ちている。
バックからハンカチを取り出したペッパーは、唇をそっと押さえた。

ハワードとマリアの口論は止まらない。トニーの目には涙が溜まり始め、耐え切れなくなった彼は声を荒げた。
「やめろよ!」
その声に、室内は静まり返った。
「…親父は変わってないな…。母さんのことも俺のことも…どうでもいいんだ…。昔からそうだ。おもちゃで遊んでいるとくだらないと怒るし…。親父とは キャッチボールすらしたことがない…。いつも仕事、仕事で、俺や母さんのことは後回し。金さえあれば何とかなると思っていただろ!」
長年我慢してきた思いを吐き出すかのように話すトニーを、ハワードとマリアは黙って見つめるしかなかった。
「酒に溺れる父さんに反抗する俺を邪魔者扱いして、寄宿学校に追いやった。俺は行きたくなかったんだ。尊敬する父さんのそばにいて、いろんなことを教えて もらいたかったんだ。俺は父さんに認めてもらいたかった。だから必死に勉強したんだ!でも、父さんは俺のことを認めなかった。だから俺は自分の人生は自分 で見つけようと頑張った。せっかく築き上げたのに…また取り上げて、俺を籠の中に閉じ込める気なんだろ?だから俺は戻って来たくないんだ!」
顔を上げたトニーの目からは涙が次々と零れ落ちた。
こんなに感情を露わにし、そして苦しそうなトニーを見るのは初めてだった。
「父さんは俺の気持ちなんてどうでもいいんだろ?俺が黙って会社を継いでここにいれば満足なんだろ?父さんにとって俺は…会社の跡取りという道具でしかな いんだ!俺のことなんて息子と思ってないし、愛してないんだろ!答えろよ!」

殴ってでも言って欲しかった。『馬鹿なことを言うな。お前のことは愛している』と。だが、何も言わず黙っている両親。両親の顔を交互に見つめていたトニー だが、悲しそうな顔をするとペッパーの手をそっと握った。
「…もういい…。悪いけど…帰る…」
トニーは袖口で泣き腫らした目を乱暴に擦ると、ペッパーの手を引いて部屋を飛び出した。

足早に玄関へ向かうトニー。すれ違う人々は、真っ赤な目をしたトニーに気付いてはいたが、誰も何も言えなかった。

「トニー!待ちなさい!」
車に乗り込もうとした時、後ろからマリアが追いかけてきた。
「トニー…待って…。話し合いましょう?あなたの気持ちは分かったから…。あなたはちゃんと考えてくれていたのに…。騙すようなことをしてごめんなさ い…」
マリアはトニーの腕に縋り付いたが、トニーは顔を背けたまま何も言わなかった。ペッパーを後部座席に押し込むと、トニーはマリアの方を振り返り抱きしめ た。
「母さん、ゴメン。今は話したくないんだ…。気持ちの整理が付いたら連絡する…。父さんにも…」
「分かったわ…」
母親の手を振り切ったトニーは、ペッパーの隣に乗り込みドアを閉めた。

***

車内は重い空気に包まれていた。
トニーは黙ったまま窓の外をじっと見ている。ペッパーは、何と言っていいか分からなかった。自分は両親から目に見える愛情もたくさん与えられてきた。でも トニーは違う…。トニーは愛情に飢えている…。
お父様もお母様もトニーのことは世界一愛してる…。でもそれは形となって現れてない…。トニーは形に見える愛が欲しいだけなのに…。

くしゅん

小さなくしゃみが聞こえ、トニーは振り返った。ノースリーブのドレス姿のペッパーは、肌寒いのだろう、手で腕を擦っている。
「寒いか?」
ジャケットを脱いだトニーは、ペッパーに掛けると、肩を抱き寄せた。
「これで寒くないだろ?」
「ありがとう、トニー」
トニーの匂いと温もりに包まれたペッパーは、ジャケットの裾をキュッと掴んだ。
「嫌な思いさせてすまなかったな…」
ペッパーの肩をさすりながら、トニーがポツリと呟いた。
「ううん…。トニー、大丈夫?」
赤く腫れた唇と頬。だが、それ以上にトニーは傷ついているはず…。
赤くなった頬をそっと触ると、トニーは寂しそうに笑った。
「大丈夫だ…。27年間ずっとこの調子なんだから…」
堪らなくなったペッパーは、トニーの首元に腕を回し抱き着いた。
「私がずっとそばにいるから…」
「あぁ…ありがとう、ペッパー…」
トニーの目から流れ落ちた涙が雨のように降り注いだが、ペッパーはいつまでもトニーの頭を優しく撫で続けた。

3へ…

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