One life ends…another begins.⑧-1

⑧-1

そして半年後。
あの事故からもうすぐ一年。一年たっても意識が回復しなければ、トニーは永遠にこのままだ…半年前にそう宣告されてから、ペッパーは病院のスタッフに頼み、ありとあらゆることをやっていた。
一日のうち、毎日一時間は車椅子に座らせる…時折入浴させる…手を握りしめ朝昼晩と話しかける…トニーの好きだった音楽を流す…。
だが、あらゆる治療を行っても、トニーの意識は回復する兆しすらなかった。

その日も、ペッパーは息子…エドワードと名付けた子供を連れて病室へやって来た。入院当初はナースステーションの目の前だった病室も、今ではフロアの片隅になっていた。
「トニー、昨日ね、エドワードがあなたの写真に向かって話をしてたの」
毎日のように息子の話を聞かせるペッパーだが、一向に反応のないトニーにペッパーの心は折れかかっていた。
「あなたの声が聞きたいわ…」
何度か瞬きしたペッパーの目から、不意に涙が零れ落ちた。つまり、彼女はもう限界だった。
「ねぇ…私のこと…怒ってる?お願い…許して…。あなたが目を覚ましてくれるなら、何度でも謝るから…。お願い…トニー…。あなたのこと、世界で一番愛してるの…」
突然泣き始めた母親をエドワードは心配そうに見上げた。そして彼は母親と父親を交互に見詰めると、父親に向かって小さな腕を伸ばした。
「あーあー。だー、まー」
父親に触れようと腕を伸ばすエドワードだが、母親であるペッパーが抱きしめているため届かない。それでも必死で伸ばした小さな手がトニーの指を掴んだ。

その時だった。
この1年、何をしても反応がなかったトニーの手が小さく動いたのだ。

「え…」
触れていた手が突然動き、ペッパーは目を見開くと立ち上がり、トニーの顔を覗き込んだ。
「トニー?トニー!ねぇ!トニー、聞こえる?」
手を握りしめたり頬を触っていると、トニーのまぶたがピクピクと動き始めた。

しばらくして、トニーはゆっくりとまぶたを開いた。そして今までとは違い、焦点の合った視線でペッパーの顔を捉えた。
「トニー?分かる?私よ…」
ペッパーの呼びかけに瞬きしたトニーが、ゆっくりと指でペッパーの手をなぞり始めた。

トニーが戻ってきてくれた…。私たちの上に奇跡が舞い降りた…。
それはきっと私たちが、もう一度あの1年前からやり直してもいいということ…。

顔をくしゃっと歪めたペッパーは、大粒の涙を流しながらトニーの頬に何度もキスをした。
「トニー…よかった…。ごめんね…あなたのこと、こんなに傷つけてしまった…ごめんなさい…」

***
あらゆる検査を受けたトニーは、以前の病室に移動していた。
脳に大きなダメージを受けたトニーは左半身に麻痺が残っていた。麻痺の残った身体は動かすことができず、以前のように話すこともできないが、リハビリすれば回復する可能性が高いと告げられ、トニーはペッパーに謝り自分の気持ちを伝えることができるという希望を見出していた。
(だが一刻も早くペッパーに謝りたい…。どうすれば伝えられるだろうか…)
トニーが思案していると、ペッパーがエドワードを抱いて病室に入って来た。それを見たトニーは、挨拶代りにと口の端を少しだけ上げた。
ベッドサイドに腰を下ろしたペッパーは、トニーがエドワードを見れるように息子を抱きなおした。
「トニー…あなたと私の子供よ。名前はね…あなたの名前を貰ってたの。エドワードよ…。生まれた日もね、あなたと同じなの。不思議でしょ?」
楽しそうに笑ったペッパーに応じようと、トニーはかろうじて動く右手を少しだけ動かした。そして必死に口を動かしたトニーは、言葉にならない唸り声を上げた。トニーの言おうとしていることが分かったのか、ペッパーは小さく頷いた。
「そう、エドワード。あなたにそっくりでしょ?」
そして今度は息子に父親を改めて紹介するかのように、彼の小さな身体をベッドに座らせた。
「エドワード、パパよ」
「だぁ」
エドワードは小さな手でトニーの指を掴むと、嬉しそうに声を上げた。
息子の手の温かさに、そしてようやく触れることのできた喜びで、トニーの目から涙が零れ落ちた。
その涙を拭ったペッパーは、トニーの手を取ると1年前に言えなかった言葉を口に出した。
「トニー…ごめんなさい…。あの時、私たちの選択は間違ってたわ…。あなたの気持ちは分かる…私を傷つけたくないという気持ちは…。でもね、私はあなたがいたらどんなことでも乗り越えられるの。だから、トニー…、ずっとそばにいさせて…。お願い…あなたのこと、愛してるの…。
これから大変なことはたくさんあるわ。でも、必ず私が支えてみせる」

***
一週間後、ペッパーが病室に入ると、車椅子に座ったトニーはリハビリ中だった。
「では、今度は左手を動かしてみましょう」
療法士の呼びかけに膝の上に置いた左手を必死に動かそうとするトニーだが、左手は少し上がっただけで、ほとんど動かない。
「あー」
悔しそうに声を出したトニーに、療法士は
「少しずつよくなってきてますよ」
と励ましの声を掛けた。

