数時間後。
トニーはマイアミにいた。
奇しくも、あのクリスマスの事件で訪れた地を、ペッパーが第二の人生の地に選んでいるとは思いもしなかった。
F.R.I.D.A.Y.から教えられた住所に向かうと、そこは海辺の近くの小さな街だった。何処となくマリブの元の家に似た風景に、何故ペッパーはここを選んだのか、トニーはますます分からなくなっていた。
件の住所の家の前では、小さな男の子が遊んでいた。おもちゃの車に乗った男の子は、車のエンジン音を口真似して、歩道を行ったり来たりしている。上空からその様子を見ていたトニーだが、車の行き交う通りに男の子が向きを変えたのを見ると、慌てて急降下した。
男の子の目の前に車が迫り、クラクションが響き渡った。
おもちゃの車は轢かれ、大きな音が響き渡り、男の子は目を閉じたが、自分がフワフワと宙に浮いているのに気づくと、そっと目を開けた。すると目の前には、テレビでしか見たことがない憧れのヒーローがおり、自分はそのヒーローに抱きかかえられているではないか。
「…アイアンマンだ!!」
目を丸くした男の子は、興奮気味にアイアンマンの腕の中ではしゃぎ始めたが、家の中から飛び出してきた赤毛の女性に気づくと、
「ママ!」
と大声で叫び手を振った。
女性に視線を送ったトニーはゴクリと唾を飲み込んだ。間違えるはずがない。それは彼の最愛の女性、ペッパーだったのだから…。
男の子を抱きかかえたアイアンマンは、ゆっくりとペッパーの前に降り立ったのだが、ペッパーの方も目の前の光景が信じられないといったように、固まってしまった。
「トニー……」
目を見張ったペッパーは唇を震わせたが、トニーの腕の中から降りた男の子が駆け寄ってくると、その子をギュッと抱きしめた。
「どうして……」
視線を伏せたまま呟いたペッパーは見るからに動揺しており、トニーは偶然を装うことにした。
「たまたまだ。この辺りを飛んでいたら、その子が車に轢かれそうになり助けた。だが…君の息子だったとは…」
偶然にしろ故意にしろ、彼が息子を助けてくれたことに間違いはない。
「あ、ありがとう……」
相変わらず顔を上げないペッパーだが、トニーの方も顔を見られるのが嫌なのか、マスクを取ろうとしない。
沈黙に耐えきらなくなったトニーは
「じゃあな…」
と囁くように告げると、その場を後にしようとしたが、憧れのヒーローをこのまま帰してなるものかと、男の子はペッパーに食いついた。
「ママ!アイアンマンね、ぼくのこと、たすけてくれたの!おもちゃ、みせてあげていい?」
見たことがないほどキラキラと瞳を輝かせる息子に、もしかしたらこれも避けられない道なのかもしれないと、ペッパーは力なく頷いた。
「トニー…。その…よかったら……」
今にも飛び立とうとしている背中に告げると、彼の方も遠慮がちに振り向いた。
「…いいのか?」
コクンと頷いたペッパーは、引きつった笑みを浮かべた。
「この子の…恩人だから…」
アーマーを脱いだトニーは、男の子に手を引っ張られ家の中に入った。
栗毛色の髪をした男の子は、くるっとした琥珀色の瞳をしており、顔立ちはどちらかと言うとペッパーに似ているが、目元と口元は間違いなく自分に似ていた。
(私の…息子だ……)
繋いだ小さな手は温かく、トニーの胸に何とも言えない感情が襲いかかった。
リビングには、たくさんの写真が飾られていた。産まれた時からの今に至るまでの息子とペッパーの写真が…。その中に自分の姿がないことに、トニーの胸はチクチクと痛み始めた。
(自業自得だな…)
彼女を突き放したのは自分だ。だから彼女たちの新しい人生に自分がいないのは当たり前なのだが、息子の存在を知り、彼女に再会した今となっては、トニーは後悔の念しか感じていなかった。
ソファーに腰を下ろしたトニーの隣に、男の子は嬉しそうに座った。
「ぼくはね、ルーカス・アンソニー・ポッツだよ」
(アンソニー…)
目を見開いたトニーは、思わずペッパーのいるキッチンの方を見た。
どうしてペッパーが息子に自分の名前を付けたのか分からない。狼狽するトニーにルーカスは無邪気な笑顔を向けた。
「おじさん、なまえは?」
父親と名乗りたいが、ペッパーの了承なしに名乗るわけにはいかない。ぐっと拳を握りしめたトニーは、気づかれないように深呼吸した。
「トニーと呼んでくれ」
「うん!」
キッチンでコーヒーの準備をしながら、ペッパーはトニーとルーカスの様子を伺っていた。
おそらくトニーはルーカスが自分の息子だと気付いたのだろう。人見知りで他人になかなか懐かないはずのルーカスなのに、トニーには初対面にも関わらず、すっかり懐いているではないか。
だが、気持ちの持って行き場のないペッパーの手は震えていた。
(どうして…。どうしてトニーが…)
妊娠が発覚したのは、トニーと別れた後だったが、自分を突き放したトニーに腹が立ち、彼には知らせなかった。
だが、産まれた息子は父親にそっくりだった。息子にトニーの面影を見たペッパーは、トニーの思いに、そしてトニーが自分を突き放した理由に気付いた。
彼の元を去った後、アイアンマンは多くの敵と戦った。仲間同士でも戦った。だからトニーは自分を守るために身を引いたのだと…ペッパーは確信した。だが、今更どうしようもなかった。それに戻ってもトニーを苦しめるだけだと。だから彼のことを憎んで生きていこうと決めた。彼への想いを封印するために…。
それでもいつか気持ちの整理がついたら…もしかしたら、それは自分が死ぬ前かもしれないが…息子に父親の話をしようと、アンソニーという名を貰った。
こんなに早く再会するとは思ってもいなかった。NYから遠く離れたこの地なら、偶然顔を合わせることもないと考えた。だが、何処となく彼との思い出の詰まったマリブに似た街を選んでしまった。
(どうすればいいの…。彼に…何と言えばいいの…)
だが、トニーが目の前にいるのは現実なのだ。それに息子は憧れのヒーローに会えたことをとても喜んでいる。息子のためにも、ここはトニーに普通に接しようと、何度も深呼吸をしたペッパーは、リビングへ向かった。
一生懸命話しをするルーカスに相槌を打っていたトニーだが、ペッパーに気づくと口を噤んだ。
「どうぞ…」
「ありがとう…」
コーヒーカップを置く時ですら、ペッパーの手は震えていた。それは自分という存在がいるから…。憎き男が息子と接しているからだろうと考えたトニーは、素早くコーヒーを飲み干すと立ち上がった。
「ご馳走様」
一刻も早くこの場を立ち去りたい…。ペッパーの苦悶に満ちた顔を見るのは嫌だったから…。
慌ただしくアーマーを着たトニーは逃げるようにその場を後にしようとした。
「ねぇ、トニー。またあそびにきてね!」
「…」
ルーカスに無言で手を振ったトニーは、振り返ることなく空へと飛び立った。
→③へ…