トニーの邸宅は住んでいた村全体よりも大きな敷地に建てられていた。
「す、凄い…」
門を潜ってもなかなか家は見えてこず、家に到着してみれば、とてつもなく大きな家なのだから、違う世界に来てしまったと、馬車から降りたヴァージニアは目を白黒させている。
「俺も最初は慣れなくてさ。こんな広い家はいらないって言ったんだけど、陛下がどうしても…って言うから…」
トニーはその国王に本当に可愛がられているのねと目を瞬かせたヴァージニアだが、屋敷の中からぞろぞろと大勢の人が出てきたのに気づくと、慌ててトニーの後ろに隠れた。
「ご主人様、お帰りなさいませ」
「ただいま。そうだ、紹介しよう。許嫁のヴァージニアだ」
ヴァージニアを引っ張り出したトニーは、彼女の腰に手を回すと抱き寄せた。自分に注目が集まったのに気づいたヴァージニアは顔を赤らめたが、今日からこの世界で暮らしていくのだから…と、慌てて頭を下げた。
「はじめまして。ヴァージニアです。今日からよろしくお願いします」
もうすぐ主人の妻になる女性に頭を下げられたのだ。使用人たちは慌てふためいた。その様子を見ていたトニーは肩を竦めた。
「おいおい、堅苦しいことはなしだと言ってるだろ?俺達はみんな、家族なんだから…」
後から聞いた話では、トニーは主人と使用人という関係が気に入らないらしく、日頃からもっとフランクに接してくれと言っているが、使用人たちはやはり身分の違いがあると、なかなかそうはいかないらしい。
昔から誰とでも分け隔てなく接していたが、今も変わらないトニーの態度に、ヴァージニアは一人笑みを浮かべた。
その後ヴァージニアは、敷地内の一角に住んでいるローディたちを紹介してもらったのだが、噂のヴァージニアにようやく出会えたと大歓迎された。
「これからはトニーだけではなく、ヴァージニア様もお守りします」
と、胸を叩いた仲間達に、トニーはよろしく頼むと頭を下げた。
「何だか色々と凄いわね」
元の家ほどもある寝室のフワフワのベッドの上で、ヴァージニアは枕を叩き整え始めた。
「俺もさ、最初は戸惑うばっかりだったんだ。こんな世界があるんだって、驚いてばかりだった。でも、ありがたいよな。何も知らない俺みたいな人間を、みんな温かく迎え入れてくれたんだ」
ヴァージニアを抱きしめたトニーはそのままベッドにコロンと横になった。
「今こういう暮らしが出来るのも、頑張ってきたからかもしれない。でも、一番の褒美は…」
ベッドにヴァージニアを押し倒したトニーは、ニヤっと笑みを浮かべた。
「こうやってジニーとまた一緒に暮らせることだな」
喜びを隠しきれないというように満面の笑みを浮かべたトニーは、ヴァージニアのナイトガウンを奪い取ると、柔らかな胸に顔を埋めた。
翌日。
ヴァージニアは朝から大忙しだった。というのも、これから国王に挨拶に行くのだ。
侍女たちに身体中を磨かれ、髪を巻かれ、見たこともないような豪勢な服を着たヴァージニアは、鏡の中の自分の姿に正直圧倒されていた。
とそこへ、トニーが入って来た。
「ジニー?」
見惚れているのか、トニーはポカンと口を開けたままだ。
「へ、変かしら…」
真っ赤な顔をして何も言わないトニーをヴァージニアは上目遣いで見上げた。
「い、いや…その…。惚れ直した」
「よかったわ」
トニーに気に入って貰えたと、ヴァージニアはほっと息を吐いたが、トニーは胸の高まりを抑えることができなかった。
今までは裕福ではなかったため、ヴァージニアに洋服も宝石も買ってあげることができなかった。
誕生日や記念日の度に、自分で作った指輪や野山で摘んできた花しか贈ることができないと謝る自分にヴァージニアは笑って告げた。
『あなたがそばにいてくれるのが一番の贈り物よ』
だが今からは、彼女が欲する物は何だって買い与えることができる。もっとも彼女は高価なものはいらないと言うだろうが…。
このままいつまでも見惚れていたいが、さっさと用事を済ませ帰ってきて、愛し合おう…。そう考えたトニーはヴァージニアの手を取ると玄関へと向かった。
「実は…話しておかなければならないことがあるんだ」
馬車に乗り込むなりトニーは言いにくそうに切り出した。
実は国王には娘が数人おり、その中の一人がトニーに惚れてしまい結婚したいと言われているというのだ。
「俺には将来を誓った大事な人がいるって断ったんだ。でもマヤ姫は諦めてくれなくれさ。陛下に泣きついたんだ。トニーと結婚させてくれって。娘に泣きつかれた陛下は俺に会う度に娘と結婚してくれと頭を下げられるんだ…」
不安げなヴァージニアにトニーは慌てて首を振った。
「マヤ姫とは何もないから安心してくれ。一度だけ舞踏会でお会いしただけなんだ。それもさ、俺は顔を伏せたままだったから、姫のお顔を拝見すらしていない。そんなオンナと結婚しろなんて、無茶苦茶だろ?だからさ、陛下にお目通りして、俺の美しい妻を紹介しようって訳さ」
「妻って…」
まだトニーとは結婚していないのに、妻とは一体どういうことだろう…。
首を傾げたヴァージニアをトニーは不思議そうに見つめた。
「言ってなかったっけ?君はもう、ミセス・スタークだぞ?」
