正直なところ、ペッパーは苦手だった。トニーがアイアンマンの任務で出かけることが…。
というのも、トニーは必ずどこかしらに怪我を負って帰ってくるから。
かすり傷は日常茶飯事、酷い時には自力で歩けないどころか、そのまま病院送りになることもある。
だが、それでも自分の元に帰ってきてくれるのだからいい…。そう思い始めたのは、あのNYの事件の後だ。
あの時は、一歩間違えれば彼は永遠に帰って来なかったかもしれない。それも何の言葉を交わすこともなく…。
電話に気付かなかったことを、ペッパーは酷く後悔した。だがトニーは笑って言った。『あの時君が電話に出ていたら、本当に帰ってこれなかったかもしれない。君に会いたい一心で帰って来たんだから…』と。
そう笑っていられるのも、彼が傍にいてくれるから…。
だからこそ、次に同じように電話がかかってきたら、何があっても出なくてはならない。例えそれが別れの電話になったとしても…。
そう考えたペッパーは、トニーが任務に出かけると、携帯電話を片時も離さず持ち歩くようになった。
その日、トニーはローディの手伝いで、中東の紛争地帯に出かけていたのだが、ペッパーの電話が突然鳴ったのは、会議に出席している時だった。
着信元を見るとトニーからだ。なぜかは分からないが嫌な予感がする。周囲に断りを入れたペッパーは震える手で電話に出た。
「もしもし?トニー?」
電話の向こうからは、雑音と何かが破壊される音が聞こえてくる。
「トニー!ねぇ、トニー!!」
大声を出したペッパーに、周囲の社員たちもざわつき始めた。
すると、しばらくして微かな声が聞こえてきた。
「はにー……ぺ……ぱ……すまな…い……あいし……」
弱々しいがトニーの声だ。どういうことか問いただそうとしたペッパーだが、電話は嫌な音と共に途切れてしまった。
トニーに何かあったに違いない。
顔色を変え震え始めたペッパーの周りでは、社員たちがトニーの状況を探るべく慌ただしく動き始めた。
どのくらい経っただろうか、ペッパーは携帯が震えていることに気付いた。
慌てて電話に出たペッパーの耳に聞こえてきたのは、トニーと共にいるはずのローディの声。
「何かあったの?」
辛うじて声を出したペッパーに、ローディは切り出した。
「ペッパー、落ち着いて聞いてくれ。実は…」
***
それからのことをペッパーは覚えていない。どうやら周りにいた社員が連れてきてくれたらしいのだが、気がついた時には彼女はトニーが搬送された病院の廊下に座り込んでいた。
「ペッパー……」
聞き覚えのある声に顔を上げると、青い顔をしたローディがいた。
「…何が…あったの…」
囁くような声のペッパーは泣き腫らした顔を恋人の親友に向けた。
「すまない…ペッパー…」
大粒の涙を零したローディは、そう言うと膝を付き頭を下げた。
「トニーに何があったの!ねぇ!何があったの!説明して!」
立ち上がったペッパーは黙ったままのローディにすがりつくと、大きな声で泣き始めた。
ペッパーが落ち着いた頃合いを見計らって、ローディは話し始めた。
任務を終え、LAに向かい帰還、他愛もない話をしながら飛んでいた二人だったが、背後から突然敵の戦闘機が現れた。攻撃を交わしながら飛行を続けた二人だが、攻撃されたローディに一瞬隙が出来た。よろめいた彼を襲ったのはミサイル。当たると思ったその時、横からトニーが飛び出してきた。ローディを庇いミサイルの直撃を受けたトニーは、そのまま地上に落下。ペッパーに連絡を入れたのは、落下している時だったのだろう。幸いと言うべきなのか低空飛行をしていたのだが、強固なアーマーを着ていると言っても、そのアーマーはミサイルで破壊され、その上数キロの高さから落ちたのだ。ローディが駆けつけた時には、全身の骨が砕けたトニーは虫の息だった。
「あいつ、俺を庇ったんだ。俺がこの後勲章を受けるからって…。あのバカ…自分のことも考えろよ…」
