Everything Is For You㉔

「…ん」
ボンヤリしていた頭が次第に晴れ渡り、トニーはゆっくりと目を開けた。
「トニー!気がついた?」
目に涙を浮かべた最愛の女性の顔が5cm程の距離にあり、一体何事かとトニーは目をぱちくりさせた。
「ペッパー…俺…」
頭を起こそうとしたトニーだが、後頭部がズキズキ痛む。そっと触れると頭には大きなコブが出来ている。それに左足はギブスで固定されており、胸を撃たれたのにどうして足が固定されているのだろうかと、トニーは首を傾げた。
「俺、後ろから撃たれて…」
困惑するトニーだが、ペッパーの方も何故か驚いた顔をしており、彼はますます頭を悩ませた。
「トニー…思い出したの?」
目を丸くしたペッパーに、トニーは再び首を傾げた。
「思い出すって…俺、記憶でも失ってたの?君が誘拐されて、現場に行ったら、後ろから撃たれたんだよな?それから…何があったんだ?」
どうやらトニーは、この数週間のことを全く覚えていないようだ。ほぅっと息を吐き出したペッパーは、どこまで話すべきかしら…と一瞬思ったが、全てを掻い摘んで話すことにした。
「あなたを背後から撃ったのは、キリアンの仲間の警察官よ。あなたは2発撃たれて…。1発は心臓の近くを貫通して、もう1発は頭に当たっていたの。だからずっと意識不明で…。それでもあなたは頑張って戻ってきてくれたわ。だけど意識が戻ったあなたは、記憶喪失になってたわ。私たちのことはおろか、自分のことも全て忘れてしまっていたの…」
目を瞬かせたペッパーは、トニーの手を握りしめるとニッコリ笑った。
「でも、良かったわ。記憶が戻って…」
何もかも記憶を失っていたと聞き、心配かけてばかりだったのだとトニーは顔を曇らせた。徐々に撃たれる前の事を思い出したトニーは、事件の首謀者である男のことが頭を過ぎり、顔色を変えた。
「あいつは…。キリアンは捕まったのか?!あいつ、君に酷いことを…」
あの時のことは今思い返しても反吐が出そうだ。ギッと歯を食いしばったトニーを落ち着かせようと、ペッパーは彼の手を軽く叩いた。
「あいつは死んだわ。あなたと揉み合いになって、あなたたちは階段から転がり落ちたの。あなたは左足を骨折して頭を打った…。でもキリアンは打ち所が悪くて…命を落としたわ」
目を閉じたペッパーは、ポツリと呟いた。
「やっと終わったわ……」
十年以上に渡る悪夢が、今度こそようやく終わった。もう怯える必要はないのだ。トニーが傷つけられることも二度とない…。
「トニー…怖かった…。あなたのこと…永遠に失うって…そう思うと…」
身体を震わせたペッパーの目から、大粒の涙が零れ落ちた。
「ペッパー…俺は戻ってきた。それに…もう終わったんだ…。だから大丈夫…」
泣き出したペッパーを抱きしめたトニーだったが、ふと違和感を覚え、彼女をじっと見つめた。と、ここでトニーはようやく気付いた。ペッパーの体型が元に戻っていることに…。
「…ちょっと待て!ペッパー…腹が小さくなってる…」
そう言えば、まだ伝えていなかったわね…と、ペッパーはしゃくり上げながら涙を拭った。
「生まれたの。1ヶ月早かったけど…」
娘が産まれたと知ったトニーは、ベッドの上で飛び上がった。
「う、産まれたか?!俺が寝てる間に?!何で起こしてくれなかったんだよ!!感動の瞬間を俺は逃したっていうのか?!」
「意識不明だったんだから、仕方ないでしょ?」
本気で悔しがるトニーに、ペッパーはため息をついたが、いつもの見慣れた光景が戻ってきたと実感し、彼女はクスクス笑い出した。
トニーは余程悔しかったのか、まだブツブツと文句を言っている。トニーが目覚めたことを知らせようとナースコールを押したペッパーは、トニーの頬に素早くキスをした。
「あの子に会いに行く?」
パッと顔を輝かせたトニーは、満面の笑みで頷いた。

車椅子を押しNICUに向かう道中も、トニーはソワソワとしていた。歩けないのに今にも駆け出して行きそうな勢いのトニーを制したペッパーは、ゆっくりと保育器に近づいた。
2人の娘、アナスタシアは目を覚ましていた。産まれた時よりも随分と大きくなった彼女は、手足をばたつかせていた。トニーは顔を付けてマジマジと娘に見入っている。
「…かわいい……」
保育器に手を触れたトニーをアナスタシアはじっと見つめた。
「抱っこしてみます?」
看護師に言われトニーは頷いたが、不安げにペッパーを見つめた。大丈夫よと言うようにペッパーが肩に手を置くと、深呼吸をしたトニーは娘を看護師から受け取った。
初めて抱く娘は小さかった。壊れ物を扱うかのようにそっと抱きしめたトニーを、アナスタシアは大きな目でじっと見つめている。
「アナスタシア……パパよ…」
ペッパーが娘の柔らかな頬を擽ると、小さなアナは手を伸ばしトニーの指に触れた。小さな小さな手で指を握る娘は思いの他力強く、そして何より温かかった。
その途端、トニーの胸に初めての感情が襲いかかった。腕の中にすっぽり収まる小さな存在は、彼にとって世界一大切な存在になった。
命を掛けたい存在はペッパーだけだった。だが、この娘を守るためなら、世界だってくれてやる…。
「俺の…娘…」
一言一言確かめるように囁いたトニーの目には薄らと涙が浮かんでいる。
「そうよ。あなたにそっくりでしょ?」
背後から抱きついたペッパーは、トニーの頭を抱えると、少し伸びてくしゃくしゃになった髪を梳いた。
「ペッパー…俺…今、人生で最高に幸せだ…」
そう言うと、トニーは娘の額にキスをした。くすぐったそうに顔を緩めたアナスタシアは、父親の指をギュッと握り締めた。

㉕へ…

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