ミセス・スタークということは…つまり…。
「えぇぇぇ!!!!」
事の重大さをようやく理解したヴァージニアは、ひとしきり叫んだ後、口をパクパクさせている。
「嫌だった?」
喜ぶどころか、その場にひっくり返りそうになっているヴァージニアに、トニーはそういえば昨晩ベッドの中で話そうと思っていたのに、実に1年ぶりだったため愛し合うのに夢中で話しそびれていたことを思い出した。
何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせたヴァージニアは、真顔で首をブンブンと振った。
「い、嫌じゃないわよ!あなたのお嫁さんになれたんだから。で、でも、いつの間に…」
そうなのだ。問題は一体いつ自分たちは結婚したということ。元の村はそういうことが出来る状態ではなかったし、この国に来たのも昨日なのだから、一体トニーはいつ結婚の手続きをしたのだろうか…。
「昨日さ。君をこの国の住人として届出をしに役場へ行った。どういう関係だと言われたから、もうすぐ妻になる女性と答えた。そしたらさ、役場の人間が『また手続きするのも面倒だから、妻でいいだろ?』って…。という訳で、君は俺のれっきとした妻って訳だ。結婚式は出来なかったけど…。それから…」
ポケットに手を突っ込んだトニーは何かを取り出した。
「これを交換したら完璧だ」
トニーの手の中にあったのは、シンプルな指輪だった。
「世界で一組しかない、俺の手作りなんだ」
ヴァージニアの左手を取ったトニーは指輪を滑り込ませた。
目を潤ませているヴァージニアに、トニーは自分の手を差し出した。
「ほら、俺も…」
お互いの指に嵌ったお揃いの指輪は、夫婦の証。
「これで完璧。君は俺の世界一大切な妻だ」
「うん…」
ヴァージニアの目から大粒の涙がポロポロと零れ落ちた。指輪を撫でた彼女は、目をギュッと閉じるとトニーに抱きついた。
「トニー…ありがと…。嬉しくて死んじゃいそう…」
「死んだら困るな。結婚したばかりなのに」
苦笑したトニーはヴァージニアの涙を拭うとキスをした。口付けは次第に深くなり、キスに夢中になっていると、いつの間にか馬車は城へ到着していた。
ヴァージニアと腕を組み、謁見の間へ向かったトニーだが、トニーの到着を待ちわびていたのか、国王は部屋の中でうろうろしていた。
トニーに気づいた国王は、満面の笑みを浮かべ走り寄って来た。慌てて跪いたトニーを習い、跪いたヴァージニアだが、国王はトニーを立ち上がらせると背中をポンッと叩いた。
「トニー、待っておったぞ?よく来たな。忘れ物は見つかったか?」
「はい。無事に見つかりましたので、陛下にもご覧頂こうと思い、連れて参りました」
一礼したトニーは、隣で跪いているヴァージニアを立ち上がらせた。
「妻のヴァージニアです」
「ヴァージニアです。陛下、お見知り…」
ヴァージニアを見た国王は眉を顰めると彼女の言葉を遮りトニーを見つめた。
「妻というと…。トニーよ、お前は私の許しなしに結婚したのか?」
道中聞いた話を思い出したヴァージニアは、ゴクリと唾を飲み込んだ。ヴァージニアに顔を向けた国王は目を細めた。その眼光の鋭さに恐れ慄いたヴァージニアは小さく身体を震わせたが、それに気づいたトニーはそっと手を握った。
「申し訳ございません。ですが、妻とは幼い頃より結婚の誓いを立てておりました。何年も共に暮らしておりましたし、村で再会した折に、我慢出来ず結婚しました」
恐れることなく堂々と国王に告げたトニーだが、国王は不機嫌そうに唸った。
「我が娘、マヤの婿になるよう伝えていたはずだぞ?」
「存じております。ですが、妻は帰らぬ私を1年以上待ってくれていました。誰もいない村でたった1人で…。私の帰りを健気に待ち続けてくれていました。妻は私の世界の中心です。妻を守るためなら、私は命を差し出す覚悟です」
そう言い切ったトニーは顔を上げると国王を見つめた。その力強い瞳に一瞬たじろいだ国王だが、腹正し気に玉座まで歩いて行くとドスンと腰を下ろした。
その場に膝を付いたトニーとヴァージニアは頭を深々と下げた。そんな2人を怒りに燃えた瞳で睨み付けた国王は声を張り上げた。
「スターク、私に歯向かえば、どうなるか分かっているだろうな?敵国の民であるお前を重臣に登用してやったんだぞ?今のお前があるのは、誰のおかげだと思っているのだ!」
怒り始めた国王にヴァージニアは青ざめた。このままではトニーは国王の怒りを買い、追放もしくは首を斬られてしまうかもしれない。だが、ここで自分が身を引けばトニーは今の暮らしを続けることができるのだ。それならば…と口を開きかけたヴァージニアだが、彼女が何を言おうとしているのか気付いたトニーが遮るように手をぎゅっと握った。
「もちろん、陛下のご慈悲のおかげでございます。ですが、陛下。それと結婚は別です。正直に申し上げますと、私はマヤ様を好いてはおりません。いえ、妻以外…ヴァージニア以外の女性を愛することはできません。ですから、私はマヤ様を幸せにする自信が全くございません。幸せになれないと知りながら結婚することほど、不幸なことはございません。ですから…」