目元を乱暴に擦ったローディだが、その目には再び涙が浮かんだ。
ペッパーはローディを責めることはできなかった。いくら自分のせいだと言われても、責めることはできなかった。
トニーとて、危険を承知で任務にあたっているのだ。彼自身もおそらく心のどこかでは死を覚悟して任務にあたっているはずだ。それにきっと彼は助けたかっただけなのだ。自分の親友である相棒を…。
いつかこんな日がくることは覚悟していた。でも、実際きてみると、トニーと永遠に別れるという覚悟は揺らいでしまうほど脆かった。
だから本当は泣き叫びたかった。目の前のローディを責められたらどんなに楽だろうかと思った。だが、トニーが命を懸けてでも守りたかった彼の親友なのだ。それにペッパーは信じていた。彼は必ず自分の元へ帰ってきてくれることを…。
「ローディ、謝らないで。あなたが謝ると、彼の覚悟が無駄になってしまうわ。それに、トニーは頑張ってるのよ。だから祈りましょう…」
悲しみを押し殺したペッパーは、背中を丸め涙を流すローディの手をそっと握りしめた。
二人の祈りが通じたのか、丸1日に及んだトニーの手術は成功した。そして2回目・3回目の手術も成功し、順調に回復していったトニーだが、10日経ってもトニーの意識は回復しなかった。ペッパーは眠り続けるトニーにずっと寄り添っているのだが、さすがに疲労には勝てずベッドサイドの椅子の上でうとうととしていた。
どのくらい経ったのだろうか。小さな唸り声に目を開けたペッパーは、辺りを見渡した。すると、先ほどまでは見られなかった愛する魅力的な茶色の瞳がじっと自分を見つめているではないか。
「トニー…」
頬をそっと撫でると、トニーはペッパーを安心させるかのように何度か瞬きをした。
「帰ってきてくれたわ…。きっと帰ってきてくれるって、信じてた…。ありがとう、トニー…」
トニーの顔に降り注いだペッパーの涙がトニー自身の涙と合わさり流れ落ちていった。
(彼は戻ってきてくれた。約束通り戻ってきてくれた…)
嬉しそうに自分を見つめているトニーの頬を撫でたペッパーは涙を拭うと、彼が大好きだと日頃から言っているとびっきりの笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、トニー」
【トニーサイドはおまけ】
「J……繋いでくれ…」
地面へ向かうスピードは緩むどころか加速するばかりだ。
ミサイルの直撃で、スーツは修復不可能なくらい損傷を受け、HUBには警告が鳴り響いている。
『…ニーさ……話く………い』
ジャーヴィスの声も途切れ途切れなのに、ペッパーと会話が出来るのだろうか。いやそれよりも、急降下し続けているためか、攻撃を受けた際の負傷のせいか、トニー自身も意識が遠のき始め、会話が出来るかどうかも怪しくなってきた。それでも聞こえてきたのは愛する女性の声。
「……ニー……トニー!」
NYでは繋がらなかった電話が、やっと繋がった。
今度こそ伝えなければ…。最期に伝えなければ…。
君だけを愛しているということを…。
君を遺していかねばならないことを謝らなければ…。
「はにー……ぺ……ぱ……すまな…い……あいし……」
『愛している、永遠に』
その言葉を伝え切る前に、トニーは地面へ叩きつけられ、意識を失った。
***
『……にー………トニー……』
あの日以来、何度も何度も呼ばれる名前。
最初は手術台の上にいる自分を見ている時だった。警告音が鳴り響き、医師たちが自分を懸命に蘇生させようとしている姿を、トニーは手術室の隅からボンヤリと見つめていた。
(あぁ…私は死ぬんだ…)
そう思った瞬間、彼女に呼ばれた気がした。
(ペッパー…)
目を閉じ、彼女の顔を思い浮かべていたトニーが再び目を開けると、彼は自分の身体の中に戻っていたのだ。
