「ペギー!世紀の大発明だぞ!」
また来た。あの声は、ハワード・スターク。
頼りにならないようで頼りになるこの男は、私の危機を幾度となく救ってくれた戦友だ。いいえ、私も救ってあげてるから、お互いさまだけど…。
今度は何事かと重い腰を上げたペギー・カーターだが、次の瞬間、ハワードに腕を掴まれた彼女は、車の中に押し込まれていた。
「で、何事?」
連れて来られたのは、スターク邸だったのだが、いつも出迎えてくれるエドウィン・ジャーヴィスの姿がない。
「ジャーヴィスは?」
一応尋ねてみると、ハワードはバツが悪そうに頭を掻いた。
「あぁ…ちょっ遠くまで…」
いつだって主人に忠実なジャーヴィスが姿をくらますとは考えられないので、きっとハワードの騒動に巻き込まれたのね、ご愁傷さま…と、ペギーは心の中で手を合わせた。
「そんなことより、見てくれ!」
ハワードが目の前にある布をめくると、キラキラと輝く大きな穴のようなものが現れた。
「何これ?!」
引き込まれそうになり歩み寄ろうとすると、ハワードが押しとどめるように腕を掴んだ。
「タイムワープできるんだ」
「はい?」
一体ハワードは何を言っているのだろう…。ポカンと口を開いたままのペギーに、ハワードは自信満々な笑みを浮かべた。
「だから!時間旅行だ!世紀の発明だろ?!折角だ!冒険の旅に、早速行ってみよう!」
「え?!ちょ、ちょっと待って!ハワードったら!!」
怒涛の展開にさすがのペギーも何も言えず、彼女はハワードに手を取られ、穴に向かってジャンプしていた…。
***
気付けば二人は芝生の広がる広場に佇んでいた。
きょろきょろと辺りを見渡すと、どこかの公園のようだが、首が痛くなるような高さの建物に囲まれているではないか。
こんなに背の高い建物は、自分たちの時代にはないので、きっと遠い未来の世界に来たのね…と、ペギーは隣に座り込んでいるハワードに向かって眉を吊り上げた。
「で、ここ…どこ?」
「知らん」
ものの0.5秒で返って来た答えに、ペギーは飛び上がった。
「はい?!」
発明して、自分を連れて来た張本人がいつの時代に来たか分からないなんてあるだろうか。
わなわなと肩を震わせ始めたペギーに、ハワードは目をくるりと回した。
「いつの時代に飛んだかは分からない。そのうち分かるだろうが、きっと未来の世界だろう。折角だから探索してみよう!」
探求心旺盛と言うべきか、ここがどこでいつなのかさほど気にしていないらしいハワードは、ペギーの手を取ると歩き始めた。
しばらく歩いて行くと、人の数が増えて来た。
小さな板状の物を手に持ち、何やら操作している姿に、きっとここは100年先の未来なのだろうと二人が感心した時だった。
「左から失礼」
ランニング中なのだろう、横を走り抜けようとした男の肩がペギーの肩に触れた。
その瞬間、ペギーの胸に何とも言えない懐かしさがよぎった。
全く知らない世界なのに、今の感触はとても懐かしい気がする…。
顔を上げたペギーは、ぶつかった男の背中を見ると、息を飲んだ。その背中は、ペギーのよく知った男にそっくりだったから…。
「ハワード…あれ……」
男を指差したペギーの手は震えている。何事だとその指先の方向を見たハワードは目を見張った。
あの背中はハワードもよく知っている。知っているどころか、自分が作り出したのだから…。
顔を見合わせた二人は、同時にその男の名を叫んだ。
「「スティーブ!!!」」
スティーブ・ロジャースは、毎朝の日課であるランニングを今朝も行っていた。
早朝のセントラルパークを颯爽と走るのは気持ちが良く、目を閉じ深呼吸をしたスティーブだが、今朝に限って誰かとぶつかってしまった。
「左から失礼」
謝罪の言葉を口にすると、再びランニングに没頭しようとしたスティーブだが、先ほどぶつかった人物が大声で自分の名を呼んでいるではないか。
(しまった…。きちんと立ち止まって謝罪すればよかった…)
先方は失礼な態度に怒っているのだろうと考えたスティーブは、くるりと振り返ったのだが、駆け寄って来る二人組を見ると叫び声を上げた。
「ぺ、ぺ、ペギー?!それに…は、ハワード?!ど、ど、ど、どうして!!!」
二人は自分が氷漬けになった頃の姿だった。つまり、最後に見た時同様、とても若かった。それに、ペギーは兎も角、ハワードはとっくに故人となっているのに、どうして自分の目の前にいるのだろう。
(これは夢だ!きっと夢だ!)