トニーの必死さとそして彼の妻への愛の深さに感銘を受けたのか、ふぅと大きく深呼吸すると首を振った。
「分かった。もう、よい。それだけハッキリ物申してくれれば、マヤにも無理を言うなと私も告げることができる」
そう言うと、国王は声を上げて笑い始めた。
国王の機嫌を損ねたのではないと安心したヴァージニアは、肩の力を抜いた。トニーの方もやはり緊張していたようで、繋いだ掌は汗で濡れている。
ホッとしたように顔を見合わせた2人は、微笑みあったが、その光景に王は残念そうに溜息を付いた。
「お前が娘婿になってくれるのを楽しみにしていたんだがなぁ…。だが、お前の言う通り、結婚は愛し合っている者同士でするのが一番だ」
***
それから1年が経った。
気分が悪いと朝食どころか昼食すら口にしないヴァージニアを心配したトニーは医師を呼び寄せた。
ヴァージニアを手早く診察した医師は、トニーを呼び寄せると笑みを浮かべた。
「スターク様、おめでとうございます。ご懐妊です」
「つまり……」
一瞬言葉の意味が理解できなかったのか、ポカンと顔を見合わせた2人だが、一呼吸おいたところで2人は歓声を上げて抱き合った。
あっという間にスターク夫人ご懐妊の噂は町中に広まり、大勢の住人が祝いに駆け付けたため、2人が落ち着いたのは夜になり寝室に引き上げてからだった。
ベッドに寝転がり、ヴァージニアのお腹を撫でていたトニーだが、真顔になった彼は不安げにポツリと呟いた。
「なぁ、ジニー。俺、父親になれるかなぁ?」
トニーがそう言ったのには訳がある。トニーは7歳で両親を流行り病で亡くし、ずっと一人で生きてきた。鍛冶屋だった父親の跡を継ぎ、見よう見まねで家業を受け継いだのだが、彼にはもって生まれた才能があったのだろう。すぐに彼の名は他国にまで聞こえ及ぶようになっていた。
一方のヴァージニアはというと…。彼女は戦火に追われ、両親と共にトニーの住む村に逃げてきたのだが、両親はその地で病死してしまった。6歳にして孤児になってしまったヴァージニアに救いの手を差し出したのは18歳のトニーだった。一回りも年の違うトニーをヴァージニアは兄のように慕い、トニーも彼女を妹のように可愛がっていたが、それは次第に恋心へと変わった。そしてヴァージニアが14歳になると、トニーとヴァージニアは生涯を共にしようと誓い合ったのだ。
出会いから12年が経ち、兄妹という関係が恋人になり、そして夫婦となった2人に、今度は父と母という肩書が加わろうとしている。
だが、2人とも両親の愛情を殆ど知らぬまま育ってきたのだから、不安に思うのは当然だった。
「トニー、不安なのは私もよ。でも、あなたは世界一素敵なお父様になるわよ」
ヴァージニアにそう言われ、トニーの心に燻っていた不安はすーっと消え去った。
そして彼の心には新たな決意が生まれた。ヴァージニアだけではなく、お腹の中の子供も命を懸けて守るという決意が…。
その数日後。スターク邸では舞踏会が開かれていた。
ヴァージニアは悪阻が酷く別室で休んでいるため、客の対応はトニーが行っていたのだが、顔見知りと談笑しているトニーの元へ、執事のジャーヴィスが慌てた様子でやって来た。
「どうしたんだ?」
いつも冷静なジャーヴィスが息を切らしているのだから、ただ事ではないとトニーの表情にも緊張が走った。
「王太子殿下がいらっしゃいました」
「殿下が?」
実は王太子であるキリアンは、トニーのことを目の敵にしていた。というのも、父王がトニーのことを何かとつけて可愛がるのが気に食わなかったのだ。
そのため、わざわざ王太子本人が足を運ぶなど、余程の事態に決まっている。
(もしかして…あの計画がバレたのか?)
嫌な汗が流れ落ちトニーは額を拭ったが、仲間も同じことを考えたのか、見ると部屋のあちこちでスティーブたちが警戒し始めた。
とそこへ、ドスドスと大きな足音を立て、キリアンがやって来た。
一目散にトニーの元へやって来たキリアンは、辺りを見渡すと不機嫌そうに足を踏み鳴らした。
「おい、お前の妻はどこにいる?」
足元に跪いていたトニーは、予想外の展開に首を傾げた。
「ヴァージニアですか?気分が悪いと部屋で休んでおります」
一体どうして王太子はヴァージニアを所望するのだろう。頭の中では、ヴァージニアを連れてきてはならないと警鐘が鳴り響いている。が、キリアンはトニーを睨みつけると、辺りに響き渡るような大声で叫んだ。
「ヴァージニアを連れて参れ!」
と、この騒ぎに気づいたヴァージニアが、部屋へと足を踏み入れた。
「お呼びでしょうか、王太子殿下…」
どこか青白い顔をしたヴァージニアは、か細く、そしていつもよりも色めいて見え、キリアンはニンマリと笑みを浮かべた。
「美しい…。ヴァージニアよ、私の妻になれ」
一体どういうことなのかと、トニーとヴァージニアは顔を見合わせた。
キリアンは冗談を言うようなタイプではないため、トニーは彼が本気であると感じた。
「殿下。ヴァージニアは私の妻ゆえ…」
が、トニーを睨みつけたキリアンは、ヴァージニアの腕を掴んだ。
「うるさいぞ、スターク。俺に逆らう気か?ヴァージニアは俺の物だ!」