それから、彼女の声は絶えず聞こえていた。そして夢心地に聞こえていた声は、日に日にハッキリと聞こえてきた。
だが、目を開けることが出来ない。身体を動かすことも出来ない。
ただ呼ばれ続ける名前にトニーは必死に答えようとしていた。
(ペッパー………)
彼女の名前を呼ぼうとした。なぜならそこに彼女の存在を感じるから…。
だが、指先さえも動かない状況で、トニーは何も出来なかった。
任務に向かう時、彼女はいつも傷ついた顔をしていた。理由は分かっている。それは、自分が二度と帰って来ないかもしれないという不安と恐怖が原因だ。
あの時…NYでの闘いの後、彼女は泣きながら謝罪した。電話に出られなくてごめんなさい…と。そして感謝した。戻ってきてくれてありがとうと…。
自分たちがお互いに一番怖いこと。それは何も言わず突然目の前から消えることだ。
だからこそ、あの日以来、誓った。
何があっても、必ず彼女の元に帰ってくると…。例えそれが、彼女に温もりを与えられなくても…。
トニーの耳に、誰かの話し声が聞こえてきた。ボソボソと囁くような声は、聞き覚えのない声と、そして…。
(…ペッパー……)
いつも温かくそして優しく包み込んでくれる声にトニーは笑みを浮かべようとした。チューブが挿管された口元は彼女から見れば変わることはないだろうが…。
しばらくしてベッドサイドの椅子に腰掛けたのだろうか。彼女の存在をより身近に感じ、トニーの動かぬ右手を柔らかな温もりが包み込んだ。
「トニー、順調に回復してるそうよ。あとはあなたが目覚めるのを待つばかりね。あなたが頑張ってくれたおかげよ。でも、無理はしないでね。私はいつまでも待ってるから…」
嬉しそうなその声に、トニーは彼女の手を握り返そうとした。だが、やはり動かすことは出来ない。
(ハニー……)
早く伝えたい…。君の元に戻ってきたと伝えたい。
そうだ、目が覚めたら、ただいまのキスをしよう。たくさんしよう…。彼女の顔中に刻みつけ、愛していると伝えよう…。
やがて、右腕に微かな重みを感じ、彼女の寝息がはっきりと聞こえてきた。
瞼の裏に明るさを感じたトニーは、ずっと閉じていた目をゆっくりと開けた。
久しぶりに見る眩い光に一瞬目が眩んだトニーは、何度か瞬きをした。すると朦朧としていた頭と視界がはっきりし始め、目の前に見慣れた赤毛が現れた。
(ペッパー……)
彼女のことだ。おそらくずっと付き添っていたため、疲れて眠ってしまったのだろう。
(おい、ハニー…目が覚めたぞ)
真っ先に伝えたいのに、ギブスで固定された身体は動かすことは出来ない。声を出したいのに、喉元に入ったチューブのせいで声が出ない。
どうしたものかと考えたトニーだが、良いアイデアが浮かぶ訳でもなく、小さく呻き声を上げた。
だが、それで十分だった。
「ん……」
小さく声を上げたペッパーは、いつの間に眠ってしまったのかしら…と、頭を軽く振った。そして、キョロキョロと辺りを見渡したペッパーの瞳が、彼女の様子をじっと見ていたトニーのものと交錯した。
「トニー……」
目を見開いたペッパーのオーシャンブルーの瞳はあっという間に涙の海ができ、やがて大きな雫となり頬を伝わった。
(ペッパー…ハニー……約束通り、戻ってきたぞ…)
言葉にする代わりに何度か瞬きをしたトニーだが、彼の想いは彼女にきちんと伝わったようだ。
抱きつくように身を寄せた彼女の涙が顔中に降り注いだ。冷たくそして温かい感触に、トニーは自分が生きているということを実感し、何度も何度も頷いた。
「帰ってきてくれたわ…。きっと帰ってきてくれるって、信じてた…。ありがとう、トニー…」
涙を拭い笑みを浮かべたペッパー。その輝くばかりの笑顔は、トニーの愛するペッパーの笑顔だった。
(ただいま…ペッパー…)
目を細め瞬きすると、彼女は額に甘い口付けを贈ってくれた。
「おかえりなさい、トニー」
ペッパーの手が頭から頬を何度も往復する。その温かく柔らかな感触にトニーはくすぐったそうに目を閉じた。
