88. Nurse

ある日、LAでも一、二を争う病院に一人の新人ナースがやって来た。
「アボットです。よろしくお願いします」
外科に配属されたアボットは、先輩ナースの前でぴょこんと頭を下げた。
ところでこの病院には一つの伝統というべきことがあった。それは、経験する時期は違えど、赴任してきたナースが一度は通る試練というべきなのかもしれないが…。
で、このアボットは早速その試練に立ち向かわなければならないようだが…。

「じゃあ、早速だけど、あなたはトニー・スタークさんの担当になってもらおうかしら」
「トニー・スタークって…あのトニー・スタークですか?!」
テレビでしか見たことがないトニー・スタークが入院していると聞き、アボットは飛び上がった。
「えぇ、そうよ。この病院を支援して下さっているのは、スターク・インダストリーズだから…」
若輩者の自分がそんな大物の担当になれるなんて・・・頬を高揚させ興奮しているアボットに、他のナースは知らぬが仏ね…と苦笑い。

「スタークさんは右腕部骨折、大腿部の挫傷、全身の打撲で、2日前に入院されたの。数週間入院の予定よ」
今朝まで担当だったナースからトニー・スタークの状態を申し送りされたアボットは、意気揚々と病室へ向かった。
「あ、あの子に言い忘れたわ…。あのこと…」
「大丈夫よ。さっき覗いたときは一緒にいらっしゃったから」
「私の勘だけど、あの子はうまくやりそうな気がするわ…」
「私もそう思ってたの!」
と、ナースステーションで先輩ナースが盛り上げっているのもつゆ知らず…。

早速病室に向かったアボットは、ドアをノックすると部屋へ元気よく入って行った。
「失礼します」
ベッドには1人の男性が横になっていた。右手を吊り、顔に大きなガーゼを貼った男性は、テレビでしか見たことのないあのトニー・スタークだ。
見知らぬナースの登場に、トニーは顔を顰めた。
「見ない顔だな?」
「初めまして。今日から担当させて頂きますアボットです。よろしくお願いします」
そう言うと頭を下げたアボット。まだナースになったばかりなのだろうか、新人らしく初々しさの残る彼女は、なぜか出会ったばかりのペッパーを連想させ、トニーは笑みを浮かべた。

「早速ですけど検温させて下さい」
体温計を手渡そうとすると、トニーは顔を顰めた。
「そこに置いてくれ」
「え?」
訳が分からず困惑するアボットに聞いていないのかと思ったトニーだが、新人の彼女に言っても仕方ないだろう。
「手渡しは嫌いなんだ」
「は、はい」
ベッドサイドのテーブルに体温計を置くと、右手が使えないトニーは不自由そうに体温計を手に取った。

一通りのことを終えナースステーションに帰ったアボットは、頬を膨らませながら他のナースに話をした。
「スタークさんって、言いにくいですけど…我儘ですね!手渡しが嫌だとか、清拭は嫌だとか。右手が使えないだろうから、昼食の介助を申し出たんです。そしたら、それも断られたんです!」
ブツブツと文句を言うアボットに、他のナースは苦笑い。
「あぁ、そのことね。スタークさんにはある意味『専属ナース』がいるのよ。食事の介助や清拭とか入浴とかは、彼女以外にはさせないの。だからいいのよ」
「彼女って…」
先輩ナースの言う『彼女』が誰か分からないアボットは首を傾げたが、
「そのうち分かるわよ」
と、先輩ナースは楽しそうに笑った。

昼食時になり、食事を持ち部屋に向かったアボットだが、1人の女性がベッドサイドに座っているのに気付くと頭を下げた。アボットに気付いたその女性は、優しげな笑みを浮かべた。
「あら?新しい看護婦さん?」
「はい。今日から担当させて頂きますアボットです。よろしくお願いします」
再び頭を下げたアボットに、ペッパーも頭を軽く下げた。
「妻のペッパーです。こちらこそよろしくお願いします。アボットさん、彼、我儘だから大変でしょ?」
妻の言葉にトニーは頬を膨らませた。
「おい、ハニー。我儘とは何だ。失礼だ」
「あら?あなたが我儘じゃなかったら、誰が我儘なのよ」
クスクスと笑ったペッパーはアボットからトレーを受け取った。
「あなたの好きなパスタがあるわよ。良かったわね」
そう言うと、ペッパーは慣れた手つきでトニーに食べさせ始めた。
何となく甘い雰囲気になり始めた病室。早く退散した方が良さそうだと、アボットはドアへ向かって歩き始めた。すると、彼女がいるのを分かってだろう、トニーがおもむろに口を開いた。
「ハニー、後で身体を拭いてくれ」
「はいはい、分かってるわよ」
「隅から隅まで拭いてくれていいからな?もちろんアソ…」
「それ以上言うと、してあげないわよ」
怖いほどの笑みを浮かべたペッパーと口をとがらせるトニー。そんな二人の姿に、真っ赤になったアボットは慌ててドアを閉めた。

「専属ナースの意味が分かりました」
ナースステーションに戻るや否や、アボットはため息をついた。
「初日から分かって良かったわね」
苦笑する先輩ナースだが、アボットはテーブルに肘をつくと浮かない顔をしている。
「何だか羨ましいかったです。お二人ともお互いに愛し合ってるって。でも、私、必要なさそうですね…。それに新人にはやっぱり荷が重い気がします。何か粗相があったら申し訳ないですし…」
初日にして自分は嫌われていると思ったのか、アボットはガックリと肩を落とした。すると、一人のナースがアボットの肩をポンっと叩いた。
「大丈夫よ。さっきね、私、聞いちゃったの。部屋のドアが少し開いていたから通りすがりなんだけどね。奥様がスタークさんに『あの子?あなたが言ってた子って』って言われたんだけど、スタークさんが『あぁ。出会った頃の君に何となく似てるんだ。一生懸命で真っ直ぐで。また新人ナースかと思ったが、彼女なら大丈夫だと思う』って言われてたわよ」
「それって…」
顔を上げたアボットに、そのナースは笑いかけた。
「あなたのこと、気に入ったみたいよ。今までみんな玉砕したのにね。あなたって凄いわね」
「本当ですか?!私、スタークさんにお礼を言って来ます!」
勢いよく立ち上がったアボットは、トニーの病室へ向かったが、部屋に入ると二人がキスをしている最中に出くわしてしまい、真っ赤な顔をして慌てて戻っていったとか…。

1人がいいねと言っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。