病院へ搬送されたトニーだが、睡眠薬を多量に摂取しており、すぐさま処置を施された。
翌日も意識を取り戻すことのなかったトニーだが、ようやく面会が許されたペッパーは眠り続けるトニーの頬にそっと触れた。
「トニー…。あなたの気持ちは分かるわ。私のことを失いたくないという気持ちも、傷つけたくないという気持ちも…。でもね…私も一緒なの。あなたのこと、失いたくない…。それに…1人で苦しんでるあなたの姿…もう見たくないの…。だからお願い…。そばにいさせて…。あなたの支えになりたい…。あなたを失いかけて、何が一番大切か、ようやく気づいたの…。あなたの存在がそばにないなんて、私、耐えきれないから…」
今だ熱の下がらないトニーの額に浮かんだ汗を拭うと、ペッパーはヒールを脱ぎ、トニーの隣に横になった。
「お願い…トニー…。あなたのこと、信じてる…。あなたのこと…誰よりも愛してるの…。だから戻ってきて…」
トニーの身体に腕を回したペッパーは、彼にぴったりと寄り添うと目を閉じた。
***
その翌朝、ようやく意識を取り戻したトニーだが、森に一人でいたはずなのに誰かが自分を抱きしめていることに気付くと、ゆっくりと頭を動かした。
温もりの正体はペッパーだった。
(ペッパー……)
辺りを見渡したトニーは、自分の置かれている状況が理解できず困惑した。どうして病院にいるのか、そして狭いベッドにどうして彼女が一緒にいるのか、さっぱり分からない。加えて、気分は悪いし頭が痛い。
(最悪だ…)
せっかく彼女がそばにいるのに、どうしてこうも最悪な状況なのだろう。小さく唸り声を上げたトニーだったが、その拍子にぐっすり眠っていたペッパーが目を覚ましてしまった。
目を擦りながら起き上がったペッパーは、トニーが目を覚ましたことに気付くと、ベッドサイドの椅子に腰かけた。
「トニー!気がついたのね。よかったわ」
小さく頷いたトニーだが、状況が分かっていないのか戸惑っているではないか。彼の頬をすっと撫でたペッパーは、ゆっくりと告げた。
「あなた、道端に倒れてたの。高熱で…。それに…睡眠薬を大量に飲んでたでしょ?」
睡眠薬を飲んだと言われたが、トニーは正直よく覚えていなかった。熱があり頭が朦朧としている状態で、あの場に行ったことは覚えているが、その後自分がどういう行動を取ったのかは全く覚えていなかった。ただ、酷く頭痛がしたため鎮痛剤を飲もうとしたことは、ぼんやりと覚えている。鎮痛剤だと思っていた薬が睡眠薬で、しかも大量に飲んでしまったということなのだろうか…。
だが、自ら死を選ぶことは決してしない。このまま中途半端なまま死ぬわけにはいかない。今回の事件のことも、ローディのことも…。そしてペッパーのことも…。やらなければならないことは、山ほどあるのだから…。
「…死ぬつもりだったの?」
そのため、ペッパーにそう尋ねられた時も、トニーは静かに首を振った。
「死ぬつもりなんてない。すまない…よく覚えていないんだ…」
頭を動かした途端、眩暈に襲われ、トニーは眉間に皺を寄せた。何度も深呼吸をしたトニーがチラリとペッパーを見つめると、彼女は不安げな瞳で見つめ返してきた。その瞳には、ここ数か月、周囲の人々から浴びせられ続けた冷やかしも軽蔑もそんなものは一切なかった。彼女の瞳は自分への愛情が溢れていた。
彼女は心の底から自分を心配してくれている。あの夜…彼女を1か月半ぶりに抱いた夜、彼女が何度も口に出した『愛してる』という言葉だけは本当に信じても良い言葉なのかもしれない…。
だからこそ、彼女には胸の内を話しても受け止めてくれるだろう…。
「…ペッパー…」