腰を抜かしてその場に座り込んでしまったスティーブだが、白昼夢から目覚めなければと、手の甲を思いっきり抓った。だが、これは今まさに目の前で起こっていることなので、抓れば抓るほど痛みは増してくる訳で…。
(そうだ!そっくりさんだな!スターク・タワーの周りをうろついていたそっくりさんだ!きっとトニーが私を驚かせようと差し向けたに違いない!)
そう考えるしか辻褄は合わない。何度も深呼吸をしたスティーブだが、そうこうしているうちに、二人組はやや驚いた面持ちで目の前にやって来てしまった。
「ねぇ、本当にスティーブ?」
「スティーブは死んだだろ?何でこんな所にいるんだ?」
あんぐりと口を開けたままのスティーブを、ペギーとハワードは突きまわした。
「ハワード!本物よ!本物のスティーブ!」
「じゃあ、生きていたのか?!年老いていないのは、私の作った超人血清が効いているからか?!」
騒ぎ始めた二人をじっと見つめていたスティーブだが、見れば見る程二人は本物のペギー・カーターとハワード・スタークとしか思えなくなってきた。
「ダンスの約束…」
何の気なしにそう呟くと、ペギーがハッとしたようにスティーブを見つめた。
「そうね。あの時の約束…。まだ間に合うかしら?」
その言葉でスティーブは確信した。目の前の二人は本物だと…。だが、どうしてあの頃の二人が60年以上経った現代にいるのだろうか…。
頭の中はパニック状態だが、何とかして事情を聞かねば…と、スティーブは二人を木陰のベンチへと連れて行った。
お互いの話を聞き終わった三人は、奇遇なこともあるものだと頷きあった。
「で、これからどうするんだ?」
ペギーだけなら兎も角、ハワードがいるのだ。聞かずともこの語の展開は分かりそうなものだが、念のため聞いてみると、案の定ハワードはスティーブの手を握りしめブンブン振り回した。
「せっかく未来へ来たのだから案内してくれ!私は絶世の美女と結婚して、可愛い子供たちや孫に尊敬されているんだろうな!楽しみだな!」
『あなたはとうの昔に亡くなっているし、一人息子には嫌われているんだぞ』とは流石に言うのは憚られた。おそらくひと悶着あるだろうが、こうなったら自分の目で直接確かめてもらうしかないだろうと、スティーブは二人を連れて歩き出した。
***
スティーブが二人を連れてやって来たのは、もちろんスタークタワー。
「J.A.R.V.I.S.、トニーはいるかい?」
『はい、今日は珍しくポッツ様とゆっくり過ごされています』
どこまで登っていくのか知らないが、上昇し続けるエレベーターの中に響き渡る声に、ハワードもペギーもキョロキョロと辺りを見渡した。
「スティーブ!何なんだ、この文明の進んだ世界は!」
これくらいで驚いていたら困る。おそらく特にハワードにとっては、信じられない光景の連続だろうから…。
「いや、私も最初は驚いたから…そのうち慣れる」
と、エレベーターが止まった。どうやら目的の階に到着したようだ。
「言っておくけど、この先は自分たちの目と耳で確かめてくれ。つまり、驚きすぎて腰を抜かさないでくれよ」
そう忠告したスティーブは、大きく深呼吸すると、部屋に足を踏み入れた。
***
J.A.R.V.I.S.が報告していたのだろう。ドアが開くとペッパー・ポッツが出迎えてくれた。
「やぁ、ペッパー。トニーはいる?」
二人きりでくつろいでいたのだろう。ペッパーは非常にラフな格好をしていた。丈の長めのTシャツを着た彼女は、おそらくショートパンツを履いているのだろうが、長く細い足は惜しげもなくさらけ出されていた。そして首筋にはキスマークが見え隠れしており、少し乱れた髪から、童貞のスティーブでさえも、二人は先ほどまで『フォンデュ』の真っ最中だったのだろうと推測できた。思わず頬を赤らめたスティーブに気付いているのかいないのか、ペッパーはいつものようにニコニコと笑みを浮かべた。
