90. Wreck

その日、トニー・スタークは朝から落ち着かなかった。と言うのも、今日は重要な客が来ることになっているのだ。

『ペッパー様、いらっしゃいました』
来訪者を告げるジャーヴィスの声にトニーの顔に緊張が走った。片や、玄関まで迎えに出たペッパーは満面の笑み。つまり、その来訪者とは…。
リビングにいたトニーを見つけると、来訪者、すなわちペッパーの母親は両手を広げ駆け寄って来た。
「トニー!久しぶりね」
「お久しぶりです」
将来の義理の母親であるシルヴィアに抱き締められたトニーは、少々苦しそうに声を上げたが、彼女はまったく気づいていない。だが、肩越しに義父となるテッドの姿を捕えたトニーは、慌てて身体を離すと頭を下げた。
「ポッツさん、ようこそ我が家へ…」
彼にしては珍しくしどろもどろで挨拶する姿に、ペッパーは首を傾げた。
結婚の許可を貰いに二人で挨拶に行ったのはつい数週間前。最初は反対していた父親だが、トニーの思いに触れ最終的には結婚を許してくれた。そしてその夜、父親はトニーと酒を酌み交わし、二人はすっかり打ち解けたのだと思っていたからだ。トニーとて、あの夜心を許したのは事実だ。だが、殴られ鼻の骨にひびが入ったという初対面の苦い思い出のせいか、トニーはこの義父となる男がどうも苦手だったのだ。

初めて訪れるスターク邸。トニーとペッパーに案内され珍しそうに見て回ったテッドとシルヴィアは、リビングのソファに腰を下ろした。
しばらく他愛もない話をしていた4人だが、そうそう…と話を切り出したシルヴィアはニンマリと笑みを浮かべた。
「で、孫の顔はいつ見れるの?」
シルヴィアの言葉に、トニーはコーヒーを噴き出した。
「ま、孫…」
真っ赤な顔でペッパーを見つめたトニーだが、いつも電話で言われているのだろうか、彼女はため息をついた。
「ママったらまたその話?気が早いって昨日も言ったでしょ?結婚式もまだなのに…」
いつものことなのだろうが、この二人は普段一体どんな話をしているんだと、トニーはタオルで溢れたコーヒーを拭いた。
いつもならここで話は終わるのだろうが、今日は当事者である娘の婚約者がいるからだろうか、シルヴィアは強気だった。
「あら?何もないとは言わせないわよ。だって2,3日前もテレビで言ってたわよ。あなた、産婦人科に行ったって。それって、妊娠してるか確認しに…」
『妊娠』と聞いてトニーは飛び上がった。
「おい!ハニー!本当か?!」
大きな目をさらに見開いたトニーの瞳は輝いている。
ペッパーは慌てた。どうしてそういう話になっているのかと。期待に満ちたトニーとシルヴィアに向かい首を振ったペッパーは叫んだ。
「ち、違うわよ!あれは避妊薬を貰いに行ったの!あなたが毎日、それも朝晩問わずに…す…る……」
と、ここでペッパーは自分の失言に気が付いた。というのも、恐ろしいほどの視線…正確には自分ではなくトニーに向けられている視線に気付いたのだ。
「…トニー。お前はヴァージニアに…」
いつも以上に低い声はまるで地獄の底から聞こえてくるようで、迫りくる気配にペッパーとシルヴィアは思わず避けてしまった。
「お、お義父さん…」
にじり寄ってくる義父に慌てたのはトニー。蘇るのはあの日の出来事。また鼻を折られては大変と、彼は鼻を両手で押さえた。
「まだお前の父親ではない!お前、私の娘に毎晩強要しているのか!!!」
いい年の二人に、しかも婚約どころか数年前から同棲している二人に何を言っているのかと頭を抱えたシルヴィア。そしてまさか自分の父親に自分たちの性生活にまで口を出され慌てたペッパーは、何を思ったかさらに墓穴を掘るようなことを言ってしまった。
「パパったら!私たちが毎日しようがしまいが、パパには関係ないわ!!トニーがね、私だけを愛してくれてるっていう証拠よ!!!」
シーンと静まり返ったリビングで、さすがのトニーも恥ずかしそうに身を縮こまらせている。真っ赤になった両親とトニーに、ペッパーはようやく自分が何を言ってしまったのか気付いた。
何とも言えない空気が漂う中、注文していたデリバリーの到着を告げるジャーヴィスの声だけが空しく響きわたっていた。

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