【ローディ】
「トニー、本当にすまなかった」
頭を下げたまま動かない親友の姿に、トニーの胸がチクリと痛んだ。
意識が戻り一週間経った。ずっと面会謝絶だったトニーだが、今日ようやくICUから一般病棟…と言っても、病院一の特別室だが…に移り、面会第一号としてやって来たのがローディだった。
ノックの後、遠慮がちに部屋に入ってきた彼の親友は、全身ギブスでベッドに横たわり動けないトニーの姿を見ると、目から大粒の涙を零した。そしてベッドに駆け寄った彼は、その場に跪き頭を下げた。
「トニー…すまなかった。お前を巻き込んでしまった…。ペッパーもすまなかった。君とトニーを永遠に引き裂くところだった…。本当にすまない…。トニー、謝って済む問題ではないかもしれない…。許してくれ…」
正直なところ、トニーは困惑していた。確かに今自分がこのような状態、すなわち全身の骨が砕け、内臓にも大きな損傷を負い、3週間近く経っても指先ですら動かすことができないのは、あの時親友を身を呈して守ったからだ。だが、あの時、トニーは親友を守りたかっただけなのだ。攻撃を受け傷ついた親友を、さらなる攻撃から守りたかっただけだった。それに、ミサイルを弾き飛ばす自信があったのだ。だから彼の盾となった。実際のところ、トニーの目論見は失敗し、この有様なのだが…。つまり、この怪我は自分の責任なのだ。そう思っていたのに、肝心のローディは全て自分の責任だと感じているらしい。どうしてここまで彼が今回の件に責任を感じているのか、トニーには分からなかった。いや、もし自分が彼の立場なら、自分もやはり彼のように頭を下げ続けるのかもしれない…。
そんなことをぼんやり考えていたトニーだが、親友の嗚咽に我に返ると、わざと明るい口調で言った。
「よせよ、相棒。お前のせいではない。頼むから謝らないでくれ」
ニヤっと笑おうとしたトニーだが、腹部の傷が痛み顔を顰めた。
「だか…」
辛そうなトニーに再び目に涙を浮かべたローディは何か言おうとしたが、それをトニーは制した。
「待て。今度『すまなかった』と言ってみろ。部屋から叩き出すぞ。おい、ペッパー、今度こいつが謝ったら、尻を蹴飛ばして部屋から追い出してくれ」
トニーの言葉にクスっと笑ったペッパーは
「分かったわ」
と言うと、ローディを立ち上がらせ、ベッドサイドの椅子に座らせた。
椅子に座ったはいいものの、俯いたままの親友にトニーは何から話そうかとしばらく思案した。チラリとペッパーを見ると、彼の気持ちを理解してくれている彼女は、小さく頷いた。自分が言葉足りなくても彼女がサポートしてくれると確信したトニーは、深呼吸すると目の前の男に静かに呼びかけた。
「ローディ。今回の件はお前のせいではない。私はそう思っている。あの時、私はお前を助けたかった。それだけだ。だから後先のことは考える前に行動に出ていた。それと、ここだけの話だが…正直、ミサイルなんか跳ね飛ばせると思っていた。だが、目測を誤った。つまりは私のミスから起こったことだ。いいな?そういうことだ」
「トニー……」
トニーの言葉に顔を上げたローディは、真っ赤になった目元を擦ると少しだけ笑った。
「ありがとう、トニー」
そう言うと手を差し出したローディだが…。
「すまんな。握手でもしたいが、あいにく動くのは口だけなんだ」
残念そうに口を尖らせたトニーに、ようやくローディにも笑顔が戻った。久しぶりに見る親友の笑顔。胸にあったもやもやとしたものがなくなったトニーは、照れくささを隠すかのようにわざとらしく顔を顰めた。
「いつまでも泣くな。女々しい奴だな。この話は終わりだ!それより、何か面白い話はないか?さっきも言ったが、身体は動かないが頭はしっかりしてる。つまり、暇なんだ。暇つぶしに面白い話を聞かせろ」
その日、病室からは久しぶりに笑い声が聞こえ続けた。