痛いほどヴァージニアの手を握りしめたキリアンは、そのまま歩き始めた。何とか振りほどこうと奮闘するヴァージニアだが、男の力に叶うはずはない。
「トニー!」
必死に手を伸ばすヴァージニアに向かってトニーは走り出した。
「ジニー!」
だが、キリアンの部下に阻まれてしまい、トニーは叫んだ。
「待ってください!殿下!」
もがくトニーはキリアンの部下は殴り始めた。殴られたトニーは床に押さえつけられた。
「ジニー!!」
トニーの叫びも虚しく、ヴァージニアはキリアンに連れ去られてしまった。
「トニー様…」
呆然と座り込んだトニーに、ジャーヴィスが声を掛けた。振り返ったトニーは怒りに燃える瞳で集まってきたスティーブたちを見渡すと立ち上がった。
「皆を集めろ…」
キリアンの屋敷に連れて来られたヴァージニアは、ベッドの上に放り投げられた。
「お願いします。家に帰して下さい…」
懇願するヴァージニアに、キリアンは服を脱ぎながら嘲り笑った。
「俺の妻になれば、将来の王妃だぞ?」
「嫌にございます。私の夫はトニーだけです!」
ハッキリと物言うヴァージニアを鼻で笑ったキリアンはベッドの上に登った。
「気に入った。ますます気に入った」
そしてヴァージニアを抱きしめキスをしようとしたのだが…。
「嫌っ!」
抵抗しようとヴァージニアはキリアンを平手打ちした。
「叩くのが好きなのか?俺は好きだぞ。スタークの使い古しというのは気に入らんが…まぁ、いい。これからは俺の物だからな」
赤くなった頬を押さえたキリアンは、ヴァージニアの服を破くと押し倒した。
「い…嫌っ!やめてー!!」
泣き叫ぶヴァージニアだが、キリアンは強引に彼女の中に入り込んだ…。
呆然とベッドに横たわるヴァージニアを見つめたキリアンは、服を着ながら囁いた。
「少し待っていろ。すぐに戻り、続きをしてやろう」
そう言うとキリアンは部屋を出ていった。
ヴァージニアの目は泣き腫らし真っ赤になっている。
トニーだけと純潔を誓ったのに、キリアンに汚されてしまった。
震える手でヴァージニアはお腹に触れた。自分のもだが、お腹の中のトニーの子供もキリアンに汚されてしまった…。彼女は悔しさのあまり唇を噛み締めた。
「ごめんなさい…トニー……ごめんなさい…」
ボロボロと大粒の涙が零れ落ち、ヴァージニアは声を押し殺して泣いた。
翌朝、トニーは国王の元に向かった。
どこか白々しい目をした国王に、トニーは必死に直訴した。
「陛下、お願いにございます…。妻を返すよう、殿下にお伝え頂けませんか?」
が、国王は大袈裟に首を振った。
「トニーよ。無理だ。息子から聞いた。昨晩夫婦の契を交わした。最初は泣いていたお前の妻も、今では息子に夢中だそうだ。トニーよ、考えもみろ。お前の妻も将来王妃になる方が良かろう?それにマヤがゴネてな。お前と結婚出来なければ死ぬと申しておる。だから、お前はマヤと一緒になれ。いいな?」
その時トニーは確信した。この騒動には国王も絡んでいるということを…。
一体いつから今回のことは仕組まれていたのだろう。もしかしたら最初から全て仕組まれた罠だったのだろうか…。優しさの裏に隠された国王の非情さに、トニーは彼を睨みつけた。
「何だ、その目は」
冷たい目をした国王は、トニーに向かって眉を釣り上げた。
「いえ……」
顔を伏せたトニーは、怒りを抑えようと必死だった。小さく身体を震わせるトニーに、国王は言い放った。
「息子とお前の妻、そしてお前とマヤの婚儀は明日だ。その後は城にとどまれ。お前の仕事は武器を作り、マヤと交わり子を作ることだけだ。よいな?」
つまりは、もう2度とヴァージニアと会うことも、この城から出ることができなくなるということだ。
が、トニーにはやるべきことがあった。国王の真意を確認するために今日わざわざ足を運んだのだが、予想以上の収穫があった。家では仲間が待っている。一刻も早く戻り、報告せねばならない。
「…準備したいこともございます故、一度家に帰ります…」
顔を上げたトニーの目には、決死の覚悟が見られた。それをマヤと結婚し、一生城に幽閉される決意だと見出した国王は満足そうに笑みを浮かべた。
「そうか。それならば、明日の朝までには戻ってこい」
家に帰ったトニーの元に待ち構えていた仲間達が駆け寄って来た。
「トニー、どうだった?」
見たこともない程恐ろしい目をしたトニーは、ジロリと皆を見渡した。
「この件には国王も絡んでいるとハッキリ分かった」
ぐっと拳を握りしめたトニーは、静まり返った部屋を見渡した。
「今夜決行だ。何としてもヴァージニアを取り戻す」
その夜。
トニーたちの姿は闇に紛れて、キリアンの屋敷にあった。
「武器庫の武器は全て使用不可能にしておいた」
武装したトニーの元に、戻ってきたソーとクリントが囁いた。
実は、トニーは何かあれば全て使用出来ないようにするための細工を全ての武器に施していたのだ。
頷いたトニーは、小声で囁いた。
「ジャーヴィスたちは?」
「闇に紛れて出発させた」
これで屋敷の方は安心だ。今頃屋敷はもぬけの殻。彼は愛犬のダミーとユー、そして女子供たちと共に集合場所に向かったのだから。