三人がかりでベッドへ移動したトニーは、動かない左手に視線を送った。
自分で動くことも、ましてや話すこともできない。
眠り続けたこの一年、ペッパーの言葉はすべて聞こえていた。
悲しませてすまない、そばにいてくれてありがとう…馬鹿なことをした、許してくれ…。
頭はしっかりしているのに、ペッパーに思いを伝えることもできない…。

情けなくなったトニーの目から涙が零れ落ちた。
「トニー?どうしたの?」
突然涙を流し始めたトニーに驚いたペッパーは、気分が悪いのかとナースコールを押そうとしたが、トニーは首を振った。
口を動かそうにもうまく動かず、辛うじて発せられる声も言葉にならない。
(せめて『愛してる』と言わせてくれ…)
何か伝えようと必死なトニーだが伝えられないもどかしさを感じたペッパーは
「いいのよ。大丈夫。無理しないで…」
と、彼の手を握った。
(違う…そうじゃないんだ!)
目を閉じ首を少しだけ振ったトニーは、唸り声をあげた。

「トニー…」

トニーは苦しんでいる。自分の思いを私に伝えることができないこと、話すことも身体を動かすこともできないこと…。でも、彼はきっとこの苦しみから抜け出す…。そして私はそれを必ず支えてみせる…。

伝えることを諦めたのか、顔を背けてしまったトニー。
『あなたの言いたいことは分かってるわ。無理しないで』と言おうとしたペッパーだが、それでは逆効果かと思い直すと、腕の中の息子を見つめた。
自分たちの小さな息子は、ここまで奇跡を起こしてくれた。だからもしかして今回も…と淡い期待を抱いたペッパーは、息子の頭にキスをするとトニーに声をかけた。
「ねぇ、トニー?エドワードのこと、抱っこしてみる?」
そんなことできるわけないだろ?と言うように目を見開いたトニーは、悲しそうに首を振った。
「大丈夫。私も支えておくから。それに、あなただって、この子のこと抱きたいでしょ?」
頷いたトニーは不安気にペッパーを見つめた。
ベッドを起こし背中に枕を入れると、ペッパーはベッドの渕へ座った。まだ不安そうな顔をしているトニーにペッパーは微笑んだ。
「トニー、あなたならできるわ」
動かない左手を右手で持ち上げたトニーは、何が始まるのかと興味深い視線を送ってくる息子を見つめた。
「エドワード、パパに抱っこしてもらいましょうね?」
左腕にもたれかかるようにエドワードを座らせたペッパーは、トニーの左腕をそっと支えた。何が起こってもペッパーがいてくれるから大丈夫だと自分に言い聞かせたトニーは、ゆっくりと右手を動かすと、そっと息子の小さな身体に触れた。
「だーだ!」
トニーの腕に触ったエドワードは、満面の笑みを浮かべると、小さな手を叩き始めた。
「よかったわね、エドワード。パパに抱っこしてもらえたわね。ずっと待ってたのよね」
ペッパーは目に浮かんだ涙をそっと拭うと、エドワードとトニーに抱き付くように身体を寄せた。
腕に触れるペッパーとエドワードの手の温もりに、トニーの目からポロポロと涙が零れ落ちた。
「だぁ?」
心配そうにトニーを見つめていたエドワードは、手を伸ばすとトニーの頬に触った。顔をくしゃっと歪めたトニーは、何度か瞬きするとニッコリ笑った。
(この子は奇跡をもたらしてくれた…。だから今なら…)
そう感じたトニーは何度も深呼吸すると、ゆっくりと口を開いた。
「…ぱ…」
掠れた小さな声だが、大好きな声にペッパーは目を見開いた。
「トニー…」
オーシャンブルーの瞳にはみるみるうちに新たな涙が浮かび始め、顔を輝かせたペッパーはトニーの頬に手を添えた。
再び大きく深呼吸したトニーは、一言一言噛みしめるかのように、ゆっくりと言葉を続けた。
「ぺ……ぱ……あ……い……」

十分だった。それで十分だった。彼の気持ちも、そして1年前の別離の時間を取り戻すのも、その一言で十分だった。

「トニー…私も愛してるわ…」

トニーに抱き付いたペッパーは、彼の唇を奪った。1年ぶりの口づけはあの頃とちっとも変りなく、次第に深くなる口づけに2人の間に座るエドワードが抗議するように声を上げた。

***
必死にリハビリを続けたトニーは一年後、ゆっくりとだが自らの足で歩き、マリブの自宅へ戻ってきた。
「やっと戻ってこれた…」
感慨深げに歩き回るトニーに、ジャーヴィスが声をかけた。
『おかえりなさいませ、トニー様。ずっとお待ちしておりました』
「ジャーヴィス、心配かけたな。馬鹿なことをしてすま…」
『トニー様、謝罪はお受けできません。トニー様が再び戻ってこられただけで、十分ですから』
「ジャーヴィス…」
長年の相棒の言葉に、トニーが目を潤ませた時だった。

「パパ!ママがまってるよ!」
パタパタと走ってきた息子は、周りで飛び跳ねとトニーの手を握った。
「ママの料理か?楽しみすぎてパパのお腹がグーグーいってるぞ!」
楽しそうに笑ったトニーは、息子の手を握り直すとキッチンへ向かった。

「トニー、今日はあなたの好きなものばかり作ったのよ」
にこにこと笑うペッパーに近づいたトニーは、目立ち始めたお腹に触れると、腰を引き寄せキスをした。
どこまでも甘く優しい妻の唇に、トニーはもう二度とこの存在を手放さないと固く誓ったのだった。

【END】

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