「スティーブ、いらっしゃい。トニーなら、トイレに行ってるからすぐ戻って来るわ」
と、ここでペッパーはスティーブの後ろにいる二人組に気付いた。まるで40年代の古い映画から飛び出してきたような恰好をしてる二人だが、女性の方ははしたないというように自分を見つめているし、男性の方はやたらとぎらついた目をしているのだ。そしてその男性は、どことなくペッパーの最愛の男性に似ていた。
(どこかで見たことがある気がするんだけど…)
写真で見たことがある気がするが、誰だかすぐには思い出せない。
「こちらは?」
そこでスティーブに尋ねてみると、彼は困ったように頭を掻いた。
「話せば長いんだが……」
と、スティーブを押しのけ、男性の方がつかつかと歩み寄って来た。
「これはこれは…。何て美しい方なんだ。あなたのように美しい方にはお会いしたことがありません。もしよければ、私と食事でもいかがですか?あ、そうですね。自己紹介がまだでした。初めまして、ハワード・スタークと申します。こちらはペギー・カーター。スティーブとは古くからの友人でして…」
初対面なのにベラベラと話す男性に圧倒されていたペッパーだが、『スターク』と聞いた彼女はその場で飛び上がった。
「ハワード・スタークって………」
目を真ん丸にしスティーブとハワードを見比べていたペッパーだが…。
「えぇぇぇ!!!!と、トニー!!!トニー!大変よ!!!!!!」
ペッパーの絶叫が部屋に響き渡り、ハワードが思わず耳を塞いでいると、ドタドタと言う足音が聞こえ、誰かが部屋に飛び込んで来た。
「ペッパー!どうした?!」
ようやく姿を現したのはトニー・スターク。ありえない速さでペッパーに駆け寄ったトニーは、慌てふためく彼女を落ち着かせようと必死だ。
「ハニー、落ち着け」
ペッパーしか見ていないのか、トニーはスティーブはおろか、その後ろにいる二人にも気づいていないようだ。
「と、と、トニー!!す、す、す……」
何とかトニーに気付かせようと彼の肩を揺さぶったペッパーは、『スターク』と名乗った男を指差した。
と、ようやくトニーがスティーブの存在に気付いた。
「やあ、トニー」
作り笑いを浮かべたスティーブに、なぜじいさんが急に訪ねて来たのと、トニーは首を傾げた。
「じいさん、急にどうした?」
ここでトニーはスティーブの後ろに誰かいることに気付いた。首を伸ばしその人物を見たトニーは、大きな目をさらに見開くとあんぐりと口を開け、スティーブを見た。そして目元を擦ると、もう一度先程の人物を見た。夢を見ているのかと思ったが、目を擦っても頬を叩いても、その人物は消えない。
「…ペギーおばさん?」
ペギー・カーター。父親の戦友で、幼い自分のことを可愛がってくれていた大好きなペギーおばさん。どうしてか分からないが、あの頃よりもさらに若いペギーおばさんが自分の目の前にいるのだ。流石のトニーもこの状況は把握できなかったが、向こうも自分のことを知らないのだから、いきなり『ペギーおばさん』と呼ばれ戸惑っているではないか。
とりあえず、状況を知ってそうなキャプテンに話を聞こうと考えたトニーだが、ペギーの後ろに隠れている男性に気付いた彼は、固まってしまった。
「おい…まさか…」
間違えるはずがない。目の前の男は、自分と同年代の姿をしているが、自分の父親だったのだから…。
