それから2日間…つまり満月の前日までペッパーは現れなかった。
そして約束の3日後。
海を眺めてため息ばかりついているトニーにJ.A.R.V.I.S.は月齢表をモニターに映し声を掛けた。
『トニー様、今宵は満月でございます』
J.A.R.V.I.S.の言葉にはぁと大きく溜息を付いたトニーは、つまらなそうに唇を尖らせた。
「知ってる…。今夜ペッパーが現れなかったら…。海へ再び身を沈めれば会えるのだろうか…」
そう言うと、トニーは海を眺め始めた。
と、馴染みの顔が水中から現れた。
「ペッパーだ!」
勢いよく立ち上がったトニーは、家を飛び出して行った。
そのまま海まで全速力で向ったトニーだが、ペッパーに近づくにつれ違和感を感じた。
「ペッパー…」
目の前で微笑んでいるのは、確かにペッパーだ。だが、彼女は浜辺に立っていた。薄い絹のような布を纏った彼女からは魚のような尾鰭は消え、人間と同じ足があったのだ。
戸惑っているトニーに、ペッパーはいつものように微笑みかけた。
「満月の夜は、願いが1つだけ叶います。ですから、私は願いました。尾鰭ではなく人間の足を下さい…と。夜明け前には海に戻らねばなりませんが…。これなら、今宵はずっとあなたと一緒に過ごせます」
ゆっくりとペッパーに近づいたトニーはキスをした。そして彼女を抱き上げると、家へと戻って行った。
トニーとの一夜は、ペッパーにとって生涯忘れならない最高の一夜だった。何もかもが初めてのペッパーにも、トニーは優しかった。彼の優しさに触れ、そして力強い腕の中に抱きしめられる度に、彼への思いがどうしようもない程溢れ出てきた。彼と同時に高みに登り詰め、彼のもので身体中満たされた瞬間、このまま時が止まればいいのにと思った。
ずっとそばにいたいが、夜が明ければこの魔法は消えてしまう。そして陸の上では、人魚の姿ではものの数分で息絶えてしまうのだ。
別れ際までキスをしていた2人だが、ペッパーは夜明け前に海へと戻って行った。
海の王国に戻ってきたペッパーは、物知りの長老の元へと向かった。
「姫、どうなさいましたか?」
急にやって来たペッパーを長老は温かく迎えてくれた。
どう切り出せばいいかと少し迷ったペッパーだが、自分のこととは言えないため、友達が人間に恋をした、どうやったら一緒にいられるのだろうか相談されたので、アドバイスを求めに来たと長老に告げた。
話を黙って聞いていた長老は、ふぅと溜息を付いた。
「姫。我々と人間は種族が違います。人間の寿命は100年もありませんが、我々は数100年…いえ、1000年でも生きる者もいます。人間と我々では、時の流れの速度が違うからです。ですから、例え共にいることができても、人間はあっという間に死んでしまいます」
それは分かっている。だからこそ、ペッパーが知りたいのは、人魚であることを捨て、人間になる方法だった。
「では、私たちが人間になる方法はないんですか?」
必死に食い下がるペッパーに、長老は仕方なく古くからの言い伝えを教えることにした。
「ありません。仮初めの姿ならば、方法はあります。ですが、陸に上がることはできません。海に浮かぶ岩の上ならば、一時的に尾鰭は消え、人間の足になります。人間に見つかった時に難を逃れられるよう、神が与えてくださった力です。それでも時折海水を浴びなければ、呼吸ができなくなりますが…」
そんな方法があるなんて知らなかった。目を輝かせたペッパーだが、この近くに2人でゆっくりできるような岩場はないし、そもそもトニーは人間なのだから、そんなに遠くまで泳いでくることはできないと気づくと、ガックリと頭を垂れて長老の家を後にした。
と、その時だった。
「ペッパー!」
海の上からトニーの声が聞こえた。急いで海面へと向かうと、船の上にトニーがいた。
「トニー?!どうしたんです?」
サングラス掛けているが、見るからに楽しそうに笑ったトニーは、柵を乗り越えデッキの淵に座り込んだ。
「君に会いに来たんだ。陸には上がれないのだろ?それなら船の上ならば大丈夫かと考えた」
トニーがわざわざ海の上まで会いに来てくれると思ってもいなかったので、ペッパーは嬉しくて堪らなかった。腕を伸ばしトニーの足に抱きついたペッパーは、尾鰭でパタパタと水面を叩いた。
と、トニーとは違う男性の声がした。
「ホントだ…」
顔を上げると、恰幅のいい男性がトニーの後ろから顔を覗かせていた。トニー以外の人間に見つかってしまったと身体を震わせたペッパーを安心させるように、トニーは彼女の頭を撫でた。
「ハッピーだ。私のボディーガードだ」
くるりと振り返ったトニーは、ハッピーに向かってニヤリと笑った。
「人間と変わらないぞ?現に昨日、セック……」
どうやって…と目を白黒させたハッピーだが、詳細を話されても困ると慌てて首をブンブン振った。そして気持ちを落ち着かせようと何度か咳払いをしたハッピーは、ペッパーに向かって頭を軽く下げた。
「初めまして。ハロルド・ホーガンです。ハッピーとお呼びください。ペッパーさんのことは、ボスから耳にタコができるくらい聞いていました」
先程とは打って変わって優しげな笑みを浮かべたハッピーに、ペッパーは彼もトニーと同じように信頼しても大丈夫な人間だと理解した。
「初めまして。ヴァージニアです…」
ニコッと笑ったペッパーだが、この海に浮かぶ乗り物なら、先ほどの長老の話が上手くいくのではと考えた。
「トニー、先ほど長老から良いことを聞きました。海上に浮かぶ物の上では、人間の姿になれることを…」
「本当か?!」
「はい。時折海水を被らなければならないとのことですが…」
そう言いつつ、一度海中に消えたペッパーだが、勢いよく浮き上がると、デッキに向かって飛び跳ねた。
キラキラと水の雫と共にデッキに上がってきたペッパーからは尾鰭が消え、スラリとした足が現れた。
が、何一つ身に纏っていないペッパーに、トニーは青ざめ、顔を真っ赤にしたハッピーはその場に卒倒した。
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