しばらくして意を決したトニーは、ペッパーに全てを話そうと顔を上げた。
「どうしたの?」
トニーの瞳には、悲しみと絶望、そして苦悩がありありと浮かんでおり、ペッパーは胸が締め付けられた。
「全て失った。仲間も、彼らの信頼も…。それに…君も…」
久しぶりに愛し合った夜、自分の気持ちは正直に伝えたつもりだ。愛している、だから傍にいさせて…と。だが彼は人を信じられなくなっているようだ。それならば彼が信じてくれるまで何度でも言おう…。
トニーの手をそっと握ったペッパーは、ね?と微笑んで見せた。
「私はあなたのそばにいるわ。それに、あなたのこと、信じてる。心の底から信じてる…。だから、私には話して?あなたの思っていること、全て話してくれていいの。絶対に突き放したりしないから…」
ペッパーの笑顔は本物だった。その笑顔にざわついていた心が落ち着いたトニーは、ポツリと口を開いた。
「…殺されたんだ…」
「え…」
どういうことなのかと尋ねようとしたペッパーだが、その前にトニーが重い口を開いた。
「父と母は…ウィンターソルジャーに殺された…。ペッパー…事故じゃなかったんだ…。父は…昔の仲間に殺された…。それに母も…。母を助けるよう懇願する父を…あいつは殴り殺した…。そしてただ父と一緒にその場にいただけなのに…母を絞殺した…。それを…キャプテンは知っていた…。それなのに…私には隠していたんだ…」
トニーの話は想像していた以上に衝撃的だった。
彼の両親は不慮の交通事故で亡くなったというのは周知の事実なのに、まさか暗殺されていたとは…。そしてそれを知っておきながら、スティーブ・ロジャースがトニーに何も言わなかったことも…。
自分でもこれだけショックなのだ。当人であるトニーの心中は、計り知れないものがある。
「そんな……」
やっとの思いで一言口に出したペッパーに、トニーは俯き加減で首を振った。
「最悪だった。仲間だと信じていたのに…。友達だと思っていたのに…。キャプテンは私に隠していた…。キャプテンはウィンターソルジャーを守ろうと必死だった。私はただ…あいつに…法の裁きを受けさせたかった…。今までのこと…それから、父と母のことを…。だから降伏させて…アメリカに連れて帰ろうと思ったんだ。あいつはキャプテンの親友だ。だからいつでも自由に会えるよう、最善を尽くそうと、それまでも必死に降伏を勧めたが…。あいつらは突っぱねた…。それに…キャプテンは…『洗脳されていたから仕方ない。過去は変えられない』と言った…。ウィンターソルジャー自身は、その時のことも覚えていると認めたのに…」
ふぅと深呼吸し一息ついたトニーは、目元を擦ると再び話し始めた。
「父はロジャースのことを誇りに思っていた。幼い頃から父はキャプテン・アメリカの勇姿を私に聞かせてくれた。そのキャプテンが、ハワード・スタークが暗殺されたことを、『過去のことだから仕方ない』で済まそうとしている…。それに母も…。母は何の関係もなかった。父はS.H.I.E.L.D.と関わっていたから、いつか暗殺されるかもしれないと思っていたかもしれない。だが母は…」
言葉を詰まらせたトニーの目から涙が零れ落ちた。
「父だけではない。私は母を突然奪われたんだぞ?あの時の私の悲しみと苦しみ…それを『仕方ない』で済まそうとした…。過去の過ちを一言で片づけられるのか?それならば、どうして私は罪滅ぼしをしようとしてもエゴだと言われるんだ?なぁ、ペッパー…私はどうしたら罪を償えるんだ…。それに…今まで信じていたものは全て嘘だったんだ。仲間も何もかも…。私は全てを注ぎ込んできた。君との時間を犠牲にしてでも…。それなのに…信じてくれなかった…。結局誰も私のことを信じてくれていないんだ…」