わなわなと震え始めたトニーは、拳をぎゅっと握りしめるとスティーブに向かって怒鳴った。
「おい!キャプテン!どういうことだ!何で親父がここにいるんだ!」
怒鳴られたスティーブは、予想通りの展開にため息を付いたが、『親父』と言われたハワードは、その場で飛び上がった。
「親父って……お前が私の息子なのか?!」
自分とよく似ている『息子』はどうやら自分と年齢が変わらないようだが、そうなると自分には美しい妻がおり、息子の嫁と可愛い孫もいるはずだ。状況から推測すると、先ほどの美しい女性が息子の嫁なのだろう。描いていた未来がもうすぐ見れると大興奮のハワードだが、ペギーもペギーで驚いていた。
「ちょっと!ハワードったら!いつ結婚するの?!相手は誰?!」
自分の知っているハワードは、数々の女性と浮名を流し、彼の執事曰く『アカデミー賞は出会いの場。ハワード・スタークと一夜を共にした女性のリストを作るには、NY中の紙を使い切る』のだから、そんな彼が結婚し子供を作ったことが、正直信じられなかったのだ。
一方のトニーとペッパーも、過去の人物が目の前にいることは信じられないが、今起こっていることは残念ながら現実のようだと考えるしかなかった。
「うそ!本当にお父様なの?!どうしてここにいらっしゃるの?!」
「こっちが聞きたい!おい!なぜここにいるんだ!」
ギャーギャー喚く4人は収まりがつきそうにない。
すぅっと息を吸い込んだスティーブは、仕方なく思いっきり叫んだ。
「整列!!」
ピタッと動きを止めた4人を満足げに見渡したスティーブは、とにかく状況を説明しようとソファーへと移動した。
***
ひとまず落ち着こうとリビングのソファーに座った面々を横目に、ペッパーはコーヒーの準備を始めた。
異常なほどの緊張感漂う空間に、お酒の方がいいかしらと思ったペッパーだが、今夜はチャリティーパーティーにトニーと出席せねばならないし、今ここで飲ませるととんでもない事態になりそうだと考え直した。
そこで、今日のおやつにと今朝作ったばかりのブルーベリーケーキとコーヒーを、まずはハワード・スタークに出すと、出迎えた時の恰好からか、それともトニーに寄り添っていた雰囲気からか、彼はやたら笑顔でコーヒーを一口啜った。
「何て気が効く嫁なんだ!私の息子にはもったいない!」
どうやらハワードは、トニーとペッパーが結婚していると思っているらしい。
確かに最近やたらと『いつご結婚されるのですか?』と聞かれるが、残念ながらその予定はまだない。
真っ赤な顔をしたペッパーは思わずトニーを見たが、彼は『いいじゃないか。勝手にそう思わせておけばいい』というように、眉を吊り上げた。
が、このまま夫婦と思われていて、何かのきっかけで嘘がバレた時にハワードが落胆するのは目に見えている。そこで、トニーには悪いがペッパーはきちんと本当のことを告げることにした。
「あ、あの…私たち…まだ夫婦じゃないんです…」
真っ赤な顔をしている嫁だと思っていた女性と渋い顔をしている息子を見比べたハワードは、目を見開くと飛び上がった。
「何だと?!こんなにきれいなお嬢さんを息子はまだモノにしていないっていうのか?!」
一体どういう話をしているんだと頭を抱えたペギーだが、横に座るスティーブは今にも気絶しそうだ。
「い、いえ…その…結婚はしてないですけど…その…」
『同棲中ですし、とっくにモノにされてますけど、結婚はまだです。事実婚状態ですけど…』とでも説明すればハワードは安心するのだろうが、恥ずかしくてそんなことは言えない。チラリとトニーを見つめると、彼は目をくるりと回した。
(もう!何とか言ってよ!)
