ペッパーは暗い病室の中、ベッドサイドに座っていた。
目の前のトニーは身動き一つせず、部屋には機械的な音だけが響き渡っていた。
ペッパーは目覚めぬ恋人の手を握り呼びかけ続けたが、何の反応も示すことなくすでに数日が過ぎていた。
このまま目覚めない可能性が高いと言われたが、ペッパーは信じられなかった。
だって…記憶を無くしたと言われたけど、私のことは覚えててくれたわ…。
だからきっと今度も…。トニーは私の元へ戻って来てくれるわ…。
あの時…プロポーズしてくれた日に約束したもの。何があっても必ず私の元に戻って来るって…。
人工的に生み出される呼吸音とモニター音。その音だけが彼が生きているという証。
「トニー、早く戻って来て…。約束、破らないで…」
涙を隠すようにトニーの胸元に顔を付けたペッパー。
ペッパーの好きなトニーの香りは消え、消毒薬の匂いが鼻をくすぐった。
「早く私を抱きしめてよ…。お願い…」
鼻を啜ったペッパーはトニーの身体に腕を回し抱きしめると、目を閉じた。
***
「…パー…ペッパー…」
自分を呼ぶ声に目を開けると、そこは先ほどまでいた病室ではなく真っ白な光に満ちた空間だった。
あたりを見回したペッパーが振り返ると、背後には会いたくて堪らない人の姿があった。
「トニー!」
転がるように駆け寄ったペッパーだが、あと一歩のところでトニーの目の前にある深い亀裂に阻まれてしまった。
「トニー?こっちへ来て?」
手を差し伸べるも、トニーは悲しそうな顔をして何も言わない。
きっとトニーの目の前にある亀裂のせいで、トニーは戻って来れないのね…。そう考えたペッパーは黙ったままのトニーに必死で呼びかけた。
「ねぇ?約束したでしょ?何があっても私の元に帰って来るって。あなた、言ったわ。ペッパーが帰るべき家だからって…。それなのに、どうしてそんな所にいるのよ!答えて、トニー!」
ペッパーの必死の呼びかけにも反応を示さないトニーは、ペッパーに背中を向けると歩き出した。
「待ちなさい!トニー・スターク!!」
背中に向かって叫ぶも、トニーの耳には入っていないのか、振り向こうともしない。
トニーが歩き始めた方向には…きっと『死』が待ち受けているはず…。
このままじゃ…トニーは…。
「トニー!あなたがこっちに戻って来ないなら…私がそっちに行くわよ?!」
ペッパーの言葉に、トニーは立ち止まり振り返った。
トニーは何か言いたそうに口を動かしたが、ペッパーの耳にはトニーの言葉は聞こえなかった。
「私はそっちにいったらダメなの?私はあなたと離れたくないの。あなたがこっちに戻って来れないんなら、私が行くしかないでしょ?」
二人を引き裂くかのように亀裂はどんどん広がり、最初は30センチほどだった亀裂が、今は1mほどになっていた。
下を覗き込んだペッパーの脚は震えた。
真っ暗で何も見えない…落ちたら二度と這い上がって来れないだろう…。
それでもペッパーは心を決めた。
何があっても彼のことを支えるって決めたの。
こうやって彼が私に会いに来てくれたのには、きっと理由があるはず。
彼も戻りたくても戻れないのよ…。だったら私が連れ戻すしかないわ…。
ペッパーは履いていたヒールを脱ぐと、後ろに下がり助走を付け走り出した。
先ほどよりも広がっている亀裂。
何とか飛び越えた!と思ったペッパーだが、踏みしめた足元が崩れだし、ペッパーの身体は深い漆黒の闇に向かって落ち始めた。
「キャー!!!!」
必死で何かを掴んで落下を免れようとするペッパーの手を、力強い手が掴んだ。
「トニー?」
「ペッパー…掴まれ!」
差し出された左手を握り返すと、トニーはペッパーを引き上げ抱きしめた。
「トニー会いたかった…」
胸に縋り付くように泣きじゃくるペッパーの頭をトニーは優しく撫で続けた。
「君はこっちに来たらダメなんだ…」
「でも…あなたと離れるのは嫌なの…」
「私もだ…。だが、来てくれてありがとう…。おかげで君とのこと、思い出した…」
「ホント?よかった…。じゃあ、一緒に帰りましょ?」
ペッパーを抱きしめたまま、トニーは何も言わない。
「すまない…ペッパー。約束は…守れそうにない…。だが、ずっとそばにいる…。私が愛するのは永遠に君だけだ…」
「え…」
どういうこと?と言おうとしたペッパーにトニーは深く深くキスをした。
いつもは甘くとろけそうなキスなのに、今日は切なく哀しいキスだった。
「さよなら…ペッパー…。愛してる…」
そういうと、トニーはペッパーの身体を亀裂の向こう側へほおり投げた。
「ま、待って!!!トニー!!!!」
起き上がったペッパーの視界からトニーの姿は消えていた。
「トニー?トニー!!!」
叫び続けるペッパーを白い光が包み込んだ…。
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