「よし、行くぞ」
何度か深呼吸したトニーは、ソーとクリントと視線を合わせると小走りで屋敷に向かった。
その頃、ベッドの中でヴァージニアは泣いていた。
キリアンは優しさの欠けらも無い男だった。ただひたすら、自分の欲のままにヴァージニアを抱いた。
このまま永遠にトニーに会うことができないのなら、窓から身を投げ命を絶った方が良いかもしれない…。
そんなことを考えていると、コツンと窓に何かが当たる音がした。恐る恐る窓を方を見ると、何と窓の外にトニーがいた
「トニー?!」
ベッドから飛び起きたヴァージニアは慌てて窓を開けた。黙って部屋に入ってきたトニーは、ヴァージニアを抱きしめた。
「迎えに来たぞ…」
ギュッとトニーに抱きしめられ、ヴァージニアは安心したのか泣き始めた。
「どうやって…」
警備が厳重なはずのこの屋敷にトニーは一体どうやって侵入したのだろう。
「話は後だ。逃げるぞ?」
ヴァージニアを背負うと、トニーはバルコニーに向かった。そしてそのままロープを伝って降り始めた。
下にはソーが待ち構えており、ヴァージニアを受け止めてくれた。
待ち受けていた馬に乗ったトニーは、ヴァージニアを後ろに乗せ、馬を走らせた。トニーに続き、ソーとクリントも馬を走らせた。
トニーたちは馬を走らせ続けた。ヴァージニアが振り返ると、街のあちこちで火の手が上がっていた。
一体何が起こっているのだろうか…。トニーの身体に抱きついたヴァージニアの腕は小さく震えており、それに気づいたトニーがチラリと後ろを振り返った。
「仲間や家族を殺され、国を滅ぼされた恨みを皆忘れてなかったんだよ」
「え…」
つまり、トニーは謀反を起こしたということなのだろうか。
「仲間は大勢いる。あの戦いで生き残った奴らは、大勢潜んでいた。そして今回の反乱を機に立ち上がったのさ」
馬のスピードを緩めることなく、トニーは淡々と語った。
しばらく行くと小高い丘の上に出た。
馬を止めたトニーに倣い、クリントとソーも横に馬を並べた。
燃えさかる街を見つめていると、城から火の手が上がった。
「この国は終わりだ」
「こっちにはトニーが作った武器があるしな」
「残念ながらあっちには何一つ武器はないし」
4人は終焉の時を迎えようとしている国を静かに見つめ続けた。
再び馬を走らせ続け、夜明け前にようやく目的地に到着したのだが、そこは自分たちが住んでいた村だった。
自分が立ち去った1年前前は、廃墟と化していた町なのに、今や沢山の家が立ち並び、以前の…いや、それ以上に賑わい、一つの大きな街になっていた。
すっかり変わってしまった光景に少しだけ虚無感を覚えたヴァージニアだが、元の自分たちの家は立派に建て替えられているものの、植えていた木や花などはそのままきれいに残されており、ヴァージニアの胸に懐かしさがこみあげてきた。
家の前で馬を止めたトニーはヴァージニアを抱き上げると、そのまま寝室へと向かった。
ベッドにヴァージニアを下ろしたトニーは、彼女を抱きしめたまま横になった。
トニーに抱きしめられ、ようやく気持ちが落ち着いてきたヴァージニアだが、やはり気になるのは一体何が起こったのかということだ。
「ねぇ…何が起こったの?」
視線を上げ、そう尋ねると、トニーはヴァージニアの背中を撫でながら話し始めた。
「実は、ずっとこの機会を伺っていた。大勢の仲間を殺し、国を滅ぼした王への復讐の機会を…。捕虜となった時、この村の住人は全員始末したと聞かされた。君も殺されたんだと思っていた。君のいない人生なんて苦痛しかないと思い、死ぬことも考えた。だけどこの村の皆は俺の家族だった。だから俺だけが生き残ったのには意味があるって考えた。それならば、いつの日か復讐してやろうと決意した。王は俺に家来になれと薦めてきた。だから俺は従うふりをすることにしたんだ。最初は窓も何もない部屋に閉じ込められて、武器を作るよう命じられた。俺はわざと最新鋭の武器を作った。何かあればすぐに破壊できるような細工を気付かれないようにして…。王は俺の作った武器をいたく気に入った。そして俺に家を与え、使用人まで付けてくれた。俺は黙々と武器を開発し続けた。従順な家臣を演じた。ある日、俺を訪ねてくる者がいた。同じ部隊にいたローディだった。あいつは俺に詰め寄った。どうして家臣になり下っているんだと。俺はローディに計画を話した。いつか機会を伺って反旗を翻そうと考えていると。ローディは自分も手伝うと言ってくれた。それから、自分以外にも生き残りがいると…。俺たちは部隊の生き残りを探しては、町の住人に紛れ込ませた。段々と仲間の数は増えていった。そんな時だ。この村で赤毛の女性が2匹の犬と一緒に暮らしているのを見たと言う奴が現れた。俺は、ジニーに違いないって確信した。それなら、早く迎えに行けるよう、王に認めてもらおうと、俺はがむしゃらに働いた。そして1年経ち、ようやくお前を迎えに行けたんだ」
トニーの話から考えると、彼は2年かけて今回の計画を密かに準備していたということになる。それも妻の自分が気付かないくらい水面下で…。
「じゃあ、使用人の皆さんも…」