目をキュッと閉じたトニーの頬を大粒の涙が零れ落ちていく。
長年溜め込んできた思いを吐き出すかのように、トニーは涙を拭うことなく泣いている。
ペッパーは後悔した。彼を一人にしたことを…。彼が苦しんでいるのに、見て見ぬふりをしていたことを…。愛しているからこそ心配かけたくないという思いが、逆にお互いを苦しめ限界まで追い詰めてしまったことを…。お互いこんなに苦しむなら、喧嘩してでも聞き出せばよかったと…。
でも、まだ間に合う…。まだやり直すことはできる…。
トニーの頬の涙を拭ったペッパーは、両手で顔を包み込んだ。
「あなたはもう十分償ってるわよ。エゴなんかじゃない。誰がそんなこと言ったの?その人達のこと、私がコテンパにやっつけてやるわ!それに…私はあなたを信じてる。愛してる。ローディもあなたのこと、信じてるわよ。彼ね、あなたのことを凄く心配してる…」
何度も瞬きしたトニーは、顔を歪めると腕を伸ばしペッパーに抱きついた。震えるトニーの背中をゆっくり撫でると、安心したのかトニーの震えは止まった。
「ペッパー……我儘…聞いてくれるか?」
暫くしてトニーは絞り出すように声を出した。
「少しだけでいい…。そばにいてくれ…」
それは決して人前では見せないトニー・スタークの姿。ペッパーにだから見せてくれる姿だった。
(彼はこんなにも私を必要としてくれている。それなのに、どうして必要とされてないと思ったのかしら…)
謝罪の言葉を口に出そうとしたが、きっと彼はそうすることを望んでいないだろう。そこで、言葉に出す代わりにペッパーはトニーをぎゅっと抱きしめた。
「トニー、我儘なんかじゃないわ。私もあなたのそばにずっといたいもの…。私もあなたが必要なの…」
ペッパーの涙がトニーの背中に雨のように降り注いだ。
(あぁ、ペッパー…。君は私のために泣いてくれるのか…)
10年以上傍にいてくれた彼女だけだ…。共に笑い、共に泣き、そして共に怒ってくれるのは…。だったら、もう二度と彼女の手を離してはいけない…。きっと彼女のような存在には、二度と出会うことはできないのだから…。
「ペッパー…すまなかった…。本当にすまなかった…。愛してる…」
ペッパーの首筋にキスをしたトニーは顔を上げると笑みを浮かべた。
久しぶりに笑った気がする。彼女がそばにいなければどうやら本当に生きていけないらしい…。
鼻を啜ったトニーは頬を両手で叩くと大きく深呼吸をした。
「少しは元気が出た?」
ようやく生気を取り戻したトニーの表情に安堵したペッパーは、ほぅっと息を吐いた。
「あぁ…少しは気持ちが晴れた気がする。ありがとう、ペッパー。君のおかげだ」
大きく頷いたトニーだが、まだ眩暈がするのか軽く額を押さえた。無理しないでとトニーをベッドに寝かせると、ペッパーはナースコールを押した。
「あなたが退院したら、私もあなたの家に戻っていい?」
つまりは、別居は解消ということだろう。嬉しそうに笑みを浮かべたトニーが
「もちろんだ。君の家でもあるんだから…」
と告げると同時に、ナースが鎮痛剤を持ってやって来た。
点滴に鎮痛剤を手早く入れたナースが去ると、ほどなくしてトニーはうとうとし始めた。
「ねぇ、トニー。覚えておいて…。あなたは一人じゃないの。あなたにはあなたを信じてくれる人がたくさんいるわ…。だから大丈夫…」
額にそっとキスをすると、すでに微睡み始めたトニーはくすぐったそうに笑った。
***
で、少しすっきりしたトニーは、スティーブの手紙も許せた訳です。