頬をぷーっと膨らませたペッパーは、トニーをじろりと睨み付けた。そんな二人を見比べていたハワードだったが、ペッパーの首元に赤い華が散らばっているのに気付くと、パッと顔を輝かせた。
「なんだ、モノにはしてるんだな!さすが私の息子だ!美女は放っておけないんだな!で、子供はまだなのか?可愛い孫に会えるのを楽しみにしていたんだが…」
ペッパーの手をぎゅっと握りしめたハワードは、『未来の嫁』を抱きしめようとしたが、目を三角に吊り上げたトニーが間に割り込んできた。
「ペッパーに触るな!」
しっしっとハワードを追い払ったトニーは、ペッパーを隣に座らせると40年代からやって来た珍客を見渡した。
「で、何でこの二人がここにいるんだ?」
ようやく状況が説明できると身を乗り出したハワードだが、彼に話をさせると長くなりそうだと思ったペギーは、ハワードを制すると咳ばらいをした。
「ハワードの発明のせいよ。こいつ、タイムワープを発明して、私を巻き込んだの…」
こうなってしまった状況を説明し終わったペギーと、ブルーベリーケーキをパクパク食べているハワードを見比べたトニーは、面倒くさそうに鼻を鳴らした。
「とっとと帰れ」
が、ケーキを食べ終わったハワードは口元を拭いたハンカチをポケットにねじ込んだ。
「帰れない。日が経つと帰れるらしい。この間はナポレオンの時代に行ったが、2日で元の時代に戻っていた。つまり、いつになるか分からん」
「いつ戻れるか分からないの?!」
思わず立ち上がったペギーだが、今更どうこう言っても無駄だ、こうなったらこの時代を楽しもうと思ったのだろう。やれやれと首を振った彼女は、スティーブの方へ振り返った。
「ということらしいの。しばらく時間があるみたいだわ。この時代を案内してくれる?」
にっこりと微笑んだペギーに手を握られたスティーブは、真っ赤な顔をするとうんうんと頷いた。
「ということで、私はスティーブと出掛けてくるわ。じゃあね、ハワード。あなたは息子さんと楽しんで」
と言うと、ペギーはスティーブを連れて、そそくさとタワーを後にした。
トニーとペッパーはポカンと口を開けたまま二人を見送ったが、
「おい!スティーブ!頑張れよ!」
と声援を送ったハワードは、大あくびをすると伸びをした。
「宿なしなんだ。泊めてくれ」
「嫌だ」
速攻で返って来た答えに、さすがのハワードも顔を顰めた。
「トニー、父親の私が頼んでるんだぞ?いい子だから父さんの言う事を聞くんだ」
だが、トニーはそっぽを向いたまま返事もしない。
「そうよ、トニー。せっかくお父様に会えたのよ?積もる話もあるでしょ?」
ペッパーにまでそう言われるのだから、溜息をついたトニーは目をくるりと回すとハワードを見ずに告げた。
「好きなゲストルームを使え」
宿の心配がなくなったとガッツポーズをしたハワードは、トニーに向かって投げキスをした。
「トニー!愛してるぞ!」
(何だよ……)
心の中で舌打ちしたトニーは、その場にいたくないとばかりに立ち上がると逃げるようにラボへと向かった。
***
その夜、チャリティーパーティーから帰宅したトニーだが、リビングにハワードの姿はなかった。
「ジャーヴィス、私じゃない方のスタークは?」
『はい、お休みになられています』
ジャーヴィスの返答は耳に入っているはずなのに、それを無視したトニーはスタスタと寝室へと向かった。
「トニーったら、どうしてあんな呼び方をするの?お父様なのよ?」
シャワーを浴びて戻って来るや否や、ベッドに潜りながらペッパーはトニーに尋ねた。携帯を突いていたトニーはペッパーを見るとわざとらしく目をくるりと回した。
「あいつは父親じゃない」
ぼそっと呟かれたその言葉は、どこか切なく寂しそうだった。
トニーとハワードの確執は知っている。ハワードがトニーとどう接していたかも、トニーが父親のことをどう思っていたかも…。それにあのハワードはトニーの父親になっていない頃のハワードなのだ。だからトニーが知っている父親とは違うのだ…。それ故にペッパーは無下にトニーを非難することはできなかった。
普段よりも口数少なく抱き付いてきたトニーをペッパーは黙って抱きしめるしかなかった。
***
翌朝、ハワードは街を探索してくると朝から出掛けて不在だった。
そしてトニーも任務で呼ばれたりと不在の日々が続き、二人は顔を合わせない日々が続いた。
