112.蜂蜜の使い方 の続きです。
ようやく退院することになったトニーだが、両足はまだ自由に動かすことができず、車椅子が欠かせなかった。
数ヶ月ぶりに自宅であるタワーに戻ってきたトニーは、エレベーターを降りるなり大きく伸びをした。
「やっと帰って来れた。懐かしい我が家!」
「お帰りなさい、トニー」
そう言いながら車椅子を押すペッパーも嬉しそうだ。
「そうだ。荷物は片付いた?」
「うん、そんなに沢山荷物はなかったから」
トニーが入院中、ペッパーは正式にタワーへと引っ越していた。タワーにはたくさん部屋があるが、ペッパーの部屋はトニーの向かいの部屋。だが、それは建前上であって、実際は2人の寝室で寝起きすることになるのだが…。
「もし足りない物があれば言えよ。それからさ…」
ペッパーの手を引っ張ったトニーは彼女を自分の前に立たせると、腰を撫でた。
「寝室のベッド、買い換えたんだ。前のより大きめのベッドに…」
それはペッパーも知っている。トニーの入院中、何が届いたのかと思いきや、キングサイズのとてつもない大きなベッドが届いたのだから…。
「だからさ…今から使い心地、試してみようぜ」
そう言うとトニーはペッパーにキスをしようと首を伸ばした。が、いつもなら恥ずかしがりながらも身を委ねるペッパーなのに、今日は何故か拒否したのだ。
「と、トニー、夜まで待って!」
身体を離したペッパーだが、突然拒否されたトニーは不満げに頬を膨らませた。が、きっと何か理由があるのだろとトニーは思い直した。
「どうしたんだよ?」
ペッパーが何か言おうと口を開きかけた時だった。
『トニー様、お客様です』
J.A.R.V.I.S.の声と同時にエレベーターのドアが開き、見知らぬ女性が部屋に入ってきた。
「えっと……」
突然乱入してきた面識のない女性にトニーは目をぱちくりさせていたのだが…。
「ママ、早かったわね」
隣にいたペッパーは、ニコニコと笑みを浮かべるとその女性に駆け寄ったのだ。
(ママということは…)
ペッパーとその女性を見比べていたトニーだが、その視線に気づいた女性はニッコリとトニーに向かって微笑んだ。
「初めまして、トニーくん。ヴァージニアの母です。いつも娘がお世話になっています」
つまり、この女性はペッパーの母親で…。
ようやく事態を把握したトニーは、車椅子の上で飛び上がりそうになった。
彼女の母親が来るとは聞いていない。おそらくペッパーが先ほど話そうとしたのは、このことだったのだろうが…。いや、それよりも、まさか初対面がこのような形になるとは…。
目を白黒させていたトニーだったが、姿勢を正すと慌てて頭を下げた。
「は、初めまして。トニー・スタークです。ペッパー…いや、ヴァージニアさんとお付き合いさせて頂いてます」
頭を深々と下げるトニーにニッコリ笑いかけたペッパーの母親は、荷物をカウンターに置くと手際よく片づけ始めた。
「トニーくんの話は娘からいつも聞いてるのよ。あなたと出会ってから、毎日楽しくて仕方ないし、今までの自分と違う自分になれるって」
それは例の謹慎処分も含まれているのだろうかと、一瞬ビクっとしたトニーは思わずペッパーを見つめた。が、トニーの考えを読んだのか、ペッパーはまるで『そこまで話していないわ』というように眉を吊り上げた。
2人が見つめ合っているのに気付いたペッパーの母親は、微笑ましいわねとクスクス笑い声を上げた。
「それでね、トニーくんが退院って聞いて、いてもたってもいられなくなって。だって、まだ色々と大変でしょ?ヴァージニア1人だと手が足りないと思って、厚かましいかもしれないけど、手伝いに来たの」
楽しそうに笑みを浮かべたペッパーの母親の仕草はペッパーにそっくりで、トニーは眩しそうに目を細めた。
と、ペッパーの母親が真面目な表情になった。
「トニーくん、大変だったわね。それなのに、お見舞いに行けずにごめんなさいね。本当は何度も伺おうかと思ってたの。でもね、御挨拶もまだなのに、いきなり私たちが押しかけても迷惑かと思って、なかなか行かれなかったの…」
突然真面目な話になり、トニーも再び姿勢を正した。
「いえ、こちらこそ。ポッツさん、その……ご挨拶にもお伺いせず…申し訳ありませんでした」
いつか機会を伺ってペッパーの両親へは挨拶に行こうと思ってはいた。両親の許可なしに同棲を続けるのも如何なものかと、トニーは内心考えていたのだ。
珍しくモゴモゴと口篭ったトニーに、ペッパーの母親はパッと顔を輝かせた。
「あらあら、いいのよ。ヴァージニアったら、今まで誰ともお付き合いしたことなかったから、恋人が出来たって聞いた時は私も主人も大喜びで…。それもこんなにしっかりした紳士で素敵な方が…。この子にはもったいないくらいだわ!ヴァージニアのことを一途に思って下さっているようだし、あなたになら安心して娘を預けられるって、主人とも話してたの」
どうやらペッパーは、恋人になる前のトニーの噂は両親には話していないようだし、彼女の両親もまた、ゴシップ関係には疎いのか知らないようだ。
ふぅと気づかれないように息を吐き出したトニーは、額の汗を拭った。
幸いにもそんなトニーに気づいていないのか、ペッパーの母親はトニーの車椅子に手を掛けると押し始めた。
「トニーくん、まずは着替えましょうね?それから髪の毛が伸びてるから、切ってあげるわ」
「い、いや…その…」
着替えはペッパーに手伝ってもらおうと思っていたのに、まさか彼女の母親が出てくるとは…。
目を白黒させるトニーだが、恋人を母親に取られそうだとペッパーは大慌て。
「ママ!トニーは私の恋人なのよ!だから私がお世話するの!」
「いいじゃないの。ママにもお世話させて。息子が出来たみたいで楽しいんだから」
まさか自分の身にも、恋人と恋人の母親による取り合いが起こるとは思わなかった。頭を抱えたトニーだが、トニー争奪戦は結局トニーの足が治り、ペッパーの母親が帰るまで3週間に渡り続いたとか…。