「あぁ。生き残った仲間だ。俺の家を拠点に、皆で協力し合っていた」
頷いたトニーは微かに笑みを浮かべると、再び話し始めた。
「王に認められた俺は、自由に場内を歩き回れるようになった。城に出入りしながら、城の構造を詳しく調べた。全ての隠し通路を調べ上げ、家に帰り地図に書き記した。王は俺を信頼し、国中の武器は俺が作った物になった。俺を可愛がってくれる王に、後ろめたくなったこともある。だけど…」
言葉を切ったトニーはごくりと唾を飲み込んだ。
「王は表向きは優しかった。だが、同時に残忍さを持ち合わせていた。ある日、俺と同じように他国から連れて来られた男がミスを犯した。王は皆を集め男を罵った。言葉だけではなく、酷く折檻した。許しを請う男の言葉に耳を貸すこともなく、首を斬り落とした。その時、王は笑いながらその男の首を斬り、身体中を切り刻んだ。そして皆に言った。逆らえばこうなると…。その時俺は感じた。早く手を打たねば、手遅れになるかもしれないと…。だが、機会はやって来なかった。そんな時、君がキリアンに連れ去られた。ジニーを奪還するという名目ができたと、皆いきり立った。それでも俺は、キリアンが単独で起こしたのか、それとも王も関わっているのか、最後に確認したかった。妻を返して欲しいと王に直訴すると、王は『お前の妻も王妃になる方がよいだろう』と言った。そして俺にはマヤ姫と結婚しろと命じた。姫と夫婦になれば、俺の仕事はただ武器を作り続け、姫と交わるだけ…。つまり俺は城の一室に生涯閉じ込められ、マヤ姫以外の人間との接触も絶たれた、孤独な人生を歩むことになっていた…」
首を振ったトニーは「間に合ってよかった…」と呟くと、ヴァージニアの髪に顔を埋めた。
話終えたトニーだが、救出した時ヴァージニアは酷く怯えていたことを思い出した。
「大丈夫だったか?」
顔を上げたトニーはヴァージニアの瞳を見つめると頬を優しく撫でた。トニーの優しい瞳に、ヴァージニアは慌ただしさに託けて記憶の奥底にしまい込もうとしていたあのおぞましい出来事を思い出した。
「トニー…わ、私……」
ヴァージニアの目に涙が浮かんだかと思うと、彼女はガタガタと震え始めた。
「どうした?」
急変した妻の様子に、何かあったに違いないとトニーは顔色を変えた。
「わ、私……私……殿下に……」
ヴァージニアに何があったのか悟ったトニーは、怒りのあまり耳の先まで真っ赤に染めた。
「あの野郎…」
唇を噛み締めたトニーは、今すぐキリアンの元に向かい、自らの首を斬り落としたかったが、今はヴァージニアのそばにいることが最優先だと考え直すと、何とか怒りを鎮め、妻をギュッと抱き直した。
「ジニー…俺は今、君が俺のそばにいてくれるだけで幸せなんだ…。だから…泣かないでくれ…」
他の男に何度も穢されてしまったのに、トニーはどうしてこんなにも優しく受け止めてくれるのだろう…。
「でも…でも……」
シクシクと嗚咽を漏らすヴァージニアをトニーは腕の中に閉じ込めた。
「いいか。何があってもジニーは俺の世界一大切な妻だ。何があっても…」
何度も何度もそう伝えると、恐怖と緊張から開放されたのか、ヴァージニアは声を上げて泣き始めた。子供をあやすように、背中を撫でていると、暫くしてヴァージニアは泣きながら眠ってしまった。頬にそっとキスをしたトニーは、ヴァージニアを起こさないよう立ち上がると寝室を後にした。
寝室のドアの外にはダミーとユーがいた。
「どうした?」
不安げにトニーを見上げた2匹は、部屋の中を覗き込んだ。
くーんと声を上げた2匹の頭を撫でたトニーは、腰を落とすとダミーとユーを抱きしめた。
「ヴァージニアのこと、見ててくれないか?」
小さくワンっと吠えた2匹は部屋の中に入ると、ベッドのそばに座り込んだ。
その様子を見届けたトニーは、階下へと向かった。
1階には皆が集まっていた。
「首尾は?」
皆笑顔なのだから計画は全て順調に遂行されたと分かっていたが、そう尋ねてみると、ローディが目に薄らと涙を浮かべ頷いた。
「トニー…やったぞ。王は死んだ。一族諸共々…」
兵士に妻子を殺されたクリントは、感慨深気に妻の遺品であるネックレスを見つめていた。
クリントだけではない。誰しもが大切な家族や友人を殺された者ばかりだったので、皆何かしら思うことがあったのだ。
城は焼け落ち、国は滅んだ。
その時の話を聞き入っていたトニーだが、彼も2年以上必死に戦ってきた一人だったので、込み上げる物を抑えきれず、目に浮かんだ涙をそっと拭った。
「新しい人生のスタートだな…」
そうポツリと呟いたトニーは、大きく深呼吸した。まるで呪縛から解放されたようにスッキリとした表情を見せたトニーは大きく伸びをした。
と、顔を見合わせ頷き合った一同が一斉に跪いた。
「え……」
何事かと目を見開いたトニーに向かって、皆を代表するようにスティーブが口を開いた。
「今日ここに、新たな国が誕生した。国には王が必要だ。トニー、君のようなね」
ポカンと口を開けたままのトニーだったが、数秒経ってようやく皆が言っていることを理解したのか、ブンブンと首を振った。