ペギーの方は、スティーブと数十年越しのダンスの約束を果たした後、姿を消したらしいのだから、おそらく元の時代に戻ったのだろう。が、ハワードはまだ帰る気配がない。しかもペッパーとすっかり仲良くなっており、一体いつになったら消えるのだと、トニーはイライラしっぱなしだった。
そうこうしているうちに、ハワードがやって来て1週間経った。
「明日はハロウィンだろ?トリック・オア・トリートだ!」
帰宅するなりかぼちゃの被り物をしたハワードに出迎えられたトニーは、不機嫌そうに眉を吊り上げた。
「…子供扱いするな」
が、ハワードは臆することなくニヤニヤしているではないか。
「お前は私の息子だろ?だから子供扱いして当然だ」
呆れたようにふんっと鼻を鳴らしたトニーだが、今宵はペッパーも出張で不在だ。それに今日はなぜか相手をしなければならない気がした。そこで寝室へ向かいかけていたトニーは、向きを変えるとソファーに腰を下ろした。
どうやら今日は相手をしてもらえるらしいと気付いたハワードは、紙袋を手にそそくさとトニーの隣に座った。
「お前は私の息子だが、立派な大人だ。だからこれを買って来た」
ハワードが取り出したのは酒だった。どれだけ買って来たのだろうか、次々と出てくる酒瓶にトニーは呆れたようにため息を付いた。
「息子と酒を酌み交わす…一足先に夢が叶ったぞ」
酒瓶の栓を開けたハワードはトニーに手渡すと「乾杯」と瓶を合わせた。
ニコニコと笑みを浮かべ嬉しそうなハワードに、トニーは思わず眉を吊り上げた。
自分の記憶の中の父親は、厳しく気難しく、そして多くを語らない人間だった。それが目の前にいるハワード・スタークは陽気で明るく親しみやすい、正反対の人間なのだから、トニーは内心戸惑っていたのだ。
ベラベラと一人喋り続けているハワードをチラリと見たトニーは、黙って酒を飲み続けた。
30分ほど経っても相槌は打つものの黙ったままの息子を喋らせようと、ハワードは会話の糸口を探し続けていた。
「ところで、私はどんな父親だったんだ?」
一瞬目を見開いたトニーだったが、顔を背けるとポツリと呟いた。
「サイテーな父親だ」
捨てセリフのように吐き出されたその言葉に、ハワードの胸はちくりと痛んだ。
この時代に来て1週間。一向に心を開いてくれない息子の様子に、おそらく自分は息子に父親らしく接してこなかったのだろうと感じた。
そこで図書館に行き、トニー・スタークについて調べた。これから自分の身に起こることは知りたくないので、自分のことには目を通さないように気を付けながら…。
息子はヒーローになっていた。誰しもが認め、そして子供たちが憧れるヒーローに…。まるであのキャプテン・アメリカのように羨望の目で見られている息子を誇らしく思ったハワードだが、その息子の人生に自分はあまり関わっていないということにも気づいた。自分と息子の間にこれから何があるのかは知らない。いや、知ったところで今更変えることはできないし、過去の出来事を変える様なことをしてはいけないのも分かっている。それでも息子に伝えたかった。父親になる前とはいえトニーのことを愛していることに違いないということを…。
「そうか…」
小さく首を振ったハワードだが、グラスをテーブルに置いたハワードは、咳払いすると言葉を続けた。
「なぁ、トニー。私はお前の父親として最低かもしれない。最もお前にどう接したのかということは分からないし、今私が知るべきではないが…。だが、お前は私が夢描いているリアクターを実現させた。それに、お前はヒーローになった。それは誇るべきことだ。つまりだな…私は数々の物を生み出したようだが、最高傑作はお前だったようだな」
ハワードの言葉にトニーは顔を上げた。
その言葉は、数年前、あのエキスポで自分の命を救ってくれた時の父親の言葉と同じだったから…。
唇を震わせたままのトニーを見つめたハワードは、ニっと笑うとトニーの背中をポンっと叩いた。
「トニー、傍にいなくても、お前のこと、世界一愛している…。それだけは、永久に変わらない事実だ…」
初めてだった。面と向かって父親から『愛している』とはっきり告げられたのは…。いや、遠い昔、幼かった時分にはあったかもしれないが、自分の記憶の中の父親は決して口に出すことがなかった言葉だった。目の前のハワード・スタークは自分の父親だった彼ではない。だが、目尻を下げて笑ったハワードは、初めてコンテストで優勝した時に言葉少なめにだが、嬉しそうに頭を撫でてくれた父親と同じだった。
「分かってる……父さん…。愛してるよ…」
トニーの口からも自然と父親への思いが飛び出した。それは父親に面と向かって告げることができず、心のどこかでずっと後悔し続けていたことだった。
