それから数日後の金曜日。
帰り支度を始めたトニーに珍しくペッパーが声を掛けてきた。
「トニー、久しぶりに飲みに行かない?」
結婚してからのペッパーは、仕事が終わると真っ直ぐ家に帰っていたのに、一体どうしたのだと聞くと、この週末は夫が出張で月曜日まで不在とのこと。それならば、久しぶりに羽を伸ばそうと誘ったのだと言われたトニーだが、ペッパーは何か言いたげな表情をしているではないか。どこかゆっくりと話せる場所の方がいいだろうと、トニーはペッパーを連れて落ち着いた雰囲気のバーへと向かった。
カウンターに腰を下ろした二人は、それぞれ酒を注文すると、グラスを合わせた。
しばらくは仕事の話をしていた二人だったが、どうやらペッパーはプライベートな話を避けているとトニーは勘づいた。そしてそのことに関してペッパーは何か話したいことがあるのだとも…。だが、どう切り出せばいいのか分からない。というのも、ペッパーの結婚相手について、トニーは殆ど何も知らなかったのだ。知っていることと言えば、相手がマーク・デイヴィスという名前であることだけ。ペッパーが結婚を報告に来たのは、入籍する前日だったし、そもそも2人は結婚式も挙げていなかった。それに、改めて夫婦で挨拶に行くと告げられ、早1ヶ月経っていた。
つまりトニーはペッパーの結婚相手に会ったことがなかったのだ。
どう切り出したらいいのか分からない。だが、一つだけ確かなことがある。それは、ペッパーが幸せそうには見えないということ。
そこでトニーは単刀直入に尋ねることにした。
「幸せか?」
『もちろん』という答えを予想していたが、ペッパーは首を振るとポツリと呟いた。
「…どうかしら…」
どういう事なのだろうか。新婚なのだから幸せいっぱいでもよさそうなものなのに…。
戸惑ったトニーだが、ペッパーは俯いたまま顔を上げない。思わずペッパーの手に触れると、顔を上げた彼女はじっと見つめてきた。
真っ赤なルージュの引かれた唇は、何かを求めるように小さく震えているではないか。
「トニー……」
乾いた声で囁いたペッパーはそっと目を閉じた。それに導かれるかのように、トニーはそのまま唇を重ねた。
軽い口付けだったが、トニーとのキスはペッパーの全身を駆け巡り、心の奥底に封印したはずの本能を呼び起こしてしまった。
「…ダメ…」
理性を総動員して唇を離したペッパーだが、トニーは不満げに唸った。
「何がダメなんだ」
自分は結婚している身なのだ。本当の気持ちはどうであれ、ここから先に進んではいけないのだ…。必死でそう考えたペッパーだが、頭の隅でもう1人の自分は囁き続けている。『本当の気持ちを殺さないで…』と。
「私は…結婚したの…。だから…」
声を追い払うように首を振ったペッパーだが、トニーに優しく頬を撫でられると、言葉を切った。
「だが、君も求めている。違うか?」
トニーの言葉に、ペッパーはもう本心を隠すことができなかった。いや、彼を今日誘った時点で、こうなることを望んでいたのかもしれない…。
潤んだ瞳で見つめてくるペッパーを見据えたまま、トニーは再び唇を奪った。
ペッパーはもう抵抗しなかった。むしろ積極的にトニーを求めてきた。唇の隙間からトニーの舌が侵入してきた時も、ペッパーは迎え入れるように自ら舌を絡めてきた。
もっとトニーに触れたい…そう考えたペッパーは、おずおずとトニーの胸元に手を滑らせると彼のジャケットをキュッと握りしめた。
「トニー……」
銀色の糸を引きながら唇が離れた時には、ペッパーの瞳に迷いはなかった。むしろ、この後起こるであろう事に対する期待に満ち溢れており、身体をすり寄せてきたペッパーの腰に腕を回したトニーは、札を数枚カウンターに置くと、彼女の耳元で囁いた。
「出よう」
小さく頷いたペッパーの手を握ると、2人はバーを後にした。
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