翌日、食欲はあまりないが無理やり朝食を食べていたトニーの元へ、ペッパーから電話が掛かって来た。
「今日は朝から会議があるの。だから行くのは夕方になるわ」
全身から気だるさの抜けないトニーは、ペッパーの顔を見たくて堪らなかったが、仕事なら仕方ない。心を読まれないようにトニーは明るい声で言った。
「分かった。愛してるよ、ハニー」
「私も」
電話を切ったトニー。
(夕方まで時間はたっぷりあるな)
昨晩からの発熱のせいか、昨日よりも痛む全身のせいか、何かをして気を紛らわせようと、トニーはローディに電話をかけた。
「頼みがある。AIMのエクストリミスに関する資料を全てくれ」
「何をする気だ?」
「治療法を見つけるんだ」
そういうことかとローディは、夕方までに持っていくと告げ、電話を切った。
PCを付けたトニーは、ジャーヴィスを呼び出した。
「ジャーヴィス、起きてるか?」
「いつでも起きています」
「AIMのデータだが…」
「全てDL済です」
「よし。エクストリミスに関するデータだけくれ」
「分かりました。早速開始します。終了は3時間後です」
(終了するまでには時間がかかるな…)
手持無沙汰になったトニーは、この一年のこと…あのNYからの出来事を思い出していた。
悪夢を見るようになり、そしてNYの街並みを見るだけでも胸が苦しくなり、逃げるようにマリブへ帰ってきた。無力だった自分。だが、敵はきっとまた襲ってくる。そう思うと、いてもたってもいられなくなり、アーマーの開発に没頭した。ペッパーにもいつか敵の間の手が及ぶのでは…その時そばにいて守らなくては…。そう思い、共に暮らし始めた。彼女が引っ越してきてからは、とにかく彼女を守りたい一心だった。彼女を守るために、アーマーの開発を続けた。彼女が不満に思っているのは知っていた。彼女がそばにいてくれるのに、アーマーがないと不安だった。あの状況で心が壊れなかったのは、ペッパーがそばにいてくれたからだ…。
だが、あの一言で救われた。
『トニーは整備士だろ?何か作れば?』
小さな少年の言葉…それは不安だった自分の心を解き放ってくれた。
彼にもお礼をしなくては…。小さな手で私を救ってくれたお礼を…。
ペッパーは会社をしっかり切盛りしてくれている。いや、元々秘書だった頃から、遊びほうけていた自分に代わり実質的に働いていたのは彼女だったが…。だが、いつまでも彼女にばかり負担を掛けるわけにはいかない…。
「そろそろ仕事に戻るか…」
ペッパーを治し、片が付いたら会社に戻ろう…。私は整備士なんだから…。
身体を動かしたトニーだが、両足がズキズキと痛み出し顔を顰めた。
左手に刺さる点滴を見ると、終わりそうだ。
(もうすぐ交換の時間か?)
痛みは次第にひどくなり、我慢できなくなったトニーがナースコールを押そうとした時、タイミングよくナースが部屋にやって来た。
「スタークさん、交換しますね。あと、検温もさせてください」
耳に当てられた体温計からは、すぐにピッという音が聞こえた。
「38度…朝より上がっていますね。何か必要なものがありますか?」
「あぁ…。脚が痛むんだ。痛み止めをくれ」
「分かりました。すぐに用意しますね」
一旦退室したナースは、しばらくして戻ってくると、点滴に何やら入れ始めた。
その様子をぼーっと眺めていたトニー。
「痛みが引かなかったらすぐにおっしゃってください」
「あぁ…」
鎮痛剤が効き始めたのか、うつらうつらし始めたトニーは、目を閉じた。
トニーが目を覚ますと、ベッドの脇の椅子にはローディが座っていた。
「悪い、起こしたか?」
「いや…」
「気分はどうだ?」
「…いいとは言えないな…」
相変わらず痛む両足。ますます酷くなるその痛みに顔を顰めたトニーをローディは心配そうに見つめた。
「大丈夫か?」
「あぁ…」
酷く顔色の悪いトニーは、眉間に皺を寄せている。
(休ませた方がいいな)
早々に退散した方がよさそうだ…と、ローディは本来の目的を告げた。
「お前に頼まれていた資料だ。山のようにあるから、残りは明日持って来させる」
「ありがとう。助かるよ」
受け取った資料をパラパラと眺め始めたトニー。ローディがふと部屋の隅を見ると、ソファーに見覚えのある物が置かれているではないか。アーマーの一部であると気付いたローディは立ち上がると手に取った。
「そうだ。お前、退院したらどこに住むんだ?NYにでも…」
バサっと何かが落ちる音がし、ローディは振り返った。
「トニー?」
目を見開いたトニーは、肩で大きく息をし始めた。
「おい、トニー?」
慌てて駆け寄ると、震える手を胸に当てたトニーは、苦しそうに呼吸をしている。
「ま、またか…。くそっ!さ、さっきは…へ、へいき…」
息ができないのか、荒く浅い呼吸をしているトニーの顔は真っ青だ。
「トニー!深呼吸しろ。ほら…」
パニックを起こしているトニーの背中をローディが摩っていると、トニーに付けられたモニターの異変に気付いたナースが慌ててやって来た。
「どうされました?」
「また発作が…」