「お、俺?!俺には無理だ。どう見たって、王様って感じじゃないだろ?」
叫ぶように告げたトニーだが、仲間は一斉に思い思いの言葉を発した。
「この計画が成功したのは、お前のおかげなんだぞ?」
「お前が1人で密かに頑張ってくれたおかげで、入念に計画を立てることができたんだ」
「そうだよ。あの王に仕えるなんて、腸が煮えくり返る思いだっただろ?それなのにお前は黙って、嫌な顔一つせずに奮闘してくれた」
「稼いだ金も全て俺たちのために使ってくれたし…俺たちはお前に感謝してもしきれないんだ」
口々に感謝の念を述べる仲間を制したスティーブは、立ち上がるとトニーの手を握りしめた。
「皆、君に感謝してる。君が王になるのは、皆の希望なんだ。頼む、受けてくれ」
スティーブと他の面々の顔を交互に見ていたトニーは考え込むように顔を伏せたが、しばらく経って顔を上げた彼は皆に向かって頭を下げた。
「ありがとう。そう思ってくれていたなんて、俺は嬉しい…。皆の気持ちは分かった。でも、王にはなれない。いや、王は必要ない。この町は皆で作っていくんだ。皆で助け合って守っていくんだ。町の代表も交代で選ぼう。皆が俺を…というのなら、最初の代表には俺がなる。だけど何年かしたら、また皆で選び直すんだ」
国は王が統治するもの…。その場にいた全員が、国とはそういうものだと思っていた。そのためトニーの言うことがにわかに信じられなかった面々だが、頭の良いトニーが言うことなのだ。そういう国の在り方があっても良いのかもしれないと納得した。
と、誰かが拍手をし始めた。その輪は次第に大きくなり、今や部屋にいる全員が立ち上がり、割れんばかりの拍手喝采が沸き起こった。
誰しもが皆笑顔だった。皆嬉しそうに笑っていた。その笑顔を見つめながらトニーは誓った。この地では二度と争い事は起こさせないと…。
翌朝。
ヴァージニアは力強い腕の中で目を覚ました。目の前には無邪気に眠るトニーの顔。
ぐーぐーいびきをかいて眠るトニーは、久しぶりに熟睡しており、起こすのは気が引けたが、朝食の用意をするためにはトニーの腕の中から脱出しなければならない。
「トニー…」
そっと頬に手を触れ呼びかけると、トニーは小さく唸り声を上げ目を覚ました。
「おはよ…ハニー…」
寝ぼけ眼で囁いたトニーは、ヴァージニアを抱きしめなおすと顔中にキスをした。
「気分はどうだ?」
ヴァージニアの心にはまだ少しだけ不安が残っていたが、トニーがそばにいてくれるのだからと考えると、その不安も消え去ってしまった。
「うん。大丈夫よ。あなたがいてくれるから」
笑みを浮かべたヴァージニアは心底嬉しそうで、安心したトニーはホッと息を吐くと妻の髪を撫でた。
「今日からさ、新しくスタートし直そう。俺と君と、それからこの子と…」
お腹に手を当てたトニーは、蕩けるような笑みを浮かべた。
「やっと、憧れてた平凡な暮らしってやつが手に入った」
子供たちに囲まれた平穏な家庭を築くのは、トニーとヴァージニアの夢だった。その夢がようやく叶うのだから、トニーだけではなくヴァージニアも嬉しくて堪らなかった。
もう誰にも邪魔されることはない。戦火に怯えることも、愛する者を奪われるかもしれないという恐怖に怯えることも…。
笑いながら頷いたヴァージニアは、とびっきりの愛を伝えるようにトニーに抱きついた。
***
数年後。
街の一角にある家に、1人の男がやって来た。庭には沢山の花が植えられ、子供たちの笑い声がいつも絶えない家だが、今日は賑やかな声の代わりに鉄を打つ音が聞こえている。
庭の一番日当たりの良い場所では、美しい赤毛の女性が小さな女の子の赤ん坊を背負い洗濯物を干していた。そのそばの木陰には、2匹の犬が気持ちよさそうに寝そべっている。
「ヴァージニアさん、こんにちは」
帽子を取った男が声を掛けると、女性はニッコリ笑みを浮かべた。
「あら、コールソンさん。こんにちは」
いつも温かく迎えてくれるヴァージニア・スタークは美しく聡明で、この街の女性の憧れの的であった。もちろん男性陣にも絶大な人気を誇っており、コールソンは無意識に頬を赤らめた。このままヴァージニアと話していたいところだが、あまり鼻の下を伸ばしていると、彼女の夫であるトニー・スタークがすっ飛んで来るだろう。
「町長は?」
用件を済ませようと軽く咳払いしたコールソンに、母親のそばで小さな子犬たちと遊んでいた3歳くらいの女の子が立ち上がった。
「あたちがおとうたま、よんでくる!」
あっという間に消えてしまった娘を見送ったヴァージニアだが、立ち上がるとコールソンに軽く頭を下げた。
「少しお待ちくださいね」
洗濯カゴを置いたヴァージニアは、庭の隅の小屋に向かって歩き出した。
小屋の中はムンっとした熱気に包まれていた。先ほど飛ぶように走り去った娘は案の定、2人の兄と共に父親が剣を作る様子を真剣な眼差しで見つめているではないか。
「トニー。お客様よ」
トニーが打ち立ての剣を水に漬けると、ジュッと水が煮え立つ音がし、辺り一面蒸気に包まれた。
「あちゅーい」
大袈裟に顔を顰めた娘を優しい眼差しで見つめたトニーは、剣を置くと妻に近寄った。