「やっと父親だと認めてくれたな」
嬉しそうに笑ったハワードはトニーを抱き寄せると、髪をくしゃくしゃっと乱暴に撫でた。
「よし!お前が私を父親だと認めたところで、今日は飲み明かすぞ!」
トニーのグラスに酒を注いだハワードは、自分のグラスを合わせるとぐっと飲み干した。続けてグラスを煽ったトニーだが、重大なことを聞き忘れていたとハワードは手をポンと叩いた。
「おい、トニー。ヴァージニアといつ結婚するんだ?とっくにモノにしてるんだったら、さっさと結婚しろ」
ストレートすぎる物言いに、トニーは飲んでいた酒を噴き出した。
***
翌朝。
「…ニー……トニー…」
呼び続ける声に目を開けたトニーは、二日酔いの頭を覚醒させるように頭を振った。
「おはよう、ハニー」
出張から帰ってきたばかりなのだろう。ジャケットとヒールを脱いだペッパーはトニーの鼻を摘まむとおでこにキスを落とした。
「また飲みすぎたんでしょ?」
テーブルの上の大量の酒瓶に眉を吊り上げたペッパーは、呆れたように肩を竦めた。
どうやら、あのまま夜通し飲み続け、いつのまにかソファーの上で眠ってしまったようだ。
起き上がったトニーは身体を伸ばすと大欠伸をしたが、共に飲んでいたはずの父親の姿が見当たらない。それはペッパーも気付いていたらしく、キョロキョロと辺りを見渡した彼女は、トニーに向かって小首を傾げた。
「お父様は?」
「一緒に飲んでたんだが…おい、ジャーヴィス」
風呂にでも入っているのと電脳執事に尋ねてみたが、予想外の答えが返ってきた。
『ハワード様のお姿は今朝早く消えてしまわれました』
つまりハワード・スタークはペギー同様、元の世界に戻ってしまったのだろうか。
「せっかくお父様にお土産を買ってきたのに…」
残念そうに頬を膨らませたペッパーだが、ハワードの話をしてもトニーが2日前までのように嫌な顔をしないことに気付いた。
「お父様と何かあったの?」
目を瞬かせたトニーはペッパーを抱き寄せると首筋に唇を押し付けた。
「そうだな…。20数年越しの夢が叶ったんだ」
顔を見られるのが嫌なのか、トニーはペッパーを抱きしめたまま髪に顔を埋めた。
おそらくトニーはハワードと酒を飲みながら話をすることができたのだろう。それは父親が生きている間には決して叶わなかった夢。
もしかしたら神様は、トニーが父親のことを受け入れ始めた今だからこそ、彼の夢を叶えてるため、ハワードをこの時代に遣わせたのかもしれない…。
「ハロウィンって、願いが叶いやすくなる特別な日なんですって。トニー、よかったわね」
トニーの背中をそっと撫でると、トニーは小さく頷いた。
***
「ハワード様、おかえりなさいませ」
1週間ぶりに家に戻ると、執事が何食わぬ顔をして出迎えてくれた。
「何だ、ジャーヴィス。戻ってたのか。お前、どこに行ってたんだ?」
どこの時代に行っていたのか知らないが、ジャーヴィスの顔は傷だらけだった。
「私ですか?そうですね。非常に非常に楽しい場所に行っておりました。危うく恐竜に食べられ命を落とすところでございましたが、何とか生き延びてまいりました」
わざとらしい程の笑みを浮かべたジャーヴィスの眉間にはありえない程皺が深々と刻まれているではないか。
「ところでハワード様は1週間もどちらにいらっしゃったのですか?1週間ですから、さぞかし楽しい時代に行かれていたんでしょうね」
(まずい…これは本当に怒っている…)
これは雷を落とされるぞとハワードはごくりと唾を飲み込んだ。
この状況で、息子と楽しく酒を飲んでいたとは言えるはずもなく、何とか話題を反らそうと辺りを見渡したハワードは、傍にジャック・オー・ランタンがあることに気付くと声を張り上げた。
「き、今日はハロウィンだ!ジャーヴィス、パーティーの用意はできているか?」
と、ジャーヴィスの眉が吊り上がった。これは本当にマズいと感じたハワードは後ずさりし逃げようとしたが、ジャーヴィスに首根っこを掴まれてしまった。
「はい…と申し上げたいですが、ハワード様は1週間も行方不明でございましたし、何より1週間分の仕事が溜まっております。ですので、パーティーは中止とさせていただきました」
ニッコリと笑ったジャーヴィスに、こんなことならもう一日未来にいて、トニーとヴァージニアとハロウィンパーティーをすればよかったと思ったハワードだが、そんなことはできるはずもなく、大人しくジャーヴィスに付いて書斎へと向かった。