慌てふためくローディが避けると、ナースがトニーに声を掛けた。
「スタークさん、ゆっくり息を吸って下さい。大丈夫ですよ」
しばらくすると落ち着いたトニー。点滴に鎮静剤を入れているナースとそしてローディに向かって、トニーは小さな声で呟いた。
「頼む、彼女には…ペッパーには黙っておいてくれ…。心配かけたくないんだ…」
怯えたようなトニーが心配になり、そばの椅子に腰をおろしたローディは、そっとトニーの手を取った。
「トニー、話なら聞くぞ?お前があの時…」
顔を強張らせたトニーは、ローディの言葉を遮った。
「話したくない」
「だが…」
『一人で抱え込むな』
その言葉を言っていいものか迷ったローディだが、それに気付いたトニーは、無理やり笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。心配かけてすまなかったな」
***
思いのほか会議が長引いたペッパーが病院へやって来たのは、夕方遅くだった。
きっとトニーは待ちわびているはず…と、足早に病室へ向かうペッパーを、ちょうどナースステーションにいた担当医が呼び止めた。
「ミス・ポッツ…よろしいですか?」
担当医の表情は硬く、ペッパーはトニーに何かあったのだと悟った。
「何かあったんですか?」
「スタークさんには口止めされているんですが…。実は…」
「遅くなってごめんなさい」
病室へ入ると、トニーはベッドに潜り込んでいた。目の前には夕食が置かれているが、手を付けた形跡はない。
「トニー?どうしたの?」
呼びかけるが、トニーは何も喋らない。
「ご飯食べないの?」
シーツから少しだけ覗かせた頭をそっと撫でたが、トニーは顔をあげない。
「食欲がない…」
ぼそっと呟いたその声には、昨日はあった覇気が全くない。
「トニー…」
『先ほど、またパニックを起こされました』
『身体もですが心のケアが必要です』
先程、医師に告げられた言葉。
昨日、トニー自ら口にした言葉が、今日は彼を苦しめている。大丈夫だと笑っていたけど、もしかしたら昨日も無理をしていたのかも…。
そう思ったペッパーは、ベッドの縁に腰かけるとトニーの背中をシーツ越しに撫で始めた。
「ねぇ、トニー…無理しなくていいのよ…」
ペッパーの呼びかけにしばらく黙っていたトニーだが、シーツから顔を出すとペッパーの顔をじっと見つめた。
「…何がだ?無理なんかしていない」
「いろいろよ。あんな大変な目にあったんだもの…。ねぇ、まずは、あなたの身体を治しましょ?今後のことはそれから…」
その言葉を遮るようにため息を付いたトニーは、ペッパーから目を逸らした。
「ペッパー、君は帰れ」
視線を合わせようともしないトニーの様子は明らかにおかしく、帰れと言われても、ペッパーはこんな状態の彼を放っておくことはできなかった。
「いいえ、あなたのそばにいるわ」
点滴の付いていない右手をそっと撫でるが、トニーはその手を振り切った。
「いいから帰れ。疲れ切った顔をしている。ゆっくり休め」
「大丈夫よ、私は。それよりあなたが心ぱ…」
「いいから、帰れ!」
突然大声で怒鳴ったトニー。
「トニー…」
ビクっと肩を震わせたペッパー。今までここまで彼に拒絶されたことはないため、ペッパーは戸惑った。
ペッパーにはそばにいてもらいたい。だが、こんな弱い自分を見せ彼女に心配は掛けたくない…。自分でもどうすればいいか分からないトニーは、ペッパーの瞳に浮かんだ悲しみに気付き、声を荒げた自分を恥じた。
「すまない…。だが、しばらく一人にさせてくれ…頼む…」
再びシーツをかぶったトニーだが、小さく嗚咽が聞こえ始めた。
(一人で抱え込まないで…)
こんな時こそ、そばにいて支えてあげたいのに…。きっと彼も自分ではどうすることもできず、気持ちのやり場がないはず…。今のトニーは心を閉ざしてしまっている。でも、このままだと、彼は本当に心が壊れてしまう…。
『明日、カウンセラーを呼びます』
心のケアが必要ですと担当医は言った。でも、他人には弱いところを見せず、そして何より見せることを嫌うトニー。でも、私になら…きっと心を開いてくれるはず…。
シーツの上から震える身体を抱きしめたペッパー。目から零れ落ちた涙がトニーの上にポタポタと降り注いだ。
「トニー、お願い…。一人で抱え込まないで。私はあなたの何?あなたが辛い時こそ、そばで支えてあげたいの…。あなたの全てを愛してるんだもの…」
その言葉を黙って聞いていたトニーだが、しばらくして蚊の泣くような声が聞こえた。
「ペッパー…。そばにいてくれ…」
ペッパーがシーツをそっと捲ると、涙で濡れた瞳でトニーがじっと見つめてきた。
ひどく怯えたその表情は、悪夢に魘されたあの時の彼と同じだった。
(今度は逃げない。今度は受け止めてみせる…)
「トニー…大丈夫。私がずっとそばにいるから…。あなたの重み、少しでもいいから背負わせて…」
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