「誰だ?」
「コールソンさんよ」
ヴァージニアの背中で眠ってしまった娘の頬をくすぐったトニーは、妻にキスをすると眉を吊り上げた。
「また厄介事を持ってきたのか?」
「トニーったら、コールソンさんが来られる度にそう仰るんだから…。良いことかもしれませんよ?」
可愛らしく夫を睨みつけたヴァージニアだが、髭を撫でつけたトニーは肩を竦めた。
「コールソン、また厄介事か?」
娘を抱いたトニーが、こちらに向かって歩いて来た。その後からは、2人の息子と手を繋いだヴァージニアの姿も見える。
「町長、私がいつも厄介事を持ち込んでくると思わないで下さいよ」
苦笑するコールソンだが、トニーの言う通り8割がた厄介事しか持ち込まない自覚はある。だが、今回はおめでたい話題なのだ。しかもまだ自分しか知らないであろう、とっておきの極秘情報。
コホンと咳払いしたコールソンは、スターク夫妻を見渡すと胸を張った。
「実は、ロジャースが結婚することになりまして…」
目を丸くして驚くスターク夫妻の姿を予測していたコールソンだが、2人はあぁ…と間抜けな声を出した。
「らしいな」
ふんっと鼻を鳴らしたトニーは、今更その話かというように目をくるりと回した。
「ご存知なのですか?!」
スティーブ・ロジャースから『この話をしたのはコールソンさんだけですよ』と言われていたため、知っているのは自分だけと高を括っていたコールソンは、まさかの事態に頭を掻きむしりそうになった。
「実は、スティーブさんから色々相談されてたんです」
悔しがるコールソンを横目で見ながらヴァージニアはトニーを見つめた。
「そうだ。相手のカーター嬢とキスしたいがどうしたらいいかとか、どうやって交わればいいのかとか…。あいつは童貞だから、オンナの扱いに関しては無知だ。だから俺に根掘り葉掘り聞きに来ていたんだ」
苦笑するトニーに、コールソンはスティーブ・ロジャースは一体どこまで相談してたんだと思ったが、納得したように頷いた。
「さすが町長」
博学なトニーの元には毎日のように誰かが相談に訪れていた。ただ彼の場合は世間一般から少しズレたところがあるため、ヴァージニアが軌道修正しているとのことだが…。
「この仕事も長くやってると、楽しいぞ?」
笑い声を上げたトニーにつられ、子供たちもクスクス笑い出した。
結局あれからトニーはずっと町長の任に就いていた。というのも、彼はビジネスの才能もあるため、町はどんどん活性化していた。そのため誰もが幸せに暮らしており、トニー以外の町長は考えられないと皆口を揃えて言うのだ。
「街の皆が幸せに暮らせる…それが一番だ。スティーブにもようやく春が訪れたな」
感慨深けに呟いたトニーに賛同するように大きく頷いたコールソンは、早速式の準備をしますね…と言い残すと帰って行った。
コールソンが帰った後、一家は庭で遅めの昼食を取った。
子供たちは早々に食べ終わり、ダミーとユーとその子犬たちと遊び始めた。末っ子の娘はゆりかごの中でグッスリ眠っており、上の3人の子供たちは元気よく庭を走り回っている。その姿を見つめながら、ヴァージニアは甘えたように隣に座るトニーの肩にもたれ掛かった。
「ねぇ、トニー。私ね、とっても幸せよ」
心の底から幸せそうに呟いたヴァージニアに、トニーはこの数年の出来事を思い返した。
ここには幼い頃から夢見て来た、家族に囲まれて幸せに暮らすという形があった。決して贅沢な暮らしは出来ないが、いつも笑顔で毎日暮らすことができる…。これ以上幸せなことがあるだろうか。これも全て、隣に最愛の女性がいてくれるから…。ヴァージニアがいるから、毎日どんなことがあっても乗り越えていけるのだ。そして今では4人の子供たちも…。
「トニーは幸せ?」
妻の問いかけに、トニーは彼女の腰に腕を回すと身体を引き寄せた。
「俺は世界一幸せな男だ。美しい妻に可愛い子供たちに囲まれて…これ以上の幸せはない」
そう言って微笑んだトニーは、ヴァージニアにキスをすると彼女のお腹にそっと手を当てた。
「もうすぐ5人目も産まれるし…な?」
恥ずかしそうに目を瞬かせたヴァージニアはトニーをじっと見つめた。そしてキスを強請るようにそっと目を閉じたのだが…。
「おとうさま!おかあさま!ダミーが!!」
子供たちの叫び声に振り返ると、ダミーが、先日トニーが子供たちと悪戯で掘った落とし穴に落ちているではないか。
立ち上がったトニーが落とし穴を覗き込むと、ダミーはしょぼくれている。
「すまんな、ダミー。埋めようと思ってたのを忘れてた」
恨めしげにトニーを見つめたダミーだが、今更何を言っても無駄だと考えたのか、ワンっと吠えた。引っ張りあげてもらったダミーは、仕返しとばかりにトニーに飛びかかった。
「おい!ダミー!」
地面にひっくり返ったトニーの顔をダミーはぺろぺろと舐め始めた。と同時に、子供たちがトニーに抱きつき身体中をくすぐり始めた。
「こら!や、やめ…」
堪えきれなくなったトニーは、大声で笑い始めた。トニーに合わせて、子供たちも、そして様子を見にきたヴァージニアも笑い始めた。
その日、スターク家からは、いつまでも楽しそうな笑い声が聞こえていた。